2014年10月19日日曜日

Sさんとの愉しいお話

昭和49年に学校を卒業して、鉄道会社の親会社に入社した。

入社して10年とチョイ経った頃、変な腹具合からこの会社を辞めることにした。
予定していた転職会社があったわけでもなく、何から何まで雁字搦(がんじがら)めの会社から、勇気をもって自由自在に働ける会社を、できるものならば、自らで作りたかった。

偏西風に遣られたと想ってもらえばいい。
そんな夜のある日のこと、気ままに入ったスナックの私の隣に現れたのが、Sさんだった。
彼は、仕事を失った私に俺の会社に来なさいとすすめた。

その時は、今ほどの体力も精神的な余裕もなく、唯、黙って、にったり、聞いたまま。
Sさんの会社に入ることはなかった。
既に、新しい人に巡り合っていたのだ。

それからの30年、私の人生、一日一日には嬉しいことも悲しいことも、鱈腹味わった。
仕事でも、話題のSさんとは仲良く付き合っていただいた。
ところがじゃ、Sさんのことは横に置いて、私には波乱万乗、のた打ち回る日々が続いて何とか生きていくことが精いっぱいだった。

そして、昨日。
弊社の経営責任者の中さんと、Sさんの会社を訪れた。
教えて欲しいことが突然生まれたのだ。
いつか、Sさんに会いたいと思っていた、いい機会を神様は作ってくれたようで、久しぶりのこの面会に感謝したい。

実は、教えて欲しいことの回答を得るよりも、何よりも何よりも、Sさんに今までのお付き合いにお礼を言いたかったのだ。

中さんも、よく理解してくれたようだ。

2014年10月13日月曜日

山岡さんは、ブログをはじめたのか?

別荘の新築や自宅の改築の仕事をさせて貰ったり、この場では余りうかうかとは話せられないことにもお世話になっている特殊な人から、昨日、うちの設計士は、ところで、山岡さんはブログを再び始めたか?と、聞かれた。

このお客さんは、弊社の特別なお客さんだ。
時々は、マイブロゴを読んでくれているようだ。
戸惑いながら、弊社のスタッフは、おかげさまで、このごろやり始めましたと冷静に答えたそうだ。そんな報告を受けて、私は自分の知識の無さに苦しみながらも、やっぱり、この辺りで、頑張るしかないと思い込んだ。

ネタは見つかっても、どのように表現すればいいのか、それが難しい。
表現の仕方、語句、小節、中節、起承転結が浮かばない。
頭を強く打ったために、受けた傷が頭の中を狂わせてしまった。
高所からの転落、その後1週間の気絶状態、それからのリハビリテーション。

元の状態に戻るか戻らないかは、神様次第だ!!と賢そうな医者は、ポツ~ンと呟いた。
そうだ、そうだ、そうなんだ。と思って生きていた時に、下の二人の話題で、我が家は爆弾が破裂したようにひっくり返った。私の頭も、同じだ。

以下の文章は、インターネットの文章をお借りした。

ニューヨークの国連本部で今年8月、教育の大切さを訴えるマララ・ユスフザイさん。女子教育の推進を訴え、2012年に武装勢力タリバーンに銃撃された=ロイター
写真・図版


ノルウェーノーベル賞委員会は10日、2014年のノーベル平和賞を、女子教育の権利を唱えてイスラム過激派に頭を撃たれ一命を取り留めたパキスタンの女子学生マララ・ユスフザイさん(17)と、インドの児童労働問題の活動家カイラシュ・サティヤルティさん(60)の2人に授与すると発表した。
マララ・ユスフザイさん


委員会は2人の授賞理由に「子供や若者への抑圧と闘い、すべての子供の教育を受ける権利のために奮闘している点」を挙げ、「平和的な世界の発展のために、子供や若者の権利の尊重は不可欠であり、特に紛争下の地域では子供の権利侵害が暴力の連鎖を生んでいる」とした。

2014年10月10日 - 「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペンから、世界を変えられる」。
彼女の言葉はシンプルで、力強い。
 2014年のノーベル平和賞にパキスタンのマララ・ユスフザイさん(17)が選ばれた。

      
   
     
         
 
 
     
         
   







2014年10月3日金曜日

親と子のお勉強、、、、天声人語

2014年10月3日。
朝日新聞の朝刊でお馴染みの天声人語に、久しぶりに感動した。
中学時代の国語の先生に勧められて、誰よりも誰よりも天声人語をよく詠み、文章を憶えた。
そんな私の今は、夫婦と娘夫婦、それと孫の5人暮らしだ。
娘が我儘で大きくなっても、我儘は変わらなかった。
でも、、、、いい旦那がくっ付いてくれたおかげで、その娘もいいオバサンになってくれた。
娘以上に我儘な孫も、これまた、、、、いい孫になってくれた。
何年か前に、元教師の灰谷健次郎さんの、親と子、先生と生徒の人間的な文章をこのブログに使わせてもらった。
そんなことを思い出しながら今回の的だ。

天声人語

庭のことや親のことを子どもはよく見ている。
児童文学者の故・灰谷健次郎さんは、家庭内で人間的なふれあいが生じると、子どものアンテナはただちに反応すると言い、随筆で小学1年の詩をあげていた。
〈おとうさんのかえりが おそかったので おかあさんはおこって いえじゅうのかぎを ぜんぶしめてしまいました それやのに あさになったら おとうさんはねていました〉。これで全文。やなぎ ますみさんの作品という。

朝までに何か揉(も)めたかもしれないが、子どもは知らぬがよい。
片や、小紙歌壇の選者だった故・宮柊二(しゅうじ)さんは「大人の世界」を詠む。
〈昨夜(よべ)ふかく酒に乱れて帰りこしわれに喚(わめ)きし妻は何者〉。
子には見せず、夫婦かぎりのこととしたい場面だ。

日々の波風(なみかぜ)程度なら仕方がない。
ところが昨今、子の前で配偶者に暴力をふるう「面前DV」が急増しているという。
子ども自身は暴力を受けなくても、目の前で見ることで心に深い傷を負う。
れっきとした児童虐待にあたる 。

そもそも配偶者などへの暴力が犯罪で、その被害相談は全国で年間に5万件近い。表に出やすくなったためともされるが、件数は増えるばかりだ。
水面下にはもっとあるのだろう。

心の傷は自然治癒が難しい。
ましてや子どもの柔らかい心には、罵(ののし)り合う声だけでも刃物になってしまう。親の生活が自分にしっかりつながっていると自覚したとき、子どもはこの上なくやさしくなれる――そんなふうに、灰谷さんは言っている。