2012年11月7日水曜日

銀杏 その③弾

この1ヶ月、銀杏と大いに戯れた。

経営責任者の中さんが集めてきたイチョウの実から種子である銀杏を取り出して、作業は最終工程、乾燥中だ。

イチョウの実を中さんから受け取ってからの作業は、私の担当だ。

我らが深く付き合った銀杏のことを、朝日新聞・天声人語は取り上げた。敬愛してやまない宮沢賢治の文章も交えてくれた。ジョバンニ、カムパネルラと俺の銀河鉄道はそろそろ走りだす。歴史の歴史を、愛の愛を見つけるための旅だ。天声人語氏の珠玉のこの文をやはり、キープしたいと思った。

 

20121103

朝日・天声人語

早起きの身に、よく晴れた晩秋の夜明けは気分がいい。きのうは藍色の天空に居待ち月が浮かぶ。明けの明星が皓々ときらめいていた。暁を覚えぬ春とは違って、眠気はすっきり心と体から抜けていく。

そんな澄み切った明け方、丘の上の一本のイチョウから、銀杏が一斉に飛び降りる童話を宮沢賢治は書いた。木をお母さん、黄金(きん)色の実をあまたの子に擬し、落下を「旅立ち」と描く筆はやさしい。

子らは靴をはき、外套をはおって旅の支度をする。冷たい北風がゴーッと吹くと、「さよなら、おっかさん」と口々に言って枝から飛び降りるーー。黄金(きん)の雨が降るような描写を読み直すうち、ふと読者から頂いた便りを思い出した。

去年の今ごろ、作家の故三浦哲郎さんの文を拝借した。郷里の寺の銀杏が、「毎年十一月のよく晴れた、冷え込みのきびしい朝に、わずか三十分ほどで一枚残らず落葉してしまう。これを文学的誇張であろうと書いたら、そういうことは他でもあると、何人かが教えてくださった。

ある人は「すさまじい光景だった」と表し、ある人は「解脱するかのように」と例えていた。裸になった木の下には厚み10センチほどの絨毯が敷かれたそうだ。風もなく、憑かれたように散る光景を思えば、樹木の神秘に粛然となる。

立冬が近く、けさは各地で一番の冷え込みになるらしい。豪壮な黄葉は今日はどの辺りか。夜はぎんなん坊やをつまみに、深まる秋に浸るもよし。おっかさんの銀杏の木に、感謝を忘れず。