2011年9月25日日曜日

日本酒をやめたぞ!

20110924、本日で拙者は63歳になりました。

1948(昭和23)年9月24日生まれ。干支(えと)は子(ね)。

学校を卒業して、安穏とサラリーマン人生を過ごす心算だった。ところが、学卒で入社した会社の都合、その会社を辞めて転職した会社の事情で、豈(あに)図らんや、独立することになってシモウタ。それからの30年、経済の荒波にもまれながらよく頑張ってきたと自画自賛している。マラソンランナーの有森裕子さんがゴール後、レースを振り返って、自分を褒めてやりたいと言ったけれど、私もこと仕事に関しては、充分褒めてやりたい。

でも、今、私は事業の矢表(やおもて)には立てない事情がある、が、中さんを先鋒(せんぽう)に、胎動はしっかり、再起のスタートが出来た。再三再四の復活。金融機関のバックアップは万全。スタッフ一同、気合が入っている。

学生時代は、サッカーの練習と読書と酒三昧だった。社会人になっても、夜は仕事の話ばかりの談笑と酒、酒、酒だった。自宅に帰っても、仕事と子どもの話以外は酒、酒、酒だった。今、この年になっても、量は減ったけれど、やはり酒は欠かせない。

そして、63歳の誕生日に、一切、断酒とはいかないけれど、日本酒だけは断とうと決意した。

日本酒こそ、私が一番好きな酒だった。

中学3年生の時、体育の吉岡先生に初めて日本酒を飲まされた。運動会の職員打ち上げの二次会で、職員室の天井がグルグル回った。特殊な?先生と中学生だったのだ。18歳の浪人時代に、ドカタ仕事で雇ってくれた李さんが、酒の嗜(たしな)みを教えてくれた。それから、ビールよりもウイスキーよりも、日本酒を好むようになった。

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   現在の黄桜

大学時代はサッカー部の部友と飲む時以外は、黄桜酒造の黄桜デラックスだった。ちょっと甘系だ。このデラックスは2級でも1級でもないデラックス級?で、金額は2級酒並みで酔いは特級だった。卓袱台(ちゃぶだい)の上には、鯖の水煮の缶詰と海老せん(ーべい)が必ずコップと並んでいた。

この日本酒の酔い心地こそが、私にさらなる一杯を誘い、それが、間違いなくもう一杯につながって、ヘベレケに酔うまで止められなくなる。日本酒を前にすると、気が急(せ)いて、盃を干すピッチが早まる。酔いにつれ、押し寄せる喜怒哀楽の揺れが大きく、激しく、その大津波に必ずと言っていいほど飲み込まれた。そんな危険な綱渡りを、夜な夜な、なんとか無事にやり過ごして参りました。

まるで、酒精の虜(とりこ)だ。

日本酒では、どうしても肴(さかな)が欲しくなって、その肴が酔いを加勢する。此の頃、自宅で飲んでもやはり度を越すことがあって、私の目の届くところには、日本酒を置かないようにした。老い始めた私の体は、翌朝、アルコールが抜けにくく、目が覚めても顔には赤味が残って、頭が重い。これが、不愉快なのだ。

それでは、これから何を飲んで酔うんですかって? そりゃ、日本酒は飲まなくても、アルコールは他にもあるでしょう。焼酎に泡盛り、ウイスキーにビールだ。

焼酎やウイスキーは、薄めて飲むことができる。私は、薄めたり、氷を入れたり、そのように時間をかけていると、何故か考えごとが生まれてきて、冷静さを維持できるのです。溺れることがない。つまみや肴にそれほど拘らなくて飲めるのも、有り難い。

そんなことで、20110924・63歳の誕生日に、日本酒を今後飲まないことを宣言する。

先日、友人と日本酒を飲みながら、そんな話をしていたら、その友人が、お前がそこまで言うならと、彼は「日本酒がわかる本」(三一書房 著者・蝶谷初男)を私にくれた。彼は、酒は飲まないんだが、日本酒全般の奥深さを知る本だよ、と言う。

その本を少し紐解いてみたら、オール日本酒の本で、第一部は米と水から酒ができるまでの醸造の詳しい工程、第二部は製造方法の異なった日本酒の種類の説明がぎっしり、私が日本酒に関して極めて狭い範囲内の知識しか持ち合わせていないことに、恥じ入った。

日本酒の、50年以上も続いた一級、二級等の級別制度は平成4年から全て廃止になった。それで、私の青春時代にこってりはまり込んだ、誇り高い二級酒という称号はなくなり、無冠になってしまった。

でも、その存在は、本醸造酒や普通酒として燦然と輝いている。このお酒をお燗して飲むのが一番。何故そこまでこのランクの酒に肩入れするのかと、他人(ひと)は不思議がるのだが、私にとっての日本酒といえば、このランクの酒が全てなのだ。このランクの酒に私は執着し、お返しに彼らは、私を保障するように付き合ってくれた。

それ以上の、純米酒、吟醸酒、大吟醸酒は、私の頭の中では日本酒のジャンルではない。この手の酒には余り興味が沸かなくて、ワインやスコッチウイスキー並みだ。

それは、生い立ちの環境、青春時代やオッサンになってからの価値観、そのような足取りから、幸か不幸か、このような趣向になってしまったのだろう。果てに、私は普通酒らの連帯保証人になってしまった。

その何とかダ・イ・ギ・ン・ジ・ョ・ウを飲めば、頂けば、それは美味しいと感じるのは当然のことだが、敢えて、冷やしてまでコップに注ごうとはしない、したくない。私には大吟醸っとかが、面映い。目の前では、まぶしくて見たくない。将来もずうっと、私は、この面映さからは逃れられないのだろう。この辺が、私の可笑しいところなのだ。

長らく、日本酒にはたっぷり酔わしていただきました。愛惜?哀惜のほうか。今まで何千斗、何万斗飲んだことだろう、痛く感謝しております。

今日20110925からは、日本酒は飲みません。