2017年12月22日金曜日

川内スタイルの新星

20171221の朝日新聞・夕刊のスポーツ欄で、私の第一の関心事である記事が目に入り、ギョットとした。
スポーツ、いやマラソンだ。
このギョッはヤマオカ流の嬉しいことの感動符だ。

この記事というのは17日に山口県防府市で開催された防府読売マラソンで、1,2位を公務員が占めたことだ。
優勝は川内優輝(30=埼玉県庁)。
2位には今春、実業団の小森コーポレーションを退社し、沖縄本島南城市役所に勤める浜崎達規(はまざきたつのり)(29)が入った。
今、来年2月に開催される平昌オリンピック(冬季)の日本代表選考を兼ねた大会が国内外で行われている。各種だ。
どの大会においても優秀な記録や演技が繰り広げられている。
その一つ一つについて、自らの感想を述べようと思っても、その量が余りにも多く、私の手に負えない。
それぞれの選手について私なりの思いはあるのだが、そう簡単には表現できない。


社会の目を仰天させた選手も現れた。
福岡国際マラソン(3日、平和台陸上競技場発着)、2020年東京五輪のマラソン代表選考会「グランドチャンピオンシップ(GC)」の出場権が懸かる大会の一つ。4月のボストン・マラソン3位の大迫傑(26)=ナイキ・オレゴンプロジェクト=が日本歴代5位の2時間7分19秒で日本勢最高の3位に入り、日本陸運が定めた条件を満たしてGS出場権を得た。
ソンドレ・モーエン(26)=ノルウェー=が2時間5分48秒で優勝した。
この大迫傑は、今、跳ねている。
この大迫傑は、この大会での記録故に、2020年の東京五輪でのマラソンの金メダル獲得巧者に浮かび上がってきた。
大迫の大学の先輩の瀬古利彦が大迫の頑張りに大いに期待している。
噂話で、実際に耳にしたわけではないが、この瀬古利彦はこの稿の出場している川内優輝をどうも嫌っているようなのだ。
私だって、大迫・瀬古の出た学校の先輩だが、この話が好きになれない。瀬古利彦のマラソンは全て立派だった。
いい指導者になって欲しいものだ。


ところが、今回の稿については思いの外、やっただ。
こういう真新しい話も好きだ。
実は公務員の川内優輝選手のことが、いっつもいっつも頭の中にあって、彼が出る全てのマラソンを注目していた。
何も企業に負んぶに抱っこの選手が嫌いなわけではないが、公務員、それも学校の仕事をやりながら、朝、夕方から晩にかけて、練習に励む。
限られた時間は、当ったり前だけれど限られている。
その限られた日時のなかで、何度も何度もマラソンにチャレンジする。
出す記録は立派なものだ。

その川内優輝スタイルに惚れこんだ選手が現れた。
浜崎達規選手だ。
彼のことについては下の文章であらましは分るだろうが、その選手を私は大きく応援したくなった。キャリアもある程度は解ってもらえるだろう。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 朝日新聞のこの件の題字は、
「川内スタイル」目標くれた
重圧解放 2020へ決意新た 
公務員ランナー・浜崎達規(はまざきたつのり)
防府読売マラソン2位
ーーーーーーーーーーだった。

新聞記事を下の方に転載さてもらった。


防府読売マラソンで2位に入った浜崎

川内優輝(左)とともに表彰台に立った浜崎

浜崎は沖縄県うるま市出身。
沖縄工高から亜大を経て小森コーポレーションに入った。
亜大時代には箱根駅伝も経験。
今年の元日の全日本実業団対抗駅伝ではエース区間の4区を走った。
ところが「実業団で必死に練習してもマラソンで2時間10分を切れず、3年後の東京五輪を目指す自信を失っていた。沖縄に帰りたい気持ちも強かった」。
南城市が実施しているスポーツや文化で実績を残している人向けの特別選抜採用試験に合格し、現在は健康増進課に勤めている。

「川内さんのスタイルを意識している」と言うように練習は短時間集中型。
今年は防府のほか長野、北海道、ブエノスアイレス、沖縄でマラソンを走るなど数多くのレースに出たのも「川内スタイル」だ。

「実業団では結果を出すことが仕事。だから常に結果を追い求めていた。今はそれがないところが大きな違いですね」。
練習量は落ちたたが、重圧から解き放たれたのがよかったのか、防府では2時間11分26秒と実業団時代の自己ベストを46秒更新。このタイムは沖縄県記録となった。

「これまで頭の隅にもなかったマラソングランドチャンピオンシップの出場を今後の目標にしたい」。
東京五輪の選考レースを視野に入れた。

公務員ランナーの先輩川内は「日本全国で一流ランナーが生まれ、マラソンブームと結びついてくれるとうれしい」。
浜崎も地元で子供たちを教えるなどの活動をしている。
(堀川貴弘)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ネットより。
第91回・第92回箱根駅伝において、青山学院大学は総合2連覇(のち第93回箱根駅伝で総合3連覇)を達成した。


青山学院大学陸上監督・原晋が指導する当時19歳の下田裕太が、2016年2月28日の東京マラソン2016で、10代男子の日本記録達成(2時間11分34秒)で日本勢2着(男子総合10位)に入ったことに、原は「下田の伸びしろは200%ある。「将来性」を見越し下田をリオ五輪男子マラソン代表に選出すべき」と大口を叩いた。

これに川内は「下田君のゴールタイムは凄いが、若ければ良いってもんじゃない。将来性だけで五輪に撰ぶのはどうか」

「私自身マラソンは10回以上下田君より良いタイムで走った。Ⅰ・2回しかフルを走ってない若手選手と違い、経験で負けない」

「原監督の発言に悔しく思った実業団選手は大勢いるだろうし、私も同感。最低2時間10分は切らないと。
監督も箱根駅伝を語るのは良いが、マラソンはまだ早い」等、原のビッグマウスぶりを批判している。

この原監督に嫌味を含めて意見したい。
この頃のテレビの報道番組によく出ていて、恰も知識人らしく、何らかの意見を述べている。
そうりゃ青山学院大学の陸上部の監督として頑張っているのはよく解っているが、社会の難問についてのコメント発言は気を使うべきだと、前前から思っていた。この際だから文字にさせてもらった。


2017年12月21日木曜日

燃えてるぞ!!

次回、2018年2月の平昌オリンピック(冬季)の各種目に出場する選手を選考するための大会が、国内外で行われている。

PyeongChang 2018 Winter Olympics.svg

その各大会で、おそろしい記録を出している選手がいて、新聞やテレビなどにしかその結果を知ることができない私は、少し寂しい気がする。

でも、その成果のそれぞれは嬉しいことが多い。その一つ一つをこのブログに書き留めておきたいとと思うが、私の能力不足だ。
競技ごとに記録と凄技(すごわざ)を競っている。1年間の怪我の療後ながら踏ん張っている人、最終選考会を前に怪我をしてしまった人。どんな状況であれ、彼達彼女たちは頑張っている。

今回は、小平奈緒さんと高木美帆さんの二人に絞らせてもらう。
誰からも愛されているアスリートたちは、国民の期待を胸に先ずは自分自身のために、張りきっている。
私は、ただ頑張ってくれ!と願いながら励ますことだ。

平昌オリンピックの競技種目と予定
開会式競技実施予定1種目決勝EGエキシビション閉会式
2月9
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 式典
 アルペンスキー1111111111111
 バイアスロン11211112111
 ボブスレー1113
 クロスカントリースキー2222111112
 カーリング1113
 フィギュアスケート1111EG15
 フリースタイルスキー111111410
 アイスホッケー112
 リュージュ11114
 ノルディック複合1113
 ショートトラックスピードスケート112138
 スケルトン22
 スキージャンプ11114
 スノーボード111111410
 スピードスケート11111111112214
2月9
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★先ずは小平奈緒さんだ。
12月8日から10日に行われたW杯ソルトレイクシティ大会の初日。
500メートルで自己記録を100分の3秒更新する36秒50で優勝。
翌日の500メートルでも36秒54で優勝。
同走で2位に入った李相花に0秒25の差をつける圧勝。李相花は、韓国代表のすご腕だ。

最終日に行われた1000メートルで、これまでの記録を0秒09更新する1分2秒09の世界新記録マークして優勝。
同走で2位に入った高木美帆に0秒54の差をつける圧勝。

日本の好選手が個人単種目で世界新記録をマークするのは小平奈緒が初めて。


画像 ワールドカップの女子1000メートルで2位に入り、表彰台で歓声に応える高木美帆=米ユタ州ソルトレークシティー
★この小平奈緒の世界新記録を横にいた高木美帆の心意気を感じる発言に、私は流石、高木美帆!!と叫んでしまった。

目前で世界新を出された悔しさを胸に、中距離で無敵の快進撃を続ける高木美帆のさらなる進化への欲望をかきたてている。
小平が世界新をマークしたことはもう立派なことだが、高木美帆だって自己記録を2秒近く縮めながら、0秒54差の2位に終わった。

「今回の負けはすごく悔しかった。どうやったら勝てるかを突き詰めていきたい」と対抗心を隠さなかった。

今季1500メートルはW杯4戦4勝の高木美帆と500メートルで昨季からW杯15連勝の小平。
中間の1000メートルでは、今季のW杯直接対決3戦はすべて小平に軍配が上がっており、高木美帆はすべて2位。

「違う距離でも、距離がかぶって戦う面白さを感じている。自分が小平選手にとってどこまでの存在かは分らないけれど、私は小平選手がいることで、1000メートルへの思いが上がっている」と戦える喜びを口にした。

この二人の対決は12月27日開幕の五輪代表選考会。そして来年2月の平昌オリンピックだ。





20171217の天声人語より。
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1928年アムステルダム五輪の陸上競技で日本女子初のメダリストとなった人見絹枝はこんな言葉を残している。「人生の行程すべて戦いである」。女性が走ることさえ奇異にみられた時代だった。

女性スポーツの環境は変わったが、新たな地平を切り開くのは今も失敗を恐れぬ堅固な意志だろう。「用意された環境を歩くのは好きじゃない。自分で選び失敗も成功も受け入れる」。スピードスケートの小平奈緒選手(31)はテレビでそう語っていた。10日に1000メートルで、個人の五輪種目で日本女子初の世界記録を出した。

スケート盛んな長野県茅野市で生まれ、3歳でスケート靴をはいた。高校を出て地元の信州大学へ進学。2度の五輪出場で個人種目の表彰台を逃すと、14年から単身でスケート大国オランダへ。実業団中心の女子では異例のキャリアである。

2季にわたってプロチームに加わり、辞書を片手に学んだ。背中を丸めて、低い腰の位置から刃全体で氷をとらえる。練習仲間がオランダ語で「怒れる猫」と呼ぶしなやかで力強い滑りに結実した。

五輪シーズンの抱負にはインド独立の父ガンジーの言葉を引いた。「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」。
成長への渇望と感性の幅が、30歳を超えて進化を続ける原動力なのだろう。

怒れる猫の快進撃は見事だが、平昌五輪では500メートルの3連覇を狙う韓国の「永速女帝」李相花選手(28)ら、ライバルは多い。熾烈なレースが、いっそう興味深い。

2017年12月17日日曜日

天声人語・創作四字熟語

20171216、朝日新聞・天声人語の創作四字熟語。

毎年、住友生命の年末恒例の創作四字熟語で、今年の出来事を振り返る。毎年この時期になると、この天声人語になる。密かなお楽しみ、気長に待っていた。
が、そうは言っても、このブログに書き残して置かないと、私の気がすまない。
数々の話で私の興味は尽きることはないが、天声人語でこの話だけは格別だ。
筆者に申し分けないが、驚くほど、腰を抜かすほどの面白いのが少ない。そうは言ったって、やはり気になる熟語はある。
賢人筆者に偉そうに書いてすまないと思っている。突っ飛(トッピ)な表現、絶妙な作法のものが物足りない。
でも、ここに書き留めておけば、近くになるか遠くになるか解らないが、この記事の面白さは必ず発揮される。


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若き才能の奇想天外とも言える活躍だった。「棋聡天才」(きそうてんさい)の藤井聡太四段が成し遂げた「連聡棋録」(れんそうきろく)に胸が躍った。陸上100メートルで9秒台を出した桐生祥秀選手の「桐走十内」(きそうてんだい)の疾走も光った。住友生命が募った年末恒例の創作四字熟語で、今年を振り返る。

伸びる一方のネット通販。その陰で疲弊する現場の叫びが伝わってくる。「荷労困配」(にろうこんぱい)の宅配業界である。世の不満が煽(あお)り運転につながっているのか、「煽々恐々」(せんせんきょうきょう)の路上もある。

自然の脅威を感じたのは、船舶からのヒアリの侵入だ。「蟻来迷惑」(ありきためいわく)だが、手をこまねいてはいられない。夏には長雨にたたられた地域があり「閉口雨読」(へいこううぞく)の日々だった。「危険水威」(きけんすいい)のゲリラ豪雨は、すでに日常風景であある。

世界ではこわもての指導者が幅をきかせ、礼賛する歌まで街に流れる習近平総書記はまさに「中央習権」(ちゅうおうしゅうけん)。馬耳東風ならぬ「万事虎風」(ばんじとらふう)のトランプ大統領の振る舞いに、慣れてしまうのが怖い。

食べ物も観光地にも写真でインスタ映えしなければ売り込めないと「映利多売」(はえりたばい)が目立つ。問題すべてがうんこに関連するドリルがヒットし、「便教熱心」(べんきょうねっしん)の子どもが増えたそうな。

熟語の応募は11月初めまで。その後のニュースを小欄が補ってみた。引退した元横綱がいま口を開いて気持ちを述べるなら「悔綱一晩」(かいこういちばん)となるか。首相が「丁寧に説明する」と臨んだ特別国会は、十分な答弁も掘り下げた調査もなく終わった。「不答不掘」(ふとうふくつ)の姿勢を来年も続けるのは、勘弁してほしい。


2017年12月16日土曜日

落葉にも詩(うた)がある!1


シダレヤナギ 庭木図鑑
シダレヤナギ

芸能人や作家や、何かと世間から噂された人々が、個人的な事情などもいれた小話は、どの人の場合も興味がそそる。
何是、そんなことを思いついたのかと聞かれると、実は体の調子が蘇り、1か月前から復活した徒歩通勤で感じたことがあるからだ。
脳と腰が長いこと可笑しかった。
徒歩通勤において、体が無理なく動けるようになったこと、目にする草や樹の光景が麗しく見えることが嬉しいのだ。

今回は、不思議な落葉の発生だった。
今まで、落葉なんかに関心はなかったのに、久しぶりに公園や道路を歩く度に気を惹く落葉が、何故あのような落ち方をするのかと考えだした。
落葉君、君の言葉?を聞きたいのだ。
それとも涙なのか?涙ならばその訳・意味を知りたいと思った。

子供の頃、父から「タモツ、人間は兎に角頑張らなくてはならないんだ。
頑張らなくなったら、落葉のようにヒラリヒラリと落ちていくしかないんだ」と言われ、何となく聞いていた。
さらに、「タモツ、これからの将来に向かって夢が薄れ、脳も筋肉も弱まり、もう俺はおしまいだと諦めたら、その時こそ、あの落葉のようにヒラリヒラリと落ちていくんだ」
そんな父からの助言があったからでもないが、生きて今まで何とか頑張るだけは頑張ってきた。
母からは田舎を出ていく時に「タモツ、お前のお兄さんは長男として農業を頑張っているので、どんな学校でどんな勉強をしようが構わないが、学生を過ぎて社会人になってからも、警察だけにはお世話にならないでくれ。これが私の唯一のお願いだ」
たったそれだけの助言を守ろうとして生きてきた。
父母からの数知れないアドバイスだ。

公園の遊歩樹や道路脇の街路樹には、常緑樹もあれば落葉樹もある。
晩秋になると、その常緑樹の葉っぱのなかに、あっちこっちに黄色や赤色の葉っぱが表れ、その葉っぱが時間の経つのに合わせるように、ポチ~ン、パラパラと落ちる。
君に何か落ち度でもあったのか?
落ちる前に、変色した葉っぱを軽く引っ張ると、いとも簡単に枝から離れる。
そこで研究熱心ではないが、その葉っぱが何故、あっちこっちに発生し、一塊(ひとかたまり)に集まっているわけではなく、樹木全体に紛れなく広まっているのだろう。
樹木によって、その葉っぱは黄色だったり赤色だったり、その色は定型的だ。
何故、葉が変色して落ちるのか、今まで真剣に調べてみることはなかった。

このことを会社のみんなに話したが、正解らしい答えを返してくれなかった。
運動部上がりの私は、根性無いから落ちざるを得なかったのだよ、みんなから意地悪でもされているんではないか、と思おうとした。
が、これが正解だとはどうしても想えなくて、得意のネットで調べてみた。
そしたら、なんてことはない。
常緑樹にも新しい葉が生まれ、古くなった寿命の長い葉は落ちることによって、樹木全体の派生を促しているとのことだった。
その落葉はその落葉としての宿命を負っていた。
な~んだ、落葉は寿命のせいだったんだ、と考えてほっとした。

落葉なら、落葉の本当の涙を見たかった。そして、落葉の言葉も聞きたかった。

話しは変わるが、モミジの葉っぱの色のことはどうなんだろう。
これもネットで調べてみた。
元々、木の葉にはカロチノイド(黄色)とクロロフィル(緑色)という2種類の色素がある。
秋になると陽射しが弱まると、両方の色素の分解が始まる。
多くの場合、クロロフィルが早く分解され、カロチノイドが目立つようになり、「黄葉」となる。
葉の中に、元々含まれていないアントシアニン(赤色)という色素が生成されることで、「紅葉」する。
この紅葉するためには、昼温度が高く光が十分にあり、夜冷えることが必要です。
秋晴れの日が続き、温度差が激しいほど見事な紅葉が見られるのはそのためである。

今日もモミジと銀杏の葉以外にも、少しばかり落葉拾いをして会社に出た。
私の机の左前方には、黄味、赤味、朱味、緑の落葉が70枚ほどが初冬の色をなしている。

2017年12月14日木曜日

天高く我が足駈ける

毎朝、私の仕事と言えば、ゴミ出しがある。
6人住まいの家族なので、出るゴミは当たり前だけれど多い。
3年前、頭の後頭部を強く撃って、それからヤマオカ毎度のお馴染みのヘルニアの腰痛が治ってきて、このゴミ出しなんて何てことのない作業だ。
この小さな家事が嬉しいのです。

    「快晴」の画像検索結果
     ネットからいただきました。

今朝もゴミを両手に空を仰いだ。このゴミを持つと空を仰ぐことはこの10年、すっかり私の習性になった。
早朝過ぎ、空には雲がない。
小さな月と星が微かにみえる。
どんな天気になるのかと考えてみたが、天気は悪くはなさそうだ。
青空は見えないが、充分快晴に思われた。

そして7時、保土ヶ谷区の権太坂の自宅から会社のある天王町に歩いて向かった。
青空で風が強く冷たい。
しばらく歩いて通勤することはなかったが、体の修復に合わせて、1か月前から歩くことにした。やっと、その気になった。
家を出るときの心身の苦痛がなくなった。
歩くことが凄く快感に思われるようになった。
その快感が一歩一歩体の全てに伝わって、頭の頂から足の指先まで、全てが調子良くなってきた。
向かい風に、頭が胸が腰骨が太股が膝が向かっていく。
横浜公園を縦に歩いた。トイレで少し休み、また元気に歩いた。
そして空が真っ青な状態であることに気づき、季節でもないのに、「天高く馬肥ゆる秋」なんて句を思い出した。
すっかり冬になったのに、こんな句を思い出したのは、私の頭が気分好(い)いのだろう。
そうか、私のお腹もこの早足(はやあし)で減ってきているのか、ただ、青空が気持ちいいだけではない筈だ。

そして今朝は風が強く冷たかった。この冷たい強い風が私の心を気持ちよくくすぶって、歩くスピードがすこぶる。
働くなくっちゃ、こんな気持ちになったのは不思議だ。
私の体はいつまでもその風を突っ張る。何故か足に力が入って背を張る。
お~い、どこにも悪い所がなさそうに見えるだろう。
こんな気分、久しぶりのことだ。

公園にある小池の表面は薄く凍っていた。この冬、初めてのこと。
わずかに残された凍っていないところで、鴨が4羽何もすることなくじっとしていた。陽が差してくるのをひたすら待っているのだろう。池面も、鴨も静かだ。
池の中の獲物も少なくなっている、虫も飛んだり跳ねたりしていない。
昨日まで居た6羽のうち、2羽は何処へ行ったのだろう。
2羽には2羽の考えがある、仲間外れか我が儘か。俺だって、何とか少し元気で生きたいものざ。

体を壊したこの3年間。ちょくちょく痛くなる腰痛から遠ざけることができるのだろうか、そんなことを鴨の仕種を見ていて感じた。
でも、今日の爽快感は何だろう!!
今は、12月の中旬、もうしばらくで今年は終わり、また新しい1年を迎えることになる。
そんなに、気持ちが改まるのを楽しく思う。
この快晴と私の体の修復を機会に、来年は頑張ってみたい。

2017年12月12日火曜日

精神科病院をなくした国

20171209の朝日新聞(夕刊)の記事を下の方に転載させてもらった。

何故、この新聞記事の転載をやらせてもらったのか、その記事を読んでもらえば解ることだけれど、私自身については貴重な記事だった。
法律を作って、精神科病院をなくしたイタリアが、日本の精神障害者を招いて料理や農業を教える。
教えられた側は、学んだことを日本でレストランの経営ができることを夢見ている。
こんなことを本気で考えている日本の精神障害者の団体と、精神病科院をなくしたイタリアが現実にあることに心奪われた。


色んな分野において、障害があるとか何とか言われることについて、私自身だって小学校のころから、なでじゃ?と思い詰めてきた。
 
現実に行われているやり方、制度が可笑しい? 何か間違っている?と思っていた。
先ずは小学校・中学校時代の「特別学級」だった。
この学級というのは誰がどういう方法でどのようにしてできたのだろうか。
私が在学中は、何是なんや?と思われることが多かった。
それでも仕方ないのだと思うようになっていた。
その後には養護学級だった。

★特別学級を、ネットで調べると、次のようなことが書かれていた。
学校教育法(昭和22年法律第26号 平成28年5月20日改正)の第81条第2項本文には、「小学校、中学校、義務教育学校、高等学校及び中等教育学校には、次の各号のいずれかに該当する児童及び生徒のために、特別支援学級を置くことができる。」と定められ、各号には次の者が掲げられている。
  1. 知的障害者
  2. 肢体不自由者
  3. 身体虚弱者
  4. 弱視者
  5. 難聴者
  6. その他障害のあるで、特別支援学級において教育を行うことが適当なもの
特別支援学級は、学校によって、養護学級育成学級心障学級障害児学級実務学級学習室総合学級個別支援学級なかよし学級あすなろ学級すみれ学級など、さまざまな呼び方がある。

昨夕、テレビを観ていたら色覚障害の子供の特集をしていた。
一般的な学習はさほど苦にはならないが、色の見分け方に障害のある子供が出ていた。
少し違がった赤色の靴下を、緑がかった赤だとか、青い色が少し混ざっているとか、真っ赤過ぎるとか、そのように話していた。
母も随分困っていたが、番組の最後にはこの子と良く会話を交わすようにして、子供の考えていることを知ることだと話していた。
治るものと治らないものとがあるらしい。
大学に入ってからは、色んな人と話すことが増え、そんな会話の中で、老人ホームや養護学校が施設として確固たるものを保持することになったことを、何故か社会の頼みごとを立派に行政庁・自治体がなしてくれていると評価していた。
そんな会話を聞いてから、日本は可笑しくなってしまったのかと諦めだした。
30年ほど前に隣接した老人ホームと養護学校が、時には垣根を失くして双方の交流をしようとしている事を聞いた。
これで、やっぱり自治体や施設の責任者は変わりつつあるのだと気を良くした。
卒業して会社勤めになってから、人間の多様性についてよく考える羽目になった。その多様性と言うことに就いてどれだけ相手のことを考えながら付き合えられるかということだった。
私は大学時代にサッカー部だけを本気でやってきたからか? 
チームメイトのことを必死で考えた。私が活かされるために、相手に何をしてもらいたいのか。
障害者だとか特別支援だとか言う前に、本人たちのその後の生活のために、何をしてやればいいのかが大事で、障害があるとか支援が必要だからと、唯、単に支援しているだけでは駄目だ。

ところがその後、子供への支援教育のなかで、広い社会で皆と仲良く暮らせるための事業がなされていることに気づいた。
学校を卒業してからの社会人としての役目を何とか担ってもらおうということだ。彼らが作ったケーキやお菓子、パンなどを買ってもらうための施設運営だ。
一生懸命に働いている人たちの顏や仕種を見ているだけで、私の心まで晴れてくる。

何是、このような稿を作成したのか、その原因は他にもある。
私には、互いの襟元を極めて広げ合った関係、腹の底から底までを紡ぎあった関係の友人がいる。その友人の行動が、私の頭から離れないからかもしれない。
実は、友人にはささやかな障害を持つ子どもがいて、その子どもと不思議な関係を友人が作ってくれたと感謝している。
友人にはおこがましくて、軽率には言えないけれど、私はこの子どものことが好きになった。
友人は毎日、自宅からこの子どもを自分の車に乗せて、子どもが通う学校の送迎車がくる駅まで送っている。
京浜急行の上大岡駅だ。
友人は、送迎車が来るまでの間の時間に何かを行いたいと考えた。
それは、時間の許す限り、自分たちでできる駅前の道路の掃除だった。
余り、人目の付くところは避けたいと想っているので、掃除の範囲はそれほど広くはないのです。
が、この息子の作業する行動が、ものの見事に立派なんですよ。恥じることなんて、な~んもない。
時には強い風が吹きつけ、折角ゴミ箱に納めたものが、思いの他吹っ飛んでいくときの、彼の慌てようは、子どもには悪いが、その仕種の面白さにウットリしてしまいました。
何よりも何よりも、この作業をなんと機嫌よくやってくれることか!

友人からの返事は、ヤマオカさん、私は幸せ者ですよ、だった。

20171216。
私の徒歩通勤路に、私の息子も20年ほど前に通っていた県立高校がある。
その正門の道路をはさんだ斜め前に、2,3年前に建築した老人専用の集合住宅がある。私はその住宅の前を歩いていて聞いた声が、今にも残っている。
介護士なのか、家族の人なのか、男か女の住む老人に向かう叱言だった。
その声は強い勢いだった。
そのお叱りの言葉が、そのうちもっと強くもっと強くなって、叱りから警告になって、肉体が躍動して、最後にはもっと気になる発言になって、老人が嫌がるようなことになったら、困るな、と考えた。
まして大きい道路から2メートルぐらいの部屋で、悲しいことが生まれないように願いたい。

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新聞記事は以下の通りです。

イタリア北部ボローニャの社会協同組合「エタベータ」で、調理の研修を受ける日本からの参加者=同組合提供

精神科病院をなくした国
イタリアで学ぶ共生とパスタ

障害者の支援団体「夢は銀座にお店」


精神障害者がイタリアに行って料理や農業を学び、将来は東京・銀座でレストランを開くーー。
障害者の就労支援をしている東京都内の団体がそんな試みを始めている。
イタリアは精神科病院が全面的に廃止され、精神障害者は地域社会で生活するのが基本だ。
イタリアに学ぶことで、障害者が働くことへの印象を変える狙いもあるという。
(ローマ=河原田慎一)

就労への自信作り
「イタリアで人情の温かさに触れ、物をつくる楽しさを知った。声を出す自信も持てるようになった」

イタリア北部ボローニャで9月から1か月間、パスタ作りなどの研修を受けた渡辺淳さん(31)は、そう話す。
日本では珍しい種類のパスタの作り方も現地で学んだ。
レストランで身につけた技術をメニューに生かしたいと考えている。

渡辺さんは大学在学中に「自分を追い込んでしまい」、統合失調症を発症。
今は精神障害者らの就労支援をする特定非営利活動法人「東京ソテリア」(東京都江戸川区)が雇用する形で週4日、事務作業をしている。
同法人には渡辺さんのような「利用者」が約20人いるという。

ソテリアは昨年、ボローニャで障害者の地域生活を支える社会協同組合「エターベータ」と業務提携を結んだ。
今年から毎月1人ずつ障害者を派遣し、エタベーターが運営する農園や調理場で研修を受けてもらう。

ソテリアは江戸川区内でカフェを開いているが、今度は研修を受けた障害者が中心となって、銀座周辺にイタリア料理の移動販売車を出せないか検討中だ。
軌道に乗れば、レストランを出店する夢もある。

障害者の雇用を巡っては、一定割合で知的・身体障害者を雇うことを企業に義務づける障害者雇用促進法がある。
同法の改正で、来年4月から雇用率を2・2%(民間企業の場合、現行2・0%)に引き上げる一方、精神障害者も対象に含められるようになる。

ソテリアの野口博文代表(47)は「精神障害者が働きながら、地域でのサポートを受けて生活できる仕組みづくりが必要だ」と指摘する。

地域交流の大先輩

イタリアでは1978年に「バザーリア法」と呼ばれる法律の成立で、精神科病院を廃止。
法に触れる行為をした精神障害者を収容する司法精神科病院も2015年に廃止した。
緊急時のみ一時的に居住できる施設があるほかは、基本的に入院はしない。
社会協同組合などを通じてケアや就労支援を受けながら、地域で生活する。

今回は、日本からの研修生を受け入れたエタベータは、レストランや農園、印刷工房などを運営。
約20人の障害者が職員として働き、年間5万ユーロ(約700万円)の利益を上げているという。

エタベータを行政の立場から支援してきた元ボローニャ精神保健局長で精神科医のイボンヌ・ドネガーニさん(66)は「精神障害者は危険だ、といった地域住民の偏見や心配はもちろんあった」という。
エタベータも、長年かけた地域との交流の積み重ねで受け入れられるようになった。

ドネガーニさんは「精神的ケアが必要になるのは、誰にも起こりうること、と理解されたからだ。むしろ、『病棟から地域へ』と意識を変えるべきは精神科医だった」と話した。

涙は出るが、啼かない哭かない

涙は出るが、啼かない哭かない。
「泣く イラスト」の画像検索結果
ネットで、このイラストをいただきました。

涙には下に記したように、基礎分泌、反射性分泌、情動性分泌の3種類があるとネットに書かれていた。
泣くという行為には、常に眼球に流れていて、目を乾かさないようにする基礎分泌。
目に入ったゴミなどの異物を排出する反射性分泌。
喜怒哀楽などの感情の高ぶりによる情動性分泌。
それでは、涙は何ものや?

何もこんなことを知るためにこの稿を書き始めたわけではない。京都の宇治市と滋賀県の大津市瀬田との間にあるみすぼらしい寒村で生まれ、宇治の高校、2年間の浪人生活、そして大学は都の西北でサッカー部の生活に明け暮れた。この大学ではア式蹴球部といった。
サッカーの日本一強い大学で、貧困な技術者の私は諦めなく過ごした。進学の唯一の目的は、他人の目は兎も角気にせずに、私自身のためにサッカーを楽しく過ごしたかった。私が上手だったわけではない、サッカー三昧に暮らしたかっただけのことだ。

学校に通い始めてから、勉強と何かを二者択一できなかった。
小学校の時は遊ぶことにエネルギーをいっぱい使えた。だから勉強は二の次で、6年生の時だけは勉強をよくした。6年生の学業成績は少しの期間保存するというのを聞いた。
そして中学校も小学校の時と同じで、3年生の成績だけは保存することになっていた。3年生の1,2学期だけはよく勉強した。
小学校や中学校では、組やクラスでは上位になり、学年では5番以内だった。

中学校では、遊び以外はバスケットボールに時間を割いた。
ところがバスケットボールとは性が合わなくて、私のやることは何でもカンでもファウルをとられた。好きになろうとしても、どうしても好きになれなかった。

そして高校時代。やはり勉強は相変わらず好きになれなくて、サッカーを励むことにした。だからと言って、強いチームにはなれなかった。
勉強は卒業してからやればいい、と決めた。大学受験に必要なボリュームは理解していたので、試験なんて怖くなかった。俺にだって、やればできると自負していた。
そのように、勉強のことはいつもいつも後の後になった。


早稲田大学ア式蹴球部

そんな私だったからか、喜怒哀楽の激しい学生生活で、何是、こんなに泣くことが多いのか、我ながら不思議だ。卒業後、ビジネスマンになってからも、涙とは切っても切れない。
苦しくて泣き、悲しくて哀しくて悔しくて泣き、嬉しくて笑った
この「泣き」が一体、どうしたことなのだろうか?と気になる日がある。
自らの功績に対する褒美として、友人や先輩たちに同情したり思いを共有したり。
「怒」については、学生運動とクラブ活動に興味があったので、どの怒についても微妙に神経質になっていた。怒りっぽくなっていたのは、何故かしら。

苦しくて泣く、悲しくて哀しくて悔しくて泣くについては、泣くは泣くでも良く理解できる。泣くを辞書で調べると、声をたてずに涙を流して泣くこともある。
苦しくても悲しくても、哀しくて悔しくても私には耐える力があった。
ちょっとぐらいの苦しいことや悲しいことなど、屁でもなかった。
私にはサッカー人としての能力がなかったが、どんな苦境に置かれても耐える力は持っていた。ここで頑張らないと、東京へ出てきた甲斐がなくなってしまう。
元々非才な私だから、こんなことで負けるわけにはいかない、判り切っていたことだ。

でも嬉しいこと楽しいことには、泣かないで笑った。
でも目には涙が溢れた。
単純に嬉しくて泣いたことはない。私の泣くは、啼くと書き著したい。
チームが勝って、優勝してもただ嬉しかったけれど、私自身について私自らがどうしても、いつまでも褒めてあげられなかった。
勝つことはとっても素晴らしいことだろうが、それは結果のことであって、泣くほどのことではなかった。泣かずに笑った。
そんな生き方だった。勝利の一部分に十分に入りきれたのだろうか。
自然に笑った。
勝利の仲間の中にはいるけれど、ぷっつんと、いつまでもいつまでも、独りぼっちだった。

辞書には次のようだ。
啼くとは、次々と声を出して続けて泣くこと。泣き叫ぶ、むさび泣くように使う。
人にも鳥獣にも用いる。
嬉しい時こそ、どうしたらいいのか? 感じたことがことがない情感だから、もしもそんな状況が押し迫ったならば、どうしたらいいのだろうか。
やっぱり、嬉しいときは、思いっきり笑いたい。
そして、何かを眺めることを忘れない。勝利の一々を克明に観察すること。

君は喜んで泣いてなんかいられないんだ。笑ってこそ、よく見極められる。

2017年12月8日金曜日

大雪(だいせつ)ざ

今日20171207は、二十四節気では大雪(だいせつ)だ。
今でこそ、大雪と言われてもビクビクすることはないが、最初、何じゃいなと驚いた。「おおゆき」と読まないで「だいせつ」と読むことを知ったのは、今から10年ほど前のことだった。

「冬のイラスト」の画像検索結果

大雪は、この17日だけではなく、冬至(今年は12月22日)までの期間を呼ぶ。
太陽黄径は255度。太陽黄径については意味がわかっていない。
小雪(今年は11月22日)から数えて15日目ごろ。

山岳だけではなく、平野にも降雪のある時節ということから大雪と言われたようだ。九州でも初氷が張り、全国的に冬一色になる。首都圏の1月前の今冬の天気予報では、降雪があるのは10日ほど、20センチ以上の積雪が見られるのは2日ぐらいでしょう、だった。
霜、氷、氷柱(つらら)、霜柱(しもばしら)、寒風、大根干し、鍋物、霜焼け、凍傷、霧などは、もう既にあっちこっちで、大騒ぎ中だろう。
気持ちの良かった秋が終わり、無性に気が重たくなる晩秋が過ぎて、これから春までは厳しい日々が続きますよ、しっかり体のことはお守りください、そんな暗号のようだ。

既に、スキー場のゲレンデには雪がいっぱい、スキーヤーがカッカかっかと雄叫びを上げている。
東北や北海道では、その降雪の凄まじさに根をあげることなく、除雪に苦しんでいるお年寄りの姿が痛々しかった。今年は早いですよとか、降る量がやたら多いんですよ。
熊の奴もそろそろ冬眠にはいるようだ。ときには人にだって襲ってくる奴だ。
私の生家は農業専科。農作物に被害を与える鹿や猪は、冬眠しない。此奴こそ冬眠してほしい動物なんだが。

冬の魚の漁も盛んになる。
例えば、鰤(ぶり)、鮟鱇(あんこう)、金目鯛(きんめだい)、鱈(たら)、平目(ひらめ)、いなだ、はまち、だ。
冬野菜も美味しいものがいっぱいある。
大根、白菜、ほうれん草、里芋、春菊、ブロッコリー、ネギ、小松菜、かぶ、カリフラワー、チンゲンサイ、水菜、人参、キャベツ、ごぼう、蓮根、だ。食べると体に暖気が湧くのだろうか。

12月に入ってから、セーターの下には長襟のシャツ2枚にズボン下を穿(は)きだした。もう少し気温が下がれば、必携のロッテのポカロンを腰の後ろに貼るつもりだ。体を冷やすのが、私の体にはもっての他だ。腰の激痛が戻ってくる。

こんなに苦しんだ腰痛がここまで回復してきたのだから、もう二度と嫌な想いをしたくない。
100円ショップで手袋を買わなくてはならい。

★ここまで文章を綴ってきて、友人たちに「なんだ!! ヤマオカ。お前そんなに冬が苦手だったのか? そんなことはないよな」と言われそうな気がして、この稿の仕上がりの悪さに気づいた。

子供の頃から、誰よりも誰よりも、寒さや暑さに負けたことがなかった。
夏は裸になったし、冬に寒さを感じた時には、母に何かを出してもらって重ね着した。
それで、私の春夏秋冬は平気だった。
他人に寒いとか、厚いとか言いたくなかった。