2013年5月22日水曜日

維新さん、特定目的政党では?

【2013.5.13】橋下徹 大阪市長 登庁時 ぶらさがり取材 - YouTube

日本維新の会の橋下共同代表は「歴史を調べるといろんな軍で慰安婦制度が活用されていた。銃弾が飛び交う中、猛者集団を休息させようとしたら必要なのは誰だってわかる」と、又、  沖縄県の米軍普天間基地を視察した際に「司令官に『もっと風俗業を活用して欲しい』と言った」、すると「司令官は凍りついたように苦笑していた」とも明らかにした。その後、発言を修正したり、内容の一部を取り消した。

この共同代表の近現代史を思考する姿勢の貧困さに、冷や汗三昧、寒々しいものを感じた。歴史観がなさ過ぎる。公的な場所で、性差や人種、宗教、言語などについて語る時に求められる感度の鈍さにも救いようがない。

日本維新の会は、地域政党だった大阪維新の会を母体に、自民党や民主党、みんなの党からの離党組議員が合流、そこに危険思想をもつ暴走老人、石原慎太郎が代表する太陽の党(旧たちあがれ日本)が合流した。そしてこの男が日本維新の会のもう一人の共同代表になった。ニつ党の理念なき合体が余りにも無理苦理?だった、と危惧していたら、、、、案の定、結果、バラバラだ。

この党は憲法を論議できるほどに、成熟していない。

だから、でも、私はここで100歩譲って、踏み止(とど)まる。

二人の共同代表には辞めてもらい、橋下氏は大阪市の市長に松井一郎幹事長は大阪府知事に専念してもらう。新たな代表を決めて、党の基本的な行動方針を大阪維新の会の原点に戻ってみてはどうだろう。

日本維新の会の原点は大阪維新の会だ。大阪維新の会が打ち出した統治機構改革は「大阪都構想」であった。国と広域行政と基礎自治体という三者の「権限」と「責任」を整理して、「住民サービスを支える基礎自治体」と「世界競争に勝ち抜くための広域自治体」を創り上げようとすることだ。

現実に、橋下共同代表は以前には大阪府の知事として、今は大阪市の市長として、行政の無駄や非効率な運営にメス、職員の士気の高揚モラルの厳守、その手腕は市民や府民に理解されている。日本のどの地域でも、この発想は活かされるべきだと思っている。

このような統治機構改革なら、私にもよく理解できる。 一昨年の統一地方選、秋の大阪ダブル選、そして昨年末の総選挙の結果が明らかなように、多くの民意は理解を示した。

この気運が、お馬鹿な二人の共同代表にオシャカにされるのが惜しいのだ。

統治機構改革を目指す特定目的政党として、この夏の参院選を戦えばどうだろうか、憲法改正を訴えるには、まだまだ未成熟過ぎる。 まして、こんな党が憲法改正のハードルを下げるために、96条改正から着手しようなんて、とんでも無いことだ。

2013年5月20日月曜日

我が農地闘争

池田勇人首相の時には、その候補地は転々として定まらず、佐藤栄作内閣時代の1966年、千葉県成田市三里塚に新東京国際空港を建設することに閣議決定した。これが最終案だった。

それから約10年後の1978年5月にようやく開港した。この間、1970年に土地収用法に基づく強制収用代執行まで、農地を空港用地として買収を求められた農民たちは、三里塚空港反対同盟を結成して、政府・県・空港公団と血みどろの闘いを繰り広げた。反対する農民団体は、老人決死隊、婦人・少年行動隊を結成、反代々木系の全学連と共闘した。

私の高校生から2年間の受験素浪人時代、大学の4年間はまさしく成田で激しい闘争が繰り広げられていた。新聞やテレビで連日報道されていた。私の青春真っ最中のこと、思想的に強く影響を受けた。

私は貧乏百姓の小倅(こせがれ)、農民たちの苦しみが痛いほど理解した。これほどまでに、農民を虐めてまでも開港しなければならない理屈が解らなかった。国家のなす横暴だと断定した。

そして、現在2013の5月、今度は私のささやかな農地闘争が始まっている。

突然、我が家に不動産屋さんが訪問してきた。私が横浜・保土ヶ谷で現在果樹園にしている土地を購入したいと希望している人から依頼を受けてやってきたのです、と挨拶があった。家人が応対した。

この土地は、元々弊社の商品だったが、当初考えていたように役所との折衝が進まず、不良在庫として計上しておくよりも、弊社の貸借対照表の見栄えがよくなると考えて購入した。

そんなこんなで、約15年続いた。

経済的に苦しくなって、この土地の売却をひたすら考えた時期もあった。が、景気はデフレスパイラルに陥る経済状況に突入、売るに売れず、止むを得ず「イーハトーブ果樹園」として植樹を始めた。植えたものの、仕事の合間にちょこっと面倒をみる程度に足を運んでいた。

そして3年前、私が本格的に厳しい経済危機に瀕した時に、今なすべきは、現金化だと家族総勢でこの土地の売却を進められた。家族と私は激しく対立した。目先の現金に手を差し伸べるか、果実や野菜が將來に亘って絶えることなく収穫できる方を選ぶのか、大層に考えればそういうことだ。自ら栽培する喜び、安心して食える幸せを重視したかった。

それでも、換金したい気持ちは口には出さぬが、常々腹の底では持っていた。が、ハイ、どうぞと売りましょ、とは割り切れなかった。悶々としていたのだ。1年前、10ヶ月前までなら、執拗に頼まれば、値段次第では売ることに同意したかもしれない。それほど、私の決意は緩んでいた。

昨年の夏に貧しい野菜の収穫を終えてから、一念発起、心機一転、会社の定休日の水曜日の昼間の2、3時間はこの果樹園で土壌改良作業に汗を流した。元々この土地は粘土質で、それに住宅の敷地だったので、野菜作りには全然適さないものだった。石ころが、ゴロゴロ出てきて、目に留まったものは全て畑の外に捨てた。捨てた石は小さな山になった。果樹と果樹の隙間に深くスコップの先を刺し、粘土層を壊し砕き、表層の普通の土と混ぜた。牛糞、鶏糞に落ち葉を加えた。米ぬかも入れた。その土壌を鍬で反転、何度も耕した。

このように土壌改良した畑に、この春、幾種類もの野菜の、苗を移植し種を蒔き芋を埋めた。その野菜たちが、この陽気につられて、茎を伸ばし葉を広げている。野菜たちの育ちぶりや、果樹の花が散って小さな実が少しづつ大きくなっていくのを見るのは、実に晴れ晴れ、気持ちの好いもんだ。

今日20130515も、イーハトーブに行ってきた。隣の奥さんに梨の木に黄色い大きな虫が繁殖していることを指摘され、ここ1ヶ月はすっかり野菜に気を取られて、果樹の枝を見上げなかったことを反省、2センチ程の虫を50匹ほど地面に落としてゴム長靴で踏み潰した。

成田・三里塚の闘争に較べれば、貴方の野良仕事は遊戯?だよ、と侮(あなど)るなかれ。荒地を耕せば耕すほどに、果樹を植えれば植えるほどに、野菜を作れば作るほどに、執着する心情は強まる。

私の誇り高い「イーハトーブ果樹園」だ、今は狭くて貧しい土地だが、豊饒な農地にしてみせる。どんなことがあっても、手放すものか。

2013年5月19日日曜日

Jリーグ開幕20週年

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20130518の朝日新聞の記事そのままを転載させていただいた。

 

Jリーグ開幕20周年

ファンが決定 最強イレブン

Jリーグは17日、開幕20周年を記念してファン投票で決めたベストゴール、ベストマッチ、ベスト11を発表した。最多得票でベスト11に選ばれたFW三浦知良(横浜FC)は「あっという間の20年。ずっとピッチに立ち続けたことへのご褒美だと思う」と喜んだ。

リーグによると初の試みで、インターネットで合計約33万4千票が集まった。ベストゴールは1995年11月1日鹿島のレオナルドが横浜フリューゲルス戦で相手をリフテイングでかわして挙げた得点。ベストマッチには、2006年12月2日、浦和が優勝を決めたガンバ大阪戦が選ばれた。

この日は、開幕20周年の記念パーテイーも東京都内で開かれ、元鹿島のジーコ氏、ストイコビッチ・名古屋監督ら約1100人が集まった。

大東和美チェアマンは「チャレンジ精神を持って、今後も力を合わせていきたい」とあいさつ。記者会見では、川淵三郎・初代チェアマンが「『地域に根ざす』という意味が全国に理解されただけでも成功」と20年間を振り返った。

2013年5月16日木曜日

維新の会は、これで終わった

日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)は20130513、旧日本軍の従軍慰安婦問題に関して、「歴史を調べるといろんな軍で慰安婦制度が活用されていた。銃弾が飛び交う中、猛者集団を休息させようとしたら必要なのは誰だってわかる」、「日本政府が暴行脅迫して拉致した事実は証拠に裏付けられていない。ただ意に反して慰安婦になった人にはやさしく配慮しなくてはいけない」、「良しとするかどうかは別だ」、「当時、軍の規律を維持するには必要だった」と語った、と新聞で知った。

野党と言えどもそれなりの党員を抱える党首が、ここまで旧日本軍の慰安婦を容認する発言をしたことに、世界は、とりわけ韓国などからは強い非難の声があがっている。アメリカの高官も鋭く反応した。女性の人権を軽視し過ぎたこの発言は、世界の全ての善男善女を震撼させた。何事にも鈍感な私でさえ、この男、狂っているんではないか、とまで思った。

安倍晋三首相は、慰安婦問題については、「強制」は元々存在しないとする立場をとってきた。先の政権時代、米国での慰安婦問題批判を受け、ブッシュ大統領には「人間として、首相として、心から同情している。申し訳なかった」と言ったとか言わなかったとか。だが、そんな煮え切らない日本の首相の態度に業を煮やしたのだろう、米下院で慰安婦非難決議が採択された。

橋下共同代表は、先に沖縄県の米軍普天間基地を視察した際に「司令官に『もっと風俗業を活用して欲しい』と言った」、すると「司令官は凍りついたように苦笑していた」とも明らかにした。こんなことを話して、恥ずかしくなかったのだろうか?

それからが面白い。

もう一人のこの党の共同代表で暴走老人を自称する石原慎太郎は、主役を取られまいとしたのか、翌日の14日、橋下共同代表の発言に対して、「軍と売春はつきもので、歴史の原理みたいなもんだ。それをふまえて発言したのだと思う。彼はそんなに間違ったことを言っていない」と述べ、問題はないとの認識を示した。橋下代表の発言の報じられ方にも触れ、「あなた方(メディア)のとらえ方にも問題がある。この問題は被虐的に考えないほうがいい」と指摘した。

一人の代表が慰安婦は必要だったと言い、もう一人の代表は歴史の原理だと認めた。こんな代表らが、この秋の参議院選挙戦で憲法96条を緩和することを自党のマニフェストに加える。これを争点にしようとしている。自民党もみんなの党もこの緩和策に賛成している。

歴史認識の疑わしい安倍首相や高市早苗政調会長の自民党、それに日本維新の会の連中に、憲法をいじられては(改正なんて? 改悪でしょ)、堪(たま)ったものではない。

こんな連中に憲法をいじらせない、ゾ。

ーーー、さすが橋下共同代表も政治家、翌日20130516の新聞に、事態収拾を探るかのような表現をしたとあった。党内からの批判があったのだろう。「必要性を理解することと、認めることは全く別の話だ」、と。

2013年5月12日日曜日

うどんの陰に潜むもの?

ぶっかけ讃岐うどん レシピ

香川県の地元自慢は讃岐うどんだ。全国に讃岐うどんの名を高らかに轟かせている。現に、そっち系の店があっちこっちに開店してどこの店も活況だ。香川県や徳島県では雨が少なく稲作よりも麦の栽培が多く、それが香川県ではうどんに、徳島県ではラーメンになったようだ。ところで、この香川県が糖尿病の受療者がワースト1(全国)のタイトルを保持しているという記事を、或る日の日経新聞で読んだ。

糖尿病は血糖値を抑えるインシュリンの働きが悪くなることによって、起こる病気だ。うどんが糖尿病に、何か悪い影響でも与えているのだろうか?よしんば、影響があるとしても、うどんだけが悪いのではないはずだ!! 私は関西の出(で)、うどん大好き派だ。昼飯時には、うどんを食うつもりでなくても、食事を誘うときに、ケ(キ)ツネうどんでも食いに行こうか?ということになる。

糖尿病は典型的で代表的な生活習慣病だ。国民健康栄養調査によると、香川県は1日あたりの野菜摂取量が、女子が全国1位で男性が2位に少ない。と聞くと、うどんと野菜の摂取量の少なさが、何やらきな臭い。野菜の摂取不足は間違いなく糖尿病や高血圧の原因になる。

讃岐人のサラリーマンの昼食は、2日に1度はうどんを食べる。1日に、2度も3度もうどんを食う人がいる。野菜を食べなさ過ぎに運動不足、うどんの醍醐味は喉ごしにあるとか何とか言っちゃって、具の少ないぶっかけうどんを好む。これが、通(つう)の食い方だとばかりに。これが、良くないようなのだ。

食後の血糖値が高すぎると、膵臓に負担をかけ、インシュリンを作る細胞が減ってしまう。うどんやご飯の炭水化物は、過血糖を引き起こしやすい栄養素が多く含まれている。まして、うどんに、ご飯やラーメン、パスタなどの重ね食いは危険千万。

かくして、うどん王国、香川県は糖尿病地獄に陥ったようだ。

ここで、目に鱗。うどんには塩分が多く含まれているので、高血圧の人は注意しなさいと、今まで聞かされてきたが、みんなの家庭の医学で発表した高血圧者が少ない都道府県ベストで、香川県が1位だった。

悩み多き讃岐人、なんとかしましょ香川県だ。

2013年5月10日金曜日

それは、ドクダミの花だった

どくだみの葉

昨日20130502は、商品開発中の藤沢の中古住宅の家の周りの除草をした。ゴールデンウィークの始まる少し前にギックリ腰になって、1週間ばかりは現場の作業はできなかった。私、生まれは貧乏な百姓の小倅(こせがれ)、草むしりや樹木の剪定や伐採になると俄然、気合が入る。

この物件は長く空家だったので、ドクダミやスギナが繁茂していた。そのどちらの草も私には悩ましい草で、冬には地上の茎と葉は枯れるのだが、地下茎は地中深く横走、網目状に張り巡らしていて、春にはその地下茎から芽を出す、多年草だ。表面の茎と葉を引っ張って、鍬で土を起こしてできるだけ深いところまで地下茎を取ろうとしても、どこまでもどこまでも伸びていて、完全に全てを引き抜くことはできずに、途中で切れてしまう。

私たちの会社の周りの空き地にもドクダミは生えていて、地上の葉と茎を取るだけにして、地下茎のことは諦めている。この作業も、私の担当の仕事になっている。

今日は久しぶりの肉体労働、腰の痛みは大分良くなって、その気楽さが増々仕事に熱が入る。腰痛が全く消えたわけではないが、快方、これだけ働けるのが嬉しいのだ。暑くて汗がシャツに滲んだ。

生薬としての効果は色々あるようだが、生家では、子どもの私のために、このドクダミを虫下しに祖母が煎じて飲ましてくれた。十薬(じゅうやく)とも呼んでいた。名前の由来は、特有の臭いが毒を溜めているようで、毒溜め=ドクダミになったようだ。日本大百科全書には、十薬の呼び名は、ドクダミで馬を飼育すると、10種の薬に相当する効果があることから生まれたと言われている、とあった。

そして夕方、横浜駅近くの居酒屋で、40余年前、学校を卒業して初めて勤めた会社の同期入社の友人と合流。鶏肉が串にくっついて、歯を立てて噛み切ってやっとのことで、舌に乗る、それからおもむろにヤ・キ・ト・リを味わった。以前によく通った五番街の居酒屋だ。冷奴にお新香。厚揚げに焼き魚のホッケ。オーダーする品は相変わらずだ。料金は美味くないだけに安い、理に適っている。気を許した間柄、ゆらゆら泥酔までに時間はかかった。ぬる澗で、鱈腹(たらふく)飲んで、自分のアパートに帰った。

否、そんなに順調にアパートに辿り着いたわけではない。酔っ払って乗り過ごし、終点の駅で駅員さんに起こされてのUターン帰還。アパートに着いたのは、丑三つ時ではなく一つ時、深夜の2時近くになっていた。何処かでロスタイムがあったのだろう、何故、こんなに遅くなったのか解らない。

2階の私の室に上る鉄階段に踏み込んだその足元、常夜灯の弱い明かりに何やら白い小さな花が見えたので、足をコンクリートのたたきに戻し、階段の下を覗きこんで鷲掴みにしてむしりとった。そのまま握りしめて玄関を開け、その花を花瓶に差し込んで、寝たらしい。着の身着のまま。この時期、近所の農道を散歩をしても、やたら花を摘みたくなる。

今朝、酒の残っている頭をこつこつ拳(こぶし)で叩きながら、血走った目で花瓶を凝視、その花がドクダミだったことに驚いた。なんと、こともあろうに、私が日頃悪戦苦闘しているドクダミだったとは。酔っ払っていたのだ。

洗面化粧台を前に、歯ブラシを持つ右手からは微(かす)かなドクダミの臭いがした。

2013年5月7日火曜日

96条改定、反対54%賛成38%

改憲手続き先行論、これって可笑しくない?

20130502、憲法記念日を前に、朝日新聞が全国郵送世論調査を行った結果の内容が記事になっていた。憲法96条を変え、改憲の提案に必要な衆参各院の議員の賛成を3分の2以上から過半数に緩めようとしている安倍自民党の主張に、反対が54%で賛成の38%を上回ったとのことだ。9条についても「変えない方がよい」が52%で、「変える方がよい」の39%よりも多かった。

私は96条の変更反対、護憲派だ。

絶対、改憲の垣根は高い方がいい。

安倍晋三首相の光と闇。光の部分は、アベノミクスとやらで内閣支持率は空前の高支持率を得ていることだ。これはこれでで大いに結構なことだ。政治主導、関係省庁で議論を尽くした施策に邁進しようとする意気込みが、長年のデノミスパイラル状態から抜け出したいと望んでいる国民に支持されている。目先の成果は兎も角、実のある成果はもう少し時間がかかりそうだ。

が、首相の闇の部分が怖いのだ。この闇というのは、あくまでも私にとっての闇、個人的な見解で批判されることも重々理解している。平成24年4月27日に発表した自民党の(日本国憲法改正草案)の概要に従って、改憲に突き進もうとしているが、その本気が怖い。内容については、自民党が自党のホームページで、詳しくQ&A方式でその意義を説明しているので、その詳細を確認してもらえればいい。

戦後レジームからの脱却だとか言って、生い立ちに疑問を持つ日本国憲法の全面改正、戦争責任を明確に表示した村山談話には、基本的にその精神を引き継ぐと言いながら、A級戦犯に対しては国内法的には犯罪人ではない、と発言。また東京裁判においては、第一政権時代には、「受諾して異議を唱える立場にない」で終わっていたが、今回政権についてからは、「大戦の総括は日本自身の手でなく、いわば連合国側の勝者の判断によって断罪がなされた」と述べ、東京裁判に懐疑的な見方を示した。

それに、河野談話の慰安婦問題は元々存在しないとする立場をとってきた。米国での慰安婦問題批判を受け、ブッシュ大統領には「人間として、首相として、心から同情している。申し訳なかった」と言ったとか言わなかったとか。だが、そんな煮え切らない日本の首相の態度に業を煮やしたのだろう、米下院で慰安婦非難決議が採択された。

戦後生まれの多くの政治家らが先の世界大戦に反省の意識が薄く、対戦国に配慮なく強い姿勢、これらの動きに私はどうしても憂慮、心配する。侵略ではなく、侵攻だったとか。かっての自民党にはハト派と言われるグループがいた。強く反戦・護憲を口にする議員が多かった。印象に残っている政治家は、あのアホな絆創膏農林大臣の父、赤城宗徳議員だ。三木武雄、宮沢喜一。軟弱議員後藤田正純の父、後藤田正晴だ。最近まで議員だった野中広務。この人たちは反戦・護憲の筋金入りだった。

このような安倍首相が率いる自民党や日本維新の会が、現実にどのように条文化しようとしているのか。自称・暴走老人の石原慎太郎共同代表は何を考えているのか?注意しなければいけない、老怪な男だ。

20130504の朝日新聞に、小林節・慶大教授が96条改正を自民党が中心になって進めようとしていることについて話したことを記事にしていた。聞き手は石松恒さんだ。私は教授の意見に全く首肯した。なるほどと思うけれど、そうではないと思う人もいるようなので、ここは、教授の話をここに再現して、よく考えることにしましょ。

以下、新聞記事のまま。

私は9条改正を訴える改憲論者だ。自民党が憲法改正草案を出したことは評価したい。たたき台がないと議論にならない。だが、党で決めたのなら、その内容で(改正の発議に必要な衆参両院で総議員)の「3分の2以上」を形成する努力をすべきだ。改憲政党と言いながら、長年改正を迂回し解釈改憲でごまかしてきた責任は自民党にある。

安倍首相は、愛国の義務などと言って国民に受け入れられないと思うと、96条を改正して「過半数」で改憲できるようにしようとしている。権力参加に関心のある日本維新の会を利用し、ひとたび改憲のハードルを下げれば、あとは過半数で押し切れる。「中身では意見が割れるが、手続きを変えるだけなら3分の2が集まる。だから96条を変えよう」という発想だ。

これは憲法の危機だ。権力者は常に堕落する危険があり、歴史の曲がり角で国民が深く納得した憲法で権力を抑えるというのが立憲主義だ。だから憲法は簡単に改正できないようになっている。日本国憲法は世界一改正が難しいなどと言われるが、米国では(上下各院の3分の2以上の賛成と4分の3以上の州議会の承認が必要で)改正手続きがより厳しい。それでも日本国憲法ができた以降でも6回改正している。

自分たちが説得力のある改革案を提示できず、維新の存在を頼りに憲法を破壊しようとしている。改憲のハードルを「過半数」に下げれば、これは一般の法律と同じ扱いになる。憲法を憲法でなくすこと。「3分の2以上で国会が発議し、国民投票にかける」というのが世界の標準。私の知る限り、先進国で憲法改正をしやすくするために改正手続きを変えた国はない。

権力者の側が「不自由だから」と憲法を変えようとする発想自体が間違いだ。立憲主義や「法の支配」を知らな過ぎる。地道に正攻法で論じるべきだきょうどう96条から改正というのは、改憲への「裏入学」で邪道だ。

2013年5月6日月曜日

フランシス・べーコン

 

20130429の日経新聞の特集を観て、吃驚した。

日経新聞の芸術、文化、娯楽を扱う記事は面白い。政治経済の深耕した記事にはちょっと緊張して疲れるが、こっち方面の記事は、心のオアシス、心の潤い、取り上げるスタッフたちの懐の深さに感心している。私を愉快にさせる題材を欠かさない。

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「叫ぶ教皇の頭部のための習作」

 

この絵画は何だ!! 新聞を手に、俺が発した声は悲鳴のように聞こえたかもしれない。新聞を握る指に力が入る。興奮して立ち上がる勢いで、テーブルのコーヒーカップがひっくり返りそうになった。私はこの画家のことを今日まで知らなかったし、このような絵画も初めて観た。

「フランシス・ベーコン展 その見どころは」とタイトルがついた記事で、彼の絵を美術評論家の勅使河原純さんが解説している。「人間」を描き続け、ピカソと並び20世紀を代表する画家に挙げられるらしい。それにしても勅使河原氏の評論も凄いなあと感心させられた。

以下は勅使河原氏が書いた文章そのままだ。

フランシス・ベーコンは、ピカソと並び称されるほど有名な20世紀の画家である。恐らく彼の絵が、ピカソに負けず劣らず風変わりだったからだろう。ピカソが伝統的な絵画の破壊者なら、ベーコンはさしずめ20世紀ならではのリアリズムをつくろうとした人物、といったところか。

現代社会を生きる人なら誰でも、心の奥底にそっと隠し持っている居心地の悪さのようなものを、これでもかといわんばかりに暴いてみせるアーティストとの代表格。様式や流行がめまぐるしく入れ替わった変革の時代にあって、彼のユニークさはしだいに重要さを増し、いまや人々を限りなく惹きつけてやまない。

とりわけベーコンが深い関心を寄せたのは、われわれ自身の身体とその「動き」である。

開催中の「フランシス・ベーコン展」のテーマにも「移りゆく身体」、「捧げられた身体」、「物語らない身体」、「ベーコンに基づく身体」と、体にまつわるたくさんの言葉が登場する。実際の画面を見ても。ベーコンは小さな空間のなかに放り込まれた人物がみせるさまざまな肢体以外に興味のあるものはない、といわんばかりの態度である。

たとえば「叫ぶ教皇の頭部のための習作」という作品では、温厚な老紳士のはずのローマ教皇が突然怒りだし、恐怖、叫びといった暗い感情を露(あら)わにする。引き伸ばされた画像が、時の経過をフリーズさせたようにも見えないだろうか。これは彼の作品がはじめてみせた、いわば20世紀絵画の新しい表現方法かもしれない。

人間の身体を取り囲む「空間」とは一体何だろう。あるいは、人を絵画として定着させる「肖像」の意味とは何なのか?ベーコンの絵画はそうした根源的な問いかけも投げかける。

「空間」という言葉は通常ひろがりを意味し、人間に限りない自由を保障するものである。ところが、ベーコンにとっては、線(鉄柵)やカーテンで仕切られた閉所を意味するかに見える。人々はそのなかですっかり自由を奪われ、わずかにぎごちない動作を繰り返すことが許されている。例えばちょこまか歩くとか、跨ぐ、寝転ぶ、首を振る、腕を振るといった具合。精々のところ、ソファの上をのたうちまわってみせる程度なのである。

 

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「ジョージ・ダイアの三習作」

 

ベーコンは「トリプティック/三幅対」という一風変わった3枚セットの絵画のスタイルを編み出した。キリスト教のエピソードを図説する形式として知られているが、ベーコンのそれは一つのものを同時に三方から眺め、描き表す。しかし、右、中央、左と3つの画面の間に統一像へとつながる何らかの手がかりを見つけ出すのは容易ではない。

「ジョージ・ダイアの三習作」の顔が歪められ、形を失っているのは、決して人間の要望に興味がなかったからではないだろう。愛人だったモデルに深く執着するがゆえに、相手をもっと彼/彼女らしく描こうとした結果とも考えられる。

 

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芸術家の言葉から作品に迫る。

 

(全てデイヴィッド・シルヴェスター著「肉への慈悲」 小林等訳より)

ーー抽象画を描きたいと思ったことがあるかと聞かれて「いえ、描きたかったのは具体的なフォルムです。(中略)人間の姿に近く、かつ徹底的にデフォルメされた有機体のイメージ、という領域です」

「対象をとほうもなく歪めて描きたいのです。ただし、歪めることによってリアルな姿かたちを記録したいということです(中略)私の描き方は非常に作為的なので、モデルが目の前にいると自分のイメージ通りに描きづらいのです」

「現代は、フィルムやカメラやテープレコーダなど、記録する機械があるので、画家はもっと根本的なところまで掘り下げなくてはならないのです。表面的なレベルでの記録は、ほかの手段でもっとうまくできるのですから」

ーートリプティックのカンバス3枚を隙間を開けて展示するのは「ひとつひとつ絵を切り離しているのです。そして、絵と絵のあいだに物語が生じるのを妨げています」

ベーコンは、パリの展覧会でトリプティックが1枚の額縁に入れられ、「絵全体が台なしになる」と怒りの手紙を送ったとも語った。

無線充電って?

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20130502の日経新聞・朝刊/総合1面に、「走行中の車などに無線充電」、「三菱重工や京大 5年後に実用化」のタイトルの記事を認めた。5年後には、携帯電話やスマホ、無人の飛行機や電気自動車に電波で送電するというのだ。また、2040年には、宇宙に浮かべた太陽光パネルから地上のアンテナで受信、受電するらしい。

このようなシステムが可能になると、世の中ががらんと変わったものになるのだろう。そして、このシステムを報じたこの新聞記事さえ、貴重なものになる。ならば、この記事をマイファイル、記事そのままを転載させてもらった。

 

三菱重工業やオムロン、鹿島など22社と京都大学を中心とする13大学は、電波を使って電気自動車やスマートフォン(スマホ)を無線充電する技術を開発する。5年後に離れた場所へ送電する技術を実用化し、走行距離や利用時間が短い電気自動車やスマホの弱点を克服する。将来は宇宙に浮かべた太陽光パネルから電気を地上へ送る宇宙太陽光発電に応用する。

共同研究を進めるため「ワイヤレス電力伝送実用化コンソーシアム」をこのほど発足させた。参加企業が資金を出し合い、京大や大阪大学など大学の研究成果を応用。電子レンジに使うマイクロ波で電気を送り、離れたところから充電する技術を研究する。

まず5年後を目標に、会議中などに机に置いた複数の携帯電話やスマホを充電するシステムや、走行中の電気自動車に電気を供給する装置の実用化を目指す。大規模な災害が発生したときに被害状況を調べる無人飛行機を充電するシステムなども開発する。

2040年ごろをメドに、宇宙に浮かべた人工衛星の太陽パネルで発電し、地上の受電装置へ送電する技術の確立を目指す。

並べたコイルの片方に電気を流すと磁力が発生し、もう一方のコイルに電気が発生する電磁誘導の仕組みを使い、無線で電子機器を充電する技術は実用化されている。この方式では、離れた場所にある動いている機器の充電は難しい。コンソーシアムでは、遠くに送電できるマイクロ波の特長をを生かした応用製品の開発を進める。

自然エネルギーなどの市場調査を手がける米ナビガントリサーチ(コロラド州)によると、無線送電技術を使った製品の世界市場規模は12年の10億ドル(約970億円)から、20年には118億ドル(約1兆1500億円)に拡大する見通し。産業向けではセンサーや発電部品の需要が伸びるほか、携帯電話や電気自動車への充電システムが拡大すると予測している。

2013年5月1日水曜日

天使の分け前

20130430 18:40~、映画「天使の分け前」を、銀座テアトルシネマで観てきた。

16:30、高田馬場で、逗子市の土地の仕入れ契約を終えて、一緒に契約に立ち会っていただいた共同事業者の社長さんに、実はこれから映画を観に行くのですが、よろしければ一緒にいかがですか、と誘ってみた。社長さんに粗筋の一部を話すと、興味をもってくれた。

上映時間まで時間があったので、映画館の近くの居酒屋でイッペイ引っ掛けた。誘った私が飲み代を払わなくてはならない立場だったのに、あべこべに、払ってもらった。感謝、感謝。

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銀座テアトルシネマが、来月の31日(20130531)に27年間の歴史に幕を閉じる。この劇場を運営している東京テアトルさんには、仕事の関係でお世話になっている。社長さんはじめ大勢のスタッフの方々にお付き合いをしていただいている。この会社の象徴的な劇場が幕を閉じると聞けば、足を運ばないわけにはいかない。まして、この映画が最終上映作品だと聞けば尚更のことだ。

2012年、イギリスの名匠ケン・ローチが、カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞したドラマ。脚本家は長年、この監督と仕事をしてきたポール・ラヴァテ。映画の舞台は、スコッチ・ウイスキーの聖地スコットランドのグラスゴー。グラスゴーの失業中の若者集団が直面している厳しい現実をコミカルに映画化したものだが、観衆に突きつけた問題は深刻だ。

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「天下の分け前」のストーリーを、買ってきたプログラムの文章に私が大いに加筆した。できるだけ詳しく書いておけば、後日のための備忘の役を担ってくれるだろう。

主人公のグラスゴーに住む若者ロビーは、暴力にあふれた環境で育ち、少年刑務所を10ヶ月前に出所したばかり。家族のしがらみから、息子同士によるケンカの沙汰が絶えない。親の代からの宿敵クランシーに付け狙われていた。青年ロビーは、恋人レオニーとの間にもうすぐ子供が生まれることに免じて刑務所送りを免れ、300時間の社会奉仕活動を命じられる。裁判官は、ロビーの犯歴はどれも深刻だが、恋人を気遣う態度に更正の可能性が見受けられると寛大な判断をした。

奉仕活動の指導者のハリーから、奉仕活動のペンキ塗りの最中に、彼女が男の子ルークを出産したことを告げられる。出産した彼女を見舞いに、ハリーの運転で病院に駆けつけた。そこに居合わせた彼女の父マットと甥っ子たちに殴られた。マットはクラブ経営者で金持ち、娘とロビーの交際に反対していた。

怪我を負ったロビーが、知り合いの部屋を転々して暮らしていることを知り、ハリーは自分の家に連れ帰って手当てをした。さらに、彼はとっておきのウイスキーを開けて、ルークの誕生と父親のロビーを祝った。

父親としての責任を自覚したロビーは、ハリーに励まされ、自分がかって傷つけた被害者とその家族と面談して改めて罪の重さを噛みしめ、自分の子どもを抱き、二度と誰にも傷つけないことを彼女に誓う。

そんなある日、ウイスキーの愛好家のハリーは課外活動?と称してロビーたち奉仕活動仲間をエジンバラの蒸留所見学を組み込んだ日帰り旅行に連れ出した。ウイスキーを嗜む余裕はおろか、グラスゴーから出たことのない若者たちにとっては見る物全てが新鮮だった。彼らを酒に溺れさせるのではなく、素敵な文明社会のウイスキーの滴りを見せてやろうとした。ハリーの思い通り、奥深いウイスキーの世界に興味を持ったロビーは、仲間の紅一点モーがつい失敬してきたミニボトルを飲み比べ、ハリーに教わりながら文献を調べ、勉強するうちに、テイスティング「利(き)き酒」の才能に目覚めていく。モーには盗み癖がどうしても抜けそうにない。

自分には繊細な識別力があって、高級スコッチ・ウイスキーの地域別の複雑な味や他の微妙な違いを正確に判断することができたのだ。

一口口に含んで、そのウイスキーが子どもの頃食べたクリスマスケーキに入っていたクラガモンテだと当てた。彼に新たな希望が生まれた。この蒸留所で怪しげな、自称コレクター・タデウスに会う。この男が、この物語の最後には、奉仕仲間が仕掛けた天使の分け前」分を買ってくれることになる。この時点では、怪しげな男として出現している。

ウイスキーが樽の中で熟成されている間に、毎年約2%が蒸発して中身が減っていくことを教えられる。この減少分のことを、この地では「天使の分け前」と呼ぶ。この天使の分け前があってこそ、ウイスキーは美味さを増す。

ロビーにとってハリーは、職もなく、住む場所もない落ちこぼれが、初めて信じられる大人の存在であった。そんなハリーと巡り合い、励まされ、荒んだ気持ちが穏やかに感じられるようなる。自信を取り戻そうとしていた。そんなある日のこと、クランシーに襲われる。ロビーは暴力で立ち向かおうとするが、ハリーが、吹っかけられた喧嘩に乗るな、喧嘩に乗ってくるように仕向けるのが奴らの考えで、奴らの思う壺にはまってしまったら、元も子もないではないか、と制止する。

マットから、5000ポンドで恋人レオニーと息子ルークから別れるように突きつけられる。

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社会奉仕活動で知り合った仲間と北ハイランドの蒸留所へ出かけていく。
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レオニーとルークとの安穏とした生活を築くためにはどうしたらいいのだろうか、悩みはいつもそこにあった。ところが、そのヒントを得たのだ。そのヒントとは、仲間とともに1樽100万ポンド(日本円で1億4000万円)以上で落札されようとしている幻のシングルモルトの樽から数リットルを盗み、それを何とか金に換えることができれば、人生のスタートの原資になるではないか。手に入れることができれば、いかがわしいウイスキー販売業者に売り飛ばせばいい、と計画した。

2%の「天使の分け前」分を、自分たちが天使になり代わってもらおうというわけだ。別の言い方をすれば、盗むってことなんだが。高価なウイスキーの競り会場に近づいて進入するのに、キルト姿に扮した。キルト姿で、北ハイランドのバルブレア蒸留所までヒッチハイクでどうにかたどり着いた。道々怪しまれて警察の尋問に遭い、キルトをめくり上げてまで検査を受けた。

たどり着いた会場では、仲間たちはカーンタイン・モルトクラブの会員として入場した。会場には、あの怪しげなウイスキーのコレクター・タデウスも来ていた。入札の前日、開会のためのセレモニーが終わった会場に、一人ロビーはその樽蔵の奥に身を潜めた。深夜、仲間が蔵の外に持ち寄ったミニボトルに、目玉の最高級スコッチ・ウイスキーの樽から、ビニールホースで天使の分け前分を引いた。かすめ取ることができた。

翌日、何も知らない関係者たちによる入札は、熱気に包まれ、落札者ならびに関係者は喜び、悔しがり、祝ってその競(せ)りは静かに終わった。

仲間は、最高級スコッチ・ウイスキーの入ったミニボトル3本を抱えて帰途につく、その道すがら3本のうち1本を割ってしまう。だが、3本のうち1本が無くなっても、その希少価値が高まって、総額は変わることはないよ、と宥める。

謎めいた男タデウスと合流、ロビーはそのボトルを買ってもらうことに成功。売り上げを4人で分けた。ロビーはテイスティングの能力を買われ職を得ることができ、レオニーとルーク、ロビー家の3人は買い求めた車で、新たな地に向かってスタートした。

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ケン・ローチ監督のインタービューの一部を付け加える。

ーーーーーなぜこの物語なのでしょうか?

昨年(2011)末、イギリスにおける失業中の若年層が初めて100万人を超えた。我々は、今を生きる若い世代の多くが空っぽの未来に直面している問題について物語を作りたいと思っていたんだ。彼らは自分たちが定職に就けないと思っている。それが人々にどんな影響を与えるのだろうか?そんな彼らが、自分自身をどう見ているのだろうかと思ったからだ。

 

ーーーーーキャストについてはどうですか?

ロビーの恋人であるレオニーを演じる女性を探すのには、長い時間を要してしまった。彼女の役柄は最も簡単だと思っていたんだけれど、実際は最も大変だったんだ。そのソーシャル・レベルを表現することがとても重要だったからだ。彼女の父親は金を儲けたから引越し、中流家庭のバックグラウンドを娘に与えようと必死だった。つまりレオニーはロビーや他の連中と同じグループではないんだ。それなのに、彼女はロビーの世界に近付いて、その世界を理解している。彼女の役にはそのバランスを取る資質が重要で、上流階級ではダメだし、あまりに労働者っぽくても違う、”ロビーが何かを感じる”という点が本当に難問だった。

兄貴の鶏の解体

先日、弊社の中古住宅の商品化のために、私と経営責任者の中さんが、建物の外周りの美装作業をしていて、除草に手を焼くハコベを、昔、祖母が飼料にして鶏を飼っていたとブログに綴った。此の頃の記憶がはっきりしているのは、小学校の3年生の頃からだ。

キーボードを叩きながら、頭の片隅にちらちら彷彿したのが、兄が包丁を振るって、私の心臓がブルった鶏の解体作業だった。

山岡家の「ALWAYS 三丁目の夕陽」だ、昭和の35年前後のこと。

私が生まれて住んでいた山間(やまあい)谷間(たにあい)の村里では、どこの家にも冷蔵庫はなかった。我が家では生物(なまもの)を、氷の大きな塊(かたまり)を箱の中の上部に入れて密閉する遣り方で保存していた。氷で冷やされた空気は、すのこの網目を通って、全体を冷やす。昔は氷屋さんがいた。また、生の魚や肉類は、そう易易(やすやす)と手に入らなかったので、此の程度でまかなえたのだろう。野菜類は、必要な時に必要なだけ、畑に採りに行けばよかった。

我が家のお盆と正月の飛びっ切りの贅沢は、老いた鶏を解体してすき焼きにして食べることだった。お盆には生血を見るようなことは避けるものだが、我が家にはそんな掟(おきて)はなかった。この時の光景を何故、今頃、思い出してこんな稿に認(したた)めようなんて気になったのだろう。

解体をしたのは、一番上の兄だ。当時、兄は中学生だったけれど、この兄は既に中学生にして何もかも自立していた、十分一人前の大人だった。農作業にしても父に負けなかった。兄は農業を営む実家を支える心構えができていたのだろう。

天気の好い日を選んで、めぼしい鶏の首を捕まえて包丁で喉元を切る。苦しくて首を振ってもがくが、強く首を押さえて逆さ吊りにする。流れ出る血を大きな器で受ける。この血は間もなく固くなって、すき焼きにはレバーと同じようにして食った。

鍋で沸かした湯を大きな器に入れて、中に鶏を毛のついたまま浸す。暫くして、鶏を湯から出して、手で毛を毟(むし)り取る。割りと手軽に毛は毟れた。

毟られて裸になった鶏の肌に、手では取れない毛が残っているのを、藁を燃やした火や、コンロの火にかざして焼く。その状態で、ウンコを絞り出した。

これからが、解体作業の本番突入だ。

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兄は、特別誰かに解体の遣り方を習ったわけではなく、解らないままに、自分流に勝手に解体していた。何故か、父はこの作業には顔を出さなかった。私は側にいてこれから、それから、どうするの?と尋ねても、判らん、知らんけど、何とかなるやろうと思っているだけや、無茶苦茶や、と言いながら、出刃包丁によるバラシを進めた。アシスタントは祖母で、口出しはしないで兄の手さばきを見守っていた。

縁側に敷いたビニールの上に、兄は解体した鶏の部位を並べた。鳥には歯がなく噛むことができないので消化器系には特徴があること、それに飛ぶためには少しでも体が軽い方が何かと都合がいい、そのためには腸が短いので糞は水分を多く含んでいる、などと解説してくれた。そのう、砂嚢(さのう)、肝臓、心臓、肺を下に書いた程度には説明してくれた

そのう=食べ物を一時的に蓄えるところで、それから前胃に送る。

砂嚢=砂嚢は焼き鳥屋さんで、砂肝をくださいという、あれだ。こりこりしていて美味しい。筋肉質の袋になっていて、鳥が飲み込んだ砂粒が詰まっていて、この砂粒を使って食べ物をすりつぶす。

肝臓=見た目に他の動物と同じ色、形をしている。血の塊のよう。

心臓=哺乳類と同じで2心房2心室。焼き鳥屋で頼む時には、ハツだ。

これらの内臓を包丁で、時には力任せに手で引っ張って、切り離しては解説を加えてくれた。だから、学校で、鳥の体についての勉強があったときには、私は具体的に何もかも知っていた。

卵が産み落とされるまでの何段階もの前の卵がいくつも発生しているのを拡げて見せてくれた。豆のような小さい卵から、明日にでも体から出そうなものまで20個ほどあった。

憲法って奴の本性は

来る 5月3日は、憲法記念日だ。

安倍晋三首相は、日本国憲法の改憲に突き進みたがっている。それに呼応するかのように、日本維新の会も憲法見直しのために、平成25年3月30日、党の綱領のうち改憲の項目を発表した。姦(かしま)しくなってきたが、ここらで、少し立ち止まって、憲法という奴の本性を静かに考えてみようと、その勧めを説く新聞記事が多くなった。

先ずは、日本維新の会が目指す改憲の内容と、自民党の日本国憲法改正草案を確認して、後ろの方の朝日新聞の2回の天声人語と日経新聞の春秋を今後の憲法改正論議の参考にしたい。

 

綱領(改憲)の内容。維新の八策

1,日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。

2,自立する個人、自立する地域、自立する国家を実現する。

3,官の統治による行政の常識を覆し、「自治・分権」による国家運営に転換する。

4,勤労世代を元気にし、世代間の協力と信頼の関係を再構築する。

5,国民全員に開かれた社会を実現し、教育と就労の機会の平等を保障する。

6,政府の過剰な関与を見直し、自助、共助、公助の範囲と役割を明確にする。

7,公助がもたらす既得権を排除し、政府は真の弱者支援に徹する。

8,既得権益と闘う成長戦略により、産業構造の転換と労働市場の流動化を図る。

 

この綱領を読んで、どこの国のどんな党の綱領かと目が点になり動悸が乱れた。まさか日本国の政権を狙おうとしている党の綱領だとは到底思えない。凄い文字を並べていることにギョっとした。

かくして、日本維新の会の将来はなくなった、と思った。

先ずは1の文章だ。この文章を読んで日本中のどれだけの人が怖気づいたことだろうか。私は身震いした。まともな政党のイメージではなく古風な右翼団体のものだ。使用している文字が、機能的理知的でなく実に観念的だ。改憲に狂奔する自称・暴走老人が、代表者の一人だからこのようになっても仕方ないのだろう。

「日本を孤立と軽蔑の対象に貶(おとし)め」とは、何じゃ。貶める=①みさげる。さげすむ。②名をけがす(日本語大辞典/講談社)。戦後、日本は一体、何処の国に貶められたというのだ。

「絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた」とは、何じゃ。絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けられたか、どうかは兎も角、幻想を持つようになったことは事実。だが、着実に平和主義を貫き、発展途上国への経済協力を進めることで、その存在を他国は認めるようになった。

占領憲法というけれど、あの時のあの状態ならば、いたし方なかったのではないのか。

そして、もう1つ自民党の日本国憲法改正草案の概要だ。これにも驚かされた。此の一つひとつをここで突っついて話をするのを控える。余りにも、私の憲法観とは違う。

 

             自民党の(日本国憲法改正草案)の概要

(前文)

  • 国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つの原則を継承しつつ、日本国の歴史や文化、国や郷土を自ら守る気概などを表明。

(第1章 天皇)

  • 天皇は元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴。
  • 国旗は日章旗、国歌は君が代とし、元号の規定も新設。

(第2章 安全保障)

  • 平和主義は継承するとともに、自衛権を明記し、国防軍の保持を規定。
  • 領土の保全等の規定を新設。

(第3章 国民の権利及び義務)

  • 選挙権(地方選挙を含む)について国籍要件を規定。
  • 家族の尊重、家族は互いに助け合うことを規定。
  • 環境保全の責務、在外国民の保護、犯罪被害者等への配慮を新たに規定。

(第4章 国会)

  • 選挙区は人口を基本とし、行政区画等を総合的に勘案して定める。

(第5章 内閣)

  • 内閣総理大臣が欠けた場合の権限代行を規定。
  • 内閣総理大臣の権限として、衆議院の解散決定権、行政各部の指揮監督権、国防軍の指揮権を規定。

(第6章 司法)

  • 裁判官の報酬を減額できる条項を規定。

(第7章 財政)

  • 財政の健全性の確保を規定。

(第8章 地方自治)

  • 国及び地方自治体の協力関係を規定。

(第9章 緊急事態)

  • 外部からの武力攻撃、地震等による大規模な自然災害などの法律で定める緊急事態において、内閣総理大臣が緊急事態を宣言し、これに伴う措置を行えることを規定。

(第10章 改正)

  • 憲法改正の発議要件を衆参それぞれの過半数に緩和。

(第11章 最高法規)

  • 憲法は国の最高法規であることを規定。

 

20130411【天声人語】

常識的な見解である。日本維新の会の橋下共同代表が9日、みずからの憲法観を所属議員に語った。維新の会の説明によれば、おおむね次のような内容だった。

「憲法というのは権力の乱用を防ぐもの、国家権力を縛るもの、国民の権利を暴力から守るものだ。こういう国をつくりたいとか、特定の価値を宣言するとか、そういう思想書的なものでない」。

憲法とは何なのかというそもそもの問いへの通説的な答えである。橋下氏は説いた。「きちんとした憲法論を踏まえなければいけない。国会での議論を聞いていると大丈夫かなと思う」。基本的な教科書も読まずして憲法を論じるべからず、と。

その通りだと思いつつ新たな疑問が湧く。憲法改正を進める点では同じ自民党の憲法観と橋下氏のそれは、互いに相いれないのではないか。橋下氏のいう立憲主義的な発想は公明党も民主党なども共有するが、自民党はかなり異質である。

憲法は国民が国家を縛るもの、法律は国家が国民を縛るもの。向きが逆さになる。そのことは憲法99条が象徴的に示している。天皇、大臣、国会議員、公務員には憲法を尊重擁護する義務があるが、国民には課されていない。ところが自民党の改正草案は国民にも尊重義務を負わせる。

自民党は憲法で何かと国民を縛りたがる。家族は互いに助け合えなどと個人の領域に手を突っ込みたがる。こうしたそもそも論の違いを残したまま双方が改憲で手を組むというなら、質の悪い冗談というほかない。

 

20130403【春秋 】

風蕭々(しょうしょう)として易水(えきすい)寒し、壮士ひとたび去ってまた還(かえ)らず――。「史記」刺客列伝にあるこの言葉は悲壮感に満ちあふれている。ことに臨むにあたり並々ならぬ覚悟を示し、悲憤慷慨(こうがい)、乾坤(けんこん)一擲(いってき)、みずから退路を断つ。こういう壮士風が日本人は昔もいまも嫌いではない。

日本維新の会が初の党大会で承認した新しい綱領も「風蕭々……」の気分だろうか。いわく「日本を孤立と軽蔑の対象に貶(おとし)め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家・民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」。なんだか決起をうながす檄文(げきぶん)のように熱くて物々しい。

もとはずっと穏当な表現だったのを、共同代表の石原慎太郎さんが手を入れたという。壮士入魂の作かもしれないが、これはもう憲法破棄に近い。使い勝手のわるい条文をどう直すかという議論とは次元が異なろう。そもそも戦後日本が、世界からそんなに「孤立と軽蔑の対象に貶め」られてきたとは自虐的というものだ。

維新の綱領は、しかし他の部分には「開かれた社会」「勤労世代を元気に」などという今風の言い回しが出てくる。こちらは橋下徹大阪市長率いるグループのセンスだろう。木に竹を接いだ、「風蕭々としてエキスイ寒くてね」といった文章でも読まされている感がある。衆院に54議席も持つこの党のすがたがつかめない。

 

そして、20130428の朝日新聞・天声人語 だ。

原点に立ち返って憲法を議論し直そうという国会議員らの動きが広がっている。憲法とは何か、何のためにあるのか。そもそもから考える、と言う。確かに、それ抜きの議論が先走っている。歓迎したい。

民主党の議員らが25日に「立憲フォーラム」という超党派の議員連盟をつくった。同じ日に、やはり超党派の議連「13条を考える会」も発足した。いずれも、「憲法の根っこにある立憲主義という考え方を改めて確認しようとしている。

個人の権利や自由が、国家権力なり社会の多数派なりによって奪われることがあってはならない。そのために権力を憲法によって縛っておく、というのが立憲主義である。様々に異なる価値観を持つ人々が、公正に平穏に共存できる社会をつくる、そのための知恵である。

個人の尊重という思想は従来の改憲派には好かれていない。いまの憲法のせいで、「ほっといてくれ」と国家に背を向ける国民が増えた。憲法を通じ、国家が国民にもっと「ああしろ、こうしろ」と言うべきだ。そんな発想が根強い。立憲主義への無知なのか、あるいは懐疑か嫌疑か。

もとより憲法とは国民からの国家への命令であり、逆に国家からの国民への命令が法律である。ああしろ、こうしろが必要なら法律のレベルでやればいいことであり、憲法でどうこうする話では本来ない。

立憲主義を蔑(ないがし)ろにして改憲をする。そのとき憲法は憲法という名前の別物になる。それでいいのか。目下の議論の最前線は実はここにある。

二人だけのお話し

昨日、現社長の中さんと元社長で今は会長職の私の二人は、いつもの様にスタッフが検討している物件の下見に車で回った。昼飯時、二人は何を食うかということになって、互いに持ち合わせている食堂やレストラン情報を駆使、結局、磯子区の現場近くのとんかつ屋さんに決めた。

さくらい - 料理写真:釜焼きだああ・・

場所は、全国的にも有名になった、人気男性ジュオゆずの地元、磯子区岡村だ。

テーブルについて、メニューを決める際には、相手がメニューを決めるのに影響を与えないように各自で決めて、自らの言葉でオーダーしようと決めた。何故なら、私は相手に影響受け易いタイプで、大きな肉のメニューを飯大盛りでお願いします、と同伴の者が言ったとしたら、私、付和雷同君は、そのまま右にならえ、無理をして胸焼けに襲われ気分が悪くなる、そんな悪い癖があるからだ。

現社長は窯焼き豚カツ定食、私は窯焼きヤング豚カツ定食。メニュー書きには昔から、当店ではご飯、味噌汁、キャベツのおかわりは自由です、と書いてある。親切なお言葉だ。

当然のようにご飯と味噌汁をおかわりした。私のご飯は半分にしてもらった。何がヤングなんですかね、と給仕のオバサンに尋ねても、どうしてでしょうかねえ、と答えてくれただけ。年老いたおじいさん客には、このオバサン、顔を近づけて優しく、熱いお茶にしましょうか、それとも冷たいお茶にしましょうか、心の温まるシーンだった。

満足して車に戻った。中さんは、食った、旨かったと言いながらエンジンをかけた。いつも二人が繰り返す会話を、今日は中さんに言うまいと決めていたので、私は自分の頭の中で、いつもの会話を交わしていた。

「中さんよ、このようにちゃんと飯が食えるのは、ちゃんと給料が出ているからなんだよなあ。給料が出なかった時には、いろいろ、工夫をこらして昼を過ごした。大した苦ではなかったと言うけれど、毎日、同じインスタントラーメンは、ちょっと、やっぱりきつかったなあ」。

腹がいっぱいになったから、午後は茅ヶ崎の中古住宅の駐車場とコンクリート壁の高圧洗浄で綺麗にしましょう、そうしたら直ぐに売れますよ、中さんの独り言だった。

現社長の中さんと元社長の私たち二人だけの、つまらぬお話しでした。スマン