2012年11月26日月曜日

サッカー、ゴール判定機導入

シュートを放ったボールがゴールに入ったかどうか、ボールがゴールラインを完全に過ぎたかどうかは、両チームのプレーヤーや関係者だけの問題ではなく、直接間接的に、いや、三次元的四次元的?に、膨大な人々にに影響を与えることになる。試合は常に真剣勝負。勝負に賭けた結果の勝ち負けは厳然だ。

学生時代にはしょっちゅう、それから親父になってからは子供のサッカー大会において、主審や線審を何度もやってきた。どんな試合にも審判をやるときには、真剣に取り組んだ。線審の際にはタッチラインの上がり下がりの移動を最良に心がけた。主審の目の届かないところでのプレー、タッチライン際でのプレーのチェックなど。

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ここからが本日の課題のゴール判定に関してだ。

主審よりも線審の方にこそ、微妙なオフサイドの判定や、とりわけ、試合を決定づけるボールがゴールラインを割ったかどうかを見極める重要な役がある。ボールがゴールのバーやポストに当って地面に叩きつけられ、そのときにボールが着地したポイントが、ゴールラインの外か内か、ラインを踏みつけたのか、また、ゴールラインを前にしてゴールキーパーと数人のプレーヤーが倒れて絡み合い、ボールが見えない状況になっても、最後にはきちんとボールの行末を見届けなければならない。線審の立ち位置次第では正確を期せない。審判の任は過酷だ。

プレーヤーだったとき、誤った判定をくだされるのが絶対嫌だった。間違った判断をされた時には、許せないと怒った。選手の動きに邪魔され止むを得ない状況での判断ならしょうがない、と諦めることはできても、動きの下手な審判に間違った判定をされるほど悔しいことない。

ゴール判定機を備えることには大いに歓迎するところだが、鍛錬された審判の生身の目も信じたい。

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朝日・朝刊

スポーツ

編集委員・忠鉢信一

 

ゴール判定機12月初導入

クラブW杯 2会場の割り振り決定

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微妙なゴール判定を機械によって行う「ゴールラインテクノロジー」(GLT)が、12月に日本であるサッカーのクラブワールドカップ(W杯)で正式に導入される。このGLTについて、磁気センサーを埋め込んだボールを使う「ゴールレフ」が日産スタジアムで、6台のカメラで集めた光学的な情報でボールの位置を判断する「ホークアイ」が豊田スタジアムで採用されることが30日、分かった。

サッカーの得点は、ボール全体が完全にゴールラインを越え、ゴールの中に入ると認められる。「ゴールレフ」はゴール内に機器を取り付けて磁場を作り、センサーの入ったボールの位置を確認する。テニスの4大大会でも用いられている「ホークアイ」はゴールラインなどに沿った位置にカメラを設置し、ボールの位置を把握する。いずれも機械が「得点」と判定した時に電波を使って主審の時計に合図を送る。最終的な判定は主審が下す。

GLTは、2010年W杯南ア大会で誤審が問題となったことから、導入に向けた動きが進んだ。①1秒以内に判定を審判に知らせる、②審判以外に判定を知らせない③正確さ、といった基準を満たした「ゴールレフ」と「ホークアイ」が今年7月、サッカーのルールを決める国際サッカー評議会(IFAB)に承認された。FIFA主催大会で使われるのは今回のクラブW杯が初めて、イングランドなど欧州の主要リーグも導入の方向だ。

それぞれ2千万円近いとされる設置費を今回はFIFAが負担。サッカーの質を保証する仕組みとFIFAは導入の意義を説明する。一方、欧州サッカー連盟(UEFA)は人が判定することのこだわり、ゴール近くに追加副審を配置する審判5人制を欧州チャンピオンズリーグなどで採っている。

2012年11月24日土曜日

怖い、党首たち

自民党の新総裁に選ばれてからの安倍晋三の言動は、いささかハシャギ過ぎの感ありだ。衆院選を前にその危険度は増している。危ないと心配し、怖いと感じるのは私だけではない筈だ。

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日銀法を改正して、政府が日銀の機能に深く関与(連携)できる仕組みを作って、物価の上昇が目標数値に達するまでは、無制限に大胆な金融緩和を誘導すると発言した。どこの国においても中央銀行の独立性は重視され、政府が深く関わるのは主要国では中国だけだ。

「物価上昇率を2~3%を目標」にすると言ったが、公約では2%に下げた。「建設国債をできれば日銀で全部買ってもらいたい」との気違い染みた発言には、さすがに、党内からは慎重論ならぬ安倍心配論が飛び出し、石破幹事長は火消しに躍起。

そして、憲法を改正して、集団自衛権を行使できるようにする。自衛隊を国防軍として位置づけるという右派的主張。予算の支出抑制策が図られないまま、防災の名の下に展開しようとしている公共投資、国土強靭化推進。消費増税でもまだ足りないと言われているのに、先ずは金をばら撒きたいらしい。財政の悪化が一段と厳しくなるのは必至、国民に負担の分かち合いを求めざるを得ない状況にありながら、策の一手は「生活保護の給付水準の10%引き下げ」のみだ。

こんなに威勢よくハシャギ過ぎる安倍晋三自民党総裁が怖い。

そして、他にも怖い奴が二人居る。日本維新の会の代表・石原慎太郎(前東京都知事)と代表代行・橋下徹(現大阪市長)の両氏だ。

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そんなに怖い二人のうちの一人、石原慎太郎氏のことを20121123の日経新聞・春秋氏は捉えて記事にした。もっともだと思うので、ここにマイファイルさせてもらう。石原氏は自ら自分のことを、暴走老人なんていっているが、正に暴走中だ。危ない老人だ。

橋下氏の怖いことについては、あらためて取り上げたい。この男も可笑しい。

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20121123

日経新聞・朝刊

春秋

石原慎太郎さんは「言葉の人」だ。それも自らの思想信条をほとばしる言葉にまかせて口に出すから、東京都知事をやっていたこの13年余りにも物議をかもしたこと数限りない。「三国人」発言や「ババア」発言に眉をひそめていた世間も、やがて受け流すようになった。

「まあ、シンタローだからねえ」。石原さんにだけ許される、こんな不思議な空気ができあがったわけだ。ご本人もこんど国政政党の党首になったというのに、この環境をフル活用したいらしい。「日本も核保有のシュミレーションをすればいい」とか「日本は米国の妾(めかけ)で甘んじてきた」とか、やっぱりの暴走ぶりである。

こういう発言を「歯に衣(きぬ)着せぬ物言い」などと持ち上げる風潮がある。周辺国の圧力が増すなかで、溜飲が下がると喜ぶ人もいる。しかし考えてみれば、もう「シンタローだからねえ」では済まないはずだ。衆院選の結果によっては総理に担がれる可能性さえある政治家の、かくも激越なる言葉を黙過するのはむずかしい。

言葉をほとばしらせてやまぬ人といえば、石原さんを日本維新の会の代表に迎えた橋下徹さんを忘れてはなるまい。野合批判の絶えぬ合併劇だが、石原節炸裂のさまを見れば橋下さんの狙いもわかる。今後は自らの言葉との激情二重奏を聞かせたいのだろう。耳を塞がず熱狂もせず、その響きをじっくり反芻するとしよう。

2012年11月23日金曜日

プロレス観戦

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20121118の夜。

横浜市中区長者町にある某生保会社のビルの大ホールでプロレス観戦した。

プロレスリングFREEDOMS(プロレスリング・フリーダムス)という新団体が主催する興行だった。聞けば、プロレス業界には色んな団体があって、それぞれに遠近の関係を持ちつつ人材を交えて興行しているらしい。

会場に入ると、出場予定のレスラーたちがティーシャツやプロレスグッズを売っていた。怖い受付係たちだ。招待を受けた私たちには代表者から、何でもいいから品物を買ってくれと言われていた。我ら仲間はよく理解していたが、私には不向きな品物ばかりだった。

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代表者の佐々木貢

 

次女の仕事仲間がこの団体の代表者の知り合いで、次女家族と私、孫の友達家族も招待された。観客の表情や服装はちょっと異質で慣れない雰囲気。若い人が多く、私のような60以上の齢(よわい)の人は居なかった。入場者のほとんどが男性で、女性は約4分の1。服装は色の濃い柄物、それを際立たせるようにガ体?の大きい人が多かった。それは、男女に共通して言えた。

観客の中に、お揃いのマスクを被った父親と息子と思われる二人がいた。プロレスファンのこの親子はきっとこの団体のレスラー神威のファンなのだろう。

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孫(小学2年生))の友人の妹、3歳。将来は有望な女レスラーか。

 

全体的な内容は、30年ほど前に観たプロレスと終始余り変わっていなかった。団体名が表しているように、「自由をその手に」をキーワードにして、自由奔放なハチャメチャな試合を売り物にしている、と教えられた。

場外乱闘や、パイプ椅子を使って殴りかかったり、パイプ椅子の上に投げ飛ばしたり、これらは、私がテレビでプロレスを見出した50年前から変わっていないお馴染みの手法だ。贔屓(ひいき)のレスラーの名前が黄色い声やドスの利いた声で飛び交う。

50年前の毎週金曜日の夜、10チャンネル(読売テレビ)、8時は必ずテレビの前に陣取った。スポンサーは三菱グループ。力道山や吉村道明、グレート東郷、遠藤幸吉が、外国人レスラーと勇敢に戦っていた。一癖も二癖もある外国人レスラー、悪役や巧者、だれもが魅力的だった。

大きく投げ飛ばす時のために、床は衝撃を和らげるような構造になっている。殴る時や蹴りつける時には相手を気遣い、動作は派手だが、本気ではない。当たり前だ、本気に素手で生身を殴ったり生身をシューズで蹴ったりしたら、それはプロレスではない。パイプ椅子で殴りかかる時は、自分の手を椅子と一緒に相手の体に当てて、衝撃を少なくしていた。

でも、どのレスラーの背中にも傷跡の多さには驚いた。金網でリングを囲っておこなう試合の歴戦の記録だろうか。彼らは体を張って生きている。

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オカマのレスラーが出てきて、相手を押し倒して馬乗りにキスをしようとしたり、組み合ったところでもキスするパインちゃん、パインちゃんが身に纏っているコスチューム?にはパインナップルが大きく描かれていた。笑わせてくれた。

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パインちゃん

 

戦いに少し絡むだけの70歳を超えた爺(じい)ちゃんレスラーがいた。試合後、私服に着替えて観戦していたこのレスラーは、傍目には普通のオジイサンだった。

飛び入りがあれば、リングに上がってもいいと思ったが、、、、、ちょっと無理な発想だったようだ。

その後、みんなで会食をした。

2012年11月20日火曜日

危険な離合集散。第三局?

民主党は、2009年の衆院選で圧倒的に勝利して政権交代した。そのときの選挙戦では、マニフェストにばらまき政策を並び立て、政権を取れば財源はなんとでもなる、と豪語した民主党の首脳部。経費を削り、税負担を増やし、既得権を減らすことが当面の課題だったのに。政権奪取後、掲げたマニフェストはことごとく実行できずに頓挫した。

この民主党は、野合による選挙互助会だった。その後、政策、党の方針がまとまらず、未熟なまま戦った先の参院選で敗れ、ねじれ国会になり政治は停滞した。

この選挙互助会なる民主党も、ここにきて分裂しだした。純化作業、進行中だ。

そんなことを考えていたら、先の通常国会で野田佳彦首相と安倍晋三自民党総裁との党首討論で衆院の解散宣言が飛び出し、それからが実に面白いのだが、尻に火が点いたように、雨後の筍、色んな党が次々に生まれ、新旧の党が14とか、15とかになった。そして、今度はそれらの党と党が、小異を捨てて大同につこうではないか、と第三極の形成、勢力増大を狙って、イシハラ狸やハシモト狐が郎党を組んで跋扈跳梁。カワムラ鼬鼠(いたち)は、党名が雑だとかセンスがないとか言われて仲間から追い出された。数日前には、イシハラ狸とカワムラ鼬鼠は仲良く揃って連携か合流するとかで記者会見していたのに。「疑わしきは罰せず」に無罪を勝ち取った絶滅危惧種の小沢カワウソも、仲間狩りの夜襲をかけているようだ。

小異を捨てて大同につくと言っても、掲げていた項目はどれも小異ではない。大事(おおごと)だ、原発、消費税、FTT(環太平洋経済連携協定)どれも重要な項目ばかりだ。昨日20121119、ハシモト狐が街頭演説で叫んでいるのをテレビで観た。「大事なことは政策ではない。組織を動かす行動力こそが大事なんだ」と、これって、本気かよと不思議な気がした。太陽の党と日本維新の会が合流したことで、元の日本維新の会の原理原則が破綻して、破れかぶれのシッチャカメッチャカ。新党・みどりの風の党首が、恋愛期間もおかないで、いきなり狐と狸が結婚しよう、というのには無理があるのでは、と話していた。

20121120の日経新聞の社説でも、これらの動きを警告している。政党とは、同じ価値観を持つ政治家が、権力の獲得と維持をめざして集まる結合体だ。理念や政策の旗を横に置き、もっぱら権力を求めて動いているとみられるとき当然批判はあって然り、と著した。

こんなすったもんだは、必ず禍根を残すことになる。民主党のこの3年ちょいの政権運営の醜態を繰り返すな。

話は少し変わる。マニフェストという言葉が今では普通に使われているが、日本語で長年親しんできた選挙公約でいいのではないか。漢字の方がよく意味が理解できる。強く美しい国を目指すなら、日本語で選挙公約だ。

そうしたら、やっぱり、ここにも賢者、天声人語氏が現れた。天声人語氏の文をここにマイファイルさせてもらった。

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朝日新聞・天声人語

髪形をいじるのは心機一転の表れでもある。日本維新の会の橋下徹氏が、おでこを出す正統「保守型」に変えた。この勝負髪で衆院選に挑むという。37歳上の石原慎太郎氏を新代表に迎え、しおらしく従う覚悟らしい。

合流は第三極の受け皿を広げ、既存政党や官僚支配への不満をさらう狙いとみえる。両氏の合意文書には「強くてしたたかな日本をつくる」と表題がついた。「弱くてお人よしの日本」は耐えがたいと。

片や石原氏に気を使い、「原発ゼロ」の語は消えた。政策より大同団結、小異は捨てたと言うが、コーヒーと紅茶を混ぜたようなドタバタ感が漂う。色が似ていればいいというものではない。

なるほど、コーヒー党、紅茶党の独自色より、候補者の調整が先に立つのが小選挙区制だ。野合との批判に、石原氏は「民主党や自民党が人のこと言えるのか」と反発、橋下氏も「趣味嗜好まで同じなら北朝鮮」と開き直る。

とはいえ、地方分権や行政効率に重きを置く橋下氏の現実主義と、米中なにするものぞの石原流がどう混じり合うのか。みんなの党や減税日本とも組むとなれば、昔の民主党顔負けの「選挙互助会」だ。

石原氏がほれたと公言する橋下氏は、政界でいう「じじごろし」に違いない。新代表を最強のリーダーと持ち上げ、ヘアスタイルを変えた。「何が目的か分からない年の差婚をした、したたかな女のように」。きのうの東京紙面にあった、山本貴代さんの見立てに納得した。その縁の吉凶は知らない。

森光子さんを悼む

 森光子

「放浪記」の上演を2017回記録した女優・森光子さんが、20121110に亡くなったことを新聞で知った。享年92歳。

このお芝居を観てない私には、下町の銭湯屋さんを舞台にした「時間ですよ」の利発なお母さん役の森光子さんに親しみを覚えた。

20年程前に東京駅で、仕事の関係者と思われる数人に囲まれている森光子さんを横目に通りすがったことがある。彼女の周辺だけ、まるでステージに立ってスポットライトを浴びているときと同じように、華やかな雰囲気をムンムンさせていた。着物から出ている手や顔の部分は、白蝋(はくろう)のように真っ白で、人間様のものとは思えないほどだった。

20121116の日経新聞・文化で評論家の矢野誠一さんが、「波瀾の昭和婦人像を体現」のタイトルで、森光子さんの女優としての一生を短い文でまとめられている記事を見つけた。矢野誠一さんの文章を読んで彼女の概略がつかめた。感得することは多く、早速、ここにマイフアイルさせてもらった。

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「放浪記」最終幕で寝入る林芙美子を演じた(2005年、東京・芸術座)

 

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波瀾の昭和婦人像を体現

 

森光子は、林芙美子を演じた「放浪記」によって、この国を代表する舞台女優になった。前代未聞の2,000回という上演回数を記録したこの作品は、森光子を象徴するものであり、文化勲章受章を筆頭に、彼女のあらゆる栄誉、功績、そして評価の背景になっている。宣材などに印刷され「放浪記」というこの芝居のタイトルの脇に、小さく「林芙美子作品集より」とあり、これは文字通り同名の芙美子の出世作に描かれた、その生涯によっていることの、一応の舌代みたいなものだ。

ここに描かれた林芙美子の生涯、その大半が艱難辛苦につきているのだが、作・演出にあたった菊田一夫も芙美子に扮した森光子も、同じような自分の「放浪記」を持っていた。つまりこの作品は、菊田一夫の終生抱き続けた詩人たらんとする夢と志と魂が、林芙美子の一生涯を通して森光子に仮託され、森光子は見事にそれに応えてみせた。菊田一夫作「放浪記」は、林芙美子のそれを離れ独立した作品として、ひとり歩きしてみせたのである。

「放浪記」は1981年上演20周年を期し三木のり平が演出にあたったことで、あらたな変貌をとげたのだが、この芝居の凄い、いや凄かったのは、上演を重ねるごとに、舞台そのものが確実に成長していることを見せてくれたところにあった。自分も物書きとして成長してるかどうかが問われることでもあって、「放浪記」を観る度に、私は森光子から「あんた、少しは芝居の観方、上手くなった?」と、ささやかれている気持ちになったものである。

森光子を失ったいま、林芙美子、菊田一夫、そして三木のり平を加えて、この四人によって築かれた盤石な壁を、崩せる者の誰一人としていないのを痛感するばかりだ。これまで数えきれないくらいの舞台に、それも同じ作品にも何度となくふれてきた。けっして短くはない私の観劇歴のなかでも、こんな作品はあるものじゃない。「放浪記」に出会えたのは、劇評にたずさわる身であるなしにかかわらず、ひとりの人間としては仕合せだったと言うほかにない。

森光子は「放浪記」で林芙美子に扮したように、ほかにも実名実在の人物を舞台で演じている。上演順に記すなら、60年に菊田一夫の自伝小説の劇化である「がしんたれ 青春篇」で、18歳の菊田一夫に旅費を工面してやる林芙美子を演じ、61年初演の「放浪記」の伏線になっている。78年のお野田勇「おもろい女」で、一度は後継者として二代目襲名のはなしもあったようにきいている、稀代の女漫才師ミスワカサを、88年小幡欣治「夢の宴」で、家庭医薬品「わかもと」の創業女社長・長尾よね。91年小幡欣治「桜月記」で、いまや上方演芸を独占している感のある吉本興業の創設者吉本せいである。

この四人は作家、芸人、経営者として、それぞれ栄達をきわめもし、悲惨な目にもあっている。そんな世に知られた人物の、それも波瀾万丈の女の人生を、舞台に再体験してみせる女優冥利をもってなお、森光子はこの四人の婦人とほぼ同時代を共に過ごしてきたのだ。

つまりはこの四人が四人と同じように、森光子もまた昭和という時代をまるごと生きたというより生かされてきたのだ。物言わぬ、不確かきわまる時間の流れの持つ、厳しさ、残酷さ、恐ろしさと、しっかり向かい合い、したたかに生き抜いた婦人像を、自らの体験も下敷きにして演じてきた。森光子は昭和婦人像の貴重な語り部だったのだ。

森光子の描いた昭和婦人像には、見てきた四人の実在人物のように、なんらかのかたちで時代や社会に寄与したひとばかりではない。実在しない創作上の人物で、それも社会的な存在価値から言うなら、むしろマイナス要因を多分に有した女を演じて、これまた大いに魅力を発揮した。三本だけあげる。

76年藤本義一「千三家お菊」のタイトルロール。80年初演の小野田勇「雪まろげ」の温泉芸者・夢子。89年菊田一夫「花咲く港」による小野田勇「虹を渡るペテン師」の七化けお京。

千三家お菊は、あらゆる犯罪のなかで一番頭脳の求めらるのは詐欺だと嘯(うそぶ)き、詐欺師であることに誇りを持っている女だ。「雪まろげ」の夢子は気のいいお調子者で、その場を面白くさせようとのサービス精神から、ほんのはづみでついた軽い嘘が次の嘘を生み、また次の嘘と雪まろげのようにふくらんで騒動をまきおこす。七化けお京はその名のとおり七変化のペテン師。いずれにせよ世の中の役には立たないくせに、どこか愛嬌があって憎めない女ばかりだ。

昭和の終焉は、森光子の演じてきた女たちにとって居所を失わせたような気がする。そんな女たちを演じつづけて、森光子は女優の一期を終えた。

2012年11月16日金曜日

電車の座席に、苦悩する

毎朝の通勤時、電車の座席に座れた時は座れた座席のことで、空席がなく立っているときは、他人が座っている座席のことを考えてしまう。利用しているのは、相鉄・いずみ野線だ。

座席

3人席とか2人席と思われるシートならば、大柄な人たちでも想定された人数通りになんとか座れるが、6人席とも7人席とも思われる区分けのない長いシートの座席に座る時に戸惑うことが度々ある。

6人では余裕が有り過ぎる。普通の体型の人ならば、7人は十分に座れるそのシートに座るときに、私の苦悩は始まるのだ。

夕方は神経が緩んで、酒の酔いが回っていることもあるので、そんなことには無頓着なのだが、朝、精神はビンビンに高揚、周囲の環境の何もかもに注意が鋭い。

よくある場合は、高校生が大股開きに座って、携帯電話の液晶画面に夢中になっていることだ。1人でもこういう心ない者がいれば、当然想定されている人数が座ることはできない。ましてそのような人が2人もいれば、尚更だ。こういう状況に居合わせた俺は、どうすればいいのだろうと考える。尻を隣の奴にくっつけて、注意を促すぐらいしか策が思いつかないので、諸賢に知恵を求める。これから、寒くなって誰もが着膨れする。

自分がどれだけの幅をとって座っているか、その斟酌なしによくぞ座っていられるものだと感心する。相撲取りは、団体で移動する以外は立って、座っているのを見たことない。これは、自分の体の大きさを認識しているからだ。

車両によっては、6~7人席のシートでも、2、3人分ごとに天井から床までの手すりにもなる鉄棒によって、仕切られているものもある。これはいいと思う。座った座席の向かい側の列のシートはよく見えて、もうちょっと何とかならんのか、と歯軋りしたくなることが多い。

私を手こずらせる奴は他にもいる。

居眠って、こっくりこっくり揺れる人。周りに誰も座っていなくて、前後左右に揺れるのは大いに勝手だけれども、もたれかかられたり、頭が顔の傍まで揺れながら近づくのには閉口だ。妙齢の女性ならばイザ知らず、オッサンには勘弁してもらいたい。座席にバッグなどを置いての爆睡、シートの端の側壁に身を斜めにもたれて座りだらしなく寝入っている奴らだ。

昨日20121115、藤沢から湘南台まで乗った小田急の藤沢・江の島線の列車には、シートに一人一人の座席が少し凹んで作られていた。これなら、尻が大きくて少しはみ出しても、隣席まで侵害することのないように工夫されていた。一人分ごとに配色を変えているシートもあるそうだ。

2012年11月15日木曜日

銀杏、その④弾

こんなに仲良くなった銀杏のことを、思いつきのまま書き溜めておく。

銀杏は私にとって、下世話にいう艶(つや)やかな食べ物だ。銀杏を見ると、下品そのもの、イヤラシイ顔になってつい喜んでしまうのだ。銀杏を食うと、男としての精がつくと聞かされていたからだ。

今でも、串刺しなどの酒の肴として、時には茶碗蒸しに入ったものをいただく度に、そんなことを考えてしまう。

でもその根拠を求めて、何千冊も本を読んだり、何万人にも聞いた訳ではないが、どうしてもその理由を知る機会を未だに得られていない。

経営責任者の中さんが、どうも、そのことはこういうことのようですよ、と話したのは、銀杏が直接男性の性的エネルギーを生むのではなく、血行をよくすることで男性機能を高めて結果的に性欲を増すということらしいですよ、と。昔、中国の皇帝はいっぱい銀杏を食って、子宝に恵まれるように努力をなさった。毎夜、10~15粒食っているが、確かに血行がよくなることは実感している。鼻血ブーとまではいかないが。

それでは、ちょっと俗っぽい世界から普段の生活に戻ります。

イチョウの木に生った実の中の、果肉に包まれた種子のことを、我々は銀杏(ぎんなん)と美しい字を並べて呼ぶ。銀杏をイチョウと読むこともある。この銀杏を焼いて、焙って、殻を破って食する部分は、仁だ。

中高生時代に習った履修科目・「生物」の復習をしよう。植物は種子植物と胞子植物に大別する。そして種子植物には被子植物と裸子植物だ。イチョウは、裸子植物門でイチョウ鋼、この鋼でイチョウは唯一現存している種らしい。

中国原産で、落葉高木。針葉樹でも広葉樹でもない。このイチョウ、広い道路での街路樹は結構だが、狭い道路の街路樹はいただけません。イチョウには何の罪もないことだが、街路樹の選定には今さらながら気を遣って欲しいと思う。

雄株と雌株がある雌雄異株で、実は雌株にしか生らない。実が生るためには雄株の花粉が雌株の雌花に受粉しなければならないが、雄株の花粉は1キロ程度まで飛散するので、雌雄の株は直近に揃ってなくてもいいらしい。近からず、遠からずの賢明なやりかたを、どうしてイチョウまでが知っているのか。

銀杏づくりの作業に携わった者は、中さんと中さんの義弟、極くたまには奥さんも、私を含めて主要メンバーは3人だが、イチョウの実を直接触らないように常時ゴム手袋をしていたが、何かの拍子に素手で触ることもあって、3人3様に手に痒みを感じた。

銀杏かぶれ

ネットの記事から借用させてもらった。中さんのはこれ以上酷(ひど)かった。

 

この痒くなる成分は、ウルシやマンゴに含まれているのと同質のものだと、中さんが余りの痒さに皮膚科の診療所に行って、綺麗な女医さんから教わってきた。私は子どもの頃からウルシにはしょっちゅうやられていたのでさほど気にはしなかった。くれぐれも、マンゴに齧(かぶ)りつくときには慌てないで注意しましょう、と綺麗な女医さんからウインクをされながら、言われたとか。

20年ほど前のこと、初めて銀杏を作ろうとして果肉を素手でむいた。何も知らなかった。その時は、痒みは発生しなかったが、手のひらの皮が全部すっかりめくれた。

秘密を暴露しちゃおう~かな。実は今回、小用の際に大事なものを汚れた指でつまんで、先っぽが痒くなった。他人には言えぬこと、まして女医さんにはもってのほか、時間が経てば直ると信じて耐えた。

ところで、この「もってのほか」は「以っての外」と書くが、「思外」と書いたという説もあるらしい。

イチョウの木には雄の木と雌の木があるというのは、前の方で書いたが、種子としての銀杏にも雄雌があることを今回初めて知った。2面体が雄で、3面体が雌。銀杏の世界においてもメスは複雑で、オスは単純? そして生っている実の95~96%が雄で雌は3~4%の割合。雄の実からは雄の木が、雌の実からは雌の木が生える。木の外観や葉の形からは雌雄を見分けられない。

銀杏雌

雌の銀杏

 

銀杏雄

雄の銀杏

最後にどうしても触れておかなくてはならないことがある。命に関わる問題でもあるのだ。食べ過ぎに注意すること、特に小児には気をつかって欲しい。個人差はあるが、5~6個食っただけでも中毒を起こす人もいるらしいのだ、天の恵み、中さんの努力に感謝しながら慎重に食しましょう。

頑張って集めた銀杏を日頃お世話になっている人たちにお歳暮にして、差し上げようと考えていたのだが、誰かに、時間が経つと殻の中の食べる部分が萎(しな)びてきますよと教えられ、それならば、できるだけ早く食べてもらった方がいいのではと思って、予定変更。

希望者には喜んで差し上げますから、声を掛けてください。銀杏食って元気! 元気! 但し、数に限りがありますサカイにご了承ください。

2012年11月13日火曜日

多摩川駅伝で、痛恨の肉離れ

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会場に向かう次女と孫、武蔵小杉駅で南武線に乗り換えるために移動中。二人の背後にはエネルギーがムンムン!!

20121110、ランネットという会社が開催した「ランネット駅伝多摩川大会」で走ってきた。

南武線の鹿島田駅で下りて多摩川に向かった。突き当たりの多摩川の河川敷には2~3000人ほどが集まっていた。ところでこの河川敷の広場はただの広場ではなくれっきとした名前の「古市場陸上競技場」だった。

色んなパターンの組み合わせの駅伝が次から次にスタートする、そんな大会だった。我らが出場した種目は午後のショートの部で、4人組の混成チームが、1区・5キロ~2区・3キロ~3区・1キロ~4区・3キロのトータル12キロを走破するコースだった。私はこの1区を走った。2区は孫のハル、次女が伴走した。

エントリーされるための条件とか参加資格がなくても、誰でもが参加できる。参加費用は幾分かは支払わなくてはならないようだ。幾らって? 私の分は、次女が払ってくれたので、知~ら~ない。

1週間前に、突然 次女から電話がかかってきて、竹ちゃん(次女の夫)が仕事の都合で参加できなくなったので、代わりに出てくれないか、といつもの有無を言わせぬ迫力だ。

決して走るのが嫌いでない私のことだ。娘や孫の前で、ジジイの偉大さを目(ま)の当たりに見せつけるにはいい機会だと思った。まだまだ廃(すたれ)れてはいないことの実証だ。昨秋、竹ちゃんと箱根の温泉プールで、娘や孫の前で、25メートルをクロールで競って負けなかった。

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わが混成チーム。

 

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走り出すまでは、ジジイは世界記録を目指していた!! 孫は疑いなくジジイを信じていた。

 

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力走する、我がチーム。

 

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世界記録への挑戦は叶わなかった。

 

大会側から渡されたタスキにはチップが仕掛けられていて、個人の成績は正確に記録された。

100~200人が一斉にスタートするために、スタート地点の狭いエリアにギュウギュウ詰めで並んだ。私はこの場所の居心地の悪さを感じた。違和感だ。この雰囲気は昔どこかで感じて、長く忘れていた感覚だ。真剣勝負を前に身を切り裂くほどの緊張感が漂っていて、私には息苦しかった。

私が並んだ位置は全体の前の方で、そこに居並ぶ人たちは、自らの記録を意識した猛者連中だった。順位か記録か。私のように間抜けた服装で緩んだ気構えの連中は居なかった。

スタートした時は、皆には遠く及ばない実力なので、無理をせずに完走さえすれば、それなりの順番でゴールできるのでは、と高をくくっていた。ところが、そんな簡単なものではなく、男も女も、ガンガン走るではないか。抜かれても抜かれても、それでも、自分のペースだけはしっかり守って、孫にタスキをきっちり渡す、計算高いランナーだった、はずが?

スタートして10分後、私の右足のふくらはぎに異常が発生した。10分後というのは折り返し点のずうっと手前だ。おかしいぞと感じてから、急に度を越して痛くなった。肉離れを起こしたようだ。

折り返し点が遠かった。折り返し点を折り返した時には、ふくらはぎの痛さは固まってしまった。膝が曲がらない、足が棒だ。周りを見ず、ひたすら地面だけを見て、何とか歩を進めている状態だ。こんな筈はない。何と、この5キロは長いんじゃ、この距離を呪(のろ)った。

ようやく我がチームの応援団の前を通過した時には、顔面蒼白、否青ざめていたかもしれない。声援に応えるだけの余裕はない。

私の到着を待つ次女と孫組は、ジジイはどうしたんだろう? 逝っちゃったか?と心配していた。まさか、あのジジイのことだから、棄権することは絶対ない、とは思っていてくれたようだ。絶対諦めないのが、このジジイの真骨頂。もう少しです、頑張ってください、と観衆のなかから美しいお婆さんが声援してくれた。

タスキを外して渡そうとしても、次女たちがいる所までのただの10メートル、5メートル、3メートルが異常に遠い。観衆が居なければ、間違いなく泣いていた。

やっとの思いでタスキを渡し終えて、地面にひれ伏した。ふくらはぎに手を当てても感覚がない。30分後、立ち上がったが右足は地面を踏みつけられない。

64歳と50日のジジイの記録は、412名中、405番。タイムは32分21秒という惨憺(さんたん)たる成績だった。20121110、我が人生、痛恨の日になった。

帰途。牛歩ならぬ亀のようなノロノロ歩きでは我がチームに迷惑になるので、一人、早い目に鹿島田駅に向かった。競技場を、このような格好で去るのは実に惨(みじ)めだった。でも敗者ではない、痛恨の挑戦者だった。

来年は、今日の屈辱を必ずはらす、再起を期す。

2012年11月12日月曜日

オバマ米大統領再選

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20121107 米大統領選で、民主党のオバマ大統領(51)が共和党のロムニー前マサチューセッツ州知事(65)を藪って再選を決めた。同日未明(日本時間同日午後)、オバマ氏は地元シカゴで勝利演説を行い、共和党との党派対立を乗り越えて経済の再生に取り組む姿勢を示した。この稿は全て20121108の朝日新聞の記事そのままを転載した。

 

天声人語

洋の東西を問わず、有言実行の政治は難しい。ケネディ大統領のスピーチライターだったソレンセン氏が、歴代米大統領の就任演説をすべて調べて、こう皮肉っている。「史上最低の大統領たちが最高に雄弁であることが判(わか)った」。負けていたらオバマ氏も、その仲間入りだったかもしれない。

むろんオバマ氏は最低の大統領ではないが、雄弁が独り歩きしてきた印象は否めない。米大統領は2期目を任されてようやく一人前ともされる。次の4年でアメリカをどう舵(かじ)取りするか、真価を問われることになる。

人種も文化も多彩な3億人が暮らす国に、大統領選挙は4年に1度の求心力をもたらす。人々は候補者に言葉を求め、胸に響く言葉によって連帯を含め合う。「民主主義の祭り」と呼ばれるゆえんだ。

しかし、今回は史上最悪中傷合戦と言われた。民主と共和、二者択一を迫る悪口のシャワーを浴びて米社会の分裂は深い。勝利宣言で「激しい戦いは国を深く愛すればこそ」と語ったオバマ氏だが、祭りのあと、傷をふさぐのは容易ではない。

オバマ氏の雄弁に戻れば、日本人の胸をゆさぶったのは「核兵器なき世界」だった。もう次の選挙の心配がない2期目には、思った行動がしやすいという。ぜひ広島と長崎を訪れてもらえないか。

就任前から「情けない大統領ならいくらでもいる。真に偉大な大統領になりたい」と語っていた。その願望も昨日の勝利で首がつながった。雄弁という木にみのる果実を、見せてほしい。

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社説

オバマ米大統領再選

理念を開花させる4年に

米大統領選で民主党のバラク・オバマ氏が再選された。

グローバル経済の荒波か、退場を迫られる現職の指導者は少なくない。オバマ氏に与えられた、さらに4年の任期は貴重だ。大胆に指導力を発揮してほしい。

現職有利とされる2期目の選挙だが、、共和党のミット・ロムニー前マサチューセッツ州知事に激しく追い上げられた。

社会保障を手厚くし、政府主導で景気回復を図る「大きな政府」のオバマ氏か、自由な経済競争を重視する「小さな政府」のロムニー氏か、という理念のぶつかり合いだった。

米国の閉塞状況を打破するのはどちらか。米国民は迷いつつも、社会の連帯に重きを置くオバマ氏の路線の継続を支持したということだろう。

この接戦が象徴する「分断」された米国社会を修復することこそが、オバマ氏にとって急務である。

 

「分断」修復急げ

 

選挙には両陣営がこれまでにない巨額の資金をつぎ込み、大量のテレビ広告で中傷合戦を繰り広げた。社会に残した傷跡は深いが、歩み寄るときだ。

米国では来年初め、政府の支出が大きく減らされ、ほぼ同時に増税される「財政の崖」が待ち受ける。

こうした事態に至れば、国内総生産(GDP)を5%近く押し下げるとされる。世界経済に与える影響も大きい。

まずは共和党との間で回避策を探り、協調の足がかりを得る必要がある。

オバマ氏は1期目、大型の景気対策や、国民皆保険に近い医療保険改革を導入して、財政負担の増加を嫌う保守派の猛反発を招いた。

厳しい財政削減を求める保守運動「ティーパーティー(茶会)」が勢いづき、2年前の中間選挙で共和党が下院で大勝した。同党は徹底して政権に非妥協的な姿勢を貫き、政治が動かなくなっていた。

大統領選と同時に行われた連邦議会選では、上院では民主党が過半数を確実にしたが、下院は共和党が多数を占めた。「ねじれ」は続くことになり、超党派での協力が不可欠だ。

共和党も大統領選で示された民意を受けとめるべきだ。「茶会」のような急進的な主張は、国民的な支持を得ていないことがはっきりした。協調すべきは協調しなければならない。

ロムニー氏は、オバマ氏の医療保険改革の撤廃を訴えた。だが、しっかりしたセーフテイーネットの存在は、経済にも好影響をもたらす。共和党も改革を受け入れるべきだ。

 

カギ握る中間層

 

選挙選終盤、オバマ、ロムニー両氏がともに強調したのは中間層への配慮だった。中間層が活気を取り戻してこそ、米国の再生につながる。

また、それが分断修復のカギとなるのではないか。

オバマ氏が苦戦した最大の原因は、経済の低迷だった。

失業率は8%を超える高い水準で推移し、就任時に約10兆ドル(800兆円)だった財政赤字の累積は、約16兆ドルに増えた。

希望の兆しもある。

選挙の直前になって、失業率は2ヶ月続けて7%台に下がり、9月の住宅着工件数も4年2ヶ月ぶりの高い水準だった。回復の軌道に乗りつつある、との見方が強い。

この流れが続けば、政権基盤が安定し、社会のぎすぎすした空気も和らぐだろう。

 

対中関係をどう築く

 

財政的な制約もあり、世界に軍事力を振り向ける余力が少なくなるなか、米国が外交・安全保障でどういう役割を果たすのかも問われている。

4年前、アフガニスタンとイラクの二つの戦争で米国の威信は大きく傷ついていた。

そこに、オバマ氏は全く違う米国の姿を示した。

「核なき世界」を唱え、米国とイスラム世界の新たな関係を求める力強い言葉に、世界は喝采を送った。

だが、いずれも道半ばだ。

中東は「アラブの春」後の秩序作りで揺れている。内戦状態のシリアでは多数の死者が出て、暴力がやむ気配はない。イラン核問題も緊迫している。

紛争の拡大を防ぎつつ、どう解決に導くのか。国際社会をまとめる指導力も試されている。

アジア太平洋重視を打ち出しているオバマ政権にとって、習近平(シーチンピン)・新体制の中国とどう向き合うかは最大の2国間問題だ。

経済面の相互依存が増すなか、実利的な関係を進めると見られるが、大国化した中国が周辺国と摩擦を起こす場面が増え、米国は警戒を強めている。

尖閣諸島をめぐって中国との緊張が続く日本としても、オバマ政権の対中政策を見極め、連係を深める必要がある。

外交、内政両面で、理念を開花させることができるか。オバマ政権の真価が問われる4年間になる。

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変革、これからが本番

アメリカ総局長=立野純二

 

7日未明、シカゴ。再選を果たしたバラク・オバマ大統領は、1万人の聴衆に、かれ声で語りかけた。「経済は回復している。10年の戦争は終ろうとしている。そして、長い選挙戦は終った」

未曾有の経済危機や、イラク、アフガニスタンでの戦争終結にも並ぶ苦難。それほど激烈をきわめた選挙だったと吐露した。「一つのアメリカ」を唱えて歴史に名を刻んだ黒人大統領の再選演説として、実に皮肉な言葉だった。

争点は最後まで経済復興だった。

ミット・ロムニー氏の武器はビジネス経験。最後は逆にその過去が災いした。特にオハイオなど自動車産業の拠点州では、市場に破れた企業や工場を切り売りした投資家よりも、逆に産業を救った現職大統領への信任が上回った。

自由競争にゆだねる社会か、それとも格差の是正を重んじるべきか。低成長と財政赤字に悩む先進国共通の問いに、米国民は後者の「大きな政府」路線を選んだ。リーマン・ショックを招いた市場の暴走の記憶が生きていたともいえるだろう。だが、それは決して論争の決着ではない。

むしろ、社会の対立がこじれているのは、経済格差だけではなく、人種間の分断も深まったからだ。台頭する新移民層と、旧権益層の保守層とのあつれきを背景に、白人の「オバマ離れ」が鮮明になった。議会下院の共和党支配は変わらず、オバマ政権は2期目も内政に悩まされるだろう。

今回ほど米国が世界を論じず、内向きに終始した選挙は珍しい。つい10年前、民主化の旗を掲げてイラクの独裁を力ずくで倒した米国が、隣のシリアで3万人が殺されてなお傍観するのはなぜか。両候補はその答えで一致した。「再建すべきは我々自身だ」

米国はもはや一極支配の覇権国ではない。核なき世界。グリーン・エネルギー革命、イスラムとの対話。オバマ氏が掲げた崇高な目標の大半が道半ばながら、多くの国々は再選を歓迎した。欧州経済が揺れ、中東が混迷し、アジアの秩序が変わる動乱の時代、むしろ4年前より今こそ世界は変革の旗手を渇望している。

「世界は困難にあふれているが、私たちは運命の囚人ではない。我々の行動で歴史を正しい方向に向けられる」(3年前のノーベル平和賞受賞演説)。あれから理想の語りが消えた姿に夢がしぼむ思いがしたのは米国民だけではない。世界が信じた「オバマ伝説」の本番は、初当選の酔いが覚めた今から始まる第2幕にこそあると考えたい。

2012年11月9日金曜日

「W・ローズ」公演

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開演=19:00 

 

作=マーティン・シャーマン

訳=堀 真理子

演出=高瀬久男

出演=志賀澤子

会場=ブレヒトの芝居小屋

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久しぶりのブレヒトの芝居小屋だ。今年2度も招待を受けながら、観劇に行けなかったことが気になっていた。そこで、今回はどんなことがあっても行くぞと決め込んでいた。さて、誰と行くかが問題だった。

今回は、毎週水曜日の午後に農作業の手伝いをしている山田農園の農園主と行く事になった。農園主はご婦人だ。農園に向かう或る日の車中、ひょんなことでお芝居のことを思い出し、唐突に誘ってみた。農園主は、じっくり私とこの劇団とのお付き合いのことを聞いて、同行を決意してくれた。

演出は、紀伊国屋演劇賞などの多くの賞に輝く高瀬久男氏が担当。東京演劇アンサンブル代表の志賀澤子氏がプライベートユニットで制作した。いただいたパンフレットには、志賀氏本人が、俳優人生の総決算として挑むなんて大袈裟なことを言っておられる。まだまだ、先輩には頑張ってもらわないとイカンのですゾ。

今回、芝居小屋に行くまでに、何らの理論武装もせず、予備知識を持たないままの観劇だったので、その場では、話の進んでいく具合を多少理解できても、肝心な部分が解っていなかったので、浮かぬ顔をしながら帰ることになった。

志賀さんの独り芝居だ。

舞台の中央に設置された木のベンチに座って、80歳になるローズが、波乱に満ちた自らの人生を語る作品だ。胸が苦しくて、水を飲み飲み、自分の生い立ちから今に至るまでの人生行路を、語る口調は、時には涙し、笑を浮かべて静かに語られていく。

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話の筋はーーー

ローズはウクライナのユダヤ人たちが住む集落で生まれた。兄を頼ってポーランドに出かけた。ちょうどその時、ワルシャワにナチス・ドイツ軍が目の前を侵攻してきた。それからゲットーでの生活を余儀なくされる。

第二次世界大戦後、ローズは「エクソダス号」に乗ってパレスチナを目指した。しかし、運命のいたずらからアメリカのアトランティックに渡ることになる。そこで、知り合ったアメリカ人と結婚し、子供をもうけ、ホテル経営を軌道に乗せた。

保有していたホテル・ローズは繁忙から衰退、そして老人ホーム・ローズになる。そして年老いた今はマイアミにいる。

このお芝居を観ている時に、気になってしょうがない言葉があった。時々志澤さんの口から発せらる台詞(せりふ)の「シヴァ」、だ。

自宅に戻ってネットで調べてみたら、シヴァとはユダヤ教の信徒たちの葬式にかかわる習わしのようだ。葬式が終わると、遺族はシヴァと呼ばれる7日間の喪に服する。この期間、遺族は亡くなった人の友人や親戚の弔問を受ける。心身を鎮める。亡き人を語り遺族を心からいたわる。そのようにして、ユダヤ教の信徒は絆を深めていく。

シヴァの7日間が終わると、遺族はこれからの1年間の喪に服することになる。両親や兄弟姉妹が亡くなった場合は、1年間はお祝いごとや、お祭りに参加しないし、パーティーやコンサートにさえ行かない。楽しむことや浮かれることは厳しく戒める。

回顧話の中にシヴァが度々訪れ、話は進行する

ストーリーを完全に理解できていないので、後日、本を読んでみたいと思っている。頂いた資料を添付した。

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2012年11月7日水曜日

フ~ラフ~ラ、帰途の楽しみ

仕事を終えて、会社を出て、駅前のコンビニでお酒を買って、チビリチビリ飲んで帰るのが楽しみの一つになった。

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1ヶ月程前のこと、帰途の電車の中で、掌(てのひら)に隠すようにして缶ビールを飲んでいたら、かって20年ほど前に私の会社に融資してくれていたノンバンクの担当者だったケイさんに会った。私が乗客のなかに見つけた。

缶ビールをコンビニを出て直ぐに飲みだし、電車がホームに着くまでに飲み終え、空き缶を自動販売機の傍にある缶入れに入れ、そして電車に乗るようにしていたが、この日は携帯電話がかかってきて、飲み終えるまでに電車が来てしまった。

久しぶりに会った彼に、ご無沙汰していることを詫びた。彼は転職先の名刺を差し出し、互いの仕事の現状を話して、頑張りましょうとエールを交換した後、私の手元の缶ビールを見てニンマリと、ヤマオカさんは相変わらず飲んでるんですね、と冷やかした。

そんなことはないんですよ、家に帰ってがっちり飲むのは以前と変わっていませんが、今日は、ちょっと暑くて、外で木を切る作業をしたもんですから、特別なんです、それに直ぐに電車が来たもんだからと嘘をついた。私は、この何十年、毎日、会社か居酒屋で飲むか、コンビニで買った酒を飲んで家に帰っている。

春から夏の終わりまでは第三のビール・発泡酒を、それから果汁の入った缶酎ハイに変えた。そして、2週間前から日本酒にした。日本酒にも色々あって、1合100円の紙パックに入ったものから、200ミリリットル200円前後のものが、各メーカーの社運を賭けた品が並んでいる。

1週間前に200ミリリットル130円のワンカップ酒を見つけた。その名は男山という。これが、値段の割にはなかなか美味いんだ。

そして、一昨日20121102の金曜日の電車の中、今度はケイさんの方がワンカップ酒を飲んでいる私を見つけて、やっぱり飲んでましたね、と近寄ってきた。きまりが悪かった。酒を飲んでいるオヤジがいるなあ、と思ってよく見たらヤマオカさんだったんですよ、1ヶ月前に会ったときには、確か、その日は特別の日だと言ってませんでした? 彼は、私を問い詰める。口調が堅い。私は、今日もちょっと疲れちゃって、と独り言で誤魔化した。

今夕の彼は前回とは違って乱調気味。そりゃそうですよね、疲れちゃいますよね、頭にくることが多くて、やってられませんよ、いい加減疲れました。顔はまるで鬼。面白くないことをやらされてますわ。今日会社で、彼に何があったんだろう? 事情の解らないまま、私はウンウンと頷(うなず)くばかり。私より一駅前に下りたが、彼の背中は淋しげだった。

こんなことがありましたと、日記のつもりでこのブログを綴った翌々日の今日20121104、朝日新聞・生活面に、「電車内化粧 中3が考えた」のタイトルの10月14日付け新聞記事に対して、漫画家の伊藤理佐さんが書いた「やめなよ、電車内での化粧」の記事に、色んな意見の投書があったことを報じていた。

概(おおむ)ね、伊藤さんの意見に賛意を表したものが多かったようだが、そんな記事に己(おのれ)は一体どうなんだ?と矛先を我に向けて考えてみた。車中、缶ビールに缶酎ハイやワンカップ酒を飲んでいるサマは、女子の中高生が化粧しているのと大差ないではないか、余り褒められたことではない、よ~だ。

新聞記事にあったように、「いいじゃないですか。迷惑にならないならOKです。公共の場だけど、自分の範囲だけのことなので」と、この私も言えますか? と自問して、それはどんなことがあっても、言えないことだ、と今更ながら納得した。

電車内でのお酒は遠慮しよう。

銀杏 その③弾

この1ヶ月、銀杏と大いに戯れた。

経営責任者の中さんが集めてきたイチョウの実から種子である銀杏を取り出して、作業は最終工程、乾燥中だ。

イチョウの実を中さんから受け取ってからの作業は、私の担当だ。

我らが深く付き合った銀杏のことを、朝日新聞・天声人語は取り上げた。敬愛してやまない宮沢賢治の文章も交えてくれた。ジョバンニ、カムパネルラと俺の銀河鉄道はそろそろ走りだす。歴史の歴史を、愛の愛を見つけるための旅だ。天声人語氏の珠玉のこの文をやはり、キープしたいと思った。

 

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朝日・天声人語

早起きの身に、よく晴れた晩秋の夜明けは気分がいい。きのうは藍色の天空に居待ち月が浮かぶ。明けの明星が皓々ときらめいていた。暁を覚えぬ春とは違って、眠気はすっきり心と体から抜けていく。

そんな澄み切った明け方、丘の上の一本のイチョウから、銀杏が一斉に飛び降りる童話を宮沢賢治は書いた。木をお母さん、黄金(きん)色の実をあまたの子に擬し、落下を「旅立ち」と描く筆はやさしい。

子らは靴をはき、外套をはおって旅の支度をする。冷たい北風がゴーッと吹くと、「さよなら、おっかさん」と口々に言って枝から飛び降りるーー。黄金(きん)の雨が降るような描写を読み直すうち、ふと読者から頂いた便りを思い出した。

去年の今ごろ、作家の故三浦哲郎さんの文を拝借した。郷里の寺の銀杏が、「毎年十一月のよく晴れた、冷え込みのきびしい朝に、わずか三十分ほどで一枚残らず落葉してしまう。これを文学的誇張であろうと書いたら、そういうことは他でもあると、何人かが教えてくださった。

ある人は「すさまじい光景だった」と表し、ある人は「解脱するかのように」と例えていた。裸になった木の下には厚み10センチほどの絨毯が敷かれたそうだ。風もなく、憑かれたように散る光景を思えば、樹木の神秘に粛然となる。

立冬が近く、けさは各地で一番の冷え込みになるらしい。豪壮な黄葉は今日はどの辺りか。夜はぎんなん坊やをつまみに、深まる秋に浸るもよし。おっかさんの銀杏の木に、感謝を忘れず。

銀杏、その②弾

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中さんが収穫してきたイチョウの実は、出勤時に会社に持ち込まれ、バケツとビニールプールとビニールのゴミ袋に入れて水に浸け、テラスに並べた。イーハトーブの果樹園にも埋めた。

そのような状態にして数日(7~10日間)、様子を見た。イーハトーブに埋めたのは、外からは目視できなくて、中の様子を時々掘り起こして見た。果肉がほぐれてきたのを見計らって、次の行動に移った。

今後の処理方法の知恵をネットで得た。画期的なアイデアに思われたのは、実を洗濯機に入れて、果肉を剥(はが)し取ることだった。私たちは、実を網状の袋に入れてから洗濯槽に入れた。これは、私たちのオリジナルな知恵だ。この方が後の処理が迅速にできる。

洗濯槽から網に入ったまま取り上げて、ザルに広げ、ゴミを取り除き、水をたっぷりかけてぬめりを洗い落とした時には、イチョウの実は身包(みぐる)みはがされ、白い裸身の艶(なまめ)かしい銀杏になっている。

ウンコ臭の身包みはゴミ袋に入れて封をした。やっとここで、親しみまで覚えるようになった臭いとおさらば。スタッフに嫌な思いをさせなくなることに安堵した。

裸身艶かしい銀杏を、現在、会議室の窓際に干している。保存をするためには水っ気をなくすることだ。私は、一日に一度は確認に行く。見る度に嬉しくなる。

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試作中

片や管理の和さんは、目下、小分けして人様に差し上げるための梱包を考えている。あの手この手を駆使して見栄えよく、考慮中だ。

銀杏 その①

銀杏を作りに繁忙中だ。

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収穫直後のイチョウの実

 

弊社の経営責任者の中さんが、早朝5時頃、散歩やジョギングをしているときに、コースの道々に銀杏が落ちていることに気づいた、と私に話しかけた。

そう、そんなに落ちているの、と返答しながら、私は私で、今年は銀杏をどうしようかと考えていた。去年、仕事の都合で立ち寄った横須賀のJR田浦駅のロータリーで偶然拾ったイチョウの実は大きかった。が、沢山は拾えなかった。小さい実のものは会社のすぐ近くの帷子川沿いで幾らでも拾えるが、もう少し大きな実を拾いたかった。そんな場所さえ見つかれば、直ぐにでも、出動するつもりでいた。

そして数日後、ヤマオカさん、こんな実なんですがどうでしょう、と見せられたその実がどれほど価値のあるものかは、学習済みの私には、即、理解できた。お歳暮の時期にあわせて、銀杏作りをしよう、と中さんと合意した。二人は、お世話になっている人に年末のご挨拶に差し上げたいと思った。あなたが採って来てくれたら、後は俺に任せろ、銀杏については、中さんより一日の長がある。

問題は、果肉の中の銀杏を取り出しやすくするために水に浸け置くスペースの確保と発する臭いにどれだけ耐えられるかだ。露骨にウンコ臭に渋面するスタッフもいたが、スマン、悪いな、とその度に謝った。

それから、中さんは義弟と、たまには奥さんも交(まじ)えて、収穫作業を加速させた。義弟はスー君だ。彼は、奥さんの弟で家事の手伝いにフイリッピンから来ている。

毎日それなりの量が会社に持ち込まれた。初日は水を入れたバケツに浸(つ)けたが、持ち込まれる量が多くなってきたので、我がイーハトーブの果樹園に埋めることにした。昔、私がそのようにしていた。

それでも足りないので、思いついたのが子供のビニールプールに浸けることだった。物分りの早い中さんは、早速、自宅用のプールを持ってきたが、それにも直ぐにいっぱいになった。今度はビニールのゴミ袋に入れたまま水を注いだ。

収穫する方法にも日々、漸次、イノベーションが図られた。最初は通行人を装って、イチョウの樹の下や、垣根の中に顔を突っ込んで拾っては、小さなビニール袋に入れていた。

落ちている実が多くなってきたので、チリ取りやスコップのようなもので、ごそっと掬(すく)ったらどうだろう、とアドバイスした。が、これでは、玉石混淆。

そのうち、中さんは大きい実がなっている樹と小さい実がなっている樹があることに気づいた。そして生っている実を棒や竹竿のような物で叩き落としているオジサン、スー君がエネミー(敵)と叫ぶ敵を目撃、それからオジサンの手法を素直に見習った。落ちるのを待っていられない。この方が、良質の実を集中して採集できる。

落とした実を一つひとつ拾うのではなく、ビニールシーツを広げておいて、それをまとめて一網打尽(ちょっと違う、が)?に実を集めた。

次は棒で叩き落とすのではなく、樹に登って枝を手で揺らして落とした。落ちる前の良質な実だけを選んで収穫できた。それも、大量に。樹に登るのはスー君だ。木登りが上手い。

この収穫場所のことは、口が裂けても言えません。企業秘密ですから。良質な材料の仕入れの重要さに、業務上痛感させられている。

 

このように収穫された銀杏の運命は、第2弾にご期待してください。