2017年12月12日火曜日

涙は出るが、啼かない哭かない

涙は出るが、啼かない哭かない。
「泣く イラスト」の画像検索結果
ネットで、このイラストをいただきました。

涙には下に記したように、基礎分泌、反射性分泌、情動性分泌の3種類があるとネットに書かれていた。
泣くという行為には、常に眼球に流れていて、目を乾かさないようにする基礎分泌。
目に入ったゴミなどの異物を排出する反射性分泌。
喜怒哀楽などの感情の高ぶりによる情動性分泌。
それでは、涙は何ものや?

何もこんなことを知るためにこの稿を書き始めたわけではない。京都の宇治市と滋賀県の大津市瀬田との間にあるみすぼらしい寒村で生まれ、宇治の高校、2年間の浪人生活、そして大学は都の西北でサッカー部の生活に明け暮れた。この大学ではア式蹴球部といった。
サッカーの日本一強い大学で、貧困な技術者の私は諦めなく過ごした。進学の唯一の目的は、他人の目は兎も角気にせずに、私自身のためにサッカーを楽しく過ごしたかった。私が上手だったわけではない、サッカー三昧に暮らしたかっただけのことだ。

学校に通い始めてから、勉強と何かを二者択一できなかった。
小学校の時は遊ぶことにエネルギーをいっぱい使えた。だから勉強は二の次で、6年生の時だけは勉強をよくした。6年生の学業成績は少しの期間保存するというのを聞いた。
そして中学校も小学校の時と同じで、3年生の成績だけは保存することになっていた。3年生の1,2学期だけはよく勉強した。
小学校や中学校では、組やクラスでは上位になり、学年では5番以内だった。

中学校では、遊び以外はバスケットボールに時間を割いた。
ところがバスケットボールとは性が合わなくて、私のやることは何でもカンでもファウルをとられた。好きになろうとしても、どうしても好きになれなかった。

そして高校時代。やはり勉強は相変わらず好きになれなくて、サッカーを励むことにした。だからと言って、強いチームにはなれなかった。
勉強は卒業してからやればいい、と決めた。大学受験に必要なボリュームは理解していたので、試験なんて怖くなかった。俺にだって、やればできると自負していた。
そのように、勉強のことはいつもいつも後の後になった。


早稲田大学ア式蹴球部

そんな私だったからか、喜怒哀楽の激しい学生生活で、何是、こんなに泣くことが多いのか、我ながら不思議だ。卒業後、ビジネスマンになってからも、涙とは切っても切れない。
苦しくて泣き、悲しくて哀しくて悔しくて泣き、嬉しくて笑った
この「泣き」が一体、どうしたことなのだろうか?と気になる日がある。
自らの功績に対する褒美として、友人や先輩たちに同情したり思いを共有したり。
「怒」については、学生運動とクラブ活動に興味があったので、どの怒についても微妙に神経質になっていた。怒りっぽくなっていたのは、何故かしら。

苦しくて泣く、悲しくて哀しくて悔しくて泣くについては、泣くは泣くでも良く理解できる。泣くを辞書で調べると、声をたてずに涙を流して泣くこともある。
苦しくても悲しくても、哀しくて悔しくても私には耐える力があった。
ちょっとぐらいの苦しいことや悲しいことなど、屁でもなかった。
私にはサッカー人としての能力がなかったが、どんな苦境に置かれても耐える力は持っていた。ここで頑張らないと、東京へ出てきた甲斐がなくなってしまう。
元々非才な私だから、こんなことで負けるわけにはいかない、判り切っていたことだ。

でも嬉しいこと楽しいことには、泣かないで笑った。
でも目には涙が溢れた。
単純に嬉しくて泣いたことはない。私の泣くは、啼くと書き著したい。
チームが勝って、優勝してもただ嬉しかったけれど、私自身について私自らがどうしても、いつまでも褒めてあげられなかった。
勝つことはとっても素晴らしいことだろうが、それは結果のことであって、泣くほどのことではなかった。泣かずに笑った。
そんな生き方だった。勝利の一部分に十分に入りきれたのだろうか。
自然に笑った。
勝利の仲間の中にはいるけれど、ぷっつんと、いつまでもいつまでも、独りぼっちだった。

辞書には次のようだ。
啼くとは、次々と声を出して続けて泣くこと。泣き叫ぶ、むさび泣くように使う。
人にも鳥獣にも用いる。
嬉しい時こそ、どうしたらいいのか? 感じたことがことがない情感だから、もしもそんな状況が押し迫ったならば、どうしたらいいのだろうか。
やっぱり、嬉しいときは、思いっきり笑いたい。
そして、何かを眺めることを忘れない。勝利の一々を克明に観察すること。

君は喜んで泣いてなんかいられないんだ。笑ってこそ、よく見極められる。