2011年9月28日水曜日

宮間あや

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20110717(日本時間は18日) サッカーの女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会の決勝戦は、国際サッカー連盟(FIFA)ランキング4位の日本は2-2からのPK戦で、同1位のアメリカを3-1で振り切り、初優勝をした。

6度目の出場で初めて決勝に進んだ日本は、1点を追う後半36分、宮間(岡山湯郷)のゴールで追いつき、1-2の後半12分に主将の沢(INAC)が左CKから同点にした。右足アウトサイドのミラクルシュートだ。PK戦では、GK海堀(INAC)が、1、3人目を止めた。沢は5ゴールで得点王になり、また最優秀選手に選ばれた。選手一人ひとりをここでは限りがあって批評しきれない、スマン、ただ一言、素晴らしかった。サッカーをこよなく愛する私は大いに感動させてもらったことに、感謝している。

これからなんだ、感動の第二幕が始まったのは。このことを書き留めておかないと、私の人生は前に進まない。

日本チームが歓喜に酔いしれている、少し離れた所で、悔しさに打ちひしがれたアメリカチームの輪の中に、日本の宮間の姿が見えた。私は、がつ~んとやられた。

その前後の宮間の行動をカメラはちゃんととらえていた。その場面をYouTubeで繰り返し観た。

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宮間は同点シュートを決めた、これで1-1。

両国の選手は固唾を飲んでPK戦のキッカーとボール、キーパーを、祈るようににらみつけていた。

そして、日本の優勝が決まった。その瞬間、日本チームはピッチにいた者と、ベンチにいた者が、勝利の喜びで夢中に駆け出し、誰彼となく抱き合って喜んだ。寝っ転がって抱き合った。歓喜の坩堝(るつぼ)だ。満員の観客席は総立ちになって、両者の健闘を祝った。

その時、宮間は日本チームの歓喜の渦に入ることなく、一人だけ逆方向に微笑みかけ、静かに、静かにアメリカチームに近づいた。アメリカチームを気遣い、声を掛けに行った。アメリカチームの面々と肩を抱き合った。私には、アメリカにも友人が多いのだから、と言っていた。

この時、世界最強のキーパーと言われるホープ・ソロは、宮間に「アヤ、日本は初めてワールドカップで優勝したんだから、私たちのことはいいんだよ、、、、喜んでいいんだよ、、、、、お願いだから、、、、、」と言って、二人は抱き合った。この時の写真が、FIFAの公式サイトで世界で最も多く見られたそうだ。

かって、宮間とアメリカの女子のプロチーム=セントルイス・アスレティカでチームメイトでもあったソロは、このときの事を、「試合後、彼女が歩み寄ってきた時、彼女は喜びをあらわにしていなかった。彼女は、アメリカに敬意を表したかったのでしょう。なぜなら、私たちが負けて、どれほど傷ついたかわかっていたから。その出来事は、本当に日本が尊敬すべき国だということを表しています」と述べている。

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決勝戦の写真ではない。宮間と沢の感激のシーン。

私には、昔からサッカーの話を宴席などでする時、必ず話すフレーズがある。ペレーが言ったのか、誰が言ったのか、定かではない。もしかして、私自身が経験的に身につけた言葉かもしれないが、「サッカーは素晴らしい、でも友情はもっと素晴らしい」というフレーズだ。

私の人生がそうだったように、宮間の行動はまさしくそのフレーズ通りだった。感動をありがとう。

2011年9月26日月曜日

先生は、学校の先生だけ

私は、小学校から大学まで、担任の先生からクラブ担当の先生まで、いい先生に恵まれてきた。友人らにその話をすると、ヤマオカは稀有な奴だよ、そんなにいい先生に恵まれた奴なんて、そうはいないよ、と膠(にべ)もない。

だから、私の場合は、学校の先生に敬意を込めて先生っと胸を張って呼べる。でも、確かに、いい先生ばかりではない。ハレンチな先生、教育に不熱心な先生、法を犯した先生が停職や退職を命じられ、マスコミを賑わせることもしょっちゅうだ。そんな先生でも、教職についている時は先生と呼ばれる。

国会議員や県会や市会の議員、また作家、映画監督、弁護士、右翼の親分や部落解放団体の役員まで、何故か先生、と呼ばれている。

テレビの国会中継で、国会議員同士が、▲先生、いかがお考えですか、それでは●先生の質問に答えさせてもらいます、なんて、名前を呼ぶ度に、先生、先生とうるさい。この光景を、昔から可笑(おか)しい、怪態(関西弁で、ケッタイ)や、関東風に気どって言えば、滑稽だ?と思っていた。

このように以前から、学校の先生以外にも先生という呼称を使われてきた。

最近、先生呼称問題で、可笑しいと思っている一つがこれだ。

昼間、11:30から13:00のニ・□・■・ン放送で、高▲文▲という放送作家が、女性アナウンサーや、日替わりで出演するタレントと、クイズや時の話題を面白おかしく話す番組の中でのことだ。番組名は「高▲文▲のラジオビバリー昼ズ」だ。

その番組で、女性や日替わりタレントが、この高▲文▲氏に話しかける度に、高▲先生、高▲先生と呼ぶのを聞くと、私は無性に不快感を覚える。これって私だけなのだろうか。放送作家は先生と、業界では呼ばれているようだ。

でも、高▲先生、ここでよく考えてみてくださいな。

放送作家ならば、ラジオの聴取者が、どんな気分で聞いているのか、それが分らないのですか、先生と呼ばれて気分を好くしている場合ではございませんぞ。聞き手の反応を誰よりも気にかけなくてはならない職業でしよう。この番組の構成から編成まで、先生?は参加されているのでしょう。

日常的に、打ち合わせなどで、先生と呼ぶのは、それはあなたたちの勝手だ。でも、公共の電波で流す場合は、先生、先生は避けるべきではないか、見苦しいぞ。

ディレクターもよく考えてくださいな。

2011年9月25日日曜日

日本酒をやめたぞ!

20110924、本日で拙者は63歳になりました。

1948(昭和23)年9月24日生まれ。干支(えと)は子(ね)。

学校を卒業して、安穏とサラリーマン人生を過ごす心算だった。ところが、学卒で入社した会社の都合、その会社を辞めて転職した会社の事情で、豈(あに)図らんや、独立することになってシモウタ。それからの30年、経済の荒波にもまれながらよく頑張ってきたと自画自賛している。マラソンランナーの有森裕子さんがゴール後、レースを振り返って、自分を褒めてやりたいと言ったけれど、私もこと仕事に関しては、充分褒めてやりたい。

でも、今、私は事業の矢表(やおもて)には立てない事情がある、が、中さんを先鋒(せんぽう)に、胎動はしっかり、再起のスタートが出来た。再三再四の復活。金融機関のバックアップは万全。スタッフ一同、気合が入っている。

学生時代は、サッカーの練習と読書と酒三昧だった。社会人になっても、夜は仕事の話ばかりの談笑と酒、酒、酒だった。自宅に帰っても、仕事と子どもの話以外は酒、酒、酒だった。今、この年になっても、量は減ったけれど、やはり酒は欠かせない。

そして、63歳の誕生日に、一切、断酒とはいかないけれど、日本酒だけは断とうと決意した。

日本酒こそ、私が一番好きな酒だった。

中学3年生の時、体育の吉岡先生に初めて日本酒を飲まされた。運動会の職員打ち上げの二次会で、職員室の天井がグルグル回った。特殊な?先生と中学生だったのだ。18歳の浪人時代に、ドカタ仕事で雇ってくれた李さんが、酒の嗜(たしな)みを教えてくれた。それから、ビールよりもウイスキーよりも、日本酒を好むようになった。

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   現在の黄桜

大学時代はサッカー部の部友と飲む時以外は、黄桜酒造の黄桜デラックスだった。ちょっと甘系だ。このデラックスは2級でも1級でもないデラックス級?で、金額は2級酒並みで酔いは特級だった。卓袱台(ちゃぶだい)の上には、鯖の水煮の缶詰と海老せん(ーべい)が必ずコップと並んでいた。

この日本酒の酔い心地こそが、私にさらなる一杯を誘い、それが、間違いなくもう一杯につながって、ヘベレケに酔うまで止められなくなる。日本酒を前にすると、気が急(せ)いて、盃を干すピッチが早まる。酔いにつれ、押し寄せる喜怒哀楽の揺れが大きく、激しく、その大津波に必ずと言っていいほど飲み込まれた。そんな危険な綱渡りを、夜な夜な、なんとか無事にやり過ごして参りました。

まるで、酒精の虜(とりこ)だ。

日本酒では、どうしても肴(さかな)が欲しくなって、その肴が酔いを加勢する。此の頃、自宅で飲んでもやはり度を越すことがあって、私の目の届くところには、日本酒を置かないようにした。老い始めた私の体は、翌朝、アルコールが抜けにくく、目が覚めても顔には赤味が残って、頭が重い。これが、不愉快なのだ。

それでは、これから何を飲んで酔うんですかって? そりゃ、日本酒は飲まなくても、アルコールは他にもあるでしょう。焼酎に泡盛り、ウイスキーにビールだ。

焼酎やウイスキーは、薄めて飲むことができる。私は、薄めたり、氷を入れたり、そのように時間をかけていると、何故か考えごとが生まれてきて、冷静さを維持できるのです。溺れることがない。つまみや肴にそれほど拘らなくて飲めるのも、有り難い。

そんなことで、20110924・63歳の誕生日に、日本酒を今後飲まないことを宣言する。

先日、友人と日本酒を飲みながら、そんな話をしていたら、その友人が、お前がそこまで言うならと、彼は「日本酒がわかる本」(三一書房 著者・蝶谷初男)を私にくれた。彼は、酒は飲まないんだが、日本酒全般の奥深さを知る本だよ、と言う。

その本を少し紐解いてみたら、オール日本酒の本で、第一部は米と水から酒ができるまでの醸造の詳しい工程、第二部は製造方法の異なった日本酒の種類の説明がぎっしり、私が日本酒に関して極めて狭い範囲内の知識しか持ち合わせていないことに、恥じ入った。

日本酒の、50年以上も続いた一級、二級等の級別制度は平成4年から全て廃止になった。それで、私の青春時代にこってりはまり込んだ、誇り高い二級酒という称号はなくなり、無冠になってしまった。

でも、その存在は、本醸造酒や普通酒として燦然と輝いている。このお酒をお燗して飲むのが一番。何故そこまでこのランクの酒に肩入れするのかと、他人(ひと)は不思議がるのだが、私にとっての日本酒といえば、このランクの酒が全てなのだ。このランクの酒に私は執着し、お返しに彼らは、私を保障するように付き合ってくれた。

それ以上の、純米酒、吟醸酒、大吟醸酒は、私の頭の中では日本酒のジャンルではない。この手の酒には余り興味が沸かなくて、ワインやスコッチウイスキー並みだ。

それは、生い立ちの環境、青春時代やオッサンになってからの価値観、そのような足取りから、幸か不幸か、このような趣向になってしまったのだろう。果てに、私は普通酒らの連帯保証人になってしまった。

その何とかダ・イ・ギ・ン・ジ・ョ・ウを飲めば、頂けば、それは美味しいと感じるのは当然のことだが、敢えて、冷やしてまでコップに注ごうとはしない、したくない。私には大吟醸っとかが、面映い。目の前では、まぶしくて見たくない。将来もずうっと、私は、この面映さからは逃れられないのだろう。この辺が、私の可笑しいところなのだ。

長らく、日本酒にはたっぷり酔わしていただきました。愛惜?哀惜のほうか。今まで何千斗、何万斗飲んだことだろう、痛く感謝しております。

今日20110925からは、日本酒は飲みません。

2011年9月24日土曜日

元気なオジサンがやってきた

先日、元気モンのオジサンの紹介で、横浜西区○△□の土地を買わしていただいた。

この土地は、間違いなく弊社の優良な商品になる。住宅用にも事業用にもなり得る土地で、商品化後は、様々な目的をもった購入希望者が現れることだろう。

今回は、この元気印二重丸のオジサンのことを書きたくなった。このオジサンの名前をこの稿では、失礼ながら縦でも横でもと思ったが、取り合えず横さん、ということにさせてもらった。

物件のインフラに多少問題はあるが、その程度の問題なら、何とか善処できると見込んで実行することにしたのは、物件の特徴もさることながら、何を隠そう、この情報を弊社に持ち込んでくれた横さんの意気によるのだ。横さん、日頃の元気ぶりに輪を掛けて、今回は一段と気合が入っていた。

この横さんは、わが社の若手のホープ・太と、何故か気が合うのだ。年齢差は40歳以上もあるだろうが、横さんは太を可愛がってくれている。横さんは、息子?ぐらいに思ってくれているのだろうか。今まではなかなか仕事が繋がらなかったが、やっとこの企画で仕事を果たすことができた。二人は、壁の向こうで、やっと、仕事が出来ましたねと苦笑しながら談笑しているのを聞いた。私は、二人のそんな会話で、十分心が解(ほぐ)れて幸せな気分になれた。

このオジサンは、私よりも5、6歳年上だろうが、元気なのだ。声が大きく張りがあって、身のこなしが実に機敏なのだ。私の会社に、頻繁に連絡くれるのだから、きっと他社にも随分営業をかけているのだろうと思われる。

2,3年程前に胃袋の全摘出をした。大手術だったことだろう。病気の詳しい内容は聞かされていないが、摘出しただけに重い病気だった筈だ。今の彼の挙動所作を見ている限り、心配の種はどっこにも見当たらない。完璧に健康体だ。でも、病巣のことを医師から告げられた時は、死を覚悟したとも言っていた。

このオジサン、仕事で横浜市内を走り回っているが、それがオートバイなのだ。どんなバイクなのか、仲間の話によると、原付自転車のようなちっちゃなバイクらしいが、その機動力たるや凄い。仕事上の移動は全てそのバイクで、横さんの出没は、あっちこっちで広範囲で見受けられる。横さんの東奔西走の活躍は病み上がり後加速を増し、千里の駒の如しだ。いや、これゃ、千里馬だ。千里馬は朝鮮の伝説の馬で、翼を持ち一日に千里を駆け巡るという。日本人はチョンリマと読むが、朝鮮語としての発音は「チョルリマ」が一般的らしい。

そんな横さんが、久しぶりに会った私に、ヤマオカさん、御社のホームページの「横浜一元気、、、」が気に入っているのですよ、共鳴しているんです、私もこの言葉のように頑張っています、と言った。

私、此の頃、元気がヘコムことがあったもので、横さんの言葉がまぶしかった。

2011年9月20日火曜日

パラダイムシフト

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20110910の朝日新聞・朝刊/金融情勢 、の記事を下に転載させていただいた。

弊社を設立の折、会社の創業の精神を追究し、会社の将来のイメージを描いた。楽しい日々だった。その時にずうっと捕らわれていたキーワードがパラダイムシフトだった。そういう訳で、社名を、パラダイムシフトを簡略して、住宅をメインに取り扱うのでハウスを付けて、パラディスハウスにしたのだ。

創立後、業務に関して、何かにつけて常に「パラダイムシフト」を意識している。

このパラダイムシフトを題名にした経済記事を新聞に見つけた。記事の内容は車に関することだが、我々も、業種は違えども、発想はこうでなくちゃ、と思ったので、興味深く読んだ。読んだら、書き写して残したくなるのが、私の習癖。

鳥渡(ちょっと)一息、脱線させてくださいな。

先日、横浜の馬車道を歩いていて、店のショーウインドーに、[PARADIS]と書かれているのを見つけた。店の中にはバッグやネクタイなどのブランド品らしき品物が整然と並べられていた。私には縁のない品々だ。咄嗟にわが社の社名と似ている、と気づいてしばしその場に佇(たたず)んだ。そのまま通り過ぎるわけにはいかない。店に入って、自分の名刺を差し出し、私の会社の社名がPARADI.Sであることを告げて、このウインドーに書かれているのは社名なんですか、と尋ねた。社名だとしたら、命名した動機や根拠を聞いてみたかった。

店長さんか社長さんか、英語ではPARADISE(パラダイス)をフランス語では、PARADIS(パラデイス)というらしいのですよ、と返ってきた。なあ~んだ、がっかりした。店長にとっては、余り愉快な話でもないわけで、これ以上の会話は生まれなかった。誰か、フランス語でPARADISは、どのように発音するのですか、教えてくださいな。私の周辺には、英語の達人はいても、フランス語を理解できる人がいないのだ。

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経済気象台

パラダイムシフト

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100年に一度の不況、千年に一度の大災害を受けた日本の製造業は、常識を見直し、成長戦略を再構築する機会を得た。

その好例を商用車ブームに沸くインドネシアで聞いた。2・4億人のこの大国で、小口物流用トラック需要も拡大している。

だが、インドネシアでは道路網の整備が遅れている。鉱山や農園地帯の道路は舗装されておらず、道幅も狭い。その悪路を石炭やパームヤシを満載したトラックが息つく暇なく走りまわる。

常識では考えられない使われ方も横行している。日本の規格で2トン積みのトラックに5トン以上積むのは当たり前。10トン積んで走行する場合もある。10トン積みに30トン以上の鉱物資源を積載するのも当たり前だ。

その状態で悪路を走行するとどうなるか。常識では、規格外の使い方はダメ。トラックが壊れた責任は使用者にあるとしてきた。しかし、「非常識」な使われ方が当たり前の国では、積載量に耐える荷台、サスペンションを備えたトラックへの改造が進んだ。独特の使用方法に合わせて修理体制を整備することが競争の焦点になった。

関係者はこれまでの常識が新しいビジネスチャンスの獲得を妨害してきたと反省する。市場が基準を作るのであって、先進国の基準は役に立たない。

従来の考え方が劇的に変わることをパラダイムシフトという。経済発展とともに需要構造は変化する。市場が求める製品を供給する製造業の役割も変わらない。常識に捕らわれた考え方こそパラダイムシフトすべきで、素直な市場変化への対応が問われる。

ムラサキツユクサの花

毎朝の散歩の楽しみの一つは、路傍の野花を摘むことだ。今朝はムラサキツユクサの花を摘んで机の上の花瓶に挿した。

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一年のうち早春の候は百花繚乱、野草から畑の作物まで、色んな花が咲き出し、寒い冬を越えてきた気楽さもあって、散歩は格別に楽しい。そして夏が過ぎ、今、昼間の気温こそ真夏並みだけれど、朝夕には秋が忍び寄る。朝の明けるのが少し遅くなった。私が今住んでいる泉区弥生台の家の周りには、1ヶ月前まではユリの花があっちこっちに咲いていた。神奈川県の県花だ。当然、失敬して、私の机の上にも咲いていた。でも、昨日までは、韮(ニラ)の花だった。相模鉄道が都市開発を手がけるまでは、この周辺はユリの群生があったのだろう。

だが、今の時季、路傍や畑に花が少ない。私の机の花瓶に、常に何らかの花を挿して楽しんでいるが、この2ヶ月は寂しい限りだ。そりゃ、花屋さんに行けば、満足以上の花が手に入るのでしょうが、田舎育ちの私はそんな下種(げす)なことはできない。外国からの輸入物などには、特別馴染めない。私の感性は、大和の国の和そのものらしい。やはり、畑も同様で秋にかけて収穫期に入った作物が多く、花モノは少ない。端境期なのだろうか、作物の植えていない露地のままの畑が目立つ。見える野菜はキャベツ、薩摩芋(サツマイモ)、蒟蒻(コンニャク)、牛蒡(ゴボウ)、人参らだ。

畑の隅っこに韮(ニラ)の花が咲いていた。白い小さな花が集まって、テニスボール並みの大きさには驚かされた。私の家のベランダの韮とは、えらい違いだ。

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ニラの花

今日20110916、ゴミ出しに家を出たら、刈り揃えられたツツジの垣根から、にょきっと顔を突き出しているムラサキツユクサの面々に、ニンマリした。懐かしいのだ。このように、並みの規範から突き出している奴には、親近感が湧くのだ。ムラサキツユクサを見て、頭の思考回路は、郷里で過ごした日々のあれやこれやにスウィッチ・オン。この草は、百姓にとっては格別な草なのだ。

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ムラサキツユクサの花

はっきり言って、この草は百姓には嫌(きら)われモノのなのだ。

私の生家は米と茶を作る生産農家。雑草は、作物の養分を横取りする。稲田の除草には除草剤や、除草する機械があるが、茶や野菜を育てる畑の除草は、広い範囲に除草剤を撒くわけにはいかないし、草1本づつを引き抜くこともできない。腰を折り曲げての作業は過酷過ぎるのだ。

百姓には百姓の知恵がある。どこの農家にも三日月形の鍬があって、広い部分の刃で草の茎を切って枯らす。これが百姓の除草方法だ。長い柄の鍬なら、腰を伸ばした状態で楽に作業が出来る。

一般的に、雑草の茎を切っただけで、そのまま放置しておけば、草は日照りを受けて枯れる。普通、植物は水分がないと生きられない。枯れた草は、そのうち土に化すのだろう。ところが、このムラサキツユクサだけは、茎を切っても、切っても、そう簡単には枯れない。切って放置して置くと、その切り離された茎ごとに、乾燥した地面に向かって新たな根を延ばす。そして乾いた接地部分でも根づくことができる。

いつ雨が降るかわからない、そんな異常な干天続きでも、ひたすら体力を維持しながら、雨が降るのをじっと待っている。そして、恵みの雨でも降ろうものなら、その時こそ、一気に根から水分を吸収するのだろう。俄然、元気になった彼は、今度は攻勢に出るのです、一気に繁茂する。そんなことで、父がこの草を見つけたときは、畑から遠くの原っぱに捨てに行くのだった。

こんなことを、思い出しながら机の上のムラサキツユクサを見ている 20110916。

20110917 朝、花瓶を見ると、昨日まで咲いていた紫の花は散って、8個ほどの花の蕾が大きく膨らんでいた。

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アパートの周りのユリの茎は相変わらず、にょきっと突き出してその存在は目立つ。

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ユリの実

先っちょの花はすっかり落ちて、そこには実がなっている。もう少し熟せば、中身を確認しよう。食い意地の張った私は、実は根っこに関心がある。確か、ユリ根は高級な食材だ。でも、このユリの根がかって関内の「一福」で、お吸い物でいただいたものと同じなのだろうか。その味は上品だった。1本は引き抜いて、確かめなくてはイカン、、、、、、すまん!なあ

今朝は、机の上の花瓶のムラサキツユクサの花に、白い韮の花を添えた。

そして、夕刻に百日紅(さるすべり)の紅の花も加えた。

2011年9月19日月曜日

民主党、党内融和の底流

20110917の朝日新聞・朝刊に、興味深く楽しい記事が掲載されていたので、マイポケットにゲットした。政争に明け暮れる政治家、小沢一郎の心像風景が、ちょこっと垣間(かいま)見え、面白かった。そうだろうな、小沢って男はこういう奴だ。下の記事では、党費のうちの組織対策費等について、全てを明らかにするという方針を組み込んだ新しい契約を監査法人とし直したとあるが、岡田前幹事長の時に、全ての党費を明らかにして公開するようにした、と聞いている。

綱領もないこの民主党は何を目指して、何を目的に行動しようとしているのだろう。先の見えない党だ。未成熟、極まりない党だけれど、与党なのが怖い。要注意、あなどれないぞ。

今、暫くは野田佳彦首相の手腕をうかがうことにしよう。だが、民主党の鳩山、菅に続いての連続失政は許されない。

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政治/考

編集委員・星 浩

党内融和の底流

民主党対立、再燃の危うさ

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3週間前になるが民主党代表選で小沢一郎氏が西岡武夫参院議長の擁立で動いた。この「奇策」の狙いは何だったのか。ずうっと気になっていた。民主党の代表経験者に聞いたら、答えは「西岡氏で勝ったとしても、首相指名は別だろう」。小沢氏の描いた流れは、こうだったという。

代表選では、小沢グループが支援する西岡氏が反小沢の候補(野田佳彦氏、前原誠司氏)を抑えて勝利。続く首相指名を受けて、小沢氏は「民主党は鳩山由紀夫、菅直人両政権の失政を反省し、自民党に政権を渡す。民主党は首相に谷垣禎一総裁を推す」と表明する。参院議員を党代表に据えるのは、衆院には民主党の首相適格者がいないことを認める意味もあった。

反小沢勢力は反発し、谷垣氏以外の名を書くが、その議員たちは直ちに除名(民主党の規約で除籍)される。政権に復帰した自民党は、衆院の解散に踏み切る。小沢氏は民主党の事実上のトップとして選挙の後任や資金配分を取り仕切る。選挙後は政界再編の動きが出てくるーーー。

この代表経験者の見立てが正しいとすれば、権力奪取にかける小沢氏の執念は並大抵ではない。実際には、西岡氏の擁立は民主党の分裂につながりかねないとして鳩山氏らが反対し、幻に終わった。

一方、反小沢陣営では、こんな動きもあった。菅直人前首相が、党代表の最後の仕事として、党本部の資金をチェックする監査法人と新たな契約を結んだ。民主党内では、小沢氏が代表や幹事長などを務めた時に、自らに近い党幹部に多額の「組織対策費」が渡され、不明瞭だと批判されてきた。組織対策費は使途を明らかにする義務がなく、監査法人も、これまでは領収書などがそろっていれば、特に注文はつけなかった。2009年の組織対策費は5億4千万円にのぼる。

新しい契約では、組織対策費のような不透明な支出は認めないことを明記。「小沢氏に近い輿石東幹事長が、組織対策費で小沢氏らを支援しようとしても、簡単にできない仕組みを作った」(党役員の一人)というわけだ。

野田政権は、「党内融和」を掲げてスタート。党役員・閣僚人事では親小沢、反小沢のバランスに配慮した。だが、にこやかな握手の底流では敵意と警戒心が渦巻く。マニフェストを堅持するのか見直すのか、溝は深い。復興財源や消費税率の引き上げをめぐって対立が再燃するかもしれない。「ノーサイド」の足元は危うい。

2011年9月17日土曜日

東電さん、いい加減にせんかい

下は、20110915の朝日新聞の記事だ。

この記事を読んで、東京電力という会社は、狂っているのではないかと思った。

国策で進めてきた日本の電力行政の長年のひずみや甘さが、政・官・業から、遅ればせながら原発事故を機会にどっと出た。いつの間にか東京電力の幹部の頭脳が壊れてしまっていた。国に護られているという慢心と、地域独占という商売上の安穏。腐りきって仕舞った。政・官は東電ら電力会社と癒着して、監督、指導が欠如、怠慢だった。

東電の幹部は、日本列島が、今、どのようになっていて、どれだけ大変な被害を発生させたかを認識しているのだろうか。復興復旧の目途が立っていない。未だに、福島第一原発からは、放射線物質が放出している。

現在は野党だけれども、長年、電力行政を指導してきた自民党から、この東京電力をなんとかせにゃイカンと議員連か懇なるものが生まれないのか。逆に、甘利 明議員が座長の原発推進派は危機感を募らせて、脱原発の動きに対抗心露わだ。

新しく民主党代表になった野田佳彦首相は、是々非々、政官財学・メディアの五(互)角形が作りあげた「安全神話」、諸処の悪弊、天下り構造を見直し、今後の日本のエネルギー政策の方向付けが早急に求められる。東京電力の減資や解体するほどの鉈(なた)を振るわなければ、この腐った会社の再生は無理だ。

電気料金値上げ期間は3年間で、15%アップという。なんでや、なんで3年間で、15%アップなんじゃ。どこから、そんな数字が出てきたんだ。

値上げですむ問題ではない。損害に対する賠償や今後の対応費用を予想するに、この時期に給与は5%の減、賞与半減すると言えば、国民の理解を得易くなるのではと目論んでいるのだろうか。賞与を半減にしても出すとは、なんちゅう判断だ。私の常識では、給料が3割、4割カットだってあり得ると思う。会社の存亡が見えない状態、且つ、将来的にも幾ばくの被害が発生するかもしれない状態で、よくも、賞与を半分出すと言い切れるもんだ。常識では、賞与は出せない、のではないか。東証の一部上場会社だ。株主はどう思っているのだろうか。一体全体、この会社には一般的な常識というものが、通用しないのか。可笑しい。よくもこんな暢気なことを言っていられるもんだと、空いた口が塞がらない。

この会社は誤走しているのではない、狂奔しているのだ。

電気料金のお手盛り算出方法の記事もよく読んで欲しい。

もう、滅茶苦茶ヤ。弊社も、弊社の友人の会社も市場でのコストパフォーマンスが発揮でき、尚且つ利益を出すために、会社のどのセクションのどのスタッフも一丸となって、必死に頑張っていることを考えると、腹立ちが止まない。私の回りの会社は、みな同じだ。スタッフへの給料も、長い期間低調のまま、我慢してもらっている。

原発事故の初動において、現場のスタッフの頑張りに比して、オロオロして馬鹿な社長らは無能をさらけだした。政府首脳たちも同様だった。

それに肝腎なのは、節電、節電と言うけれど、東電の原発は全部で17基あり、そのうち事故があった福島第一、第二を含めて、15基が停止中だと聞く。このあたりの検証もじっくりしてもらいたいものだ。大なるリストラが可能ではないか。

我々、中小企業の経営に携わってきた者には、下の記事から、東電が考えていることが、どうしても理解できない。この理解できない心の内をどのような文章に纏めればいいか、悩みながら寝床についた。

翌朝、朝日新聞の天声人語に、私が言いたかったことが、巧く書かれていたので、下の方でその文章に頼ることにした。

 

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朝日・天声人語

バイキング料理の軽いストレスは、自分の浅ましさを思い知る点にある。元を取るぞという貧乏性が食欲にかぶさり、せっかくの美味は混然たる「ごちそうの山」と化す。この手で好きなだけ盛れる怖さ、お手盛りの語源である。

東京電力が、来年度から3年間をめどに、約15%の料金値上げを欲しているという。社員の給与カットは5%だからお手盛りください。半減とはいえボーナスがあるのも驚くが、値上げ期間が終わったら元に戻したいらしい。

安全供給の名の下、会社が赤字にならぬよう、電気料金は事前に見積もった費用に利潤を乗せて決まる。勢い、見積もりが多めになるのは「ごちそうの山」の常である。地域独占なので、コスト減らしの競争意識は乏しい。

倒産しかねない大公害なのに、国策ゆえ、想定外だからと救われる公益事業。被災した町工場や商店は納得いくまい。今の東電には、食べ放題ではなく質素な昼定食が似合う。身を削る努力を求めたい。

なお、月60万円減らした国会議員歳費が、10月から元の290万円に戻りそうだ。こちらのお手盛りは血税の米びつからとなる。臨時国会を4日で閉じての満額復帰、これで東電に大なたを振るえようか。

「原発ゼロ」に言及した前経産相が辞め、業界がほっとしたのもつかの間、後任の枝野幸男氏は電気料金の仕組みに切り込む考えと聞く。利用者の怒りの声に、どうか大きな耳を傾けてほしい。放射能、停電、節電ときて大幅値上げでは、公益の名が廃る。

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20110918

朝のラジオで、東電が電気料金の値上げをしないと発表したと伝えていた。よっぽど世論の批判が強烈だったのだろう。東電さんよ、よく考えてやってくれよ。

給与の5%ダウンとか、賞与を半分も出すというのも、早く再考すべきだ。企業年金の減額。これもOB諸氏との話し合いを早めて、大幅な減額を認めてもらうべきだ。少し前の日本航空のように。

2011年9月15日木曜日

鉢呂大臣、根性ないぞ

鉢呂吉雄経済産業相

鉢呂吉雄経済産業相(63)は10日夜、東京赤坂の衆院議員宿舎で野田佳彦首相と会い、自らの失言の責任をとって、経産相の辞任を申し出て了承された。就任9日目だ。

鉢呂大臣、根性ないぞう!!

鉢呂氏が8日に視察したのは東京電力福島原発から半径50キロの警戒区域。現在も高い放射線量が続き、原発の作業員や一時帰宅者らを除いて立ち入り禁止区域に指定されている。

辞任会見に臨んだ鉢呂氏は、視察の最中に、その警戒区域の町の様子を、『「死の町」と表現したことが、国民、福島県民の皆様に大きな不信を抱かせた』と語り、深々と一礼した、とある。

また、議員宿舎に帰宅した時に近づいて来た毎日新聞社の記者に「放射能をつけちゃうぞ」などと述べて、批判を受けたことも辞任の理由らしい。冗談だったのだろう。報道陣オフレコの場だったらしいが、その場がオフレコであろうが、オフレコでなかろうが、そんなことは関係ない。この二つの発言に、野田首相は「不穏当な発言だ、謝罪して訂正して欲しいと思う」とコメントした。

この程度の発言が、辞任に値する発言などと、批判を受けなければならないのか。私にはピ~ンとこない。万機公論に付して貰いたい。

この二つの発言ぐらいなら、私だったら普通に臆面もなく使って堂々としていることだろう。警戒区域のため人影がないのを、私だって、「死の町」だと例える可能性は充分あっただろう。それに、記者に、「放射能をかけちゃうぞ」とも言ったかもしれない。

この二つの発言が、被災された人々の心中を察するに、好い表現ではなかったかもしれないが、大臣を辞めなければならない程、配慮を欠いた表現だとは思わない。

それよりも、一部マスコミや被災者からの批判に対して、断固としてそんな心算で言ったのではないと何故言えないのか? 歯切れの悪い釈明で、尚更、経産相の人格に疑問を深めた。

鉢呂大臣、あなたは世間から、足元を見られたのだ。発言をいい機会に、この男は本気で仕事をしようとしているのか、いい加減な奴なのか、どっちだ、と。

今後の仕事ぶりで、私という人間を見てください。懸命に献身、働きますと何故言えなかったのか? 前大臣は63歳と聞く。私も今月で63歳だ。そろそろ、きちんとした仕事を仕上げたくなる年齢なのに、諦めが、早過ぎるぞ。それとも、元々、汗をかいて働くほどのほどの意識も覚悟もなかったのか。

国会にて、野田首相の任命責任ウンヌンで、肝腎の復興、復旧関連の審議そっちのけで時間が割(さ)かれるのかと思うと、嫌な気分になる。

鉢呂さん、あなたには大臣になって、死に物狂いで働く心算もなかったのですね。当初はあったんですが、途中で挫(くじ)けました、ってとこ? 批判に怖気(おじけ)づいた。それにしても情けない。大臣のタイトルだけが欲しかったのか、次回の選挙のために。

結果、この前経産相の鉢呂吉雄なる人物には、大臣になる資質がなかったことが判然(はっきり)とした。まして、国会議員になる資格もなかった。北海道第4区の地元支持者たちは、今後よく考えて投票されたし。

20110915 夕食中に、昔からの友人がふらっと寄ったので、このブログを読んでもらった。読み終わって、その友人が言うには、ヤマオカ、お前が人っ子1人居ない町を「死の町」だと言っても、それは君に悪気があるとは誰も思わないし、誰からも批判を受けることはないだろうが、公人として大臣として、そういうことは、言っちゃいけないんだよ。だって、鉢呂も死の町にした張本人の一人なんだから。鉢呂自身が、責任を感じていたならば、そんな表現はできない筈だ。鉢呂が、死の町と言ったら、それは全くの認識不足で、自分の立場をわきまえていないってことだよ。

よって、鉢呂は、自分も政府の責任を負った要人であるという認識が全くなかったのだ。大臣職をサラリーマン感覚でやっていたんだヨ、と明解に説明して、その後、ヤマオカ、分ったか、と居丈高。私、何も言えず、首肯、納得した。

追記で一言。

前の民主党代表選で、小沢グループの支持を受けたいために、前から述べていた考えを、いとも簡単に変節した前経済産業相の海江田万里氏も情けない男だったが、この民主党には、骨のある人物は少ないようだ。

2011年9月10日土曜日

このメールはテロだ、馬鹿者!

20110909の朝日新聞・朝刊の社会面で知った。

「九州に持ち込むな」反対メールで、福島応援ショップ中止

新聞記事によると、東京電力福島第一原発事故で苦しむ福島の農家を支援するため、福岡市内で17日に開店予定だった産地直送品の販売店「ふくしま応援ショップ」が、施設側の要請で出展を取りやめた。「福島からのトラックは放射能をばらまく」などと書かれたメールや出店に反対する電話が相次いだためという。

店を運営する市民グループによると、メールは出店を予定していた農作物直売所が入る商業施設「マリノアシティ福岡」(福岡市西区)とプロジェクトに参加している食品宅配組織に届いた。「九州に福島の物を持ち込むな」「地域の汚染が広がる」などの内容で、出店発表後に計15通が届いた、とある。

これも、テロだ。

このメール送信者に強い憤りをもって、批判、非難する。私の日常では滅多に使わない言葉だが、恥を知れ、と叱責する。一方的に自分の主張したいことだけを相手に伝える、この伝達手法が私には気に食わんのだ。このようなケースの場合にメールがよく使われる。他人と違う考えを持つことは自由だし、どんな表現方法を選ぼうが、それも自由だ。

が、この類の意見を述べる場合には、声高に名を名乗るべきだと思う。私憤をひけらかしても、話にならない。幾人かの公憤同調者が名乗りを挙げ、初めて話し合いがもたれるのではあるまいか。民主主義の基本は、意見の齟齬を、乗り越えることと学習してきたではないか。

東日本大震災、そして福島原発事故で、大変な被害に遭った地域や住民の方々のことを考えると、心中掻き乱される。そのことを慮(おもんばか)っての今回の企画だ。演劇人や歌手、スポーツ選手、それ以外の多くの人たちも、支援活動を、個々にできることを大いにやっている。大変なことだ。

それに比して、私は何もやっていない。私は、私のことで精一杯なんだと言い訳しながら。実に、情けないと思う。

気がつけば、東の方に向かって頭(こうべ)を垂れている、ただ、それだけの自分に腹立たしい。

店に並べる予定だった品は、震災前に収穫して加工した梅干やラーメンなどで、それでも念を入れて放射線量を測って、販売する予定だったようだ。主催者は、消費者が買う買わないかの前に、店頭に並べられないことにショックをうけている。

この素晴らしい活動に何が文句あるのか、正々堂々と出てきて、話し合いをしようではないか。それもできないで、メールだけを寄こすあなたは、非常に卑怯ですぞ。

ウェスカーの「シャイロック」

シャイロックは 心優しい老人

      人肉1ポンドの証文は ジョーク

          シェイクスピアもびっくり!

「ヴェニスの商人」 ルネッサンス

これ、チラシ広告の文章です。

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0909 懸命に働いているスタッフを尻目に、私は早い目に仕事を終えて、練馬のブレヒトの芝居小屋に向かった。竹さんの車で、天王町を17:00スタート。

私は、過去色々あって招待されているのだが、私一人お邪魔しても、劇団にとって経済的(売上げ)には寄与したことにはならない。そんなわけで、前もって友人・アさんと行くことになっていたのだが、急遽、切迫した事情が発生したために、欠席。娘婿の竹さんに声を掛けたら、偶然にも休日なので、喜んで行きますということになった。

「文学作品やサカイに気合を入れて行こうや」、「そうですか、僕、寝ちゃうかもしれませんよ、構いませんか」、「ええよ、眠たくなるちゅうことは、作品の出来が悪いちゅうことやサカイに、気にせんでもええよ」。車中、こんな会話をしながら、芝居小屋に向かった。竹さんと一緒なら、車の運転は竹ちゃん、私はビールの1杯や2杯は飲むことができて、彼の同伴は私にとって、とっても有り難いと思いきや、やっぱり、阿吽(あうん)の呼吸じゃ。車の中には、ポケットウイスキーがちゃんと用意してくれていた。

劇団代表の入江洋佑氏・父と龍太氏・息子に会える。もう一人の代表者で、元気な志賀澤子さんにも会える。心は弾む。東京演劇アンサンブルのHPでは、本日の入場券は完売とあった。嬉しい限りだ。第三京浜を時速100キロで走り、環八の混雑を抜けて、青梅街道から西武新宿線・武蔵関駅を横に見て、新青梅街道ーーー、芝居小屋は間もなくだ。

18:50 開幕10分前に着いた。入江洋佑氏は相変わらず総合受付をしていた。いつまでも元気でいて欲しいと思う。

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入江洋佑氏、入江龍太氏と私

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 志賀澤子氏、氏の友人と私

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題名=「シャイロック」

20110909  19:00~終わったのが22時前だった。

東京演劇アンサンブル公演

ブレヒトの芝居小屋

アーノルド・ウェスカー・作  竹中昌宏・訳  入江洋佑・演出  林光・音楽

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(20110910)

頂いたプログラムの中から、訳者の竹中昌宏氏の文章を活用させてもらって、ストーリーを掻い摘んでおくことにしよう。

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芝居の前半は、台詞が嵐のように飛び交い、内容が余り理解できなかった。難しいなあ、と竹さんと苦笑い。

1976年の初演以来、10回の改稿を重ねてきたアーノルド・ウェスカーの最新版「シャイロック」の日本初演。ユダヤ人であるウェスカーによる「ヴェニスの商人」のアダプトだ。 アダピト、この業界では、このような言い方をするようだ。

金貸しで本の蒐集(しゅうしゅう)家であるシャイロックは、ヴェニスの商人アントウニオウの親友として登場。このシャイロックこそが、芝居の題名にもなっている主人公だ。

バサーニオウは、計算高く、ずる賢い。恐ろしい男だ。力とは、経済から生まれることを疑わず、広大な地所ではあるが今は廃墟となってしまった資産をを持つ貴族の娘・ポーシャにプロポーズする。これからは、貿易に直接携わるのではなく、金融だと先見の明がある。このプロポーズするための資金の調達に苦慮している。

バサーニオウは商人である友人のアントウニオウに資金を融通して欲しいと頼むが、アントウニオウは全財産を貿易船に投じていて、融通することができないが、シャイロックからの借り入れの保証人になると言って、安心させる。

結果、ユダヤ人のシャイロックから、バサーニオウが借金することになるが、シャイロックはアントウニオウの「胸の肉1ポンド」を担保とする証文を書かせた。「ほんの陽気な冗談」としてと言うが、本当はそうでもなかったのだ。

シャイロックはアントウニオウについて、このように言っているーーーーー

「あいつはごますり収税吏そっくりだ。 おれはあいつが嫌いだ。 キリスト教徒だからな。 もっと気に入らないのは、妙に仏心を出しやがって、ただで金を貸しやがる。 それで、このヴェニスで、われわれの金利を下げやがるのだ。  あいつの弱みを捕まえたら、つもる恨みを晴らしてやる。」                                                                                                                                                  

ところが、アントウニオウの全財産を積んだ船が遭難し、アントウニオウは破産する。

一方で、父を知的俗物と嫌うシャイロックの娘・ジェシカは、バサーニオウの友人・ロレンゾウと駆け落ちする。

シャイロックの要求を聞くための法廷が開かれる。

その法廷に、バサーニオウの婚約者・ポーシャが男装で出廷し、借金の十倍でも支払う用意があるので、証文を破棄するように申し出る。が、シャイロックは拒否し、アントウニオウの肉1ポンドを要求する。男装で出廷したというが、私には確認できなかった。

ポーシャはシャイロックが要求に固執するならどういう結果になるかよく知っているが、警告はせずに、慈善的な訴えを行い、慈悲を与え、正義を和らげるようにシャイロックに要求する。

それは、このポーシャの台詞からーーーー。

「慈悲は強制されるべきでものではない。 恵みの雨が降るように、この大地に降り注ぐものだ。 慈悲の喜びは倍となる。 慈悲を与える者は祝福され、慈悲を与えられた者も祝福されるからだ。」                                                                                                                                                     

このように慈悲を与えるべきだと、ポーシャはシャイロックに訴えるが、シャイロックは無視して、ナイフを手に取る。

その瞬間、ポーシャはシャイロックを制止し、「待て、証文は肉1ポンドのみを要求している。それ以上でも、それ以下でもない、血は一滴も流してはならない!」と。

シャイロックは、ポーシャの言葉を理解するや、拒否した金額を渡すように改めて要求したが、遅すぎた。

シャイロックは元金を取り戻せないだけでなく、財産の半分は国家に没収され、残りの半分はジェシカを「盗んだ」ロレンゾウに与えなければならない。ここが、私にはよく分らなかった。

そして、「慈悲は強制されるべきものではない」ということを示すために、キリスト教徒に改宗するという条件で、シャイロックの命は救われる。

この芝居の最後の最後にきて、キリスト教だとか、ユダヤ教だとかに、アレッと思った。シェクスピアが反ユダヤ主義を意図していたわけではないだろうが、結果として、この劇は反ユダヤ主義になっている。この辺りが、私らには、まだまだこの芝居の理解が足りないところだろうか。

ウェスカーは、シェクスピアの名作「ヴェニスの商人」を借りて、反ユダヤ社会を曝(さら)け出そうとしたのだろう。

訳者の竹中昌宏氏は、このような文章を付け加えている。

肉1ポンドを切り取れないとポーシャが宣言した時、私の知っているユダヤ人なら、髪の毛を逆立て、怒り狂ったりしないで、人の命を奪うことになる重荷から解放されて「神に感謝!」と叫んだであろうと私は考えました、とある。

私は、視点を元のシェクスピアの「ヴェニスの商人」に戻して、読み返そうと思っている。

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「ウェスカーのエネルギー」

                            入江洋祐

幕が開く。シャイロックが親友アントウニオウに熱く語る。愛する本について、ユダヤ人が発明した神について。人間の叡智が何千年の時間を経て甦り泉のようにあふれ出て新しい世界を作ることを。その言葉は果てしなく魅力的だ。えーっ、シャイロックが(親友)アントウニオウと、、、。誰もがそう思われるに違いない。それがこの芝居を書いたウェスカーの狙いでもあるようだ。

「ベニスの商人」のシャイロックといえば、意地悪で、欲張りで、残酷なユダヤ人の高利貸し。世界中の人がそう思っている。中にはユダヤ人だから残酷なんだと民族性にまで置き換え、差別の正当性を主張する国も、人もいる。少し前のナチスのように。その意味では400年にわたって全世界で上演された「ベニスの商人」はユダヤ人差別を助長したといえるだろう。しかし、シェイクスピアがこの芝居を書いた1596年頃、イギリスでは、ユダヤ人によるエリザベス女王暗殺の計画があり(デッチアゲだったという説もある」社会的感情の波はユダヤ人排斥に大きく傾いていった。その興奮の波が冷え切らないうちに大当たりを狙って、「ベニスの商人」を書き、見事に大当たりを取ったということだ。これもまた時代の要請だったのだ。

ハンガリー系ユダヤ人であるウェスカーがシェイクスピアの名作喜劇の屋台を借りてユダヤ人差別を裏側から照射してみようと試みたのが、この10回にわたって改稿を繰り返した「シャイロック」なのだ。しかし、プロット、登場人物はそのままで、シャイロックを学問好きの心優しい老人、肉1ポンドの証文は親友アントウニオウと話し合いの上で、ヴェニスの不当な法律をからかってやろうという冗談なのだという話を成立させるのは大変な力技だ。悪戦苦闘している。そのジタバタが稽古している時身に沁みて嬉しい。そこにいかにもウエスカーらしいエネルギーが満ちているからだ。でも結末はひどく暗い。イギリス=現代社会、恐れる若者たちがいま全く保守的に変質してしまったことへの「絶望」なのだろうか。しかし、ウエスカーは、この戯曲「シャイロック」の冒頭にポーランドの詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカの言葉を掲げている。

「絶望という言葉を私は使いたくない。この言葉は私のものではなく、委託されて預かっている言葉に過ぎない」。

最後に差別されている人の心の悲鳴を、いやウェスカーの怒りの声を、この戯曲の中から紹介しよう。少し長くなるが。

「わたしの目が悲しげなのはひどく憎まれてしまうのをわたしたちが知っているからなの。わたしたちがいるだけで毒が発生し、白痴のような振る舞い、信じがたい人間の堕落が生じるの。だから、わたしたちはいつも恐れと非難と恐怖の混じった目で他人を見るの」。シャイロックの娘、大切に愛されて育ったジェシカがある時に呟いた言葉だ。

 追伸  でもステキな、未来社会をつくるだろうステキな4人の女性が登場します。乞う御期待。

(20110724) 

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ヴェネツィアゲットーについてーーー

1516年ヴェネツィア共和国にゲットー(ユダヤ人居留地区)が設けられた。ユダヤ人がいることによって、もたらされる利益(重いユダヤ人特別税、運河の維持費など)を最大限に確保する一方で、ユダヤ人と外界の接触を最小限に抑えるのが目的であった。ユダヤ人は日中だけゲットーを出て商売を行なうことを許されたが、夜は事実上ゲットーに閉じ込められた。外出の際は一目でユダヤ人とわかるように黄色い帽子の着用が義務付けられた。

2011年9月9日金曜日

医療費が高い

先日、三浦市原町の弊社所有地の草を刈りに、同僚の佐さんと出かけた。

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この1週間前に、半分以上刈っておいたので、その日は、完全に仕上げる心算で、他人の手を借りた。佐さんは、日常は管理部門を担当してくれているのですが、たまには、体を張ってこのような仕事も楽しいよ、と引っ張り出した。体を動かすと、血の巡りがよくなる。

このような仕事に何故か超!!夢中になってしまう私は別にして、私の会社のスタッフの誰もがこの種の仕事を嫌わない。不思議な連中が集まったものだと思う。体を動かすと血の巡りがよくなって、体の調子も良くなる、頭のキレも良くなる。

この現場は、私には購入時の責任者としてのしがらみがある。定例会議で、草が生えてきたのでどうしましょうか?と議題に乗った際、それは、当然、私の仕事なので私がやります、と手を挙げた。

平地は原動機付き草刈機で刈れるが、斜面は鎌か大きい鋏で切るしかない。それに5、6メートルにも育った笹竹は、ノコギリで切るしかなかった。

作業の半ば、草を刈っていた最中に、背の高い草が目に刺さった。犯人の草は見届けられなかった。その時は、自然に治るだろうと高(たか)を括(くく)っていた。さほど痛くなかった。普通に仕事を終えて、汗と泥にまみれた服装のまま帰宅した。多少、目に違和感はあったが、それほど気にしなかった。

ところが、朝、目を覚ましても、瞼(まぶた)が開かない。目やにで塞がったままだ。バリバリと音は立たなかったが、無理矢理、瞼を開けると痛くて、涙があふれ出て、バランスを保てなくて立ち上がれない。涙が、鼻の中を伝わって、鼻水として流れた。口の中にも流れてきた。塩っぽかった。目を水で洗って、鏡に映った私の瞼はお岩さんで、眼球は兎さんの様に真っ赤だ。

 

問題はこれからだ。今までの記述は私の日常の業務の一部の紹介だ。これからを読んでくださいな、私が憤(いきどお)っていることをーーーーーー。

近所の眼科の診療所。多分9時頃から受付が始まるのだろうと、出かけた。ところが、診療受付は午後3時と告示されていた。止む得ず帰宅して、涙目で字が読めないので、ただ布団に転がって時間が過ぎるのを待った。

2時半に出向くと、既に受付の前は人盛りができていた。お年寄りばかり、30人ほどだ。診察は3時前から始まった。待つこと30分、2階の検査室にお入りくださいと、案内放送があった。

看護婦さんの指示に従って、顎(あご)と額を器械に密着して、目は前に映っている画像を見つめた。カメラのシャッターを切ったような音がした。同じような器械2台で検査を受けたが、ほんの5分*2台=10分 で検査は終わった。どんな検査がされたのか、説明なし。

そして、医師の診察の呼び出しがあるまで、待っていてください、と言われた。

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待つこと20分。ヤマオカさん、診察室にお入りください、と呼ばれたので診察室に入って、医師の前の椅子に座った。草の先っぽに目が当たったのです。医師は、それじゃと言って、私の目をまた器械で覗いた。随分、傷がついていますね。ゴミが入っているようなので、洗いましょう。洗浄液を目ン玉の上から、下からストローのようなもので、流し込んだ。目ン玉を洗われたのは初めての経験だ。後は、薬を2時間ごとに点眼してください。お大事に。

この診察と治療は10分はかかっていない。そして、治療費は言われたまま支払った。もらった医療費明細書と請求書兼領収書を見て、腑に落ちないことだらけに、苛(いら)立った。

 

以下の文章は、下の二葉の書類を見合わせながら、読んでみてください。

その①、基本診療料270点は、初診料270点のこと? 

その②、処方せん料というのは、薬剤の種類、量、服用法を患者に知らせる内容を用紙に書くこと? それが、68点?

  (注)処方箋(せん)とは=医師が患者に必要と認めた薬剤の種類、量、服用法などを記してわたす書類。法制上、調剤は薬局で行なう「講談社 日本語大辞典」。

その③、検査料359点は、細隙燈顕微鏡検査、生体染色検査、眼圧測定、屈析検査、眼底検査で359点。

私が器械で検査されたのは、診察前の2台。これは瞬間的に終わった。医師の前で1台。他に医師の肉眼で検査してくれているのは、言うまでもない。

最後に、医療費明細書によくわからない文字を並べられて、あれもこれも検査しましたと言われても、納得できない。

少なくても、各種検査した結果の報告がないのは合点いかん。何の検査だったのだろうか。

その④、器械での検査料が359点、診察料が270点。この数字を見て思ったのは、器械を多い目に用意して点をかさ上げしているのではないか。

その⑤、この点数制度は、広く議論されて決められたのだろうか?確かに、医師は特別の知識やスキルを身につけて、患者に一番相応しい治療をして、アドバイスをするという高度な職業であることはよく理解している。人命に関わる場合もあることはある。

その⑥、私の場合の負担は3割だというけれど、後の7割は誰が払うのだ、と考えれば、一言、医療費は高いのではないか。町の診療所は、町の診療所らしい料金体系があってもいいのではないか。国に医師がタカっていることはないだろうが、国が細るのも怖い。

一部の人たちを除いて、国民の多くは余裕のない生活を強いられている現状も鑑(かんが)みてもらいたい。私こそ、その代表者の一人だ。

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2011年9月3日土曜日

海江田さん、恰好悪い!

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8月29日、民主党の代表選の投開票があり、決選投票で野田佳彦財務相(54)が海江田万里経済産業相(62)を破って、新代表に選ばれた。そして、30日の国会で、第95代の首相に指名された。

この代表選には海江田万里、野田佳彦、前原誠司、鹿野道彦、馬渕澄夫の5氏が立候補した。

私には、海江田氏が立候補して投票日までの、小沢一郎元幹事長との打ち合わせの内容が、マスコミから漏れ聞こえ、とても面白く思っていた。あなたがたが志向しているようには、政治は動きません。鳩山由紀夫前代表は、いっつもは何だかんだと出しゃばる癖に、今回はむっつり、小沢氏の提案を待つばかり。定見を持たない元代表なのだ。

刑事被告人で党員資格停止中の小沢氏も、失政の総括をしないまま、一旦公表した議員引退を撤回した鳩山氏も、この党には百害あって一利なしのご存在。無用の長物ってことだろうか、余計者なんだ、その理由は以下の如し。小沢グループも時間の問題で雲散するだろうし、鳩山グループは既に霧消している。

小沢一郎鳩山由紀夫

小沢氏は、自分が勝ち馬に乗るための候補者を、見つけることができなかった。早くには、野田財務相、仙石前代表代行にも話を持ちかけていた。その後、なりふり構わず探したな、と思われるのは、輿石参院議員会長や西岡参院議長に声をかけたことだ。その前には田中真紀子氏にも本気でアピローチしたと聞けば、尚更だ。西岡氏は、その後、記者に向かって候補者になるように勧められたことは事実で、その気にもなった、と詳述している。それって、嘘、と常識では思う。これらの候補者の名前を聞いただけで、小沢氏は当て馬が定まらないで、終始、周章狼狽していたことが、ありありや。

その後も、小沢氏が望む候補者を見つけられないうちに、候補者が次々に名乗り上げ、各候補者は、小沢グループからの支援欲しさに、小沢詣を始めた。

否、此の時に小沢詣が始まったわけではなく、外国人献金問題で外相を辞任した前原氏が、5月に小沢氏、最高顧問の渡辺恒三氏の誕生会に出席した時から始まっていた。

小沢グループの議員数は、他グループを圧倒して120人前後、全民主党議員の3分の1に近い。このグループは、票割れしない鉄の結束を誇る。小沢氏の声掛りで公認を受け、党のカネを貰って当選した若い議員が多いのだ。義理を欠いたら、小沢親分にこっぴどく叱られる。

全ての候補者が小沢詣のなかで、支援を求めながら、自分の考えている政策や党の運営について、説明し理解を求めた。

ところが、海江田氏の場合は、支援を求めに行ったら小沢氏に抱き込まれてしまった。小沢氏にとっては、ヘイ、カモンか、いやカモンではなく、いい鴨(かも)が網に引っかかった、ってなもんだ。こいつが党の代表ならば、俺か俺の分身が、党のカネを自由に使えて公認権も大いに奮えるワイ、しめしめ、これがオイラが支持する交換条件だ。わかったか。みくびられたものだ。今のところ、この男しかいない。そして、俺の立場は温存、復権して、次期の首相になる、とよんだ。

小沢氏は、俺たちが支持すれば、君の首相は間違いないよ、と励まし、決選投票までもつれ込まないように、1回目の投票で過半数を獲得するよう陣営に発破をかけた。

そこで、海江田氏の政治家としての拙(つたな)さが露見した。海江田氏が、小沢詣の後に今までの考えを、余りにも唐突に変節してしまったのだ。小沢氏の悪あがきに乗せられた。

これが、私には面白かった。こんな馬鹿が本気で、日本の首相になろうと思っていることに、笑止千万だった、その後、悲しくなった。

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この海江田氏の摩訶不思議な言動を、20110828の朝日新聞・社説/「代表選告示 海江田さん説明不足だ」でとりあげた。以下、この社説の一部を丸々転載させていただいた。

 

民主党代表選が告示された。ここは候補者同士が政策論争の真剣勝負をしなければならない。

その際に、とりわけ立ち位置を問われるのは、菅内閣の重要閣僚でありながら、菅路線を否定する小沢氏らのグループに推される海江田氏だ。

菅内閣は東日本大震災の復興財源を賄う臨時増税と、社会保障を維持するための消費税率の引き上げの方針を決めた。その内閣の一員だった海江田氏は共同責任を負っている。にもかかわらず、公約に「増税なき復興」や消費増税の先送りを掲げているのは、どうしたことか。

政府・与党で厳しい議論を重ねて、やっとまとめた方針を白紙に戻すつもりなのだろうか。

政権公約の見直しについても、しかりである。

海江田氏は、菅政権で「マニフェストが弊履(へいり)のごとく捨てられている」と批判する。それでは「子ども手当て」の見直しなどで、自民、公明両党と交わした3党合意を反古(ほご)にしてしまいたいのだろうか。

そんな対応をすれば、両党の協力を得られず、何より急がれる復興のための第3次補正予算の成立に支障がきたすのは明らかだ。

エネルギー政策でも、海江田氏はきのうになって突然、「40年以内に原発ゼロをめざす」と表明した。菅首相の「脱原発」路線に疑問を呈していたのに、なぜ一変したのだろうか。

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上の社説では触れていなかったが、海江田氏が経産相に就任したときには、環太平洋経済連携協定(TPP)に、菅首相ともども積極的に参加しなくてはと言っていた。菅首相は第3の開国だ、と述べていた。ところが、どっこい、小沢氏の顔色をうかがってからは、慎重な姿勢をとりだした。これも変節の一部だ。

結果、1回目では、海江田氏は143票で、2位野田氏は102票で(3位前原氏、4位鹿野52票、5位馬渕24票)、1位になったものの、決選投票では、野田氏に圧倒された。反小沢票の大半が、野田氏側にまわったのだろう。

話は変わりますが、代表選の投票を前にしての各候補者の演説で、野田氏の演説の巧さが評価されたが、私には、鹿野氏の昭和の時代を髣髴させる復古調の演説が気を引いた。懐かしかった。このような演説をする人も、そろそろいなくなるのだろう。