2017年1月30日月曜日

またしても、「沈黙」か!!



 

  1.         





2017 2 1
9:50~

横浜駅の近くにある映画館で、「沈黙ーサイレンス」を観てきた。
上映時間は09:50から12:40、約3時間。
60歳以上の入館料は、廉くなると聞いていたので、保険証を持参した。
工事中の事故から、自動車免許書をゴミにした。
ところが、どっこい。
本日の上映は初日なので、自動的に特別価額になっていた。
1100円だ。

このブログの題名を、何故、『またしても「沈黙」』になったのか?と思われるかもしれない。
ハッキリそのブログの日時を言えなのは、仕事中の怪我の後遺症かもしれない。
記憶力が乏しい!!
頭の芯が狂ってしまった。

この映画の原作を、5、6年前に熟読した。
ストーリーが激しく、問題にしていることが余りにも惨(むご)く、キリストを信じる人々にこれほどまでに厳しいのは、どうしてなのか?
感動に溢れ、落ち着いて他人に話せなかった。
長崎の隠れキリシタン、、、、、、、、。
私には、登場する役者ほど頑張れないし、頑張る魂はない。

最初、この本を読んだときに、映画化されたならば、イの一番に私は観たかった。
でも、1971年、篠田正浩監督による映画化はされていた。
そんなこと、露ほども知らなかった。

今回、こんな激しい物語を、外国監督がどのように映画化をするのだろうか?そっちの方にも、関心が深かった。
珍しく、ストーリーはよく憶えているので、今回は、どのように映像化するのか、そっちの方に関心は強かった。

名も知らぬ外国の俳優たち、それに窪塚洋介にイッセー尾形ら、日本の俳優たちも、どのような演技を見せてくれるのか、期待で胸がワクワクしていた。


※ 以上の文章は、昨日映画を観てからのものです。



ネットより。

遠藤周作の小説「沈黙」を。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』などの巨匠マーテイン・スコセッシ』が映画化した歴史ドラマ。

17世紀、キリシタン弾圧の嵐が吹き荒れる江戸時代初期の日本を舞台に、来日した宣教師の衝撃の体験を描き出す。

『アメイジング・スパイダーマン』シリーズなどのアンドリュー・ガーフィールドをはじめ窪塚洋介や浅野忠信ら日米のキャストが共演。

信仰を禁じられ、苦悩する人々の姿に胸が痛む。

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★「沈黙」の問題提起 今こそ(朝日新聞より)

遠藤周作(1923~96)の原作を映画化した「沈黙ーサイレンスー」の公開を機に、遠藤の長男でフジテレビ専務取締役の遠藤龍之介さんと、遠藤に師事した作家で「三田文学」元編集長の加藤宗哉さんが対談した。

映画化を手がけたのは、「タクシードライバー」などで知られるマーティン・スコセッシ監督。龍之介さんは、映画化にあたって内容に注文をつけることは一切しなかったという。

「父が生前よく言ったのは、映像化は娘を嫁に出すようなものだから、実家の親がああだこうだと言うのはおかしいと。ましてや息子が言うのは変ですからね」。

遠藤の代表作「沈黙は」は、キリシタン禁制下の日本に潜入したポルトガルの司祭ロドリゴが、厳しい拷問にさらされる日本人信徒たちを目の当たりにして、棄教を迫られ苦悩する物語。映画はおおむね原作に忠実に展開するが、原作にない、ある印象的な場面が終盤にある。

公開に先んじて映画を見た加藤さんは、その場面について「まさに鬼才だと思った」と言う。「遠藤先生が作品にこめた思いを、たった一つの場面ですくい上げている。見事だった」。

映画が完成した昨年は、遠藤周作の没後20年、そして「沈黙」刊行から50年という年。だがスクリーンで展開する物語に、古びた印象はない。

「『沈黙』では、イエズス会で絶対的な善であるキリスト教が、江戸初期の日本では忌むべきものとして迫害される。憎悪が逆転する」と龍之介さん。「今の社会が、これが善でこれは悪という二分法のようになりつつあるなか、非常に現代的な問題提起になっていると感じた」。

「9・11も、いわば宗教対立の問題でもあった」と加藤さん。「異なる価値観の対立、宗教対立の問題が深刻になっている今こそ、遠藤文学が読まれる意味があるのではないか。

(柏崎 歓)
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2017  1  24の朝日新聞天声人語より

東京都文京区の住宅街に「切支丹屋敷跡」と書かれた碑がある。通り過ぎそうになるほどめだたない。異教を禁じた江戸幕府が拷問の末に棄教させた宣教師らをこの屋敷に幽閉した。

17世紀の日本に潜入し、捕らわれたジュゼッペ・キアラ神父もそのひとり。80代で亡くなるまで40年暮らした。遠藤周作氏は彼をモデルに小説「沈黙」を書いた。米巨匠スコセッシ監督によって映画化された。信者や神父に対するむごい拷問の場面に観客席で思わず呼吸が乱れた。

キアラは牢屋で数々の責めを受ける。先に日本で捕われ、棄教したかっての師フェレイラがこう迫る。「お前たちが苦しめられても神は黙っているではないか」

身を裂くような葛藤のはてに踏み絵に足を置いてしまう。岡本三右衛門という名と妻を与えられ、江戸の切支丹屋敷に押し込められる。

彼の墓碑は東京都調布市のカトリック教会の一角にたたずむ。そばの資料館ガエタノ・コンブリ館長(86)は日本に来て60年余り。昨春、イタリア・シチリア島にあるキアラの故郷を訪ねた。現地で見た肖像画には「日本で布教に努めたが、住民からとがった竹で首を刺されて帰天した」と説明文があった。キアラが棄教者ではなく殉教者と語り継がれてきたことに驚いた。

「転んだことをキアラは後悔しながら暮らした。でも信仰は最期まで捨てなかったのでしょう」とコンブリさん。「転びバテレン」の汚名に耐えたキアラが晩年まで胸に隠し続けた矜持に思いをはせた。
                
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以前に読んだことで、あらすじやその他についてよく憶えているが、やはり、この稿ではあらためてあらすじや、感じたことを筆記しようと思った。

幸いにして、この本のあらすじをネットで見つけた。
その原稿を拝借する。



★あらすじ

島原の乱が収束して間もないころ、イエズス会の高名な神学者であるクリストヴァン・フェレイラが、布教に赴いた日本での苛酷な弾圧に屈して、棄教したという報せがローマにもたらされた。

フェレイラの弟子セバスチャン・ロドリゴとフランシス・ガルベは日本に潜入すべくマカオに立寄り、そこで軟弱な日本人キチジローと出会う。

キチジローの案内で五島列島に潜入したロドリゴは、隠れキリシタンたちに歓迎されるが、やがて長崎奉行所に追われる身となる。

幕府に処刑され、殉教する信者たちを前に、ガルベは思わず彼らの元に駆け寄って命を落とす。
ロドリゴは、ひたすら神の奇跡と勝利を祈るが、神は「沈黙」を通すのみであった。

逃亡するロドリゴはやがてキチジローの裏切りで密告され、捕らえられる。
連行されるロドリゴの行列を、泣きながら必死で追いかけるキチジローの姿がそこにあった。


長崎奉行所でロドリゴは棄教した師のフェレイラと出会い、さらにかっては自身も信者であった長崎奉行の井上筑後守との対話を通じて、日本人にとって果たしてキリスト教は、意味を持つのかという命題を突きつけられる。

奉行所の門前では、キチジローが何度も何度もロドリゴに会わせて欲しいと泣き叫んでは、追い返される。

ロドリゴはその彼に軽蔑しか感じない。

神の栄光に満ちた殉教を、期待して牢につながれたロドリゴに夜半、フェレイラは語りかける

その説得を拒絶するロドリゴは、彼を悩ませていた遠くから響く鼾(いびき)のような音を止めてくれと叫ぶ。

その言葉に驚いたフェレイラは、その声が鼾などではなく、拷問されている信者の声であること、その信者たちはすでに棄教を誓っているのに、ロドリゴが棄教しない限り許されないことを告げる。

自分の信仰を守るのか、自らの棄教という犠牲によって、イエスの教えに従い苦しむ人々を救うべきなのか、究極のジレンマを突きつけられたロドリゴは、フェレイラが棄教したのも同じ理由であったことを知るに及んで、ついに踏絵を踏むことを受け入れる。

夜明けに、ロドリゴは奉行所の中庭で踏絵を踏むことになる。

すり減った銅版に刻まれた「神」の顔に近づけた彼の足を襲う激しい痛み。

そのとき踏絵のなかのイエスが「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。

踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つための十字架を背負ったのだ」と語りかける。

こうして踏絵を踏み、敗北に打ちひしがれたロドリゴを、裏切ったキチジローが許しを求めて訪ねる。
イエスは再び、今度はキチジローの顔を通してロドリゴに語りかける。

「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」
「弱いものが強いものよりもくるしまなかったと、誰が言えるのか」

踏絵を踏むことで、初めて自分の信じる神の教えの意味を理解したロドリゴは、自分が今でもこの国で最後に残ったキリシタン司祭であることを自覚する。


2017年1月15日日曜日

黄檗宗が「解夏」にも

黄檗宗

萬福寺  
黄檗宗総本山満福寺        新年法要


大学の入学試験では、私にとって日本史が重要な科目だった。

英語はそれなりに頑張って、国語は新聞をよく読むことに専念した。
日本史は英語や国語の成績が拙かった時に、何とか穴埋めをできるだけの力をつけていたかった。

日本史においてはどんな問題が出ようが、悪くて90点、うまくいけば95点から100点をどうしても取りたかった。
余り粋(いき)がって書いているわけではない。
それほどの自信があった。

英語はそれなりに勉強した、が、悔しいけれど、65点から70点しかとれない。
国語は、参考書なんて買うなんて考えたことはない。
どうにかなる、と思っていた。
新聞をよく読んで、漢字、文節・文章の綴り方、文字の使い方、それに、どんな文章でも、作意や文意を理解できたら、それでイイと考えていた。

そこで、今日の話題は日本史の黄檗宗の話だ。


宇治の黄檗山満福寺は黄檗宗の総本山。
本山を開いたのは隠元さん。
隠元(インゲン)さんが中国から持ち込んだ豆が、インゲンだった。
この豆が子供の頃から、私の好物の一つだったから、勉強とは関係なく、隠元さんが私の頭の中で抜き差しならぬモノになってしまった。

この黄檗宗は日本における仏教の宗派で、臨済宗、曹洞宗に次ぐ禅宗の一つ。
臨済宗や曹洞宗が日本風に姿を変えた現在でも、黄檗宗は明朝風様式を伝えている。
だから、読経などは聞き取れないと聞く。

私の郷里は京都府綴喜郡宇治田原町、通っていた高校は府立城南高校。
そんなこともあって、京阪電鉄の黄檗駅にある満福寺が教科書にあったので興味が沸いた。
先にも書いたが、黄檗宗の総本山の満福寺のことだ。
宇治川や宇治の地について、由々しい昔話はよく聞かされたが、私の耳は馬耳東風、何も面白くなかった。

今から50年前の高校生で、隠元さんのことを学んだのは、人名と禅宗だという程度。
それ以上のことは、学習しなかった。

そして、2006年の11月。
廉(やす)く買える古本屋で買った本が、さだまさしの「解夏(げげ)」。
この本を読んでいて、黄檗宗の寺の名前が出てきた。
その寺は長崎の三福寺といわれている崇福寺、福済寺、興福寺。
ネットで調べたら、日本各地、本山の満福寺だけではなく、あっちこっちに同派の寺があること知った。

な~んだ、京都宇治の満福寺だけではないんだ。
学習が足りなかったことに、不満だけが残った。

ネットで解夏のことを調べた。

解夏とは仏教の僧が夏に行う安居という修行が終わる時をいう。
対語は結夏。
舞台はさだまさし氏の故郷、長崎。
ベーチェット病を発症した若者が、次第に視力を失っていく過程の苦悩、そこから立ち直っていくまでを描いた、青年男女のお話だ。


サッカー部の練習がない日に、独りでこっそりに観に行った。
私以外に参拝者がいなくて、ちょっと寂しかった。
お寺の人は、何か?変な奴やあな、ぐらいに思っただろう。
他所の寺とは何かが、ちょっと違うぞとは思ったが、その違うことがここで書けない。
私の頭は、その程度に、ボケットしていたのだろう。





2017年1月7日土曜日

七草がゆ

今日は1月7日。

話は、昨日の1月6日のことだ。
朝食で「七草がゆ」を食った。

食膳にあって、これは何じゃ?と言った私に、妻は今日は七草がゆを頂く日ですよ、涼しい顔に声。
そう言えば、田舎にいるときから、大いに食べさてもらった。
兎に角、この俺はこういうものに弱いんだ。
皆が驚くほど大食する癖が、生まれたときから付いていた。

昔、中国より伝わり春の七草を使って作るかゆは、1年の無病息災、招福を祈願する風習として食べられていた。

正月で、食えや飲めやで疲れた胃腸を休め、平常の食生活に戻すため、だったようだ。
初春の7種の野菜にて、乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うことになる。
若芽、若葉だ。

ところで、その七草とは何じゃいなと思って、ネット情報に記憶も合わせて文章を作った。




2人前の作り方をネットで学んだ。
 野菜は、別ゆぜで作る。

2人前
生米ーーーーー3分の1合(大さじ4)
水ーーーーーー500ml
春の七草ーーー適当
塩ーーーーーーひとつまり

野菜は、熱湯で別ゆぜ、そして細かく切る。
米はきれいに洗い、ザルにとり30分ぐらい水切りしておく。
米がやわらかくなったら、塩で味を整え、七草を加える。
米に対する水の分量は、水600mlなら柔らかめ。
水400mlにすると、硬めのかゆになる。




  • 芹(せり) 解熱効果や胃を丈夫にする効果、整腸作用、利尿作用、
     食欲増進、血圧降下作用など、様々な効果がありますーーーーー「競り勝つ」
 ※芹、なずな、ほとけのざには赤葉が入ることもあるが、アントシアンという 成分によるもので、品質には問題ない。

  • (なずな)   別名をぺんぺん草といいます。 利尿作用や解毒作用、止血作用を持ち、胃腸障害やむくみにも効果があるとされています。ーー「撫ぜて汚れを除く」
  • 御形(ごぎょう)
     母子草(ハハコグサ)のことです。
     痰や咳に効果があります。
     のどの痛みもやわらげてくれます。ーーーーー 「仏体」
  • 繁縷(はこべら)
     はこべとも呼ばれます。
     昔から腹痛薬として用いられており、胃炎に効果があります。
     歯槽膿漏にも効果があります。生育状況により種が混ざることもあるが、問題ない。ーーーーー「反映がはびこる」
  • 仏の座(ほとけのざ)
     一般的に、子鬼田平子(こおにたびらこ)を指します。胡麻のような模様が入る場合があるが、品質特有のもので、品質に問題はない。
     胃を健康にし、食欲増進、歯痛にも効果があります。ーーーーー「仏の安座」
  • (すずな)
     蕪(かぶ)のことです。
     胃腸を整え、消化を促進します。
     しもやけやそばかすにも効果があります。ーーーーー「神を呼ぶ鈴」
  • 蘿蔔(すずしろ) 大根のことです。風邪予防や美肌効果に優れています。ハウス栽培のときには、透明感の汁が出る場合がある。ーーーーー「汚れのない清白」


昨夜、旧友とお酒を飲んでいる最中に、私の生まれ故郷でいただいていた七草がゆはどんなものだったんだろう?と思いついて、帰宅後深夜、兄に電話して聞いてみた。
私の愛する母の七草がゆだ。

兄は、眠たい頭を振り振りして答えてくれたものは、今、私たちが喰っている物でなく、極めて異常なものだった。

兄の口から出た御椀の中身は、大根、牛蒡、白菜、ほうれん草、水菜、芹、蓮根、ジャガイモ、蒟蒻、玉ねぎ、餅だった。
芹は、田原小学校へ行くときに股がる田原川に、私が採りに行っていた。
汁物をセットで購入するなんてことはなかった。

7種類ではなかった。

その時に自宅にあったものを、あればあるだけ、適当に切って納めてくれていた。
母にとって、7種類でも10種類でも、お構いなしだった。
50年以上も前のことだ。

こんなものを、何も考えずに、体が清くなりますように、病気をしないように、独りで唱えながら食っていたようだ。






2017年1月6日金曜日

利休にたずねよ


                                                                                                                                             


この本、「利休にたずねよ」は、著者の山本兼一さんが、2010年の第140回直木賞を受賞した作品だ。

茶道に美意識を傾けた千利休が、自らの人生において関わりがあった人々との描写を14編に綴った歴史小説。

昨年の師走1か月をかけて、無理矢理、真剣に読み終えた。
山岡が?鬼になることだってあるんだ。

そして、利休の美学の根源は何か?を探ってみた。

利休は、天正19年(1591年)2月28日、聚楽第内の屋敷に設えた一畳半の茶室で切腹した。

読めば読むほどに、興をそそられる内容で、只、読むだけでは済まされないと想った。

利休に関することは、ネットやこの本から得た。
原文そのものが長い文章なので、以下に私が書いた文章は、この本の原文の一部を転用させてもらった。
悪しからず。

作中に、取り扱っている文字や特に漢字などについても、書き残しておきたいと思った。
常々、日常で使ってないモノの言い方が面白くて、気安く済ませるわけにはいかない。
後日のため、、、、、や。

安売り書店で購入したなかで、こんなに漢字の多い作品も初めてだ。

★死を賜(たまわ)る---(利休)
天正19年(1591) 2月28日  利休切腹の日

茶人、師は武野紹鴎。
利休は切腹した。

利休は、類い稀な美的感覚の持ち主だ。
秀吉の茶頭(さどう)を長年務め、武力や金などの物欲では、美を理解できないものだと、秀吉とは一致しなかった。

利休は、秀吉に対して腹立たしい。
なんど追い払っても、すぐにまた禿げ鼠の顔を思い出す。
釜の湯が大濤(だいとう)を鼓(う)って湧くように、こころに忿怒がたぎってくる。

秀吉にはさすがにあなどれないところがある。
俗悪な派手好みだが、それも極めれば、脱俗、超俗の境地に通じる、なまじい男であった。

利休には妻がいて、宗恩には小鼓師で囃子方を務める夫があった。
この夫も亡くなり、利休の妻も亡くなった。

大徳寺が山門重層部寄進の礼として安置した利休の木像が不敬であると、又茶道具を高値で売りまくる売僧(まいす)に成り果てていると、秀吉から切腹を命じられた。
秀吉は、嘘でもかまわないから、頭を下げれば許すと言ったが、利休はそれを拒否し、切腹に応じた。

「今日は、あなたの葬式にしましょう」
声に出してつぶやき、骨と爪を赤い炭火にのせた。

利休は、合掌して自作の偈(げ)を唱えた。
経を唱える気にはならなかった。
三日前、堺の屋敷でこのゆいげをいたためたときは、腸(はらわた)が倒れるほど怒り狂っていた。
自作の偈(げ)は憤然たる咆哮(ほうこう)の謂(いい)である。
天にむかって吼えねばいたたまれぬほど、秀吉に激怒していた。

秀吉が使者に伝えた賜死の理由は二つあった。
大徳寺山門に安置された利休の木像が不敬であること。
茶道具を法外な高値で売り、売僧(まいす)となりはてていること。

「内々に、申しつけれてまいった。嘘でもいい、ただ、頭を下げる真似だけせよ。さすれば、すべて許してつかわす、遺恨を残さぬ、との仰せでござった」
利休はうなずいた。そんな猿芝居に加担するつもりはない。

1畳半の席に、3人の客が入った。
秀吉からつかわされた切腹の見届け役だ。
茶の湯音が、松籟のごとく響いている。

茶道具を水屋に下げ、三方を持ってきた。
藤四郎吉光の短刀がのっている。
利休は、室床の框(かまち)に腰をおろし、小袖の前をはだけた。

懐紙を巻いて短刀をにぎると、さすがに息が荒くなった。
腹を撫ぜつつ、気息をととのえた。

瞼を閉じると、闇のなかに凛々しい女の顔がくっきりとうかんだ。
あの日、女に茶を飲ませた。
あれからだ、利休の茶の道が、寂とした異界に通じてしまったのは。

利休は死を選んだ。
死んだ利休の首は、堀川の戻り橋にかけられた。
ーーーーーーーーーー
薄縁(うすべり)/口惜(くちお)しい/静寂/下司(げす)

小癪(こしゃく)
天下人(てんかびと)/子男(こおとこ)

・釜の湯が大濤(だいとう)を鼓(う)って沸くように
禿げ鼠/閃光/褥(しとね)/手燭(てしょく)
聚楽第(じゅらくてい)/広縁/歯朶(しだ)
槇(まき)

間髪を入れず
轟音(ごうおん)/磔(はりつけ)/砂頭(さとう)
隠遁(いんとん)
轟音(ごうおん)/怯(おび)える

齢(よわい)をかさねて/脱俗/超俗/震撼
天地悠久への懼(おそ)れ/天地星辰(せいしん)の悠久

眷属(けんぞく)の端(はし)にいたるまで磔(はりつけ)にせよ

椿の蕾(つぼみ)の神々(こうごう)しさ/松籟(しょうらい)
釜の湯音の縹渺(ひょうびょう)

幽玄/静謐(せいひつ)/煩悩/黒楽茶碗/漆黒/藍色/嘶(いなな)いた
閨(ねや)/襦袢(じゅばん)/妄言(もうげん)/霰(あられ)
薄墨(うすずみ)/杮(こけら)/聡(さと)い/凛(りん)

儚(はかな)い/水屋洞庫(みずやどうこ)/韓紅花(からくれない)
香合/瀟洒/唐三彩(とうさんさい)/紹鴎(じょうおう)

偈(げ)を唱える/腑(はらわた)が爛(ただ)れる/憤然
咆哮(ほうこう)/堪能(たんのう)
点前(てまえ)/茶筅(ちゃせん)/帛紗(ふくさ)/賜死(しし)
売僧(まいす)/愚物(ぐぶつ)

謝(あやま)る/勘気(かんき)/濁世(じょくせ)/遺恨/雲竜釜
釜鎖(かまぐさり)/柄杓(ひしゃく)/頑固/性分/寂寞(せきばく)
荼毘/木槿(むくげ)

寂(じゃく)とした異界


★おごりきわめーーー(秀吉)
天正19年(1591) 2月27日  利休切腹の前日

利休の最後の日だ。
侘しい死だった。

九州の討幕を終え、小田原を陥し、関東、奥州の仕置きは、ぬかりなくととのった。
百姓たちの刀を狩り集め、日の本のあらゆる僻地まで田畑の検地がすすめつつある。

いまや、三つ子でも関白秀吉の権勢を知らぬ者はない。
権勢を驕りこの国、大陸にも攻勢をかけることを夢見る関白・太政大臣だ。

聚楽第のすぐそばに兵馬が群がり、利休の屋敷を囲んでいる。
秀吉は利休のことを、「図にのりおってからに」と思わず声にして吐き捨てていた。
利休は、冷ややかな眼でしか、わしを見たことがない。

秀吉の威光は、すでに海を越えて、天竺にまで達している。

先月は、印度副王の使節が、馬、大砲、鉄砲、甲冑など、豪華な贈り物をはるばる運んできて、秀吉の偉業を褒め称えた。もはや、関白の権威を覆せる者はいない。

利休の設えた黄金の茶室や赤楽茶碗など、派手なしつらえや道具を見るときの、さも下賎だと言わんばかりの利休の高慢な顔つきが、無性に腹が立ったらしい。

利休の屋敷は、この聚楽第のすぐ御足下。
あそこを襲うとなれば、とりもなおさず、上様への謀反と心得まする。
さような横紙破りをなす者が、いまの日本におりましょうか。

大徳寺山門金毛閣にあった利休の木像は、一昨日引きずりおろされ、利休屋敷すぐ前の一条戻り橋で磔にして、火で焼かせた。

「茶の湯とは、ただ茶を点てて飲むばかり、と、あの男はいつもいっておる。家は漏らぬほど、食事は飢えぬほどーーー、茶の湯が仏法だと称するならば、なぜまず第一におのれの我執、妄執を消そうとせぬのか、本来無一物こそ、膳坊主の道であろう」

利休は、なぜ一椀の茶に、あそこまで静謐な気韻をこめることができるのか。
秀吉の胸中に、わずかに芽ばえた逡巡を、雨音が洗い流した。
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雅趣(がしゅ)/僻地(へきち)/褒(ほ)め称(たた)えた/金箔貼り
風韻(ふういん)/悠然東雲(しののめ)/黄昏/趣(おもむき)
鵄色(ときいろ)/光沢/玄妙/弥勒/幽玄/溜飲

険呑(けんのん)/赤楽/冷酷、冷徹な眼光/慇懃/殊勝/侮蔑
驕慢/審美眼
歯噛(が)みするほど口惜(くちお)しい/気韻(きいん)/窮屈
馬盥(うまだらい)

経綸(けいりん)を泰然と語る/草庵(そうあん)
脇息(きょうそく)/具足姿/森閑(しんかん)
謀反(むほん)/鷹揚/魔性/郎党/馳走/手管(てくだ)
機微/歴世/相伴/驕(おご)る

壮麗/寂寥(せきりょう)/こころを研(と)ぐ/広大無辺な息吹
宇宙深奥の景色/挨拶/粗餐(そさん)/朱塗りの折敷(おしき)
譴責(けんせき)/誑(たぶら)かす
幻術/貪(むさぼ)る

腑(ふ)/詮索/分限者(ぶげんしゃ)/騙(かた)り/
棗(なつめ)/天目茶碗/大儀/橋立の壺/慈(いつく)しむ
褪(あ)せる/豊穣/磔(はりつけ)/翡翠(ひすい)
階(きざはし)/我執、妄執

★知るも知らぬもーーー(細川忠興)
天正19年(1591)2月13日  利休切腹の十五日前

利休の弟子。
細川忠興と古田織部とが頭を下げると、利休が深深と辞儀をかえした。

利休の追放を忠興に知らせてくれたのは、冨田左近だ。左近も利休の弟子である。

よくよく人のいやがる弱みを知っていると、忠興はあきれた。
利休追放の行列を、ことさら茶の湯の弟子の左近に差配させるという残酷な趣向は、常人には思いつくまい。
利休は堺に下る。

京に来ている会津城主蒲生氏郷や、摂津の柴山監物など、弟子になかでも秀吉に近い者たちに助命工作を頼んだが、秀吉の怒りはおさまらず、ついに今日の追放になった。

三艘の船に、足軽たちが分かれて乗ると、船頭が棹で岸を突いた。
ゆるりとした淀川のながれにのって、船がくだっていく。
舳先に灯した松明が、深い藍の帷(とばり)のむこうにすっかりきえてしまうまで、織部と忠興は、じっと見送っていた。

細川の妻・ガラシャとは、久しぶりの逢わせを楽しんだ。
彼女は、利休が美しいものに怯えているようにみえたと言う。

利休の傲岸不遜のかげには、美の崇高さへのおびえがあったのか。
なにかにおびえておいでのように見えます。

細川は、好きなおなごに嫌われたくないと、おびえていたのだろうか。
あそこまで繊細に、執拗に美にこだわりつづけてきたのは、自負や驕慢より、ひたすらおびえていたからかー

妻のガラシャが明智光秀の娘なので、細川親子は、本能寺の変のあと、光秀方と目されていた。
くり返し潔癖を証して、ようやく秀吉から丹後の旧領を安堵された。

路地には、奥には大きすぎるし、毅然としすぎているのだが、この灯籠だけは、つねに眺めていたい。
丹後の城に下向するときは、人足に運ばせるほどの執着ぶりである。

「この灯籠、そちらで匿ってはくださるまいか」
利休にそういわれたとき、忠興は勿論即座にうなづいた。

忠興の父幽斉は、古今伝授はもとより、有職故実、能、音曲、料理など諸道に通じ、いずれも奥義をきわめている。
利休とも交友は深いが、幽斉は幽斉なりの茶の湯の道をあゆんでいる。

「忠興、おまえのは、ただの真似ごとだ。利休にそう指摘されたことはなか」

「忠興殿の茶は、わたしの茶そのままですから、のちの世にはつたわりますまい。数寄とは、人と違うことをすること。吉田殿などは、わたしの茶とずいぶん違いますから、のちの世に残るでしょう」

利休の傲岸不遜のかげには、美の崇高さへのおびえがあったのか。
利休殿は美しいものを怖れていた。

「なぜだろう」

「好きな女子に嫌われたくないとかーーー」
ーーーーーーーーーー
咎人(とがにん)/駕籠/菰(こも)/憔悴(しょうすい)
甲冑(かっちゅう)/歯噛(はが)/驕(おご)り高ぶ
/骨太な反骨者/朧(おぼろ)な/煩悶/果報者
配流(はいる)

讒言(ざんげん)/逍遥(しょうよう)/僥倖(ぎょうこう)
玄妙/松明(たいまつ)帷(とばり)
棹(さお)/瞼(まぶた)/手水鉢(ちょうずばち)
笄(こうがい)/均衡(きんこう)

幽斎(ゆうさい/端然/古今(こきん)伝授/有職(ゆうそく)故実
片膝/気魄/剃髪/感状(かんじょう)/仕覆(しふく)
葭(よし)/面妖(めんよう)
凡愚(ぼんぐ)/烙印/模倣

奔放(ほんぼう)/血腥(ちなまぐさ)い/俎箸(まなばし)
鞘(さや)
傲岸不遜(ごうがんふそん)/執拗/驕慢

★大徳寺破却ーーーー(古渓宗陳)
天正19年(1591)2月12日  利休切腹の十六日前、そして堺に追放の前日

古渓は、大徳寺の禅宗。
京の都から一理の山あいに市原という里がある。
禅僧の古渓宗陳は、この谷に一寺をひらいて隠棲していた。

聚楽第で、秀吉に会った際、臨済宗の本山紫野大徳寺には、織田信長の位牌所があり、また、秀吉が大政所のためにひらいた大きな祈願所天瑞寺もある。

重層部には、寺側が寄進を謝して、利休の木像を安置した。
秀吉は、「わしは、しょっちゅうあの門を通る。利休の股の下をくぐれ」と言うのか、と怒った。

利休は、古渓宗陳の禅の弟子であるが、その一方、宗陳を支援する大檀越でもある。
秀吉から3年前に怒りを受け、九州に配流されたが、利休のとりなしにより戻ることができた。

間とは千家本業の納屋(倉庫業)にかかわる利権のことである。
堺とはべつに、佐野にもその利権があり、塩魚座に納屋を貸す賃料がそれだけ入るのだ。
銀一両は四匁(もんめ)三分で、百両なら、米にしてざっと三十石から四十石の賃料がはいることになる。

美にかかわることならば、毫も自分を曲げない。

だれにも阿(おもね)らない。
相手が秀吉であろうが、一歩も譲るまい。
ことし還暦の宗陳より十歳上だが、まるで枯れる気分がなく、つねに、新しい美しさを求め、気魄に満ち満ちている。

大徳寺本坊の広い方丈に駆け込むと、座敷の床を背にして、四人の侍が居並んでいた。
徳川家康、前田利家、前田玄以、細川古渓の四人。
大徳寺の山門を破却すべし、との秀吉の厳重な処断を、利休に伝えた。
そして、四人それぞれに、利休について自らの思いを話した。

大徳寺を破壊すべし。
天下の名刹大徳寺を破却なさるとは、いかな罪状でございましょうか。

この大徳寺には信長公のご位牌所総見院がござる。
大政所様の天瑞寺もござる。
「それまで破却なさるおつもりか」
「それはほかに移す。われらにしても、もはや、とりなす術がないのだ」

秀吉の気まぐれには、みなが振りまわされ、辟易している。

「腹を割った話、宗陳殿は、利休という男を、どうご覧になる。わしの見たところ、あの御仁ほどいくつも顔を持っている男はおらぬ。慇懃かと思えば、傲慢。繊細かと思えば婆沙羅(ばさら)よりなお無頼。
まことに変幻自在だが、どの顔の目線をたどっても、かならず美しいものにつきあたる。それが面妖でならんのだ」
ーーーーーーーーーー
鬱蒼(うっそう)/風情(ふぜい)/粥座/怒鳴る
赦免(しゃめん)
大檀越(おおだんおつ)/奉加(ほうが)/危惧/慇懃
逆鱗/閻魔(えんま)
気魄闊達/妖艶
槿(むくべ)/勃然

煩悩/髑髏(しゃれこうべ)/草鞋/紐/勘弁
懇願/前代未門(ぜんだいみもん)
名刹
公事訴訟(くじそしょう)/顕彰/伽藍/諾々/磔(はりつけ)
法灯(ほうとう)/剣幕/枯山水

生害(しょうがい)/鶯が啼く/貧道(ひんどう)/士気/刹那
抗弁/辟易(へきえき)/揮毫
勅額(ちょくがく)/勘気/費消/朋輩(ほうばい)
恐懼(きょうく)/典座(てんざ)/脇息(きょうそく)

拝跪(はいき)/建盈(けんさん)/建窯/曜変/油滴  
灰被(はいかつぎ)/慧眼
釉薬(ゆうやく)/驕慢/摂理/所望(しょもう)/馳走

★ひょうげもの也ーーー吉田織部
天正19年(1591) 2月4日   利休切腹の24日前


利休の弟子。
古田織部の京屋敷は、下京の蛸薬師油小路、空也堂のとなりにある。

利休に学びつつも一線を画し、大胆で雄渾な茶を心がけていた。
秀吉の勘気をこうむっている利休をなんとか、救わなくてはならない、と気をもむ。

なにとぞ利休居士にご寛恕を賜りたいと秀吉に、願いをだす。
が、「あやつの話など聞きとうない」と秀吉。
美濃で生まれた織部は、信長に仕え、秀吉に仕えた。
山崎の明智討ちで戦功をあげ、天王山のふもと西岡城主となった。

秀吉は、京の地割りを整備して新しい通りをつくらせ、町全体を土居で囲む大規模な工事を手がけている。
去年から進んでいる内裏の造営も、いよいよ棟上げの段取りとなった。

美濃で生まれた古田織部は、信長に仕え、秀吉に仕えた。山崎の明智光秀討ちで戦功をあげ、天王山のふもと西岡城主となった。信長の使番だった十年前を思えば、京、大坂を結ぶ要衝の三万五千石は大きな栄達である。

秀吉は古田織部に、「お前は、利休の香合を見たことがあるか」
「緑釉の香合だ。わしは、どうしてもあれがほしい。橋立の茶壷も欲しいが、あの香合は別格だ。碧玉のごとく美しい小壷だ」

利休という男。
一見、おだやかで柔和な顔しておるが、じつは、あやつほど頑なな男もめずらしい。一服の茶を満足に喫するためなら、死をも厭わぬしぶとさがある。その性根の太さは認めてやろう。

あの男の茶は、しょせん、商人の茶だ。
どうにもせせこましく、いじましゅうていかん。
武家には、武家のおおらかな茶の湯があっていい。
おぬし、新しい茶の湯を勘考せよ。
天下を見渡しても、それができるのは、おぬししかおるまい

秀吉は数年前から明国への討ち入りを宣言している。
秀吉が明へ行くなら、高麗を踏みにじることになる。
利休が高麗に何か強い思いをいだいているらしいことは、織部は前から感じていた。
利休がつかうこの香合は、古い時代の新羅のもの。
わたしの想い女の形見ですーー利休。

茶を味わいながら、この秀吉の勘気を何とか朽ちらせることはできないのか、想いは通じていた。
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寛恕(かんじょ)/金襴/勘考/要衝/雄渾/悪弊/碧玉
慧眼/潜門(くぐりもん)
困憊野趣/閑雅/飄然/肝(きも)煎り/火中の栗を拾う
反芻/蹲(つくばい)
相伴席/木舞(こまい)

天賦/草庵/醸(かも)す/腐心/勾配/裂(きれ)
眼紋(がんもん)
青鶯(せいらん)/羽箒/手水/剽軽(ひょうけい)/壮観/拝謁
鮑/擬宝朱(ぎぼし)/冥加/丹精/欄干/検分

卓抜/畏怖/全幅/偏屈/畏怖/横柄/奔走/
数寄者(すきしゃ)/肩衝(かたつき)/連翹(れんぎょう)
鶴首(つるくび)/水指(みずさし)/姥口(うばぐち)
銅鑼(どら)/建水

手燭(てしょく)/沓形

★木守(きまもり)---徳川家康
天正19年(1591) 閏1月24日   利休切腹のひと月前

徳川家康、前田利家、前田玄以は、大徳寺破却を伝える使者。
関東からの長旅、徳川家康は、利休屋敷の大門を見て、わしも秀吉に殺されるのではないか、と自分の喉を撫でた。

豪商の茶屋四郎次郎が言うように、自身に身の危険を感じていた。
秀吉は、伊達政宗に謀反の嫌疑がかかっているいま、政宗をとりなした家康も同心と見ていた。

この四畳半の席は不思議だ。
ひたすら閑雅をきわめ、障子に挿す朝の光さえ凛として神々しいのに、こころの根をゆるりと蕩(とろ)かす心地よさがある。
この席のたたずまいこそ、利休の本領である。
利休が瓢(ふくべ)の炭斗(すみとり)を手にあらわれた。

茶道口が開いて、利休が膳を捧げてきた。
黒塗りの椀がふたつ。
飯と汁だ。
もうひとつの赤椀は向付(むこうづけ)で、鮑の煮付けが何切れかはいっている。

あたりまえの味噌でございますが、青竹に塗って焼きましたゆえ、麴の臭みが消えておりましょう。
家康は、味の濃い三河の味噌に親しんだじぶんの舌を、田舎臭く感じたからだ。

料理は、黄瀬戸の皿に、青菜の和えものが丸く盛りつけてある。
箸でつまんで舌にのせると、春らしい芹の苦みが口中にひろがったが、なおよく噛めば、小鳥の肉、するめ、いりこ、木くらげなど、いろいろな味と食感がからみあっている。
酒の肴にちょうどいい。

つぎの皿は、鯉のかき和えであった。
鯉と干し瓜、たで、ゆず、きんかんを、合わせ酢で和えてある。
鰹節や梅干しの風味がするのは、そんな下味がつけてあるのか。

利休は道服をまとい家康の前に無言でかがんだ。
慇懃な礼ののち踵を返し、先に飛び石を歩いていく。
これから、利休の詫び茶をいただくのだ。

利休は濃い茶を練った。
その極上の名を木守(きまもり)と呼ぶ。
秋に柿の実を取るとき、来年もまた豊かに実るよう、ひとつだけ取り残す実が、木守である。

世に伯楽はおらぬもの。
そのほう、茶人にしておくのはもったいない。
聚楽第の居心地が悪ければ、いつでも江戸に来るがいい。
知恵袋として万石でも取らせてつかわすぞ、、、家康の言葉だ。

家康が利休の持つ香合を何をかん違いしたのか、毒壷だと思ったが、そんなはずはなく、香合から練り香をすべて取り出し、粉になった香を、利休は口に含んで低頭した。
家康は、美しいギヤマンの小壷から目を離すことはできなかった。

それでも、秀吉と家康の確執は、根が深い。
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虫籠窓(むしこまど)/瀟洒/謀叛(むはん)/嫌疑/痺(しび)れる/
隷書/墨蹟/宝形造(ほうぎょうづくり)/袴付(はかまつけ)
鷹狩/戒(いまし)める
厭(いや)らしい/煩(わずら)わしい

整(ととの)う/好日/雪駄/簀戸(すど)/心底/踵(きびす)
結界(けっかい)/菌朶(しだ)/偈頌(げじゅ)
襴(にじ)って入る/蓋/襖/確執/瓢(ふくべ)
炭斗(すみとり)/閑雅

螺鈿(らでん)/妖獣/麒麟/精妙/壷中(こちゅう)
霊光/転封(てんぼう)/忍従/屈辱
甚(はなは)だしい/鮑(あわび)/鷹揚/粗餐
燗瓶(かんびん)/竈(かまど)

麴(こうじ)席入り/山椒味噌/風乾(すばし)/頑健/聡(さと)すぎる
居士号(こしごう)/碩学(せきごう)

鰹節/櫃(ひつ)/贅沢/蕩(とろ)けた/陶然
癒(いや)される/麸菓子(ふがし)/厠(かわや)
仙境/肴/俗塵(ぞくじん)/定座(じょうざ)
仕覆(しふく)/帛紗(ふくさ)/茶筅(ちゃせん)

茶巾(ちゃきん)/建水(けんすい)/茶杓(ちゃしゃく)
甘露/騙(かた)り
点景/滋味/詭弁(きべん)/伯楽(はくらく)

★狂言の袴ーーー石田三成
天正19年(1591) 閏1月20日     利休切腹のひと月とすこし前

石田三成は、秀吉の腹心。
秀吉が尾張に鷹狩りにでかけている間に、石田三成に帰ってくるまでに片付けておけと命じたことがある。
山門の楼閣を潰せと言うことだ。

若い雲水が丹で塗った扉を開けた。
檜が強く薫り、なにもないがらんとした空間がひろがった。
応仁の乱で焼けたあと、一層部分しか再建されなかった山門の上に、利休が楼閣を寄進して増築した。それがこの金毛閣である。
広い空間の正面に、一体の立像が安置してある。

石田三成は、秀吉の弟に話を通しておいた大徳寺山門の木像の安置の件を、死人に口なしとばかりになん癖を付けた。
三成は、利休のことは腹にすえかねていた。

天下一の茶頭だ。
ただ道具を選び、部屋をしつらえ、茶を点てているだけなのに、あの男が手をそめると、そこが星辰(せいしん)の生まれいずる泉でもあるかのような豊饒にいろどられる。
口惜しいながらその審美眼は、神韻縹渺(しんいんひょうびょう)の域に達している。

三成は聞いてはおらぬと否定した。
この金毛閣は、千家一族をあげての大寄進。
ただ銀をいただいたばかりではござらぬ。材木を集め、大工を雇い、作事を奉行し、絵師を差配し、すべて利休殿が、当山のために奔走してくださった。
その功を顕彰する木像でござれば、なんの障りがありましょう。
関白様には、像の安置もあらかじめお届けしてあります。

秀長が亡くなった後は、秀吉子飼の家臣のなかで大事業を取り仕切るのは、加藤清正や福島正則などの荒武者は多いが、三成が追うのだと考えていた。

利休を、秀吉の界隈から、どのように捨てればいいのか、茶を楽しみながら議を交わした。
ーーーーーー
山門楼上/梯子段/普請/作事(さくじ)/雲水/丹(に)で塗る
薫り/楼閣/寄進/雄渾可憐/梁/瓔珞(ようらく)
粗漏(そろう)/生写(しょううつ)しにした
袈裟(けさ/頭巾/匠

半眼(はんがん)のまなこ/面倒/傲岸不遜(ふそん)
神韻縹渺(しんいんひょうびょう)/豊饒
釈迦牟尼(むに)/眼(まな)差し/機微/不審
崇(あが)める/病に斃(たお)れた/顕彰

不適な面構え/不敬/糾弾/五徳/煩瑣(はんさ)/仙境
端座(たんざ)/眩(まばゆ)い彩(しちさい)/豪胆/
彷彿(ほうふつ)/姑息/因縁
万里の波濤(はとう)/緒(ちょ)

恭順/謀叛(むはん)/軋轢(あつれき)/収攬(しゅうらん)
謀(はかりごと)
兵糧(ひょうろう)/面桶(めんつう)/雛(ひな)めいた
賞賛/乾坤(けんこん)/対峙(たいじ)/玄妙

誤魔化す/誑(たぶら)かす/萎縮/陰湿/寂寥(せきりょう)
幽(かす)かな
大濤(だいとう)
滾(たぎ)る/牢獄/洒脱/高麗雲鶴手(こうらいうんかくで)
穿(は)かせる/狂言袴

清涼/陶然/忌々(いまいま)しい/無髪/潜(くぐ)り
待庵/貴賎/謙虚/蘇芳(すおう)
横柄にて傲慢/愚劣/下賎/憤懣/邪道/鬱陶しい
御不興/食籠(じきろう)/芥子粒(けしつぶ)

几帳面/譴責(けんせき)/岳父/敵愾心(てきがいしん)
勅号/咎(とが)/放逐/周到
趣向/磔(はりつけ)/座興/天敵/皺(しわ)
下賜(かし)/秘蔵/秘匿
購(あがな)う

瑠璃/下世話(げせわ)/滾(たぎ)る
艶/瞼

★鳥籠の水入れーーーヴァリニャーノ
天正19年(1591) 閏1月8日    利休切腹のひと月と20日前

天正遣欧使節団
聚楽第で関白秀吉に謁見するにさきだって、イエズス会東インド巡察師アレシャンドゥロ・ヴァアリニャ-ノは、4人の若者を前に話しはじめた。
関白殿下からあてがわれた都の宿舎である。

4人は、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノ。
13歳で日本を出発した彼らも、帰国したいまは、もう二十歳を過ぎた青年である。

4人はそれぞれに、ヨーロッパでの建築や芸術について、秀吉にその印象を話したがっていた。
茶の湯は理解不能です。
私は茶の湯に熱狂する日本人は頭がおかしいのではないかとさえ思います。

日本人の美意識は、あきらかに世界の基準からみて正反対にゆがんでいる。
ヨーロッパと正反対の美意識を持ち、文明から隔絶された辺境の地である日本の人々の蒙を啓くことに情熱を燃やす。

様式としては変化に乏しく単調で、構造的には脆弱、あからさまに言えば貧相である。
関白殿下は、この宮殿を”悦楽と歓喜の集まり”との意味で聚楽第と名付けたが、それはここが彼の個人的な娼館であるという意味にほかならない。

秀吉は4人に屋敷の案内をした。
インドまで征服したい。4人はインド副王からの国書を捧呈した。
ある部屋はいちめんに黄金が張られているかと思えば、ただ白い紙の戸をめぐらせただけの部屋もある。
外をめぐる廊下に立ってながめれば、屋根の瓦には、すべてに草木や花の模様が黄金でほどこされている。

秀吉は、通辞のロドリゲス修道士とマンショだけに、粗末な板戸を開き、茶室に入るように言った。
当然、自分も入った。
皆は、狭い室内にも小さな炉があって釜がかかり、湯が沸いていた。
広間には赤い蕾がひとつと葉が何枚かついただけの椿の小枝が、古びた竹の筒に投げこんである。

丸く硬い蕾は、これから咲きほころうとする強靭な生命力を秘めている。
秘めた生命力が、あたりの空間に君臨し、圧倒しようとする意志となってみなぎっている。
あえて蕾をかざるのは、生命の神秘に対する畏怖であろう。

天正遣欧使節を伴って日本に戻ると、織田信長は殺され、秀吉により伴天連追放令が出されており、布教活動が苦境に追いやられる。
ーーーーーーーーーー
縁飾り/長袍(オバス?)/瀟洒/枢機卿(すうききょう)
伴天連追放令/寛容苛立っている/歓喜と賞賛/荘厳/極地
舐(な)める/溜飲/沈鬱/沈鬱/猥雑
蒙(もう)をひらく

脆弱/職掌/強靭/便船/窮屈/慶び/捧呈/饒舌
家鴨/難渋/通辞/修辞/閉塞感/君臨/遠路/可憐
鼠/眇(すが)めつ/御意/司(つかさど)る

★うたかたーーー利休
天正19年(1591) 1月18日    利休切腹のふた月と少し前

茶人、類稀な美的感覚の持ち主。
闇は死の国への入口か。

侘び茶は、いかにも趣の深いものになった。
利休の茶は、室町風の華美な書院の茶とはもちろん、村田珠光がはじめた冷え枯れの侘び茶ともちがっていた。
侘び茶の風情のなかにも、艶めいたふくよかさ、豊潤さのある独自の茶の湯の世界をつくることができた。
わざとらしい侘びや冷え枯れをもとめて、あざとく寂びさせたのでもない。
桜花のあでやかさでも、冬山の寒くかじけた枯(からび)でもない。

茶の湯の神髄は、山里の雪間に芽吹いた草の命の輝きにある。

利休の名は天下一の茶頭として、世に知られるようになった。
が、天下一の称号など、なにほどのことがあるものか。
利休は吐き捨てるように思う。

利休には頭を離れない悔悟の念がある。
闇の褥で、いつも七転八倒してしまう。
十九のときだ、堺の家に、高麗の女が囚われていた。
もしも、あの高麗の女をつれて、うまく逃げだしていたら、、、、、。

秀吉の茶道を長年務め、武力や金などの物欲では動かすことのできない「美」の深遠を理解せんとしたが、叶わなかった。

大徳寺の山門重層部寄進の礼として安置した利休の木像が不敬であり、また茶道具を法外な高値で売り、売僧(まいす)となりはてているとの言いがかりをつけられ、秀吉から切腹を命じられた。
嘘でも頭を下げれば許すと伝えられるが、頑強に拒否し切腹に応じた。

炭小屋、薄紅の小袖を着た女が、だらんと垂れ下がった足に、白足袋をはいている。
見上げると、苦悶に大きくゆがんだ顔は、娘のおさんであった。
おさんが首をくくって死んでいた。

おさんは利休と宗恩の子供ではない。
先妻のたえとの子である。

おさんはもう十年以上も前に、堺の万代屋宗庵という男に嫁いだのだが、子ができぬうえ夫婦仲がよくなかった。
去年の春だったが、聚楽第にちかいこの葭家町(よしやまち)通りの屋敷にふらりとあらわれ、婚家に帰りたくないと言った。
万代屋には跡継ぎができました。
宗庵の側女が男の子を産んだという。

宗恩とおさんが野の草を摘みに行ったとき、東山で鷹狩をしていた秀吉に出会った。
秀吉は気に入り、聚楽第に奉公に出るよう命じた。
おさんはお断り申し上げます、と毅然と言い放った。

利休が仲介して、宗庵に茶壺を千五百貫文で買わせた。
その茶壺は、博多の神屋宗湛が持っていたもので、まずは利休が仲介して、石橋良叱に千貫文で買わせた。
良叱は、利休の長女の婿である。

「しかし、あの男、どこまで奪えば気がすむのか」
秀吉は、利休が持っている茶の名物道具を随分巻き上げた。
「捕らえられて、羽根をむしられている山鳥の気持ちでございます」
秀吉に出会ったからこそ、利休は独創的な侘び茶の世界をつくることができたが、その代償としてとてつもなく大きなものを奪い取られてしまった。

おさんの葬儀は利休の方でやることにした。

利休は両腕に娘を抱きかかえた。
女たちで洗ってやるがいい。
褥に寝かせ、ろうそくを灯した。
死に化粧が美しい。
利休は経を読んだ。
利休は台子の前にすわった。薄茶を点てると、天目の茶碗を、おさんの枕元にはこんだ。
襖を開け、となりの大書院の床の間に活けてある水仙を輪ぬいた。
水仙の花を、茶に浸した。
ーーーーーーーーーー
寝所/闇/黄泉(よみ)/褥(しとね)/掻巻(かいまき)
壮健/耽(ふけ)る/無明/精進
枯(からび)/神髄/豊潤/侘びる/蕾/強靭
賞翫(しょうがん)/溌剌/山居(さんきょ)

寛(くつろ)ぐ/悔悟・七転八倒(しちてんばっとう)
雛(ひな)めいた/囚(とら)われる
凛冽(りんれつ)/懼(おそ)れる/阻止/怯(おび)える
冴える/苦悶/天日/吐息

亡骸(なきがら)/枕経(まくらきょう)/不憫/
屍(しかばね)/楚々/色褪せ/側女(そばめ)
婚家(こんや)/諭さと)した/跡継ぎ/鬱々(うつうつ)
詮ないこと/離縁/恨(うら)む

毅然/婿(むこ)/値踏み/珍重/絶妙/枇杷色(びわいろ)
梅花皮(かいらぎ)激昂(げっこう)/位牌/低声(こごえ)

読経/鵯(ひよどり)/強奪/香華料(こうげりょう)

香典/手狭(てぜま)/回向/弔(ともら)い
骸(むくろ)/湯灌(ゆかん)/棺桶(かんおけ)
盥/瞑目/饐(す)えた/夥(おびただ)しい

★ことしかぎりのーーー宗恩
天正19年(1591) 1月1日    利休切腹の三月ほど前

利休の妻。利休の唯一の理解者。
宗恩は、利休に薄情な人となんど詰ろうと思ったことか。

堺の町のしずかなあたりに家を買い、米と銭をたくさん積み上げてくれた。
利休が来る夜は、女としての自分が目利きされ、値踏みされている気がした。

そして、利休の茶は、しだいに凄味をにじませはじめた。
利休は、珍しく逡巡のなかにいた。
利休は飛びぬけてするどい審美眼と奇智をそなえ、茶の湯者として天下一の声望と富を得ていた。

闇がねっとり深い。
掻巻のはしをもちあげ、からだをすべりこませた。
大柄な夫は、いつも肌が熱い。熱は、生きる力のつよさなのか。
利休はまるで衰えない。
老いてますます猛々しい精をみなぎらせている。

わたくしで、よろしかったんでしようか。
わたしを妻になさって、ほんとうによろしかったんでしようか、、、、、、、、。

利休は紙を切り抜いて、おそろしいほど美しい行灯を作った。
見ていると、どうしてもその通りの形でなければ、凛とさえた気品はうまれないのだと思えてくる。利休の才気は、身震いするほどすばらしい。

床の花入れに椿の蕾を活けておいた。
「赤い椿はお嫌いでしょうか」
「いや、赤いのはよいが、少し開きすぎていて落ちつかないんだ。
あれではすわっていられない」
宗恩は、その日の花入ひとつ選ぶにしても、どれなら満足してもらえるのか、どんな花をどう活ければ気にいってくれるのか不安でならなかった。

正式な妻になる前、宗恩は利休の子、二人の男の子を生んだ。
が、十になる前に、二人の男の子は病で亡くなった。

妻として仕えてみれば、利休ほどあつかいにくい夫はいない。
家のなかのすべての調度から掃除のしかた、朝夕の食事につかう皿1枚の選び方、香の物の一切れのならべかたにいたるまで、すべてが利休の心にかなったものでなければ機嫌が悪い。
宗恩の前の夫だった能楽の小鼓師が亡くなったのは、もう随分昔の話だ。
まだ若かった利休は小鼓師宮王三太夫に謡を習っていた。
宗恩は、夫の弟子である利休に、淡い敬慕の念をいだいていた。

大晦日、宗恩は正月の準備に追われていた。
夕方になって立ちくらみがして、台所の板の間で雑煮に使う塗りの椀を取り落としてしまった。
木地がちいさく欠けて塗りが剥げた。
「なんと、粗忽な」--利休。
「失敗はだれにでもある。わしは、ひとことも叱ってなどおらぬ」

利休一族の血は葛のようにからみあい、藤のようにもつれている。
長男の道安は先妻の子。
少庵は、宗恩の連れ子なのだが、利休の娘のかめと結婚し、千家の婿に入った。
道安と少庵は、ともに茶の湯に精進しているがどちらも46の同い歳、うちとけているところを見たことがない。
父上はすでに古希。
いまはまことにご壮健でございますが、不慮のできごとがおこらぬともかぎりません。

宗庵は、天下の名物道具やこの屋敷、父上に万が一のことがあったとき、それらが散逸するのはいかにも無念、気になっていた。

座敷のすみにひかえていた宗恩は、利休、道安、少庵の三人の男に屠蘇をついでまわった。

利休は立ったまま筆をはしらせた。  
 あはれなる老木の桜えだくちて
    ことしばかりのはなの一ふさ
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薄情/詰(なじ)る/嫋々(じょうじょう)/余韻
抑揚/泰然/畏(おそ)れる/頼(たの)もしい
奇智(きち)/傲慢/行灯(あんどん)/愛玩
静寂/脂(あぶら)/掌(てのひら)

猛々(たけざけ)しい/能楽/溌溂(はつらつ)/澱(おり)
短檠たんけい)/紙燭(しそく)
瀟洒/訊(き)く/謡(うたい)/横柄/罵(ののし)る/
侮蔑/瞑目/目利(めき)き/閨(ねや)

凄味/婢女(はしため)/惚れる/嘘/煩悩/眉間
眉を顰(ひそ)める/困惑/雑煮(ぞうに)粗忽(そこつ)
大晦日/罵声/撞(つ)き終わる/潤(うる)んだ/叱責
千歳(せんざい)

常盤/干支(えと)/婿(むこ)/時雨(しぐ)れる
言祝(ことほ)ぐ/葛(かずら)/屠蘇(とそ)嘗(な)める
牛蒡/古稀/重畳至極(ちょうじょう)/虚空/不慮
散逸/剛毅/気骨

面誉(めんよ)/静謐(せいひつ)/逡巡/傲慢
短冊(たんざく)/遺言

★こうらいの関白ーーー利休
天正18年(1590)11月7日    利休切腹の前年

利休の点てた薄茶を小姓が、金襴の羽織を着た秀吉の前にはこんだ。
白天目のすっきりした茶碗は、白い粘土に灰釉(はいゆう)をかけた和物。
口縁にくるりとひとまわり塗ってある金が、青畳のうえに華やぎをそえている。

かねて呼びつけていた朝鮮(高麗)の使節が京にやってきた。

秀吉は小田原攻めで留守にしていたので、帰洛してからも国司に謁見を許さず待ちに待たせた。
国司たち五十人は、紫野大徳寺(本坊と塔頭)で止宿していた。

秀吉は、完成したばかりの新御所に参内した。
そのとき、朝鮮通信使の一行を供につれて行くつもりだったが、これはかれらが断った。
使命である国書の奉呈をせず、見せ物にされるのは、まっぴらだったにちがいない。

「大徳寺に遣(つか)いをやれ。国書を持ってこいとな」

秀吉は利休に「なんだ。なにか、存念があるか」と問った。
利休いわく、「高麗の宮廷には、かねてより二派あると聞きおよびます。
このたびの使節は東人派、副使は西人派。たがいに牽制しあっていると聞きました。
これを利用せぬ手はございませぬ」

朝鮮からの使節団は、秀吉に国書をあずけた。
対馬の宗智をつうじて朝鮮の朝廷に伝えさせたのは、日本への服従であったが、怖れをなした宗義智は、それをそのまま伝えることができず、ただ友好の使節を送ってほしいとだけ朝鮮側に伝えた。

秀吉は国司たちにどのような料理を出せばいいだろうか?
利休の指示で宴が行われた。
瓶子(へいし)の濁り酒をついでまわった。
料理は餅だけで、国司たちはどのように感じたろうか。

高麗からわたってきた白磁や青磁は、どれもしずかなたたずまいをもっている。
ことに青磁の色の深さはことばに尽くせない。
音曲はそれとは対照的だ。

大徳寺に戻る国司を利休は先導した。
利休は、国司たちに我が家で高麗風の料理を用意して、歓待した。
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台子(だいす)/金襴/羽織/点(た)てる/素朴/味噌/
麩/謁見/内裏/湯治
参内(さんだい)/優雅/挽(ひ)いた/髭を撫ぜた/管弦/饗応の宴
塔頭(たっちゅう)

甘葛(あまかずら)/止宿(ししゅく)/本坊(ほんぼう)
芥子(けし)/抉(えぐ)る/蕩(とろ)ける/喜怒哀楽
趣向/服属/存念/逗留/冷徹/権勢/喇叭
公家(くげ)/白磁/青磁

懐/極み/喧伝/慇懃/苛立つ/鷹揚/束帯/冠
立ち居振る舞い/煩雑/荘重
隣好(りんこう)/目配せ/合図/餅/箸/杯(さかずき)
賓客/瓶子(へいし)

悶着(もんちゃく)/甍(いらか)/閣下/葷酒(くんしゅ)
下命/生臭物(なまぐさもの)
路地/庇(ひさし)/雛めいた茅葺き/瞼(まぶた)
白檀(びゃくだん)を烓(た)く

儚(はかな)げ/刺々(とげとげ)しい/網代
室床(むろどこ)/粗塗り/検察/額を擦(す)る
肩膝/庵室(あんじつ)/奪取/謀反/棒寂無心
憮然/鉄瓶/煎茶/薫り/愛玩

生姜茶(せんがんちゃ)/朱塗り/蠕米(もちごめ)
土鍋/漢方・銀杏/甘草(かんぞう)/蓋
盃(さかずき)/法酒(ぽぷちゅ)/粥/兵禍(へいか)
倭国/具申/和え物/干し柿/愉しむ/兆候

★野菊ーーー秀吉
天正18年(1590) 9月23日    利休切腹の前年


秀吉は、利休のことを、なんとか一泡ふかせてやりたいものだ、と東山の峰をみながら考えていた。
小田原の城を攻め落とし、奥州の仕置きも目処がたった。
信長が本能寺で殺されてから8年。
思いのままにならぬのは、利休だけだった。

人々から崇められるのは秀吉の秘かな愉しみだったのに、何人者が利休を美の権化のように崇拝しているのが、気にくわない。

茶を好まぬ軍師・官兵衛は秀吉に、茶が好きになれない理由として
1、不用心この上ないこと、
2、道具に多額の費用を要すること、
3、武家がさような遊興に耽れほどの時間がない。
あの男の困(こう)じた顔がみたい

いつだったか、利休屋敷に舶載の朝顔がたくさん咲いているというので、早朝、秀吉がわざわざ出かけたことがあった。
ところが、庭にはみつからない。
小座敷に入ると、朝顔がただ一輪、床に飾ってあった。
その一輪を印象的に見せるため、庭に咲いた花は、利休がぜんぶ摘み取ってしまったのだ。
書院に花を活けるように命じると、利休は室内には活けず、外の枯山水の石に金物の花入れを置いて水を打ち、花を飾った。

聚楽第四畳半席の待合に官兵衛と堺の針谷宗和、天王寺屋宗凡が、小田原に参陣した褒美として招かれた。
この者たちに秀吉が茶をした。

なんのためらいもなく両手を伸ばした利休は、左手を天目台にそえて、右手で野菊をすっとひきだし、床の畳に置いた。
天目茶碗を手に点前座にもどると、水指の前に茶碗と茶人、茶筅をならべ、一礼ののち、よどみなく点前に取りかかった。

茶を点てている利休は、見栄も衒いもなく、ただ一服の茶を点てることに、心底ひたりきっているようである。

この利休の行いが、秀吉の機嫌を悪くした。
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目処(めど)が立つ/筋雲/一泡/仕置き/陽射し/采配
狼狽/崇拝/策略/策略/権化
藍染め木綿の小袖/土牢/幽閉/輿(こし)/馳走/熟考/扇子
治乱/不用人/無刀

竹釘/懸念/懐/有為/笑止千万/余計/賄(まかな)い
木っ端/浪費/練る/遊興放蕩/必定/面妖/貪欲/籠
紐/害悪/耽(ふけ)る/瓜/密議/皆具(かいぐ)/柄杓

白湯(さゆ)/直々(じきじき)/天界の甘露/鋳物/軍師
理(ことわり)/点前(てまえ)
滞(とどこお)り/茶筅(ちゃせん)/茶巾(ちゃきん)
水指/感服(かんぷく)/艶/惹きつける

小癪(こしゃく)/執心/座興/意趣返し/髷/舶載(はくさい)
枯山水/機略/縦横/塵穴(ちりあな)/憎対(にくてい)
降参/薄(すすき)/黄昏/桔梗(ききょう)/戦塵(せんじん)

秋明菊(しょうめいぎく)/吾亦紅(われもこう)
山芍薬(やましゃくやく)/参陣(さんじん)
褒美(ほうび)/覗のぞ)く/嘲笑/愉悦/筆遣い
木立(こだち)/一幅(いっぷく)/臨機応援

正客(しょうきゃく)/辞儀/面桶(めんつう)/杣人(そまびと)
冒涜/洞庫(どうこ)/流暢
通暁(つうぎょう)/逡巡/茶筅(ちゃせん)/衒(てら)い
欲得(よくとく)/心底(しんそこ)

★西ト東トーーーーー山神宗二
天正18年(1590) 4月11日    利休切腹の前年

山上宗二は、茶頭として秀吉に仕えていたが、本当のことを口にしたから、秀吉の怒りをかって大坂城を放逐された。

放逐されて、7年がたつ。
今、小田原城の櫓から、銀色にきらめく海を眺めてつくづく思った。
ほんとうのことは、口にしてはならぬものだ。
真実を告げたら、嫌われる。

かって、宗二は堺で薩摩屋という大きな店を営んでいた。
店と家屋敷は秀吉に召し上げられた。
何故か?というと、漁師がつかう蛸壺を水の翻(こばし)につかう利休の創意にこころを奪われた。

その興趣に秀吉は何も感じなかった。
秀吉は気を悪くした。
こんなことがあって、宗二は摂河泉三国から追い出された。
よく知っている納所坊主にたのみこみ、寺の遣いとして寺領寄進の依頼に加賀まで赴いた。

加賀の前田家だ。
少しの知行地をもらったが、これでは納得できない。
大徳寺の塔頭興臨院が前田家の菩提寺である。

秀吉と、利休とは相性が悪すぎる。

このように秀吉は、宗二に批判したあ。
「貴人の茶の湯上手はもちろんのこと。どんな人を招き、招かれ、同座するにしても、名人のごとくに敬わねばならぬ」
道具の目利きの正しさより、そちらのほうがよほど大切ではないか。
「古い名物の目利きや、ほかの茶会の噂などはけっしてするな。それが嫌みなくできるまでには二十年でもおよばない」

宗二は箱根を越えて、利休に会いに行った。

宗二は利休に、侘びの、寂びの、と優雅に唱えられるのは、家もあり、炉も釜もあっての話。すべてが借り物の身では、なんの感興もございません、と述べた。
このことに、利休は怒った。
一物も持たずとも、胸中の覚悟と創意があれば、新しい茶の湯が愉しめる。

宗二ーー師匠の茶は、強引で型破りで天衣無縫。
なんの屈託もなく、樵の鉈籠や、釣瓶をつかっておられる。
ただの雑器を唐物名物なみにあつかうのは、いってみれば、山を谷、西を東といいくるめておられる。

利休ーーおまえの口はあいかわらずだな。歯に衣を着せられぬらしい。それで身を滅ぼしたというのに、いささかも懲りておらぬ。

秀吉の怒りは絶えなかった。

宗二の頭上で白刃がひるがえった。
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櫓(やぐら)/同朋衆/堅城/堅固/総構え/悪癖/放逐
流浪/境涯の変転/閑寂/蛸壺
翻(こばし)/興趣/逆鱗/壷中(こちゅう)の天/娑婆
身過ぎ世過ぎの娑婆世界/優雅

仮寝(かりね)/苫屋(とまや)/熾(おこ)し/昂(たか)ぶった
詫び茶/居候(いそうろう)/赴(おもむ)く/知行/相性
呆(あき)れる/刻む/籠城戦/風聞(ふうぶん)/映(は)える

誤魔化す/誰何(すいか)された/琵琶/甲冑武者
怪(あや)しい/雅(みやび)/茅葺
息災/風邪/取り柄/性根(しょうね)/感興(かんきょう)
愚痴/黄土色(おうどいろ)

白釉(はくゆう)/柔和/風呂/懐紙/極楽/余念/溜息
甘露/鉈(なた)/鞘籠(さやかご)
樵(きこり)/魚籠(びく)/釣瓶(つるべ)/屈託/
鉈籠(なたかご)/天衣無縫/懲(こ)りる

眉間/皺/真似/一期/流浪/装束/
意気軒昂/喉(のど)/憎憎しい/面つき/仕覆(しふく)
襟首/阿(おもね)る/呻(うめ)く

愚弄/慈悲/刎(は)ねよ/白刃(はくじん)/滾(たぎ)る

★三毒の焔(ほのお)-----古渓宗陳
天正16年(1588) 8月19日    利休切腹の3年前

古渓宗陳は、大徳寺総見院の自室で、旅のしたくをしながら、こみあげてくる笑いを堪えかねていた。
大徳寺総見院は、織田信長の菩提を弔うために、秀吉が建てた寺である。
等身大の信長像は、狩衣を着て笏を手に、虚空を見つめている。

6年前、古渓宗陳は、秀吉に請われてこの寺の開山となった。

まったく、人の世には、三毒の焔がもえさかっておる。
三毒は、仏法が説く害毒で、貪欲、瞋恚(しんに)、愚痴、すなわち、むさぼり、いかり、おろかさの三つである。

宗陳は秀吉の怒りをかって、九州に追放になる。

秀吉の母大政所が病に臥せっているために平癒を祈願して、わずかな期間に、本堂から書院、客殿、庫裏まで、堂宇のすべてが建立された。
墓まで用意した。

母大政所さまの病気平癒を祈願いたしましょう、と玉仲宗琇(ぎょくちゅうそうしゆう)が唱えたことに対して。

宗陳は、個人の病気平癒を祈願して臨済の禅刹を建立しようとする考えが間違っている。
禅門は、中国の達磨大師以来、行によって真理に到達することを本旨としている。
加持祈祷の場ではない、と反論した。

宗陳は、秀吉が新たに建立する巨殺天正寺と方広寺の開山に抜擢されたが、造営奉行の石田三成とそりが合わなかった。

けっきょく、天正寺は建設が中止され、方広寺は天台宗の寺となった。
三成が、宗陳に妬心を抱いて嫉妬の瞋恚(しんに)の焔を燃やし、秀吉からひきはなそうとしたーーーというのがあ、どうやら客観的な観測でる。

宗陳は、石田三成、秀吉に嫌われる。
「加持祈祷が、天台、真言の業じゃと知らぬとでも思うておるか。この寺の隆盛を思えばこそ、あえて禅門に祈願所を建立したのだ。なぜ、わしのいう通りに祈願できぬか」

秀吉の声が荒くなった。
顔が朱に染まっている。
「お前の顔など見とうない。消えるがいい」
秀吉のいかりをかって、九州に追放になるのである。

利休には品がある。
たおやかに、なにごとにもこだわらずに茶を点てているように見せてはいるが、じつのところ、尋常ならざる凄まじい執着がなければ、あれだけの点前はできない。

翌朝、宗陳は利休に茶をいただいた。

肝要なのは、毒をいかに、志にまで高めるかではありますまいか。
高きをめざして貪り、凡庸であることに怒り、愚かなまでに励めばいかがでございましょう。

利休のこころの底にはいったいどんな焔が燃えているのか。それをおもいながら、宗陳は筑紫に向かった。

秀吉や三成に恨みはない。
むしろ、三毒に冒された俗人のこころが憐れで微笑ましい。
「宗門の教えを曲げるなど、もちあわせてはおりません」
「ならば、とっとと去(い)ぬるがよい」

宗陳の出発の日だ。
「おからだをお大事になさいませ」

低頭すると、利休は。香合を色の褪せた布袋にいれて懐にしまった。
「ありがとうございます」
宗陳と利休の会話だ。
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堪(こら)える/弔(とむら)う/開山(かいざん)/看破(かんぱ)
掌中/下賎/冒(おか)される/抜擢/妬心(としん)/聡(さと)
騙(かた)り/瞋恚(しんに)/法力/作務/加持祈祷

諦(あきら)めた/狩衣(かりぎぬ)/笏(しゃく)/虚空
求道的/賤(いや)/気高(けだか)い
謙譲(けんじょう)/嫌(いた)み/尋常/所詮/飄然
貪婪(どんらん)/縁廊下/筋雲

家紋/仰々しい/出立(しゅったつ)/下知(げち)/平伏/恨み
憐(あわ)れ/横柄/調(ととの)えた/脚絆/草鞋/自鉢(じはつ)
剃刀/一興(いっきょう)/慧眼(けいがん)

釈迦牟尼(むに)/松籟(しょうらい)/身震い/深山幽谷
趣/手燭(てしょく)/墨蹟(ぼくせき)/苦心惨憺(さんたん)
摧(くだ)く/偈頌(げしょう)/虚堂(こどう)/漠然

増上慢(ぞうじょうまん)/下地窓(したじまど)/客畳
滾(たぎ)る/道服(どうぶく)干涸(ひか)らびる/棗(なつめ)
茶筅(ちゃせん)/香気/茶巾(ちゃきん)
滋味/炭斗(すみとり)/山梔子(くちなし)/貪(むさぼ)り
凡庸/火箸/初々(ういうい)しい/袈裟文

★北野大茶会ーーーーー利休

天正15年(1587)10月1日    利休切腹の4年前


京の北野天満宮の松の林にびっしりと隙間なく茶の席が立ち並ぶ。
鼠色の道服を着た利休や、津田宗及、今井宗久らの茶頭衆が秀吉のあとについて歩いた。
「いま数えさせたら、千六百席あるという。よくぞこれだけの侘び茶人が集まったのう」

侘び茶人が大勢集まってきたので、秀吉はことのほか満悦の顔である。
富貴な者は、従者に長持ちをかつがせて、銭のない者はじぶんで天秤棒に茶道具をぶらさげてやってきた。

天正10年の6月に、主君の織田信長が本能寺にしいされて、5年。

秀吉は一刻の時もむだにせず、山崎で明智光秀を成敗し、賤ケ岳で柴田勝家を討ち、尾張で徳川家康と講和し、四国を制圧し、そして九州に出陣して島津を降伏させた。
いまは、朝鮮国王の来日を求めている。

利休、宗及、宗久の三人じゃ若いころからの付き合いだ。
この三人で、大茶会での茶を点てる。
秀吉ーーーなぜ、かくも人が集まってくる。なぜ、人は茶に夢中になる。
利休ーーー茶が人を殺すからでございます。
秀吉ーーー茶が人を殺すーーとは、奇妙なことをいう。
利休ーーーはい、茶の湯には、人を殺してもなお手にしたいほどの美しさ、麗しさがあります。

九州との結びつきが深い宗及は、商売のことで秀吉からしばしば注文を受けている。

神屋宗湛はもとより、大友宗麟と秀吉を結びつけたのは、この天王寺屋津田宗及であった。
この天王寺屋の商売のしぶとさは、今も昔も変わらない。

ただし、茶の湯のこととなると、津田宗及はほとんど目がきかない。
財力にあかして、名物道具はもっていても、利休の目から見れば、二流、三流の茶人である。

三つならんだどの茶室にも、似茄子(にたりなす)や紹鴎天目といった大名物が飾りつけている。
道具の拝見を終えて拝殿を出ると、外に、四畳半の席が四つある。
一が関白秀吉、二が利休、三が津田宗及、四が今井宗及。

「茶の湯には、人をころしてもなお手にしたいほどの美しさ、麗しさがあります。道具ばかりでなく、手前の所作にも、それほどな美しさを見ることがあります」

「美しさは、けっして胡麻化しがききませぬ。道具にせよ、手前にせよ、茶人は、つねに命がけで絶妙の境地を求めております。

茶杓の節の位置が一分ちがえば気に染まず、手前のときに置いた蓋置きの場所が、畳ひと目ちがえば内心身悶えいたします。
それこそ、茶の湯の底なし沼、美しさの蟻地獄。
ひとたび捕らわれれば、命をも縮めてしまいます」。

冬の日が西に傾いたころ、秀吉が、今日の大茶会の奉行蒔田淡路守を呼んだ。
蒔田は利休の茶の弟子である。
「そろそろ仕舞わせるがよかろう」

秀吉から利休へーーー。
「お前の茶の湯を見ていると、わしには、まるで侘び、寂びとは縁遠い世界に思えてならぬのだ。お前の茶は、いささかも枯れてなんぞおらぬ。そうではないか」

「お前の茶は、侘び、寂びとは正反対。見た目ばかりは、枯れかじけた風をよそおっておるが、内には、熱い何かが滾っておる。そんな気がしてならぬのだ」

「おまえの茶は、艶めいて華やかで、なにかーーーそう、狂おしい恋でも秘めておるような。どうじゃ。わしの目は誤魔化せまい。
おまえは、その歳になってもなお、どこぞのおなごに恋い焦がれ、狂い死にでもしそうなほどに想いをつのらせておるのであろう。
そうでなければ、命を縮めるほどの茶の湯はできまい」
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隙間/金襴/羽織袴/鼠/薄命(はくみょう)/藍色/闇
肩衣(かたぎぬ)/四隅(よすみ)
熾(おこ)す/蚊(かや)/葺く/執心/焦(こが)す
満悦/富貴/天秤棒/精魂/儲ける

軍需物資/地歩/一刻/掌握/成敗/弑(しい)される/硝石
鉛/日和(ひより)/重用
専一(せんいつ)/点前(てまえ)/緋色/猩々(しょうじょう)
羅紗(らしゃ)/艶(あで)やか

似茄子(にたりなす)/溜息/籤(くじ)/献茶/謂(いわ)れ
茶壺/楢柴(ならしば)/口髭
逸品/贅沢/世辞/頑(かたく)なに/賞玩/前代未聞/朱塗り
諸役/免除/瓢(ふくべ)

葭(よし)/陶然/糯米(もちごめ)/煎(い)る/蜜柑/山椒
扇/惹(ひ)く/抉(えぐ)る
麗(うるわ)しい/蟻地獄/身悶(みもだ)え/朔日(ついたち)
精進(しょうじん)

縮(ちぢ)める/床几/御意/焚(た)く/薄暮/馳走
瞼(まぶた)/洟(はな)/邪魔/滾(たぎ)る

★ふすべ茶の湯ーーーーー秀吉
天正15年(1587) 6月18日     利休切腹の4年前

博多筥(はこ)崎八幡宮の境内に、三畳の茶の席が建った。
社前にある小さな堂のそばだ。
建てたのは利休である。
秀吉の腹の底から麗しい気持ちがわきあがってくるのを、しみじみ味わった。
なにかが違う。
利休の茶の席は、どこかがはっきりと違っているのである。

上座の柱には、高麗筒の花入れをかけ、薄と益母草の花が活けてある。
すっきり伸びた薄と、薄紅色の小さな花のつらなりが、秀吉のこころをくすぐった。
なんでもない野の草花が、利休の手にかかると、命の息吹をもって力強く立ち上がってくる。

同じ境内に利休のむすこ道安が建てた茶の席がある。

秀吉は利休に尋ねた。
「茶の湯はだれに習うたのか」
「十七のとき、堺の北向道陳ともうす御方に習い、十九になりまして武野紹鴎に弟子入りいたしましてございます」
道陳は堺の隠者だが、将軍足利義政の同朋衆だった能阿弥から書院台子の茶を伝授されたと聞いたことがある。

能阿弥は、豪華な書院棚飾りの集大成ともいうべき「君台観左右帳記」を書いたことで知られた男だ。
いまはやりの侘び茶ではなく、唐物を尊ぶ晴れやかな茶の湯である。

武野紹鴎は、堺の武具商人で、侘び茶の名人だ。

筥崎八幡宮の客殿が、島津征伐、つまりは九州遠征の秀吉の本陣になっている。

総勢十二万の秀吉の軍勢が、この春から九州を席捲したのである。
薩摩まで駒を進めたが、若いときのような戦いの苦労はない。
いずれ、ここから唐、天竺に討ち入る所存。
そのときには、そのほうらに存分に働いてもらわねばならん。

本陣にいると、秀吉は利休を呼びつけ、かわった趣向で茶を飲ませよと命じた。
仕度が整いまして、少しお歩きいただけますか。
博多の海に、陽射しが強い。
細長い海の中道と島で区切られた博多湾が、銀鼠色にきらめいている。
空に猛々しい入道雲が湧きあがり、松林では蝉がうるさく鳴いている。
日向はさぞや暑かろう。

「うまかった、いや、よいお茶であった」

利休が燃え残りの松葉になにかを入れたところだった。
香合であろう。
利休が手にしている香合が指の隙間からわずかに見えた。
「見せろ、見せよ」。

秀吉は利休の手から奪うように、取った。

しげしげと眺めると、鮮やかな緑釉がかかったちいさな平たい壷である。
いままで秀吉が目にしたどんな陶器より瀟洒で繊細だ。
「わしにくれ。望みのままに金をわたそう」。

黄金五十枚から値をつけ、ついには黄金一千枚出すとまでつり上げたが、利休は首を縦にふらない。
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蜩(ひぐらし)/草履/気韻(きいん)/絽/軒(のき)/小袖/苫(とま)
蔀(しとみ)
薄(すすき)/益母草(やくもそう)/俯(うつむ)く/笊(ざる)
瓜(うり)/趣向

菜切り包丁/葉蘭(はらん)/滋養/目端(めはし)のきいた男/隠者
書院台子(だいす)
武具商人/娘婿(むすめむこ)/興米(おこしごめ)
炮烙(ほうらく)/風物/草庵

鄙(ひな)めく/闊歩(かっぽ)/平穏/聡明/勇猛
陣触(じんぶ)れ/物見遊山
阿諛追従(あゆついしょう)/言祝(ことほ)ぎ/過剰
便宜/潤沢/知己(ちき)

席巻(せっけん)/硬軟織り交ぜて/諭(さと)す/論功行賞
連署/調略/緩急自在/目覚める/緋色/毛氈/暇/座興
貝尽くし/至言/鬱屈(うつくつ)/胡桃/瀟洒

狼狽(うろた)える/韓紅花(からくれない)/上布

★黄金の茶室ーーーーー千利休
天正14年(1586) 1月16日     利休切腹の5年前

内裏の小御所のなかに、黄金の茶室が組み上がったとき、利休は、低いうめき声をもらした。
ーかくも、美しいか。

茶室の壁といわず、鴨居といわず、あらゆるところで、金色の光が、まばゆくはじけ、まさにそこが宇宙の中心でもあるかのように、燦然と煌(きらめ)いている。

秀吉は、近衛前久と茶室にやってきた。
近衛前久は元関白。秀吉よりもひとつ年上なだけだが、秀吉の親代わりだ。

部材はばらばらにはずせる。

黄金の柱を立て、黄金の敷居と鴨居をとりつけ、黄金の壁をはめこみ、黄金の天井をとりつけるだけで、どこでも簡単に組み立てることができる。
畳はどんな赤よりも赤い猩猩(しょうじょう)の羅紗。
そこに据えた台子皆具の茶道具も、すべて黄金でできている。

ふだん、利休が好む侘びた風情とは対極にある座敷だが、これはこれで、黄金に映えた緋色が、えもいわれぬ静謐さを醸している。

「いったいどれぐらいの金がつこうてあるのか」と、近衛前久がたずねた。

利休は、「無垢でございますので、風呂がいちばん重く、ざっと五貫目はございましょう。台子と道具一式にて十五貫目。
茶室はすべて金でつくりますと重すぎて運べなくなりますので、檜の板のうえに金の延べ板をはってございますが、それでも、三貫目はつかっております」。

近衛前久は、「まこと、唐天竺にも南蛮にも、このような茶室はおじゃるまい。去年の茶の湯もかくべつでおじゃったが、茶の湯を知らぬ者なら、こちらのほうが肝を潰されるであろうのう」

大阪城の御殿内でも組み立ててみたが、やはり九重(ここのえ)のうちにあるほうが圧巻である。

黄金の光さえ、ひときわ凛と冴えて見える。
ところが、利休にはこの茶室を、近衛前久や秀吉なみに味わえなかった。
この黄金の茶室は、憂き世とはまったくへだたった不可思議な異世界である。

絢爛、荘重、雅醇、粋然ーーーー、どんなことばをあてはめても、この席の濃厚にしてしめやかな風韻をつたえることはできまい。

利休は、侘び、寂びの趣をたのしむ草庵をつくってきたが、ただただ鄙びて枯れた風情を愛したのではなかった。

鄙びた草庵のなかにある艶やかさ。
冷ややかな雪のなかの春の芽吹き。
ーーーー命だ。
燃え立つ命の力を、うちに秘めていなければ、侘び、寂びの道具も茶の席も、ただ野暮ったくうらぶれただけの下賎な道具に過ぎない。

利休、「名利頓休」の利ならば、いたずらに、名利や利益をむさぼるな、という教えである。
いくら押し隠しても、あなたは鋭い、目が鋭い、気が鋭い、全身が鋭い。

大坂城で、ためしに組み立てた黄金の茶室で、秀吉は女を抱いたのだ。

見ていたわけではない。
つぎの間で控えていた利休は、女のむせび泣く声を聴いた。
利休は、またあの女を思い出していた。

茶室の前に帝がおでましになった。
秀吉がうやうやしく両手をついて迎えた。
あの男は、生まれついての天下人であろう。
天が下の森羅万象を思いのままに、あやつり、ねじ曲げる才覚をもっている。

率爾(そつじ)ながら、茶の間に粗餐をご用意いたしました。

黒塗りの本膳にのっているのは、鶴の膾(なます)、串鮑の煮物、烏賊と青菜の和えもの。
つぎに出した菓子は、縁高に、麩の焼き、しいたけ、焼き栗、こんぶ。
台子の茶の湯は、真行草の真。

「おまえが女を目利きして、床いれまで万端しつらえれば、さぞや風雅な閨(ねや)が堪能できるであろうとおもうたまで」
「めっそうもないことです」

「ざれごとではない。こんどは茶ではなく、女心を馳走せよ」、ゆっくりと利休は首をふった。
ーーーーーーーーーー
紫震殿(ししんでん)/軒端(のきば)/燦然(さんぜん)
煌(きら)めく/荘厳/就任
見栄を張る/桐紋/献じる/猩々緋の羅紗/仰山/静謐
醸(かも)す/所詮/珍奇

圧巻/幽玄/下卑た/凛と冴える/蓬莱鏡/束帯/仰々しい
絶賛/釉薬(ゆうやく)/妖艶/不可思議な/絢爛(けんらん)
荘重/雅醇(がじゅん)/粋然(すいぜん)

濃厚/邪念/邪欲/剥きだす/現生の欲望/枯(からび)の
得心/下賤/賜(たまわ)る
名利頓休/境涯/炬燵/流転の旅路/淫蕩な想念/衝動
妖しい/秘かに愉しんだ

妄念/金襴の束帯/鷹揚/威厳/森羅万象/掌握/卒爾(そつじ)
粗餐/一献賜った/鶴の膾(なます)/烏賊/鮑/帛紗(ふくさ)
新行草(しんぎょうそう)/柄杓(ひしゃく)

釜の蓋/鋭さ/微塵/局(つぼね)/茶坊主/上臈(じょうろう)
貴賤/仙界/茶目茶碗
御威光/勘考/風雅/閨/堪能/馳走/慢心

★白い手ーーーーーあめや長次郎

天正13年(1585) 11月某日     利休切腹の6年前

京の堀川は細い流れ。
一条通りにちいさな橋がかかっている。
王朝のころ、文章博士の葬列が、この橋をわたったとき、雷鳴とともに博士が生き返ったーーー。そんな伝説から、橋は戻り橋と呼ばれている。
冥界からこの世に戻ってくる橋である。

その橋の東に、あめや長次郎は瓦を焼く窯場をひらいた。
京奉行の前田玄以に命じられて、土地をもらったのである。

長次郎が、あめやの屋号をもつのは、飴色の釉薬をつかって、夕焼けのごとき赤でも、玉のごとき碧でも、自在に色をつけられるからである。

すでに大勢の瓦師が集められているが、長次郎が焼くのは、屋根に飾る魔よけの飾り瓦である。

長次郎が鏝(こて)とヘラをにぎると、ただの土くれが、たちまち命をもった獅子となり、天に咆哮する。
虎のからだに龍の腹をした鬼龍子が、背をそびやかして悪鬼邪神をにらみつける。
獅子は、太い尻尾を高々とかかげ、鬣(たてがみ)を逆立てて牙を剥き、大きな目で前方をにらみつけている。

明国からわたってきた父が、長次郎に、釉薬の調合、製法、使い方を教えなかった。

なんども失敗をくり返し、自分で新しい釉薬をつくりあげた。
長次郎の子も、窯場で働いているが、釉薬の調合法を教えるつもりはない。

「いい色だ」
長次郎の背中で太い声がひびいた。
ふりかえると、宗匠頭巾をかぶり、ゆったりした道服を着ている。

真面目そうな顔の供をつれているところを見れば、怪しい者ではない。
「ああ、ご挨拶があとになってしまいました。
わたしは、千宗易という茶の湯の数奇屋。
長次郎殿の飾り瓦を見ましてな、頼みがあってやってまいりました」

宗易の名は、関白秀吉につかえる茶頭で、このあいだ、内裏に上がって、利休という勅号を賜ったと評判の男だ。

「土を見せてほしい」と宗易がいうので、小屋にいざなった。
「木津川の奥に、ええ蛙目(がえろめ)の土がある。雲母がちょっと混ざってて、焼くときらりと光ってくれるのや」

この人は、ほんまの数奇屋や。
茶の湯の数奇屋なら、何人も知っている。
みんな、唐渡りの茶碗を自慢する嫌みな男たちだ。
この宗易は、まるで違っている。

その後、宗易は長次郎の窯を訪れて、焼きあがった茶碗を見せてもらった。
宗易の目は鋭さを増した。

「世辞はにがてでしてな。思ったままにいわせてもらってよろしいかな」
「ひとことでいえば、この茶碗はあざとい。こしらえた人間のこころのゆがみが、そのまま出てしまった」

「あざといというて悪ければ、賢(さか)しらだ。こざかしくて、見ていて気持ちが悪い」
ここからが、重要だ。

「あなたは、掌に媚びた」
「茶碗は、掌に寄り添うまえに、毅然とした気品がなければならない。
あなたの茶碗は、媚びてだらしがない」

宗易(利休)の話しぶりは、けっして長次郎を責めているのではない。
ただただ、ほんとうに美しく気に入った茶碗が欲しいという一念だけが感じられた。

しばらくして、また宗易が窯場に現れた。
宗易が、道服の懐から色褪せたちいさな袋を取り出した。

取り出された釉油の小壷は、品があって毅然とした存在感がある。
長次郎は、両の掌で小壷を包んだ。
いつまでも握りしめていたいほど、しっくりと掌になじんだ。

「その白い指が持って、なお、毅然とゆるぎのない茶碗をつくってください」
うなずくのも忘れ、長次郎は、桜色の爪を見つめていた。

それから、長次郎はひたすら土を撞(つく)ねた。
茶碗は素焼きの内窯に入れる。

鍛冶屋がつかう鞴(ふいご)で風を送ると、炭が真っ赤に熾(おこ)った。素焼きの内窯が溶け出しそうなほど高温になった。
鞴を強く吹いて、いっきに焼きあげた。

焼きあがった茶碗を宗易に見せると、とたんに顔がほころびた。

「媚びていないのがいい」
女人の麗しい唇に、吸いつくつもりでこしらえた。
ーーーーーーーーーー
冥界(めいかい)/文章博士(もんじょうはかせ)/窯場(かまば)
豪華絢爛(けんらん)
瓦師/鏝(こて)/悪鬼邪心/鬼龍子(きりゅうし)/褒美/僧形
鬣(たてがみ)を逆立てる

牙を剥く/碧(みどり)/一子相伝/勅号/得たいが知れん/
藁/円座/雲母/蛙目(がえろめ)/轆轤(ろくろ)/目利き
物腰/非凡(ひぼん)/器用/虎や龍

謙遜/掌(てのひら)/世辞/ただでは措(お)かない
虚心坦懐/媚(こ)びる/毅然/無骨/後悔/紐/魔物
苛々(いらいら)する/懐/楊貴妃/潤(うるお)い/薄片(はくへん)

可憐/土を捏(つく)ねた/生半可/竈(かまど)/鍛冶屋
鞴(ふいご)/熾(おこ)った/凛/籾殻/鋏/毛氈
想い女の爪です/目尻

★ 待つーーーーー千宗易
天正10年(1582)11月某日     利休切腹の9年前

山崎の宝積寺城は、にわか作りの城である。
京と大坂のさかいにあるこの地で明智光秀を破ってから、羽柴秀吉は、この城を根城にしている。
この城にいれば、いつでも京に駆け込める。京から敵がくれば、大坂から西国に逃げられる。

宝積寺の本堂のそばに杉の庵と称する四畳半の茶の席があり、宗易はそこの客畳にすわっている。
手前座にすわっているのは秀吉。
天下三椀のひとつと称されている青磁の安井茶碗に、薄茶を点てはじめた。
正客は、今井宗久、次客が宗易。
つづいて津田宗及、山上宗二。
招かれたのは、四人の堺衆だ。

秀吉は、本能寺で討たれた主君織田信長の葬儀を、先月、京の大徳寺でえとりおこなったばかりである。
京の五山から集めた五百人の僧侶が、七日間にわたって経を読み、三千人が参列し、一万人の侍が警固にあたった。

秀吉は、宗易に相談した。
秀吉は、信長入滅百箇日の法要をしたいと宗易に話した。

「されば、いまだに葬殮(そうれん)がおこなわれておりませぬ。法要よりなにより、先君の弔いをした者こそ、跡目を継げましょう」
宗易のとなえた正論を、秀吉は実行にうつした。

自然のなりゆとして、越前にいる柴田勝家との対立が深まった。
信長の跡目は、秀吉と勝家の二大派閥が争っている。

秀吉は、天王山の中腹に、茶室を建てることにした。
二畳の部屋を作った。

炉開きの準備に、堺の屋敷から茶道具とともに妻の宗恩を呼び寄せた。

何故か?宗恩は、気分がよかったようで、微笑みが絶えなった。

二畳の席はひんやりしている。
天井の低い空間だが、部分的に屋根と同じ勾配をつけ、ひろがりを出している。
壁は、粗い藁苆(わらすさ)が見えている。内側は、上塗りをせずこのままにしておく。ほのかに青く見えるのは、墨を薄く塗ったからだ。狭くとも、こころを落ち着かせるしつらえである。
炉縁は、黒柿にしようかと考えたが、ここまで草庵めかした侘びた席では、それもあざとかろう。
迷った末、沢栗にした。ふつうの栗より木目がこまかく柔らかい。

庵号は、待庵だ。

待庵に秀吉を招いた。
名物を使うつもりはない。床には、軸をかけず、花を活けず、虚ろなままにしておいた。

茶の湯のあと、利休が料理を用意した。

焼き物を入れた竹の器を杉板に置くと、秀吉が面白くなさそうな顔をした。
なかに、焦げたへぎ板が入っている。秀吉が結んである藁をほどくと、鮮烈な香りが小間に広がった。

秀吉はけげんな目つきで見つめた。
「筍かーーーー」
「筍は春と決まっておる。孟宗の故事でもあるまいに、なぜ、冬に筍がある」
孟宗は、呉の国の親孝行な男手、老母が冬に筍を食べたがったので、雪の積もる竹林を探して、ついに掘り当てたという伝説がある。
「思いがけぬ珍味だ」
ーーーーーーーーーーーー
曲輪(くるわ)/霰釜(あられがま)/茶筅(ちゃせん)/話柄(わへい)
草檢(そうれん)
弔(とむら)い/寡兵(かへい)/掌(たなごころ)/中腹
金瓢(きんびょう)/要衝(ようしよう)

奮起(ふんき)/柿(こけら)/興趣(きょうしゅ)/華奢(きゃしゃ)
番匠(ばんじょう)/前代未聞(ぜんだいみもん)/曲尺(かねじゃく)
手水鉢(ちょうずばち)/陋屋(ろうおく)/逢瀬(おうせ)

蕩(とろ)ける/虚(うつ)ろ/竈(かまど)/膾(なます)
筍/寒筍/莚(むしろ)/騙(だま)す

★ 名物狩り―――――織田信長
永禄13年(1570)4月2日      利休切腹の21年前

広い書院の青畳に、茶道具がずらいとならんでいる。
茶碗、茶入、棗(なつめ)、茶杓、茶壷、釜、花入など、その数ざっと百を超えているだろう。
世に名高い名物ばかりだ。

名の知れた茶道具のすべてが、織田家の堺代官松井有閑の屋敷に持ち込まれた。

信長は、つい2年前、飄然と美濃から京にあらわれた。
口もとの髭に自負と傲慢がみなぎっている。
精悍な骨柄と、内からあふれる闊達さがぴったりと重なり合っている。

宗易(利休)は初めて間近に信長を見た。

書院の床にかけた双幅の軸を観た。
壁の絵にも関心を見せた。
左の絵は、瑠璃の鉢に盛った瓜、楊梅(やまもも)、枇杷、桃、蓮根。
右の絵は、柘榴(ざくろ)、葡萄、梨、菱、九年母(くねんぼ)、桃、蓮若根。
どの木菓子(きがし)も鮮やかな色彩で、みずみずしく描いてある。
北宋の趙昌(ちょうしよう)の作です。
津田宗及のこたえに、信長が指先で髭を撫ぜながらうなずいた。気に入ったのだ。

茶道具や、墨蹟、絵などの評価の高さに、宗易は、信長という男の器量の大きさに驚いた。
天下を呑み込む器だ。
こんな思い切りのよい男は、見たことも聞いたこともない。

宗易の持ってきた墨蹟に、信長が黙って見つめた。

作者は密庵(みつたん)、のびやかな品格のある筆遣いがなんともいえない。
密庵咸傑(かんけつ)は、南宋の禅僧で、なにしろ墨蹟の数が少なくめったにお目にかかれない。

宗易は、さきごろ近江で見つけ、銭百二十貫文で買って秘蔵していた。
この墨蹟についての評価は、松江隆仙と宗易では、一致しなかった。
宗易は、臍をかため、脂汗がぐっしょり流れた。
宗易の判断は甘く、満座の席で恥をかいたことになった。

信長が女を所望。
日本の女ではなく、南蛮の女だ。

とにかくあり合せの材料で寝所を飾り付け、十人並みの器量しかない女を、極上の女にしたてなければならない。
青磁の香炉で白檀と麝香(じゃこう)を烓(た)いた。甘美で妖艶な香りが、閨房(けいぼう)に満ちた。

宗易が用意した女子に、信長はどれほど満足したのか。
結果は、きっと喜ばれたようだ。
信長に、「ありがとうございます」と宗易は平伏した。

代官屋敷でさんざん惨めな気持ちを味わったあと、宗易は今市町の自分の屋敷に帰らず、べつに一軒もたせている宗恩の家に行った。

湯浴みのなかへ、白い湯帷子の裾をからげた宗恩がはいってきた。
宗恩のしなやかな柳腰が、宗易の腕にたおれこんでくる。
湯気で濡れた湯帷子が柔肌(やわはだ)にはりついてくる。
豊かな胸のふくらみが、春情(しゅんじゅう)を刺激する。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
会合衆(えごうしゅう)/大儀/陣羽織(じんばおり)/闊達(かったつ)
席捲(せっけん)
譴責(けんせき)/冥加(みょうか)/抗(あらが)って/傭兵
濠/瑠璃/枇杷/柘榴
葡萄/九年母(くねんぼ)/木菓子(きがし)/髭(ひげ)
肩衝(かたつき)/墨蹟/筆遣い/紛(まが)い物/閑雅/気韻
意趣返し/腑(はらわた)/臍(ほぞ)/癒(いや)す

澱(よど)む/湯帷子(ゆかたびら)/春情/柳腰
柄杓(ひしゃく)/火急の御用/仲睦(むつ)まじい/白拍子(しらびょうし)
夜伽(よとぎ)/妬(ねた)みも/遺恨春霞

品(しな)下がる/更紗(さらさ)/鳳凰/脇息(きょうそく)
閃(ひらめ)く/韓紅花(からくれない)
青磁/香炉/白檀/麝香(じゃこう)/妖艶/閨房(けいぼう)
通事/褥(しとね)/齢(よわい)/攫われる/威(おど)す

★もうひとりの女ーーーーーたえ
天文24年(1555) 6月某日  宗易34歳

大小路は、堺の町を東西につらぬく賑やかな大通りである。
干し魚を商う千与四郎の家は、その少し南の今市町にあった。大きな問丸で、十間間口の広い店に、大勢の奉公人が住み込んで働いている。

夫の与四郎は、宗易、あるいは抛筌斎(ほうせんさい)などと号して、茶の湯にうつつをぬかしている。

あの夫は、愛し方が尋常ではない。
いったん気に入ったとなったら、道具でも女でも、骨の髄までとことんしゃぶり尽くすように愛(め)でずにおかないのが、夫の性癖である。

茶の湯に耽っても、女のところに泊まっても、夜明けになったら帰ってきて、家業の手をゆるめないのが夫のやり方だった。だからこそ、たえは、これまでいやな顔ひとつしなかった。

たえは、宗恩の家に、宗易がいるのではないかと訪ねた。
石のならべ方や、下草の歯朶、苔のぐあいを見ただけで、この露地に、夫がどれだけの情熱をそそいだかが、たえには分る。今市町の店の奥の庭より、よほど手がかけられていて小ぎれいだ。
庭のすみに、木槿(むくげ)の花がさいている。

宗恩は、いぶかしそうにたえに言った。
いつものように、夜明け前にお帰りになりましたがーーー」
ならば、どこに行ったのだろうか。
かめのところかしら」

千の家は、与四郎の父与兵衛の代から、湊のそばに、何棟もの納屋を所有している。

琉球船やら九州の船やらが運んできた明や高麗、あるいは南蛮の品々は、いっときその納屋に収蔵される。納屋貸しは、千家にとって、魚屋とともに大切な収入源である。

「いいえ、曳き網場の向こうの浜の納屋です」

たえと宗恩は、「きっとあそこにいらっしゃいます」と一致した。

だから、なぜなの?  たえには思い当たることがない。

「だって、木槿が咲きましたから」
「なぜ、木槿が咲いたら、あの人は、浜の納屋に行くの」

おちょうと宗恩、たえの三人は浜の納屋に向かった。

あの夫のおかげで、これまでに、どれだけ悔しい思いをさせられたことか。孤閨(こけい)をかこって、寂しく眠れぬ夜を、どれだけ過ごしたことか。
女人が好きなのは、男の性(さが)だからしょうがないにしても、夫は、愛し方が尋常ではない。

たえは、ひとむかし前の閨(ねや)での熱い迸(ほとばし)りを思い出して、たえは頬を赤らめた。あれと同じことを、ほかの女にしているはずだ。

「ほんとにどうしょうもない男」 
「そうでしょうか」と疑問を投げ返したのは、おちょうだった。
この女狐は、むかし白拍子(しらびようし)をしていた。銭のあるお大尽なら、誰だって見境なく靡(なび)く女だ。

砂地を踏んで、浜の松林にやってきた。納屋が3棟があって、端の1棟に壁から突き出すように小部屋がついている。

その小部屋の格子窓からなかをのぞくと、夫の背中が見えた。
女はいなかった。
板敷きの間にすわった夫のむこうに、白い木槿の花がひと枝置いてある。

「----アルムダプッタ」
夫がつぶやいたことばは、たえには意味がわからなかったが、そこにすわっている幻の女を口説いているように聞こえてならなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
賑(にぎ)やか/所行(しょぎょう)/足繁(あししげ)く
放蕩/難儀/煩(わずら)う/芙蓉/雑巾/瀟洒(しょうしゃ)
儚(はかな)い/歯朶/簀戸(すど)/玩具/旦那/詮索

茅葺/風情(ふぜい)/曳き網/潤(うるお)す/木立
狼狽(うろた)えた/懸想(けそう)
孤閨(こけい)/賞翫(しょうがん)/祝言(しゅうげん)
靡(なび)く/迸(ほとばし)り

★ 紹鴎の招き―――――武野紹鴎
天文9年(1540) 6月某日ーーーーー与四郎(利休) 19歳

庭の柳の葉に、やわらかな朝の光がにじんでいる。
もう蝉がやかましく鳴きはじめた。
武野紹鴎は、新しく建てたばかりの四畳半に腰を下ろした。大柄で堅太りの紹鴎にとって、四畳半の座敷はちょうどころあいの広さである。

これまでの茶の席は、草庵といえども、壁に白い鳥子紙(とりのこがみ)を張っていたので侘びた趣が乏しかった。
紹鴎は思い切ってかじけさせてみた。
壁は紙を張らず荒土のまま。
窓の格子と縁側には、丸竹をつかったので、鄙びた味わいが深まった。
冬の茶の湯のために炉を切ったのも、山家(やまが)めかせるためである。
内庭には、ただ1本、大ぶりな柳の木。
豊かに垂れた柳の葉が、海からの風にそよいでいる。
一間幅で、奥行きは二尺三寸。
床恇はあ、自然な肌のある栗の木に黒漆を塗らせた。
花入が置いてある。

千与兵衛さんがおみえでございます。

与兵衛に預けておいた女は、高麗の貴人の姫である。

紹鴎のいちばん大切な顧客三好長慶からの注文で仕入れた大事な商品である。
三好一族は、四国の阿波を地盤としているが、長慶はいま摂津越水城にいる。
西国街道を押さえる重要な拠点で、三好一族にとっては、畿内をうかがう出城でもある。

寧波船(にんぼー)が、半月ばかり前、堺に戻ってきた。
すまじい臭気のこもった暗い船底で、女は足を鎖で繋がれ、莚(むしろ)の上にじっとすわっていた。

李王家の血をひいた大地主のむすめだ。
両班(やんばん)だよ。
血筋はまちがいなくいい。高麗では古い時代から両班という官僚制度が発達し、役人たちが貴族化している。
両班には、二つの閥がる。
李王家の縁戚や功臣、地主たちの勲旧派と新興官僚たちの士林派である。

与四郎と武野紹鴎からの預かり者の女を、可能性のあると思われる納屋その他を全て調べあげろ。

与兵衛の父千阿弥は、足利将軍家に仕える同朋衆だった。

謀反の事件に連座して堺に逃げ落ちてきたが、働きもせず不遇を嘆いているばかりであった。
父千阿弥に代わって、与兵衛が干し魚の商売をはじめ、地道にここまで稼いできた。
ところが、せがれの与四郎は、与兵衛が苦労して築いた身代を、すべて蕩尽しかねないほどの放蕩者だ。

女と与兵衛のことは、どのみちなるようにしかならない、と一時的には諦めた。

今朝の夜明けには、高麗の着物を着た女と若い男を、見かけた水夫(かこ)がおりました。
湊におったようだ。
湊でも漁師たちにも触れをまわし、見つけた者、捕まえた者に褒美を出すと言うてあります。むろん、街道筋にも触れてありますゆえ、見つかれば報(しら)せがあるはず。

四畳半の座敷にもどると、くれなずんだ空の光が、内庭の柳の葉を淡い藤色に染めていた。
人のこころを切なくせずにはいられないもの悲しげな色調である。

さらに薄暗さを増した四畳半の座敷に、白天目のすっきりした陰影がかそけく心に響く。

淡くほのかな黄昏の残光のなかで、紹鴎は、閑雅をこころゆくまで味わい、茶を喫した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
蝉/趣(おもむき)/框(かまち)/興趣(きょうしゅ)
逐電(ちくでん)/元服/被官
知略/手燭(てしょく)/戦慄/凄絶(せいぜつ)/端整
貶(おとし)め/流罪

顰(ひそ)めた/攫(さら)う/滾(たぎ)った/美貌
人相風体(にんそうふうてい)/怪我/大分限(だいぶげん)
身代(しんだい)/莫大/家督/諦(あきら)める

釣瓶(つるべ)/面通(めんつう)/摩訶不思議/妖術/
隠者/凡庸/馬耳東風/謀反/不遇/蕩尽/執着(しゅうじゃく)
地道(じみち)/朋輩(ほうばい)

夕去りがた/出帆(しゅっぱん)/祠(ほこら)/褒美/幽玄
芽腫(画朱)/陰影/黄昏

★ 恋-ーーーーー千与四郎
天文9年(1540) 6月某日  与四郎(利休) 19歳

静かな夜であった。
与四郎は、じぶんの四畳半の座敷で茶杓を削っていた。
茶杓は、節の位置がいちばんむずかしい。節がなければ、すっきりしすぎて物足りない。櫂先(かいさき)にちかければ邪魔だし、下端の切止めにちかすぎてはあざとく見える。

夜はずいぶん更けているのに、店の者が二人、前と後ろになって、大きな長持ちを運んでいる。手燭を持った父与兵衛が先導して、庭の奥の土蔵にしまった。

覗くと、長持ちから人を取り出すところだった。
優美な女だ。
裾の長く広がった着物は、あでやかな韓紅花(かなくれない)と白。日本のものではない。町で高麗人が着ているのを見たことがある。

与四郎は、女の黒い瞳が、強烈な光の錐(きり)となって、刺し貫かれた。
女の眼光は、いままで見たことがないほど鮮烈であった。

父は、与四郎の性格をよく知っているので、注意をした。
この女は預かり者だ。

革屋の武野だ。三好長慶からの注文の女ゆえ、ゆめゆめ、よこしまな考えを起こしてはならぬ。

与四郎は、北向道陳に茶を習ってきたが、師としてどうにも飽き足らなくなっている。新しい茶の湯が得意な紹鴎に弟子入りしたくて、しきりと屋敷を訪ねていた。

紹鴎の茶杓は、細めの櫂先から下端の切止めちかくまで、すっきり瀟洒に削っておきながら、下端近くに節が残してあった。わざとそこに節がくるように竹を切って、削ったのだ。

与四郎の場合は、大胆にも、節を真ん中よりすこし上にもってくることで、草庵風の侘びに毅然とした品格をあたえた。

紹鴎はそのとき以来、与四郎になにか意趣返しをしたがっている気がしてならない。

与四郎は女遊びを多くしてきた。
町の女、遊び女、十六のとき、水仕女(みずしめ)、十四のとき、色里の浮かれ女。
商家のむすめに文を遣わし、袖にされて泣き明かした。
天真爛漫な女子衆と毎晩たわむれあって、快楽に耽った。
遊びのつもりだった傀儡女(くぐつめ)に本気で惚れて、嫉妬に狂った。
十六のとき、逢瀬をたのしんでいた白拍子が子をはらんだ。

与四郎の体内には、もともと、美を賞翫し、生み出す才がそなわっているようであった。

女はおもしろい。
音曲に合わせて舞わせれば華やかだし、ともに閨に入れば悦楽の仙境に遊べる。

噂好きで、嘘つきで、嫉妬深く、高慢で、計算高いうえに、怒りっぽい。
ーーー女より、茶の湯の道具のほうが、よほど気高く美しい。

父が連れてきた女は、与四郎が金網から覗くと、真っ直ぐな視線でこちらを見ていた。目と目が合って、また心の臓が高鳴った。黒い瞳に、新鮮な驚きがあった。

女のための食事を作った。
鮑がよかろう。粥もよろこぶ。
鮑は、干し椎茸の汁と、醤油、砂糖、葱で煮てある。薄く切って、貝殻に盛り付けた。
粥は、水につけておいた米を、すり鉢ですこし潰し、松の実、胡桃、蓮の実、胡麻、杏仁といっしょに炊いた。

そんなふうに二、三日すごすうちに、与四郎のうちで、女への想いがしだいに大きくふくらんだ。

美しい命が隠されていればこそ、荒土の壁が輝いて見える。こういう浮き立つような恋のこころが、茶の湯にもほしい。
侘び茶と言えど、艶がなければどうしようもない。

ーー助けよう。
はっきりそう腹を決めたのは、女が来て五日目だった。
たとえ武野だろうが、三好だろうが、あんな優雅に美しい女を、売り買いしてよいはずがない。

与四郎は、千家に務めている女子衆には、刀を振り回されましたと言えばいい、と包めた。
「不憫ゆえ、その女を逃がしてやる」
女に、高麗ににげましょうーーーそうつぶやいた。
湊に向かった。

湊では、出航する船はなかった。

浜に行こう。
堺の湊は、小さな丸い入江である。
湊のそばには舶載品をしまっておく納屋が建ち並び、家も人も多くて繁華だが、そこさえはずれてしまえば、南には松林のつづく砂浜がある。
浜の松林には、千家の干し魚の納屋がる。

湊の町は、柵とはりで囲われていて、いくつかある門からしか出入りができない。
門には雇い侍がいる。このままの姿では、女が目立ってしかたない。
女に日本の小袖を着せなければならない。

二人で浜の納屋にいると、「与四郎さま、おいでなのでございましょう」
障子戸のむこうの声に聞き覚えがある。
家でつかっている佐吉だ。
商売のことではなく、薪割りや水汲みなど、内向きの用を足している。

「あとで、塩浜の小屋にお隠れなさいませ」
「侍たちは、いまあの方面を怪しんで探索しています。あとになれば、手薄になるでしょう」

女に小袖を着せた。
襟元をととのえ、きちんと帯を結び直した。顔が襟に近づいたとき、甘く芳しい香りがして、与四郎はうろたえた。

昼になる前に、納屋の番小屋を出ることにした。

佐吉の置いていった市女笠(いちのめがさ)を女にかぶせ、町中に出ようとした。
松林が終わるあたりで、こちらに来る武者の群れが見えた。
町の雇い侍たちだ。
直ぐに太い松の幹に隠れ、じっと身じろぎせずにいた。みな胴丸をつけて、ものものしい。
危ういところだった。

塩浜に向かった。
小さな苫屋は、塩浜で働く者たちが休むためのものだ。
与四郎は、塩浜に大きく「待船」(ふねまつ)と書いて、小さな苫屋を指した。

佐吉の舟がくれば、見えるはずである。来ないのは、家で父親に怪しまれたのではないか。
佐吉が与四郎のめんどうをよく見ているのを知っている。

どちらからともなく、顏をちかづけ合った。この世のものと思えないほど、やわらかく甘い唇だった。それから、おそるおそる口を吸った。

小屋にいるところを、武者たちに捕まった。
「よいか。紹鴎殿が、新しい茶の座敷に、そのほうをいちばんに招くと、かくべつのおうせだ。いまから、女を連れて来れば、咎めはせぬ。このたびのことは、茶の湯の座興として許そうとおっしゃっておられる。

捕まることを覚悟した。
おれは、茶の湯者として正義を貫き、茶の湯者として死のうーーー。
女とおのが末期の茶を点てようと決めた。

涙と嗚咽と恐怖と怒りと不甲斐なさと憎しみと絶望とが渾然と混じり合い、与四郎を揺さぶっていた。
与四郎は、倒れた女に突っ伏した。
突っ伏して、女に覆いかぶさり、大きな声をあげてはげしく号泣した。

出奔騒動の二日後、武野紹鴎の屋敷を訪ねた。

捕まった夜、武野屋敷の門前まで連れて行かれたが、慈悲を請うて、出頭を一日だけ延ばしてもらった。
どのみち責めは負うつもりである。
逃げはしないと頼んだ。

「三好さまには、美しい異国の姫は病気で死んだというておく。どのみち本当に死んでしまったのだ」。人の命をなんとも思わぬ紹鴎に呆れるしかなかった。

「ところで、この座敷はどうだ」。紹鴎は与四郎に感想を求めた。

紙を貼らず荒土のままの壁が、いかにも鄙の侘び住まいを思わせる。
」隅には冬用の炉。
山家の枯れた味わいをかもそうとしているのである。

床框に漆塗りの栗を使ったところに典雅さをにおわせている。
高価さと破調を同居させた、まったく新しい草庵でございましょう。

真形草でいえば、真の気品をたもたせながら、いかにくずし、侘びさせるかを、ぎりぎりまでせめぎ合わせなかったのだと存じます。

「床はどうかな」
墨蹟ではなく、伊賀焼き耳付きの花入が置いてある。
ざらりとした土の肌合いがおもしろい。ただし、壁が荒土なので、たがいに興趣を打ち消しあっている。

「そういえば、女の骸(むくろ)には、小指の先がなかったと頭から聞いた。どうしたのだ」
「わたくしには、こころあたりがございません」

女の小指は、桜色の爪があまりに美しかったゆえに、与四郎が喰い千切った。
喰い千切って、緑釉の小壷に入れ、いまも懐に納めている。

たいへんご馳走になりました。

新しい趣向の四畳半、堪能させていただきました。
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櫂(かい)/下端あ(かたん)/下駄/覗く/抱(かか)える/冴え冴え
傅(かしず)く
覚醒/象牙/瀟洒/賞賛/疼(うず)く/一睡もせず/快楽(けらく)
放蕩/浩然

憮然/驕(おご)りか/僻(ひが)み/仙境/凛/婚儀/緋毛氈/尊厳
鮑/粥/椎茸/醤油/砂糖/葱/胡桃8くるみ)/胡麻/
杏仁(あんにん)/匙(さじ)/朱塗り

布巾/艶/鄙(ひな)/野暮ったい/抽斗(ひきだし)/不憫
叱責(しっせき)/行李/旅支度/柘植(つげ)/愕然/碇泊(ていはく)
地団太を踏む/地引網/懐

焦慮(しょうりょ)/鼠/齧(かじ)る/死骸(しがい)
囲炉裏/憂(うれ)い/瓜実(うりざね)
蘇(よみがえ)る/松籟(しょうらい)/棗(なつめ)
軋(きし)む/平穏/木綿/恋々と慕う

勘当される/進退窮(きわ)まる/迂回/睡魔/菰(こも)
上弦/松明(たいまつ)/微塵
瞑目/潔(いさぎよ)く/野卑(やひ)な声/醜態
痙攣(けいれん)/慈悲/忸怩(じくじ)/堪能/帛紗(ふくさ)

★ 夢のあとさき      宗恩
天正19年(1591) 2月28日 利休切腹の日

利休屋敷の仏間で、宗恩は、両手で顔を覆ってすわっていた。
さっきから、ずっと経をあげていた。
もう声が出なくなった。

仏間には宗恩のほかに娘のかめがいる。
利休がよそで生ませた子で、宗恩の連れ子の少庵の妻である。
利休がいつも目をかけていた。やさしい娘で、宗恩にも気をつかってくれている。

利休はかめに狂歌を残した。
  利休めはあとかく果報のものぞかし
    菅丞相(かんしょうじょう)になるとおもへハ

菅原道真公になぞらえて、我が身の境遇を笑いとばしているのである。

宗恩は幸せだった。
それでも、こころが痛み、悶えてならない。
夫には想い女がいた。
悔しいのは、その相手が、どうやら生きた女ではなさそうなことだ。こころの奥で、ずっと想っている女ーーーー。
あの緑釉の香合を持っていた女だ。

宗恩の前で跪(ひざまず)いて、少厳が頭を下げた。うつむいたまま、泣きはじめた。

宗恩は、純白の小袖を夫にかけた。たちまち血を吸って、白い絹に鮮血の赤がひろがった。

床に木槿の枝と緑釉の香合が置いてある。宗恩は香合を手に取った。

廊下に出ると、露地の緑にちかいところに、手水鉢と夫好みの石灯籠がある。
宗恩は、手を高く上げ、にぎっていた緑釉の香合を勢いよく投げつけた。
香合は石灯籠に当たり、音を立てて粉々に砕けた。

苔に散った香合の破片にも、明るい光が煌(きら)めいている。
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慈(いつく)しむ/悶える/優しい/悔しい/苦悶
賜(たまわ)る/煌(きら)めくる
想い女/狂歌/涙で濡れる/渦巻く