2020年12月4日金曜日

石牟礼道子 苦海浄土

 石牟礼道子いま道しるべに

「苦海浄土」題材に曲・「自然への畏怖」シンポで共有
残した言葉 コロナ禍で問い直す試み

コロナ禍のいま、生の尊厳を求める水俣病患者たちの姿を描いた小説『苦海浄土』で知られる作家(1927~2018)に触発された表現が続けて世に出ている。
石牟礼の思想を道しるべに、「分断」や「生産性」といった言葉で語られる現代社会を問い直そうとする試みだ。
脳出血による右半身まひから復帰し「左手のピアニスト」として知られる舘野泉さん(84)は11月、東京で開いたリサイタルでピアノソナタ「苦海浄土によせる」を初演した。
穏やかな海のような曲調は突然、不協和音に包まれ、やがてつかの間の凪(なぎ)を思わせる静けさのうちに終わる。
舘野さんは演奏後、「響くほどに、のめり込んでしまう。いまどき珍しい力を持った曲です」。

「のさり」に希望

熊本市の作曲家、光永浩一郎さん(54)が熊本県水俣市を訪ね、取材を重ねて書き上げた。
きっかけは、水俣病にかかって差別を受けた漁師の故杉本栄子さんが語り、石牟礼が書き伝えた「のさり」という言葉を知ったこと。
病と差別に苦しみ抜いた末に、「天からの授かりもの」ととらえ直した方言だ。

石牟礼は、杉本さんの語りをこう書き残している。
<(水俣病の原因企業)チッソも許す。病気になった私たちを迫害した人たちも全部許す。許すと思って、祈るごつなりました>
『花びら供養』

苦しみのなか「のさり」だと思えば、決して通じ合えないと思われた相手にも手を差し伸べられる。
光永さんは「『分断』という言葉がついて回る世の中ですが、分かり合えるという希望は持ち続けたい」。
京都市では9月、コロナ下で文化や芸術が果たす役割についてのシンポジウムが開催された。
参加した上智大学大学院特任教授(宗教学)の鎌田東二さんは「どれだけ科学が発達しても、人間は形を超えた何かに生かされているという感覚を持つ」と指摘。
「『苦海浄土』などの小説で豊穣に切実に描いた(自然への)畏怖、畏敬の念」を思い起こすことの大切さを訴えた。
石牟礼の残した言葉を考える試みが続く状況について、「法政大学総長の田中優子さん(近世文学)は「3・11の後に似ている」と指摘する。「新型コロナでもやはり、世の中の仕組みがひっくり返った。近代以降の人間社会の根底から問い直した石牟礼さんの思想に、これからの時代の手がかりを求めているのでは」
12年に対談した際、石牟礼は「共同体というのは、万物が呼吸し合っている世界」と語ったという。
貝や魚などの「命のざわめきに満ちた」水俣の渚で育ち、人間はあくまで「生類の一員」であり、「つながり合う命そのものに価値がある」と考えた石牟礼の思想が表れた言葉だ。

試される共感力

田中さんが10月に出した「苦海・浄土・日本』(集英社新書)で、石牟礼が人の苦しみに共感し、我が苦しみのようにもだえた「もだえ神の精神」を論じた。
石牟礼が水俣病患者を支援したのも、この気持ちにかられたからだった。
田中さんはこれまで研究してきた江戸期の社会と比較して、資本主義の論理が行き渡った近代以降の社会では、利益や経済成長といった「数値のピラミッド」を上へ上へと登ることが求められ、どれだけ稼いだかという「生産性」のものさしで人の価値が測られるようになったとみる。
「『生産性』を上げるよう個人間の競争を強いられるうち、本来備わっていた共感力を削り落とさなければ生きづらくなってしまった」。
コロナ禍は、立場の異なる相手への共感力が試される機会でもある。
「人の苦しみにもだえた石牟礼さんと同じ場所に立って、社会のあり方を見つめ直す時だと思います」。
(上原佳久)
20201202の朝日新聞文化・文芸より転載。