2013年2月27日水曜日

ロシアに隕石が飛来

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ロシア・ウラル地方のスベルドロフスク州カメンスクウラリスキー市で15日朝、車載カメラで撮影された、上空を横切る隕石=ロイター

 

小学生のころ、隕石のことを教えてもらったときに先生に、大きな大きな隕石だったらどうなるの?と聞いたことを思い出した。

そりゃ、そのときは大変なことになるんだろうな、ぐらいにしか先生は答えてくれなかった。実際、この40億年に地球に無数の小惑星が衝突をした。その結果、地球では恐竜が絶滅したり生態系が大きく変わった時代もあった。想像して描く漫画や小説、映画の話ではない、現実に起こったことだ。天文をよく知る人でさえ、現実に起こった事象に脅威した。

私のようなものでも、これは人工衛星が落ちてきたんでは、と直感した。同じように思い付いた人はいたようだが、人工衛星なら最大で秒速7キロ程度らしくて、今回は秒速15~20キロらしいので違うと教えられた。

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今のところ発見された中で最大といわれるホバ隕石 (ウィキペディアより)

 

以下は、写真も含めて20130216の朝日・朝刊の記事をそのまま転載させてもらった。私が一部加筆している。

ロシア・ウラル地方のチェリャビンスク州付近で、20130215午前9時20分ころ(日本時間午前0時20分ころ)隕石が飛来して上空で爆発。衝撃波で多数の家屋のガラスや屋根が壊れた。インタファクス通信は内務省の話として、約千人がけがをしたと、ロシア内務省によると少なくとも約300の建物が被害を受けた。

ロシア科学アカデミーは「数メートルの大きさで、重さ約10トン、秒速15~20キロで大気圏に突入した」と推定している。

動画サイト「ユーチューブ」には、落下の瞬間をとらえた映像が多数投稿された。車載カメラが記録した動画では、光の点が画面左上に見え始めてから10秒足らずで、尾を引きながら画面中央に達し、爆発。一帯をまぶしく照らした。惑星間の空間で、惑星同士が衝突して、発生した岩石などの破片が大気中を落下、通過する際に熱くなって気化するが、気化できないまま残ったのが隕石だ。

 

日本でも過去、いくつも発見されている。とりわけ、南極において南極観測隊が多く見つけた。周囲が氷で、熱で氷が解けた所を探せば見つけることができた。

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日本に落下した隕石。(ウィキペディアより)

 

20130217の朝日・朝刊 2面に、隕石の威力についての記事をここにそのまま転載させてもらった。

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15日、隕石の爆発で部屋の中にも爆音が響き渡り、耳を押さえてうずくまる人々。衝撃波で窓が吹き飛ばされた=英語放送局ロシア・トウディがユーチューブに投稿した動画から

 

音速50倍 衝撃波強力

米航空宇宙局(NASA)の推定によると、ロシを襲った隕石は直径17メートル、重さ約1万トン。東京タワー2・5本分の重さの物体が、音速の約50倍に相当する秒速約18キロで大気圏に突入したという。TNT(高性能火薬)に換算して約500万トンという核爆発並みのエネルギーの固まりは、どのようなしくみで地上に被害をもたらしたのだろう。

NASAによると、隕石は、太陽に近いところは金星軌道、遠いところは火星の軌道のそばを通る楕円軌道を回っていた。地球の大気圏に突入するのを最初にとらえたのはアラスカにある観測施設だった。物体は音速を超えると進行方向の空気が圧縮され、急激な圧力の上昇に伴って衝撃波が出る。これをとらえたようだ。

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高温高圧で爆発

今回の隕石の場合、空気の圧力は千気圧ほどに達したとみられる。東北大学高山和喜名誉教授(元国際衝撃波学会会長)が隕石のそくどをもとに試算したところ、発生した衝撃波は「隕石のほかは、核爆発でしか生まれない」ほどの強さだったという。

衝撃波の影響で、隕石表面の温度hs数万度に上がって溶け始めた。熱は内部にも伝わり、高圧の環境も重なってグラスに熱湯を注いだときのようにひびが入って割れた。NASAによると大気圏突入から32・5秒後のこと。この爆発で衝撃波が地上に降り注いだ。

複数の破片に分かれた隕石は、衝撃波を出しながら落下を続けた。高度の低下とともに地上に届く衝撃波は強まり、被害をさらに大きくしたとみられる。

 

瞬間で10度上昇

高山さんは住居の窓ガラスの破損など、ニュースが伝えた被害状況をもとに、衝撃波の大きさを試算した。1平方メートルの窓に最大で約5万トンのトラックが乗ったのと同じ力がかかったとみられる。「貧弱な建物は壊れ、窓枠や窓ガラスが割れるのは当然。屋外の物は瞬間的に10度近く温度が上昇し、現地の人なら熱も感じただろう」と話す。

被災地では、屋外に通じる窓ガラスは損傷を免(まぬが)れたのに、家の中の物が壊れた、といった声が聞かれた。

高山さんは個々の建物が詳しく調べないとわからないとしながら、「衝撃波が隙間から家の中に入り込んだり、衝撃波によって建物が震動したりして、室内の弱い部分が壊れた可能性が考えられる」と話す。

(田中誠士、波多野陽)

 

衝撃波=空気の圧力が波として伝わる現象で、物体が空気中を音より速く動いたときなどに生まれる。飛行中の超音速機「コンコルド」から出た衝撃波が地上の窓ガラスを割るなどの被害を出したことが知られている。国内では米軍機による衝撃波の被害が問題となっている。

衝撃波を絞って特定の場所に当て、破壊力を制御する技術もある。医療現場では、体内にできた結石を壊して体外に取り出す技術などに応用されている。

2013年2月25日月曜日

東京マラソン→自殺者?

24日に開催された東京マラソンのことを新聞記事で読んでいて、自殺者のことを想い起こした。東京マラソンと聞けば自殺者、と連想する癖がついてしまった。その度に悲しい気分になる。今まで、幸いにして身内に悲しい出来事は起こらなかったが、仕事の関係では、親しくしていた人を救えなかった。

世界最大の市民参加型のマラソンで、参加を希望しても1、7倍の抽選に選ばれなければならない。走る前から競争は始まっている。そして資格を得た3万6千人が冷たくて、都心ならではの強いビル風を受けて走った。

以前に、ラジオ番組で3万人の自殺者がどのくらいの人数かといえば、東京マラソンの参加者が一斉に走っている人たちを想像してみてください、それぐらいの人たちが毎年、自殺で亡くなっているんです、とパーソナリティーが話していた。そのことが耳に残って消えない。

今日のことだ。友人から、東京マラソンには3万人以上が走るんだってね? と聞かれ、そうなんだよ、日本で1年間に自殺する人の数と大体同じなんだよ、と答えてしまった。友人は東京マラソンで3万6千が大群をなしてスタートしている様子と、その8割の人が自殺行為に向かう、そんなイメージを思い描いたのだろう、ええっ、と鶏のように一段と高い声をだした。日本での自殺者=3万人、が頭の中に固まっている。

昨年の自殺者数は2万7766人、1997年以来15年ぶりで3万人を切った。世界では100万人近くの自殺者が出て、その半数がうつ病患者が占めているそうだ。

2013年2月23日土曜日

憲法、アメリカ、集団的自衛権

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コラージュ・野口哲平/The  Asahi  Shinbun

 

2月14日は建国記念日だった。

建国と聞けば、やはり憲法へとイメージはつながる。そんな訳で、朝日新聞が企画した20130214のオピニオン=「憲法、アメリカ、集団的自衛権」は、憲法学者の長谷部恭男(はせべ・やすお)氏が寄稿したものだが、今、鼻息荒い安倍晋三首相や、都知事職を無責任に投げ出して国政に参加した石原慎太郎氏が、日本人自らが草案に参加していない、アメリカに押し付けられた憲法を改正したいと姦(かしま)しい状況の中、冷静になって考えるヒントを提供してくれている。

集団的自衛権についても、政治家や評論家の各氏、百花繚乱、自分の意見を披瀝するのも勝手だが、これも、生臭さはつきもので、一体誰の意見を聞けばいいのだろう。

どちらにしても、国民がこぞって議論しなければならない時期に来たようだ。

それで、この憲法学者・長谷部恭男氏の寄稿文を読んでみると、成る程と首肯させられる部分が多くて、これを、いつものマイファイルにしまわせてもらうことにする。

 

以下、寄稿文。

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長谷部恭男 (麻生健撮影)

 

米と同じ憲法原理

あえてなぜ変える

それで何をするの

 

日本国憲法はアメリカの贈り物である。日本の憲法原理はアメリカのそれと等しい。個人を尊重し、多様で相対立する世界観・価値観の存在を認め、その公平な共存を目指す立憲主義の憲法原理である。アメリカとの関係を確固たるものにしたいとき、歴史の反省を踏まえて大切にしなければならないのは、まずこの憲法原理である。それは、南北戦争に敗れたアメリカ南部諸州が、奴隷を解放し人種の平等を求める憲法原理を、たとえ「押し付け憲法」であっても大切にしなければならないと同様である。

こうした問題を考えるとき、ウエットになってはいけない。アメリカも自国の利益と無関係に日本に憲法を贈ったわけではない。ドゴール大統領が喝破したように、憲法で作られた国家に「友人はいない」いるのは「同盟国 allie」だけである。憲法解釈を変え、憲法を変えることが日本の平和と安全のためになるか、そしてしかるべき国との同盟関係を深めることにつながるか、冷静な見極めが肝心である。

昨今、先人たちが苦労して積み重ねてきた憲法解釈を変更しよう、さらには憲法自体を変えようという動きがある。問題は、こうした動きに乗る人たちが憲法と戦争の間の根本的な関連性を理解しているかである。戦争は国家と国家が戦う。国家を形作るのが憲法である以上、戦争によって攻撃されるのは、敵対する国家の憲法原理である。異なる憲法原理を抱く国家同士は対立する。対立が激化すれば戦争に至る。

さて、憲法の役割の核心は、政府のできること、できないことを定めて、その行動を縛ることにある。しかし、力がむき出しになる軍の行動を憲法で縛ろうとしても簡単ではない。

政府の行動は違憲だという見解が学会では有力だが、政府は巧みな解釈論を展開して法の拘束をすり抜けようとするし、外交・防衛問題に関わりたくない裁判所は明確な憲法判断を示そうとしない。現実と乖離したままでは憲法の権威が低下するばかりだから、いっそのこと憲法の縛りなどなくした方がましではないかという極論まで出て来かねないーーーという状況に陥りがちである。

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相も変わらぬ日本の話だと思われるかも知れないが、これはアメリカの話でもある。アメリカ合衆国憲法は大統領を軍の総指揮官とする一方で、「戦争の宣言」を連邦議会の権限としている連邦議会に戦争開始の決定権を与えて、政府による不用意な軍事行動を抑制するのが、「戦争の宣言」を議会の権限とする合衆国憲法の趣旨である

ところで、敵国の急襲のような緊急時に、連邦議会の同意なしで軍を出動させる権限が大統領にあることは建国当初から疑われていなかった。さらに自分の手を縛られたくない政府は、「戦争 War」とまで言えない規模の武力紛争での派兵については、議会の同意は不要だと一貫して主張してきた。その結果、連邦議会の事前の同意を得ずに兵を送り出すことが通例となっている。

もちろん、正式の「宣戦布告」がなされた例もごくわずかである。建国以来、ほぼ毎年のように戦争を遂行してきたアメリカだが、正式の「宣戦布告」をしたことは5度しかない。議会の側も、発言権を強化しようといろいろ努力してきたが、大統領の戦争権限を実効的に抑制することに成功したとは言い難い。

それでも憲法による軍事行動の抑制には意味がある。立憲民主国家の多くは、議会の関与を通じて政府の戦争権限を抑制しようとしてきた。戦争で、まず危険にさらされるのが国民自身である以上、国民代表の同意を要求することには十分な理由がある。哲学者のカントも、開戦にあたっては、国民を代表する議会の同意を得るべきだと述べている。しかも、すべての国が職業軍人からなる準備軍を廃止し、人民自身が武装する国民皆兵の制度を備えるなら(徴兵制はその一種である)、いずれの国の議会も簡単には戦争に踏み出さなくなるはずである。かくして、戦争がより起こりにくい世界への、つまり「永遠平和」への歩みが始まるというのがカントの目論見であった。

それでもやはり戦争に訴えるしかないと議会が判断し、開戦の決定を行うのであれば、開戦の正当性も固まり、効果的な戦争遂行を支えることにもなる。アメリカで、憲法と現実との乖離が指摘されながらも、現実に合わせて憲法を変えようという議論が有力にならないのは、憲法を通じて政府の戦争権限を抑制する意義が広く認識されているからでもある。そして、憲法による軍の抑制という困難な課題に悩み、試行錯誤を繰り返しているのは、アメリカだけではない。

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さて日本の話である。自民党が最近用意した改憲草案を見ると、9条を改正して「国防軍」を置くとする一方、その出動について国会の事前の同意を憲法原則とはしておらず、具体の制度は法律に委ねることとされている。憲法の条文のうわべを見る限りでは、アメリカ以上の好戦国家だということになりかねない。「そんなつもりはない」ということかもしれないが、周辺の諸国民は日本の政治家が善意の固まりだとは考えていない。憲法は見かけも大事である。政治が取り扱うのはしばしば生の現実より、そのイメージである。

憲法による政府の権限抑制、手続きではなく内容面でなされることもある。日本国憲法9条の下では、国に自衛権はあるものの、それは個別的自衛権であり、集団的自衛権は認められないとされてきた。国際法上認められている権利を自国の憲法で否定するのは背理だと言われることもあるが、これは背理ではない。大福餅を食べる権利は誰にもあるが、私は自分の健康を考えて、大福餅を食べるのは控えるというのが背理でないのと同じである。

注意が必要なのは、集団的自衛権ということばもいろいろな意味で使われることである。大きく分けると第一に、ある国が武力攻撃を受けた際、その国と友好関係にある他の諸国も共同して各国の個別的自衛権を行使する場合を指して、集団的自衛権の行使ということがある。個別的自衛権を行使する各国の安全と、武力攻撃を受けた最初の国の安全とが密接に絡み合っている場合である。

第二に、ある国が武力攻撃を受けた際、その国の武力が不十分であるために、友好関係にある他の諸国が援助する場合を指して、集団的自衛権の行使という場合がある。この場合、援助する国自身の安全が脅かされている必要はない。国際の平和と安全という国際社会の一般公益のために、援助国は行動する。

従来の政府見解が日本にないとしているのに、このうちの第二の集団的自衛権である。たとえば、日本の領土や国民の安全とは関係のないインド洋上やアマゾンの奥地で、他国を支援するために自衛隊が実力を行使することはできない。国際の平和と安全のために命がけで行動するのは、国際救助隊サンダーバードもかくやと思われる立派な行いのように見えるが、国際社会のメンバーがお人よしばかりではないことは、誰もが承知している。命の危険も顧みずに他国のために活動しても、美名の裏で自国の利権拡張を図っていると疑われるものであろう。自分のためにもならず、相手に感謝もされない危険な活動に踏み出す理由は、日本のような普通の国にはなさそうである

逆に言うと、たとえば日本が武力攻撃を受けて、それに対処するためにアメリカ軍と自衛隊が共同行動をとっているとき、アメリカ軍への攻撃に対して自衛隊が反撃することは、憲法で禁止されてはいない。従来の政府見解でも、こうした反撃は、わが国の自衛の範囲内であり、その場所がたとえ公海上であったとしても、自衛隊による反撃を否定するのは、常識的には奇妙なことだとされてきた。

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「解釈変更」が自己目的化していないか。

ここで問われているのは、法律の解釈とは何かである。憲法9条2項の規定は、「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」とする。平和に向けた決意表明としては尊いが、現実問題として、何らの実力組織を備えないで領土の保全や国民の生命・財産の安全を図れるかと言えば、それは無理であろう。だから、「戦力」と言い得るほどの規模・能力の部隊を保持することはできないが、自衛のための必要最小限の実力であれば、保持は禁止されない。そうである以上、国際社会の平和と安全という一般公益のために自衛隊が活動することはなく、あくまで、自国の安全が脅かされている場合にのみ行動する。ほどほどの知性と良識を備えている人であれば、納得のいく理屈ではなかろうか。

良識に敵(かな)う判断をどう支えるかが法の解釈においては肝心である。条文の言葉に国語辞典を重ね合わせて答えを導く単純な作業を法解釈とは普通言わない。具体の場面で法の制約がいかなる結論を導くかという問題への回答も、良識に敵う結論を筋が通るように、条文や先例、諸外国の事例を参照しながら支えていく作業であって、いくら非常識な結論になっても、条文に国語辞典を掛け合わせ、ガチガチの論理操作でとにかく答えを出すという作業ではない。もちろんそれで、できることとできないことは区別することになる。

9条に関する従来の政府の解釈、とくに集団的自衛権に関する解釈を変更すべきだという議論がある。頼まれてもいないのにオッチョコチョイで変えようというのではなく、本当に「解釈の変更」が必要なのか。9条の条文との関係を意識しながら良識に敵った結論を具体の場面ごとに支えることではなく、「解釈の変更」が自己目的化してはいないだろうか。かりに日本の安全とは無関係に、国際社会の平和という一般公益のために自衛隊が戦闘行動するような厄介で危ないことまでは想定していないというのであれば、実は「解釈の変更」は必要ないのではないか。

戦争権限の拘束をはずすことは日本の平和と安全のためになるだろうか。「面倒だからはずしてしまおう」で済む話ではない。

2013年2月19日火曜日

お姉さんの予報が、図星だった

昇仙峡ロープウェイ

 

20130218、山梨の昭和押原公園グラウンドで、恒例のサッカー大会を終えて横浜に帰るのに、昇仙峡に寄ることにした。娘婿の竹ちゃんが、腹の具合が悪いのにもかかわらず、どうしても行ってみたいと主張した。以前に、近くまでは行ったが全部、見学することができなかったことに、悔いがあるらしい。

地図の説明

 

山麓の仙娥滝駅から山頂のパノラマ台駅。標高差300メートル、距離は1015メートル、所要時間5分。

仙娥滝駅の売店には、いつの時代のどんな紙幣か解らないが、その紙幣を細かく切り刻んものを和紙に入れ込んだ縁起もの、理解に苦しむようなフィギアや、1万円札の束を1億円分を8百円で売っていたり、水晶は山梨の名産で、その水晶を使った飾りものもあった。その商品揃えには一向に興味が湧かなかった。

往復1千円というのも、高いなあと思ったが、観光地ならばしょうがないのかと諦めた。

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山頂駅の駅舎の室温が-5度だった。山頂はパワースポットでご利益(ごりやく)があるとか何とか、こじつけと思われる子どもじみた細工が施してあったが、私には興冷めする一方だった。山頂からは、弥三郎岳(標高58メートル)、南に富士山、西に南アルプス、東に金峰山を主峰とする秩父連山がくっきりと眺められた。大学時代に親しんだ金峰山の五丈石(せき)を探したが見つからなかった。

山頂駅の売店で働いている二人の女性が話しているのを小耳に挟んだ。今日は寒いね。今年、一番寒いんじゃないかなあ、こんなに寒い日の翌日かその次の日には、必ず雪が降るのよ。これは、年長者の女性が、年若い女性に話しかけていた会話だ。

そんなこと言っているけど、そんなわけないだろう、駅員から、今日の富士山は特別綺麗ですと聞かされたからだ。綺麗に見えるということは、空気が澄んでいて雲がかかっていないからだ。雲がないということは、雪や雨を予感させない。

それなのに、雪が降るという女性の予報は、その場では信用できなかった。

ところが、翌々日の今日2013021に横浜でも雪が降った。当然、昇仙峡でも降った。お見事!! 図星だ。幸いにして、積もることはなく夕方にはすっかり消えた。山頂駅で聞いた、あのお姉さんの天気予報はズバリ的中したことになる。1日遅れだったが、雪は降った。

明日はイーハトーブと山田農園で、掛け持ちの野良仕事だ。農園主は雪が積もるのを心配していたが、夕方、雨も雪も止んだ。

恒例の楽しいサッカー大会

20130216、17、我らの大学のサッカー部の後輩たちと、その家族たちでサッカーの試合を楽しんできた。毎年1年に1度、今頃、必ず何処かに集まって楽しむ。と言っても私だけはスパイクを履くことも、ボールを蹴ることもしなかった。残念だができないのだ。見るだけ。腰にダイナマイトを秘めている。グラウンドと宴会場で、今までとこれからを相互に確認し合うのだ。この30年以上も続いている行事に参加してきた。

昭和47年度卒のマサチカと48年度卒の私が最年長で、メインは私よりも4年後輩の面々だ。この連中は凄く仲のいい仲間たちで、その楽しさに私とマサチカは感染、乗せられたというか、ハメられたようだ。

今回の試合会場は、山梨県巨摩郡昭和町にある昭和町押原公園グラウンドだった。立派な芝のグラウンドで、他のグラウンドでは高校生たちが終日、試合をしていた。下の写真は、試合の前か後の様子で、試合中の写真は、写真に収められる内容のものではなかったので、無し。試合が始まる前に、みんなに怪我をしないようにと注意したのだが、注意するほどもなく、激しい競り合いも、揉めごともなかった。当然、冷(ひ)やっとすることもなかった。

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私にとって、今回は、格別の感慨を懐(いだ)いての参加だった。

その感慨についてはこの際触れないが、娘(二女)夫婦とその息子(目に入れても痛くないほど可愛い孫ーーーこの表現を孫が気に入っている)が参加したことが、嬉しかった。私の友人たちとの触れ合いを、私の家族にも共有して欲しかった。

6、7年前のことだろうが、長男の勤めている会社のサッカーチームとも試合をしたことがあった。御殿場の時之栖(ときのすみか)だった。長男がキャップテンだったので、強引に私がセットした。此の時は、我がチームは若い長男たちのチームにコテンパにやられた。

今回は孫も試合に出してもらった。11プラスワン対11。ワンは我が孫で、バルセロナのメッシのユニフォームを身にまとって、全ゲームに出場させてもらった。孫は、サッカー好きが高じて気違いの域にもう少しだ。よく走れて、よくボールが蹴れる。サッカーに関する国内外の最新情報を何でも知っていて、私が教えてもらっている。

もう1つ嬉しいことに、娘婿の竹ちゃんも試合に出してもらったことだ。総監督のシダ君が編成したチームに、竹ちゃんがメンバーに入っていたので俺は慌(あわ)てた、彼は素人なので、様子を観て早い目に交代させてくれと直訴した。ところが、老ートルの我がチームの中で、それなりに役に立っているのを観て、やるじゃないですか、もうちょっとやらせましょ、総監督と私は胸を撫でおろした。後で聞いたことだが、実は竹ちゃんはこの時、プレー中、お腹の調子が悪く、直腸と結腸がムズムズ、いつでも爆発しそうな状態だったそうだ。

今回の対戦相手は、甲府にあるサッカーチームでチーム名は忘れたが、今までに何度も試合をした相手だった。シダ君が入っているクラブだ。グラウンドの申込みから対戦相手との調整、宿泊旅館との交渉は、全て塩山に住むシダ君の手配による。肝心なところで役を担ってくれる好人物だ。

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宿泊旅館は、石和温泉の常磐ホテルだった。食事から二次会、話題は各人の近況報告だった。私は私の近況報告を、湿っぽくならないように喋ったつもりだったが、聞いた者はどのように理解しただろうか。母校に恩返しをしたい企画を温めているが、今回は話さなかった。

学生時代の思い出に話は尽きなかった。思いっきり大声を出して笑って、大いに飲んだ。教員も何人かいたので、体罰問題にも花が咲いた。定年が迫ってきていること、定年後のこと、孫のことにも話は広がった。仕事のことについては、以前ほど盛り上がらない。

頭髪の薄くなった老舗百貨店の幹部は大学から今日までに点を取ったことがなかったが、この日、生涯を通じての初得点をゲットした。キーパーをやった医療機器販売で凄腕を発揮した営業マンは相手チームのシュートのコースをことごとく抑えた、衰えをみせなかった。高校の神奈川県代表チームを作り上げた熱血先生は宴会で、各人のプレーを評価採点した。ビールはキリンで日本代表チームのスポンサーもキリンだと、会社にホの字の飲料会社の幹部は上品に、大病院の事務長は人柄にふさわしく、スポーツクラブの経営者は黙々と頑張っていた。生命保険会社のマサチカは日頃の精進のかいあって素晴しいプレーの連続だったが、無念にもゴールを奪えなかった。静岡のサッカー伯楽高校教員はマイペース。船舶運輸の大会社の幹部も熱血先生の高校の後輩でもあって、厳しく採点されていた。元文学青年、現在は印刷会社のオジサンは仙台からやってきた。塩山の名物男は、少し前に怪我をして自重気味。サッカー部100年史を作るのだと張り切る元女子マネージャーは、今回は息子の同伴なしだった。これらのオヤジの妻や子ども、孫たちの参加だった。

下は二次会の様子だ。カメラマンの私は写ってない。

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2013年2月14日木曜日

蕗(ふき)味噌が美味しくできた

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今週の土・日曜日は休むことにしているので、20130213の水曜日は定休日を返上して、小田急江ノ島線「藤沢本町」駅から歩いて16分程の所にある中古マンションの専用庭の除草をした。

このマンションは、弊社の販売用の物件で、鉄筋コンクリート造3階建ての1階部分で専用庭付きだ。敷地は少し高台になっていて、1階部分と言えども道路より約4メートルは高い。見晴らしは良く、日当たりも良く1日じゅう日(陽)が差している。樹木の葉は良く茂り、草が良く育つ。もう何もかも、良(い)いこと尽(ず)くめだ。逆に、管理する側には、冬だからと言って、安心はしていられない。

雑草の小さな芽が地面の表面にたくさん芽ぐんでいる。そこで、目立って大きいのが蕗の薹(とう)だった。前に住んでいた人が蕗を育てていたのだろうが、限られた庭に蕗が余りにも多く占めると、他の花や樹木が可哀想なので、蕗のエリアを適当に確保してやって、エリアからはみ出した蕗は刈り取った。

フキ科フキ属の多年草。

その蕗の薹が、今が旬だとばかりにあっちこっちに生えているのを、私は絶対見逃さない。食えるものなら、俺に睨まれたら最後だ。春一番を告げる山菜、貴重だ。摘んだ。蕗の薹は、蕗の花の蕾(つぼみ)で、葉が出る前に蕾だけがにょきっと出る。それこそ、突然にょきっと地表に出て驚かせる。寒さに耐えるように何重にも苞(ほう)に包まれている。生えているのを全部摘んだのは、決して強欲なわけではない、この蕾は直ぐに茎が伸びて花になるからだ。大小、20個ほど摘んだ。

蕗にも種類があるのだろうが、私が子供の頃から親しんできた種類とは、少し違う気がしたので、蕾を搾って汁を嗅いでみたら、間違いなく蕗だった。毒キノコを間違って食って死んじゃった、のようになったら最悪だからなあ。

その他の雑草取りは、手慣れたもので約2時間ですっかり綺麗になった。後は、箒で掃けば終わりだが、箒を忘れたので後の仕事は担当者に任せよう。

私の頭は、すっかり蕗味噌モードだ。昨年は、天ぷらにして食ったので、今年はどうしても蕗味噌にしたかった。調理方法は、夕方に会う山田農園主に聞けば、レシピを授けてくれるだろう。挑戦することは腹に決めていた。

貴方が採ってきた蕗の薹の量はよく分からないが、1分間ほど茹でて、水分を搾って細かく切ったものを、味噌とお酒、味醂と砂糖を混ぜて弱火で煮てお仕舞い、と山田教授。

調味料をその通りに入れて煮て、味見をして吃驚仰天(びっくりぎょうてん)、何時(いつ)どや、山田農園主から頂いた蕗味噌と同じか? いやいや、それ以上の味に仕上がったではないか!!!! 天を仰ぎ見ている場合ではない。天にも登るほどでもないが、我が料理生活において、思いかけず大きな出来事になった。

我ながら、大きな喜びだった。ネットで「春の皿には苦味を盛れ」という諺(ことわざ)を知った。年末から正月にかけて、大いに飲み食いした結果、体に溜まった脂肪を、この苦味が削(そ)ぎ落としてくれる。そんなことを知ったものだから、アク抜きをしないで苦味を確保した。その方が香りも味わえた。

夕食用に、朝出勤前に、おでんを作っておいたのだが、そちらには手を付けずに、蕗味噌で丼飯を食った。それだけで、晩飯は終わった。メインディッシュのおでんは翌日に持ち越された

2013年2月11日月曜日

狭い日本、みんなで譲り合いましょ

何という料簡の狭さよ。

この狭い日本で肩を擦(こす)りながら生きている者同士が、そんなに料簡の狭いことを言い合って、どうして和やかに暮らせよう。けち臭く、情もなく、余りにも排他的で嫌になるなあ、と述懐したのは、私。

「この駐車場内で方向転回をしないでください」とか、「ここは私道です、関係者以外は通行しないでください」の看板に出くわす度に感じる。

私と経営責任者の中さんとは、毎日と言っていい程、彼方此方(あっちこっち)に出かけて不動産の物件調査をしている。主に中古戸建と中古のマンション、それに土地だ。スタッフが検討している物件を、私たちの立場でも検討するためだ。

物件は千差万別なので、どの物件においても新鮮な味わいがあって、いくらでも興味が湧いて、こんなに楽しい仕事は他にはない、そんな感じだ。土地建物については、建築の新旧、規模の大小、デザイン、傷み方の程度、地勢をプラスに生かしているかハンディを負ったままかを、先ずは外観でチェックする。外観を見れば、内部のことは大体予想がつく。住んでいる人たちのことまでも想像がつくのである。

物件までの交通のアクセスを確認するのに、主要幹線道路から、物件までの道筋を実際に車で走って、その道路状況を把握する。4メートル幅の道路で物件まで行けて、敷地内にスムーズに車が入れば、オッケーで、敷地が高くても地下駐車場になっていれば、それもオッケー。敷地が道路よりも低いと、駐車場を何らかの方法、材料で構築しなければならなくて、費用がかさむ。階段を通らなければ、敷地に入れないようでは、車を利用する人には嫌われる。評価が低くなる。

そのように、接面する道路状況は物件の重要な要素だ。ところが、計画的に造成した分譲地以外の旧市街地には、意外と狭い道路に面している物件が多い。

そのような道路の狭い地域に、何とか車を乗り入れて行くと、最後には行き止まりになって、来た道をバックして戻らなくてはならないことが多い。そんな時、横を眺めれば駐車場があって、よく見えるところに、例の看板=「この駐車場内で方向転回をしないでください」が掲げられている。

その看板を見かけたときに感じるのが、冒頭の「何という料簡の狭さよ」だ。

中さんは、この地球の陸も海も空も、元々は個人が所有するなんて考える方が可怪しいのですよ、土地だって、俺の物(もん)だとか、此処から先はお前の物(もん)だとか、そんなことを言うのは横暴ですよね、と冗談にしてはちょっと危険な発言。これって、ここだけの、二人だけのお・は・な・し!!だよ。土地は、そんな物(もん)なんだから、気持よく、駐車場の契約者に迷惑にならないように、Uターンでも方向転回でも、自由にお使いくださいと何故、言えないんですかね、尻(けつ)の穴の小さい奴や、と畳み込んだ。私はそこまで過激な意見を持ってはいないが、一時的に駐車場の空地を車の転回のために進入することぐらい、ニッコリ笑顔でどうぞと言えないもんか、、、、ぐらいには思う。

駐車場の所有者が、本気でこの看板通りのことを考えているとしたら、怖(こわ)くて寒々しいが、実は、地主さんにだって言いたいことがあるのだろう。今までに、礼儀を知らない阿呆に嫌な気分にさせられたことがある。それならば、怖い顔になるのも仕方がない。そうだよな、看板を掲げている地主さんが、全て怖い人ではないはずだ。

「ここは私道です、関係者以外は通行しないでください」の看板だって同様だ。一度(ひとたび)、自分の土地を道路に提供すれば、その部分は公器になる。公の利便に供するということで、もうその道路は私権(自分の所有物)から遠くに離れていったものだと諦めるべきなのだ。むしろ、公共の利益に貢献していることを誇るべきだ。それが、道理だ。

怖い顔は精神的にも良くないですぞ、にっこり、にっこり、、、。 狭い日本の、数少ない仲間たち同士ではないか。

2013年2月10日日曜日

「神聖喜劇」を読み始めた

これから綴るのは、読後の感想ではない。

大西巨人の「神聖喜劇」を読み始めて、途中で挫(くじ)けずに読み終えることをここに約束する、そんな宣言だ。この本は、生硬(せいこう)に皇軍の不条理と無責任体制を暴いた力作だ。

原稿用紙4700枚、登場人物がざっと200人、方言、軍隊用語に隠語がたくさん使われ、それに詩から俳句、短歌、古文に漢文が長文で挿入されていると聞けば、多少は尻込みする。格言や諺(ことわざ)、偉人、賢人の発した言葉や文章の引用が多く、又、めったら難しい漢字が多い。それでも、難しい漢字には親切にルビーがふられているし、難しい言葉には「 」で説明を添えられているので、多少は理解の助けにはなるが、それにしても難しい。

理解力の乏しい私だから、遅読も遅読、ゆっくり読み進むしかない。読み終えるのは相当先のことと思われる。

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年末も押し詰まって、この俺だって少しは部屋の掃除をした。20121212、床をいつもより丁寧に拭いて、本棚のほこりを払っていたとき、本棚の野間宏の「真空地帯」が目に留(と)まって、掃除を一時中断。ぺらぺらとページをめくって、数行、数行、飛ばし飛ばしに読んで居たら、私の頭の隙間に、あの大西巨人の「神聖喜劇」のことがどうっと入り込んできた。あれぇ~だ。

大学時代に五味川純平の「人間の条件」、卒業して直ぐに「真空地帯」を読んで、それからいつの頃だろうか「神聖喜劇」を絶対読もうと思い詰めた時期があったが、空振りのまま、読む機会がなく随分日が経ってしまった。大西氏がかって軍隊に所属していた頃の自叙伝的回顧録程度の理解しかなかったが、どうも、そんなものでもなさそうだ。神聖とはどういうこっちゃ、喜劇って?何じゃ、不思議な本のタイトルだと思っていた。3年前にも何とかオフの中古本屋のチェーン店で見つけたが、中古本といっても、全部揃えると6000円以上していたので、簡単に購入を諦めた。月々の可処分資金が細くなっていた時分、私には6000円は高かった。

ところが、今回は、インターネットオークションで廉く買える知恵を身につけたことや、以前よりは時間的に、懐具合も、多少余裕のある生活をしていることもあって、本気で読みいと思った。

ところが数日前に、本を何冊か買い込んで来たところだったので、こんな奴らをやっつけてからでないと、いくら積年の気になる本と言えども、買うわけにはいかない。それで、それらの本を正月を挟んで読みきり、ようやく手を打つ時期にきた。

こんな奴らと言ったその本とは、幸田文の「闘」、井上靖の「流砂」の上下巻、灰谷健次郎の「兎の眼」、佐野洋の「葬送曲」、原田マハの「カフーを待ちわびて」、それに友人から半ば強制的に貸し付けられた卯月妙子の「人間仮面」だ。頭の固い文字人間の私には、漫画が理解できない。これらを約1ヶ月半で読み終えた。前の3冊には大いに感動をいただいた。後日の為にも、読後感想を記せずに端折(はしょ)って簡単に前に進みたくないところもあるが、今回は省く。尻に火が点いてしまった。

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そして、20130206の火曜日、スタッフの長に頼んで「神聖喜劇」全5巻をネットで買ってもらった。翌日の水曜日に発送しますからと言われていたが、当日の水曜日に届いた。送料込みで3270円。

初めの1ページで、今後の苦労が予想できた。さあ~ってと、20130211の憲法記念日が読書のスタート日だ。

この日を、「神聖喜劇の読み始めの記念日」としよう。

AKB 涙の丸刈り謝罪って?

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20130202の朝日新聞を読んでいて、奇妙な記事を見つけて驚いた。タイトルは、「AKB涙の丸刈り謝罪 そこまでするワケは」だ。スポーツ新聞ではない朝日新聞の記事だ。

何で、こんな内容を朝日が取り上げたのだろう?と不思議だった。私がテレビを観るのは、朝のニュース番組と、特番として組まれる「昭和の歌謡ショー」ぐらいだから、このAKBとやらのグループがいかなる連中なのか知らない。

そのグループの一員の峯岸みなみさん(20)が、動画サイト「ユーチューブ」に丸刈り姿で登場して謝罪したというのだ。

「たくさんの皆様にご心配をおかけしまして、本当に申し訳ありません」。

映像は1月31日午後、同サイトのAKB公式チャンネルで公開された。ロングヘヤーだった峯岸さんが丸刈り姿で冒頭に謝罪の言葉を述べ、約8秒間頭を下げた。

「私がしてしまったことは軽率で自覚のない行動」、「誰にも相談せずに坊主にすることを自分で決めました」と大粒の涙を流し、「AKBをやめたくない」と訴え3分49秒の動画は終る。私も、急いでこの動画を見たが、痛々しかった。画像の真剣さとは裏腹に、私には可笑しさがこみ上げてきた。

峯岸さんはAKB結成時の2005年からの第1期生。AKBのメンバーにとって恋愛禁止は暗黙のルールだったらしい。

その謝罪しなければならない内容というのは峯岸さんが有名なダンスグループの男性宅に宿泊したこと、そのことを週刊誌が報じたので、このような行動をとったということだ。噛み砕くと、外泊したことを謝り、大騒ぎになったことを、「たくさんの皆様にご心配をおかけして」と謝った。峯岸さん、誰にも心配なんかかけていないよ。余りにも大仰過ぎないか、時代がかりの表現に違和感を感じた。事務所が作った原稿を読まされたのだろう。

「軽率で自覚のない行動だった」と謝っている。これって可笑しいよ。二十歳の成人の行動が、軽率で自覚のない行動だったと。何で?「皆様」に謝らなくてはいかんのだ。所属期間中は恋愛がご法度になっているのならば、身内、事務所内の幹部に向かって約束を守れなくてすみません、で済む話だ。彼女が外泊したことを知って、ファンは本当に怒るの? ファンが本当に怒るとしたら、ファンこそ可笑しいと思う。何か罪でも犯したの? ファンは彼女の外泊を責める権利なんてない筈だけどな?

丸刈り頭にしたのは、「自分で決めました」と言うが、年頃の女性がここまでしなくてはならない理由が解らない。ネタ作り?か、やり過ぎだ。謝罪の必死さが、嘘っぽい。女性が突然丸刈り頭で現れたのは、私には出家された時の瀬戸内寂聴さんしか知らない。

AKBの公式チャンネルで公開したのも、臭い。動画をアップする権限をもつ所属事務所がこの件を営業的に利用しているのが、ミエミエだ。

恋愛禁止が暗黙のルールだったというが、これは運営(プロモート)する側が商品であるアイドルをブランドコントロールするために必要な手法だったのだろうが、今時こんな手法もあり得るのか、これも可笑しい。タレントたちはそんなことを承知のうえだったのだろうか、そうではなかったのだろうか? 

そんな記事の下には、大津市のいじめ自殺問題で、第三者委員会自らが聞き取り調査を行ったとの記事がたっぷりのスペースで陣取っていて、上の峯岸みなみさんの丸刈り謝罪の件も一種のいじめではないのか、と新聞社の記事の枠取りを担当する人もそう感じたのだろう。それで、記事が上下に並ぶことになったのだろう。

校内におけるいじめ問題や、体罰問題に共通する要素を、この丸刈り事件も包含しているように思われる。

それにしても、嘘っぽい話だ。

2013年2月2日土曜日

成長と財政再建

鼻息荒い安倍首相が、元気よくいろいろ言動してくれるのは、それはそれでいいんだが、でも、やっぱり心配だ。7月の参院選までは、勢い良く、ボロを出さないように、慎重に舵取りをしようと心掛けているようだ。アベノミクスとか、積極的なことには大きな声を張り上げているが、国民に負担を課す、具体的な案が表立ってこない。

先の衆院選で政権に返り咲いて、先ずは日銀に大胆な金融政策を迫った。金融緩和策だ。そうしたら、市場は、あれよあれよのうちに、株価は上昇し円安が進んだ。ここまでは、まあ、好かった、良かった、だ。何もアベノミクスでなくても、銘柄によってはもっと上がるべくして上がったものもある、円安だって十分円安になるための環境は整っていた。株価や為替相場は市場の心理に強い影響を与えるもんだと今更に驚いた。

安倍政権は、負担の分担についての丁寧な説明が不足していて、国民の方は聞き耳を避けている。本当は、消極的ながら聞きたがっている。

20130110の日経新聞の社説で、「成長と財政再建を両立できる司令塔に」と題して、まとめてくれているので、マイファイルした。その内容というのは、それほど難しいことではない、私でも理解できる当たり前の話だ。

世界最大で最強の経済国の米国でさえ、この経済成長と財政再建をどう両立させるか、「財政の崖」をめぐって米政府は議会との調整で苦しんでいる。日本と同じだ。ユーロ圏でも各国が政府関係の債務が縮小する税収に重くのしかかって、財政がピンチだ。

米国は大統領選を日本は衆院選を終えて、民意を施政者たちは理解したことだろう、大いに腕を奮って欲しいもんだ。

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成長と財政再建を両立できる司令塔に

安倍政権の経済政策の司令塔となる経済財政諮問会議と日本経済再生本部が始動した。大胆な経済政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略という「3本の矢」の具体化が始まる。

忘れてならないのが成長と財政再建の両立だ。双方のバランスを保たないと、本格的な経済再生はおぼつかない。安倍晋三首相が「強い経済」を取り戻したいのならその点を肝に銘じて欲しい。

諮問会議はマクロ政策を統括し、6月に中長期的な経済財政運営の指針をまとめる。ミクロ政策を担当する再生本部は、同じ時期に成長戦略を打ち出す予定だ。

民主党政権には経済政策の司令塔が見当たらなかった。安倍政権が民間人の力も借り、官邸主導の政策決定を目指すのは評価できる。ただ諮問会議と再生本部の役割分担にはあいまいな点も残る。組織の乱立が議論の形骸化や意思決定の遅れを招くようでは困る。

最優先の課題はデフレからの脱却と円高の修整だ。諮問会議には日銀の白川方明総裁も定期的に出席する。この場も生かして、政府・日銀が連携を深め、ともに適切な政策を繰り出す必要がある。

政府・日銀は2%の物価上昇率目標を掲げ、大胆な金融緩和に動くことを検討している。金融緩和の強化は欠かせないが、硬直的な目標が金融政策の柔軟性や独立性を損なわぬよう注意してほしい。

政府は事業規模20兆円超の緊急経済対策を11日にまとめ、日銀の金融緩和と歩調を合わせて景気の下支えに万全を期す。先端的な研究開発や新事業の創出を促す施策はいいとしても、防災対策などの名を借りた旧来型の公共事業が紛れ込んでいるようにみえる。

政府が財政規律を守れぬまま、日銀が国債の購入を増やすのでは、「財政赤字の尻ぬぐい」と受け取られる恐れがある。2014年度からの消費増税に頼るだけでなく、無駄な支出の削減や社会保障費の抑制にも努力すべきだ。

充実させてほしいのは成長戦略である。再生本部は製造業の復活を目指す「日本産業再興プラン」や、企業の海外展開を支える「国債展開戦略」などを策定する。

成長をけん引する企業の活性化に照準を合わせるのはいい。だが聞こえのいい文句ばかりが先立つのでは意味がない。環太平洋経済連携協定(TPP)への参加や法人税の減税など、民間の活力を引き出す施策に集中すべきだ。