民主党は、2009年の衆院選で圧倒的に勝利して政権交代した。そのときの選挙戦では、マニフェストにばらまき政策を並び立て、政権を取れば財源はなんとでもなる、と豪語した民主党の首脳部。経費を削り、税負担を増やし、既得権を減らすことが当面の課題だったのに。政権奪取後、掲げたマニフェストはことごとく実行できずに頓挫した。
この民主党は、野合による選挙互助会だった。その後、政策、党の方針がまとまらず、未熟なまま戦った先の参院選で敗れ、ねじれ国会になり政治は停滞した。
この選挙互助会なる民主党も、ここにきて分裂しだした。純化作業、進行中だ。
そんなことを考えていたら、先の通常国会で野田佳彦首相と安倍晋三自民党総裁との党首討論で衆院の解散宣言が飛び出し、それからが実に面白いのだが、尻に火が点いたように、雨後の筍、色んな党が次々に生まれ、新旧の党が14とか、15とかになった。そして、今度はそれらの党と党が、小異を捨てて大同につこうではないか、と第三極の形成、勢力増大を狙って、イシハラ狸やハシモト狐が郎党を組んで跋扈跳梁。カワムラ鼬鼠(いたち)は、党名が雑だとかセンスがないとか言われて仲間から追い出された。数日前には、イシハラ狸とカワムラ鼬鼠は仲良く揃って連携か合流するとかで記者会見していたのに。「疑わしきは罰せず」に無罪を勝ち取った絶滅危惧種の小沢カワウソも、仲間狩りの夜襲をかけているようだ。
小異を捨てて大同につくと言っても、掲げていた項目はどれも小異ではない。大事(おおごと)だ、原発、消費税、FTT(環太平洋経済連携協定)どれも重要な項目ばかりだ。昨日20121119、ハシモト狐が街頭演説で叫んでいるのをテレビで観た。「大事なことは政策ではない。組織を動かす行動力こそが大事なんだ」と、これって、本気かよと不思議な気がした。太陽の党と日本維新の会が合流したことで、元の日本維新の会の原理原則が破綻して、破れかぶれのシッチャカメッチャカ。新党・みどりの風の党首が、恋愛期間もおかないで、いきなり狐と狸が結婚しよう、というのには無理があるのでは、と話していた。
20121120の日経新聞の社説でも、これらの動きを警告している。政党とは、同じ価値観を持つ政治家が、権力の獲得と維持をめざして集まる結合体だ。理念や政策の旗を横に置き、もっぱら権力を求めて動いているとみられるとき当然批判はあって然り、と著した。
こんなすったもんだは、必ず禍根を残すことになる。民主党のこの3年ちょいの政権運営の醜態を繰り返すな。
話は少し変わる。マニフェストという言葉が今では普通に使われているが、日本語で長年親しんできた選挙公約でいいのではないか。漢字の方がよく意味が理解できる。強く美しい国を目指すなら、日本語で選挙公約だ。
そうしたら、やっぱり、ここにも賢者、天声人語氏が現れた。天声人語氏の文をここにマイファイルさせてもらった。
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20121119
朝日新聞・天声人語
髪形をいじるのは心機一転の表れでもある。日本維新の会の橋下徹氏が、おでこを出す正統「保守型」に変えた。この勝負髪で衆院選に挑むという。37歳上の石原慎太郎氏を新代表に迎え、しおらしく従う覚悟らしい。
合流は第三極の受け皿を広げ、既存政党や官僚支配への不満をさらう狙いとみえる。両氏の合意文書には「強くてしたたかな日本をつくる」と表題がついた。「弱くてお人よしの日本」は耐えがたいと。
片や石原氏に気を使い、「原発ゼロ」の語は消えた。政策より大同団結、小異は捨てたと言うが、コーヒーと紅茶を混ぜたようなドタバタ感が漂う。色が似ていればいいというものではない。
なるほど、コーヒー党、紅茶党の独自色より、候補者の調整が先に立つのが小選挙区制だ。野合との批判に、石原氏は「民主党や自民党が人のこと言えるのか」と反発、橋下氏も「趣味嗜好まで同じなら北朝鮮」と開き直る。
とはいえ、地方分権や行政効率に重きを置く橋下氏の現実主義と、米中なにするものぞの石原流がどう混じり合うのか。みんなの党や減税日本とも組むとなれば、昔の民主党顔負けの「選挙互助会」だ。
石原氏がほれたと公言する橋下氏は、政界でいう「じじごろし」に違いない。新代表を最強のリーダーと持ち上げ、ヘアスタイルを変えた。「何が目的か分からない年の差婚をした、したたかな女のように」。きのうの東京紙面にあった、山本貴代さんの見立てに納得した。その縁の吉凶は知らない。