2016年4月29日金曜日

俺の頭が可笑しいのか?


俺の頭が可笑しいのか?  狂ってしまったのか!!
どんな内容がどのようになろうとも、他人に解ってもらうように、話がマ・ト・メ・られない。
何処かの何かの智能が頻拍しているようだ。

脳内が混雑して、表現方法が拙(つたな)く、これらを修理修繕するために、誰か? 何とかしてくれないか。
こんな、変なお願いを私がしているなんて、これも又、可笑しな話し、だ、ヨ。

高所から落ちて、頭を路面のアスファルトで強く打った。
私の脳の構造に、大きな変化が起こったのか? 
神経系統の乱調なのか? 
何かが大きく変ってしまった。

単純に変化どころでなく、変質してしまった? と思うしかない。この悲嘆ほど、心苦しいものはない。
悲嘆のネタの一つ一つを、掲げてみた。


先ずは勘違いが多過ぎる

体の老化か脳の退化で? 変質してしまったのだろうか? 
材料を灰汁(あく)抜きで話そう。
この頃、若い娘さんの美しさが異常に感じる。
服装から、化粧から、話し言葉まで、オジサンには美しく思えてしょうがない。

スカートの丈だって極端に短い。
馬鹿な振る舞い次第では、パンツ丸見えになることだってある。
ところが、娘さんは気丈にふるまっているのが、然(さ)も可愛い。

このことを、女房に話してみた。
女房は、お父さんはそんなことに気を使うことはないのよ、ほっとけばいいの、ヨ。
よっぽど、怪しげな子供がいた場合は、静かに、説得すればいいことだよ、貴方が心配することなんて、なあ~んにも無い。

会社に向かうときも、自宅に帰るときも、顔を見合す高校生の男女が仲睦まじく話している。
これまた悔しいのだけれど、なかなか、私の老婆心を慰めてくれる。

悔しい事ながら、会社の近所にある公園内のテニスコートでは、会社の同僚でも近所付きあいでもない人たちが、笑顔を絶やさずに、テニスを楽しんでいる。
声高らかだ。
筋肉の励みだって聞こえてくる。

俺だって、お前さんたちには負けないぐらいは、できるんだぞ!

かっては、年頃の娘さんだけに目を皿にした。
が、今は小さな子供から年とった人まで、掛け替えなく愛せる。
もう少し極めて言おう。
小さな子供から、年とった老人まで、私の好みは変わらない。

お金を鱈腹持っている奴よりも、綺麗な生き方をしている人を好む。
大きな舘(やかた)なんか、な~んにも羨ましくない。
悲しくても貧しくても、心の優しい人になりたい。

金持ち連中の嘘には敏感になろう。
清貧にこそ、真実がある。

眩しく煌く世界よりも、静かに佇むなかにこそ、安らぎを匂うようになってしまった。



我が家では、1年前から女房の母と同居している。
義母は88歳。

足腰が不自由で少し苦しまれているが、俺たちで何とか、まかないたいと思う。
母と娘、これあ、当たり前。


20160311-04

ネットで楽しそうなグループの写真があったので、お借りしました。

話は、増々進める。

街で見かける年をめされたオバサンが、実に綺麗なのだ。
顔立ちだけではなく、服装の吟味から、その振袖というとちょっと古典的かもしれないが、明るく軽やかで、ナント、ナント、年齢は驚くほど若く、感じる。

ヘヤースタイルも、よく、よく、気を使っているもんだ。
顏の美肌さ! これにも、頭が上がらない。
私が尊敬している私の母や父とは、随分変ってしまった。



山水画のような奥秩父連山 : 八ヶ岳高原アラカルト

今の子供たちは、山をどう思っているのだろうか。

まさか、山はドス汚(きたな)く、誰もがそう簡単に入山するものではないなんて、思ってはいないだろうな? 
聖山っと呼ばれている。

アケビがたらふく実り、何処も遊び場になってくれた。
登山道、樹木、土や風、空気に惚れた。
若い人たちは、山に高く登れば登るだけ、気風が高鳴る人でないと、入ってはいけないと思っているのだろうか。

私は、学生時代から、誰にも負けない山塊の士だった。
恥かしくもなく、ウンコも平気デできた。処理には、万知を活かした。
小便だって恐ろしくない。

女房と一緒に秩父の連山を駈けたときの情動は、それはそれは楽しいものだった。


大学時代。

都の西北のグラウンドで、体がガタガタになるほど頑張れた。
昭和48年に関東大学サッカー選手権と全日本大学サッカー選手権で優勝した。
2冠王だ。

技術や体力は貧弱だったので、5戦に1戦ほどしか出場できなかった。
でも、この喜びは並みのものではない。




スポーツ魂に燃える女学生。

かって、プロレスなどに女学生たちは身動きしなかった。
興味をもって、テレビや週刊誌、会場などに参加する人はいなかった。
私が高大校生のころは、興味どころか、興味をみせる者たちに冷たく当たった。
ワーとかグーとか、見苦しい嬌声に飽きていたようだ。

それほど格闘技嫌いの娘さんたちが、競技場に、今までのことが嘘のように駆けつけてきた。観衆も選手も、スポンサーも湧いて、湧いて、楽しみだ。


プロレスだけではない。相撲も他のどんなスポーツにも、観客席には美しい人がめっちゃ溢れている。




2016年4月13日水曜日

アオダモって言う木だった


その木の名は、アオダモだった。

今、私が住んでいる家に本気で住みだしてから、4年になる。

何じゃかんじゃと、公私共々あって、私が長年住んでいた家を二女夫婦に売却したことにした。
それからのことを、上手く話せば1日で、上手く話せなかったら7日はかかるだろう? それほど、波風が荒れ狂ったことになる。雨や風だけではなく、雷や波だって大いに荒れた。


それから、妻が、植木鉢に入れて楽しんでいた樹木がアオダモだった。
でも、彼女だって、名前や樹木の性格その他については、ナ~ンニモ知らないことだらけだった。
まして、私は壁の外状態だった。

庭が少ないので、大小の鉢に植えられている樹木や花を見逃してはいなかった。
でも、この樹木に関しては、次女の夫の良き先輩が呉れたとかで、何も、興味が湧かなかったと言えば、次女夫婦に嫌な想いをさせることになろうか。

何故、そのようなことをエラク牛馬(ぎゅうば)って、この稿で話そうかとしているのか? 
それには、深くも浅くもない、それなりの理由があるからだ。

名も知らなくて、性格も知らなくて、そんな植物をこの何年間見続けてきたのだが、その名前を会社までの道すがら,神奈川県立横浜市民公園の多種の樹木のなかで見つけたのだ。
小さいけれど多くの白い花が、咲いていた。今こそ咲き頃のようだ。

その花が、まさしく我が家の樹木と一緒ではないか? この驚きは凄(すさ)まじいものがあった。
樹名を記した看板が、幹に掲げられていて、大いに驚いたと言えば、笑われるか。
あんなにいい加減に樹木を見ていた私なのに、その樹木が有名な樹木だった!!とは
このページのどこかに我が家のアオダモを掲げたかったが、今、私の電子キャメラが故障で、なし得なかった。


どんな樹木、植物にだって知識家だったのに。
我が家の樹木は、いい加減な奴ではなく、それはそれは立派な奴だということだった。
育ったのは、山の中。
私の、樹木や野菜、草原についての知識は、一本はみ出したところにあると誇りに思っていたのだ。

下記のネットで知り得た内容では、日本の各所でも生えていますとのことだったが、2、3日前、偶々(たまたま)見かけだテレビ番組で、広大に茂っているのが中継されていた。
うちのあの樹木は、きっと、あいつだったのだ、と思いながら見ていた。

こんなことは、誰にも話すことなく、私の頭の中だけに、イキてイタかったのでは!!






アオダモ

  ネットで知った内容を、掲げさせてもらいたい。


日本では北海道から九州までの山地に広く分布している。南千島朝鮮半島にも自生している。街路樹や公園木として植樹されることも多い。
樹高は10-15m、太さは50cm程になるが成長は遅い。成熟した木の樹皮には地衣類が付着し白っぽい斑点模様ができる。葉は奇数羽状複葉で、3-7枚の小葉が対生する。小葉は10-15cmほどで淡緑色、周囲は波状小鋸歯がある。
花は春に咲く。円錐花序に白い5-6mmの小花を多数つける。両性花には雌蕊と2本の雄蕊、雄花には雌蕊がなく2本の雄蕊がある。
秋には果実が成熟する。長さ2-4cm、幅3-5mmほど、膜状の羽根を持つ翼果で風を利用し遠くまで飛ばす。

材質は堅く強いが粘りがある。そのため曲げることができ、このような特質を生かしてさまざまな用途で使われた。
日本では木製のスポーツ用品の材料、とくに野球で使われる木製バットの原料として知られる。他にスキー板やテニスラケットなどにも使用される。日本でのバット材としての需要は年間20万本以上あり半数は輸入材で国産材のほとんどはアオダモである。バットに使用するアオダモは、寒冷地産であればあるほど反発力と弾力性、耐久性に優れるとされる。そのため、日本産アオダモの主な生産地は北海道であるが、計画的な植林・伐採が行われなかったことから、バットに適した高品質な材の確保が困難になっている。2000年には行政、野球関係者、バット生産者が一体となってアオダモ資源育成の会が発足、資源を確保するための取り組みが行われている。
天秤棒、輪樏(わかんじき)などの器具材や機械材、家具材としても使われる。建築材として床柱などにも使用される。資源の枯渇とともにこれらの用途は減少している。
生木でもよく燃えることから猟師が薪として利用した。
枝や樹皮を水に浸すと、水が藍色の蛍光を発する。この水は染料として使われた。また、アイヌ(いれずみ)をするときの消毒に用いた。また、樹皮は民間薬としても利用された。主な成分はクマリン配糖体で消炎解熱作用、止瀉、利尿作用や尿酸を排出する作用があり痛風結石の治療などの効果があるとされる。






2016年4月8日金曜日

アケビを思い出した


アケビを思い出した。

あけびの実がなった 庭仕事ときどき読書 ― はるかの庭/ウェブリブログ  見たことを紹介します:あけびの実

アケビの実のこと花のことは、よく知っていたが、この植物を文字で表現するのに木通、通草とからしい?
何故に、この文字をこの様に使うのかは、後で、調べたうえで書き足す。

今、私のブログの話題が、何でこのアケビなのか、と思われたお人に一言。
このアケビの実と花を材にした写真を、会社の近くの喫茶店のトイレで観たのが、始まりだ。
この際、もう少し詳しく知ってもら甚(いた)くなった。

それほど、私にはアケビのことが、すっかり、忘れてしまっていたのです。郷里を去って東京で過ごすことになって、45、6年。一昔前とは言えないが、半昔?前。

そろそろ、アケビの花が咲く頃だったのだ。私のアケビ魂は、郷里の山野を追った。
私が、庭のように親しんだ郷里の山々。
今、どのような姿を為しているのだろうか。
そんなことを夢見、麗しく感じ入ったのは、私だけだろうか。

私がアケビを好んだ頃は、10歳前後。姿、形よりも味が不思議だった。
甘さがあって、少し苦味もあって、母が作ってくれる料理とは違った。
こんなものを黙って食っていいものか?それでも、食欲は幾らでも、盛り上がった。

樹木を矢のように登った。その姿は丸で猿だ。
沢山手に入れて、次から次に、仲間に分けてやるのが気持ちよかった。

それとも、アケビなんて誰も想像もできないのかな?

心底、この写真を観て、私はニンマリしてしまった。

この植物が、あの有名なアケビだとは、私のような田舎育ちで、山や野原を育ちの場にしなかった者でないかぎり、到底解らないだろう?  ちょっと、この実で遊んでみようか。

2、3日前に、友人から言われていたことが、残滓のように脳に残っている。
ヤマオカさん、高い所から堕ちてから、間抜けたヤマオカさんのブログが、頓珍漢な極貧状態なので、心配していたんですよ。
友人の、なんと情け深い志やこと。
そして、私は冴えない頭を棒(ぼう)に振って、この稿を書きだしたわけです。

ネットを観て、このアケビの弦を使った籠などの商品を知った。私には、食うこと以外なにも考えなかった。



アケビ花


以下は、ネットで得たものだ。私にとっても、未知なことばかりだった。

種子を包む胎座が甘みを持つので、昔から山遊びする子供の絶好のおやつとして親しまれてきた。
果皮はほろ苦く、内部にひき肉を詰めて油で揚げたり刻んで味噌炒めにするなど、こちらは山菜料理として親しまれている。
主に山形県では、農家で栽培され、スーパーで購入することができる。
また、東北地方などでは、新芽(山形県や新潟県などでは「木の芽」と呼ぶ)をやはり山菜として利用している。


日本国内で栽培されるものは、ほとんどが山形県産である。