2020年1月11日土曜日

日本の標高の基準

20191106(水)朝日新聞13版S 総合2の
「重要文化財になる「水準原点」って何?」について

日本にある水準原点についての新聞記事を長く机に仕舞い込んでいたので、今後のために今日これを転載させていただく。

仕事柄、扱う住宅が海水面からどの程度の高さにあるか、どうしても気になる。
私の頭の中に未だに強く残っている、2011年(平成23年)3月11日 14時46分、東北地方一帯に大きな地震が発生した、あの東日本大地震のことだ。
マギニチュード9.0で日本の観測史上最大規模だった。
その地震で発生した津波で、福島第一原子力発電所が大災害を受けた、その被害が余りにも大きく、今後の発電所としての機能や素因が疑わしくなっている。
どこまでも、これから電源の素として原子力を追求していって良いものか?

水準原点や標高とかのことは、その新聞記事を読んでいただければご理解いただけると
思う。
私だって、この新聞記事を見るまでは何も知らなかったのだ。
恥ずかしったら、丸で赤恥の思いざ!!

Diet of Japan Kokkai 2009.jpg
国会議事堂は、1936年(昭和11年)に帝国議会議事堂として東京都千代田区永田町一丁目に建設された。
正面に向って左側に衆議院、右側に参議院(旧・貴族院)が配置すぁれている。




日本の標高の基準。
東京の憲政記念館庭園にあるよ

コブク郎・「日本の土地の高さの基準」が、国の重要文化財になるんだって?
a・「水準基準点」だね?
東京湾の平均海水面が標高0メートルだけど、海面は常に変化するから、1891年(明治24)年に地上に動かない目印をつくった。

コ・どこにあるの?
a・国会議事堂の前の憲政記念館の庭園にあり、ギリシャ神殿のような石造りの建物の中に納まっている。
地下10メートルから固めた基礎に載った花崗岩に、目盛のついた水晶板がはめ込まれている。

コ・どうしてそこに?
a・設置した旧日本軍の参謀本部陸地測量部の前庭で、地盤も安定していた。
隅田川河口で6年間の潮位を観測して平均海水面を決め、その高さとの差を測り、水晶板の目盛0の高さを「24・5メートル」とした。
これを元に国道沿いなど約1万7千カ所に標高の水準点をつくった。

コ・どうしてわざわざそんなことをしたの?
a・明治時代、国土の姿を統一的な基準で把握しようという政策が進められた。
1877年の西南戦争で正確な地図がなく、政府軍が苦戦を強いられたことも後押ししたようだ。

コ・ずいぶん古いけど、大丈夫なのかな。
a・実は、いま原点が示す数値は「24・39メートル」と、128年前より11センチ低くなった。
1923年の関東大震災と2011年の東日本大震災の地殻変動を受けて、2度改定した。
国土地理院が毎年、約80キロ離れた神奈川県の三浦半島で海水面の高さを測り、水準原点にずれが出ていないか確かめているんだ。

(上田真由美)


●水準点とはーーー
  高さの測量を行うときに基準となるのが水準点です。
国土地理院の水準点は、全国の主な国道又は県道等に沿って約2km毎に設置され、高さが正確に求められています。
この水準点を利用して測量することにより、土地の高さを精密に(mm単位)に求めることができます。
  水準点は全国に約17,000点設置されており、各地点の高さを測るための基準として利用されます。
基準水準点写真
基準水準点
一等水準点標石写真
一等水準点(標石)
一等水準点金属標写真
一等水準点(金属標)

豊穣な土地・イーハトーブ

今回の稿で、私が耕作する畑を「豊穣なイーハトーブ」なんて、偉そうにかつ気障に名付けてみたものの、何も私の心に弾(はず)みはない、皆さんに話したかっただけなのだ。
話題次第では、弾んだ発言を仕出かすのが私の遣り方、今回はそんな変チョコリンな思いはありません。
イーハトーブが豊穣な土地ならば、私は豊饒な農夫か?

久しぶりに「イーハトーブ」の状態を、下等なカメラで表現したくなったのです。

今日は12月29日(日)。
あと幾つ寝ればお正月だと夢見ながら、寝枕を蹴飛ばす心算はない。
正月を迎えたら、凧を揚げることも駒を廻すことも、小倉百人一首をやることもない。
ささやかなお節料理とちょっとばかりのお酒、そして家族の1年間の安全に健康に過ごせることが精一杯のお祈りだ。
蚊帳?をぶっ飛ばす時機でもない。

年末には、長男が久しぶりに我家に来た。
今までの外国での仕事っぷり、これからの外国での仕事の内容を話してくれた。
外国で元気に頑張っている子供たち(孫)の写真を見せてくれて、
その健康でat homeな風景から喜びを胸一杯に受けた。
私の此の頃の平穏な日々に、大きく明るい夢を指(さ)し延べてくれた。

暦(こよみ)は、私の心情など何くわぬ顔して過ぎていく、これは宿命的だと言えば落ち着くこと。
私にとってのこの1年は何があったと言うのだ、と何度も繰り返した。
「農夫道と言ふは、死ぬことと見付けたり」、そんな葉隠れに出てきそうな真剣勝負ではない。
それとも、我輩こそ農夫士だと胸を張った方がいいのだろうか。
そんな心境の身で、何故か寂しくて、やりきれなく感じてしまう日があるのだ。

誰にも言えないほどの悲しい失敗はあるが、そんなことの処理方法はいくらでもある
昨年、友人、後輩、人生上の先輩で亡くなったのが5人、これだけ身辺に死者が出ると流石の私だって滅入ってしまった。
悲しいかな、知り合いの死が私自身の寿命に繋がって考えてしまうようになってしまった。
だからかこの年末、私は私の命のこと、死んだ後の子供たちに対する様々なことがどうあるべきなのか、割と真剣に考えたのだ。
久しぶりに帰ってきた長男に、年末の落ち着かない日の最中、俺が死んだ時にはこんなように考えているんだと話した時、息子曰く、
「俺だって嫁の母親のことを考えていて、母親の考えていることは全て書類に残してもらおうと思っているんだ」。
「母が死んだら、母の考えていたようにしてあげないと、俺だって気になり過ぎるではないか」。

そんなことを思い込んでいる矢先に、今朝に行ったイーハトーブの光景が思い出された。
下等なカメラで撮った写真を眺めていて、ひとときの安らぎを覚えた。
が、コンピューターには残念ながら綺麗に映っていなくて、この稿に差し挟むことを諦めた。
どうせ今は冬の季節、派手がましいことなど、な~んにもございません。
唯、健康であることの幸せに感謝している。





2020年1月1日水曜日

橙(だいだい)って?




12月29日(日)。
私の命の畑・「イーハトーブ」の隣地の人(オジサン)から、橙(だいだい)をいただいた。
この畑のことを心の裡では、豊穣の土地だと誇りに思っている。

昨年もいただいたのだが、長年橙の樹木に生っていたものだから、果肉の味はよくなく見た目にも美しくなかった。
後ろの方ではっきり書きますが、この橙ってものは食肉用ではなかったのです。
それが、大きな誤解の始まりだった。
そんなこともあって、この橙については夏季の頃からお話をして、オジサンもその気になっていただいた。
実は昨年の年末に、ヤマオカさん、神棚や鏡餅の上には橙(だいだい)を載せるものなんですよ。
そんなことを聞いたものだから、自分も祖先の皆々様に感謝し、私たちの子どもも好い子になってもらいたいものだから、とオジサンに言ってしまったのだ。
「私たち用の橙も頼みます」
公式は「代々=だいだい=橙」のようなのだ。


 
上・我家の鏡餅  下・いただいた橙

この要望に隣のオジサンは機嫌よく了解していただいた。
そして、昨日本物の橙をくれたので、神棚と鏡餅に橙を揃えたり、上に載せたり、そんな光景をただ見るだけなのに嬉しくなって仕舞った。
いただいた橙が、用意しておいた鏡餅には大き過ぎて、それだけではどうにも不恰好だった。
記念にでもなればと思って、下等なカメラで写真も撮った。


橙とみかん、見た目にはよく似ているけれど、この二つには大きな違いがあることが解った。
不思議なことだ。
実は橙とみかんは、どちらも同じミカン科ミカン属柑橘類に分類される。
ところが、その由来や用途が大きく違う。


昔から日本ではオレンジ色のことを「橙色」と言う。
その名の通り、橙の実はオレンジ色をしているが、一年中実の色がオレンジというわけではない!
秋頃に色づき始め、実が熟すとオレンジ色になる。
しかしそのままにしておくと、春過ぎ頃にはまた緑色に戻ってしまう。
1年経っても、熟して落下しないのが、、、不思議な橙物語なり。

ネットを利用して橙のことを掻き集めれば、みかんと橙の違いは解ってもらえるだろう。
1、橙は酸味が強く苦みも含んでいるので、ミカンやオレンジなどのような生食に
 は向いていない。

2、果汁を絞ってポン酢を作ることが面白い。
 果汁に醤油と鰹節や昆布を加えて保存しておけば、冬の鍋の季節に自家製ポン酢で楽し
 むことができる。

3、橙の原産はインド・ヒマラヤ地方で、日本には中国を経由して入ってきた。

4、欧州ではサワーオレンジ、ビターオレンジと呼ばれ、マーマレードに使われる。
 果肉と皮を一緒に煮てしまうと苦みが強くなるので、皮をむいて、ゆでこぼしし
 て苦みを抜いた果肉とともに砂糖を加えて煮ると美味しく仕上がる。

5、実った果実を収穫せずにいると、落下することなく2~3年の間はそのままの状態。
 一つの木に同じ実が1、2、3年目の果実に変身する。
 そうすると、いろんな世代の実が同時に生きていることになる、
 それで、上にも書いたように、公式「代々=だいだい=橙」が出来上がったのだ。
 この代々が「何代も家が続く=子孫繁栄」となり、縁起が良い正月飾りになった。

★上の1から5を読んでいただいたら、よくお解かりだと思うが、橙は正月用の唯のお飾
 りがメインだったようだ。
 私はお飾りが大好きな農家の三男坊だ。
 当然、そんなことは知っているべきものだったのに、育った農村ではそのようなこと
 はしなかった。

昨年の年末までは、この「橙」のことが何も分からなかった。
イーハトーブの隣のオジサンに全てを教えてもらったことになる。
アーメン・ソーメン、オジサンだ。