2012年4月30日月曜日

猫さんの五輪出場に思う

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20120325 タレントの猫ひろし(本名・滝崎邦明)(34)が、次のロンドン五輪にカンボジア代表として出場が決定したと、同国のオリンピック委員会のワット・チョムラーン専務理事が明らかにした。

五輪の陸上では、参加標準記録を突破した選手が1人もいない国・地域は、男女1人ずつがいずれかの種目に出場できる「特例」があるそうだ。

へえ!!そうなんだ?と、新聞記事を読んで思った。が、そのうち、関心は薄れていた。会社で、みんなに聞いても、誰もが、どうでもいいようだった。日本では珍しいが、海外では外国籍を取得してメダルをとった選手はいく人もいる。

陸上のある種目では、1位から4位までが、国は違えども、全ての選手が国籍変更組みだったことがある。元の出身国はケニアだったりナイジェリアだった。

でも、何で、猫がカンボジアなんだ。そして、猫の記録が飛び抜けてもいないのに、そんなことをしてまで、オリンピックに出たいと思う本意は何か。

私にとって猫は、日本にいる多くのマラソンランナーのなかでも、早い記録を持っている1人のランナーぐらいの認識だ。それよりも、猫のために出られなくなるカンボジアの選手のことを気の毒に思う。

そしたら、20120414の朝日新聞に「猫ひろし 五輪ピンチ」の記事が目に入った。以下細字は、当日の新聞記事のまま。国籍変更選手の国際大会出場資格に関する国際陸連(IAAF)の規則に抵触する恐れが、今回のIAAFの規則の変更で、出てきたそうだ。

 

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昨年までは、国を代表して国際大会に出た経験のある選手が原則、国籍変更後3年を経過しないと新しい国を代表して出られないという規則だけだった。

しかし、最新のIAAF競技規則第5条2項には代表経験のない選手に対しても、、国籍取得後1年を経ないと出場できないという規則が加わった。ただ、現地に1年以上継続して住んでいるか、IAAF理事会が特別に認めた場合は、例外として代表になれる。

 

このように新しくできた規則に照らし合わせて、今、IAAFはカンボジア陸連に問い合わせ中だそうだ。

そんな最中に、猫に強力なライバルが出てきたのだ。

同国のヘム・ブンティン選手が先のパリ・マラソンに出場して、猫のベスト記録よりも7分も早い記録をたたき出した。ネット情報によると、ヘム・ブンティン選手は、走行中腹痛に襲われ、トイレに駆け込み、1分25秒もロスタイムしてしまった。

結論。

猫は自らの意志で、カンボジア代表としてオリンピックに出場することを辞退すべきだ。実力で、猫よりも好タイムの選手が同国から現れたことで、何も、国籍まで変更して同国の代表選手として出場する意味がなくなった。邪(よこしま)な言い方を許してもらえれば、大概の人は、猫が芸能人としての自分の商品価値アップのためで、カンボジアのことなんて何も考えていない、と思っているだろう。私は、そのように考えている。事実、そんな目論見かもしれない。

猫さん、視点を変えよう。国籍を日本からカンボジアに変えたことで、猫には思いもよらぬ、仕事の領域がぐうんと広がるように思うのだが、どうだろうか。普通、なかなか、そう簡単に国籍を変えられるものではない。お笑い芸人だからこそ、両国の友好の架け橋のために働ける仕事は多彩だ。生まれ育ててくれた日本、何故だか国籍変更に応じた不思議な国、カンボジア、縁が生まれた両国のために、マラソン以外で頑張って欲しい。

例え、同国の代表選手として出場しても、自身に不本意な思いだけが残る結果になること間違いない。だって、オリンピックに出場するには自己タイムが悪過ぎる。2月の別府大分マラソンでは2時間30分26秒で、50位だった。ちなみに、今回のロンドン五輪の参加標準記録は2時間15分。

お笑いを職業にしている猫さん、お笑いは常に何もかもが平和な状態にあってこそ、その職業の役目は発揮されるものだ。お笑い芸人には揉め事は不似合いですぞ。ちょっとでも早い目に、辞退する旨の真情を吐露すれば、カンボジアからも当然日本のファンからも、親しみをもって歓迎されるだろう。

さらなるお笑い芸人としての飛躍に、期待したい。

辞退することこそベストな選択だと思う。

2012年4月24日火曜日

初めての拘置所訪問

20120424 横浜拘置所で総合受付の前に立ったのは、10:08頃だった。

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弊社が保有していたアパートの元住民が、刑事事件を犯して、横浜拘置所に勾留されている。その彼に面接してきた。彼はナイジェリア人だ。アパートの部屋にあった荷物は、弊社の地下室に一時的に預かっている。預かっている荷物の中の靴の中に、お金を忍ばせてあるというので、刑事裁判を担当した弁護士立会いのもとに探したら、彼が言う通り、靴の中から、お金がでてきた。

一万円札数枚と、100ドル紙幣数枚だった。

このお金を本人に渡したくて、横浜拘置所に行った。初めての単身での拘置所入りだ。場所が場所だけに、ちょっと緊張気味。

総合受付のオジサンはいかにも拘置所の受付らしく、ぶっきら棒だった。面接カードに必要なことを書き込んだ。携帯電話は持っているかと聞かれ、持ってますと答えたが、それ以上何の指示もなかったので、持っていますがどうすればいいんですか?と聞き返したら、聞かれたことだけ答えればいいんだ、とのことだった。

そこのボックスに携帯電話を入れて、鍵は自分で持っているように。

こっちに来なさいと言われ、敷地内に歩を進めた。飛行場で行なう搭乗前のボディチェックと同じことを、全身、前から後ろから、何かの探知機を当てられた。カバンの中もチェック。このオジサンは、俺を犯罪人と同じ扱いをする、実に不愉快だった。

大学を目指して40余年前に上京する前夜、母は私に忠告した。実家はお兄ちゃんが頑張っているので、偉くならなくてもいい、お金持ちにならなくてもいいが、警察のお世話にだけはならないでくれ、と。以来、お縄頂戴的な行為には、手を染めていないし、足を踏み入れてもいない。

あなたは、此処、初めてか?と聞かれて、びくびくしながら、ハイっと答えた。

敷地内を奥の方に移動して、いよいよ本格的に面接の受付をした。受付の反対側には、差入用の品物の売店があった。売店と言っても、60センチ角の窓口があるだけで、品物が店先に陳列しているわけではない。多分、この売店で買える品物は限定されているのだろう。

受付窓口の横の壁には、面接者に対する注意書きが張ってあった。手真似合図をしたり、暗号や隠語を用いないこと。共謀やあおり、そそのかしをしない。ビデオやカメラ、パソコン、録音機能付きのラジオ、危険物、動物を持ち込まない。外国語を必要以上に使わない、などなど。

他に、許可される未決差入品と受刑者差入品が別々に書いてあった。違いは判らなかった。未決とは未決囚のことだろう。

面会3号室に入ってください、と案内された。メモ用紙の持ち込みの許可を得た。透明ガラスを挟んで、私と元住民は対峙した。元住民側の部屋の広さは3畳ほど、斜め後ろに刑務官がメモ用紙を膝に置いて控えた。物を置いたり、書き物ができるように、20センチ幅のテーブル状の台がしつらえてあった。ガラスの下部には、10センチの幅で穴が適度に空いたボードがはめられていて、その穴から互いの声が聞こえる。

元住民は、私の顔をよく憶えていて、懐かしく思ったようだ。

此処に来た目的の伝えるべきことは、見つけたお金を此処に持ってきたこと、いつか、君の手元に届くだろう、ということだった。体に気をつけて、刑務官の言うことを、ちゃんと聞くんだぞ、と先輩らしく注意した。

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面会を終えて、差入れの受付に行った。差入れの品を書くカードを渡された。差入れするのはお金で、一万円札数枚と米ドル紙幣数枚だった。ここから、拘置所の対応が腑に落ちなくて、此処に書き留めて置きたくなった。それほど、不思議なことが続いたのだ。

差入れの品が、お金と物品によって、カードが違った。ここで、先ず驚かされたのは、此処では日本のお金はお金として預かりますが、米ドル紙幣はお金としてではなく、物品としてお預かりすることになります、とのことだった。

へえ、そうなんだ! ここでは米ドルはお金ではないんだ。

私が差入れた一万円札数枚の領収書だけは呉れた。上に貼り付けてあるのがそれです。宛先は山岡保、発行者は、横浜拘置支所歳入歳出外現金出納官吏 所属出納員、担当者の名前はなかった。領収書でなくて預り書でいいんでは、と言ったが、これでいいんです、とのことだった。

何で、領収書なんだろう?

そして、米100ドル紙幣数枚の差入れには、お金ではないので、領収書は発行できません、だった。でも、私は預けたのだから何らかの書類を貰っておかないと、後々貴所が受け取っていません、なんてことが起こったら、私はどうすればいいんですか、と食い下がった。せめて、私が書いた差入書の写しだけぐらいはくださいよ、と言っても、そんなものは出せません、とのこと。

受け取ったことを証明する書類は、発行しないし、コピーもくれなかった。

こんなことって、民間会社間の業務の世界ではあり得ないことだが、担当官たちは誰も、至って冷静だった。私は、よく解らない日本円だけの領収書しか貰えないまま、帰ることになった。

2012年4月23日月曜日

他人の気持ちは解らない

日経新聞のスポーツ欄に元西鉄ライオンズ、現在は野球評論家の豊田泰光さんの記事を読んで、ホッとした。

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米大リーグのレンジャーズの投手として初登板したダルビッシュ有投手が5失点ながらも初勝利をあげた。グラウンドを去るダルビッシュに、本拠地のファンはあたたかく、「デビュー戦としてはよくやった」とそんなニュアンスの拍手で見送った。

ところが、本人の心境は、こんな投球ではファンの期待に応えたことにならない。内心、忸怩(じくじ)たる思いがあったのだろう。5失点では面目ないと、自らの投球の不甲斐なさを悔いていたのだ。送られたファンの拍手に頭を上げて、手を振って、帽子を脱いで応えることができなかった。自分自身に納得できなかったのだ。

対戦相手のマリナーズのイチローがダルビッシュの後ろ姿を見ていて、気持ちはよくわかる、と同感していた、と他紙で知った。

もう一人は、ヤンキースの黒田博樹投手だ。開幕戦で9回途中まで無失点に抑えての降板に、観客席から賞賛の喝采を受けた。が、本人は「ワールドシリーズの最後の試合なら考えたかもしれないが」と言い、反応なく無表情でベンチに下がった。

ところが、二人の投手のことを新聞記事になった日の翌日のことだろう。06:15ころ、ニッポン放送の「朝ラジ」のパーソナリティー・高嶋秀武さんが、ダルビッシュや黒田に対して、新聞記事を根拠に、礼儀知らずだよなあ、日本人はどうして、こうなんだろう、黒田もそうだよな、なんで、観客に頭を下げて、応えられないのだろう、と力を込めて、喋っていた。下手なんだよなあ、表現するのが、と追い討ちをかけていた。こんなに応援してくれた観客に、何らかの感謝の表現をしないと失礼になる、とでも言いたいようだった。

この時間はいつも朝めし作成中、ニッポン放送を聞いている。

私は、この高橋秀武さんのコメントに違和感を感じた。本人が自分の投球に納得していないのだから、ええじゃないか、嬉しかったら喜ぶし、悔しかったら悔しい振りをするのが当たり前で、彼らは、嬉しくも何ともなかったのだから、ぶっきら棒だったのだ。それでええやん、ケ。選手には選手の思いがあって、観客は観客の思いがある、それで、ええやないか。

この放送があった日から数日後、201204??の日経新聞、スポーツ欄『”チェンジアップ” 帽子を脱がない覚悟』で、豊田泰光さんが、私の考えていたことを文字にしてくれていた。

この豊田翁とは2年前に、某生保の顧客招待会で、同じテーブルでご一緒したことがある。中西太や稲尾和久、面白い話をいっぱいしてくれた。お茶目な好々爺だった。彼の口から出る全ての話が興味深いものだった。

 

無愛想にみえようが、あれでいい。「俺はこんなものじゃない」という気持ちがあれば、ちょっとやそっとのことでは喜びを表さなくなる。それがプライドだ。

サンケイ時代に2試合連続で代打サヨナラ本塁打を放ったときは正直、私もうれしかった。しかし、あまりはしゃいでは安くみられるので、1人で飲みに行き、安い酒を注文した。「シャンパンで祝杯をあげたらしい」などの噂は必ず漏れ伝わるものだから、用心した。他人からみたらどうでもいいようなところに、プライドはある。

プライドを保つには日ごろの生活態度も重要で、あまりぺこぺこしては駄目だ。新人の年も、私はグラウンドの中でほとんど帽子を取らなかった。巨人の川上哲冶さんに会ったときも「こんにちは」と言っただけだったと思う。

先輩から「挨拶するときは帽子くらい取れ」と言われた。「それでヒットが打てますか。打てるなら先輩だっていくらでも脱ぐでしょう?」と言い返してやった。

妙にぺこぺこするやつが同期の仲間にいた。「おい、あの先輩にはさっきも挨拶してたぞ」と注意することも再三だった。その選手は2、3年でユニホームを脱いだ。シャッポを脱がないのにも意地と覚悟が必要で、そんなところから戦いは始まっている。

2012年4月21日土曜日

熊だって、自由になりたい

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20120421朝日・朝刊より。飼育施設から逃げ出し、射殺されたとみられるクマ。20日午後2時ごろ、猟友会員一条保さん提供

20120420 秋田県鹿角市八幡平の秋田八幡平クマ牧場で、熊が飼育施設から逃げ出して、女性飼育員2人を襲った。襲われた2人は、咬まれて即死という不幸な出来事だった。熊が、人間に牙(きば)を剥(む)いた。積年の恨みか?反逆に出たのでは、と直感した。

逃げたのは34頭のうちの6頭、敷地内の6箇所にある飼育施設のうち最大の施設で飼われていた。高さが4,5メートルほどの塀に囲まれているが、屋根はなく、雪が塀の上部付近まで積もっていた。この積もった雪の表面には熊の爪跡が残っていたことから、熊は、ここから、塀の外へ出たようだ。6頭は、地元の猟友会員に射殺された。

このニュースを聞いて、以前に考えていたことを思い起こした。

先ず、何で、クマ牧場なるものがあるのだろう?との疑問だ。

ちょっと前に、孫とよこはま動物園ズーラシアに行った。そこでは、生まれも育ちも違う動物たちが、なんとか、生まれ育った環境を再現して、自然のままに過ごせるような工夫を凝らしていた。それでも、当然、無理はある。

動物を檻の中に閉じ込めることは、動物の立場から考えれば、虐待されていることになり、人間が動物らを虐待しているのではないか、と考えるようになった。でも、それ以上は考えなかった。

そこに、今回の事件が発生した。

事実、今回、惨事があったクマ牧場の熊には十分な食糧を与えられず、雨露をしのぐ屋根もない悪い生活環境だった。第一、熊は集団生活を嫌う動物なのだ。熊たちには、相当なストレスがあったはずだ。

熊だって、望みもしないのに、見世物として、こんなコンクリートの塀の中で飼われたくない。おじいちゃんやおばあちゃん、お父さんやお母さんと一緒に、生まれて育った山野でのんびり暮らしたかった。そして、自由になりたい、自由に暮らしたい、人間による拘束から逃げたくなるのが、自然ではないのか。

咬まれて亡くなった人には気の毒だが、こんな施設を作って一泡吹かせてやろうと思った人こそ、熊に咬まればよかったのに、と言えば、私は善くない人間なのでしょうか。極端な言い方をしているのかもしれない。が、人間の都合で、動物と言えども拘束することは良くないと思う。このような施設がなくなること、作らないような気運が発生することを願う。

友人にこのような意見を言ったら、子どもを動物園に連れて行って、檻に入れられている動物を見れば、このように虐待するのが当然のように思ってしまうかもしれないよと言われた。それも一理ありだ。

近年、生(なま)血を一瞬に凍らせるような少年による凶悪事件が度々起こった。この少年たちの犯罪の兆しは、始めのうちは小動物の虐待で表れる。私の恐怖する白昼夢が、これ以上広がらないで欲しい。

キーボードを叩き終えたところで、サーカス団にいる動物たちのことに思い当たった。来月8日に、孫と二人で、小沢正原作のお芝居「目をさませ、トラゴロウ」を、練馬のブレヒトの芝居小屋に観に行くことになっている。その本の中のサーカス団の動物たちは、サーカス団の関係者から虐待を受けて、なんとか逃げ出して自由になった。

望みもしない衣装を身に纏い、スポットライトを浴び、人間さまの拍手や喝采を受ける動物たちは、鞭と飴によって強制的に鍛え上げられる。鮮やかな曲芸を、あなたは楽しめますか? 私にはどうしても楽しめない。

2012年4月20日金曜日

お騒がせな、鳩山元首相

鳩山由紀夫元首相が、またヘマをやってくれた。先のイラン訪問のことだ。

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鳩山元首相が、民主党や政府の要人から、イランに行くのは止めてもらいたい。そんな意見に聞き耳を持たず、行ってしまった。そうしたら、案の定、イランの思うド壷にはまってしまった。野田佳彦首相や藤村修官房長官は、行くなとは言えなくて、控えられた方がいいのでは、と言ったようだ。

何で、そこまで皆が反対しているのに、行きたがったのだろう。名誉欲、目立ちたがり屋、みんなに忘れられたくなかったの? それとも、彼特有の何かの使命感に駈られたのか。核開発について、イラン、シリア、北朝鮮は、世界じゅうの国が注目している国家だ。欧米が、特に米国が、一番危険な国家とみているのがイランなのだ。イスラエルの後ろ盾は米国だ。民主主義が成熟していない国家が、核を持つことほど恐ろしいことはない。

 

イランが発表した会談内容が、20120410の朝日新聞の記事になっていたので、そのまま転載させてもらう。

会談の真相は知る由もないが、イランの悪意に基づく捏造か、鳩山氏の言葉足らずによるミスか、イランがこの会談を利用したことは間違いない。今回のこのような事態は、誰もが懸念、危惧したことだった。

元首相と大統領の会談内容とは~

(大統領サイトから、英文抄訳) 大統領は、核兵器廃絶の必要性を強調したうえで、いかなる国も国の意思を他国に押しつけることはできないと語った。日本の首相は、IAEAはイランなど一部の国に二重基準を適用しており公正でないと批判した。

発表された「会談内容」が捏造で大変遺憾だと、記者会見で鳩山元首相は語った。そのいきさつをこれも、同じ朝日新聞の記事を転載させてもらう。

イラン側の発表にある「IAEAは二重基準」とは、核開発疑惑でイランやシリアが厳しく批判されているのに対し、イスラエルの核が承認されているのは「不公平だ」と主張してきたことを指す。イランの主張に日本の元首相も同調したということを強調する狙いがあるようだ。

ただ、鳩山氏は会見で「核不拡散条約(NPT)体制に入っていない核保有国が有利なのは承知しているが、非核の世界をつくる国際協力が必要だ」と述べたことを明かし、この発言が「二重基準」発言に使われた可能性も示唆した。

 

イランと日本は、首の皮一枚の「油」だけの経済交流。油だけだから、日本はイランに対して不思議なほど危機感はなく能天気なのだ。日本は米国とは立場が違うでは片づけられない、世界共通の問題だ。

鳩山氏は、民主党の元代表で元首相、現在は党の外交担当の最高顧問だそうだ。だから、政府としても頭が痛い。政府としての正式な外交行為ではないと、と言ってもね?

先の衆院選後のこと、時の幹事長だった小沢一郎は、小沢の肝いりで当選した新人議員ら大勢を引き連れて中国訪問したこともあった。恰も、自分の家来のようにして、自分の力を誇示したかったのだろう。この党は、何をしでかすかさっぱり、解らない。

この元首相に俺の怒りが再び湧き起こる。

先の衆院総選挙を民主党の代表として、党内論議も熟さないままの公約を並び立て、民主党は大勝した。全てはバラマキ政策だった。それからの政策のドンデン返し、未熟さゆえの国会運営の停滞、党内闘争の明け暮れ。二大政党の新しい枠組みで政策論争と期待したが、この政権交代は泥沼状態になってしまった。その先鋒が鳩山だ。首相の座を降りる際、総理大臣を経験した者は政界に影響力を残すべきでない、と議員を一旦は辞めると言った。私はホットしていたら、辞めるどころか、舌の根もか乾かないうちに色々出しゃばりだした。が、誰も聞き役にならないと知って、活動の領域を外交にした。外国では、元首相として扱ってくれるが、過去の愚・醜・失態を蒸し返すことはしない。

百害あって一利なしのこの男。1日50万円の子ども手当て男は、沖縄県民に対しても、どう思っているのだろうか。

地元後援会は、そんなくだらないことばっかりしてないで、北海道の選挙区に戻ってきなさい、と呼びかけたそうだが、この”宇宙人”には後援会員の言葉はどのように伝わったのだろうか。後援会員のみなさま、後援会離れをお勧めします。

鳩山さん、あなたは総理大臣を辞めるときに、総理大臣を経験した者は政界に影響力を残すべきでないと言い、政治から足を洗うが如く、述べたことを、もうお忘れなんですか。あなたが自ら感じられて、それからすっかり忘れてしまったようだが、政治は若い賢者らに任せて、大所高所からのご意見番はどうですか。

細川護煕元首相の爪の垢(あか)でも煎じて飲んでみては如何かな。

2012年4月15日日曜日

桜は、咲いて散った

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私が住んでいる安アパートの真裏に、上の写真のような大きな桜が数本ある小さな公園がある。休日に時々、その公園のベンチで、本や新聞、雑誌を読んで、午後ならビールか焼酎のお湯割りを、午前ならコーヒーを片手に時間を過ごす、私のお気に入りの場所だ。夏には上半身裸で、冬には使い捨てカイロを腹の後ろに忍ばせて。

20120412の木曜日、20:00、おでんの入ったユキヒラ鍋、とり皿、からし、お箸、そして缶ビールを、この公園のベンチに並べた。まだ花のツボミもあった。小さな葉の幼芽も出ていた。花冷えに冷えたビール。2週間ほど前のこと、高知で桜の開花があったと聞いて、桜前線はよちよち歩きの幼児の足取り並み、時速2~3キロで北上するので、まだまだと思っていたら、入学式の4月10日前後、一気に咲き出した。

一気に咲き出すのが桜だ。

そして、13日夜に雨が降って、散り始めた。そして翌日14日には花びらが吹雪になって散っていた。欧米では、咲き誇る盛りを大いに愛でる、が日本では咲き始めや散り際にこそ感慨を深める傾向がある。

一気に散るのも桜だ。

たまたま、この時期に私の心情は、メランコリーだった。昨年201101に私の身の上に経済的ショックが発生した。それから、2度目の桜だ。静かに大人しく粛々と生きてきた。それでも、桜の花は咲いて、散る。ただそれだけのことなのに、今年の私は異常に心が揺れた。無常観と言う奴にだ。

先日、このブログで書いたことを思い出した。劇作家の山崎正和さんが、東日本大震災について過去の震災との文化的な違いを、朝日新聞の記者とのインタービュで語っていた記事を抜粋してまとめた。そこでは、山崎氏が無常観のことを、鴨長明の「方丈記」を材に次のように語っていた。方丈記は鎌倉時代の、大火や飢饉、震災などを扱ったもので、吉田兼好の「徒然草」と並んで評される随筆だ。

人間と言うのは実に弱いものだという自覚。無常観に執着するのは仏の教えに反するので、執着してはいけない。日本人には、無常観を抱きつつ積極的に生きようとする不思議な伝統がある。

そんな文章を思い出しながら、散る桜吹雪をアパートの通路から眺めた。勿論、焼酎のお湯割りを片手に。15日、今日の公園は、散った桜の花が白いジュータンを広げたように真っ白になった。

明日は16日の月曜日。朝8:30から営業部の定例の打ち合わせだ。今月も半分は終わってしまった。

慎み深く、強く生きることだ。

2012年4月11日水曜日

こそ泥して、放火?

神奈川県のある街の中古住宅を見に行った。

弊社の生業(なりわい)は、中古住宅を仕入れて、その住宅に構造補強、設備仕様のチェックと変更、間取りの変更、その他の工事を施して、希望されるお客さまに買っていただくことだ。その仕入れ物件の現地調査に担当者、私、経営責任者の中さん、工事担当者と出向いた。

この物件は、数ヶ月前に泥棒が入って、奴らが逃げる際に火を点けて逃げたのですが、あなたたちの目で見て、あなたたちの会社で仕入れて貰えるか、壊すしかないのか、それを判断してください、と情報元の不動産会社の担当者から求められた。

その家は幹線道路に面していて、家の前は車や人の往来が頻繁だ。

外観は新築同様。建築してまだ3年も経っていないようだ。何棟かの分譲住宅のうちの1棟で、一番北側の端っこにあって、一番他人(ひと)目につき易い家だった。窓は黒いシートで目隠しがされていた。

応急で付けた南京錠を開けようとして、玄関扉の鍵が、サンダーのようなもので切られているのを、否応なしに目に入った。泥棒が家に侵入するために、鍵を壊すという小細工ではなく、切ったのだ。切れ目が激しいのは、大きなサンダーだからですよ、と工事担当者。浮いている物を、サンダーで切るのですから、さぞかし、大きな音が出たことだろう。人目もはばからず、なんと大胆不敵な盗っ人(ぬすっと)野郎なのだろう。

家の中に入った瞬間、酷(ひど)い状態に驚いた。懐中電灯を頼りに歩を進めた。失火による火災のように、火元と思われる箇所がない。満遍なく、表面的に燃えた跡というか、焦(こ)げた跡はあるが、柱や構造部分は石膏ボードなどの耐火機能が働いて燃えるまでには至っていなかった。なるほど、これが耐火、防火性能というものか、と改めて認識した。早期に発見できたのだろう、構造部分は燃えてなかった。

泥棒は、コソ泥作業の証拠隠滅のために、火焔の出る道具か機械で表面を焼いたようだ。外国のことは知らないが、日本においては、放火は、その悪質性において、窃盗や傷害とは大いに違って科せられる量刑は当然重い。

こんな泥棒は、きっと中国人ではないか、と工事担当者が推理した。中国人を差別したり、卑下している心算は毛頭ないが、日本の旧来のコソ泥の仕業(しわざ)ではない。少し前には、銀行のATM機を、盗んできた建設用重機を使って、ATM機そのものを、そのままごっそり運び去る事件が頻発した。主犯格は中国人だった。だから、今回、取り上げている住宅も、中国人がやったとは言い切れないことは承知している。

日本の普通の所帯では、自宅に多額のお金を置いておかない。このような住宅の購入者は、若く、子育ての最中の世代だ。手持ち資金は頭金として使い果たし、残金はローンを組む。

この家の所有者は、踏んだり蹴ったりの惨事に、さぞかし悲嘆にくれていることだろう。文句を言って行く場所が、見当たらない。警察では、それなりの調べと犯人探しはしてくれるだろうが、幸運に犯人が見つかったとしても、どうにもならん。火災保険は、再調達というか、元に戻すための建築工事費は補填してくれるだろうが、それだって、元に戻してまで住む気にはなれないだろう。又、狙われるのではないかと、心配になる。

そして、住宅ローンは、住めないんだから、払わなくてもいいかといえば、そうでもない。解体すれば、解体工事費がかかって、財産としての住居部分は無になる。それでも、、住宅ローンは払い続けなければならない。再建すればローンの増額になる。増額したローンを銀行が融資してくれるか、解らない。

その場所が嫌になったら、新たな住宅を買うか借りるかだ。ここでも、ローンか家賃が発生する。融資してくれても、くれなくても、ローン地獄まっしぐらだ。

こんな不幸な出来事は絶対、許してはいけない。余りにも、所有者の方には気の毒過ぎると思うが、これも現実なのだ。

弊社では、この物件を熟慮検討した結果、断念した。いつまで経っても、犯人グループに対する怒りは冷め遣らない。

ピナ・バウシュ

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20120224の朝日夕刊文化欄より

 

20120411、財布の中の領収書を整理していたら、入場券がでてきた。

20120325の日曜日、開映19:20、指定席H-13、映画館はヒューマントラストシネマ有楽町。割引 1400円とあった。

題名は、「Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」。

監督はヴィム・ヴェンダース

3D映像だった。

確かこの日は、経営責任者の中さんと、あっちこっちの中古住宅を見て廻って、最後に江ノ島の近くの海岸沿いのマンションに車で向かっていた時だった。夕日が沈みかけていた。友人からの携帯電話は、横浜駅界隈の焼き鳥屋で一杯やらないか、との誘いだった。この時間の酒の誘いは、条件反射で応じるようだ。パブロフの犬より反射的、否応なしだ。

マンションを見終わって、中さんには、すまないが仕事はこれまでにして辻堂駅まで送って欲しい、と頼んだ。そして、電車に揺られながら、ふと思いついたのが、ビールを飲む前に、二人共通の関心事であるピナ・バウシュの映画のことだった。二人が揃うのは、そうそうあるわけではない。実に久しぶりだったのだ。

メールで、急遽、酒を飲む前に、ピナ・バウシュの映画を観に行こうと連絡すると、オッケーの返信が間もなくあった。

映画が来るのは、去年の年末に、映画の興行会社の社長さんから知らされていた。ピナの映画の興行権を取得したとのことだった。その際、私とピナとの長いお付き合いを披露させてもらった。社長さんは、弊社の好(よ)き理解者で、何かとアドバイスをくださる。

JR有楽町駅で、19:10、友人と合流。腹が減ったまま映画館に入った。

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映画では、今まで観たプログラムが組み込まれていて、又、新たに感動した。でも、本物を、実物を、目の前で見た者には、少しばかり物足りなかった。そんな感慨を友人に漏らすと、当たり前だろう、と二言を継(つ)がせなかった。3Dで、かつ接写されたものは実に映画的で、それは別の意味で楽しめた。

人聞きなので未確認だが、ピナ・バウシュは、2009年、ガンを告知されて5日後のこと、舞踊団の新しいスタジオが完成して、その祝賀会の夜に亡くなったと聞いている。なんちゅう、散り際の清らかさよ。

映画の中の映像や、使われていた言葉は頭に残っても、この映画の鑑賞感想を、文章にできるほどの筆力を持ち合わせていない。

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踊り続けなさい、自分を見失わないために。

 

ピナとは何者だ、、、魂の奥まで見つめていた

彼女には、小手先の踊りなど、全く通用しなかった

五感を揺さぶり、肉体を刺激し、心を裸にする

悲しみ、怒り、泣き、笑い、そして叫び、彼女の手にかかれば、言葉など要らなかった

悲しみも喜びも、全て解き放す、、、

愛されたい衝動が、体を動かす、、、

私は信じたい、、、ピナは全てを置いて自由になった

 

20120224の朝日新聞、夕刊文化欄にこの映画について、映画評論家の中条省平さんの小論が載っていたので、これをマイファイルさせてもらう。

シネマ万華鏡

Pina

ダンサーの肉体 鮮烈

ピナ・バウシュはヴッパタール舞踊団を率いたドイツの天才ダンサーだ。監督ヴィム・ヴェンダースはピナの舞台の記録を3Dで撮ることを決意する。だが2009年、撮影開始2日前にピナは急死する。本作は、彼女の不在を乗りこえて、ヴェンダースが実現した独創的な舞台芸術のドキュメンタリーである。

今や3Dにも食傷気味だが、単なる見世物効果を追う多くの映画と違い、この作品の3Dには目を見張った、舞台に深い奥行きを作り出し、そこを縦横に動き回るダンサーたちの肉体を異様に鮮烈に捉えているからだ。ここには現実を超えるリアリティがあるといいたくなるほどだ。

クライマックスは「フルムーン」という舞台を再現した部分で、この作品では現実の水が大量に使われるのだが、役者の動きに、舞台装置、照明、カメラの移動、そして水の輝きが渾然一体となって絡み合い、実際の舞台を見てもこれほど生々しい物質的感触は得られないだろうと思う。

3Dの効果はそれだけではない。ピナがいないため、各々の役者が彼女の思い出を語るシーンが重要な役割を占めているが、その役者の顔と表情が3Dで恐ろしいほどリアルに迫ってくる。こうした静的な画面で3Dが大きな効果を発揮することを示しただけでも、本作の存在価値は高い。

ただ、作品の焦点が、ピナの舞台の再現、ピナの人間性の回想、ヴッパタールの活動の紹介、ダンサーの個人芸の提示に分裂して、映画としての統一像を結ぶに至っていないのも事実で、その点、ピナという中心の不在が響いている。

また、戸外の風景を3Dで撮るとすべてお伽噺のような非現実感が出てしまうところも気になった。ともあれ、映画の未来を考えるファンには必見の一作だ。

2012年4月8日日曜日

今日は、晴の春休み最後の日

20120404(水曜日)、今日は弊社の営業部の定休日。

そして、私の次女の長男、孫・晴の春休み最後の日だ。数日前に次女に電話をして、今度の水曜日は晴と遊びたいんだがどうだ、と打診してみたら、大いに歓迎する、との返答。それからの私は一日を楽しく過ごすための企画立てに没頭した。

そこで、次女に提案したのが、ドラえもんの映画だったが、それは簡単に却下された。お世話になっている社長さんの会社は映画の興行会社なのだ。晴はそのような映画には、もう興味を持たなくなっているらしい。喜ばしいのか、当然のことなのか解らない。

次女からの提案は、今、平泳ぎに夢中なので見てあげてよ、ということでゴミ焼却で出た熱を利用した狩場のプールに行った。10時から18時まで、時間無制限で大人は400円、子どもは100円。

驚くなかれ、私は快調に泳げた。バタフライ以外の全ての泳ぎで、25メートルプールを20往復した。そこまでは数えた。腕は抜き手で足はカエル風、顔を上げて泳ぐ古式泳法も孫に見せた。ジジイもなかなか、やるもんだ。晴もよく泳いだ。2~3年前までは、プールではもぐったり、私の背中に乗ったり、遊ぶことに夢中だったが、今は泳ぎに興味をもっている。

50分間は泳ぎ放し、そして1時間でプールを出た。まだ11時だというのに、腹を空(す)かした二人は、食堂で次女が作ってくれたお握りで昼飯。自販機でたこ焼きとドリンクを買った。

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明確な意志をもつ、元気な子どもだ。俺の自慢の孫だ。

児童公園では、梅や桜、菜の花が満開だった。池では老人仲間が10人ほどでクチボソを釣っていた。二つの竿を全員で交代していた。釣果、小さな缶の中は大漁を証明していた。カウンター機は17匹とあった。小さな魚は放(リリース)していた。エサはパンの切れ端を、鼻糞ほど小さく丸めて釣針につける。魚がエサを突っつけば直ぐになくなるので、しょっちゅう糸を引き上げて、エサの様子を見なければならない。

池にはカワセミがいた。太公望らからは遠く離れた池の端、二本の枯れ木が並ぶ、その1本の幹の先端にカワセミがとまっていた。魚影でも見つけば、今にも飛び突きそうな緊張した様子だ。池は浅いが、水中に潜(もぐ)って魚を捕まえる。通りかかったオバアちゃんが、あそこではカワセミのいい写真が撮れないんだよ、日光が反射してね。オジイさんたちが居なくなれば、もう少しこっちの方に出てくるので、そうすれば、いい写真が撮れるんだよ、と聞きたくもないのに、勝手に喋って、何処かへ行ってしまった。私らと離れる間際に、北島選手は偉いなあ、4度目のオリンピックに出るんだって、と言い置いた。

 

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この男の運命は如何に。今日は晴に元気を貰った。

カメラマンは、晴だ。

昨夜は友人から貰った菜の花を炒めて食った。ここにあるのは、施設の菜の花。勝手に採取して晩飯のおかずにはしてはいけません。ごもっともでござい、だ。

 

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この男の後ろ姿からは、いつもパワーを感じる。私は自分の幼少の頃を思い出す。

 

梅園だ。沢山の梅の花から、甘い香りがして気持ちいい。幾種類もの梅の木が植えられている。桜も桃も、梅も、今日は同じように咲いている。昨日、ソラちゃんと、ここに梅を見にきたんだと言っていた。ソラとは、私の長男の娘で、愛称はソラマメだ。晴の従妹(いとこ)だ。

それから移動、天王町の弊社に車を置いて近くの公園でサッカーをした。晴のキックの上達に舌を巻いた。本気で驚いた。右利きの晴が左足に力を込めて蹴れるようになった。私の失敗したキックに対しても、惜しみなく駆け出すさまは、もう、まともにサッカー選手だ。父にも、ジジイにも、やらされているという感じはない。

自律したサッカー少年になっていることが、嬉しかった。

弊社で水をガブガブ飲んだ。社員の行動予定を書き込むホワイトボードの隅っこに、今日のスイミングクラブは休みたい、と落書きしていた。夕方、5時からスイミングの予定が入っている、私はそれまでのお付き合いだ。

そして、本日最後のノルマは、イーハトーブの果樹園で金柑の採取だ。晴は、かって私がしつこく彼に言ったことを覚えていた。金柑、皮(かわ)食(く)て、実(み)、やろうか。金柑は実よりも皮の方が美味しいことを、祖母が私に教えたフレーズだ。

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柿の木の間に金柑。イーハトーブには金柑が3本あって、1本は久里浜の収益物件から、、他に和田町と鴨居の中古住宅から移植したものだ。今年は200個ほど採れた。今日はその残りだった。

 

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この男は、いつも可愛い仕種(しぐさ)をする。

金柑を20個ほど採った。家族へのささやかな土産だ。こんな、晴との春休み最後の休日だった。楽しかった。

守るな、逃げろ 山崎正和氏

20120309の朝日新聞に、劇作家の山崎正和さんが、タイトル=「震災国の私たち」として、インタビューを受けたものが記事になっていた。私なりに気が惹いた内容だったので、後日のためにも、ここはキープしておくべきだと考えた。

聞き手は編集委員の刀祢館正明氏だ。抜粋して転載させてもらった。

 

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戦後の日本見えた

外国人と助け合う

「守るな、逃げろ」

日本が近代化してから国民的打撃を与えた震災は、1923年9月1日の関東大震災、次いで95年1月17日の阪神・淡路大震災、そして昨年2011年3月11日の東日本大震災です。

この戦前の関東大震災と戦後の二つの大震災とは、政治的、社会的、文化的な点から見て非常に違う。

その違いとはーーー 関東大震災で顕著だったのは、異質者を排除しようという風潮でした。混乱の中で流言が広まり、朝鮮人や中国人への虐殺が起きた。それも一般の民衆によって。リベラルな機運や豊かで華やかな生活や文化を否定する風潮も広がった。震災は軽佻浮薄な国民に対する天罰だ、という天譴(てんけん)論が叫ばれ、渋沢栄一のような自由主義者まで同調した。「国民精神作興ニ関スル詔書」というものも出た。軍国主義的な思想の芽生えがあり、その後の全体主義への一里塚になったといえる。さらに興味深いのは「防災」という社会を守る考え方と「国防」という軍事的な思想が結託したことです。

戦後の阪神大震災ではーーー 戦前とはすっかり変わった。外国人に対しては、排外どころか自発的に助けようという運動が神戸で起きました。市民らがラジオ局を立ち上げ、被災した外国人のため外国語で放送したのも一例です。ただし、春の選抜高校野球を中止せよという議論が起きたり、バレンタインデーのチョコレートを自粛せよという声が沸き起こったりした。選抜は毎日新聞の英断で実施されたものの、チョコ自粛は神戸の製菓業界を直撃してしまいました。

そして、今度の東日本大震災では、外国人については、神戸どころではない。被災した会社の経営者たちが研修に来ていた中国人労働者たちを助けようと奔走した。いったん帰国しようとした外国人たちが一緒に再建に取り組みたいと戻ってきた、アジアから来た妻たちがお年寄りを助けたり共同体を守ったり、こういう話がたくさんあります。

関東大震災後と比べて、国内がすでに国際化し、人々が偏狭なナショナリズムを脱したことがはっきりした。文化やスポーツも大事だとは阪神のときは言いにくかったけれど、今回はそんなことはなかった。いや、逆に被災地のみなさんが喜んでくれた。もう一つ、明らかになった決定的な違いは「防災」という言葉が「減災」という言葉に置き換えられたことです。

大震災は大変不幸なことだったが、日本人の国際性、文化主義、平和主義という意味においては、ある種の理想の姿を見せた。ここは強調したい。

 

文明は磐石でない

無常観抱きながら

積極的に、地道に

日本では17年の間に2度も国家規模の、つまり国民全体が衝撃を受けた大震災をが起きた。この結果。日本人の中である種の無常観が目覚めたかも知れない。

無常観とはーーー 我々は決して磐石な文明の上に生きているわけではない。これだけ科学技術が進んでも勝てないものがある、人間というのは実に弱いものだ、という自覚です。まだ具体的な証拠はありませんが、人間の傲慢さというものを反省し始めているんじゃないだろうか。

日本人の場合、無常観を抱えたまま頑張るという不思議な伝統がある。いわば積極的無常観。それが戻ってきたのではないか。端的な例が鴨長明の「方丈記」です。鎌倉時代の随筆で、大火や飢饉、震災などを扱い、無常観の教科書といっていい。最後に何と書いてあるか。無常観に執着するのも仏の教えに反する、いっさい執着してはいけないのだから、無常観に執着するのもいけない。無常観を抱きつつ積極的に生きようとするわけです。

大震災はいつか必ずやってくる。それにもかかわらず、だれもヤケにも投げやりにもならず、「守るな 逃げろ」という非難訓練にまじめに参加している。阪神のときには被災者に「がんばれ」と言うなという雰囲気でしたが、今回は「がんばろう日本」とみんなで言っていますね。

文明や科学は進めば進むほど、逆に無常観をふくらませることがある。首都圏では4年以内に70%の可能性で直下型地震が起こる、という予測が出て、人々に無常観、不安感を抱かせることになる。だからといって東京の文化活動は萎縮していないし、政治に指導力は求められているものの、社会を軍隊組織のようにしようなどとバカなことを言う人は現れていません。

震災を予期した無常観を抱えながら、極めて地道に一つひとつ解決し前に進んでいく。そうやって生きていくと思います。

北朝鮮、人工衛星の打ち上げだって?

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20120401朝日新聞より

 

こんなことって、今時、あるんですか?

北朝鮮の朝鮮中央通信は、人工衛星の打ち上げ実験を行なうと発表した。ところが、人工衛星とは名ばかりで、実は長距離弾道ミサイルだそうだ。両者は元々目的が違うんだから、仕様も構造も全く別物の筈だが、あくまでも実用衛星「光明星3号」の打ち上げだと言って憚らない。よく解らん、話だ。

3月26日には、追いを打つように、同国の気象当局者が、今回の衛星打ち上げは、「農業をはじめ、人民経済に必要な天気予報の研究で大きな一歩を踏み出す歴史的出来事になる」、と位置付けたという、朝日新聞20120327の記事を見つけた。

27日、韓国ソウルで53カ国の首脳が参加する核安全保障サミットが開かれた。出席のために、韓国を訪問するオバマ米大統領が、南北の非武装地帯を訪問したこと、韓国が北朝鮮の核問題と併せてこの人工衛星?問題をサミットで取り上げることに反応して、拗(す)ねて見せたのか。いい加減にしろ。軽佻浮薄な国家め。

迷惑を被(こうむ)るのは、日本だ。弾道は、日本に向けられている。危険千万でこれほど理不尽なことを本気で実行しようとする国家が、堂々と、平気の平左衛門で存在することに憤る。怒髪天を突くだ。

 

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自衛隊の車両で市街地を移送されるPAC3=3日午後8時9分 沖縄県宮古市、上田潤撮影 20120404の朝日新聞より

 

やっかいなことに、この長距離弾道ミサイルが、万一発射された場合、ミサイルの一部の部品やミサイル本体が日本の領土・領海に落下するかもしれないとのことだ。

またまた、繰り返す。いい加減にしろ。

落下する場合、野田佳彦首相が主宰する安全保障会議で、防衛システムで迎撃する方針を固めた。「破壊措置命令」というらしい。これを受けて、沖縄本島と石垣、宮古両島に自衛隊の地対空誘導弾パトリオット3(PAC3)の配備を完了した。自衛隊はPAC3を沖縄県4ヶ所と首都圏3ヵ所に配備するとともに、海上配備型迎撃ミサイル(SM3)を搭載したイージス艦3隻を東シナ海と日本海に派遣した。米国も、先端移動式レーザー「SBX-1]をハワイ真珠湾から沖縄近海に向かっている。

日本の領土・領海に落下する場合は迎撃するというが、どの時点で打ち落とすのだろうか。知らないうちに、領海の何処かに落ちてしまっていたなんてことのないように、きちんと打ち落としてもらいたいものだ。ナめられて、堪(たま)るか。

このバカな国は、国家権力によって日本人の多くを拉致した。未だに、拉致した日本人を全員解放していない。

それにしても、日本の国内において、毅然とした抗議行動が起こらないのが不思議だ。日本政府こそ、露骨に声明を出すべきだ。経済制裁は当然のこと、食糧援助なんてもっての他、実行した場合は、国際法等でこの国を裁けないものか。国連の安全保障理事会で何を検討するというのか?

こんなやりたい放題の国は、断じて許せない。京都府宇治田原町立田原小学校から同町立維孝館中学校の3年生までずうっと一緒のクラスだった松岡春男君は、1965年前後、伏見工業高校を卒業後、突然北朝鮮に親に連れられて帰還した。クラスの名簿はあ行順で、私の前が彼だった。今、どのような生活をしているのだろうか。

 

ミサイル=Wikipediaに知恵を借りた。軍事兵器であり、なんらかの誘導に従って、自ら目標を攻撃する飛行装置である。ロケットやジェットエンジンなどを推進力に空中を飛行し、電子装置を用いて遠隔操縦や自律操縦によって目標に誘導される。

2012年4月6日金曜日

友人、コウのこと

  1. ジジイ、ぶちゃいよ、ぷっぷぅ!!


これは、私の友人・コウが私の顔を見たら、必ず私にぶつける慣用句で、ジジイ、臭いよ、屁(おなら)をぷっぷぅするのはやめてよ、ということだ。
自分で電話を掛けられないコウは、寝る前にこの慣用句を私に言いたくなって、わざわざ、中さんに電話を掛けさせる。

今回は、このコウのことだ。
長く一緒に仕事をしてきた中さんの次男と仲良くなった。この息子の名前がコウだ。仲良くなったなんて、ちょっと可笑しく聞こえるかもしれないが、その通り、実に愉快で怪態(関西弁=けったい)な話なのだ。
この年齢になって、ますます人恋しい私には、新しい友人の出現は、大いに刺激的だ。

この春、小学2年生になった男の子だ。
ダウン症で生まれてきた。小学校に入るまで、中さんは、コウに聴力が弱いことに気付かなかった。耳の穴が塞がっていて、音を感じとってなかったようなのだ。
そのために、言語を発声する機能の発達が遅れてしまった。中さんは、可哀相なことをした、と悔いている。

そのコウの母、中さんの奥さんが、体調を壊して生家で療養することになった。そのために中さんは、コウの学校への登下校を付き添い、放課後は会社に連れてくるようになった。そこから、コウと私の付き合いが始まったのだ。

先ずコウに対して、私のことをジジイと呼ばせようとした。
彼に話すたびに、私のことをジジイと繰り返したので、直ぐに私のことをジジイと覚えた。中さんのことは、当然パパだ。ジジイとは、コウにとっても発声し易い。

コウは、会社の内に居る時は、状況をよくわきまえて、重要な話し合いの最中には傍で静かに、父や父の話し相手の顔を見て大人しく横に座っている。社員が営業で外に出っ払った後では、気儘に、事務所の隅々で遊ぶのだが、この遊びが彼独特なのだ。

何故か、金庫のある場所がお気に入り。金庫の上にいつも置いてある団扇を、半分、骨だけになったものを振りかざして事務所内を歩く、その様子がまるで神主の態、周辺に弊社の日常とは違う雰囲気を醸(かも)しだす。そういう時に、営業活動が上手くいったという報告が、プロジェクトの現場から寄せられる。
特に、効果がてき面に出るのが、日曜日の夕方だ。不思議なくらい、いい話がどっと生まれる。

団扇をかざすコウの行動には、神々しく、私のような人間クサさがない。素(す)、そのものだ。人間さまを遠くに置き去ってきた風に彼は振舞う。それが、実に自然なのだ。

そして、そんな最中にも私を見つけると、ジジイ ぶちゃいよ、ぷっぷぅ、と体全体を捻(ひね)りながら、私にぶつける。そして、破顔、満面笑顔で、私の目を見つめるのだ。

コウとコウの兄 、中さんと私の4人が車に乗っていたときのことだ。コウの兄が屁を度々するのを中さんが咎(とが)めた、それが始まりの第一歩だ。父が兄に注意した言辞を、コウは俺に向かって転用したのだ。ジジイ ぶちゃいよ、ぷっぷぅ、と。
それから、コウは何回となく、私にぶつけるのだが、どんな状況下でも、そのフレーズは一字一句間違いなく定型なのが、私には不思議だ。

今日20120406も、朝、中さんがコウと学校に行くために一緒に家を出たところ、コウは学校へ行くなんてことは全然考えてなくて、中さんに、ジジイ ぶちゃいよ、ぷっぷぅ、と言って、会社に行こうとするんですよ、と中さんは言っていた。

久し振りにできた私の友人だ。このコウとの縁を大事にしたいと思う。