2017年12月12日火曜日

精神科病院をなくした国

20171209の朝日新聞(夕刊)の記事を下の方に転載させてもらった。

何故、この新聞記事の転載をやらせてもらったのか、その記事を読んでもらえば解ることだけれど、私自身については貴重な記事だった。
法律を作って、精神科病院をなくしたイタリアが、日本の精神障害者を招いて料理や農業を教える。
教えられた側は、学んだことを日本でレストランの経営ができることを夢見ている。
こんなことを本気で考えている日本の精神障害者の団体と、精神病科院をなくしたイタリアが現実にあることに心奪われた。


色んな分野において、障害があるとか何とか言われることについて、私自身だって小学校のころから、なでじゃ?と思い詰めてきた。
 
現実に行われているやり方、制度が可笑しい? 何か間違っている?と思っていた。
先ずは小学校・中学校時代の「特別学級」だった。
この学級というのは誰がどういう方法でどのようにしてできたのだろうか。
私が在学中は、何是なんや?と思われることが多かった。
それでも仕方ないのだと思うようになっていた。
その後には養護学級だった。

★特別学級を、ネットで調べると、次のようなことが書かれていた。
学校教育法(昭和22年法律第26号 平成28年5月20日改正)の第81条第2項本文には、「小学校、中学校、義務教育学校、高等学校及び中等教育学校には、次の各号のいずれかに該当する児童及び生徒のために、特別支援学級を置くことができる。」と定められ、各号には次の者が掲げられている。
  1. 知的障害者
  2. 肢体不自由者
  3. 身体虚弱者
  4. 弱視者
  5. 難聴者
  6. その他障害のあるで、特別支援学級において教育を行うことが適当なもの
特別支援学級は、学校によって、養護学級育成学級心障学級障害児学級実務学級学習室総合学級個別支援学級なかよし学級あすなろ学級すみれ学級など、さまざまな呼び方がある。

昨夕、テレビを観ていたら色覚障害の子供の特集をしていた。
一般的な学習はさほど苦にはならないが、色の見分け方に障害のある子供が出ていた。
少し違がった赤色の靴下を、緑がかった赤だとか、青い色が少し混ざっているとか、真っ赤過ぎるとか、そのように話していた。
母も随分困っていたが、番組の最後にはこの子と良く会話を交わすようにして、子供の考えていることを知ることだと話していた。
治るものと治らないものとがあるらしい。
大学に入ってからは、色んな人と話すことが増え、そんな会話の中で、老人ホームや養護学校が施設として確固たるものを保持することになったことを、何故か社会の頼みごとを立派に行政庁・自治体がなしてくれていると評価していた。
そんな会話を聞いてから、日本は可笑しくなってしまったのかと諦めだした。
30年ほど前に隣接した老人ホームと養護学校が、時には垣根を失くして双方の交流をしようとしている事を聞いた。
これで、やっぱり自治体や施設の責任者は変わりつつあるのだと気を良くした。
卒業して会社勤めになってから、人間の多様性についてよく考える羽目になった。その多様性と言うことに就いてどれだけ相手のことを考えながら付き合えられるかということだった。
私は大学時代にサッカー部だけを本気でやってきたからか? 
チームメイトのことを必死で考えた。私が活かされるために、相手に何をしてもらいたいのか。
障害者だとか特別支援だとか言う前に、本人たちのその後の生活のために、何をしてやればいいのかが大事で、障害があるとか支援が必要だからと、唯、単に支援しているだけでは駄目だ。

ところがその後、子供への支援教育のなかで、広い社会で皆と仲良く暮らせるための事業がなされていることに気づいた。
学校を卒業してからの社会人としての役目を何とか担ってもらおうということだ。彼らが作ったケーキやお菓子、パンなどを買ってもらうための施設運営だ。
一生懸命に働いている人たちの顏や仕種を見ているだけで、私の心まで晴れてくる。

何是、このような稿を作成したのか、その原因は他にもある。
私には、互いの襟元を極めて広げ合った関係、腹の底から底までを紡ぎあった関係の友人がいる。その友人の行動が、私の頭から離れないからかもしれない。
実は、友人にはささやかな障害を持つ子どもがいて、その子どもと不思議な関係を友人が作ってくれたと感謝している。
友人にはおこがましくて、軽率には言えないけれど、私はこの子どものことが好きになった。
友人は毎日、自宅からこの子どもを自分の車に乗せて、子どもが通う学校の送迎車がくる駅まで送っている。
京浜急行の上大岡駅だ。
友人は、送迎車が来るまでの間の時間に何かを行いたいと考えた。
それは、時間の許す限り、自分たちでできる駅前の道路の掃除だった。
余り、人目の付くところは避けたいと想っているので、掃除の範囲はそれほど広くはないのです。
が、この息子の作業する行動が、ものの見事に立派なんですよ。恥じることなんて、な~んもない。
時には強い風が吹きつけ、折角ゴミ箱に納めたものが、思いの他吹っ飛んでいくときの、彼の慌てようは、子どもには悪いが、その仕種の面白さにウットリしてしまいました。
何よりも何よりも、この作業をなんと機嫌よくやってくれることか!

友人からの返事は、ヤマオカさん、私は幸せ者ですよ、だった。

20171216。
私の徒歩通勤路に、私の息子も20年ほど前に通っていた県立高校がある。
その正門の道路をはさんだ斜め前に、2,3年前に建築した老人専用の集合住宅がある。私はその住宅の前を歩いていて聞いた声が、今にも残っている。
介護士なのか、家族の人なのか、男か女の住む老人に向かう叱言だった。
その声は強い勢いだった。
そのお叱りの言葉が、そのうちもっと強くもっと強くなって、叱りから警告になって、肉体が躍動して、最後にはもっと気になる発言になって、老人が嫌がるようなことになったら、困るな、と考えた。
まして大きい道路から2メートルぐらいの部屋で、悲しいことが生まれないように願いたい。

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新聞記事は以下の通りです。

イタリア北部ボローニャの社会協同組合「エタベータ」で、調理の研修を受ける日本からの参加者=同組合提供

精神科病院をなくした国
イタリアで学ぶ共生とパスタ

障害者の支援団体「夢は銀座にお店」


精神障害者がイタリアに行って料理や農業を学び、将来は東京・銀座でレストランを開くーー。
障害者の就労支援をしている東京都内の団体がそんな試みを始めている。
イタリアは精神科病院が全面的に廃止され、精神障害者は地域社会で生活するのが基本だ。
イタリアに学ぶことで、障害者が働くことへの印象を変える狙いもあるという。
(ローマ=河原田慎一)

就労への自信作り
「イタリアで人情の温かさに触れ、物をつくる楽しさを知った。声を出す自信も持てるようになった」

イタリア北部ボローニャで9月から1か月間、パスタ作りなどの研修を受けた渡辺淳さん(31)は、そう話す。
日本では珍しい種類のパスタの作り方も現地で学んだ。
レストランで身につけた技術をメニューに生かしたいと考えている。

渡辺さんは大学在学中に「自分を追い込んでしまい」、統合失調症を発症。
今は精神障害者らの就労支援をする特定非営利活動法人「東京ソテリア」(東京都江戸川区)が雇用する形で週4日、事務作業をしている。
同法人には渡辺さんのような「利用者」が約20人いるという。

ソテリアは昨年、ボローニャで障害者の地域生活を支える社会協同組合「エターベータ」と業務提携を結んだ。
今年から毎月1人ずつ障害者を派遣し、エタベーターが運営する農園や調理場で研修を受けてもらう。

ソテリアは江戸川区内でカフェを開いているが、今度は研修を受けた障害者が中心となって、銀座周辺にイタリア料理の移動販売車を出せないか検討中だ。
軌道に乗れば、レストランを出店する夢もある。

障害者の雇用を巡っては、一定割合で知的・身体障害者を雇うことを企業に義務づける障害者雇用促進法がある。
同法の改正で、来年4月から雇用率を2・2%(民間企業の場合、現行2・0%)に引き上げる一方、精神障害者も対象に含められるようになる。

ソテリアの野口博文代表(47)は「精神障害者が働きながら、地域でのサポートを受けて生活できる仕組みづくりが必要だ」と指摘する。

地域交流の大先輩

イタリアでは1978年に「バザーリア法」と呼ばれる法律の成立で、精神科病院を廃止。
法に触れる行為をした精神障害者を収容する司法精神科病院も2015年に廃止した。
緊急時のみ一時的に居住できる施設があるほかは、基本的に入院はしない。
社会協同組合などを通じてケアや就労支援を受けながら、地域で生活する。

今回は、日本からの研修生を受け入れたエタベータは、レストランや農園、印刷工房などを運営。
約20人の障害者が職員として働き、年間5万ユーロ(約700万円)の利益を上げているという。

エタベータを行政の立場から支援してきた元ボローニャ精神保健局長で精神科医のイボンヌ・ドネガーニさん(66)は「精神障害者は危険だ、といった地域住民の偏見や心配はもちろんあった」という。
エタベータも、長年かけた地域との交流の積み重ねで受け入れられるようになった。

ドネガーニさんは「精神的ケアが必要になるのは、誰にも起こりうること、と理解されたからだ。むしろ、『病棟から地域へ』と意識を変えるべきは精神科医だった」と話した。