2016年7月24日日曜日

可笑しなことが、いっぱい

可笑しなことが、いっぱい



この平和な世の中、いいことばっかりだと思ってきた私にも、ヘエエ?と思われる、可笑しなことが、いっぱいあることに気づいた。
でも、これらは、人の生きざまについてだ。

ヤマオカさん、そんなことにワーワーゴチャゴチャ言うものでもない。といわれそうなのだが、言いかかった口もとの皺はゆるみません。

何もこのページをもって描くこともないと思われるだろうが、仕方がない。

私自身の生活が余りにも穏便だからか、街中で不思議だなと思うことが良く見かける。


☆バスの中での小さな子供と親父。

昨日7月24日の帰途のことだ。時間は17時25分頃。

幼稚園児の二人の子供が、大きな声で、それも動物園のライオンのように悪戯(ふだけて)いた。
一緒にいるのは、40歳そこそこの親父。
延々と続いた。
何回も何回も、同じ悪戯をして、騒ぎまくった。

親父は、毅然としたお叱りをしない。
俺の頭のシンは切れそうだった。
何故だ?

私は直ぐ後ろの席で、この野郎たちにいつ注意をするべきなのか、悩んでいた。
そのうち、前の席のオバアチャンが、自分の帰りで席を立ったとき、静かに注意をした。
先ずは子供に、その次には親父に対してだった。

子供をいい子に育てるためには、親こそが大事なのですよ。
気をつけてくださいね、、、、、、静かな口調だった。

私だって、終着駅でこの親父に、子供も大事、大人も大事ですね、と念じた。
言い過ぎだっただろうか。

この横浜市交通局の106号の運転手の言葉遣いが、丁寧で気が利いていることにも、感謝している。

運転中でも、中ほど(通路の中ほどのこと)にお立ちのお客様は、少し後ろの方にお詰めください。
もう少し、みなさんをお乗せしたいのです。
右に回ります、左に回ります。
道路の面が荒く、バスが揺れます。



☆バスのなかでのオバサンの振る舞い。

バスの真っ先の席に座っている長髪のお姉さんのことについて、話したい。
運転手さんの隣の席だ。

顔も見ないこのオバサンの容姿が気にいって、恥ずかしながら、視線が留まることが多かった。
そして、5分、10分経ったころから、彼女が両手で自分の髪をとぎだしたか。

事がよほど許せば、振れることだって許してもえもらえる事態だって、生まれる、かもしれない。
ところが、事態じゃ急にあらぬ方に進んだ、。

髪の毛をコシコシ手で「トグ」ことを、「とぎだした」とは、間違いですか。
唯、それだけなら気も済むところだが、このオバサン、ちょっと下品過ぎるのだ。
両手で髪をこすりながら、出てきた抜け毛やゴミを通用路に捨てる。

このことを、何回も何回もやっても、飽きないどころか、気が済みそうにない。

こんな女が、居て堪るかと思ったが、流石にクレームを言えなかった。



☆バスの運転手さんの振る舞い。

横浜市交通局
先日三浦半島を営業の拠点にしているバスに乗って、非常に嫌な想いをした。

ところが、私が一番仕事や私事でお節介になっているのが、横浜市交通局の106号のバスだ。

このバスの運転にかかわっている運転手さんのなんて、気の利いたことヨ、と大きな声で叫びたくなって、この項は始まる。

運転手さんは、体の不自由な人や老人たちに対する心配りには感動した。

この私だって、見かけには痛みなんて誰も想像はつかないだろうが、運転手さんによく見分けられた。
足を痛めている私が、座席に着くまで、よ~く待ってくれた。

足が痛くて、速く歩けないのを見破り、ゆっくり席を見つけて、座って下さいね、丁寧な言葉遣いだった。




2016年7月23日土曜日

暑気払いを、どうするの?

暑気払いを、どうするの?



暑気払いを、どうするの?

今日は、20160723。
土曜日、雨は降っていないが曇り空。

昨日、今日に明日、雨と気温に気をとられ、矢鱈、周到に、この暑気払いのことをよく考えるようになった。
今日は、仕入れ予定物件を数件見て、まだまだ見なくちゃいけない物件が控えている。
私は自動車の後部座席でうんだりして乗せてもらっているだけだから、疲労度は俄然少なくてすむ。
が、運転している社長さんは、さぞかし苦しいだろう。

何故なら、この俺様は、今まで、68歳になるまで、寒さや暑さに苦しんだことがないからだ。
でも、私の周りには暑さ惚(ぼ)け、寒さ嫌いが余りにも多いのに、驚いている。
言っておきますが、私は今まで、気温その他で気をもんだことはない。
苦しくないのだ。
大学時代、4年間朝から晩まで、グラウンドで走ったり蹴ったり、猛烈な練習に耐えてきた。

そこで皆さんに、暑さ、寒さについて、もっと頑張れないものですか?と聞きたかった。

「暑さ」と言ったって、日々の太陽のうねりが作る雰囲気=熱気球が、暑い体を先ずは冷やし、冷やすことでカロリーを消費させる。
こんなこと、よくよく解りきっている。
正確には、「暑気払い」とは、人によって対処は違うけれど、暑い夏に冷たい食べ物や体を冷やす効果のあるものを食べて、体中の熱気を取り除こうとすることだ。

薬がなかった時は、暑くなった体を漢方の飲み薬で癒し、冷えた体に鞭を打った。
でも、恐れることなかれ、体温は正常でも、水や塩の変調によって、いわゆる「暑気あたり」になることだってある。
怖ろしい軽薄な行為は避けたい?

正確には、体温調整中枢の機能が障害され、発汗が止まり、体温の異常な上昇をきたすのが特徴だ。
この暑気払いとは、この忌み深い糞暑気を、意味深く慎重に、積極的に引き払おう、とすることだ。

2016年7月17日日曜日

哀しい梅雨のこころ? 哉(かな)!

哀しい梅雨のこころ? 哉(かな)!


哀しい梅雨のこころ? 哉(かな)!

自ら克つ者は強し(老子)

梅雨の季節が続く、昨日に今日、明日もきっと、、、、
空は、真っ黒なジュウタンが拡(ひろ)がれたように、いつまでも変らない。
気温は、暑い、暑い、、、


すかっとしない頭の中は、この鬱陶しい季節そのものの関係だけではない。
そんなことは、絶対無い筈だ、と解りきっている。
でも、でもだ、十二分に解りきっているのだが、この鬱陶しさをなんとか、したい。
これ、私だけの信念ではない。

梅雨乗り越えの秘策を書面にでも、書き記しておきたいと想った。
気休めだ、と言えば、叱られそう。


ゴチャゴチャした不思議な頭の中に、老子の名言だけが、理由もなく浮かぶ。
恰も、全てを解決できそうに。

この名言は、自分の心の欲望に勝つ者ほど強いものはない、と言うことなんだが、それだけでは話が進まない。この名言は、著・野本米吉の「ことわざと名言辞典」からいただいた。
「法学書院」発行
私の机上の書だ。


これでは、曖昧過ぎる。
もっと、もっと、もっと丁寧に、豆粒を一つづつ箸で拾い上げるように、納得できるように話してくれませんか。

私の頭は、狂っているんです、ヨ。
この数日のように、降りしきる一つ一つの雨粒に、何か不思議なものが含まれているんではないか、とか。
天の神様までが、人間どもに苦羞や哀愁を与えようとしているのか。
雨粒のなかに、人間どもが嬉しくなるモノや楽しくなるモノが含まれているのか?
額に滲む汗までが、この俺を苦しめる。

今朝、会社までの徒歩中、思いついたことがある。
日常の生活や勤務において、そこで発生した、他人には言えない悲しいやり繰りが、会社や学校で、ゴミになりチリになり、狂わせているのではないか、と。
肉親たちの口吻、かって愛し合った男と女の愛の言葉に、二度と交わしたくない言葉。
はしたない言葉。
愛なんて忘れちゃった、老人や若者たちの極めて普段の生活から。

ヤクザな悪意極まりない悪態行為や、下品なナセル技(わざ)と交う怖い殺気。
このやるせなさが、人間の世界を行き交う。
それらの気風が、周りの人間まで狂わせる。
それも、梅雨の一現象なのかもしれない。

それらのモノが揉(も)まれ擦(こす)れ、果てに高度な化学?変化を起こして、人間たちが住みにくくさせられているのではないか。

ちょっとでも速く、この糞面白くない梅雨時期から逃げ切りたい。


2016年7月3日日曜日

名犬ポン(った)が亡くなった

名犬ポン(った)が亡くなった




名犬ポン(った)が今朝6時、亡くなった。

この犬は、私の次女が犬屋さんでもらってきたもの。
犬種はシーズー  雄。
中国産といわれている。
年齢は16歳を過ぎた頃だろう。
三女が、機嫌を悪くした名犬を胸に抱えているうちに、呼吸が弱り、最後には息絶えた。
この1週間、特に肺炎が激しかった。
老衰での痛みも激しく、彼の寿命をソロソロかと、心配していた。

2頭いた犬のうちポン(った)が居なくなって、我が家ではツバ1頭になってしまった。
この犬種は、ミニチュア・ピンシャー。
いつか、その素晴らしい姿を紹介したい。

この犬は、次女にも大いに可愛がってもらったが、次女にも色々都合があって、我が夫婦が面倒をみることになった。
冥途に入った彼(ポンった)に、今更、失礼だと思うけれど、いただいた時は、頗(すこぶ)る情けない顔をしていた。
一見、とぼけた風体に間抜けた顔立ち。

次女が飼いだして間もなく、次女は自分の家を建てることになった。
ところが、次女の夫が犬や猫と一緒に住めない体の事情があって、私たち夫婦が飼うことになった。
でも、住まいの環境その他で、私たち夫婦ではなく三女が一緒に住むことを望んでくれた。
三女の家は、私の家のすぐ傍だ。

飼いだして間もなく、餌を用意したときの嬉しそうな仕種と顏立ちに、私は可笑しくなる程狂いだした。
犬よりも、私の方が嬉しかったのか?
散歩に外出するときは、満面に笑みだ。
全身を使っての大喜び。
嗚呼、この無上の可愛さよ!!

私にも、今後のこの子との一生に励んでみせる、そんな気概が高まった。
犬屋さんが言う悪口なんて糞食らえ。
「この子の欠点なんて知るものか」
俺の家族の一員だと腹を括(くく)った。

スタンダードプードル
ネットでお借りした

体の具合の調子や、食事については、ほとんどが妻と三女が手をやいた。
犬は手をやいてくれる人には、誰だって気を許すものだ。

この犬は、次女の顏の広さだろう、馴染みの犬屋さんからいただいたモノだ。
このような言い方をすれば、私がいかにいい加減な奴だと思われるかもしれないが、残念だが、仕方がない。

ところがドッコイ、一緒に住めば住むほど、愛情は、、、、愛情は、、、、
根こそぎ深まるものだ。
健康だった!
焼却後に観たポン(った)の骨は、丸で真っ白で、神々しく感じられた。

参会者は
私と妻、それに妻の母
三女と夫とその長女
長女夫婦と二人の娘、長女と次女。

誰もが、ポン(った)のことを可愛がってくれた。