今回の稿で、私が耕作する畑を「豊穣なイーハトーブ」なんて、偉そうにかつ気障に名付けてみたものの、何も私の心に弾(はず)みはない、皆さんに話したかっただけなのだ。
話題次第では、弾んだ発言を仕出かすのが私の遣り方、今回はそんな変チョコリンな思いはありません。
イーハトーブが豊穣な土地ならば、私は豊饒な農夫か?
久しぶりに「イーハトーブ」の状態を、下等なカメラで表現したくなったのです。
今日は12月29日(日)。
あと幾つ寝ればお正月だと夢見ながら、寝枕を蹴飛ばす心算はない。
正月を迎えたら、凧を揚げることも駒を廻すことも、小倉百人一首をやることもない。
ささやかなお節料理とちょっとばかりのお酒、そして家族の1年間の安全に健康に過ごせることが精一杯のお祈りだ。
蚊帳?をぶっ飛ばす時機でもない。
年末には、長男が久しぶりに我家に来た。
今までの外国での仕事っぷり、これからの外国での仕事の内容を話してくれた。
外国で元気に頑張っている子供たち(孫)の写真を見せてくれて、
その健康でat homeな風景から喜びを胸一杯に受けた。
私の此の頃の平穏な日々に、大きく明るい夢を指(さ)し延べてくれた。
暦(こよみ)は、私の心情など何くわぬ顔して過ぎていく、これは宿命的だと言えば落ち着くこと。
私にとってのこの1年は何があったと言うのだ、と何度も繰り返した。
「農夫道と言ふは、死ぬことと見付けたり」、そんな葉隠れに出てきそうな真剣勝負ではない。
それとも、我輩こそ農夫士だと胸を張った方がいいのだろうか。
そんな心境の身で、何故か寂しくて、やりきれなく感じてしまう日があるのだ。
誰にも言えないほどの悲しい失敗はあるが、そんなことの処理方法はいくらでもある。
昨年、友人、後輩、人生上の先輩で亡くなったのが5人、これだけ身辺に死者が出ると流石の私だって滅入ってしまった。
悲しいかな、知り合いの死が私自身の寿命に繋がって考えてしまうようになってしまった。
だからかこの年末、私は私の命のこと、死んだ後の子供たちに対する様々なことがどうあるべきなのか、割と真剣に考えたのだ。
久しぶりに帰ってきた長男に、年末の落ち着かない日の最中、俺が死んだ時にはこんなように考えているんだと話した時、息子曰く、
「俺だって嫁の母親のことを考えていて、母親の考えていることは全て書類に残してもらおうと思っているんだ」。
「母が死んだら、母の考えていたようにしてあげないと、俺だって気になり過ぎるではないか」。
そんなことを思い込んでいる矢先に、今朝に行ったイーハトーブの光景が思い出された。
下等なカメラで撮った写真を眺めていて、ひとときの安らぎを覚えた。
が、コンピューターには残念ながら綺麗に映っていなくて、この稿に差し挟むことを諦めた。
どうせ今は冬の季節、派手がましいことなど、な~んにもございません。
唯、健康であることの幸せに感謝している。