2011年12月31日土曜日

湯たんぽに、驚き

私がこの冬を迎えるのに、暖気をとる方法は、酒を飲むか、厚着をするか、風呂に入るかの三つしか方法がなかった。

エアコンは初夏、電器量販店で格安(48,500円)のものをチラシを握り締めて買ってきたが、東日本大地震による福島原発事故の影響で節電を求められ、ここにきて生活費の節約という抜き差しならぬことも加わって、ほとんど使っていない。だけど、寒さは厳しくなるばかりで、此の頃は、ちょっとは使わざるを得ない。それども、1日に2時間以上は使っていません。

そんな日々、冬至のことだ。100円ショップにうどんの乾麺を買いに行った際、店先のワゴンに山のように積んで置いてあった湯たんぽを見つけた。プラスチックのちっぽけな物だった。こんなもので役に立つのかな、と半信半疑のままレジを通した。湯は、たったのコーヒーカップ1杯分しか入らない。真っ赤でハート型。湯たんぽを納める厚手の布でできた巾着風の袋つきだ。

今まで湯たんぽを使ったことはない。子どもの頃は、タドンの入ったコタツだった。

100円なら、騙されたと思っていれば、諦めやすく、嫌になっても捨てればいい、と安易に考えた。

ところが、この小さい湯たんぽが効(利)くんだ。

湯たんぽは中国語では「湯湯婆」と書くらしい。婆は妻のこと。妻を抱いて寝ると温かいことから、このような字並びになったのだろうか。学研社の新国語大辞典には『「たんぽ」は「湯婆」の唐音』とあった。漢字の先輩国、中国は正直だ。「たんぽ」と平仮名ではよく解らない。

就寝前、10時に湯を入れて布団に忍ばせておくと、私の起床時間の4時までは温かい。建物には断熱工事は施され、使っている布団や毛布はかってよりも保温能力はいいのだろうが、それにしても4時まで保温を維持できるのには、感嘆した。私の当初の目論見を、完全に翻したのだから。

夜明け、その微(かす)かに残った温かみに触れると、気分までホッとする。室温は低いのに、何故か、顔が緩む。

そして、今月の26日、横浜市瀬谷区本郷で取得した中古住宅の残置物の撤去に行って、その家の押入れに丁寧に仕舞ってあった湯たんぽを見つけた。昔懐かしいブリキの湯たんぽだ。残置物は以前の所有者が放棄したもので、頂くことにした。これだけの大きさなら相当の熱量を長く持続するのだろう、と想像した。

そして、100円ショップで買ってきたものと、今回の本格的昔からお馴染みのブリキのを比較を試みた。

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左がブリキ製の湯たんぽで、縦30センチ

湯たんぽを使おうと思い立った最初の動機は節電から、それから金欠へと重点は変わっていくが、何よりも維持費が安価でなければナラン、それに使い勝手だ。試した結果、100円ショップものの方が優秀だった。100円ショップものはなんてたって簡便で、効果の方も温熱においても引けをとらない。その点、ブリキの方はと言えば、お湯を別途沸かさなければならない、それも少し多い目に、そして布で包むのだが、これには多少は手がかかる。ストーブやコンロの直火で温めることも可能だが、これは大層過ぎる。

どこに保温性の秘密があるのだろうか。容器は多種類あって、密閉されていることはどの種類も同じ。要は水の保温性を最大に活かして、容器には余り関係ないようだ。とりあえず保温性の高い布で包むことだ。

適度に温かく、乾燥しない。中国人が表意文字とした”湯湯婆”を、なるほどと納得した。

快適だ。

2011年12月29日木曜日

新しい会社が、仲間入り

 

私と25年来の付き合いのある不動産会社の経営者・淳さんが、廃業するというので、その会社を譲り受けることになった。

社歴は約20年、地道に仕事をされてきたが、数年前に胃がんを患い、完全回復したとは言え、健康上の不安は消えず、経営を断念されることになった。それで、弊社がその引き受け手になった。

私の年齢ぐらいの経営者のなかには、事業承継について悩んでいる経営者が多いと聞くが、私について言えば、常々承継しなくてはならない事態に至っても、困らないように備える習性が、身についている。創った会社は永遠でありたいと強く願うからだ。経営者も働く仲間も同じ願いだ。

譲渡してくれた友人と、譲受された私どもは極めてスムーズに事務手続きを済ませ、来春からの新規営業活動の準備に入っている。商法、会社法、税法、宅建取引法の法定手続きのことだ。

この会社には、金融機関からの支援も得られそうだ。新しいスタッフを新規採用することで、厚生労働省から補助金が出そうだ。その手続きも準備中だ。営業ノウハウは、長年、積み重ねてきているので、心配御無用。

それで、前の経営者から社名を変更して欲しいと申し出があったので、この年末年始の休暇中に決めようと思っている。これは、山岡の専管事項だ。幾つかの思いつきはあるが、そのストックの中でも、これっかなと思っているのが、「アルファ」だ。

私を懇意にして下さっている東京1部上場会社の社長さんが、約15年前にその会社の関連会社として設立して命名されたのが、アルファハウジングだったのです。この会社とも長く付き合いをさせていただいたが、その会社は発展的に親会社に吸収合併されてなくなったのだ。その会社の社名が頭から離れなかった。

アルファは、ギリシャ語のアルファベットの最初の1字で、大文字はA,小文字はα。英語表記ではALPHAだ。

ヨーロッパで用いられている代表的な文字は「ローマ文字」「ギリシャ文字」「ロシア文字」の3つだ。そして、ローマ文字はギリシャ文字がローマで手が加えられ、ローマ文字になった。ロシア文字も親はギリシャア文字だ。

それでは、頭がアルファなら、その次は、並みな発想ではハウスとかハウジングなのだろうが、我々はビルドに、ここでもう一度踏ん張ってみたい、と思っているのだが、皆の意見も聞かなくっちゃイカンなあ。

弊社が扱う商品には、必ず我々の叡智を集約、工夫を凝らした”ビルド”を加わえて付加価値を発生させている。そして、多くのユーザーに円滑に流通させることだ。

2011年12月28日水曜日

柏レイソル

本日、28日から弊社は年末年始の休暇に入った。一人会社に出て、マイコンピューターを整理していたら、原稿のまま投稿していない、この原稿を見つけて、随分遅れての公開をした。この当時、きっと何かで忙しかったのだろう。

サッカーのJリーグ1部(J1)は3日、今季の最終節があり、柏レイソルが初優勝した。

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J1優勝を決め喜ぶ柏の選手たち=3日夕、さいたま市緑区の埼玉スタジアム 西畑志朗撮影

J2からJ1に昇格した1年目で優勝したチームは史上初めてのことだ。首位でこの日を迎えた柏は埼玉スタジアムで浦和レッズに3-1で快勝し、23勝8敗3分けで勝ち点72で逃げ切った。

この3日まで、3チームが優勝の可能性があった。2連覇を狙った2位名古屋は新潟に勝って2位。ガ大阪は清水に逆転勝ちして3位。柏は、来季のアジア・チャンピオンリーグ(ACL)で初めて出場権を獲得。名古屋とガ大阪も出場が確定した。

8日に愛知・豊田スタジアムで開幕するクラブワールドカップに開催国枠で出場する。

20111204の朝日新聞の記事から、今季の最終戦になった浦和との試合内容等を抜粋して転載させてもらった。後日のためにマイファイルしておきたい。写真も全て西畑志朗さんが撮影して紙上に掲載されたものを、盗撮しました。スマン、ご協力有難う御座いました。

柏レイソルの前身の日立(製作所)サッカー部には格別の想いがあるのです。

40余年前、私は大学のサッカー部に所属していて、月に1度か2度、日立サッカースクールで子どもたちにサッカーを教えるアルバイトをしていた。大学の先輩でコーチでもあった吉さんが、このスクールの現場の責任者だったのです。アルバイト料は約3時間で、交通費込みで5000円程もらった。この額は確かではないが、比較的短時間の割には高額だったように思う。この収入は私にとって、垂涎(すいえん)、値千金だった。胸に黒字でHITACHIと書かれた黄色いユニフーム、黄色いパンツ、黄色いストッキング。

又、当時日立サッカー部の常設のグラウンドは吉祥寺で、私たちのグラウンドは東伏見だった。まさに隣近所だ。監督の高橋幸辰さんとコーチの胡崇人さんが、私たちの大学の先輩だったので、その親近感は深かった。そんな関係で、東伏見のグラウンドでは、公式の試合がない限り、毎週練習試合をした。1本30分の試合を何本も、暗くなるまでやった。当時、日立サッカー部は「走る日立」の準備期間だったように思われた。

今回の柏レイソルの試合運びを観ていると、それからの日立サッカー部の全盛時代の動きを彷彿させるものがあった。そのように観たのは、私一人だったかもしれないのだが。そんなことを思い出しながら、焼酎を何杯も飲んでしまった。三菱重工や、古河電工、ヤンマー、東洋工業(マツダ)、藤和不動産よりも、日立に郷愁を覚えるのだ。

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堅守浸透  危機の芽摘む

指揮官「レギュラーは11人じゃない」

柏3ー1浦和

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(前半38分、柏・橋本22は2点目のゴールを決め喜ぶ 西畑志朗撮影)

ここ2試合、途中出場に回っていた茨田(ばらだ)が先発に名を連ねた。ネルシーニョ監督は「守備もいいが、攻撃力のある選手」と起用の理由を明かす。

その茨田が試合を決める3点目を挙げた。J1初ゴール。20歳のボランチは大事な試合で決定的な仕事をした。

久々の先発や、途中交代で起用された選手が活躍してチームを救う。今季、柏で何度も繰り返されてきた光景だ。

ネルシーニョ監督の口癖は「レギュラーは11人じゃない」。日々の練習から選手の動きをつぶさに観察する。調子のよしあし、精神状態など鋭く見極め、出場選手を決める。誰一人としてポジションを約束された選手などいない。全力で練習に取り組まなければ、昨日の先発は明日の控えだ。

きつい練習で鍛えられたスタミナは抜群。運動量が落ちがちな後半16分以降の得点は全65点中半数を超える34点に達した。

選手全員が戦術を理解しているのも特長だ。特に守りの意識は高く、この日、浦和に打たれたシュートはわずかに4本。ピンチを未然に防ぐ試合ができた。

殊勲の茨田はいった。「誰が出ても同じサッカーができる」。優勝を決める試合でも新しいヒーローが誕生し、浦和を圧倒した。柏らしい試合で初栄冠を手にした。

(有吉正徳)

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(後半31分、柏・茨田(中央)は3点目のゴールを決め、ベンチに向かって駆け出す)

 

昇格1年目の衝撃

J1昇格初年度に優勝。史上初の衝撃をどう受け止めればいいのか。

まず思い浮かぶのは、サッカー界では存外に難しい「継続は力なり」という言葉。2009年7月に就任したネルシ-ニョ監督はJ1残留の使命を果たせず、J2降格。

結果が出なければ監督のクビをすげ替えるのはサッカー界の日常だが、「目指すサッカーは間違っていない」とフロントは監督を続投させた。

監督、選手、フロントが同じ方向を向いたチームは強い。昨季、J2で36戦2敗と独走して自身を深めた。格下が相手だから1戦ごとに目先を変えず、主体的にチーム作りを遂行できた。昇格1年目としては一昨季も広島が4位、昨季もセ大阪が3位と躍進した。J2の舞台をうまく利用してチームの土台を築き上げてJ1に乗り込んだのだ。

「他のJ1勢は何をやっているのか」という声も聞こえてくる。ACLで日本勢が準決勝にもたどりつけなかった通り、強豪と呼ばれるクラブが安定した力を発揮したとは言い切れない。最近は主軸が相次いで欧州に渡り、日本のクラブはチーム作りがますます難しくなっている。

ACLとの両立がなかった点で有利な面はあったが、柏は最後まで戦い方がぶれず、王者にふさわしいチームに成長した。現時点で日本代表ゼロのチームが攻守でよくまとまり、見ていて面白いサッカーを表現した。来年20年目を迎えるJリーグ全体にも大きな刺激になる。

(内海 亮)

 

 

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柏レイソルをJ1優勝に導いた

ネルシーニョさん(61)

優れた戦術家だ。劣勢をわずか一手で優勢に変えてみせる。8月の川崎フロンターレ戦は、その典型だった。2点リードされたところで一度に2人の選手交代を行うと、チームは勢いを得て、一気に3点を入れて逆転勝ちした。

時間があれば対戦チームのビデオを見ている。抑えるべき特長はどこか、弱点はないか。抜群の分析力が的確な戦術を生む。

「選手だった頃、何人かの偉大な監督の下でプレーできた。選手としての能力に限界があったが、それを補う方法を教えられた。今の私の基礎になっている」

本名はネルソン・バチスタ・ジュニオール。ブラジル・サンパウロ州で生まれた。現役時代のポジションは右サイドバック。しっかりした守備をベースにする柏のチーム作りは現役時代に培わされた。

冷徹な分析家でありながら気配りも細かい。選手たちから絶大な信頼を得る理由だ。北朝鮮代表の安英学(アンヨンハ)選手は控えに回ることが多く、今季はわずか2試合しか出場していない。それでも「選手を平等に見てくれる。ちゃんと練習をしていれば必ずチャンスをくれる」と話す。

Jリーグを率いるのはヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)、名古屋グランパスに続き、3チーム目だが、年間優勝は初めてだ。「1回で終わらないよう、これからも勝ち続けた」

(文・有吉正徳 写真・小川智)

 

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日経新聞

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柏革命/J1初制覇

意識変え器を整える  フロント改革、経営を効率化

編集委員・吉田誠一

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(Jリーグアウェーズで壇上に登場した柏イレブン)

2008年夏、柏から監督就任の要請を受けたネルシーニョが気にしたのは「どんな選手がそろっているか」ではなかった。交渉に当たった強化本部統括ディレクター小見幸隆に、「自分を支えてくれるフロントはそろっているか」と尋ねたという。

ネルシーニョは「チームとフロントが一体とならなければ勝てない」と考える。この思想がクラブに及ぼしたものは大きいが、それ以前の06年から柏はフロントの改革に着手していた。

「チームが勝てないのは会社の責任であると、全職員が認識することから始めた」と常務の寺坂利之は話す。「どんなにいい選手がいても、クラブの器が整っていなかったら、力を発揮してもらえない」

06年から支持者の声を聞く場として、サポーターズカンファレンスとイエローハウスを開催。クラブが抱える課題を洗い出し始めた。「サイン会などイベントが減っている」「子ども連れが観戦しやすい席を設けて欲しい」「芝の状態が良くないのでは」「強化担当者は成績不振の責任を取らないのか」---。

2ヶ月に一度のイエローハウスの参加者は30人以上のこともあれば、1人だったこともある。議事録は公式サイトで公開し、ほかに「ご意見メール」も受け付けている。すべての要望には応えられないが、クラブが取り組んでいることの成果の確認の場にもなる。

器の整備の軸は当然、経営基盤の強化になる。今期予算の収入は27億3000万円で、J1の中では中規模。寺坂は「収入を急激に増やすのは簡単ではない」と踏む一方で、「今期予算で17億7000万円のチーム人件費をなるべく高くしたい」と考える。

「一般経費をできる限り削って、できれば30億円の売上げで、その70%をチームに投じられるようにしたい」。グッズ直営店の閉店で2000万円を削り、入場券の販路の限定で経費を半減。スカウト職をなくし、普及コーチを減らした。

一時的なサービスの低下の懸念はあるが、「まずはコンパクトで効率的な経営を目指す。その中でチーム人件費を高く保って、魅力あるチームをつくり、入場料収入を増やす。それから、おもてなしの質を上げていきたい」と寺坂は言う。

今春には親会社の日立製作所から日立柏サッカー場を譲渡してもらい、現物出資という形で1億円に増資し、債務超過を解消した。

日立専務の中村豊明の発案で、不動産鑑定士がスタジアムの評価額を10億円としたため、資本金を除く9億円は資本準備金とした。スタジアムは現在、3000席を増築中で、来春から1万5000人が入場できるようになる。

ネルシーニョは寺坂に「自分たちを卑下しないでほしい」と諭したという。かっての柏には「我々はこのくらいで十分」という中流意識があったかもしれない。その甘えを溶かしたことが出発点となり。「すべてはクラブのために」という使命感が生まれ、全スタッフの視線が一つに定まり、クラブの総合力が上がった。

 

最後まで優勝が可能だった名古屋は、新潟との最終戦において、一度も勝てなかったアウェーでスコアーは1点差の1-0だが、試合内容においては完勝した。名古屋らしい攻撃サッカーを貫徹した。ケネデイは19得点で2年連続の得点王になった。

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(最終節に勝利するも逆転優勝を逃し、悔しさをにじませる名古屋の選手たち)

 

もう1チーム、ガ大阪は清水に3-1で勝った。勝たなければ、ガ大阪に優勝の可能性は生まれなかった。そして勝った、が、優勝はできなかった。

10年間指揮を執った西野監督の表情は穏やかだった。78得点はリーグトップ。攻撃的な姿勢を貫いた西野サッカーの終演だった。

2011年12月24日土曜日

和田、匠の技に期待する

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写真は、Wikipediaより拝借

12月20日、ダルビッシュ有(25)は、ポスティング(入札)制度でテキサス・レンジャーズが交渉権を得たと発表された。日本が代表するピッチャーだ。最速156キロ。さどかし、契約交渉金は高額なんだろう。年俸も目が飛び出すほどの高額な筈だ。それは、それで結構なことだ。松坂や黒田のように直球主体の本格派投手だ。

ところが、どっこい、ここに和田毅がいる。

今シーズン、オリオールズに入団が決まった。小さなテークバックで球の出どころが見えづらい投法が、どれほどメジャーの強打者のタイミングを外せるか、我々の興味は増すばかりだ。

入団するオリオールズのチーム防御率が、昨シーズン、メジャー30球団で最悪だった投手陣の立て直しの役目がかかっている。求められ、望まれ、期待されている。

和田君よ、働く環境は十二分に用意された。やるっきゃないぞ。世の中の誰よりも君の成功を祈っている。

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朝日朝刊

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EYE/和田 匠の技で開拓を

編集委員/西村欣也

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彼の後ろに新しい道ができるのではないだろうか。ソフトバンクから海外フリーエージェント(FA)でメジャーリーグのボルティモア・オリオールズに移る和田毅のことだ。

速球の平均は135キロほどだ。メジャー基準には遠く及ばない。体も華奢(きゃしゃ)な部類だ。しかし、彼には他の投手にはない大きな武器がある。

左腕で、球の出どころが極端に分りづらい。これは早大時代、友人のトレーナーと徹底的に研究しつくして生まれたものだ、それまで、「怪物」といわれた江川卓が持っていた東京六大学記録通算443奪三振を大きく上回る476奪三振を記録した。

スピードガンの球速表示が低くても、三振がとれる、メジャーでは珍しいタイプの投手。だからオリオールズの入団会見で和田はきっぱり言った。「僕は空振りをとってきた自負がある」。

思い浮かべるのはボストン・レッドソックスのテイム・ウェイクフィールドだ。速球は130キロほどで、あとはナックルボールで三振の山を築いていく。ヤンキース時代の松井秀喜が最も苦手にしていた投手の一人だった。

「どうして打てないの」と松井にぶすつけに聞いたことがる。「だって、練習できないんですよ。だれもあんな球、投げられないんだもの」。

和田の出どころの見えない球も、他の投手にはまねできない。匠の技がメジャーでの新しい道を開拓してくれることを願っている。

 

 

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嬉しい、岡田の中国進出

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日本サッカーの前代表監督だった岡田武史氏(55)が、今月15日、中国の杭州緑城足球倶楽部の監督に就任する契約をした。Jリーグで優勝経験のある日本人監督が海外のプロチームで指揮を執るのは、岡田氏が初めてだ。期間は来年1月からシーズンが終わる11月まで。

杭州緑城は、今シーズン、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)に初出場したものの、1次リーグで敗退。国内1部リーグ(中国サッカー・スパーリーグ)では、16チーム中8位の成績だった。

岡田氏は、日本の代表監督としてワールドカップ(W杯)で2回指揮を執った。1回目の1998年フランス大会では、本戦のグループリーグで1勝1敗1分、勝ち点4で決勝トーナメント進出を狙うとしていたが、3戦全敗で敗退。

2回目の2010年南アフリカ大会では、ベスト4を目標にしていた。本戦では、日本サッカー史上初のベスト8進出をかけたパラグアイ代表との決勝トーナメント1回戦は、90分では決着つかず、延長戦でも決着つかず、0-0のままPK戦に突入。結果、3-5で敗北した。目標は叶わなかったが、海外で開かれたW杯で、初めて決勝進出に導いた。ベスト16位だった。

Jリーグの監督としては、2003年から横浜F・マリノスをリーグ2連覇に導いた。その前には、1999年J2に降格したコンサドーレ札幌に就任。1年目は5位に終わったが、2年目にはJ1に復帰、翌年はJ1で11位で残留、そして退任した。

これだけの実績を引っさげての”岡田の中国進出”だ。

今や、経済でもスポーツでも、何でもかんでも、強大国中国だ。岡田氏の狙いは、Jリーグでの競り合いで右往左往するよりも、しがらみのない新天地で、アジアや世界に、新興国中国の旋風を吹かせたいと思ったのだろう。海外での最初の腕試しの場としては、一番最適だと判断したのだ。中国サッカーのフィジカル、技術もレベルは相当なものだと聞く。資金も鱈腹持っていて、今後容赦なく選手を集めるのだろうか。これァ、日本も兜の紐を締め直さなくては、イカン。

是非、ACLでJリーグのチームと競い合って欲しい。杭州緑城の幹部は岡田氏に選手を育ててもらいたいと話している。

私は、この岡田氏の中国進出を嬉しく思う。日本サッカー界にもいい刺激になることは明白だ。

それに、嬉しいこと序(つい)でに追記しておかなくてはならないことが、先日の新聞報道で知った。

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元日本代表主将で、J1神戸のDF宮本恒靖氏(34)が19日、神戸市内で現役引退の記者会見を開き、その席上、今後欧州でFIFAが運営しているスポーツ学に関する大学院で学びながら、欧州の指導者資格取得も見据える、と話した。FIFAマスターとは「スポーツに関する組織論、歴史・哲学、法律についての国際修士」のことだ。

この男は、日本代表ではU-17からA代表に至るまで全てのカテゴリでキャップテンを務めてきた、並みの男ではない。宮本の将来にも注目したい。私はかって、デフェンダーだったからかもしれないが、正直、A代表だったときの宮本のプレーについては、常にハラハラドキドキ、全幅の信頼をしていなかった。いっつも不安だった。それでも、彼はよく頑張っていた。

日本のサッカー選手が海外で活躍しているのを見るに、嬉しくって堪らない。それに加えて今度は、指導者として活躍の場を世界に求めていこうとする彼らを頼もしく感じる。

岡田武史氏や宮本恒靖氏のように、新たな分野に足を踏み入れようとしている人たちが居てこそ、優秀な人材が育つのだ。後進のためにも頑張って欲しい。

2011年12月19日月曜日

「悪童日記」を読む

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アゴタ・クリストフのことを知ったのは、今年の2月11日のことだ。

東京演劇アンサンブルのお芝居「道」を観に行って、貰ったパンフレットにこの芝居の脚本作家として紹介されていたのが、この人アゴタ・クリストフだ

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このお芝居のできふできは、私にはよく解らなかったが、劇団の人たちには、問題点が幾つかあったのだろう、難しそうな顔をして頭をひねっていた。

この作品は第二次大戦中か、大戦前のものだと思うのだが、よくもその時代に、今日の道路網としての「道」がいかにも可笑しな姿に成り果てたのを、見透かしていた。当時から、きちんと想定していたのだ。著者の、優れた先見性に感服した。

本題はこれからーーーーー。

そんな縁で、アゴタ・クリストフのことを知り、この作家のことを調べていたら、小説に面白そうな本があることを知った。「悪童日記」だ。これは、第二作目の「ふたりの証拠」、第三作目の「第三の嘘」と3部作になっている。

お芝居を観てから9ヶ月後の先月(11月)の中頃のことだ。ふらっと寄った古本屋さんで、この「悪童日記」を見つけた。

この本を読み終えて、2週間ほど経ってからその本屋さんに寄ってみたら、「第三の嘘」が100円であった。きっと、3部作を纏めて売った人がいたのだろう。第二作目の「ふたりの証拠」ももしかしてと思って、探したが見つからなかった。

この小説の原題を直訳すると、「大きな(大判の)帳面」らしい。訳者は、少年たちが秘密裏に書き残した私記を「悪童日記」とした。盗み読みのように楽しませてくれた。名訳だ。

双子は作文を書いて、互いに相手の文章を評価をし合った。この作文の記述には基本的なルールがあって、内容は真実でなければならないことだ。

早川書房111144の36ページ9行目からーーー。たとえば、「おばあちゃんは魔女に似ている」と書くことは禁じられている。しかし、「おばあちゃんは”魔女”と呼ばれている」と書くことは許されている。それから、37ページ3、4行。感情を定義する言葉は、非常に漠然としていて、その種の言葉の使用は避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実な描写だけにとどめた、とある。

この本では、徹底して感情の表現はない。頑固なまでに感傷のない語り口。その結果、読者には登場人物たちが時には怪物にも、倫理観の乏しい人間にも思えたりするのだが、けっしてそうではなく、登場人物らの個性的な素(す)を際だたせている。戦争の最中、このようにしか、生きられなかったのだ。双子は、混迷する世情を素手で受け止め、抵抗、巧知を活かして生きる。ドキドキさせられ放しで、本を握る手に力がはいる。そして、突然、涙が溢れ出る場面に出くわす。

脚本も手がける作家だけあって、文章は芝居を観ているようで、ドラマチックだ。章節は芝居の幕のよう。この章節で扱われた素材は、おばあちゃんの強烈な性格と仕打ち、賄賂、恐喝、獣姦、SM、殺人、戦争による空襲、爆死、連行、それにレイプなど、どれも現在の我々の日常生活とは程遠いものばかりだ。

その章節ごとの題名をここに列記しておけば、後々、思い出し易いだろう。この章節で扱われた素材は、おばあちゃんの強烈な性格と仕打ち、賄賂、恐喝、獣姦、SM、殺人、戦争による空襲、爆死、連行、それにレイプなど、どれも現在の我々の日常生活とは程遠いものばかりだ。

おばあちゃんの家に到着/おばあちゃんの家/おばあちゃん/森と川/不潔さ/体の鍛錬/従卒/精神の鍛錬/学校/紙と鉛筆と帳面を買う/僕らの学習/隣人とその娘/乞食の練習/鬼っ子/盲と聾の練習/脱走兵/断食の訓練/おじいちゃんのお墓/残酷さの習得/いじめ/冬/郵便配達人/靴屋さん/万引き/恐喝/非難/司祭館の女中/入浴/司祭/女中と従卒/外人将校/外国語/将校の友人/ぼくらの初舞台/ぼくらの見世物の発展/芝居/警報/”牽かれて行く”人間達の群れ/おばあちゃんの林檎/刑事/訊問/監獄で/老紳士/ぼくらの従姉/宝石/ぼくらの従姉とその恋人/祝福/逃走/死体置場/お母さん/ぼくらの従姉の出発/新しい進駐軍の到着/火事/終戦/学校再開/おばあちゃん、葡萄畑を売る/おばあちゃんの病気/おばあちゃんの宝物/お父さん/お父さんの再訪/別離

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備忘のために、あらすじを書き残そうと思い描いていた。

そうしたら、訳者の掘 茂樹氏の「異形(いぎょう)の小説ーあとがきにかえて」の文章と、『ウィキペディアの「悪童日記」』を読んで、成る程と感心させられた文章だったので、そのまま二つのの文章を拝借した。

異形の小説ーあとがきにかえて

時代は第二次世界大戦末期から戦後にかけての数年間。場所は中部ヨーロッパ、当時ドイツに併合されていたオーストリアとの国境に近いハンガリーの田舎町。戦禍はなはだしく飢饉(ききん)の迫る都会から、若い母親が双生児の息子二人を田舎に住む自分の母親、つまり息子たちの祖母の家に疎開させる。

ところがこの祖母は、働き者だが文盲にして粗野、桁外れの吝嗇(りんしょく)で身の周りは不潔を極め、しかもどうやら夫殺しの過去を引きずっているらしい。近所では魔女と言われていた。

この祖母に預けられた二人は、この老婆のもとで物質的にも、精神的にも、過酷極まりない。その上、全体戦争下の人々の生態は、彼らの眼前に文明の荒廃を容赦なく露呈する。そうした境遇に押しつぶされることなく、二人は持ち前の天才を発揮し、文字通り一心同体で、たくましく、したたかに生き延びる。

 

ウィキペディアの「悪童日記」

祖母は子どもに対して容赦なく、人並みに働かない限りは食事を一切与えない。二人はやがて農作業を覚えて食事をもらうようになり、家に置かれていた唯一の本である聖書でもって独学で読み書きを覚え、互いに協力して様様な肉体的・精神的な鍛錬をする。

時には盗みやゆすりも辞さず、家を間借りしている多国の性倒錯者の将校に助けられたり、隣人の兎口の少女を助けたりしながら、困難な状況を生き延びていく。

やがて町に〈解放者たち〉が進駐し、この国は他国の占領下に入る。終戦の間際に、双子の母親は子どもたちを連れて亡命しようとするが、双子はそれを拒否してこの地に残ることを選び、そして押し問答の最中に投下された爆撃によって、母親は赤ん坊ともども命を落とす。双子は学校に行くことも拒否して祖母のもとで暮らし続け、祖母が脳卒中を起こすと、彼女の頼みを聞いて毒を飲ませてやる。そうするうちに二人のもとに彼らの父親が姿を現す。この国で迫害を受けている父親は亡命を望んでおり、双子は彼の頼みを聞き入れ、国境を越える手引きをする。結果、父親は地雷原にかかって爆死するが、双子の一人は父親の死を利用して国境を越え、もう一人は祖母の家にもどり今までどおりの生活を再開する。

2011年12月13日火曜日

友が田舎より来る

20111208 私の生家がある京都府綴喜郡宇治田原町から、私が大学の受験勉強に精を出していた頃から、親しくなった4歳年下の男、桝村秀一がやってきた。私が勉強をしている横で、高校受験の勉強をしていた。彼がぶら下げてきた手土産は、宇治の茶団子と茶羊羹だ。甘さを抑えた懐かしい味だ。

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干し柿                     

 

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田原川

 

新横浜駅まで迎えに行った。会って早々に、お前、その顔、なんじゃ。オヤジそっくりになってきたなあと言うと、彼も負けずに、保っちゃんかて、お父さんそっくりになってきたで、よう言うわ、ときたもんだ。

現在、彼は病の母を看病しながら、百姓仕事と着物の販売を半々でやり繰りしている。絵が上手な子どもだった。京都の美術専門の高校から、大学へ、それから漆器のデザインから着物の帯びのデザインへとジャンルを変えていった。何故、絵描きを徹底しなかったんだ、との質問に、凄い奴を目の前にして怯(ひる)んだと言っていた。

彼の父は、農業を営みながら山から木を伐採して、材木屋さんに卸す仕事もしていた。外国産の材木が安価に輸入される前までは、国内産の材木が建設用資材として使われていた。私有林や区有林の区域を決めて、樹木の内容次第で入札する。この仕事で、財を築いたようだ。

桝村は、私の日頃の生活が心配になって様子伺いを思いついたのだろう。或る日電話があって、そちらに行きますので都合はどうですか?との質問に、良いも悪いもないよ、早く来いと答えた。本音は早く来て欲しい、と思ったのだ。それほど、私は疲れていた。田舎のとりとめもない話で、郷愁、疲れを癒したかった。

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茶摘み(今では、ハサミ刈りが多く、このような光景は余り見られない)

先々週に、本の整理をしていて、本棚の”懲役人の告発”の背表紙が気になっていた。本の題名に心を奪われていた。一度は読んだのだろうが、内容の記憶は全然なかった。

40年代前半から50年代は、猛烈に多読していた。読書に夢中だった時期だ。

少し前から、新本、古本にかかわらず、新しく2冊本を買ったら、以前に読み終えた本を1冊読み返すようにしようと決めている。ずうっと前に読んだ本でも、すごく記憶にあるのと、全然憶えてない本があるのだ。気分を昂揚して読んだ感覚は残っていても、何がそんなに感動したのだろうか、と覚束ない本もある。

そして、今回、気になっていた著者・椎名麟三の”懲役人の告発”を読み出して、ふと裏表紙を見たら、桝村秀一のサインがあったのだ。4日後に来浜する桝村が、私の貧乏学生だった頃に、見るに見かねて、私の指定した本を買ってくれたのだろう。40余年前のことだ。不思議な気がした。

何故、この時期にこの本を読み返そうと思ったのだろうか。彼とこの本、と私、それにこのタイミングが実に奇妙だ。

兎に角、じっくり読み返してみた。昭和44年の発刊は、新潮社。私が大学に入学した年だ。内容は、後日まとめてみるが、題材や物語の展開が、実に昭和の40年代そのものなのが、懐かしく、嬉しかった。作品の出来不出来を論じる程の知恵は、私にはないが、面白かったのは事実だ。

今回は、昔なじみの友人が10年以上も久しぶりに、私に会いにやって来たのだが、その彼が40年以上も前に呉れた本を、4日前から偶然読み返すという、ちょっとは不思議な出来事でした、という話です。

2011年12月11日日曜日

年末恒例、四字熟語

毎年、この時期になると住友生命が、この一年の世相を表す創作四字熟語を一般から募り、その中から幾つかを朝日新聞の天声人語で紹介している。

この企画は、住友生命の年末恒例の行事で、天声人語も恒例になってしまった。私は、いつもそれを楽しみにして、マイファイルしている。

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天声人語

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年中行事さながらに、今年もまた総理大臣(宰相)が交代した。5年で6人の体(てい)たらくに皮肉をこめて「年々宰宰」。住友生命が募った年の瀬恒例の創作四字熟語に、特別な年となった2011年を振り返る作が多く寄せられた。

東日本大震災は未曾有の被害をもたらした。夏には大型台風も襲い「天威無法」を見せつけられた。首都圏は交通ストップで「帰路騒然」。原発事故で多くの人が非難を強いられ、「帰郷村望(そんぼう)」の思いで年を越す。

だが災いの中、人は助け合い、励ましあった。「福幸(ふっこう)支援」のために内外から多くの「愛円義援」が届いた。人だけではない。岩手県陸前高田市の奇跡の一本松は「一松(いっしょう)懸命」に立ち続ける。神々(こうごう)しい姿に「願晴(がんばれ)東北」のエールを聞く。

不足して知ったのは電気のありがたみ。関東一円は「計欠(けいかく)停電」にあわてた。迎えた夏。電気食いのエアコンに代えて、うちわの風、緑のカーテンに涼を求め、「電考節夏」で猛暑をしのいだ。次には冬の節電が待つ。

政治は今年も頼りなかった。「賢泥鰌来(けんどじょうらい)」の野田政権が船出したが、賢い?泥鰌は国民に語らず、代わって大臣や官僚が「舌禍繚乱(ぜっかりょうらん)」のお粗末ぶり。TPPでは「参否農論」真っ二つ。「欧州憂慮(ゆうろ)」の経済危機も年を越す。

明るい話を忘れてはいけない。世界に誇る「才足兼美」のなでしこジャパン。各賞を総なめの輝きだ。2位じゃだめ、と奮起したスパオン「京(けい)」が計算速度でお見事「世界最京(さいきょう)」に躍り出た。熱あるところに、花が咲く。

2011年12月9日金曜日

天声人語でも、金、金か!

 

いつも朝日新聞の天声人語を読んでは、勉強させられている。

今回の文章には、私の出た学校の創立者が登場してきたので、ひときわ注目して読んだ。内容が実に面白かったが、時節柄、やはり、お金の話三昧(ざんまい)になってしまったようだ

野田佳彦首相は、政府・与党がまとめつつある社会保障と税の一体改革実行への前提として、増税へ向かおうとしている。少子高齢化がますます進む中で、財政立て直しは待ったなしの状況にある。このままでは、国家が破綻すると言われている。

欧州連合(EU)では、ギリシャからイタリア、スペイン、他にも幾つかの国が、国家財政の危機に瀕死寸前。あの世界の最強国家アメリカでさえ、もたもたしているようだ。ドイツとフランスの首脳が、政府債務(借金)の解決に向けて、各国の財政規律を高め、金融市場の不安を取り除くために、EUの基本条約の改正を検討しだした。

EU基本条約では、財政について各国の財政赤字が国内総生産(GDP)の3%を超えた場合、改善がないときにはEUが是正を勧告できると規定しているが、今回、危機に瀕している国はこの3%に抑える規定を破っていた。

改正案はまだ明らかにはされてはいないが、EUの欧州委員会が各国の財政を監視したり、予算編成に介入したり、また規則を破った国を無条件で制裁できるようにする。EUの司法(最高)裁判所に各国に借金を減らすように命じることができる権限を与える、とか。

このようにEUでは検討されているが、これをこのまま、日本でも見習ってはどうだろうか。極東の借金大国だ。財政の最高規律として国の赤字を、国民総生産の何%以上は超えないようにするとか、現在の状況を直視するならば何%まで減らすとか、国債発行の上限を規定する。EUでは、この規定を憲法に既に織り込んでいるとか、織り込もうとしているとか、そんな国があるように聞いた。

でも国によっては、そんな厳しい基準を守れないと思う国だって現れるだろう。リードするドイツやフランスとの間に相互不信が広がりかねない。EUから離脱したいと思う国が発生したら、それはEUの弱体化につながる。

私は、小さな会社の経営者の一人だ。業種、業態によってそれぞれに違いはあるのだろうが、弊社の財務諸表においても流用できるな思っている。遅くはない。

ふと、来年の初詣は鎌倉の銭洗弁天で、お金でも洗ってこよう、と思いついた。当然、自宅からは願をかけながら、歩いて行く予定だ。孫も参加するという。

 

20111207

天声人語

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短日にして多忙。慌ただしさの極まる師走が、1872年(明治5年)はたった2日で終わった。旧暦が新暦に改められ、12月3日が明治6年の1月1日になった。前にも書いたが、急なお触れには人々はてんわやんわだったそうだ。

唐突な改暦にはわけがあった。大隈重信の明かすところでは、新政府の財政は火の車だった。だが明治6年には閏月(うるうづき)があり、官吏の月給を13回払うことになる。太陽暦なら12回ですむと気づき、慌てて変えたのだという。

2日だけだった12月分も切り捨てたそうだから、都合2か月分を節約した。巧みな歳出カットと言うべきか。いささか乱暴だが、知恵は出るものだ。

ひるがえって今の国会である。復興財源にあてるため国家公務員給与を減らす法案の成立が、どうも難しいらしい。いまの時代に鶴の一声とはいかない。それにしても、国会議員の定数や歳費も含めて、「身を削る決意」が伝わってこない。

震災後、月50万円減らしていた国会議員の歳費は、半年で元に戻った。明後日のボーナス291万円は去年より9万円多い。先の小紙世論調査で消費増税に反対した4割強は、まず身を切れという民意とも取れよう。首相自ら語った「春風(しゅんぷう)を以(もっ)て人に接し、秋霜(しゅうそう)を以て自ら粛(つつし)む」を、よもや忘れていませんね、と。

そういえば「血税」の語源も明治5年にさかのぼる。もとは税ではなく兵役義務をそう称した。時をへて意味は変わっても重荷は変わらない。永田町が春風に座していては、賛意は遠い。

2011年12月5日月曜日

月曜日はカレー日だ

我が社では、月曜日の昼食は全員でカレーを食うことになっている。同じ釜のメシを食って一丸、連帯して頑張ろう、と言うことだ。

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先々週まで、このカレー作りは、経営責任者の中さんの専権事項だった。ところが、最近は私が素材を調達して、藤さんが仕上げることにした。中さんは非常に繁忙なのだ。今回は、いつものカレールウではなく、ハウス食品のバーモントカレーのルウを使うことにした。選んだときは何とも思わなかったが、手にとってまじまじ眺めると、子どものころの懐かしさが込み上げてきた。

このカレールウは、”リンゴとハチミツがとろ~りとけてる”ということは、子どもの頃から知っている。

何にしても晩生(おくて)の私が、テレビを観だした大学生の頃のことだ。このカレーのコマーシャルが鮮烈だった。若いお父さん役の西城秀樹が、出来上がったカレーの入った鍋とお玉を両手に、男の子と女の子、奇麗な奥さんに取り囲まれている光景が、馴染みのコマーシャルソングとともに、何度も繰り返された。幸せな家庭は、こういうもんだよ、そんな象徴的な作りだった。

バーモントって何じゃ?と容器を見ながら考えていたら、経営責任者の中さんが、バーモント州ですよ、アメリカ合衆国の。彼の娘さんは、アメリカの大学に現在留学中だ。ハウス食品のカレールウの商品名に印度とジャワが使われていて、それが地名だということは知っていても、バーモントがアメリカ合衆国の州の名前とは知らなかった。

Wikipediaにお世話になる。このカレーを開発していた当時、日本で流行していた米国・バーモント州に伝わる民間療法でリンゴ酢とはちみつを使った「バーモント療法」が由来となる、とある。現在では、バーモント州ではほとんど知られていない。収穫が多いのはどちらかと言えば、「リンゴとメープルシロップ」だそうだ。バーモント州とカレーは関係がなかったことになる。

外箱に「濃縮加熱製法」と表記されている。何と物々しい表現だこと。こんな漢字をツラツラ並べるのは如何にもっていう感じがする。大げさなんだよ、ハウスさん。内容は、使用する油脂量を控えながら、おいしさを凝縮し、じっくり加熱したヘルシーな製法です、とある。これって、意味が解りますか?私にはさっぱり理解できない。消費者を撹乱、幻惑させるこんな宣伝手法もあるのだろうか。

今回の稿で、出来上がった品を、写真で紹介しようと思っていたのですが、出来上がり次第、そんなことをコロッと忘れて、平らげてしまった。瞬時に跡形もなくなった、、、、、スマン。

来週は、鶏肉で作ろうと考えているんだが、調理に何か妙案でもあれば参考にしたいので、教えて下さいな。食材担当としては、具、だ。

1人当たり150円の個人負担、ご飯は会社負担。厳しい予算だ。

海鮮カレーにも挑戦したい!

2011年12月3日土曜日

朝日の世情記事、4編

現在の世情についての、朝日新聞の記事だ。切り抜きにしておいたものをここにファイルした。なかなか、いい記事なので、読んで欲しいと思った。

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①資本主義の「限界」

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経済気象台

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米国や欧州で、若者が格差是正を求めるデモを繰り広げている。

格差を生む源となっているのは、資本主義社会だ。経済成長で国民の生活水準は高まった反面、もともと社会的、経済的格差を生む構造もはらんでいた。

若者たちの叫びは、従来の資本主義の「限界」を警告しているように思えてならない。

考えてみると、これまでの欧米の経済成長は、実は「幻影」だったのではないか。米国では、多くの中間層がローンで住宅を手に入れた。所得の低いサブプライム層も証券化でその恩恵にあずかった。年収の10倍もの住宅ローンは、年収増と同じ心理効果をもたらした。

だが、このからくりには確実な雇用と不動産価額の上昇という条件が必要だった。リーマン・ショックで住宅バブルは崩壊した。

欧州連合はユーロの誕生で経済力が高まり、急成長を遂げた。だが、内実はベルリンの壁崩壊で生まれた統一ドイツの勢力拡大に、他国が歯止めをかけようとした政治の産物だった。2001年には放漫財政のギリシャが加わり、堅実財政のドイツと同じ通貨を使うようになった。矛盾が今、欧州債務危機という形で噴き出している。

「幻影」に気づいた欧米の国民は、身の丈に合わない借金生活から身を引き始めた。超高齢化が進む日本の国民は老後の不安もあるうえに元々、預貯金に熱心だ。

借金をやめた国民の国では需要は拡大しづらい。借金まみれの政府も需要を生み出しにくい。低金利にしようが、通貨供給を増やそうが、効果は薄い。

経済成長もなければ、インフレもない。これが新しい資本主義社会だ。個人も企業も政府も、この構造の認識が必要だ。

 

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私の視点

②死刑/執行停止して徹底議論を

英上院議員=アルフレッド・ダブス

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私が死刑反対を訴える主な理由は四つある。まず高度な規範を持つべき国家が人命を奪うのは正しいことではない。次に誤審の可能性が常にある。死刑執行後に無実がわかっても元に戻れない。1949年にロンドンで起きた妻子殺人事件は夫の死刑執行後に真犯人が判明し、英国が死刑廃止に向かうきっかけになった。

三つ目として、だれにも更生機会は与えられるべきである。英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん殺人事件で無期懲役を言い渡した判決が「(被告に)更生の可能性がないとはいえない」と述べたのは全く正しい。

最後に死刑廃止は文明社会の潮流だ。2010年12月に国連総会で採択された死刑執行停止決議は賛成109カ国、反対41カ国、棄権35カ国。予断は許さないが、中東の民主化「アラブの春」で賛成国が増える可能性がある。独裁からの脱却と民主化に伴って死刑が廃止される傾向があるからだ。

死刑が犯罪を抑制する確たる証拠はない。全てではないが死刑残置国は 概して殺人事件が多い。国が人を殺すという事実が、人命に対する感覚に影響を与えている可能性はある。死刑に頼らなくても、刑事司法制度を整備し、犯罪を断固許さない姿勢を政治が示せば安全な社会は実現可能だ。

死刑廃止の道に踏み出す第一歩として、モラトリアム(刑の執行停止)が検討に値する。一定の時間をかけて、犯罪が増えたかどうか検証しつつ、徹底的に議論すれば良い。死刑制度に関する情報がより一般に公開されれば、国民も議論に参加できるだろう。

英国にも「目には目を、歯には歯を」といった応報的な考え方がかってはあった。下院を中心とした議論を経て(65年に)死刑執行を停止した。その後も法律としては海賊行為などの罪に死刑が残った。正式に廃止されたのはずいぶん後のことだ。

ただ、私は死刑の存否を国民投票にかけるのは賛成しない。意見が沸騰し、落ち着いた議論ができなくなる。十分な情報も議論の積み重ねもなく、いきなり死刑の賛否を問われれば人は賛成するかもしれないが、議論を経ればより複雑な意見を示すはずだ。議論は政治家が先導すべきだと考える。

近年、日本の法相が「国民的な議論が必要」という考えを示していることに期待したい。私は多国の制度を非難したり、指図したりするつもりはない。英国の経験や英国政府が乗り越えてきた課題を日本と分かち合いたい。

死刑廃止に関する英国超党派議員団のメンバー。

(構成・沢村 亙)

 

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20111201

社説余滴

③民主主義のもろさ、危うさ

政治社説担当・松下秀雄

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欧州の政府債務危機を眺めて、うなってしまった。危機そのものよりも、民主主義のもろさについてである。まず、イタリアとギリシャで、政治家以外から首相を選んだことだ。危機を乗り越えるには歳出を切りつめ、増税するしかない。厳しい役回りを、落選を恐れる政治家たちは経済専門家に丸投げした。

ギリシャでは国民投票で民意を問おうとして、かえって危機を深めた。緊縮を強いられるのが嫌だからと、国民が各国からの支援を拒めば、自分たちの経済だけではなく、世界中を揺るがしかねない。もし、国民がそれを選択したら?不安が広がり、他国の国債の信用まで損なわれた。

民主主義は、有権者に痛みを強いる決断を迅速に下すのが苦手だ。それは、民主主義に権力の横暴を抑えるブレーキが組み込まれているからで、当然のことだ。

ただ、痛みから逃げ続ければ、より深刻な事態を招く場合でも、やはりブレーキが働く。この弱点を克服できないから、非議員の首相など「民主度」の高くない態勢を敷くほかなかったのだろう。

翻って日本政治をみると、民主主義の弱点が、まさに遺憾なく発揮されている。

いま消費増税の必要性が叫ばれるのは、高齢者が増えるのに、支える世代が減っていくからだ。このままでは国の借金の風船は破裂し、大増税や急激なインフレを招きかねない。そうなる前に負担を分かち合おうというのである。

風船を破裂させて、ひともうけを狙うハゲタカがうごめく時代、いつ日本が標的になるかわからない。

なのに、増税反対派はもちろん、増税を掲げる自民党までもが、「民主党は任期中は増税しないと公約したではないか」と歩み寄らない。

税に限らず、最近の政治は衆参ねじれのもとで、ブレーキが利きすぎ動かない。

停滞へのいら立ちは世にあふれている。大阪ダブル選で「橋下旋風」が起きた理由の一つは、それかもしれない。

ただ、いらだちが極端に高じるのは危うい。動かぬ政治より ましだと、ブレーキの利かない政治を生み出すことのないよう、注意が必要だ。

歴史をひもとけば、政治が争うばかりで動かなくなったとき、人々は民主主義や政党政治に見切りをつけた。日本では軍部が台頭し、ドイツはナチスの独裁を許した。

いま必要なのは、適度に動く民主政治なのだ。

 

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20111125

記者有論

④リベリア大統領選 ノーベル賞と「金権」の溝

ナイロビ支局長・杉山 正

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ノーベル賞のイメージが吹っ飛ぶ場面に出くわした。

西アフリカ・リベリアで今月、大統領選挙を取材した時のことだ。今年の平和賞受賞が決まった現職エレン・サーリーフさん(73)の故郷で本人を待っていると、彼女は多くの住民に囲まれながら現れた。一緒に居た陣営関係者の手には、ピ札の50リベリアドル(約50円)の束が握られている。何をするのかと見ていると、近づく住民に1,2枚ずつ渡して歩いていた。

日本で事件記者を長くやった。っしかし、「買収」の現場を目撃したのは初めてだ。

聞けば、リベリアでは選挙に際し、候補者が地方に行っては、現金や食料を渡して支持を求めるのはよくあること。記者が買収され提灯記事を書くのも一般的だという。だが、ノーベル賞をもらう人まで「金権選挙」に染まっているとはーー。本人に会って、直接聞いた。

「将来的には禁止すべき風習だ」。サーリーフさんも非を認めた。だが、「今やめることはできない」とも。失業率は8割を超え、1人当たりの国民総所得は約170米ドル(約1万7千円。選挙期間中、人々には施しへの期待が高まってしまうのだという。

サーリーフさんは2006年、大統領に就任した。03年まで14年続いた内戦で27万人が死に、荒廃を極めていた。国の立て直しとともに、女性の社会進出などさまざまな改革を推し進めた。

米国での生活が長く、国連開発計画などで活躍した人だ。しかし、米国流をそのまま持ち込んでも立ち行かないことを熟知しているのだろう。急激な変化は反発を招きかねない。サーリーフさんは、汚職の役人らの刑事訴追を避け、決選投票前には、内戦中の拷問で悪名高い元武装勢力指導者まで陣営に引き込んで物議を醸した。

いずれも、国家再建を果たすための必要悪ということなのだろう。その手腕にはしたたかさや、しなやかさとともに、リベリアが抱える問題の闇の深さがうかがえる。

アフリカには、内戦などから立ち直れない「失敗国家」と呼ばれる国が多い。リベリアもそこから抜け出す戦いを始めたばかりだ。この挑戦の成否はアフリカ各国にも影響する。ノーベル賞は、サーリーフさんに対してだけではなく、アフリカの将来に希望を込めて贈られるのだと私は考えている。真のモデルになりうるよう彼女の2期目に期待したい。

2011年12月2日金曜日

ミャンマーの民主化を見極めたい

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写真は提供写真(2011年 ロイター)

20111202の朝、テレビを観ていたら、ミャンマーの最大都市ヤンゴンでアウン・サン・スー・チーさんとアメリカのクリントン国務長官が、お互いに微笑み合いながら、食事のためにレストランに揃って入っていく映像が流れていた。己が眼(まなこ)に活(かつ)を入れた。アメリカの国務長官としては56年ぶりのミャンマー入りだそうだ。

二人とも真っ白い服を身に纏って、いい感じだった。派手さなし、シンプルで清潔。それに二人の笑顔が印象に残った。世界を又に凛々(りり)しさ変わらぬクリントンさん、穏やかな表情の中にも静かな闘志を秘めたスー・チーさん。二人の談笑の写真を見ていると、本当にミャンマーに民主化が進みそうな予感がする。

ミャンマーは北朝鮮の支援を受けて弾道ミサイル・スカッドの製造を進めていることや、核開発疑惑を世界にどのように説明するのだろうか。それに、さらなる民主化、政治犯の釈放、少数民族との和解、人権問題、広範囲な政治勢力の政治参加の改革をどのように進めようとしているのだろうか。

軍政から民政移管されたものの、まだまだ民政とは言い難く、軍政のままと言っても過言ではない状態だ。今後のテイン・セイン大統領、政府の動きに注目したい。

ちょっと前までは、こんな時期がいつ訪れるのか、予想もつかなかった。

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朝日・朝刊

社説

ミャンマー  民主化を見極めたい

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ミャンマー(ビルマ)政府が民主化勢力との対話やメデイア規制など新機軸を矢継ぎ早に打ち出している。真の民主化への第一歩であればと願う。

20年ぶりの総選挙が昨年11月に実施され、「民政移管」が宣言された。しかし軍事政権が制定した憲法の規定もあり、国会議員の6割以上は軍人や軍出身者が占める。実質的には軍政の継続とみられていた。

ところがテイン・セイン大統領は8月に民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんと面談。9月には中国の援助で建設中の水力発電ダムの工事凍結を指示した。環境問題などで少数民族が反発していた事業だ。

政府はさらに、亡命活動家らに帰国を促し、外国人記者に国会の取材を認めた。

出版物などの検閲を緩めた結果、スー・チーさんが表紙を飾る新聞や雑誌が街に出回り、外国報道機関や反政府団体のサイトが閲覧できるようになった。

政府は、東南アジア諸国連合(ASEAN)の議長国を3年後に務めたい、と立候補した。

これをステップに国際社会への復帰を果たし、欧米の経済制裁を解除させて、最貧国から脱したいと考えているのだろう。

急な展開に欧米諸国はとまどいつつも歓迎している。だが民主化勢力は疑心暗鬼の様子だ。

02年にも軟化政策の時期があった。軍政トップがスー・チーさんと会談したものの、その後の揺り戻しでスー・チーさんは再び拘束され、対話を主導した首相が失脚した経験がある。

今回も政府・軍内部で、改革派と守旧派の争いがあると推測されており、民主化が定着する保障はない。議長国が決まるマデノポーズだとの見方もある。

注目のスー・チーさんは「対話はまだ十分ではないが、変化が始まったところだ」と、政府の働きかけに応じる構えだ。民主化勢力には局面を打開する他の選択肢がない現実もある。

変革が本物と認められるにはまず、2千人とされる政治犯の釈放が求められる。対立が続く少数民族との対話も必要だ。総選挙への参加を拒否したスー・チーさんの国民民主連盟に改めて、政党登録と補欠選挙への参加を促してはどうか。

日本政府は早速、人道部門に限っていた途上国援助を人材育成などに広げた。日本企業の現地視察も始まった。

変化にあわせて援助を再開したり、経済交流を加速したりするのはいい。肝心なのは、改革が後戻りしないかを絶えず見極めながら、さらなる民主化を後押しする姿勢で臨むことだ。

2011年12月1日木曜日

井上靖 「孔子」

現代小説というときの現代の定義はよく解らない。が、少なくとも、存命中の作家の本は、今暫らくは読むまいと決めた。

氾濫する現代小説には、作家の手管(てくだ)に疲れる? 題材にも気分が乗らない、読了、虚(むな)しいのだ。私の現在の精神状態が余り好くないことも理由のひとつかもしれない。

先日、磯子駅近くで、弊社の提携工事会社のスタッフとの待ち合わせに時間があったので、古本屋のいつもの何とかオフ店ではなく、何とか船とかいう店に入って仕舞った。

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見つけた本が、井上靖の「孔子」だった。この店の本の売価は、消費税込みで表示されていて、100円だった。新潮社。

「氷壁」は中学か高校の教科書で読んで感想文を書いた記憶がある。社会人になって「猟銃」、「蒼き狼」、「あすなろ物語」を読んだ。今回の「孔子」は井上靖の晩年の作だそうだ。

高校時代の漢文の教科書には孔子や孟子の論語がいくつも取り扱われていた。私は、高校の授業を真面目に出席していなかったので、論語のことは皆目解らない、理解できない。論語読みの論語知らずの優等生だ。勉強しなかったことに悔いはある。人並み以上の興味はあったのに、あの時は馬鹿にしていた。だからかこそ、この本をしっかり握って、放さないのか。

 

時は、中国の春秋時代のことだ。

Wikipediaの知識をお借りした=中国の春秋時代とは、紀元前770年に周が都を洛邑へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまで。その時代でも、紀元前403年に晋が、韓・魏・趙の3国に分裂するまでを春秋時代、それ以降を戦国時代と分けることが多い、とあった。

孔子は、魯の国で前551年に生まれ、魯の国の大教育家であり、高級仕官でもあったのだろう、提案した施策が思い通りに進まず、失望の果てに旅に出る。中原(ちゅうげん)地域を14年間、遊説、放浪の旅をした。その旅の途中で、この篶薑(エンキョウ)が同行することになる。旅の世話役として雇われたのだ。篶薑(エンキョウ)とは、エンキョウによると”ひね生姜”とか”萎(しお)れ生姜”という意味だそうだ。

エンキョウは、旅の道中、孔子と高弟三人の顔回、子路、子貢らの考えていることや、彼らの会話のやりとりから、人間学を学び、次第にこの人たちに心を奪われていく。仲間同然に扱われた。

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孔子の没後、中原の各地において、孔子の研究会が行われていた。

この本の物語は、主人公、孔子の架空の弟子エンキョウが、孔子の研究者たちに向かって語る形式をとっている。その研究者たちがその後、各自それぞれ孔子が語った言葉を持ち寄り、書物にまとめたものが、どうもそれが「論語」らしい。

孔子の言葉が、どのような状態の中で発せられたのか、その時の状況を説明することで、孔子が伝えたかった真意が如何なものだったのか、孔子を知るエンキョウが、研究家に語る。孔子の意図する天とは、天命とは如何なるものか、これには随分時間をかけて、話した。

孔子や高弟三氏の人柄、旅の様子、旅の意図、各国の事情や様子なども合わせて、話した。

エンキョウは、孔子の死に前後しての高弟たちの死、その喪に服し、それから山深い里で篤志家から家や畑が提供され静かに暮らしている。

中原(ちゅうげん)とは=(学研国語大辞典によると)ー黄河中流域の中国文明発祥の地。漢民族活動の中心地であった。 (Wikipediaよると)ー狭義では、春秋戦国時代に周の王都があった現在の河南省一帯をさしていた。

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  Wikipedia 中原

本文中、難しい漢字が沢山出てきたが、語意の解らない漢字も、なんとか語感で理解しながら、読み進めた。ちょっと危ない読み方だけれども、色んな漢字に出くわして久しぶりに刺激的だった。

 

★ 此処から,本にも出てくる孔子の語った言葉を本の中に出てくる順に、いくつか随時紹介する予定です。

注 各項目前の算用数字は本文の頁です。

*69p 君子、固(もと)より窮(きゅう)す。小人、窮すれば、斯(ここ)に濫(みだ)る

 

*71p われに陳蔡に従う者は、みな門に及ばざるなり

陳・蔡は、中原の旅で巡り歩いた国々のうちの二国。

 

*76p 周は二代に鑑(かんが)みて、郁郁乎(いくいくこ)として文なるかな。吾は周に従わん

(郁郁乎として文なり)は、文化的気運が花開いていること。

 

77p 甚(はなはだ)しいかな、吾が衰えたるや。久しいかな、吾れ復(ま)た夢に周公を見ず

 

83p この紊(みだ)れに紊れた世から眼をはるかに逸(そ)らせてはいけない

 

88p 憤りを発して食を忘れ、楽しんで以て憂いを忘れ、老いのまさに至らんとするを知らず

 

94p 近き者説(よろこ)び、遠き者来る

 

108p 帰らんか、帰らんか。吾が党の小子(しょうし)(わが郷党の若者たち)、共簡(きょうかん)にして(大きな夢、大きな志の持ち主)、斐然(ひぜん)として章を成すも(美しい布を織り上げているが)、これを裁するゆえんを知らず(仕立てることを知らない)。

 

115p これは楚の昭王の言葉だー武という字は、戈(ほこ)を止める、とある。

 

128p 朝(あした)に道あるを聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり

 

130p ああ、天、予(わ)れを喪(ほろ)ぼせり

高弟顔回の死に対して

 

133p その食をはむ者は、その難を避けず

高弟子路が領主救出に向かう心構え

 

*君子は死すとも冠をぬがず

子路が領主救出で倒れた際の発言

 

135p 逝くものは斯くの如きか、昼夜を舎(お)かず

大河の流れを前にして

 

147p 美なる哉、水! 洋々乎たり。丘(きゅう)が渡らざるは、これ命なるか

黄河を渡る前に、晋国に政変が起こって、晋国行きを中止した

 

153p 天、何をか言うや、四時行なわれ、百物(ひゃくぶつ)生ず。天、何をか言うや。

道の将(まさ)に行なわれんとするや、命なり。道の将に廃(すた)れんとするや、命なり。

天命についての考察のようだ

 

157p 五十にして天命を知る

 

174p 鬼神は敬して、これを遠ざく

足場に気をつけよう

 

184p 命なるかな。斯(か)くの人にして斯くの疾(やまい)有り

 

 

191p 天、何を言うや、四時行なわれ、、百物生ず、天、何をか言うや

つべこべ言わずに黙ってやれ。天は天で、大きな仕事をしながら黙っているではないか

 

199p 天、予(わ)れを喪(ほろ)ぼせり

子の亡き顔回に対する信頼と愛情が子の心を無残に引き裂いた

 

249p 北辰(ほくしん)、その所に居て、衆星、これを廻(めぐ)る

ーー-これを囲む。---これを迎う。---これを捧ぐ。

北辰が居るべき場所に居れば、他の諸々の星は、ーーー 囲む、迎う、捧ぐ。

 

256p 子、怪・力・乱・神を語らず

怪は、怪異、怪奇、妖怪、物の怪。力は暴力、蛮勇。乱は背徳、不倫、乱逆。神は霊魂、霊力。

 

260p 鳳鳥(ほうちょう)至らず、河(か)、図(と)を出ださず。吾れ巳(や)んぬるかな

聖天子が現れる際には、鳳凰が姿を見せ、黄河からは天下を治める大法を説いた図面を背負って、亀や龍が現れるというが、現れない。私も御仕舞いか。

 

271p 喪は哀を致して止む

子游の詞。人の死の悲しみに情を、涙の枯れるまで尽くす。

 

*284p 巧言令色、鮮(すく)なし仁

お世辞とつくり笑顔の者には、仁の徳はない。

 

 

285p ただ仁者のみ能(よ)く人を好み、能く人を悪(にく)む

仁の徳を具えた者だけが、好む人を好み、悪むべき人を悪むことができる。

 

287p 剛毅(ごうき)木訥(ぼくとつ)、仁に近し

 

287p 仁遠からんや、我れ仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る

 

288p 人にして仁ならずんば、礼を如何せん。人にして仁ならずんば、楽を如何せん

仁の心を持たない人が礼など学んでも、無駄だ。楽も同じ。

 

290p 志士、仁人は、生を求めて、以て仁を害することなし。身を殺して、以を成すこと有り

仁を志す人、仁を生活信情にする人は命惜しさに仁を犠牲にすることはない。仁を完成させるためには死だって厭(いと)わない。

 

297p 知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は壽(いのち)ながし

 

 

325p 死生、命あり、富貴、天にあり

死生も富貴も結局のところは天命で、人力の如何とも成し難い

 

 

331p 民の義を務め、鬼神は敬して之を遠ざく。知と謂うべし

民が正しいとするところを尊重し、鬼神には敬意を表すも慎重を期す、これが知の政治。

 

 

331p 未だに人に事(つか)うることを能ず、焉(いずく)んぞよく鬼(き)に事(つか)えん

生きている人にも仕え得ないのに、どうして死者の霊に仕えることができよう。

 

331p 未だ生を知らず。焉(いずく)んぞ死を知らん

死の何かたるかも判らないのに、どうして死が判ろう

 

332p 子の慎む所は斉・戦・疾

用心したのは、潔斎(ものいみ)と、戦争と、疾病だ。

2011年11月26日土曜日

毛皮の販売、ノー!

20111125の朝日新聞で、「ウェストハリウッド市議会が可決 全米初毛皮服の販売禁止条例」のタイトルの記事を見つけた。市議会は、賛成5、反対0の全会一致。

下の新聞記事を読んでから、本稿に入りたい。

新聞記事に少し合点がいかないところがある。それは、【動物の毛を使っていない革製品のほか、毛皮をあしらったような家具は、(販売)対象外にしているという】、ことだ。動物の毛と皮が、それに毛皮が、この条例で取り扱いが違うのは何故だ。条例の主旨からは、毛も皮も、毛皮も違わない筈だ。

私は、革製品も製造販売を禁止すべきだと考える。動物を殺したくない。まして、殺した動物の肉を食うことも避けたい。しかし、かく言う私も、極力食わないように努めている段階だ。

アメリカの小さな市の条例に過ぎないが、私はこの潮流は確実に大きな流れになるのでは、と想像する。動物愛護の運動の成果だろうが、それはそれとして評価したいが、私には食糧問題としても考えたい。

昨今、凶悪な犯罪や忌まわしい事件が頻発する。事件が暴力的過ぎる。凄惨な事件を前に、誰もがどうしても、何が原因なのだろうか、と考える。

命を奪われた哺乳類たちの怨霊が人間界を呪う。神を信じない私でも、神のお怒りか、天罰が下されたのか、と思ってしまうのだ。肉を食する行為が、直、人間に災厄をもたらす、そんな因果は簡単には実証できないだろうが、廻り回って人間の精神の荒廃をきたしているのではないかと。これって、私の気まぐれな、満更でもない妄想です。

牧畜業界に飼料を売りつけるアメリカの穀物メジャーが、肉を食する生活が恰も文化的な生活だ、などと煽る。食の欧米化とか何とか言っちゃって。コカ・コーラ商法と全く同じだ。生活が少しでも豊かになれば、肉の消費量が増える。牛や豚、鶏の飼育を増やして、肉の消費を高め、穀物の価額を操作する。肉を生産するには、膨大な飼料が必要なのだ。

畜産、穀物メジャー、金欲、肉を食うこと、人間性の荒廃が進み、動物や人間の生命が軽々然に成り果てた、もうこれは全くの魔界だ。この世界に思いを馳せたい。

切迫する世界の食料不足に対処するには、肉の消費量を減らすことだ。肉の消費量を少し減らすだけで穀物の消費は過分に減る。穀物メジャーはちょっと困るかも知れないが、でも、深刻な食料不足で困っている未開発国が、アフリカなどには多々ある。人口も増えつつある。

毛皮服の販売禁止条例から随分話は逸れてしまった。

肉を食うことで食料危機を作る穀物メジャーの思う壷に、はまらないことだ。

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20111125

朝日・朝刊

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(ウェストハリウッド市は、ファッションが主要産業の一つ=AP)

 

米ウェストハリウッド市議会が、毛皮の衣料品販売を禁じる条例を可決した。全米でも初めてだといい、2013年9月に施行する。動物保護団体は歓迎するが、「セレブ」が行き交う街の業界は反発している。

ウェストハリウッド市はロサンゼルスとビバリーヒルズ市に隣接する。人口約3万5千人の小さな市ながら、映画関係者の行き来もあり、毛皮のコートなどを売るブランド店も多く、毛皮の小売・製造業者の全米団体も立地している。

条例は、動物保護を掲げる市議の1人が提案し、議会が数ヶ月にかけて小売業界などから意見を聞いたうえで採決した。米メディアによると、動物の毛を使っていない革製品のほか、毛皮をあしらったような家具は対象外にしているという。

毛皮をよく着るワーストドレッサーに歌手のマドンナさんや俳優のキャサリン・ゼタジョーンズさんらを選んで、やり玉にあげてきた動物愛護団「PETA」は条例を歓迎。「他の街もウェストハリウッドの例にならうよう望んでいる」との声明を出した。

一方で、ウェストハリウッド商工会議所は経済損失を主張する。モリル会長は米NBC系地元テレビ局の取材に「新条例で市外に出ると言う小売店がある。多くの小売店は、動物保護団体の報復を恐れて声を大にして言わないだけだ」と不満をあらわにした。

(藤 えりか)

この市は、ロスアンゼルスの夜の繁華街として名高いところだそうだ。人口36000人のうち3分の1がゲイかレスビアン、3分の1が55歳以上、そして12%が新しく移民してきたロシア系ユダヤ人という異質な住民構成で、ゲイのカップルに一般夫婦同様の権利をを求める市条例を採択するなど、多用なライフスタイルに対し平等で寛大な市政を目指している、とネットで知った。

2011年11月20日日曜日

野の涯

20111119〈土〉 14:00からの一人芝居を観に行く予定だったが、突発的な出来事のために、行くことができなかった。

「野の涯」/東京演劇アンサンブル・ブレヒトの芝小屋/作・演出=広渡常敏/出演=伊藤 克

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11月に入ったばかりの或る日の夕刻、大学時代の後輩・マサ(昌)から電話がかかってきた。ソニーの下請け会社の優秀な三代目の社長さんだ。

私が大学2年の時、サッカー部の新入部員の彼に、お前の出身校はなんちゅう学校やと聞くと、私の出た高校はジュンシン(純真?)学園です、ときた。ジ・ュ・ン・シ・ン?、それって?、なんじゃ、と失礼なことを言ってしまった。私は純真な男ではなかったようだ。

彼は、私が恥ずかしくなるほどジュンシンな奴だった。銭湯の帰りに、肉屋さんで手羽の焼き鳥を、金欠の私にご馳走してくれた。私の懐事情まで分っている奴だった。それからの付き合いが、40余年にもなる。

東京演劇アンサンブルの毎年年末恒例の「銀河鉄道の夜」の案内を劇団から貰ったのですが、ヤマオカさん一緒に観に行きませんかとのことだった。

「銀河鉄道の夜」と聞けば、宮沢賢治の四次元の世界、現実世界は銀河の夜の彼方に広がる世界の世界の影らしいーーー。この辺がファンタジーなのだ。

決して引き返すことのない軽便鉄道とか

本当のさいわいを見つけだす旅とか

人間の愛の愛が、歴史の歴史が

生命の生命が燃えている

歴史などというものを、もうきまったものと信じるな、掘り返せ、え~んやら、ヤットット

こんな台詞を諳(そら)んじていて、すらすらと口に出てくる。

マサ、悪いんだけれど俺、「銀河鉄道の夜」はもう12、3回観ていて、ジョバンニ役さんも4代に亘って観て来たし、去年も一昨年もその前の年も観て来たので、今回は観に行かない心算なんだ。

でもその前に、「野の涯」をやるでしょ、これを観に行く予定はしているんだけれど、これ、お前はどうだ、と投げ返したら、マサは思案ロッポウの末だろう、行きましょと2、3日おいて返答があった。マサ、俺達の血が騒ぐ秩父事件の主要な人物、井上伝蔵の話だ。

この劇団の舞台装置の制作や構成、道具担当の龍太(リュウタ)がお前に凄く会いたがっているんだよ、お前が顔を出せば、きっと彼は大いに喜ぶこと間違いなしだ。本当に会いたがっている。龍太も巨匠岡本太郎の工房から巣立ち、この劇団で代表者の入江洋祐さんのお助け役も担っているのだろう、日頃の仕事のことや四方山(よもやま)の苦労話でも、気心の知れたマサに聞いて欲しいのかもしれないよ、と。

そして、本番の昨日20日は、朝から外気は生暖かく、雨が降った。そして午後、大雨になり強風が吹き出して、雨は横殴りになった。

早朝から、経営責任者の中さんと、相模原、湘南、西湘地域の物件を6件ほど下見を終え、何とか仕事を昼までに切り上げ、練馬のブレヒトの芝居小屋に向かう心算だった。

お芝居の後、1杯のスープを飲んで、芝居のことを話し合おうという企画になっていた。私は、スープではなくて焼酎を頂くことに必ずなると思ったので、今回は電車で行くことにしていた。

マサを交えて、劇団の龍太、入江洋佑さんや志賀さんとも、少しは話をしたかったのだ。

ところが、大雨の中、仕事のことでちょっとしたハプニングが発生して、観劇は断念せざるを得なくなって仕舞った。直ぐに、劇団に連絡をして、入江親子にスマンと伝言をお願いした。

 

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井上伝蔵の臨終

劇団から頂いたパンフレットの文章です。

1884年の秩父事件の戦いは、蜂起後10日間で軍隊によって弾圧、崩壊してしまったが、中心人物のひとり井上伝蔵は官憲の追い手を逃れ、その後の消息を絶つ。

欠席裁判で死刑の判決を受けたが、実は彼は北海道・野付牛(現在の北見市)に身を沈め、1918年に65歳の生涯を閉じていた。

「恐れながら、天朝様に敵対するから、加勢しろ」とむしろ旗に大書し、秩父市下吉田の椋神社に3000人が集結し、大宮郷をめざして進軍した。年号も自由自治元年と謳い、時の明治国家に対峙した。「秩父事件」は、フランスのパリ・コミューンに比せられる革命運動だった。

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Wikipediaより「井上伝蔵」

幼名は治作。後の埼玉県秩父郡吉田町(現秩父市)に生まれ、長男が早く亡くなったので、商家「井上」、代々の「伝蔵」を名乗った。明治16年、自由民権運動に参加、秩父自由党の幹事になる。後に困民党に組織替え。1884年(明治17年)11月に起きた秩父事件では会計長を務めた。総理は田代栄助。

2011年11月16日水曜日

巨人は永遠に破滅しました

巨人内紛 代表が反旗

面白い事件が起こった。わが意を得たりだ。

以下の新聞記事を読めば私の心模様の如何を、私が何を言いたいのか、いとも容易(たやす)く想像してもらえるだろう。さすが、新聞記事は巧く書かれて敬意を表したい。朝日新聞の商売相手は読売新聞だ。話題を取り上げるのに多少の遠慮もあっただろう。礼を失してはいけない。間違った報道はしてはいけない。

記事の中で、大所高所、識者たちはいろいろ意見を述べているが、今回の事件は、誰が考えても渡辺恒雄氏が可笑しい。これが可笑しくなくて、この世で、何が可笑しいことがあろう。

さりとて、清武さんを擁護する心算もサラサラない。この人も可笑しい。

読売は血迷っている。この最高権力者を糺(ただ)せる人物が社内にいないようなら、もう読売は終わりだ。可笑しいのは二人だけじゃない、桃井氏も原氏もだ。巨人球団は破滅している。

スポーツをこよなく愛する私にとって、スポーツをただの興行としてしか考えないナベツネ氏が、これ以上、この界隈にはべることは、実に不愉快だ。スポーツの本質を理解できない好々爺が、権力を振りかざし、バカなことを言ったり、仕掛けたり、もう老害しかない、とんでもない文化の破壊者だ。

スポーツは、厳しい練習に不断の努力で鍛え抜いたアスリート、熱い視線で見守るファン、裏方でを支える関係者が、長年に亘って培ってきた公の文化財なのだ。

繰り返す。スポーツは文化なのだということを、露の一滴も理解できない人は、この聖なる域から去るべきだ。

 

備忘のためにあえて追記しておく。下のどの件においても、ナベツネの鶴の一声が発せられ、混乱を招き、結果多くの野球ファンを失望させた。

★江川の空白の一日問題  ★ドラフト制度に逆指名システム導入と裏金騒動  ★FA制度、巨額複数年数契約によるトレード横行  ★ドラフトの希望枠採用  ★2004年の球界再編成騒動  ★東日本大震災を受けての開幕延期問題  ★横浜の身売り

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(会見を終え、席を立つ巨人の清武英利代表=森井英二撮影)

 

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朝日新聞・朝刊

巨人内紛 代表が反旗

プロ野球・読売巨人軍の清武英利球団代表兼ゼネラルマネジャー(GM、61)が11日、都内の文部科学省記者クラブで記者会見し、渡辺恒雄球団会長(85)がコーチ人事を独断で翻すなど会社の内部統制とコンプライアンスを破った、とする声明を発表した。球団幹部が内紛を記者会見で公表するのは極めて異例。

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(会見で涙を拭う巨人清武英利代表 11日午後、東京都千代田区、西畑志朗撮影)

異例の声明

清武代表によると、渡辺氏は来季のヘッドコーチについて、留任が内定していた岡崎郁コーチ(50)を降格させて江川卓氏(56)を招く交渉を独断で進めた。さらに、渡辺氏はコーチ人事を了承済みだったにもかかわらず、報道陣に「俺は何も報告を受けていない」と事実と違うことを話した、などとしている。

清武氏は「プロ野球界のオーナーやGM制度をないがしろにするだけではなく、コーチや選手を裏切り、ファンも裏切る暴挙」と、渡辺氏を強く批判。

「不当な鶴の一声で、巨人とフプロ野球を私物化するような行為は許せない」と語った。辞任する意思はなく、解任された場合は法的措置をとることも示唆した。

清武氏は記者会見の直前にも、渡辺氏と携帯電話で30~40分間にわたって話し、「チームの信頼を根底から覆すのはやめてほしい」と訴えたが、岡崎コーチの降格は止められず、会見に踏み切ったという。

 

社長が反論 渡辺氏は沈黙

これを受け、巨人の桃井恒和オーナー兼球団社長も記者会見し「(清武氏の)会見を球団の誰も知らなかった。代表取締役たる私の知らないところでああいう形でやったのは、逆にコンプライアンスという意味でとんでもない」と話した。コーチ人事については「クライマックスシリーズ第1ステージで負け、会長としては状況は変わった、見直しが必要と言う判断だったと思う」と語り、「(渡辺氏は親会社のトップで、不当な一声ではない」とした。清武氏については「当面、今やっている仕事をやってもらう」と話した。

渡辺会長は11日、記者会見を開いたり、コメントを発表しなかった。

また、江川氏は「話は来ていません。ヘッドコーチになることは絶対ありません」と話した。

 

声明の要旨

11月9日に渡辺氏から「1軍ヘッドコーチは江川氏とし、岡崎ヘッドコーチは降格。江川氏との交渉も始めている」と言われた。岡崎氏を含むコーチ人事などは、10月20日に桃井オーナーとともに渡辺氏に報告して了承も得ていた。にもかかわらず渡辺氏は11月4日、記者団に「俺は何も聞いていない」と全く事実に反する発言をした。

もし、自分が了承したことを忘れているなら、渡辺氏は任に堪えないということにもなりかねない。忘れていないというのなら、自分も報告を受けて了承し、契約締結にも着手されていた人事を、オーナー兼代表取締役社長を飛び越えて、鶴の一声で覆したことになる。

これはプロ球界のオーナーやGM制度をないがしろにするだけではなく、コーチや選手、ファンも裏切る暴挙。コーチや選手との信頼関係を基盤とする球団経営の原則、プロ野球界のルールに関わることだ。

読売巨人軍にも内部統制と健全な企業体質、コンプライアンスが要求される。それを破るのが、渡辺氏のような最高権力者であっては断じてならない。不当な鶴の一声で巨人軍、プロ野球界を私物化するような行為を許すことはできない。

 

繰り返された「鶴の一声」  西村欣也(編集委員)

ある意味では「コップの中の嵐」だ。言葉は適切ではないかもしれないが「自爆テロ」という見方もできる。巨人・清武英利代表の突然の渡辺恒雄球団会長を批判する会見だ。

会社において、人事の内示は内示であり、変更されることは多々ある。それを記者会見を開いて、この時期に発表する意図は理解できない。

しかし、この声明の中に真実が隠れているのも事実である。

巨人という球団は清武代表が暴露したように、渡辺球団会長の「鶴の一声」で動いてきた。2004年もそうだった。オリックスや西武と組ながら、無謀な球界再編に突き進んだ。労組選手会と世論がタッグを組んでこれを阻止した。だからこそ、楽天という新球団が生まれ、今のパ・リーグ人気がある。

今年もそうだった。まず開幕問題だ。大震災に配慮し、電力問題もあったため、選手会が「開幕延期」を主張したのに、全く耳をかさずに、強行しようとして、世論の猛反発にあった。これは、清武代表、あなたも同罪だ。

横浜のベイスターズの身売り問題でも渡辺会長は暴走した。TBSホールディングスがDeNAと交渉しているのを記者団に明かし、いかにも自分が球界を動かしているという印象を世間に与えた。

今回、江川本人は「話はきていません。僕は巨人入団時に小林繁さんに迷惑をかけました。だから、今回名前があがったことはありがたいですが、岡崎氏に迷惑をかけてヘッドコーチになることは絶対ありません」と言う。

身内から「王様は裸だ」という声が出たことで、球界が変わっていけば、と思う。

 

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(読売新聞本社を出る巨人の渡辺恒雄会長=11日午後8時56分、東京都中央区、関口聡撮影)

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朝日・朝刊

渡辺会長談話(要旨)

清武巨人軍専務の声明および記者会見は事実誤認、表現の不当、許されざる越権行為および私に対する名誉毀損が多々あるので、私の立場から正確に事実を説明する。

私が大王製紙やオリンパスの経営者と並ぶコンプライアンス違反をしているとあるが、両社のケースは巨額の金銭の私物化や経理の不正操作に関する刑事犯罪的事案で、巨人軍の人事問題とは次元が異なる。同列に扱うのは読売新聞社、巨人軍、私個人に対する著しい名誉毀損で謝罪を求める。

私の一存で桃井社長からオーナーを剥奪したというのも著しい誤伝だ。今年6月に滝鼻オーナーの最高顧問就任にあわせ緊急措置として桃井君をオーナーに任命した。シーズ後に読売新聞グループの白石代表取締役社長や新聞社幹部、桃井君と相談し、白石君のオーナー就任を内定した。ただ桃井君のこれまでの功績と権威を損なわないよう代表取締役とし、白石君は私と同じ平取締役だ。この人事は将来的に私が巨人の経営から身を引き白石君に新聞本社と球団のパイプ役をゆだねる意図で、桃井君も事前に了解している。”清武声明”はまことに非常識で悪質なデマゴギーだ。

清武君については新聞社、球団内から批判がある。尊大になった、決断力がないなどの報告を聞き、GMは適任ではなかったと思った。今年の「清武補強」もほとんど失敗した。原監督も事前連絡なしに勝手な補強に不満だったようだ。GM制は監督からの提案で、何人かあがった候補は「オビ・タスキ」で、最後に原君が「清武さんでもいい」と言ったのでGMにしたのが実情だ。

江川君の起用構想は監督からの提案。岡崎ヘッドコーチとの関係もあるので「助監督」と考えたが、私の思いつきであり社内的な手続きはとっておらず、江川君と何の接触もしていない。この企業機密を清武君が公表したので、”江川助監督”を直ちに実現することは困難になった。

今回の清武君の行動は、会社法355条の「取締役の忠実義務」違反に該当すると思う。しかし、記者会見の直前に彼から電話でGMの仕事はさしあたり続けたいとの要望があったので、これは了承した。今後の対応は本人の反省次第であり、現時点ではただちに処分を求めるつもりはない。

会社法355条(忠実義務)=取締役は、法令及び定款並びに株主総会の決議を遵守し、株式会社のため忠実にその職務を行わなければならない。

2011年11月15日火曜日

月曜日はカレーの日

我が社では、月曜日の昼飯は全員そろって、カレーを食うことになっている。

同じ釜の飯を腹いっぱい食って、連帯を深め、一丸となって会社の業務に精励しようということだ。腹が減っては戦(いくさ)はできない。日本が、ギリシャやイタリアが、いくら不景気でも、我が社は王道を突っ走るだけだ。我々は、横浜一元気な会社なんだ。

月曜日は朝一番から、営業に携わるスタッフ全員が集まって、業務の全般をすみからすみまで、全てを確認する会議を行なっている。その会議は、08:30から10:00までかかる。

メシ大好きな長さんが、名誉のメシ担当として会議前に約1升の米を炊飯器にセットする。そうすると、ちょうど会議が終わる10時過ぎには炊き上がる。社員が11人で、そのうちご婦人が1人、1升を難なく平らげるというのは、やはり皆、健康なのだろう。私は、此の頃は炭水化物、澱粉系の摂食を控えているのですが、1週間のうち月曜日の昼飯1食ならば、皆につられてのバカ食いも、良かろうと思っている。

このカレー料理人が、先週までは経営責任者の中さんだった。よくぞ、忙しいのに毎週作ってくれたもんだ、と感謝している。日曜日の午後に作って、一晩寝かせて、翌日の月曜日の朝に、ジャガイモを入れて弱火で温める。これが、メッチャ美味いんだ。

ところが、先週からこの料理人の立場が、私、ヤマオカと管理の藤さんの二人に代わった。中さんが繁忙を極めている最中に、奥さんが体調を壊した。公私ともども大変。20111113、中さんは、奥さんの体調を窺いに帰宅した。私はこの時とばかりに、彼が独占していた料理権を剥奪した。今、話題のバカ恒(つね)と同様、鶴の一声と同時に相談なく、勝手にカレー作りに走った。

実は、前の日の12日、朝日新聞の日曜版に【我が家のカレーの隠し味 一足しで手軽にオリジナル】のタイトルで、カレー作りの特集記事を見つけて、私が保存しておいたのだ。この記事は下の方に貼り付けさせてもらった。この記事を読んだことで、多少なりとも、私の料理心に火が点いたのかもしれない。

藤さん私は、近所の松原商店街に買い物に出かけた。ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、豚のバラ肉、カレーのルーの代金総計は、1618円。20人分の材料だ。1人当たり147円は従来通りで、大きい狂いはない。この基本価額を崩すことはできないので、値札をチェックしながら慎重に買い物した。ここまでは、皆には心配をかけない安全運転だった。

物件の下見で走り回っている兵糧米穀班の長さんに電話をして、米の在庫が足りないので、明日の朝までには補充しておくように依頼した。米の代金は、会社負担だ。

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会社に戻って、早速料理に着手した。と、言っても私はバラ肉を炒めることと、その他の材料を洗って皮をむいて、細かく切っただけだ。

ニンジン10センチほどのものを4本を包丁の背で擦(こす)って薄く皮をはいだ。産地はどこだろうかと袋を見ても、その表示はなかった。土の柔らかい所で育てられたのだろうか、根の表皮は実に薄くて、赤ちゃんの柔肌を思い出した。

ジャガイモはこぶし大の大きさ、男爵。6個を洗って包丁でむいた。皮をむいて表われた白い身が異状に艶っぽい。どきっとした。田舎で子供の頃、干し柿用に母が夜なべで、柿の皮をむいていたのを手伝ったから、この皮むきはお手のもんだ。人前でリンゴなどをむくのだって、恥ずかしくない。

タマネギは硬くてしっかりしていた。5個。自炊をしていて最近のタマネギは涙が出ないのは何故か、なんて感じていたのだが、今回はよくも涙を誘ってくれた。タマネギはこうでなくっちゃ。久しぶりの涙が、私には懐かしかった。これは、小豆島ものだ。

豚のバラ肉、750グラム。炒めて、油が出たらそれを捨てないで取っておいてください、とはもう一人の料理責任者・藤さんの指示だ。難なく炒められた。この豚は、どこで育てられて、どこで殺されて、この店に並ぶようになったのだろう。海を越えてきたのだろうか。管理された工場で、悲鳴をあげる間もなく屠殺されたのだろう。私には、悲鳴が聞こえるのだ。こんなことは、皆には黙っていよう。

ここまでの私がやった仕事は、下ごしらえ。これからが本格的な調理へのステージになる。私は退場して、藤さんのお手並み拝見。全ての権限を委ねた。彼の実家は、秋田で料亭旅館を営んでいると聞いている。

藤さんはルーを入れた。隠し味は、私の家ではインスタントコーヒーです、今回はこのコースでいきます、それからのことは、企業秘密で内緒です、と言われた。

「お味」については次の機会に報告する。

実際の「お味」を確認したいなら、弊社に毎週月曜日の11時頃、150円をもって馳せ参じてくださいな。社員は全員、お待ちしていますサカイに。業種やお客さまに、えこ贔屓(ひいき)はありませんのでご安心。

 

下の記事は、20111112の朝日新聞の記事を貼り付けさせていただきました。

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2011年11月13日日曜日

カラスの奴、俺より先に食うとは

私が7年前に会社の前の空地に植えた柿が、赤くなってきたのを、カラスが狙っていた。このカラス、柿がようやく食い頃になるのを待っていたのだ。カラスは、鳥のなかでも最も頭のいい鳥といわれている。

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そして10月21日、このカラスに1個食われた。

空は青く、柿の葉は紅葉して、赤い実を突っつく鳥はムクドリがお似合いだ。実に秋の風情だ。 カラス君はどっこでもご活躍、我輩は、ちょっと見飽きてしまったよ。

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  ムクドリ

 

熟した柿を、下に落とさないようにして、郵便ポストの平らな部分に運んで、ゆっくり平らげたようだ。一部食い残しがあった。枝にぶら下がっている状態では、きちんと全てを食い尽くすことはできなかったようだ。

そして翌21日、2個目を側の飲み物の自動販売機の上に運んで、食っているのを、目撃した。 

俺様より、先に食いやがった。悔しがっていてもしょうがない、無策はイカン。何か対策を講じなくてはと思ったが、何てことはない、カラスに食われる前に食っちゃえば済むことだ、と結論した。

柿の実が色づきだしたので、会社の皆が皆、この小さな柿の木に群がったら困るなあと心配していた。そんな事態が起こる前に分配の鉄のルールを作らなくてはと考えていた。

私がここで注意しなければいけないのは、個人的な欲望をぐうっと抑えることだ。われ先の行動は慎もう。会社のスタッフを優先的に、その次にはスタッフの家族に分けてあげなくっちゃと考えた。私の個人的に所有するイーハトーブの果樹園の柿の木 にも、幾つかは生っているんだから、と 余裕綽々だ。

去年までは生ってもせいぜい20個ぐらいだったので、私が頂いた後は、カラスが喜ぶなら、1つや2つ、食われたって好いやと思っていた。実際には、奴等に5個くらいは食われたのだろう。スタッフに分配するなんて考えられなかった。

ところが、今年は100個ほど生った。豊穣だ。

早速皮を剥いて、皿に奇麗に盛ってみんなのテーブルを回ってみたら、意外や、割とみんなが喜ばないのに、驚いた。誰もが喜んでくれるものとばかりと思っていたが、柿の好きな人が案外少なかったのだ。

柿がみんなに好かれていないことを知って、しょんぼりする私に、ちょっと嬉しかったのは管理の和さんの一言だった。父が好きなんですよ、皮ごと丸かぶりしたいところだよ、と云ってました、と。

もう一人、我が社のコンピューター管理をしてくれているコウ君に柿をあげたら、喜んでくれた。彼は、祖父によく柿を剥いてもらって食っていました。祖父のことでも思い出していたのでしょう、と母親は云っていた。

11月3日、生っている柿を1個だけ残して、全部採った。今度は、カラスと私のお遊びだ。

カラスに意地悪を思いついたのだ。木の先っぽにある実は彼らには好都合のようだが、それなら、柿の木の枝と枝に挟まれた中ほどよりも低いところに、柿の実を残しておけば、それは、どのようにして食うだろうか。収穫には間がある柿を、選んだ。

羽を広げて枝から枝に移動するのはよく見かける。羽をすぼめて移動する時は、羽をすぼめたまま枝と枝の間を、上下左右、大きい体をどのようにして、どの程度の移動ができるのだろうか、それを見てやろうではないか、と思いついた。

本日11月14日、柿は赤く染まってきたが、カラスは寄り付かない。カラスの意地を見たいもんだ。

2011年11月7日月曜日

ひぇ、東海第二原発も!

茨城県東海村長の村上達也さんが、朝日新聞記者に語ったことが記事(20111026 朝日・朝刊)になっていた。

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48年前、日本で初めて原子力発電を成功させた、その自治体の首長は、記者に向かって、原発がもたらすカネとリスクについて熱く語られていたのだ。

その記事の冒頭で、私は思わず、ひぇ~と叫びたくなった。

内容は、今年の3月11日、村上達也さんが村長を務める東海村の日本原子力発電東海第二原発も、東日本大震災で起きた東電福島第一原発と同じようなことが起こる寸前だったということだ。

こりゃ、本格的に日本から原発をなくすしかない、と確信した。

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20111113 朝日新聞・朝刊1面

福島第一原発の原子炉建屋。右から4号機、3号機、2号機、1号機=12日午前11時3分、福島県大熊町 相場郁郎撮影

耕論

繁栄は一炊の夢だった

「東海第二」廃炉を

村上達也さん・茨城県東海村長/聞き手・山口栄二

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実は東海村の日本原子力発電東海第二原発も、東京電力福島第一原発で起きた「全電源喪失」の寸前でした。地震の影響で外部電源がすべてダウン。非常用発電機でポンプを動かして原子炉を冷却しましたが、1時間後に押し寄せた津波があと70センチ高ければ、海水は防波堤を乗り越えて、すべての冷却機能が失われていたかもしれない。

2週間後にその事実を知り、背筋が凍る思いをしました。東海第二の場合、20キロ圏内に75万人、30キロ圏内には100万人の人が住んでおり、県庁所在地の水戸市も含まれます。

此処からの村上村長さんの話が教訓的だ。

「原発がなくなったら村民の雇用をどうするか」「村の財政をどう維持するするのか」という議論も村内にはあります。

しかし、原発マネーは麻薬と同じです。原子炉を1基誘致すると固定資産税や交付金など10年間で数百億円がカネが入る。そのカネがなくなると、また「原子炉を誘致せよ」という話になる。尋常な姿ではありません。

福島のような事故が起これば何もかも失ってしまう。原発による繁栄は一炊の夢に過ぎません。目を覚まして、持続可能な地域経済を作るべきです。

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補講です。

この新聞記事の頭出しのタイトルで「一炊の夢だった」とある。この故事成語の「一炊の夢」をもう少し知っておきたくて、ネットで調べてみたら、意味の説明や用例、中国での故事の由来も紹介されていたけれど、私はその中で上杉謙信のことを材にした、この「一炊の夢」の説明を、この欄に引用させてもらう。

「四十九年、一睡(一炊)の夢、一期(いちご)の栄華(えいが)、一盃の酒」(上杉謙信)

越後の武将・上杉謙信は、生涯、戦いに明け暮れた。武田信玄との川中島の決戦は有名である。天下取りを目指す織田軍を、加賀で撃破し、信長を恐れさせた。関東平定へ進発しようとした矢先、病に倒れ、49歳でこの世を去った。

「戦功を競った一生も、一眠りする間の夢のようだ。天下に名を馳せた一代の栄華も、一杯の酒ほどの楽しみでしかなかった」

人生の目的を知りえなかったむなしさが漂っている。

2011年11月5日土曜日

書評、評者の文章にもほろり!

20111030の書評欄のことです。

毎週、日曜日の朝日新聞・朝刊の書評欄は、私の大好きなコーナーだ。日曜版にはふさわしい企画だと思う。色んなジャンルの読み本が、多士済々な書き手の労作、秀作が、全15段2ページに品揃えをして読者の来店を待っている。

私の好きでない著者の本や、嫌で苦手なジャンルの本の紹介は、無頓着にパスだが、掲載される本の3分の1は私が興味を惹くものだ。この欄に採用する本を探す作業も大変だと感心する。新刊を買う余裕がなく、目先の仕事に追われている私には、有り難い企画だ。

自由に遣える資金が少ないのは、私の個人的な至らなさで、何もここで恥を晒すこともないのだが、この稿は私の生活の一部の紹介でもあるので、不愉快な話題と思いながら書き足した。襤褸(ぼろ)は着てても心は錦。せめて書評でも読んで、少しは文化的に過ごしたいもんだ。

著者や出版社、本屋さんには申し訳ないのですが、買って、手にしなくてもこの書評だけで楽しいのだ。作家さん並びに出版関係者の各氏、各社殿、スマン。

その評者の筆力の天晴れさに、毎度感心させられている。

そこで、今週、とりわけ気に入った2冊の書評をそのまま新聞記事のまま転載させてもらうことにした。何故、この2冊を選んだかって、その1「句集 残像」は、評者の文章が巧いことに感心させられた。その2「絶望の国の幸福な若者たち」は、私にとっても若者のことは大いなる関心事だからだ。

私たちが若者だった頃、その時の大人たちもきっと、今と同じように若者のことを観察していたのだろう。私は、私たちはどのように思われていたのだろうか。

私の中学、高校、浪人時代は、東京にあこがれて夢と希望に溢れていた。大学時代、70年安保と授業料値上げ反対、学生自治会館の自主管理奪還の闘争で、私の大学の構内は一段と殺気立っていた。私はと言えば、そんな闘争を尻目に、サッカーに没頭していた。誰よりも下手で体力がなかったので、練習時間を増やすしかなかったのだ。

高校時代は、東京オリンピック、企業の公害問題、大学在学中には、大阪万博、卒業時には一次オイルショック、ニクソンショック、それから二次オイルショック、産業界はそれらを乗り越えようと必死で頑張っていたので、私もその気運の中で真面目に仕事に精励、経済のつまずきは幾つもあったけれど、でも総じて経済が成長しているのを実感していた。これらが、私が若者だった時代の背景だ。私は、何を考えて生きていたのだろう。

私にとって、日曜日は休日ではないけれど、何故か心にゆとりがある。

朝刊は、目が覚める4時には玄関扉のポストに配達されている。英国王室御用達の紅茶ではなく、廉くて、苦いインスタントコーヒーをすすりながら、読んでいる。

いつか、この欄に採用された本を読むことはあろうが、今はこの書評を楽しむばかりだ。

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その1は、「句集 残像」 山口優夢〈著〉

       評者・種村 弘 〈歌人〉 

山口優夢の第一句集である。

〈あぢさゐはすべて残像ではないか〉

紫陽花に特有の色や形が「残像」と表現されていて、なるほどと思わされる。「あぢさゐ」という旧仮名表記もどこか「残像」っぽい。でも、もしも本当に「すべて残像」なのだとしたら、我々は紫陽花の本体を一度も見ていない事になる。本体はどこにいるのだ。と、そこで奇妙な事を思いつく。じゃあ、「愛」とか「国」とか「私」とかはどうなるんだろう。もしかしたら、私はそれらの本体も見た事がないんじゃないか。

〈電話みな番号を持ち星祭り〉

「電話みな番号を持ち」に驚く。一見当たり前のようだが、ここから例えば「人はみな遺伝子を持ち」や「愛はみな宿命を持ち」が、心の奥に湧き上がる。「あぢさゐ」の句と同様に、僅(わず)かな数文字言葉が、読者の心から、より大きな何かを引き出してしまうのだ。

〈未来おそろしおでんの玉子つかみがたし〉

「未来」と「玉子」だけが漢字だ。「玉子」の中には「未来」の時間が詰まっている。いわば「未来」の塊のようなもの。それが「つかみがた」くて「おそろしい」のだろう。音読すると、字余りのせいで全体が早口になる。それが「おそろし」さと同時に奇妙なユーモアを感じさせる。

〈蜘蛛の巣にはげしく揺るるところあり〉

そこで怖ろしいことが起きている。にも拘わらず「はげしく揺るる」とのみ書かれる事で、怖さが増幅された。

〈投函のたびにポストへ光入る〉

云われればその通りだが、普通は気づかない。その理由は我々が「ポスト」の外側の世界に生きているから。だが、作者は「ポスト」の内側の闇に心を飛ばすことができる。その力が遺憾なく発揮された秀句を最後に引いておく。

〈心臓はひかりを知らず雪解け川〉

 

その2は、「絶望の国の幸福な若者たち」 古市憲寿〈著〉

       評者・中島岳志 〈北海道大学准教授〉

現在日本の若者は不幸だといわれる。格差は拡大し、経済成長も難しい。しかし、社会調査では意外な結果が出る。20代の実に7割が、現在の生活に満足していると答える。今の若者たちは、自分たちの生活を「幸せ」と感じているようなのだ。著者は、この奇妙な幸福感の源泉を探り、現在社会のあり方を模索する。

若者は本当に「幸せ」なのか。別の調査では、「不安がある」と答える若者の割合も増加している。若者の傾向は、「幸せ」と同時に「不安」を抱えているというアンビバブルなものなのだ。

では、なぜそのような事態が生じるのか。それは「将来の希望」が失われているからである。もうこれ以上幸せになるとは思えないため、若者たちは、「今、幸せだ」と答えるしかない。今よりも幸せな未来を想像できないからこそ、現在の幸福感と不安が両立するのだ。

若者は「自己充足的」で、「今、ここ」の身近な幸せを重視しているという。親しい仲間たちと「小さな世界」で日常を送る日々に幸福を感じているようだ。また、一方で社会貢献をしたい若者も増加している。最新の調査では20代の若者の約60%が社会のために役立ちたいと考えている。

ここでキーワードとなるのが「ムラムラする若者」だ。仲間といっしょに「村々する日常」とそれを突破する「ムラムラする非日常」を同時に求める心性が、多くの若者に共有されているという。しかし、非日常はすぐに日常化する。そこが居場所になれば、急速に社会性を氷解する。

著者は、それでいいじゃないかという。複数の所属をもち、参入・離脱の自由度が高い承認のコミュニティーがあれば、十分生きていけるじゃないかという。

しかし、現実には仲間がいるのに孤独や不全感を抱える若者も多い。賛否が分かれるであろう論争的な一冊だ。

2011年11月2日水曜日

またもや、バカ恒(つね)!

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またもや、株式会社読売巨人軍会長の渡辺恒雄(ナベツネ)氏に苦言を呈したい。

親会社のTBSホールデイングスが、株式会社横浜ベイスターズを持ち堪(こた)えられなくなって、昨年から身売り先探しに奔走していた。昨年は、住生活グループとの売却交渉が最終の条件のすり合わせができずに決裂した。

今年は、本気で売却を成立すべく、相手探しをしていたところに、ゲームサイト「モバゲー」を運営しているディー・エヌ・エー(DeNA)が名乗り出た。TBSの関係者はさぞかし溜飲と肩の荷を下げていることだろう。TBSの経営者には、スポーツに関する見識も覇気もない。売却話は大詰めを迎えているようだ。そろそろ、正式発表かと、噂されている。

買収に乗り出したディー・エヌ・イーは球団名にモバゲーを使いたがっているが、ナベツネは球団経営の努力をしないまま売名行為のために球団を購入する行為は認められないと発言した。このことに関してはオーナー会議なのか、何会議か知らないが、どうぞじっくり論議することをお勧めする。

このようなことを、新聞報道で知ったが、交渉の途中の何かと微妙な問題が発生しかねない状況下、まして他球団のことなのに、読売巨人軍のナベツネが、交渉の経過を記者らにべらべら話していることに、違和感を感じた。君はいくつもある球団の一役員に過ぎない身の上だよ。身の程をわきまえろ。自らの球界への影響力が低下していないことを誇示するかの如く、と朝日新聞の西村欣也記者は記事にしている。私も、全く同感だ。

買収の条件が双方折り合っても、オーナー会議の4分の3以上の同意を得なければ、新しく加入が認められないというルールがあるらしい。それほどの重要で微妙な問題なのに、正式に決まる前から、あれはイイ、これはダメだと言い切る、この男は、頭が狂っているとしか思えない。自分を何様だと思っているのだろう。

横浜球団の売却先にからむ、ナベツネの新球団名称問題についての発言はこれまでにして、今回のことがきっかけで、かってのナベツネに対する不快感が甦ってきた。

私は、サッカーを愛する世界中の幾億人と同じように、誇り高いサッカー人間の一人だと自負している。ほぼ半世紀に亘って、サッカーと付き合ってきた。私の高校時代は、日本代表がムルデカ大会(アジア地区の大会)に出場しても、いい成績がおさめられなかった。ドイツサッカー協会から派遣されたクラーマー氏の指導で日本チームは基本から学んだ。その甲斐あって、東京オリンピックでの健闘、メキシコオリンピックの銅メダルにつながった。その後しばらくは、日本サッカーの成長止まり感のする期間だった。

そんな息詰まり状態に風穴を開けてくれたのが、(社)日本サッカープロリーグの発足だった。

このプロサッカーリーグ、現在のJリーグに参加するチームは、企業の自社宣伝役を担うのではなく、地元に密着したチームであることを発足理念にした。日本で初めての試みだ。地元にサッカーを文化として根付かせたいとの願いがあったように思う。地元のホームグラウンドが、ファンの心の故郷の一部にでもなればということだったのだろう、と私は推察する。

日本サッカー協会は、球団のオーナーや役員には自分の企業のアピールよりもサッカーを地元に根付かせることで、企業としても存続できるように運営して欲しい、と申し渡した。

協会リーグ事務局は、球団の呼称を「地域名+愛称」を望み、スポンサー企業名を使わない。その指針に従って、各球団は横浜マリノス、大阪ガンバのように名付けて、各媒体もそれに従った。

ところが、正式名称は「ヴェルディ川崎」なのに、読売系の媒体では、表記、アナウンスを「読売ヴェルディ」として開幕から1994年まで事務局の意に反して使用した。当然、Jリーグチェアマンの川渕三郎氏と読売のナベツネはもめた。川渕先輩の頑(がぁ~ん)とした態度が雄雄しく天晴れだった。

ナベツネは、どうしてもJリーグ発足の理念を理解できなかった。彼は、企業名でもある読売をアピールしたかった。ところが、今は「モバゲー」を球団名の冠に使いたがっているディー・エヌ・イーをを売名行為だとののしっている。

球団を抱えたいと思うディー・エヌ・イーの創業者である代表者の意思の確認が重要だ。球団経営の方針を、横浜の地を、スポーツとしての野球を、ファンのことをどのように考えているのだろう。かって、横浜だったか他の球団だったかを買収すると名乗りを上げた消費者金融の武富士は、世間からも各球団の関係者からも冷たく扱われたことは、記憶にある。

ナベツネは今でも、野球界ではドンの心算で居るのだろうが、Jリーグにおいては自分の立場がない、何の相談も受けなかった、名誉欲強く、目立ちたがり屋、権威主義のナベツネにとって、自分抜きでリーグが発足されたのが、屈辱的だったのだろう。

ネベツネは、スポーツが文化なのだということを、理解できていない。ただ、読売新聞の購読者を増やすことしか考えていない、旧来の経営者だ。

だから、読売ではサッカーは丸でダメだった、野球もきっとダメにしてしまうだろう。

2011年10月31日月曜日

九電「やらせメール」問題

今年の3月11日の東日本大震災、その地震で発生した津波が、東京電力福島第一原子力発電所事故を引き起こした。当初、地震とそれに伴う津波の規模が想定以上だったと言われ、ならば、しょうがないのかと納得しようとした、が、これは、どうも想定以上のことではないということが、ここにきて解ってきた。天災に人災が加わった。因果応報。歴史を省みれば、そんなに未曾有の出来事ではないようなのだ。過去幾度となく、同程度の地震と津波が発生していたのだ。原発は必要と思われる対応を、思いつきはしてもきちんとなされていなかった。万全ではなかった。

28日、原子力安全委員会は解体して廃炉にするまでの工程表を示した。そしたら、燃料プール内の燃料は2014年ごろから、原子炉内の溶けた燃料は21年ごろから、原子炉と建屋まで解体して廃炉が完了するのには、30年以上かかるとの見解を示した。その間、臭わなく、目に見えない放射性物質は、密やかに我々の日常生活に迫っている。

さすが、原子力だ、後遺症も後片付けも途方もなく甚大だ。

今に至って、こんな発表を聞かされて、私の浮かぬ顔に暗雲の濃さが一段と増す。この30年間の廃炉に至るまでの作業にかかる費用は、まさか、我々がこれから払う電気代に含まれる? 税金?かと思うと、また、嫌な気分になる。

そんな暗い気分で、新聞の切抜きを整理していたら、見つけたのが九州電力の「やらせメール」だった。これは何も九電に限ったことではない。よく似た事件が、他の電力会社でも行われていた。その切抜きで保存していたものを、下の方に転載させてもらった。

九電の「やらせメール」の実態を著した朝日新聞の記事だ。

読めばなるほどと、納得する。中央や地方の政治家、経済産業省、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、電力会社の役員らのそれぞれの役割というか、¥マーク柄の衣服を纏った¥漬けの走狗たちの、互助的機能がよく理解できる。このやらせメール事件は、この仕組みの象徴的な事件だ。私のブログの歴史に刻み込まなくてはイカンと思った。

この恐ろしい原発に与(くみ)した奴らは、¥マーク酒を飲み、¥マーク旅行や¥マークゴルフ場にも行った。当然、¥マークタクシーに乗ってだろう。この¥は、元はと言えば税金であったり我々が支払った電気料金だ。国民の安全で幸せな生活なんて、そっち退(の)け、ただ¥マークに踊った餓鬼どもたちだ。

マスコミ各社も、原発の開発過程の闇の部分を、原発のもたらすであろう恐怖を炙(あぶ)り出せなかった。これは、マスコミの力不足だ。

 

20111022

朝日・朝刊

読者有論:西部報道センター/多田敏男

九電やらせ問題 電力改革に国民の視点を

 

「やらせメール」問題をめぐって九州電力が迷走している。問題発言から3ヶ月余り。取材していて強く感じるのは、国と佐賀県の顔色ばかりをうかがい消費者に背を向ける経営体質が改まりそうにないことだ。

そもそもの発端は、佐賀県にある玄海原子力発電所の再稼動に向けた6月のテレビ番組で、九電社員らが賛成意見をメールなどで投稿していたこと。これをきっかけに他の電力会社もやらせが見つかり、国や自治体の担当者が関与していたことがわかった。

九電から調査を委託された第三委員会は、やらせに古川康知事や県幹部らが関与していたことを認め、こうした県との「不透明な関係」を解消するよう求めた。お手盛りの社内調査では信頼回復につながらないから第三者に委託するわけで、不祥事企業は調査結果を踏まえて、どう出直すのかが問われる。

ところが、九電は14日にまとめた最終報告書で佐賀県の関与を否定。真部利応社長は記者会見で「(県の関与を否定した)社内調査の方が信用できる」と開き直った。これに対し、枝野幸男経済産業相は「第三者に依頼した意味がない」と厳しく批判した。

九電は知事を守るために、調査結果を曲げたとみられても仕方がない。普通の企業ならば売り上げが激減し、会社の存立自体が危うくなるが、電力会社は違う。電力の安定供給の名目で地域独占が許され、一定の利益も保証されている。消費者は電気の購入先を選べず、体質改善を促す手段が限られている。怖いのは幅広い監督権限がある国や、原発の運転再開のカギを握る立地自治体ぐらい。東京電力の原発事故で消費者の視線が厳しくなったのに、会社の体質が変わらない理由だ。

電力会社にとって、やらせは真部社長が「『白か黒か』でいったら白とグレーの間」と述べたように罪の意識は低い。報告書を県の関与を認めるものにあわてて見直すのも、監督官庁のトップに怒られたからだ。消費者や住民の信頼をどう回復させるかの意識が、経営陣には欠けている。

枝野氏は「国民の視点に対する感覚が理解不能」と批判するが、やらせには国も関与しており、早く幕引きして原発の再稼動につなげたい思惑も見え隠れする。九電だけの「けじめ」で終わらせず、独善的な体質の原点である地域独占を見直すなど、消費者目線の電力改革のきっかけにならなければ意味がない。

2011年10月30日日曜日

こんな悪の、新手口が

水曜日は我々業界では、休みの会社が多い。

でも、仕事熱心な弊社の経営責任者の中さんは、出勤して資金繰りやら、平素できない仕事を、休みの日こそ気兼ねなく出来るので、会社に出勤していた。私は、物件の下調べで会社にはいなかった。

コンピューターを立ち上げて、さあこれから仕事をするぞ、と勢い込んだ丁度その時、電話の呼び鈴が鳴った。朝一発目の電話だ、何かいいことでもあるのでは、と受話器を握って、モシモシと元気よく応えた。

電話を掛けてきた主は次のようなことをよどみなく喋り続けた。

その電話の内容は以下の通りだった。

私は、〇〇信託銀行と、かって消費者金融だった△△が合併してできた、ビジネスローンを専門に扱う会社の者です。今、合併を記念してのキャンペーン期間中で、各社さんに、とってもお得な融資をご紹介しているのです。月末が近づいていますが、資金の手当は大丈夫ですか?よろしければ、申込書をファックスしますので、書き込んでファックスで返してください。

こんな売込みだったのだ。

詐欺師

申込書には、多様なニーズにお応えするとタイトルにあって、来店不要、保証人担保不要、資金使途自由、融資額、審査は決算内容だけではない、と書かれてある。また、金利が年率1.3%~8.0%、保証料無料、40.000名様以上の実績があって、安心なローンだと強調している。

金利の低さに興味をもった中さんは、それじゃ申込みます、でも、私は今日は休みなので直ぐ退社するが、携帯の電話番号を教えておきますので、携帯に電話くださいと電話を切った。

それでも、申込書に記入してファックスした。30分も経っていないのに、早速その会社から携帯電話にかかってきて、前向きに取り組みますからということだった、がその日はそれだけで終わった。

翌日、中さんは仕入れ物件の融資を受けるために、東京の金融機関に自宅から直接出かけたので、昨日の件を、管理の藤さんに、昨日の内容をかいつまんで話し、その融資の手続きを自分に代わって担当者とよく打ち合わせて欲しいと伝えた。

ところが、藤さんが、その金融機関に電話をしても、電話に出た人には、昨日の中さんと担当者との話したことががチンプンカンプンで、話が通じなかった。藤さんは、その旨を中さんに伝えて、今度は中さんが担当者の携帯に電話を入れたら、弊社の社名を忘れているような気配はあったが、何とか昨日話した内容がお互いに通じ合い始めた。取りあえず、社内で、融資を突っ込んで検討してください、と再び念を押した。

そうしたら、中さんの携帯電話に直ぐにかかってきて、1000万円なら大丈夫ですよ、だった。すかさず、中さんは1000万円では足りないので、2000万円ならどうでしょう、と返したら、即、電話がかかってきて、2000万でもオッケーですと言って、2000万円の融資決定通知書がファックスされてきた。

ここへきて、弊社では可笑しいと考え始めていた。

通常の金融機関とのやりとりとは随分異なるからだ。まして、初めての取引先に融資を行う場合、金融機関は決算書や、在庫表、資金繰り表や、その他の書類を用意させ、面談して、会社の取扱商品や仕事の内容、代表者の資質や考え方を聴取されるのが、今までの通例だ。これはどうしても、臭い、クサイぞと察知した藤さんは、ホームページを調べて、その金融機関に電話で確認したら、実は、此の頃頻繁に自分たちの金融機関の名を名乗って、融資の勧誘を装う詐欺が行われているとの説明があった。その金融機関のホームページには、このような詐欺行為の実態を知らせるコーナーが出来ていた。

彼ら詐欺師らは、このような仕掛けをして、この先何をするのかということだが、彼らは、あなたの会社に融資することが決まりましたので、その前に、保証料や預託金を前もって振り込んでください、そのようなシステムになっていますから、と言ってくるのだろう。振込み詐欺の、新たな手法だ。

送られてきた申込書や融資決定通知書は、詐欺師らが材料に使った金融機関のものと全く同じもので、電話番号だけは違えていた。事務所の住所を知らせる案内はなかった。

そして、数日後、今度は日本を代表するリース会社系の信託銀行を名乗って、同じことを仕掛けてきた。

懲りない奴らだ。

2011年10月26日水曜日

子規さん、今、柿を食ってます

 

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柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺

今日10月26日は、「柿の日」だそうだ。この句が生まれたのが、明治28年10月26日。

この句が誰の作品で、法隆寺がどこにあってどのような寺なのか、そんなことを何もしらないうちから、この句のことはよく知っていた。学校にも行かないうちから、諳(そら)んじていた。

兄が、この句を学校で覚えてきて、何気なく何度も楽しそうに詠むのを、知らない間に憶えてしまったのだ。私の田舎には柿の木がそこらじゅうにあって、柿が好きだったので、兄の口からでるこの句を我が物にしてしまったようだ。

兄に、その法隆寺(ホウリュウジ)というのは、報国寺(ホウコクジ)の間違いではないのか、としつこく聞き質して叱られた。我々の先祖の墓は生家の近くの報国寺にあったので、単に兄が間違っているのだと思っていたのだろう。

大学受験を控えての秋の追い込みの深夜、腹が減っては柿を食った。チンポ柿と言われる小さな甘柿を一晩で30個は食った。上京しての学生時代、毎年この時期になると、親元にせがんだのは、金ではなく「柿送ってくれ」だった。

そして、今、63歳の初老のジジイは、自前のイーハトーブ果樹園に3本、会社の敷地の前の方に2本、計5本の柿の木を持っている。そのうち1本は渋柿だ。柿だけは、正真正銘の自給自足を確立したかった。他にも、色々果物の生る木はあるが、此処は柿の木の紹介にとどめたい。

秋になって、食いたくなったときにはいつも傍にある、そのように万全な状況を作っておきたかったのだ。ところが、どっこい、むいた柿を大きな皿にのせて、スタッフに進めても、嫌いです、余り食わないんです、後でいただきますから、とそっけない反応の多さに拍子抜けした。ちょっと意外だった。柿が嫌いな奴が、この世に、それもこんなに私の身近にいるなんて、想像もしなかった。今の若者には、それほど好まれていないようだ。

私にとって、果物の中では一番柿が好きなんだけど。

どの柿の木も苗木を植えて約10年は経つだろう、今年は実りが豊かだ。そして、この柿を食うたびに正岡子規の句を思い出し、望郷の思いに誘われる。

私の郷里は五里五里と言われていて、京都から5里、奈良からも5里のところにある。今の時季、白秋の候とでも言うのだろうか。真っ青な秋空。柿を食うと、すっかり秋めいた山野や田畑に囲まれた我が家や草の枯れた原っぱ、ススキの穂、赤い実を2つ3つ残した柿の木が黒い陰を伸ばして、寂しそうに、ぽつうんと立っている、そんな郷里の風景を思い出す。

正岡子規の句で、明治28年10月子規が松山から、確か漱石の家を発って上京するときに奈良の法隆寺に立ち寄って、境内を散策、茶店で柿を食ったときに詠んだのだろうか。この時子規が食った柿の種類は、御所柿だそうだ。

それにしても、大した句を作ってくれたもんだ。この季節になると、私は、柿の実を枝からもぎ取るたびに、柿の木に向かって挨拶代わりに自然に出てくる、柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺。もうこの作用は日常的というか、条件反射になっている。

私の郷里は干し柿の産地でもある。古老柿(ころがき)と名付けて、宇治茶と並んで名産品になっている。晩秋、渋柿を母が、夜なべに一個づつ包丁で皮をむくのを手伝った。おかげで私は果物の皮をむくのが上手だ。イーハトーブの果樹園には渋柿も植えたが、まだまだ収穫には時間がかかりそうだ。

 

ネットで知ったことを書き添えておこう。

正岡子規は写生を唱えて近代俳句の祖と言われている。柿の句が他にもあったのでここに紹介しよう。

 

柿に思ふ奈良の旅籠の下女の顔

柿食うも今年ばかりと思いけり

 

余談だが、正岡子規は野球が好きだった、と何かで読んだことがある。意外だったので記憶に残っているのですが、これは、各自ご確認してくださいな。

2011年10月20日木曜日

2011、ノーべル平和賞、女性3氏

ノーベル賞にも色々あるが、平和賞に関心が深い。

ノルウエーのノーベル賞委員会は7日、2011年のノーベル平和賞を、リベリアのエレン・サーリーフ大統領(72)、同国の平和活動家リーマ・ボウイーさん(39)、イエメンの人権活動家タワックル・カルマンさん(32)の3人に授与すると発表した。紛争解決や民主化に女性が大きな力を発揮した、その功績を評価した。

現職大統領が受賞したことにも意義があるように思う。かって、核軍縮を率先すると高らかに宣言しただけで受賞したオバマ・アメリカ大統領の、その後の実績の乏しさにがっかりさせられたのは、私一人だけではないだろう。受賞時、私は世界最強国のアメリカの大統領の行動に夢を膨らませた。このような音頭とりだけの、腰抜けに授賞したことを、さぞかしノーベル平和賞委員会は失望、後悔、無念だろう。

でも、今回のリベリアの大統領の受賞は、その実績を評価され、尚、現在奮闘中だということに意義がある。女性の地位向上や民主化を進めながらの経済・社会の再建に邁進して欲しいという願いが込められているように思う。もっともっと、と期待は大きい。私の手元には、新聞記事しか判断する材料はないが、頼もしい実務派の大統領のようだ。

そしてイエメンの人権活動家のカルマンさんは、「アラブの春」が吹く前から、女性の権利や民主、平和のための闘いを、危険な状況にも屈することなく続けてきたことを高く評価された。

極東の小さな島の凡人も、喜びの人たちの輪の中に入れてもらいたい。僭越ながら、受賞者に声を大にしてエールを送りたい。

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20221008の朝日新聞・朝刊の記事を下のほうに、そのまま抜粋、転載させていただいた。

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ノーベル平和賞 その1、サーリーフさん、ボウイーさん

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闘う女性世界照らす

内戦後の失敗国家再建

サーリーフさん、ボウイーさん

 

内戦や汚職、貧困が蔓延し、国が国民の生活の安全を守れない「失敗国家」がアフリカには数多い。リベリアのサーリーフ大統領は受賞決定後、朝日新聞の取材に応じ「この賞はアフリカ諸国の人々が、政治腐敗と戦い、困難を乗り越える力を強くする」と語った。

米国のシンクタンクによると「失敗国家ランキング」で、20011年ワースト20カ国のうちアフリカ諸国が14カ国を占める。1989年から14年間、内戦が続いたリベリアも典型的な失敗国家だった。約27万人が死亡し、80万人近い難民を生んだ。汚職も横行し、テーラー政権時代には、国の収入は役人の懐に入った。国は西隣のシエラレオネの反政府組織に武器を供給し、見返りとして「紛争ダイヤモンド」を受け取っていた。

サーリーフさんは弾圧を受けながらも独裁政権を批判し続け、「鉄の女」と呼ばれた。2006年に大統領に就任すると、改革を断行し、はびこる汚職の排除に努めた。ダイヤモンドなど資源の管理も徹底し、疲弊した経済を上向かせた。

内戦で抑圧された女性の社会進出も助け、政府の重要ポストに多くの女性を登用。女子教育にも力を注いだ。サーリーフさんは「潜在能力があるのにずっと女性は無視されてきた。この賞はすべてのリベリア女性に贈られたものだ。世界中すべての女性が不正義に立ち向かう力になる」と語った。

一方、リーマ・ボウイーさんは仲間と白いシャツを着て、内戦を続ける独裁体制に立ち向かった。「この国の母親たちによって現状を変える必要があった」とボウイーさん。白いTシャツはリベリアで平和のシンボルになった。

ボウイーさんは7日、朝日新聞の取材に答え「男たちが殺し合い、子どもがひどい状態に置かれた。黙ってみていられなかった」と話した。(ナイロビ=杉山正)

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うわついた、政治成果をひけらかす政治指導者が目立つアフリカ大陸には少ない、実務家という印象を受けた。

「ゼロからのスタートの我々にとって、すべてが優先事項。でも現実的な目標を定め、政策にも優先順位を決める。優秀な人材を公平な制度のもとで活用し、着実に仕事をこなしていくことです」。そう語る口調も、淡々としていた。

一見、小柄なおばあちゃん。市民は「ママ・サーリーフ」と親しみを込めて呼ぶ。だが、本当のニックネームは「鉄の女」だ。長年、独裁政権への抵抗を続け、大統領に選ばれてからも国を立て直すために妥協はしなかった。

鉄鉱石やダイヤモンドなどの豊かな資源は国民を潤さず、逆に政治腐敗の温床になり、権力争いが内戦に発展した。

「資源の呪い」と称されるこの現象。スーダンやコンゴ(旧ザイール)など、似たような境遇の国はアフリカには多く、「失敗国家」と呼ばれる。リベリアも以前はその一つだった。

決め手は、サーリーフ氏が推進する「良い統治」の実現に向けた数々の改革だ。内戦時に外国へ逃れて高い教育を受けた国民を、高待遇で雇い入れる代わりに、成果がでなければ契約を打ち切る制度の導入など、行政を効率化させている。

こうした取り組みは、他のアフリカの国々に手本となっている。リベリアを取材で訪れた理由も、7月に独立した南スーダンが、リベリアの事例から学ぼうとしているからだった。「良い統治とは、人々に説明できるような具体例を示して、人々を導くこと。法の支配に基づき、透明性のある政治です。悪い統治とは、権力欲を持つ政治家が原因の一つになる。リベリアはそうさせない」

まだまだ課題の山積するリベリアの復興に向けてサーリーフ氏は今後も淡々と改革を実行していくと期待したい。(前ナイロビ支局長・古谷祐伸)

ロイター通信によると、リベリアの選挙管理委員会は、大統領選を11日に実施するという。

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「女性たちの励みに」関係者

アフリカや中東で女性の地位向上や民主化に尽力してきた女性3人へのノーベル平和賞授賞が決まり、関係者らからは喜びのコメントが相次いだ。

国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」のシェティ事務局長は「今年のノーベル賞委員会の選択は、世界中で権利のための闘いを続ける女性たちへの励みになる」と授賞を高く評価。「今日の賞は表彰された3人の女性リーダーだけのものではなく、人権と公平な社会のために闘ってきたすべての人々のものだ」と語った。

ドイツ初の女性首相であるメルケル氏は報道官を通じ、「世界に対して非常にいいメッセージとなった」と評価。欧州連合(EU)のファンロンパアイ首脳会議常任議長とバローゾ欧州委員長は連名で「女性が紛争の平和解決と民主的変革に極めて重要な役割を担っていることの証しだ」との声明を出した。

「彼女たちが達成したことは、すべてのリベリア人女性とともに成し遂げられた」。リベリアのゲイフロー女性地位向上・開発相はロイター通信に語り、授賞を歓迎。同国のサーリーフ大統領とともに授賞が決まった平和活動家リーマ・ボウイーさんの家族は「(ボウイーさんは)すべての女性や子どもたちの発展のために熱心に活動してきた」と振り返った。

今年は、エジプトでムバラク前大統領を退陣に追い込むなど、中東で市民が民主化を求める声を上げた「アラブの春」が有力候補と見られていた。国外からネットで反政府デモを呼びかけ、エジプト帰国時に拘束されたネット検索大手社員のワエル・ゴネイムさんは「我々にとっての平和賞とは、より民主的で人権が尊重される国になることだ」と簡易ブログのツイッターにつづった。

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ノーベル平和賞その2、 人権活動家・カルマンさん

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民主化へデモ呼びかけ

「この賞を、『アラブの春』のすべての活動家に捧げたい」。イエメンの人権活動家タワックル・カルマンさん(32)は受賞の知らせを、首都サヌアの抗議デモ会場で受け、そう語った。

ノーベル賞委員会のヤーグラン委員長は、イエメンのカルマンさんへの授賞は「人口の半数を占める女性を軽視すれば民主主義は確立できないという、『アラブの春』へのメッセージだ」と述べ、中東の民主化でも女性の参画が不可欠だと指摘した。「厳しい環境のもとで、アラブの春のずっと前から活動してきた人に平和賞を授与する」とも説明した。

2001年に新聞や雑誌に記事を書き始め、一貫して女性の権利や表現の自由を求めてきた。05年にNGO「鎖のない女性ジャーナリスト」を創設。国際的に知られるようになった。母国の民主化は遅れていた。イエメンのサレハ大統領は、南北イエメン統一前を合わせれば30年以上トップの座にある。

カルマンさんは07年に政府庁舎前で、毎週火曜に独裁政権に抗議する座り込みを始めた。しかし参加者は多くはなかった。そこに「アラブの春」が起きた。

今年1月14日にチュニジアでベンアリ政権が、エジプトでも2月にムバラク政権が倒れた。サヌアの大学構内で学生らを率いて始まった退陣要求デモの参加者は、若者を中心に日に日に膨れ上がった。

支援者からは「鉄の女」「革命の母」とも呼ばれる。今年1月、抗議デモのさなかに「許可を得なかった」として逮捕されたが、仮釈放されるとすぐに「怒りの日」と名付けたデモを呼びかけた。カルマンさんは、民主的で近代的なイエメンを実現するまで、平和的な運動を続ける構えだ(カイロ=渡辺淳基)

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リベリア

米国から解放された奴隷が居住地をつくり、1847年に独立した。1989年から断続的に続いた内戦が2003年、当時のテーラー大統領の亡命で終結。暫定政府のもとで大統領選が実施され、06年にサーリーフ氏が大統領に就任した。面積約11万平方キロ。人口約400万人。ダイヤモンド、金、鉄鉱石が豊富。

 

イエメン

貿易の中継地として古くから繁栄していたが、1839年にオスマン・トルコが支配する北側と英国が支配する南側に分断された。南北間でたびたび武力衝突が起きたが、1990年に統一。北の大統領だったサレハ氏が、統一後も約20年間、政権にとどまっている。面積約55.5万平方キロ。人口約2400万人。

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20111012

天声人語

「暮らしの手帖」を創刊した伝説の編集者、故花森安冶に「女だけの政治」と題する一文がある。戦後しばらくして書かれたが、もはや男の政治はだめだから女に任せてみよ、という論旨に古さはない。

いわく「(昔から)政治は男のやるものときまっていた。そして男たちは、ああでもない、こうでもないといろいろやってきたが、どうやってみたところで、戦争は次から次へとくりかえされるし、世の中の不合理は、少しも改まらないのである」と。そんな花森がうなずくような、今年のノーベル平和賞だった。

贈られる女性3人のうち、エレン・サーリーフ氏(73)は西アフリカのリベリアの大統領。独裁や汚職やらで「男たち」が荒廃させた国を建て直してきた。

約27万人が内戦で死に、失業率は85%、識字率4割という出発点から6年前に走り出した。汚職撲滅のために財務省の全職員300人を解雇し、同省や司法、商務などの大臣、警察トップに女性を起用した。「豪腕」とはたぶん、こうした人のことを言う。

自身、投獄された経験があり、その姿勢は「非暴力」に根ざす。「非暴力は人間に委ねられた最大の力である」とガンジーは言った。現職政治家ゆえ毀誉(きよ)も褒貶(ほうへん)もあろうが、現実を変える手段としての非暴力のパワーを信じたい。

ノーベル平和賞は栄(は)えある賞ながら、逆説的だ。不幸や不条理が大きいほど賞は注目され輝きを増す。受賞3女性の「銃なき闘い」が、平和賞不要の平和な世界につながるよう願う。

2011年10月19日水曜日

遠藤周作 沈黙

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弊社の経営責任者の中さんが、フィリッピンに家族揃っての里帰りの際、フィリッピンのどこかで? 病原菌を貰ってきたようだ。奥さんがフィリッピン出身なのだ。どんな菌って、そりゃ、中さんが一番罹(かか)り易い菌だよ、と言えば分る人は分る? なんて冗談はさておき、そんな意味深な菌ではなくて、特に子どもの体に巣食い易い、普通の溶連菌だった。症状は、喉が赤くなって、痛い。熱がでて、扁桃腺に白いぶつぶつができ、症状は重く、激しい。

成田までは、ヒイヒイの態(てい)で辿り着き、一夜自宅で過ごして、翌日、検査即入院した。中さんだけの独り帰国だった。

中さん以外の家族は、まだまだ、これから、ゆっくり、ゆったりの夏休みコースだ。会社のスタッフには見舞いに行ってくるわ、と出かけたものの、二人にとって、病状についての情報交換はさっさと終えて、やはり話すのは仕事のことばかり。これこそ、病院へ来た本当の目的だったのだ。これって、われ等に与えられた天の定めか。

今度、来てくれるときには、何か読むものを持ってきてくれませんか、中さんの申し出を快諾した。何とかオフの古本屋さんに暫らく行っていないことに気づいた。私は、この店の105円コーナーが大好きで、本立ての前に立つと、不思議な快感が湧くのだ。でも、最近の超貧乏暮らし、何とかオフにも行けなかった。

硬い本はアカン、それじゃ、軟らかいのはいいのか? う~ん、悲しいかな、私にはそのヤワラカイっという本を選ぶセンスがない。品のいい軟らかさというのを見極めるのは、難易度が高い。前提としては、低級なエロ、グロは避けなければならない。心と体に治療を施して健康体を取り戻す、真面目で清浄な所だからなあ!

取りあえず3冊買った。遠藤周作の「沈黙」と、話の内容がちょっとインモラルなイメージの本、それにもう1冊は、池田勇人元首相時代の政治の裏幕を書いた本だ。

この「沈黙」は私が学校を卒業した頃に買って読んだことがある。新刊で確か1300円で、当時、高いなあと思った。この本を、今回、何とかオフで見つけた時、あっこれだ、中さんに、これを読まそう、と即断。きっと回復を早めるだろう、か?

ところで、この本って、どんなストーリーだったっけ、と思い返しても、島原の乱後、キリスト教弾圧が厳しく、ポルトガルの宣教師に棄教を迫る拷問とか、隠れキリシタンが秘かに信教を続けていた様子、キリストの言葉を宣教師の口から色々聞かされたが理解できなかった。それでも、当時、重くどっしり感動したことだけは、心に残っていた。

私は、生来イヤラシくケチな男で、この本だけは読んだら返してくれ、と病床に臥す中さんに、条件付で渡した。一時貸しの要領だ。本当のところは、病院への土産物として本探しをしていたら、私が再び読みたいと思った本に偶然出くわしてしまった。中さんの趣向をないがしろにしてしまった、スマン、気を悪くしないでくれ。

それでは、本論に入りましょう。孤里狸先生、遠藤周作氏「沈黙」の、始まり、ハジマリだ。お芝居なら、東西東西(とうざいとうざい)ってとこか。

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遠藤周作の「沈黙」の批評を著すなんて、私には無理だ。

キリスト教の信徒でありながら、宣教師を度々裏切り続けるキチジローが、この本の1本の縦糸だ。私は、本の中では決して大役でないこの男に興味をもった。

正と邪、善と悪、神の存在というテーマを、キリストとユダ、ロドリゴとキチジローを対比して、神の真なるものは、真なる神とは何かと希求する。このテーマは、真面目なキリスト教の信徒であった著者の母が、著者一流の謙遜だとは思うのだが、不真面目な遠藤周作の心に影をおとしている、とその苦い心の裡(うち)をこの本で著したかったと、何かで知った。

奉行所は、キリシタンの拷問に司祭を立ち会わせる。そして、あなたが転べば(棄教すれば)、多くの隠れキリシタンの拷問を解き、命を助けてやると迫るのだが、どうしても転ぶことはできない。神はこの場に至っても、何も仰らない、何故、黙っているのですか、と問う。そして、一人の司祭は死に、残された司祭は、もっと大きな苦しみが与えられる。

でも、残った司祭も最後には転んだ。

かって尊敬した教父、やがて棄教した教父、そして司祭が厳しく責めた教父と同じように、自分も転んだ。

ロドリゴは、主に対して、棄教したのではないことを、あなただけはご存知でしょ、と繰り返す。聖職者が教会で教える神とロドリゴが信じる主とは別なものだと悟るのだ。

こんなに、神に仕える我々なのに、主よあなたは何も仰らない、、、、、。私に、何か仰ってください。だが、、、、、、それが、この本の題名にもなった「沈黙」ってことのようだ。

遠藤周作は、この「沈黙」でノーベル文学賞の候補にも挙げられたと聞いた。構成については色々な意見もあるようだが、私が今まで読んだ本の中では、感銘を受けた本のひとつだ。遅読の私なのに、一気に読み終えた。

読後感想を文字で綴るのは、私には難しい。よって、その作業は、数多(あまた)の賢人たちにお任せすることにして、私はこの物語のあらすじだけをキープしておこう。

下の方の文章がそうだ。

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江戸時代初期、徳川幕府は島原の乱後、厳しいキリシタン禁制を強いていた。

ローマ教会に、ポルトガルのイエズス会が日本に派遣していたフェレイラ・ラリストヴァンス教父が長崎で「穴吊り」の拷問をうけ棄教を誓ったという知らせがもたらされた。

☆穴吊り=信徒の耳に傷をつけて逆さづりにする。その傷つけた耳の出血で、ゆっくりゆっくり少しづつ、精神的に肉体的に苦しめる拷問のやりかた。

知らせを受けたローマ教会では、教会の不名誉を雪辱するため、また教父の地元のポルトガルからは、教父が異教徒の前で棄教に屈従したとはどうしても信じられなく、三人の宣教師は危険な日本へ潜入、真実を確かめながらの布教を決意、殉教は覚悟の上のことだった。

一人は病に臥し、ガルペとロドリゴの二人は、マカオで、日本人のキチジローと知り合い、数名の乗組員と船を仕立てて日本行きを敢行、荒れる海を何とか長崎のとある島に辿り着く。

弱気で酒飲みのキチジローは、二人にキリスト教の信徒のような振る舞いを見せるが、確かめると信徒ではないと言う。

辿り着いた島はトモギ村で、キチジローはこの島の村民だった。この島で、隠れキリシタンの村人たちに匿(かくま)われ、二人の宣教師は司祭として信徒らと信仰を交わした。住居の居間の下に穴を掘って、身を隠しての生活だった。それでも、暫らくは静かな信仰の日々だったが、キチジローが二人のことを役人に密告、裏切ったのだ。

五島の村にも赴く。

トモギ村に戻る。司祭二人は、役人に村の信徒たちと捕まる。奉行所に、三人の出頭を求められ、イチゾウとモキチは自らの意志で村人の代表者として、キチジローは村民から身代わりにと頼まれ、気の弱さから断れなかった。踏絵を踏まされた。三人とも、踏むことは踏んだのだが、踏む時の苦渋に充ちた表情を見逃さなかった役人に、それじゃ、この踏絵に唾をかけ、聖母は男たちに身を委してきた淫売だと言ってみろ、と言われ、イチゾウとモキチは耐えられずキリシタンであることを告白した。が、キチジローは、聖母を冒涜する言葉を吐き、唾をかけ、罰から逃れた。そして、二人は海岸で水礫(すいたく)に処せられた。

キチジローは、当初キリシタンたちに、司祭を連れてきてくれたことで感謝されたが、役人たちの警戒が厳しくなり、仲間が捕らわれてからは、疎(うと)まれるようになった。

水礫(すいたく)=今回は十字にして2本、波打ち際に立てた。その木に縛り付けて、満ち潮で首の辺りまで海につかるようにする。時間をかけて絶命させる。それを見せ付けるのを目的にする。

役人たちによる山狩りがあるというので、隠れ家から二人は襤褸(ぼろ)を纏(まと)い逃亡の旅に出る。二人で行動するよりも独りづつの方が、見つかり難いのではと判断して、別々の行動を取ることになった。

ロドリゴは若者の船で、身を隠すために違う島に向かった。キリシタンに会えるかどうか、焦燥、不安ながら、獏とした教区?に向かって島を彷徨した。暗闇の中を雨に打たれながら、当てのない行路に、またしてもキチジローが現われ、ここでも裏切られることになる。

キチジローは銀何枚かで、ロドリゴを役人に売った。そして役人に取り押さえられる。キチジローは怯(おび)えた顔で、ゆるしてください、と言いながら姿を消した。

長崎奉行所に向かって、馬に乗せられた。道中で、異教徒から牛の糞や石を投げられる。その道すがら、キチジローは司祭を窺(うかが)うような目を向けたが、視線が合うと顔をそむけた。この男に寛大にはなれない。去れ、去れと心の中で呟(つぶや)いた。

ガルペは、信徒の拷問に立会い、転ぶ(棄教)と言えば三人の命は助けると言われても、ガルペはどうしても転ばない。ロドリゴは、遠くから転べと叫ぶ。三人の信徒は薦俵(こもたわら)に巻かれて海に投げ込まれ、ガルペは信徒に向かって海に飛び込み、波間に消えた。

牢屋に入れられる。中庭では、信徒に拷問や処刑が続く。女の悲鳴が夜の闇を裂く。刀を振りかざす役人。そして、またもやキチジローが下帯一つで連れ出され、踏絵を踏んだ。転げるようにして姿を消した。

井上筑後守に会う。彼もかってはキリスト教の信徒だったが、今はキリシタンを取り締まる側だ。キリスト教を邪宗とは考えていない、だが、日本にはキリスト教は馴染まぬものだ、と。「一人の男に醜女の深情けは耐え難い重荷であり、不生女は嫁入る資格なしとな」

牢での生活が続く。日に三度差し入れられる食事に度々手をつけられない。

そして、フェレイラ元教父との面談の時が来た。

「この国には、お前や私たちの宗教は所詮、根をおろさない」「この国の者が信じたものは我々の神ではなく、彼らの神だったことを知らず、長い間、日本人がキリスト教徒になったと思い込んでいたのだ」

ザビエルが教えたデウスを日本人は大日と混同した。その時から、日本人はキリスト教の神を日本流に屈折、変化させ別のものに仕上げてしまったのだ、とフェレイラは言う。

☆デウス=キリスト教では、唯一の神をあらわす言葉。日本では、戦国時代末期、キリシタンの時代に「神」を指す言葉として用いられた。(Wikipedia)

☆大日(如来)=密教において宇宙そのものと一体と考えられる如来の一尊。その光明が遍く照らすところから遍照、または大日という。(Wikipedia)

牢に聞こえてくる音が、「穴吊り」の拷問に苦しむ、呻(うめ)き声だった。誰かを罵っているようで、哀願しているようで、迫ってきては去る。去ると、絶望的な静寂に包まれる。またしても、牢の外にキチジローが現われ、許してくれ、弱くて殉教さえできぬ、どうすれば、よか?と司祭に訴える。

司祭が転べば、拷問は止められ、可哀相な百姓たちの命は助かるのだ。

そして、ロドリゴ司祭は転んだ。銅版に刻まれた主の顔は、踏まれて磨耗して、窪んだその顔は辛そうに司祭を見上げた。ロドリゴは踏んだ。

(踏むがいい、お前たちに踏まれるために、私は存在しているのだ)

転んだ後のフェレイラの心境を原作から引用する=私は転んだ。しかし、主よ。私が棄教したのではないことを、あなただけがご存知です。なぜ転んだと聖職者たちは自分を訊問するだろう。穴吊りが恐ろしかったからか。そうです。あの穴吊りをうけている百姓たちの呻き声を聞くに耐えなかったからか。そうです。そしてフェレイラの誘惑したように、自分が転べば、あの可哀相な百姓たちが助かると考えたからか。そうです。でもひょっとすると、その愛の行為を口実にして、自分の弱さを正当化したのかもしれません。それらすべてを私は認めます。もう自分のすべての弱さをかくしはせぬ。あのキチジローと私とにどれだけの違いがあるというのでしょう。だがそれよりも私は殉職者たちが教会で教えている神と私の主は別なものだと知っている。

幕府から住宅をあてがわれ、日本名をもらい、妻をも娶(めと)ることになる。南蛮渡来の品の中に、キリスト教関係のものがあるかどうかを調べたり、その他の幕府の公務に就いた。

2011年10月10日月曜日

アップル ジョブズ氏死去

 

世界最大の企業を一代にして作り上げた、偉大な経営者だったジョブズ氏の業績をダイジェストに纏めた記事に出くわしたので転載させてもらった。記憶に留めておきたいと思ったからだ。コンピュータ門外漢の私でさえ、氏の業績はかくも創造的で革新的だったのか、と今更ながら驚いている。

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20111007の朝日新聞・朝刊の記事をそのまま、転載させていただいた。

 

創造と変革 カリスマ喪失

ジョブズ氏死去

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5日に死去した米アップルのスティーブ・ジョブズ前最高経営責任者(CEO)は、それまで市場になかった製品やサービスを創造し、既存の産業と社会に変革をもたらし続けてきた。強烈なカリスマの喪失は、絶好調を続けてきたアップルの今後に影響を与える可能性もある。

ジョブズ氏が追求したのは高度な技術を誰もが使えるようにすることだった。昨年発売したタブレット端末iPad(アイパッド)は集大成と言える。キーボードをなくし、タッチパネルを触って感覚的に使え、パソコン並みの作業をこなせる。

iPadが客を奪い始めているパソコン。実はそれもジョブzズ氏が創造したものだった。

コンピューターといえば米IBMなどのビジネス機だった1970年代、共同創業者のスティーブ・ウォズニアック氏とアップルⅡを開発・発売。専門家でなくても使える初の量産機は爆発的にヒットした。

iPadの源流にはスマートフォン(多機能携帯電話)の先駈けとなったiPhone(アイフォーン)があった。2007年に「電話を再利用する」と宣言。パソコンのようなサイト閲覧や電子メール、ゲームなどができ、音声通話が主軸だった携帯電話を一変させつつある。

街からCD店が姿を消すきっかけもジョブズ氏が作った。違法配信を恐れる音楽業界と交渉し、音楽配信サービスiTunes(アイチューンズ)を開始。ソニーのウォークマンに挑んだ携帯デジタルプレーヤーiPod(アイポッド)と併せ、音楽の買い方や楽しみ方を変えた。

高度な技術を素早く市場に浸透させることに成功したのは、ジョブズ氏が神経質なまでに注力した製品デザインも大きい。不必要なボタンなどは極力排除し、手触りにこだわった。

完全主義者のジョブズ氏は、自分の理想が技術面やデザイン面で難しくても、何度も作り替えを命じて完成させた。ジョブズ氏の理想が製品に強く反映されたのは、社内で「専制」が貫徹されていた側面が大きい。

ジョブズ氏なき後のアップルをCEOとして引っ張るのは、実務家として評価されるティム・クック氏だ。今月4日の新製品発表会では、目玉のiPhone4sび発表をマーケティング担当幹部が行なった。「集団指導体制」への移行が印象づけられた。

ジョブズ氏は05年、米スタンフオード大で卒業生に送ったスピーチを「ハングリーであれ、馬鹿であれ」と締めくくった。天才的な先見性と、専制体制を失ったアップルが、既存の枠組みにとらわれない製品を出し続けられるか、注目はなお集まる。(ニューヨーク=山川一基)

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20111008

朝日朝刊

天声人語

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かって、これほど世界中の人々から、死を惜しまれた企業経営者がいただろうか。

アップルの共同創業者で、前最高経営責任者(CEO)のスティーブ・ジョブズ氏が、56歳で死去した。

「 Think different 」 (発想を変えろ)

ジョブズ氏がアップルに復帰し、97年から展開したキャンペーンのコピーである。アインシュタインやガンジーらの映像を使ったCMのナレーションは、こう締めくくられる。「自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、本当に世界を変えているのだから」

それは、まさにジョブズ氏の歩みでもあった。

ジョブズ氏は創業翌年の77年にアップルⅡを、84年にマッキントッシュを発売し、世界的にヒットを飛ばす。そこには、大企業のものだったコンピューターの世界を個人の手にもたらすというカウンターカルチャーの気風が色濃く投影されていた。

85年に会社を追放された。

10年余りを経て復帰した後は、iMac、iPod、iPhone、iPadと、新たなコンセプトを持つ製品を送り出し、アップルを復活させただけではなく、人々の暮らしに多大な変化をもたらした。ジョブズ氏は少なくとも世界を2度変えた。

特筆すべきは、そのビジネスモデルだ。「ものづくりではもうからない」と言われる時代にアップルは一貫してソフトとハードを統合した事業を続けた。ジョブズ氏はあらゆる製品で、デザインや使いやすさに徹底的にこだわった。

そのうえで、自社では工場を持たない。少品種の製品に絞り込みつつ、日本を含む世界中の企業から最適な部材を調達することで、メーカーとして極めて高い収益率を維持した。

ものづくりを得意としながら収益悪化に苦しむ日本企業は、改めて商品コンセプトの革新性とデザインへの審美眼を学ぶしかあるまい。

アップルはアップストアのようにソフトを配信する独自のサイトを設け、自社の端末で楽しんでもらう囲い込み型ビジネスで商品の価値を高めてきた。

今後、テレビをはじめとした家電や自動車、オフイス用品など様様な機器がオープンな形でインターネットに接続する時代が到来する。そのとき、アップルは囲い込み型ビジネスモデルからどう発展していくのか。

新しい製品を紹介する際の決まり文句だった「それから、もうひとつ」をもはや聞けないのが、残念でならない。

2011年10月8日土曜日

仏に脱原発の気運

原発大国のフランスで、脱原発の声が高まり始めたことを、20111003の朝日新聞で知った。

フランスでは、来年の大統領選に狙いを定めて、野党の動きが活発化してきた。原発が争点になりそうなのだ。このことについて、私は、外国のことだとは言え、原発の是非、今後どのようにしていくのかを国民に問ういい機会になったと思う。

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仏 マルクールにある核廃棄物処理施設

日本では、与党も野党も政治問題として、議論するまでに至っていない。争論をしあぐねているのだ。世論もさまざまに散っている。兎に角、今までは原発を推進して、国策にまで仕上げた自由民主党政権を、個人の思いは様ざまだが、結果的に支持してきた。じゃ、これからどうするかってことだが、このまま技術を進化させて続けるのか、方針を変更して今か将来的に止めるのか、どっちかだ。

1970年代の石油危機を機に、原発の建設を加速させた結果、フランスは、原発の依存度が8割までに達した。

そして、東京電力福島第一原発の事故だ。それに加えて、9月中旬に起きた原子力施設での死亡事故が世論を刺激している。フランス南部のガール県マルクールにある低レベル核廃棄物処理施設「セントラク」で、核廃棄物を熱で溶かす溶融炉内で爆発が起こった。放射性物質の外部への漏れはなかったそうだ。亡くなった作業員は炭化していた。この事故のフランス国民に与えたインパクトは強かった。

どこの誰だって、これ程の原発事故に遭うと、そりゃ、無いほうがいいに決まっている、と思うのは当然だろう。地球のとある場所で発生した事故によって、地球がまるごと恐怖に曝(さら)されるということが、現実に起こり得るのだから。

話を日本に戻そう。

各党の党首が勝手なことを言っている場合ではない。同じ党内でも異論が飛び交う。

ならば、国民投票かと思うのだが、日本では一般的な重要法案の是非を、国民の民意に問う国民投票制度はない。あくまでも憲法改正のみに限られている。

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 中曽根康弘元首相

 

日本に原発を積極的に熱心に、そして強引に導入したのは、読売新聞の正力松太郎とバリバリの将校政治家・中曽根康弘氏だ。その中曽根康弘元首相さえ、今後電力を原発に依存しないようにするべきだ、と述べているのを新聞記事で知った。財界から、東電辺りからの見返りがなくなったのか? 老いて、普通のオジイチャン、好々爺になられた結果なのだろうか。

選挙によって、国民の審判を受けてない首相が2代も続く。野田佳彦内閣は、復興の手をできるだけ早く打って、衆院を解散して選挙をするべきだ。その際、原発の今後について各党は主張を明確にして欲しい。民意を国会に反映させたいものだ。

オーストリアでは、憲法に反原発を明記した。ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、従来の原発政策を見直して、脱原発に舵をきりだした。先のイタリアでは、国民投票で脱原発を95%が支持した。