2007年3月24日土曜日

日本国憲法

日本国憲法

我が生涯、4度目の「カラマーゾフの兄弟」を読了した。やっと完全に理解できた。そして、3度目の「罪と罰」に突入しようと、思っていた。その矢先、小見常務取締役が、「この本、面白かったよ」と貸してくれた本が、本田達也著の『日本国憲法』(以下、本書といわしていただく)だった。ちょうど、カラ親子にエネルギーを使い果たしたところだったので、著者には申し訳ないのですが、一息入れる心算で読み出した。本全体的には、面白かったし、楽しませていただいた。皆さんには、お勧めです。この本の中で、引用されていて、書き止めて置きたかった事を抜粋して、記録にした。

本書/目次・前文 29p(「あたらしい憲法のはなし」実業教科書)/1947年8月2日 より

六 戦争の放棄

みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじでおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆくのです。

みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。

 

 

本書/目次・第一章 天皇 59p2004年10月28日、毎年皇居内で催される園遊会の席上で、今上天皇と東京都教育委員で棋士の米長邦雄との対話を朝日新聞などの記事をもとに、そのやりとりを再現する。

天皇 ・ 教育委員会のお仕事ご苦労さまです。
米長 ・ 日本中の学校で国旗を掲げ、国家を斉唱させることが私の仕事でございま  す。
天皇 ・ やはり、強制になるというものではないのが望ましい。 
米長 ・ もうもちろんそう~~本当に素晴らしいお言葉をいただきありがとうご
 ざいました。


 (注意)なんだかなあ。噛み合わないにもほどがある 

2007年3月20日火曜日

希望入団枠撤廃

金銭供与から、希望入団枠撤廃へ

 西武ライオンズ球団の太田秀和社長は、アマ2選手に不正の金銭の供与をしていたことを発表した。
東京ガスと早稲田大学の野球部員の2選手に対して、栄養費等の名目で金銭を渡していた。早稲田の学生の場合は、高校3年生の秋から接触が始まって、大学卒業後に西武に入る旨の合意書のようなものを作成していた。
この項では、授受した人間の詳細については、第二義的な問題なので、省いて前に進む。
 「なんで、こんなことに、なっちゃったのよ」と考えてみた。
ちょっと待て。こんなことが、何故起こったか?なんて想像するに、そんなに難しいことではない。元を辿れば、それは3年前にあった。きちんと論議を尽くさなかった代表者会議にその源が窺がえる。モラルだけでは、防げなかった。
 力が強くて、大きな声で議事進行を牛耳り、弱い人の意見を聞かないで、強引にまとめた取り決めは、必ず粛清される。これは、歴史の証明である。
著名な経済人でいながら、こんなことも解らない御仁がいる。
 2シーズン前のオフ、3年前、パリーグの球団、近鉄が本体の経営状態の都合で、球団経営の継続が困難になった。それで、パリーグの球団数を減らしてはどうか、と代表者会議で論議されたことがあった。その時は、声の大きい巨人のW氏、西武のT氏、オリックスのM氏が球団数を減らして、限られたパイ(彼ら三氏が想定した利益)を確実に分け合おう、と画策した。球団数を減らすことで代表者会議をまとめようとした。
彼たちの画策を知ったファンは、スポーツ知らずのオヤジたちの、勝手な、ファンの気持ちを無視した内容に憤慨した。今じゃ、あっちゃ向いてホイだけれども、素晴らしい野球を見られるならば、いつでも戻って来る潜在野球ファンが、まだまだいっぱい居ることに、彼ら三氏は、気づかなかった。ビジネス・チャンスはいっぱいある、スポーツ市場における野球の資源は豊富なのだ。


そんな状況下、球団経営に野心のあるIT企業経営者が名乗り出た。ファンは大歓迎をした。本拠地にグラウンドを用意すると、地方都市も名乗り出た。楽天の仙台だ、W,T,Mらは現在における、スポーツの本質と存在の大きさを解っていなかった。経営ピンチに陥っていたダイエーには、ソフトバンクの社長 孫 正義氏が肩代わりを宣言した。地元ファンは諸手を挙げて、歓迎した。
 そのときも、今回、矢面になっている希望入団枠の取り扱いも議題に上ったのだ。が、声の大きいW氏の主導で、廃止はされずに、議論を尽くさず反故にされた。既に、3年前に完全に病が巣食っていたのに、何の手立ても施さなかった。一部の代表者、選手会、ファン、アマ球界から、廃止を望む声もあったのだ。私は、何を、おっさん達は考えトルンジャと不思議にさえ思っていた。
 このときに、W氏はY球団の代表者を降りた。「降りたけど、希望入団枠制度は、残しとけよ」と言わんばかりにして降りた。このオヤジは懲りずに、場外でも、盛んに吼えたぎっていた。そして、彼のお望み通り、希望入団枠は残された。
今回の事件は、この時にきちんと希望入団枠が廃止しておけば防げたかもしれないのだ。
が、今回は残念だ。
西武は3年前の、「明大&巨人、一場選手事件」後、二度とあってはいけないと、申し合わせた後もずうっと続けていたというから、悪質だ。こんなモラルの欠如ってないよな。
でも、あり得るのです。西武なら、あり得るのです。思い出してみてください。証券取引法で大きな過ちを犯したオーナーが、悪びれることなく、記者会見したあの状況を。私には、今回の太田社長の記者会見と合い通じるものがあるように思えてならない。社会の規範を守る、順法精神に一番鈍感な企業集団だ。
私の独り言です。
いい会社になって欲しいのです。私の企業人として必須の基本的な部分は、全てこの企業集団から、学び取ったのですから。お世話になりました。感謝は誰よりもしている心算です。在職中、私を励ましてくれた先輩が、今、再建に一生懸命努力されていることも知っています。
W,T,M氏らの名誉のために、敢えて固有名詞を使わず記号で表しているのです。三氏とも歴史ある球団の各代表者だった。
W氏は、スポーツの本質を何も理解しないで、興行収入だけ、それも自分の球団だけ良ければいいと考え、その仕組みのみに頑張るエゴイスト。優秀な新聞記者だったらしい。新聞、出版、放送界に強い力をお持ちで、彼の言動はいつも注目される。私には、嫌な「奴」以外なんでもない。私は、彼の会社の新聞・週刊誌は、絶対、読まない。
T氏は? T氏から、9年7ヶ月給料を頂いた私にとって、心中、複雑です。
M氏は? 今、資金面で大変お世話になっています。心中、苦しいです。


 今から25年ほど前、私も太田社長とはセクションは違ったが、同じフロアーで働いたことがあった。当時、彼は関係する会社の実業団野球の総務の仕事をしていた。大学は有名私学で、たしか応援団に所属していたと聞いていた。元気よく物怖じしない性格で、いわゆる体育会で、いきいき仕事をしていた。その明るく仕事をこなすことが、評価につながり、社長さんにまでなったのであろう。
でも、今回の問題は前社長の星野君のときから、ずうっと続いていたと想像しています。星野君とは、私はその会社の同期だ。星野君にしても、太田社長にしても、その又前の社長さんも、生粋のコクド(西武)の人だ。私は、ちょっと早い目(20年前)にコクドを卒業させていただいたが。
コクドには、オーナー以外、何か新しい企画や計画の提案、進言はできない体質になっていた。早く、普通の会社になって欲しい、それから誇れる会社になって欲しい。卒業生からの、切なる、お願いです。


 2007年3月13日  朝日 社説

ドラフト裏金 希望入団枠をなくせ

プロ野球界は懲りない人たちの集まり、と言う他ない。選手のスカウトを巡って、裏金の支払いが再び発覚した。西武が金の卵と見込んだ社会人と大学生の2人に計1300万円渡していたのだ。
プロ野球界では、ドラフト会議での指名を経て入団が決まるまでは、金銭を渡すことは一切禁じられている。
裏金といえば、04年8月、巨人が東京6大学の有力投手に計200万円渡したことがわかり、球界を揺るがせた。
西武が悪質なのは、この不正のあとも支払いを続けていたことだ。球界は不正の根絶を誓って、「倫理行動宣言」をした。これには、もちろん西武も加わっている。自らの宣言を踏みにじったことをどう考えているのか。
前回の裏金は、巨人のほかに阪神と横浜も渡していたことが明らかになり、計3人のオーナーが辞めている。西武は責任を明確にしなければならない。そのうえで、今年のドラフトを辞退するぐらいのけじめをつけるべきだ。
どのようにして裏金を渡し始め、なぜずるずると続けたのか。西武の説明には、あやふやではっきりしないところも多い。
例えば、社会人の選手は高校時代からすでに金を受け取っていたことを明らかにしたが、西武は具体的な説明を避けている。大学生の選手については「不適切な関係を終わらせるため、残金の500万円をまとめて渡した」というが、なぜそんな手切れ金のようなことをしなければならなかったのか。
ここはコミッショナーの出番だ。今は代行職になったとはいえ、根来泰周氏の在任中に起きたことである。第三者を加えた調査委員会を作り、徹底的に調べなければならない。事実をさらけだすことなくファンの信用は取り戻せない。
今回の不祥事は、裏金の根が深く広いことを改めて示した。問題の根を断つには、不正の土壌となっているドラフト制度を抜本的に改めるしかない。
この制度が1965年に導入されたのは、各チームの戦力の釣り合いを取るのが狙いだった。しかし、その後、選手の希望も入れるべきだとの理由で、選手を自由に獲得できたり、選手の希望で入団できたりする枠をつくった。このため、裏金が動く余地が再び広がった。
3年前の裏金問題の際、私たちは社説で「自由獲得枠(現・希望入団枠)」をやめるべきだ」と主張した。
そのうえで、大リーグと同じような最下位の球団から選手を指名していく制度を採り入れるべきだ。そうすれば、各チームの戦力が釣り合いの取れたものになる。選手の希望を聞こうというのなら、自由にチームを移れる権利を得られる年数を短くすればいい。
こうした改革を怠ったことが、今回の不正につながった。凡打を繰り返しているうちに、プロ野球全体が9回2死まで追い込まれている。 


 2007年3月14日  朝日(朝) チェンジ

巨人の方針、世論が変えた
12日夜、巨人の渡辺恒雄会長は西武の不祥事について、こう話した。「こういうことが起こったからシステムを変えるというのはファショ的だ。集団ヒストリーだ。制度を変えるのは、反対だ」。希望枠の存続を強く主張した。しかし、13日の12球団代表者会議で、巨人の清武代表は日本版のウエーバー制度を提案した。大きく姿勢を変えた。巨人が姿勢を替えざるを得なくなったのは世論に包囲されたからだ。西武の不正スカウト活動が発覚してから、ファン、アマ野球界、選手会、さらにほとんどのプリ球団が希望枠を問題視した。この制度がある限り、囲い込みが行われ、そこに裏金が発生する。西武の倫理観の欠如は当然問われるが、希望枠というシステムが裏金の温床となっているという世論に、巨人も抗することができなくなったといえる。
代表者会議では現行ドラフト維持を白紙撤回した。ドラフト問題はフリーエージェント制とリンクする。が、今はそれを切り離してプロ野球界が一日も速く「希望枠撤廃」を宣言することが、ファンの信頼を取り戻すための第一歩となる。
(編集委員・西村欣也)


2007 3 24朝日 社説

ドラフト裏金

 

心弾まぬ球春スタート

 高校野球に続いてプロ野球の熱戦が各地で始まる。いつもなら心弾む球春なのに、もやもやした気持ちが晴れない。プロ野球界は、「希望入団枠」も撤廃を来季に先送りする方向になった。新人を囲い込む裏金の温床であることがはっきりしていながら、今シーズンは手を付けないというのだ。球界の将来を考えない、愚かな判断というほかない。
西武による裏金工作が表面化して2週間ほどたつ。3年前にも巨人などが厳しい批判を浴びた不正だ。会議では希望枠をやめることでは一致したが、それに代る制度をめぐって紛糾した。
「自由に移籍できるFA権を得る年数を短縮するのと一体で」と言い張る巨人「FA短縮は年俸の高騰につながる」と訴える楽天など。ドラフトの指名方法でも、各球団の思惑は乱れた。ここはコミッショナーの出番だ。球界全体の利益を踏まえ、裁定すればいい。それなのに任期切れの後も代行として続投する根来泰周氏が先送り論を後押ししたと聞けば、あきれて言葉もない。
選手を送り出す高校や大学、社会人の団体は、改めて即時撤廃の声をあげている。責任は12球団すべてにある。今からでも遅くない。直ちに希望枠をやめ、下位チームから順番に指名する方式を基本にした新制度を導入すべきだ。夏までに決めれば秋のドラフト会議に間に合う。
問題を起こした西武の動きも鈍い。太田秀和オーナー代行は「責任は、球団が設けた調査委員会の報告によって考える」とひとごとのようだ。
04年に堤義明・前オーナーが西武鉄道での不祥事の責任をとって退いた後、西武のオーナー職は空位のままだ。徹底した調査にあわせて人事を一新し、責任ある体勢を築かなければならない。
金銭を受け取っていた社会人と大学生は、すぐ非を認め謝罪した。1年間謹慎や退部の処分を受けている。自らの責任を負った2人と、甘い姿勢のままの球団との落差はきわめて大きい。
そんななかでのペナントレース入りだ。スター選手が相次いで大リーグに去ったが、楽天の田中将大投手ら有望な若手がユニホームに袖を通した。プロの門をたたく機会が与えられ、心おきなく活躍できる環境を整えたい。
今季は日本シリーズを改め、新しい方式になる。両リーグの3位までが改めて対戦し、勝ち抜いたチーム同士で日本一を争う。大リーグに似た新制度で人気の挽回を図る。
だが、選手会は希望枠が今季も続くのであれば、この制度への参加を拒む構えをみせる。今のような経営側の姿勢では、どんな新機軸を打ち出してもファンに受け入れてもらえないというのだ。そうした選手会のいらだちは理解できる。プロ野球は少年に夢を与え、サラリーマンの疲れを癒してきた国民的スポーツだ。球界の将来をにらんだ決断を求めたい。


 

  

     

2007年3月17日土曜日

従軍慰安婦問題

今度は。従軍慰安婦問題です。
その次には、きっと、「朝鮮人強制連行問題」でごまかすのかな?


 腹をすかした少年は、駄菓子屋に急いで駆け込んだ。店番のオジサンは客が来ないことに飽きたのか、うとうと居眠り中だった。少年は、店先に無防備に並べてあるパンを見つけた。見つけた瞬間に、行為の善悪を考える暇もなく、パックリ食ってしまった。ありゃあ、まずいことをしてしまった、と思った。同時に、オジサンに気付かれなかったことに安心した。じゃ、もう1個頂くとするか。パンを口に運び、その手で今度はでっかい飴玉を鞫曹ナポケットにしまった。ちょうどその時、オジサンは目を覚まし、口に頬張っていた少年は盗み食いを、見つかった。少年は、最初に食ったパンのこと、ポケットにしまった飴玉のことは、オジサンには言わなかった。この時、少年が犯した罪の全てを自白しなければ、事実を白日のもとにさらされることはない。そうしたら、どうなるか? 少年の陳述次第では、どうにでもなる危険性が秘めている。 パンはたった1個しか盗んでいませんよ、と罪の過小評価を求める。オジサンが居眠りしているのがいけないのですよ、と言っては、相手のミスを責める。そのうえ、オジサンには店をちゃんと守らまくちゃならない義務があるんですよ、と逆に責任追及する。発覚しなかった部分は秘める。そうして、時間が経過し、事件は風化する。

自民党周辺の懲りない人たちが、又ここで可笑しなことをやってくれちゃった。前の「パン泥棒少年」と同じことが、「南京大虐殺は幻だった」説に次いで、今度は「従軍慰安婦問題」だ。 以前に、私のこのブログで、「南京大虐殺はあったのか?なかったのか?ハッキリしてくれ」
をテーマにしたことがあった。


大虐殺はなかったが、あの程度は戦争においてはよくある範囲内ですよ。大虐殺はなかったが、南京事件はありました、とか。まことしやかに、臭い説が、紛々だ。私の信頼する友人の父は、私と友人を前に、後に写真で紹介されたようなことは事実として、私は見てきた、だから、何万人殺したとかいう人数については解らないが、凄かったことは、間違いないと、話してくれた。

たかだか70年程前のことです。万葉の時代のことを推し量って、あれこれ想像を巡らしているわけではない。 いまだに、南京大虐殺はなかった、たいしたことはなかった、とする右派言論人が多くいるのです。文芸春秋、すねかじり文筆族だ。

そんな矢先のことだ。

2日の朝日新聞の朝刊だったと思われるのですが、安倍首相のアメリカでの従軍慰安婦のことについての発言が、記載されていた。

瞬間、ヤバイと思った。安倍首相は記者団に、「当初、定義されていた強制性を裏付ける証拠はなかった」と語った。またしても、本音吐露か。どうも失言ではなさそうだ。大きな問題になりそうだと、直感した。本人は至って本気のようだから、尚更ヤバイと思ったのです。即、米国の主要メディアは、批判的に報じた。韓国、中国は不快感を露わにした。

「当初、定義されていた強制性を裏付ける証拠はなかった」とは、どういうことだ。強制性がなかったので、従軍慰安婦問題は何も各国から批判されることはない、とでも言いたいのだろうか。 強制性はなくても、好んで参加したわけではない。連れて行かれたのだ。誰が連れて行ったか、は問題ではない。軍が指導、管理の下に、女性たちは嫌々連れて行かれて、兵隊の相手をさせられた。小屋の前に長い列を作って、順番を待つ兵隊たちの写真を見たことがある。秩序を守るために、監視役の兵隊が、小屋の前に立っていた。この監視役に監視を命じたのは、部隊長か、この監視役よりも、上官だったはずだ。軍の組織ぐるみは当然だ。

この状態を、強制性がなかったからと言って、平気で、あたかも軍や、国家は罪がないかのように、言い切れるのはどうしてじゃ。

安倍君、君の人間性まで問われているんですよ。

そうこうしていたら、新聞が、このことに関する記事を載せていた。

従軍慰安婦問題で、軍の関与と強制性を認めた93年の河野官房長官(現・参議院議長)談話の見直しを論議していた自民党有志の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文科相)は、8日、「数々の慰安問題に対する誤った認識は、河野談話が根拠となっている」との見解を盛り込んだ提言をまとめた。が、今回の安倍首相の「強制性」についての発言が、内外に波紋を呼んだことに配慮して、河野談話の修正要求は見送った。 なんじゃ、これは。

こんなことを考えている、国会議員の会があることに、驚いた。

この会の発足した時の事務局長が、安倍氏だった、とは。

安倍首相は、「当時、従軍慰安婦との言葉はなかった。とか、従軍慰安婦については、軍が組織的に関与していたとの証拠はなかった」と言った。何度も、頭の中で繰り返して確認していた内容なのだろう。脳に印字されていた。米国での記者会見において、すらすらコメントできたのは、脳に印字された文章が、口からそのままプリント・アウトされただけのことなのだ。

そして、米国で大きな反響があったものだから、「日本の~ 議員の会」は十二分に論議していた自分らの考えを、すぐに引っ下げるなんて、アホ(関西風)かと思った。関東風では、馬鹿丸出しってとこか。

2007年3月10日  朝日 社説

国家の品格が問われる 

 慰安婦問題旧日本軍の慰安婦について、「官憲が家に押し入って連れて行くという強制性はなかった」などと述べた安倍首相の発言の余波が収まらない。 米国のニューヨーク・タイムズ紙は1面で「否認が元慰安婦の古傷を開いた」として、元慰安婦たちの生々しい証言を伝えた。米連邦議会下院では、日本に対して公式謝罪を求める決議案が採択に向けて勢いを増している。 一方、国内では慰安婦への謝罪と反省を表明した93年の河野官房長官談話に対し、自民党の議員らが事実関係の再調査を首相に求めた。メディアの一部にも、これに同調する向きがあり、国内外で炎に油を注ぎ合う事態になっている。 何とも情けないことだ。いま大切なのは、問題は何が幹で何が枝葉なのか、という見極めである。首相発言の内容は、河野談話が出されて以来、それを批判する人たちが繰り返し持ち出す論理と似ている。業者がやったことで、日本軍がさらっていったわけではない。だから国家の責任はない、というのが批判派の考えだ。 今回、一部のメディアが「問題の核心は、官憲による『強制連行』があったかどうかだ」と主張したのも、それに相通じるものだろう。

しかし、そうした議論の立て方そのものが、問題の本質から目をそらそうとしていないか。

どのようにして慰安婦を集め、戦地に送り、管理したのか。その実態は地域や時代によって異なる。しかし、全体としては、植民地や占領地の女性たちが意思に反して連れて行かれ、日本軍の将兵の相手をさせられたことは間違いない。

河野談話が「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」と結論づけたのは、潔い態度だった。

細かな事実にこだわって弁明ばかりするよりも、民族や女性の人権問題ととらえ、自らの歴史に向き合う。それこそが品格ある国家の姿ではないか。

海外の誤解も指摘しておきたい。たとえば、米下院の決議案は日本政府が謝罪していないという前提に立っている。

だが、政府の主導で国民の募金によるアジア女性基金が作られ、元慰安婦たちに「償い金」を贈り、首相名で「おわびと反省」を表す手紙を渡した。

補償問題はすでに国家間で決着済みだとして、政府は女性基金という道をとった。私たちは社説で「国家補償が望ましいが、次善の策としてはやむをえない」と主張してきた。日本として何もしなかったわけではないのだ。

安倍首相は河野談話を受け継ぐと繰り返し「これ以上の議論は非生産的だ」と語る場面が増えた。だが、首相が火種となった日本への疑問と不信は、自らが消す努力をするしかない。

日本は北朝鮮による拉致を人権侵害と国際社会に訴えている。その一方で、自らの過去の人権侵害に目をふさいでいては説得力も乏しくなろう。

2007年3月10日土曜日

一星が、また走り出した。

息子の高校時代の同窓生・一星が、我が社に私を訪ねてきた。高校時代は、粗野で野性的で、ちょっと他人に与える印象が仲間とは違った。激しくアンバランスなところがあって、ちょっと何かが欠けている。それが若者らしく、清々としていた。

一星、私の勝手な妄想を許せ。

私が若かった時、ひょっとして、私もまた、粗野で野性的で、激しくアンバランスなところがあって、ちょっと何かが欠けていた、のだ。独立心が強い精神構造も、私と共通している。同じ遺伝子か、DNAか、同じ穴のムジナ同士? どうしても親近感が湧く、不思議な青年だ。

昨年結婚したからか? 表情も、服装も、すっきりしている。言葉使いにも配慮をみせる。

いよっ!!社会人!!ってとこだ。

「高校時代のシュート練習を思い出すのです。何回も、何回も同じことを繰り返した。ほとんど巧く蹴れない。だけれども、たまにはナイスシュートだってあるんですよね」と、一星は言った。又もや、私と同じ考えをもっていやがる。

私は、精一杯励ました。中華の定食を頬張りながら。

 

 

一星が走ってやってきた。

オジサンと同じ業種で、働くことになりました。

会社は、今、激動の変革期にいるのです。大変身を目論んでいるようなのです。

私は、新米の社員。何を、どのようにすればいいのか? 手探り状態です。

私は、いいチャンスを頂いた、と思っています。

そうだ!即、エンジンを点火だ。

そしてアクセルをめいっぱい踏み込んで、シリンダーにガソリンをぶっこめ。

走れ。

沼地も草原も砂漠も凍原も、コンクリートジャングルもだ。

暑気にも、寒気にも、へこたれるな。

表情はいつもゆったりと、にっこりと、余裕綽綽でいこうぜ。

挑戦だ。

いにしえの賢人の言ったことを、そっくり君に献上しよう。

『若者には、失敗も成功もない。全て経験なんだ』

若者には、失敗とか成功なんて、ないんだよ。

ちょっとばかり褒められたとか、ちょっとばかり出世したとか、

ちょっとばかり会社に迷惑をかけたからとか、なかなか成果が出ないからとか、

そんなことで、有頂天になったり、悩んだりすることはない。

オジサンも、賢人のその言葉を金科玉条と、生きてきた。

思考せよ。

企画、工夫、思案の積み上げの過程で、習得したことや創案したことを、“言葉”で表現することだ。

初めて、新しい“言葉”を、口にする時には勇気がいるものですぞ。

新しい領域に、足を踏み入れることになるのだ。

新しい“言葉“はときには、革命を起こす引き金にもなるのだ。

愛するのだ。

妻を、友人を、同僚を、先輩・上司を、関係する全ての人を、一方的に愛するのだ。

愛されないことを恐れるな、一方的に愛するのみだ。

2007年3月8日木曜日

春日狂想

2007年3月7日

梅が咲いて、桃が咲いて、桜の花が咲き出した。毎年今頃、河津(かわず)桜が咲きほこる頃、東戸塚駅(横須賀線)の跨線橋脇にある桜の花が咲く。今年もこの界隈では一番に咲いた。電車が通るその熱気が影響しているのかな、とも思ったのですが、そうでもなさそうだ。桜の樹種が違うのですよ、とは物知りなA君の説。以前に会社は、東戸塚にあったものですから、私はその開花を、ひとつ、ふたつと見とどけるのが、毎年のささやかな喜びでした。

花屋さんの店先にも、色とりどりの花がふえてきた。でも昨今は、温室栽培が多いので、店先の花が全て純正”春の花”ちゅうわけではない。緯度の違う外国からの輸入品もあるだろうから、注意,注意です。

隣家の生け垣の沈丁花(ジンチョウゲ)が咲いて、いい香りを漂わせている。コブシの花が咲いた。ボケの花も咲いた。木蓮の花の蕾は大きくなってきた。

そんな、春を感じさせてくれる草花が、一気に花開く準備体勢に入って、出番を前に息を潜めているようだ。

毎朝の五時からの犬の散歩は、ますます楽しくなってきた。

がらりと場所を変えます。

先週の金、土、日に沖縄出張に行った弊社取締役の小見さんが言うには、沖縄の気温は27度だった、そうだ。われわれの感覚では、沖縄はもうすっかり夏のようです。

そんな、とっても幸せな初春の気分を味わっていた。

詩人は、この気分をどのように表現するのやら、と思った。本棚から詩集をさがしたら、有り余る才能がありながら、若くして逝った中原中也の詩を見つけた。

あの、「汚れちまった 悲しみに・・・・・」の、人間詩人・中也さまでした。

ここで、中原中也について、 吉田蜃梵カの「人間詩人・中也」より。

「人間詩人」というイメージは中原の理想でもあった。それは一言で言えば、絶対者の恩寵による至福状態にある詩人である。中原は、この理想を歌い、説くことに強い使命感と確信を抱いていた。同時に、自分がそのような詩人にならなければならなかった運命について、鋭敏な自覚を持っていた。至福を願った中原は、それだけ現実に閉じ込められ、人間であることに傷ついていたのである。

 春日狂想           中原中也



愛するものが死んだ時には、自殺しなけあなりません。 

愛するものが死んだ時には、それより他に、方法がない。 けれどもそれでも、業(?)が深くて、なほもながらふことともなつたら、  奉仕の気持ちに、なることなんです。   奉仕の気持ちに、なることなんです。   愛するものは、死んだのですから、  たしかにそれは、死んだのですから、  もはやどうにも、ならぬのですから、   そのもののために、そのもののために、 

 奉仕の気持ちに、ならなけあならない。 奉仕の気持ちにならなけあならない。



奉仕の気持ちになりはなつたが、さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前より、本なら熟読。そこで以前より、人には丁寧 。

 テムポ正しき散歩をなして  麦稈真田を敬虔に編みー          

 まるでこれでは、玩具の兵隊、  まるでこれでは、毎日、日曜。  

神社の日向を、ゆるゆる歩み、  知人に遇えば、にっこり致し、

  飴売爺と、仲良しになり、鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、 

 まぶしくなったら、日陰に這入り、  そこで地面や草木を見直す。

  苔はまことに、ひんやりいたし、  いはうやうなき、今日の麗日。 

 参詣人等もぞろぞろ歩き、   わたしは、なんにも腹が立たない。 

 『まことに人生、一瞬の夢  ゴム風船の、美しさかな。』  

 空に昇って、光って、消えてー  やあ、今日は、ご機嫌いかが。 

 久しぶりだね、その後どうです。  そこらの何処かで、お茶でも飲みましょ 

 勇んで茶店に這入りはすれど、  ところで話は、とかくないもの。

  煙草なんぞを、くさくさ吹かし、  名状しがたい覚悟をなして、-  

戸外はまことに賑やかなことー ではまたそのうち、奥さんによろしく、

  外国に行ったら、たよりをください。  あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

  馬車も通れば、電車も通る。  まことに人生、花嫁御寮。  

まぶしく、美しく、はた俯いて、話をさせたら、でもうんざりか?  

それでも心をポーツとさせる。 まことに、人生、花嫁御寮。

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 ではみなさん、

喜び過ぎず悲しみ過ぎず、

テムポ正しく、握手しませう。

つまり、我等に欠けてるものは、実直なんぞと、心得まして。 

 ハイ、ではみなさん、ハイご一緒にー  テムポ正しく、握手をしませう。                                 

      

2007年3月3日土曜日

吃驚したなあ、もう

誰もが、何かの拍子に珍しい出来事(椿事)に出くわすことがある。

ちょっと前の話だけれども、どうしても、人に知らせておきたい、だけど、でも、そんなに、面白いわけではないんです、がね。

昨年の年末、12月30日、福山から新幹線で横浜に戻ってきた時のことです。

新横浜駅の改札の出口のゲートで、特急券と乗車券の2枚をキップ入れ口に入れようとしたその直前に、並んでいる私の前に中年の女性が滑り込んできた。

私はキップを入れる動作を止めることができないまま、そのままキップを入れることになってしまった。ゲートは開き、中年のオバハン(今回だけは、差別用語を使わせてもらった、御免。いつもは御婦人礼賛者ですぞ)は通過。直後、私の前でゲートは閉ざされ,中年女性は、すたすたと足早に遠ざかって行った。

アッと言う間の出来事だった。中年女性の動作の機敏なこと! 本番で、寸秒の狂いなくやってのける。ここまで腕を磨いてきた道程には、苦労もあったことだろう、失敗もあったことだろう。それにしても、一連の動作の鮮やかさには感心させられた。

ただの、これだけの話なんですがね。

ところが、私が犯した37年前の行為を思い起こすきっかけになってしまった。私は大学3年生だった。夏休みを利用して、博多の生家に戻っていた後輩を訪ねての旅でのことです。マナベ君に会いに行ったのです。国鉄を使って、東京から九州は博多に着いた。もちろん、鈍行の乗り継ぎで。手にしていた乗車券は、高田馬場駅発行の、80円か100円か、手垢で汚れた、最少の金額の乗車券。検札に回ってきた車掌さんの目をかいくぐりながら、なんとか努力の甲斐あって、博多までは、無傷でやってこられた。車両の真ん中程の座席にさえ座っていれば、車掌さんが前から来ても、後ろから来ても、気が付きさえすれば、対処のしようがある。検札に来るのが分かれば、席を外すのです。ほとんど、トイレに身を隠して、車掌さんが通り過ぎるのを確認してから、再び席に戻って知らん顔。厳正な生き方をしている人には、金が無いのに旅行なんて思いつかないものですよね。若気の至り、というものですか。さあて、これから、どうして駅の外へ脱出するか? 迎えに来てくれた後輩と、改札の柵をはさんで陰謀を企てた。

私は、人間が多く出入りする改札口ではなく、構内の隅っこの方に、貨物を出し入れする可動式の柵があることに気が付いた。その柵の周辺には人がまばらにしかいなくて、そこならば、何とか脱出できる可能性があるように思えた。

・後輩に私の荷物を預けた。

・駅からは500メートル程離れている、旧財閥系の生命保険会社の看板がかかったビル

 を指定して、後輩をそのビルの前で待っているように指示した。

・私は、貨物の出し入れする可動式の柵を、陸上競技のハードルのように飛び越える。

 それから、指定したビルまで全速力で駆ける。

・私が、そのビルに着いたら、君も一緒に走れるだけ走るのだ、と今度は命令した。

 できるだけ駅から、遠ざかることだ。ええか、分かったか、と念を押した。

後輩が指定したビルに着くだろう、と思われる時間を十分とってから、私は、気を落ち着かせて、スタートをきった。

高さ1メートルぐらいの柵なんて、へっちゃらだった。助走に勢いをつけて柵を越え、最初の一歩をできるだけ遠くに着地することだ。そうすれば、加速がつきやすい。私を捕まえようと思いつく人がいても、私の猛ダッシュを見て、即、諦めてしまうほどの速さでなくてはならない。

陸上競技を専門的に取り組んでいる人ならば、逃げる私を捕まえることができたかもしれないが、当時の私は、サッカーを1日9時間もやっていたのだ。スピードは100メートル12秒ぐらいかもしれないが、持久力があったから、たとえ追い手がいても、最後にはふっきって逃げ切る自信があった。相当な強者・達人でなければ、私を捕まえることはできない。

走り出したとき、人の視線を感知した。最初から想定はしていたが、やはり見られてしまった。だから、できるだけスピードを上げて、駅から離れることだった。

待ち受けてくれていた後輩とめでたく合流。それからも、走った、走った。

うまい具合に来たバスに乗って、後輩の家の近くまで行った。車中、ゲラゲラ,馬鹿みたいに笑い合った。

その後、後輩の実家にエラクお世話になり、感謝・感激・雨あられ状態で、一方的に後輩の実家にお世話になりっ放しだった。こうして、この夏の、博多旅行の前半は終わったのでありました。

東京への戻りは、ヒッチハイクでした。この道中もテンワヤンヤだった。赤恥モノでした。が、今回はこれまで。

博多駅の柵を飛び越える私を見た人は、その時、どのように思ったことだろう。

(注)天地神明に誓って宣言できます。 『卒業してからは、無銭にて、食事・乗車・乗船・入場はしておりません』