2017年10月28日土曜日

選挙も復習と予習が大切です

20171028の朝日新聞・朝刊の投書コーナー「声」に出ていた文章を、そのまま此処に転載させてもらった。題名は「選挙も復習と予習が大切です」、投稿者は商社顧問の山田宗一さん(茨城県 81)だ。

私だってこのブログに「衆院選に勝ったのは何か」、著名な細川護煕、濱野智史、大宅映子さんの考えていることを、朝日新聞の記事にしたものを、そのまま転載させてもらった。10月23日のことだ。私の考えていることも書かして貰ったが、頭の中がボヤーとして、気の利いたことを書けなかった。
このボヤーとしていた心の状態は、ブログを読んでいただければいいのですが、何是、選挙などしたのだとの疑いが晴れなかったのだ。

気に食わぬ気分を晴らすことなく、静かな日々を過ごしていた。衆院選挙のことを忘れようとしていた矢先、この山田さんの投稿記事を拝見して、やはりこのことは我輩にも大事なこと、真剣に身につけようと決意した。
山田さんは基本の基の部分を主張してくれている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
選挙も復習と予習が大切です
商社顧問 山田宗一(茨城県 81)

学校の勉強と同じく選挙も復習と予習が重要です。

復習では現政権が行ってきたことに対し、通信簿を付けましょう。公約はどの程度実現したのか、国会であまり審議せずに法案を強行採決していないか。解散が納得できる理由で行われたのか、首相の専権事項として恣意的に解散権が乱用されていないかなどを検証し、点数を付けましょう。

予習については、国の骨格を成す憲法について勉強しましょう。改憲、護憲という大雑把なくくりではなく、どこをどう変えるのか、その結果、将来どうなるのか、考えてみましょう。護憲についても、なぜ憲法を変えたらいけないのか。具体的な問題として勉強しましょう。

政策は、安全保障、経済、福祉など多岐にわたります。各候補者を選ぶ際は、自分が最も関心のある点を中心に検討し、自分の考えにより近い候補者を選択しましょう。

選挙はこのような復習と予習をしたうえで投票すべきです。メディアは、復習に必要な正確な情報を提供し、有権者が正確な通信簿を付けられるようにして欲しいと思います。

性懲(しょうこ)りもない

終戦後、無頼派とか新戯作派、デカダンと言われた人たちが、文学界に現れた。大学時代には、この手の人たちの作品を好んで読んだ。
太宰治、坂口安吾、田中英光、織田作之助、壇 一雄。そのなかで、関西で気を吐いた作家が織田作之助だ。壇 一雄氏以外は社会人になって全集を古本屋で購入した。
オダサクの作品で、記憶に残っているのは「夫婦善哉]「青春の逆説」だ。その「青春の逆説」を今再読中。
その本の中に、この「性懲りもない」が出てきた。
私も生家は京都と滋賀との国境(くにざかい)の小さな山村なので、この「性懲りもない」の意味はそれなりに理解できたけれど、果たして辞書等ではどのような説明がなされているのか調べてみた。
現在的な使い方ではなく、どちらかというと、江戸時代にはよく使われたそうだ。そんなことも調べて解ったこと。
余り皆さんに興味をそそらないかもしれないが、ちょっとだけは勉強になった。

・性懲りもない(しょうこりもない)
・性(しょう)もないない

★「性懲りもない」を類語辞書で調べた。
同じ過ちを繰り返しても、まったく改めようとしないさま。
類語、関連語、連想語を集めてみた。
懲りない、反省しない、後悔しない、学習しない。
この性もない、性懲りもないの性を「ショウ」と読ませたのは、江戸時代だそうだ。

★手元にある日本語大辞典(講談社)で、性(ショウ)を調べてみた。
①うまれつき。さが。たち。ひとがら。ー-ー気性、根性、本性、性分
性が合う。性の悪いやつ。苦労性。心配性。
②仏教で、物の本質。
③人の生年月日に五行を配し、その相性・相克で吉凶をきめるもの。
土の性。

・性に合う=他のある物事や人物に対して、生まれつきの性質や能力が、しっかり合う。

★この「性」は、「さが」とも読む。
①生まれつき。
なんぢが性のつたなきを泣け。(野ざらし紀行)
②ならわし。ならい。
浮世の性。

★「性」は「たち」とも読む。
「たち」は、「性分」と似たような意味合いで使われるが、「性分」よりも、その人が本来持っている性質、気質を強く表す。
①休日は家でじっとしていられないたちだ。
②父は怒りっぽいたちだ。

衆院選で勝ったのは何か



20171025の朝日新聞・朝刊で、細川護煕(もりひろ)・元首相と濱野智史(さとし)・社会学者、大宅映子・評論家の三氏が10月22日に行われた衆院選にて「勝ったのは何か」について発言していた。

その記事をここにそのまま転載させてもらった。私と三氏とは何もかも、ほぼ同感だった。
選挙が始まった時に感じたのは、何故、今に衆議院選挙なんだということだ。国民の大多数が悩み抜いている課題があるのか? あったとしたら、それは何なのか。
どの党の誰に投票していいのか解らない。自民党も希望の党も維新の会もこころ、社民、共産、公明のどの党も公約がいい加減? ハッキリしない、迎合、都合主義そのままだ。
にわかに結成された希望の党? これは貧困過ぎた。
立憲民主党は票を伸ばした。

国難突破解散って? 何が国難なんだ。安倍首相が考えている国難以外に、いっぱい国難が多い。このことについて、どの党もしっかりした発言がない。
平たく言えば、国民に言われるだけ言われた大義なき選挙だ。
本当に選挙をやらなくてはならない事柄がない。国会において、真剣に討議しなければならないことをいい加減に済まし、何だかんだと言って解散だ。これでは、選挙戦は面白くない。

そうしたら、野党のシッチャカメッチャカで、自民党に台頭できるまで票を集められなかった。 衆院選は自民党が大勝した。
安部内閣支持の一方で、不支持も多いと伝えられる。これは、何故?
野党分裂も情けない。新党を結成したのに、その党是さえできないまま闘った。そんな新党に公約なんか制定できない。

勝った自民・公明両党に安心して任せられない。野党だって、本当に負けたわけではない。
幸いにして、私が投票した候補者は当選した。彼が所属する党は思い切り勝った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
改革の機熟してはいない

細川護煕さん 元首相

誰が勝ったのか、よくわかりません。そもそも何のための解散だったのかがわからないのですから。森友、加計問題の追及から逃れると共に、野党第一党の党首交代などの混乱に乗じ、選挙を有利に運ぼうという安部晋三首相の魂胆が見え見えの暴挙でした。後世、憲政史の汚点と批判されかねません。

首相は憲法改正を目指すようですが、改憲に進む環境が整ったわけではないでしょう。公明党もまだ慎重に構えているし、簡単にはいかない。そもそもなぜ今やらなければならないのか。機が熟しているとは全く思いません。安部さんは本当に用心深くやっていかないと、ここでつまずきかねませんよ。

大義なき解散は実は野党にとって好機でした。(東京都知事の)小池(百合子)さんが希望の党の代表に就任した直後の一瞬は風が吹いたのですが、その後の混乱が台なしにしてしまいました。小池さんが昨年の知事選で大勝できたのは、彼女が自民党に排除されたことを見て、有権者が味方になってくれたからでした。にもかかわらず、今回自分が排除する側に回ってしまいました。それではうまくいくわけがありません。おごりがもたらした結果でしょう。

そもそも新党を設立するときはまず事務所を立ち上げ、スタッフを集めないと選挙などできません。私が日本新党を立ち上げた当時の状況を、一緒にいた小池さんは見ていたはずなのに、生かされていませんでした。
民進党や希望の党の騒ぎで、野党は何をごちゃごちゃやっているのかと有権者の失望を招いたことも大きかったでしょう。前から頼りにならないと思っていたところにますます不信感が募った。これは自民党にしかない、という空気が強まったのでしょう。

唯一の救いは、枝野(幸男)さんの立憲民主党が野党第一党の地位を得たことでしょう。安部自民党がおざなりにしている、個人の権利や自由や平和を大切にする戦後保守の伝統につながっています。中道から寛容な戦後保守までを含みうる幅広さ、包摂力を持っています。1993年の最初の選挙の際に埼玉・大宮に応援に行った時は全く人が集まらず、「この人、大丈夫か」と思いましたが、今回花が開いたのだからこの機に飛躍してもらいたいですね。ただ、政権をとるには、自民の穏健な保守中道勢力とも連携する必要があるでしょう。

今回の自民党の勝利は、細川内閣で導入した小選挙区制によるものでした。政権交代が実現するように小選挙区があっていいと思いますが、比例区との比率は現在62%対38%。当初案は50%ずつでした。多様な民意を反映させるためにはやはりイーブンが適当で、できるだけ早く改正すべきです。
(聞き手・磯貝秀俊)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昭和の利益誘導なお強固

濱野智史さん 社会学者

そこそこ若い世代の一人として、勝ったのは「昭和」だと私は思います。昭和時代に自民党が作り上げた、地元や業界への利益誘導に元づく集票システムを超える政治基盤が、本当にはないんだな、ということがむなしく確認できました。そういう意味では死後なお、田中角栄が勝っているのかもしれません。

日本はもともと、外圧でもないと変化の起きにくい島でした。黒船が来たから仕方なく近代化し、形だけ民主主義をやり始めたけれど、革命のあったフランスや南北戦争のあった米国のように、過酷な歴史を経て有権者に根づいた意識もない。だから日本の政治は、「民主主義ごっこ」のような一種の借り物でした。

戦後、その「民主主義ごっこ」を日本流の利益分配システムに仕立て上げたのが、自民党であり角栄でした。その結果、組織票か、地元でずっと応援しているから、という利害と惰性中心で、政策は二の次という支持基盤が強固になりました。都市型無党派層の私から見ると、今回の結果は既得権益に頼る地方の人々が作り上げた分配システムの勝利にしか見えないのです。

今回は、それに代わる投票行動の流れをつくりうるインターネット選挙の活用もみられました。結党まもない立憲民主党がツイッターやユーチューブを使って支持を伸ばし、一定の成果は見られた。でも、あれだけ盛り上がっても獲得したのは55議席で、自民の284議席には到底及ばない。そしてネット全体の状況をみれば、批判の応酬や炎上ばかりで、今後まともな言論プラットフォームとして機能する道筋は見通せません。

さらに、自民党以外に現実的に政権を担える勢力もなく、「仮に北朝鮮と戦争になっても、日米で連携して負けないで」と思って投票した人も意外に多かったはず。「投票して何かが変わるわけでもないだろう」というニヒリズムから棄権する層が多かったという要素も加わり、自民党が大勝しました。

少子高齢化が進む日本は、抜本的な手を打たないと、今後は国として国際競争力で「負ける」一方になりかねない下り坂の状況にあります。だから中国は、変わろうとしなかった日本をみて、「勝った」と安堵しているかもしれない。2020年以降は、日本はおそらく今の延命措置のままでは立ちゆかなくなる。

そうなると若い世代の中には選挙の棄権どころか、日本人をやめようかな、といった感覚が強まりかねないと思います。ネット時代は、映画やプログラミングの能力があれば国際に関係なく仕事ができる。若者が「変われない昭和のシステム」に絶望して日本脱出を始める前にこの政治へのニヒリズムを何とかしないと、本当にまずいと思います。
(聞き手・吉川啓一郎)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
政策後回し敗れた「未来」

大宅映子さん 評論家

戦後これほどぐちゃぐちゃな選挙はなかったのではないでしょうか。公約、候補者、テレビなどメディアのすべてがぐちゃぐちゃ。結果、有権者は政策の良し悪しより政権の安定を選んだだけです。

自民党候補に入れた有権者たちも、自民党は支持するが安部さんを信認したわけではないでしょう。独善的で、「日本のエネルギーは多様性、ダイバーシティーから生まれてくる」と言いながら、多様な価値観や生き方を排除し、異なるものは威嚇までする安部さんの手法に、否定的な保守の人は少なくない。

先の都議選で「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言ったのが象徴的ですが、ヤジにはヤジでやり返すのは、とても日本国の総理大臣のあるべき姿ではありません。要は人間ができていない、大人になりきれていないし、なろうと研鑽を積んでいるようにも見えません。

開票が進む中、安部さんは苦虫をかみつぶしたような表情で、「やったやった」というような高揚感を感じませんでした。しかし、本音なのかは大きな疑問符がつきます。国会で森友・加計問題が追及されれば、またぞろ、ムキになって反論するでしょう。

立憲民主党が躍進したことを評価する人たちがいますが、だからといって、自民党政権の対抗軸に枝野さんたちがなる図式は見えません。今度の選挙で評価できることがあるとすれば、寄り合い所帯だった民進党の区分けがはっきりできたことだけです。

小池さんが「排除いたします」と言ったことが批判されますが、いずれは、違いをはっきりさせなければならないことでした。むしろ、前原代表が唱えた希望の党への合流を民進党が満場一致で承認したことこそ、最も信じられない出来事でした。主義や信念の違いを度外視して、単に議席を維持できればいい、という議員根性が露骨でした。

議員のご都合主義、浅ましさが、有権者にはっきり示されたことで、一瞬希望の党に吹きかけた「風」がなぎ、逆風になって返ってきました。

今回ほど政策の是非が論じられなかった選挙もありません。安部さんは「国難突破解散」とぶち上げましたが、北朝鮮情勢も少子高齢化も、ずっと前からわかっていたことです。大体、危機だったら選挙で外交を2週間もお留守にしていいわけがありません。

一方で、借金が1千兆円もありながら安部さんは高齢者の福祉を削らずに子育ての資金を拡充すると言いだし、野党は消費税増税を凍結すると言い出す大衆迎合ぶり。これを正面から批判しないテレビにも大きな責任があります。

今回、勝者はいません。むしろ解決すべき課題を放り出したことで、未来の日本が敗者として刻まれた選挙です。
(聞き手 編集委員・駒野剛)


2017年10月21日土曜日

懲役人の告発

我が家のさみしい改築で、本棚を移動し併せて本の整理もした。
これから、もう一度読みたくなると思わる1000冊だけを残して、それ以外の本は古本屋に売ったり友人にプレゼントした。
残された本の題名を読んで、妻と子供だけでなく、孫までが、ジジイの読んでいる本は何是、こんなに暗いものばかりなの、と驚く。
言われてみて、それなりに暗い題名ばかりなのに、私だって驚いた。そんなことはしょうがないと諦めて、再読を始めている。
暫らくは、新刊書には手を出さないと腹を決めた。

今は「懲役人の告発」だ。著者は椎名麟三
  送料無料/状態良/昭48発行 懲役人の告発 椎名麟三 新潮社/aa5607

昭和の40年代の初めごろに出版されたものだから、読んだのは、私が社会人になって、そんなに日が経っていない頃だ。
この本で、今になって大騒動しているのは、田舎に居た時に私にくっついて離れなかった枡が呉れたことだ。枡は去年、死んだ。
俺はバスケット部、枡はバレー部。3歳か4歳の後輩だ。
その彼が、昨年、ぽっくり死んだのだ。病状のことは、何も知らされていなかった。
20年前帰郷した折、田舎では少し高地になっている高尾(こうの)まで
生家から散歩した。高尾は、平家の落人が住みついた村落だ。
病み付きのように歩く彼は、山岡さん、俺は苦しいよと悲鳴を上げていた。その頃に、どこか遣(や)られていたのだろうか。
それが体のどこかの調子の悪さが原因だったなんて、露ほども想像していなかった。
それからも、彼が電話をくれる度に、横浜へ遊びに来いよと気楽に誘っていた。振り返ると、その度にどこそこが悪いんですと訴えていた。他人の健康のことに、厭に無関心なのが、この俺なんだ。
悪いことをしたものだと、謝っている。その枡とのことは、きっといつか話す機会があるだろう。

大学のクラブ活動で苦労、切磋琢磨していた私に、何とか、苦しい人の話を主題にした物語を読ませて、何とか元気にさせようと思ったのだろう。
体力も技術も生半可な私なのに、頑張ることは頑張っていた。
そして、偉そうに誰彼構わずに、お前も頑張れよなんて、気楽に言っていた。
しかし、私の現実は余りにも残酷だった。部の誰よりも技量が無かった。だが、精神力は人一倍強かった。
実はこの本を現在読んでいる最中だが、表紙の裏部分に枡の人名の署名があった。
この署名を読んで、約50年前から去年までのことを腹這いになって思い出した。
選りによって題名「懲役人の告発」には吃驚した。
当時、興味深く読んだことだろうが、内容については記憶はない。
学生時代にあっちゃこっちゃのデモに参加しては、苦しい顔をしていたことに彼は気を揉んでくれたのだろうか、それにしても、この本の題名だけは記憶があった。
枡は俺に、本の力を借りて、絶望、罪、虚無に喘(あえ)ぐことの大きく強い意味を教えようとしたのだろうか。
クラブでの活躍については、精神的には克己、自尊心を鼓舞していた。

この物語の最後の表現が、この物語の重大なことを述べている。
本書より。
焼き場の林はそこに見えていた。だがおれは重く曇った空が立ち枯れして死んだ木々の何百本という槍のようにとがった梢に、鋭く刺されているのを見ていたのである。
この焼き場の風景は、この世の終わり、終末の風景を意味している。
この光景が、小説の半ばで出てくる「墓場」や「首のない黒い犬」のイメージとして理解すればいいのだろうか。難しい。

主人公の交通事故がこの物語の初めだ。
主人公のおれは、かって交通事故で12歳の少女を轢(ひ)き殺した。金属労務者だった。
執行猶予なしの懲役4か月の刑を受けた。
おれは「その時、おれは死んだ」と観念した。その罪の悔悟のまま、人生への絶望と共に生きることを覚悟したのだろう。
刑務所を出たものの、今の生活は暗澹たるものだ。こんなに汚れた社会とおれの人生はこのままの状態から抜け切れないのだろうか。被害者の家族には毎月ささやかな金額だけれど、迷惑料を払い続けている。
おれは本当の自由を見つけたいのだ。

物語の端々で多く「墓場」が出てくる。
墓場は死のイメージ、人生の終わりか。それと、「首のない黒い犬」がしばしば登場する。この首のない黒い犬から、人生の虚無の象徴、絶望の中、無味乾燥の日常生活にも慣れ、懲役人のような暮らしからどうしても逃げられない。
この首のない黒い犬が、物語の進捗するなかで、主人公のおれの前に現れる。
墓場、首のない黒い犬の出現が、物語の行く末にどうなるのか危ぶまれる。
それよりも、気が引き込まれるのは本の題名「懲役人の告発」の懲役人だ。確かにおれは懲役人だけれども、小説の本筋は決して懲役人ではない。
懲役が言葉通りの懲役ではなく、懲役がイメージする社会やそれぞれの人間にとって、人生が悲惨なのだと問いかけてくる。
おれの人生は懲役みたいなものだ。

筋道はそれほどややこしい話ではない。単純なものだ。
おれの父兄弟は不思議、奇天烈な関係だった。
戦前は、家父長制のもとで、育った兄(おれの父)は戦後、株の投機に失敗し、公金にも手を出し、役場から免職された。馴染みの小料理屋のおかみと小さな駄菓子屋をやっている。福子はこのおかみの連れ子だ。貧乏だった。
一方、弟(おれの叔父)は、両親の放任によって卑屈になっていた。が、金属加工の町工場を作り成長していた。
おれは、交通事故後、この叔父さんの工場で働いていた。
事故前には恋人がいて、違う工場で働いていた。
どういう訳か、兄嫁が産んだおれは、弟夫婦の工場で働くことになった。
それから兄嫁の子供の福子は、弟夫婦が見受けしていた。
福子は、兄嫁の連れ子。
そのうち兄弟関係の仲が悪くなり、福子を兄夫婦が、自分たちに返せと言い出した。
その返せの意向は強く、何かの哀しい出来事が起こらないことを心配していた。

弟がおれを、福子を追い求める兄から救うために、福子のボデーガードをさせた。
ところが、おれが気づかないうちに、兄が学校にいる福子を連れ出し、行く方が解らなくなった。泊まりの旅館にて、父が自分の子供である福子を強姦した。福子を殺して、警察に自首すると言う。これはどういうことだ? 何故だ。
兄弟の実家に連れていかれた福子は、今度は弟に空気銃で殺された。何故?どうして殺したんだ? 何故だ?。
そして、弟は川に入水自殺をした。どうして殺したんだ? 何故だ?。
この「何故?」の意味が解らない。

福子の葬儀。
遺体をパンクしたリヤカーに載せ、畑の道を、白痴の子供が読経に合わせて、間の抜けた「ソーレン、ヤーイ」の声と共に行列した。

現実の不条理を前に、人間はどのように救われるのだろうか。
行き場のない人生を、どのように突き進めるられるのか。


2017年10月16日月曜日

五代友厚と安倍晋三?

20171015の朝日新聞の編集委員・曽我 豪氏の
「日曜に想う」 「衆院選 ソップが教えること」を読んでいて、私にとってはどうしても興味のない今回の衆院選について、教えられることが多いにあった。
それで、机の中に仕舞ってあった新聞記事や、私が思いついたことをここに書いた。
今回の選挙では、何だかんだと、吾輩の頭はついていけないのだ。

その記事とは。
この政局でも明らかになったように、相手の非論理性をたたいて力をそごうと願えば、ブーメランのごとく己の非論理性が問われる。背中の袋や自分の運命が見えなくなるのは常道ではない形でたたきのめそうとするからだ。
結果残るのは政党政治そのものへの不信だけだ。

やられたらやり返せはまだある。

自身の疑惑と改憲戦略をリセットするため、政権が時ならぬ解散に打って出たのは確かに常道でなく奇策だ。
ただ、それを逆手にとり、「一強」打破だけを旗印にこれまでの政治路線や政策を度外視して新党へ走り走らせようとしたのも同じく常道ではない。
排除の論理を他人に課す者はやがて皮肉にも、自らが排除の論理にさらされる日が来るものだ。

選挙は結局勝てば官軍だと身もふたもないことをいうなら、普段の政治論議の積み重ねなど意味がない。
有権者が審判の力を発揮できる政権選択選挙が刹那的な瞬間芸で決まっていいはずもない。わが国のことわざにもあるではないか。

人を呪わば穴二つ。

この選挙で政党政治の姿が大きく変貌する可能性が出てきた。
安保法制体制を支持し改憲を志向する保守と異議を申し立てるリベラル。
とりわけ保守は、複数の党に分かれ、公明党という中道を抱えつつも、総体として3分の2を大きく超える新たな力を得るかもしれない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまでが、20171015の「日曜に想う」だ。



20171014の毎日新聞の記事と、高校時代に習った日本史の一部を思い出したり、現在の衆議院選挙のはじまりの一コマを考えさせられたり、勉強になった。


衆院選、改憲加速かすむ論戦  護憲派の候補者は語らない
毎日新聞14日発信。
今回の衆院選の始まりから、現在の各政党の状態を告げている。
憲法が争点の一つとなっている今回の衆院選。
自民党は自衛隊明記を掲げ、公明党は加憲の立場、希望の党、日本維新の会も改憲論議に前向きだ。対して、立憲民主党は安保法制を前提とした9条改正に否定的で、共産、社民両党は改憲に反対する。
改憲に肯定的な勢力が国会発議に必要な「3分の2」を維持すれば、選挙後に動きが加速することも予想される。
護憲派の市民団体は危機感を隠さず、改憲の必要性を訴えてきた団体は歓迎している。
五代は、日本近代市場成立の立役者として、「東の渋沢(栄一)西の五代(友厚)」と並べ称されてた。五代は維新後壊滅状態に陥った大阪経済界に、近代市場システムを導入し、再び発展させた。

先ずは、天声人語に出てきた五代友厚とは。
先生からは、この人は経済人としては並み並みならぬ御仁でしたが、教科書には触れていないので、後日、君たちは機会に恵まれて、このお人のことを知ることになるでしょう、と言うことだった。
今から55年前の高校時代の日本史の授業でのことだ。
そして、五代友厚が成し得た事案が、与党の党首として今闘っている衆議院選挙に入るまでの安部信三首相の仕事に、余りにも似ている部分が面白く表記されていたので、爆笑してしまった。
森友学園や加計学園問題だ。
問題になっている詳細については、みなさん、よくご存知のことだ。
経済人としては立派な人だったけれど、人にはいろんなことがあるもんだ。
褒章人の裏側には、人さまには話したくないことや、話せられないこともある。裏側の事件には、本人の五代友厚以外に、大隈重信がいたり伊藤博文が活躍する。
大隈氏には学校でお世話になった。お陰さまで、一人前にさせてもらった。
伊藤氏は、学校を卒業して入社した会社の所有物の滄浪閣の御主人さまだった。伊藤氏の別邸だった。
私は大磯のプール・ホテルを経営する会社の社員だったので、よく仕事にでかけた。原宿の本社に転勤になるまで、大磯地域で3度夏を経験した。
住んでいたアパートは海の傍、会社が経営していたゴルフ場の直ぐ近(ちか)くだった。
日露戦争後、初代韓国統監となったが、ハルビンで韓国の独立運動家の安重根(あんじゅうこん)に暗殺される。国道1号線の大磯駅の傍に、統監という交通信号がある。


この裏側というのは、開拓使官有物払い下げ事件のことだ。
北海道開拓使長官の黒田清隆が開拓使官有物を同郷薩摩の政商五代友厚らの関西貿易商会に安値・無利子で払い下げることを決定したところ、世論の厳しい批判を浴び、払い下げ中止になった。
1881年(明治14年)、明治十四の政変のきっかけとなり、伊藤博文が大隈重信を政府から追放した。
黒田長官は、事業には私利で動かない官吏出身者であるべきだと主張し、事業が赤字であったことを理由に、非常な安値をつけた。
払い下げの対象は、船舶、倉庫、農園、炭鉱、ビール、工場などで、およそ1400万円の費用を投じたものを39万円(無利息30年賦)で、払い下げることになった。


------------------------------------------------------
天声人語(20171014)

五代友厚と聞くと俳優ディーン・フジオカさんが浮ぶ。昨春まで放映されたnhkドラマ「あさが来た」の印象はいまも濃い。大阪に造幣局や商工会議所を設立した近代大阪経済の父である。

その批評が地に落ちたことがある。明治14(1881)年の開拓使官有物払下げ事件。政府が10年で国費1400万円を投じた北海道内の工場や鉱山など一切を売却し、五代のかかわる新会社が一括38万円で買い取る手はずだった。無利子の30年賦という便宜もついた。

開拓使長官は五代と同じ薩摩出身。新聞2紙がこれを暴く。薩摩・長州勢が牛耳る政府に対し、「国家の私物化」だと怒りが広がり、藩閥政治を倒すべく国会開設を求める声が高まった。薩長政府は五代側への払い下げを断念し、10年以内に国会を置くと誓う。

だが薩長もしたたかである。「新聞にリークした」とみて実力者大隈重信を同じ日に罷免する。これで薩長が政争を制し、支配を強める。

古い話をくだくだしく書いたのは、いまの政局に重なって見えるからだ。始まりは国有地の廉価売却。メディアが批判し、野党が追及した。困った首相は衆院を解散する。一強政治に陰りが見えたが、いまや「自民が単独過半数の勢い」。各紙の調査結果に驚く。

「仮令(たとい)失敗しても産を空(むなし)くするも、国家国民を幸福ならしむることを得ば余が望(のぞみ)は足れり」。五代は北海道の将来を見ていた。政府の開拓事業は軒並み赤字だったという。そこに五代ならではの義侠に似た志を感じる。

2017年10月10日火曜日

『(新釈) 走れメロス』

2007年3月に発行された森見登美彦の『〈新釈〉走れメロス他四編』の『〈新釈)走れメロス』を読んだ。発行は祥伝社。購入したのは約15年前。
この本は私の宝の在庫品だ。

   新釈走れメロス 他四篇

太宰治のメロスとの一番の違いは、主人公の走る理由だ。
メロスは制限時間内に行って帰ってくることを目的にしているが、芽野はまったく逆だ。逃げ切ることが肝心、それが目的だ。当然、こういう目的だってあるだろう、と気ままに読みだした。

メロスは処刑されることになっていた。王様に無礼なことをしたので、その罰として自らの命を差し出した。
ところが芽野は、図書館警察の長官から「ブリーフ一丁で踊ることから逃げることを選んだ。

久々に大学に行った芽野は、学園祭のため講義が休みであることを知る。京大での話だと思ったが、この時代に学園祭なんて言葉を使ったのだろうか。
所属する「詭弁論部」が、部室を奪われたことに激怒し、図書館警察の長官に文句を言う。

屁理屈を言う人、よくわからない理論を言う人の集まりが詭弁論部だ。このような道を選んだ物好きたちの流刑地と言われていたかもしれない。


長官は「ブリーフ一丁で踊るなら部室を返してやる」と提案する。
この長官の思惑は何だったのだろうか。長官にも長官しか解らない理屈があったのだろう。
何をぬかす長官め。
よく理解できないことを聞かされた芽野は、「姉の結婚式に出席する」と嘘をついて京都の街を逃げ回る。何故、このような嘘であると直ぐに判る嘘をついたのだろうか。そして、友人の芦名は身代わりに拘束された。芦名の心境は如何だったか。

こんな部活に所属しているのだから、芽野は「約束を守らないことが友情の証」だと考え、ブリーフ踊りから逃げ切ることだと考えた。
ところが、芦名は「期待を裏切ることが友情」なんて、すごく奇妙な友情の形だが、「これこそが俺たちの友情だ」と考えていた。
こういう気配りも、やはりきっと友情的なのでしょう。

芽野には姉がいないことを、身代りの親友・芦名は知っていた。
このことを知った長官は、何が何でも芽野を徒(と)っ捕(つか)まえて、真実を知りたがった。それ以上に、芽野に交わした約束を守らせようと躍起になる。

芽野をブリーフ一丁で、ステージで踊らせるんだ。

身代わりで残された芹名から、芽野が嘘をついていることを知った長官は、なんとしても野を捕まえて約束を守らせようとした。
この芽野探しの探偵ごっこが、この物語の半分。電車やバス、走歩での追いかけっこは、命がけのように凄まじいものだった。

逃げ切っただろうと思いだした頃、長く会っていなかった彼女に、偶然久しぶりに会った。その折、彼女のアパートでの仕種に騙された。長官の仲間に拘束され、そして長官のいる大学の構内に連れていかれた。

嫌がる芽野はステージに上がり踊る。そして何故か、芹名も踊る。

友情で結ばれた芽野、芦名、長官の三人は、明るい照明の中、優雅に黙々と踊り続けた。
踊りの後、誰も見ていないステージの上で三人は、顔を突き合わせ赤面した。
この赤面した者たちは、友情について解り合えた

図書館警察の長官は、クライマックスでこう語ります。
「お前たちのやりたいことがようやく分かったよ。友情とは僕が考えていたよりも不可解で、決して一筋縄でいくものではなかったのだね。でもそれは僕が本当の友というものを知らなかったからだ。そこで一つ頼みがある。どうか、僕も仲間に入れてくれないか」

『新釈 走れメロス』は理解するのが困難でありながら、でもそれは間違いなく本物の「友情の物語」であるのだ。

それにしても、難しい物語だった。

2017年10月8日日曜日

少年刑務所に船員養成所

6日の朝日新聞・夕刊の1面の記事にお~お~と慶んだ。
同時に、もっと大きな題字の記事にも狂ったほどに慶んだ。嬉しくなった。
新聞記事をそのまま転載させていただきます。

その1。
世の中には温哀色々な出来事はあるが、哀しい話には悲しみをもって、嬉しいことには歓喜の涙をもって受け応える。
少年刑務所に船員を養成する科があることを知った。私の郷里の田舎友達が、何処でどうなったのか知る由もないが、少年刑務所にお世話になった者がいた。
少しばかりの行儀の悪い仲間と付き合い、果てにはそのような結果になったようだが、私には田舎での好い友人だったが。そんな友人を思い出してしまった。

そして、大学時代の友人も何処かの飲み屋からの帰りに乗ったタクシーの運転手と、タクシーの走路と乗車料でもめた。乗っていたのは友人とラグビーの選手だった。
その時のもたもたゴトの内容は、聞きもしないし、友人は話そうとしない。それは、それはしょうがないこととして、すまそう。
結果は警察のお世話になることになるが、友人が得た苦しみは計り知れない。
暫らくの拘束後、友人を飲み屋で共通の仲間たちが集まって、名もない宴会をした。
その時、九州・熊本から、友人の母も同席された。母は、皆にこの子を今後もよろしくと頭を下げられた。この子を、田舎では、東京ルンペンって言っているんですよ、と屈託なかった。



その2。
ノーベル平和賞に「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)に決まったとの報道だ。これは、核の廃絶を真剣に望む国や地方を管理・代表する機関だ。
当たり前の機関だと、高(たか)を括(くく)っていた俺はアホだったのだろうか。広島、長崎の被爆者、死病者たちのことを、今こそ真剣に考えなくてはならないのだ。その機関がノーベル平和賞だ。よかった、よかったでは澄まない話だ。
先日、共同代表の日本人が、この賞は広島や長崎の被爆者たちやこの主旨に賛同していただいた皆様がいただいた物ですよ、と話された。
この賞には、世界の多くの人たちの悲願を叶えようとしたものなのだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
★その1の記事。
再出発「海の男」になる
函館少年刑務所に船員養成船
北の海で受刑者たちが「海の男」としての再出発を期し、船を操っている。函館少年刑務所「少年北海丸」。刑務所で船員を養成する国内唯一の実習船だ。高齢化に悩む漁業や船舶業の関係者も熱い視線を送っている。

訓練生、出所後の目標に
「釣り舟らしきボート、500メートル先左へ進む!」。8月上旬、函館港を出港した「少年北海丸」の操舵室。双眼鏡を構えた見張りが近くを航行する船を見つけて声を上げると、操舵輪を握る訓練生が「おもかじいっぱーい!」とかじを切った。

舟を操るのは全国の刑務所から志望して集まった船舶職員科の25~50歳の男性受刑者11人。航海法規などの授業や函館港内での航行訓練に加え、夏は夜間訓練としてスルメイカ漁にも出る。訓練時間は1年間で約1500時間に及ぶ。

多くの職業訓練では受刑者同士の会話は原則禁止。だが海の上では互いに声をかけ合い、息の合ったチームワークが求められる。

この日、見張り役として船の右舷に立った男性受刑者(44)は薬物の元売人だ。
「なんとなく仕事が見つかるといいな」と軽い気持ちで参加した。次第に船の魅力にとりつかれ、今は「覚えることがたくさんあって大変。でも知れば知るほど船の仕事っておもしろい」と感じている。「出所後は遠洋漁業の仕事がしたい」という具体的な目標も生まれた。「厳しい環境に身を置いて、刑務所の中での5年間を取り返したい」。

刑務官の指導にも力が入る。工藤正人刑務官(42)は当初、訓練生を見て「塀の外に出られるといった興味本位で参加しているな」と感じた。だが3か月の訓練を経て、訓練生の顔つきが変わってきたように思う。「船の仕事をしたいと語る訓練生が多くなってきた。部屋に帰ってからも熱心に勉強している」と感心する。

鈴木幹英機関長(52)も「理解が進むにつれ興味が湧いて積極性も生まれている。集団の中で働くことで自己の役割を認識してきている」と感じる。この日、声かけを怠った訓練生に声を荒げた。それも、成長を期待しての親心だ。

人手不足を補う
船員を志す受刑者の存在は、人手不足や高齢化に悩む漁業界や船舶業界から注目されている。

就業者数が減り続けている漁業界。農林水産省の統計では、2016年は10年前から約5万人減り約16万人だった。高齢化率は上昇傾向にあり、16年は4割近くが65歳以上だった。小規模経営の漁業者を中心に後継者不足も深刻だという。

漁業の就業支援を行う一般社団法人「全国漁業就業者確保育成センター」(東京)は3年前から、船舶職員科の訓練生への講和を行っている。今年6月、同センターや水産庁、漁業会社の担当者らが、函館少年刑務所で漁業の雇用形態や海技士免許が生かせる漁業について説明した。質疑応答では、全ての質問に応えられないほど多くの質問が寄せられた。

講和を担った同センターの馬上敦子事務課長は、訓練生全員が「将来、船の仕事をしたい」と手を挙げたことに驚いた。「本気度が伝わり、心強い」と話す。

即戦力を育成
全国各地の刑務所では、人手不足が深刻な業界で即戦力として働ける職業訓練に力を入れている。

「フォークリフト運転科」がある刑務所は13年度に4か所、現在は23か所で訓練を実施。鉄筋やコンクリートの工事について学ぶ「建設く体工事科」は今年度1か所増えて7か所に。介護福祉士になるための実務者研修ができる介護福祉科は15か所にある。

法務省矯正局の担当者は「雇用者のニーズに応じて拡大を図っていく」と話している。

(坂東慎一郎)




写真の説明/上、少年北海丸=函館少年刑務所提供
下、実習で教官(手前左)から航行の仕方などを学ぶ受刑者ら=8月7日、北海道函館市、白井伸洋撮影

函館少年刑務所
1869(明治2)年に函館開拓使出張所内に函館徒刑場として設置。1943年に現在の名称に。同年9月、太平洋戦争の戦局拡大に伴い、人手不足の海運界へ海員を送り出す「北海海員養成道場」を所内に開設。全国から集まった受刑者を海員に養成した。戦後、職業訓練機関として58年に船舶職員科を設置。未成年に限らず、今年10月現在で刑期10年未満の男性受刑者約700人を収容している。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

★その2の記事。
今年の各種のノーベル賞が発表されている。
今日6日の朝日新聞・夕刊では、ノーベル平和賞の受賞が決まったのは、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)に決まったと報道した。

ベアトリス・フィン事務局長は6日、朝日新聞の単独取材に応じ、核兵器禁止条約の発効について「2018年末という野心的なゴールを持っている」と述べ、来年中の発効を目指す考えを示した。

条約の発効には50か国の署名・批准が必要。すでに50か国以上が署名しており、これらの国々が批准手続きを達成すれば90日で発行することから、「18年中」との目標を設定したという。

国連のグテーレス事務総長は6日、「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICA)のノーベル平和賞受賞決定を「祝福する」との声明を発表した。