2015年3月15日日曜日

息子との貴重な宴会に酒鬼が!!

3月7日の土曜日の夜、7時半ごろから、権太坂に住む二女家族と東戸塚の駅前マンションに住む長男家族との宴会をやった。狙いは、青森県八戸のLNGから久しぶりに帰ってきた長男家族を迎えるためだ。賢妻と小さな女の子2人は、長男を迎えに雪の国に行っていた。三衣一鉢、雪の中でのプレーを楽しんだようだ。

お父さん、日本には面白い所がいっぱいあるよ、こんな所でいつまでもぐずぐずしている場合ではないよ! 八戸での仕事中に、入社10年のご褒美をもらったようだ! とご本人は自覚自賛。会社のやることは好いか悪いかしらんが、面白いことをしてくれるんだ。1か月の丸々グータラ休み。

俺は、昨年の怪我の後遺症、宴の半ば、早く布団に入っていた。そこにビビラービーラ、我が携帯電話に警戒オア豪快音?。逃げようたって、逃げられない。丁丁発止、含みのあるねちっこい音。発信主は!そう簡単には切ってくれない。瞬間、この発信源は何処からだということぐらい、瞬間的に分かった。

奴らだ。あのサッカー部の後輩たちが、試合後の酒惚を振らしたようだ(カナシイ、でもヨロコブ)。この俺が出席していないことに、奴らは怒りだしたのだ、、、、(ワライ、そしてクヤシイ)。みんなと話す内容の悉くは、私の回復力に対するご褒美だ!! 次回は必ず出席することを誓った。

1年に1度、静岡、神奈川、山梨で我が大学のサッカーの後輩たちが催す同窓会だ。私よりも後輩がメイン。過去の思い出に花を咲かせ、温泉につかってお酒をいただく。もう30年は続いていることだろう。この日、4試合して4試合とも勝ちましたとは、どうしても信じられない話だ?

俺だって、早くみんなに会いたい。

ところが、私の頭は回転しない。事故発生の5月16日になれば発生後1年になる。脳の回転はかっての50%まで復活さえすれば、御の字だと医師から言われている。その、イイ方までいかなくっちゃ。体の一部一部が、思いのまま動かない。少しの動きだけで、細かい神経がビリビリする。

 

2015年3月12日木曜日

6人目の孫、力強く生まれた!!

平成27年2月23日(月)、私の4人いる子供の2女が、真夜中1時ごろ、3050グラムの男子を安産した。2女にとって二人目の男の子だ。この出産を、一番喜んでいるのが長男の晴、そして父、そしてそして母だ。私にとっては、6番目。7番目は3女から今年の8月に予定している。

この2月23日というのは私の妻の父(義父)と同じ。亡くなって20年以上経つことになるが、私にとっては好い義父だった。2女の1年前の出産では、私たちには思いも寄らないことが起こって、楽しく過ごすことができなかった。そのことがあって、今回の出産の全てのことは、神奈川県立こども医療センターにお願いした。子供は極めて健康で、生まれてくるや沢山飲んで、沢山寝る。私の周りの子供を産んだ経験のある者さえ、これは驚天動地!と驚いている。

 

先日CFを観ていたら、下のような文章に気づいた。生まれてきた子供の父母や兄、私たち祖父母にとっても、良い記事かもしれない、と思いきや?書き留めた。

○基本性格=警戒心が非常に強く用心深いので初対面の人等には猫をかぶって接したりします。しかし、いったん警戒心がとければ自分の素を出してきますので、最初と慣れてきてからの印象が結構違ったりします。意外と行動力がある人で勘も鋭いので、仕事やギャンブルなどで大きな結果を出すことができますが、警戒心が強すぎてすぐに行動に移らないことからミスミス大きな得を逃してしまうようなことも多いようです。考え過ぎて損をするタイプです。
知り合ったばかりの頃はまったくそのような印象がない場合が多いですが、結構世話を焼くのが好きな人でもあります。とにかく気心が知れるまではこの誕生日の人の評価をすることはやめておきましょう。

○金運=ギャンブルなどでもしっかりとした裏打ちがあってから初めて賭けるなど、非常に用心深いやり方が目立ちます。そのようなやり方ですから当然大儲けはできません。基本的に財布の品もは締めがちですが、出すべき時はそこそこ出します。ケチと普通のはざまといった感じでしょうか。

○健康運=体調が悪い時は悪い方にしか行かず、良い時はとことん良い方向に進んでいきます。良い方向に進んでいる時は良いのですが、体調が悪い方向に進んでいる時はしっかりとした自己管理が必要となって気ます。どうにも体長の流れに流されやすいようですので、自分の生活習慣などしっかりと見極めて普段から自己管理して行きましょう。

○2月23日が誕生日の男性の恋愛傾向=小心者なので気に入った人がいてもなかなか自分からアプローチすることができません。しかも、何とか相手に自分をアピールしようとしてもうまくいきません。アピールとアプローチがド下手です。ですが、根気強くアタックし続けることができる人ですから、しっかりとした誠意をもって相手に想いを伝え続ければ結果はついてくるでしょう。自分の恋の不器用さは、誠意でカバーです。もっとも、その前にストーカー扱いされたら潔く引きましょう。ストーカーは犯罪です。
うまいこと交際が進んでいけば、プロポーズは大胆なことができるでしょう。もっとも、大胆なプロポーズができるくらいに気心が知れていないと、結婚を申し込むようなことはしないでしょうが。
結婚後は愛妻家かつ子煩悩なアットホームパパとなること間違いなしです。

2015年3月8日日曜日

ジジイの頭は、本当に大丈夫か?

平成27年3月18日(水)の午後。 昨年5月16日に怪我をした私を、当初から今に至るまで、お世話になっている病院に行くことになった。担当の医師は、脳神経外科のプロ医師だ。

毎週月曜日の8時半頃から3時間、さかのぼる1週間の仕事の報告と管理、これから1週間の全ての物件の作業の打ち合わせをするのだが。私にとって、そんなことも重大な御愉しみの一つだ。知らないことを知る、これからやることを再検討。何もかもが面白いのだ。

ところが、先週の会議を終えたあと、頭全体が重たく感じて、何故か体温が熱く感じた。熱くなったからと言って、頭の一部分が強く激しく、鋭利に痛さを感じるわけではない。鈍痛(ドンツウー)と言えばいいのだろうか?静かに重く感じるのだ。こんな感じがこの2か月、ずうっと同じ。

まさか、ある日?のある時間?に、ポツ~ンとこの世を去り、あの世に逝ってしまうってことはないだろうな? と。夜中、目覚めした時に思うようになってしまった。

怖い、怖いぞ。何があるのか解らない。言いだしっぺの素性も、幽霊の思惑も何も解らないのが、コ・ワ・イ・のだ。

2015年3月5日木曜日

ボーン・上田賞、朝日新聞の杉山記者に

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(紛争下のマリからニジェールに逃れてきた子供たちと杉山記者=2013年5月、中野智明氏撮影)

 

さすが、朝日新聞報道部!! 

こんな記事を見せてくれるから、”好いこと悪いこと”騒がれ五味三昧(ごみざんまい)”の朝日新聞だけど、好きなんだ。

国際報道で優れた成果をあげた記者に贈られる今年度のボーン・上田記念国際記者賞に、朝日新聞国際報道部の杉山正記者(39)が選ばれた。杉山記者はアフリカで絶えない紛争の最前線に迫り、人々の怒りや絶望、悲しみ、希望といった思いを読者に伝えてきた。

この後は、2015 2月21日朝刊の記事を丸写しだ。

 

 

上田賞に輝いた杉山記者より、「事実に近づくために」

在任中の3年でパスポートの100ページ以上がスタンプで埋まった。紛争現場の取材は20回以上を数える。内戦状態の中央アフリカでは、レイプされた8歳の少女が「叫んだけど誰も来なかった」と言った。ソマリアなどでイスララム過激派組織の戦闘員だった人々にも会った。憎悪と絶望が渦巻く。悲惨な状況を書き、記事が載っても人々の痛みは消えるわけではない。私は複雑な思いを抱えていた。

では、なぜ現場に行くのか。伝聞や間接情報に頼りきれば、本質を見誤る場合がある。自分が見たものを積み重ねて書いていくのが、事実に近づく唯一の方法だと思う。理不尽に命を奪われた人たちの無念家族の悲しみは、遠いアフリカで公表された死者の推計数字では伝えられない。

紛争では場所を変えれば被害者と加害者が逆転することもある。そして、「勝者」が憎悪を決め、ストーリーを作ってしまう。「勝者」と「敗者」のどちらかに偏らない、一つの側面だけではないものを伝えようと思えば、現場取材を重ねるほかないと思っていた。

ただ、どんな取材をしようと、無事に帰れなければ最大の失敗だ。自分だけではない。通訳など一緒に働く現地の仲間の安全が大切だ。危ない場所は日々変わる。地元の信頼できる人たちから最新の情報を集める。通る道、泊まる部屋の位置など細かい点にも気を配り、労力の大半をかけた。そして、焦らない。一定の安全を確保できないと判断し、直前に入るのをやめた現場はたくさんある。

今回、評価を頂いたのは紛争関連の記事だが、そのテーマにとどまらず、国内外で、書かれる側の痛みを考えながら、顔が見える記事を書き続けたいと思う。

 

ボーン・上田記念国際記者賞とは

報道活動によって国際理解に貢献したジャーナリストに贈られる賞。報道を通し日米交流に尽くしたマイルズ・ボーン・UP通信社副社長(当時)と上田碩三・でんつ電通社長(同)を悼んでつくられた。米国のピュリツアー賞にならい、日米ノメディア有志が資金を出し合い、1950年に「ボーン国際記念賞」として始まり、78年度の賞から現在の名称になった。

 

南スーダンなど紛争地取材

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杉山記者は2011年から昨年までアフリカに駐在。等身大の姿を伝えようと、22カ国を訪れた。昨年の記事の内容の一部を紹介する。

1月26日付と28日付の朝刊では民族紛争下の南スーダンの実態を報じた。

激戦地ボルでは無数の遺体が放置され、市民は自動小銃やチタで武装していた。農家のフィリップ・アチャックさん(32)は「家族を守るために銃を持っている(敵対民族)は絶対に許さない」と言った。

市場は破壊され、略奪されていた。洋服店を営むビオル・マシュさん(24)は、叔父を殺され、「ここまでやられて民族の和解などできるものか」=図中①と語った。ボルノニアル・マジャック市長は「人道援助が全く届いていない」(同②)と訴えた。

4月6日付朝刊では、「民族対立で80万~100万人が殺されたルワンダの大虐殺から20年を機に、悲しみを乗り越えようとする人々の姿を報じた。

シャンタルさん(46)は当時、民兵に襲われた。赤ん坊の双子と逃げたが捕まり、一人は棍棒で殴られて死んだ。もう一人は9歳の妹が抱えて守ったが、妹はナタで切られて死んだ。

シャンタルさんは、民兵から次々と性的暴力を受けて妊娠し、女の子が生まれた。夫は「どういうことがあっても自分の子だ」(同③)と言い、「父の子」の意味の「ウワセ」と名付けた。19歳になった学生ウワセさんは6年前、出生の経緯を聞いた。「何度も死のうと思った。しかし、両親の愛情を考えると前に進もうと考えた」(同④)

武装勢力「ボコ・ハラム」による女子生徒らの誘拐やテロが多発するナイジェリア。5月27日付朝刊でおびえる人々をルポした。

北部のカノでは、商店主のスティーブン・ヌウォゴさん(43)が爆破テロで12歳と8歳の娘を失い、「娘たちは勉強が大好きだった。テロが娘たちの、私の未来を奪った」(同⑥)。

別の爆破テロ後に建て直された学校に机はなく、子供たちは床に座って学んでいた。女子生徒ラビ・アラソンさん(15)は「襲撃は怖いが、勉強を続けて家族や社会の役に立ちたい」。

イスラム宗教学者タウフイック・フセイン師は「人々には『ボコ・ハラム』と言うだけで、狙われて殺されるという意識が強い。口に出すだけでも恐怖を覚える」(同⑥」と語った。

(上記に記載された期日は、朝日新聞の東京本社最終版のもの)