2011年12月19日月曜日

「悪童日記」を読む

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アゴタ・クリストフのことを知ったのは、今年の2月11日のことだ。

東京演劇アンサンブルのお芝居「道」を観に行って、貰ったパンフレットにこの芝居の脚本作家として紹介されていたのが、この人アゴタ・クリストフだ

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このお芝居のできふできは、私にはよく解らなかったが、劇団の人たちには、問題点が幾つかあったのだろう、難しそうな顔をして頭をひねっていた。

この作品は第二次大戦中か、大戦前のものだと思うのだが、よくもその時代に、今日の道路網としての「道」がいかにも可笑しな姿に成り果てたのを、見透かしていた。当時から、きちんと想定していたのだ。著者の、優れた先見性に感服した。

本題はこれからーーーーー。

そんな縁で、アゴタ・クリストフのことを知り、この作家のことを調べていたら、小説に面白そうな本があることを知った。「悪童日記」だ。これは、第二作目の「ふたりの証拠」、第三作目の「第三の嘘」と3部作になっている。

お芝居を観てから9ヶ月後の先月(11月)の中頃のことだ。ふらっと寄った古本屋さんで、この「悪童日記」を見つけた。

この本を読み終えて、2週間ほど経ってからその本屋さんに寄ってみたら、「第三の嘘」が100円であった。きっと、3部作を纏めて売った人がいたのだろう。第二作目の「ふたりの証拠」ももしかしてと思って、探したが見つからなかった。

この小説の原題を直訳すると、「大きな(大判の)帳面」らしい。訳者は、少年たちが秘密裏に書き残した私記を「悪童日記」とした。盗み読みのように楽しませてくれた。名訳だ。

双子は作文を書いて、互いに相手の文章を評価をし合った。この作文の記述には基本的なルールがあって、内容は真実でなければならないことだ。

早川書房111144の36ページ9行目からーーー。たとえば、「おばあちゃんは魔女に似ている」と書くことは禁じられている。しかし、「おばあちゃんは”魔女”と呼ばれている」と書くことは許されている。それから、37ページ3、4行。感情を定義する言葉は、非常に漠然としていて、その種の言葉の使用は避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実な描写だけにとどめた、とある。

この本では、徹底して感情の表現はない。頑固なまでに感傷のない語り口。その結果、読者には登場人物たちが時には怪物にも、倫理観の乏しい人間にも思えたりするのだが、けっしてそうではなく、登場人物らの個性的な素(す)を際だたせている。戦争の最中、このようにしか、生きられなかったのだ。双子は、混迷する世情を素手で受け止め、抵抗、巧知を活かして生きる。ドキドキさせられ放しで、本を握る手に力がはいる。そして、突然、涙が溢れ出る場面に出くわす。

脚本も手がける作家だけあって、文章は芝居を観ているようで、ドラマチックだ。章節は芝居の幕のよう。この章節で扱われた素材は、おばあちゃんの強烈な性格と仕打ち、賄賂、恐喝、獣姦、SM、殺人、戦争による空襲、爆死、連行、それにレイプなど、どれも現在の我々の日常生活とは程遠いものばかりだ。

その章節ごとの題名をここに列記しておけば、後々、思い出し易いだろう。この章節で扱われた素材は、おばあちゃんの強烈な性格と仕打ち、賄賂、恐喝、獣姦、SM、殺人、戦争による空襲、爆死、連行、それにレイプなど、どれも現在の我々の日常生活とは程遠いものばかりだ。

おばあちゃんの家に到着/おばあちゃんの家/おばあちゃん/森と川/不潔さ/体の鍛錬/従卒/精神の鍛錬/学校/紙と鉛筆と帳面を買う/僕らの学習/隣人とその娘/乞食の練習/鬼っ子/盲と聾の練習/脱走兵/断食の訓練/おじいちゃんのお墓/残酷さの習得/いじめ/冬/郵便配達人/靴屋さん/万引き/恐喝/非難/司祭館の女中/入浴/司祭/女中と従卒/外人将校/外国語/将校の友人/ぼくらの初舞台/ぼくらの見世物の発展/芝居/警報/”牽かれて行く”人間達の群れ/おばあちゃんの林檎/刑事/訊問/監獄で/老紳士/ぼくらの従姉/宝石/ぼくらの従姉とその恋人/祝福/逃走/死体置場/お母さん/ぼくらの従姉の出発/新しい進駐軍の到着/火事/終戦/学校再開/おばあちゃん、葡萄畑を売る/おばあちゃんの病気/おばあちゃんの宝物/お父さん/お父さんの再訪/別離

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備忘のために、あらすじを書き残そうと思い描いていた。

そうしたら、訳者の掘 茂樹氏の「異形(いぎょう)の小説ーあとがきにかえて」の文章と、『ウィキペディアの「悪童日記」』を読んで、成る程と感心させられた文章だったので、そのまま二つのの文章を拝借した。

異形の小説ーあとがきにかえて

時代は第二次世界大戦末期から戦後にかけての数年間。場所は中部ヨーロッパ、当時ドイツに併合されていたオーストリアとの国境に近いハンガリーの田舎町。戦禍はなはだしく飢饉(ききん)の迫る都会から、若い母親が双生児の息子二人を田舎に住む自分の母親、つまり息子たちの祖母の家に疎開させる。

ところがこの祖母は、働き者だが文盲にして粗野、桁外れの吝嗇(りんしょく)で身の周りは不潔を極め、しかもどうやら夫殺しの過去を引きずっているらしい。近所では魔女と言われていた。

この祖母に預けられた二人は、この老婆のもとで物質的にも、精神的にも、過酷極まりない。その上、全体戦争下の人々の生態は、彼らの眼前に文明の荒廃を容赦なく露呈する。そうした境遇に押しつぶされることなく、二人は持ち前の天才を発揮し、文字通り一心同体で、たくましく、したたかに生き延びる。

 

ウィキペディアの「悪童日記」

祖母は子どもに対して容赦なく、人並みに働かない限りは食事を一切与えない。二人はやがて農作業を覚えて食事をもらうようになり、家に置かれていた唯一の本である聖書でもって独学で読み書きを覚え、互いに協力して様様な肉体的・精神的な鍛錬をする。

時には盗みやゆすりも辞さず、家を間借りしている多国の性倒錯者の将校に助けられたり、隣人の兎口の少女を助けたりしながら、困難な状況を生き延びていく。

やがて町に〈解放者たち〉が進駐し、この国は他国の占領下に入る。終戦の間際に、双子の母親は子どもたちを連れて亡命しようとするが、双子はそれを拒否してこの地に残ることを選び、そして押し問答の最中に投下された爆撃によって、母親は赤ん坊ともども命を落とす。双子は学校に行くことも拒否して祖母のもとで暮らし続け、祖母が脳卒中を起こすと、彼女の頼みを聞いて毒を飲ませてやる。そうするうちに二人のもとに彼らの父親が姿を現す。この国で迫害を受けている父親は亡命を望んでおり、双子は彼の頼みを聞き入れ、国境を越える手引きをする。結果、父親は地雷原にかかって爆死するが、双子の一人は父親の死を利用して国境を越え、もう一人は祖母の家にもどり今までどおりの生活を再開する。