2011年11月26日土曜日

毛皮の販売、ノー!

20111125の朝日新聞で、「ウェストハリウッド市議会が可決 全米初毛皮服の販売禁止条例」のタイトルの記事を見つけた。市議会は、賛成5、反対0の全会一致。

下の新聞記事を読んでから、本稿に入りたい。

新聞記事に少し合点がいかないところがある。それは、【動物の毛を使っていない革製品のほか、毛皮をあしらったような家具は、(販売)対象外にしているという】、ことだ。動物の毛と皮が、それに毛皮が、この条例で取り扱いが違うのは何故だ。条例の主旨からは、毛も皮も、毛皮も違わない筈だ。

私は、革製品も製造販売を禁止すべきだと考える。動物を殺したくない。まして、殺した動物の肉を食うことも避けたい。しかし、かく言う私も、極力食わないように努めている段階だ。

アメリカの小さな市の条例に過ぎないが、私はこの潮流は確実に大きな流れになるのでは、と想像する。動物愛護の運動の成果だろうが、それはそれとして評価したいが、私には食糧問題としても考えたい。

昨今、凶悪な犯罪や忌まわしい事件が頻発する。事件が暴力的過ぎる。凄惨な事件を前に、誰もがどうしても、何が原因なのだろうか、と考える。

命を奪われた哺乳類たちの怨霊が人間界を呪う。神を信じない私でも、神のお怒りか、天罰が下されたのか、と思ってしまうのだ。肉を食する行為が、直、人間に災厄をもたらす、そんな因果は簡単には実証できないだろうが、廻り回って人間の精神の荒廃をきたしているのではないかと。これって、私の気まぐれな、満更でもない妄想です。

牧畜業界に飼料を売りつけるアメリカの穀物メジャーが、肉を食する生活が恰も文化的な生活だ、などと煽る。食の欧米化とか何とか言っちゃって。コカ・コーラ商法と全く同じだ。生活が少しでも豊かになれば、肉の消費量が増える。牛や豚、鶏の飼育を増やして、肉の消費を高め、穀物の価額を操作する。肉を生産するには、膨大な飼料が必要なのだ。

畜産、穀物メジャー、金欲、肉を食うこと、人間性の荒廃が進み、動物や人間の生命が軽々然に成り果てた、もうこれは全くの魔界だ。この世界に思いを馳せたい。

切迫する世界の食料不足に対処するには、肉の消費量を減らすことだ。肉の消費量を少し減らすだけで穀物の消費は過分に減る。穀物メジャーはちょっと困るかも知れないが、でも、深刻な食料不足で困っている未開発国が、アフリカなどには多々ある。人口も増えつつある。

毛皮服の販売禁止条例から随分話は逸れてしまった。

肉を食うことで食料危機を作る穀物メジャーの思う壷に、はまらないことだ。

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20111125

朝日・朝刊

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(ウェストハリウッド市は、ファッションが主要産業の一つ=AP)

 

米ウェストハリウッド市議会が、毛皮の衣料品販売を禁じる条例を可決した。全米でも初めてだといい、2013年9月に施行する。動物保護団体は歓迎するが、「セレブ」が行き交う街の業界は反発している。

ウェストハリウッド市はロサンゼルスとビバリーヒルズ市に隣接する。人口約3万5千人の小さな市ながら、映画関係者の行き来もあり、毛皮のコートなどを売るブランド店も多く、毛皮の小売・製造業者の全米団体も立地している。

条例は、動物保護を掲げる市議の1人が提案し、議会が数ヶ月にかけて小売業界などから意見を聞いたうえで採決した。米メディアによると、動物の毛を使っていない革製品のほか、毛皮をあしらったような家具は対象外にしているという。

毛皮をよく着るワーストドレッサーに歌手のマドンナさんや俳優のキャサリン・ゼタジョーンズさんらを選んで、やり玉にあげてきた動物愛護団「PETA」は条例を歓迎。「他の街もウェストハリウッドの例にならうよう望んでいる」との声明を出した。

一方で、ウェストハリウッド商工会議所は経済損失を主張する。モリル会長は米NBC系地元テレビ局の取材に「新条例で市外に出ると言う小売店がある。多くの小売店は、動物保護団体の報復を恐れて声を大にして言わないだけだ」と不満をあらわにした。

(藤 えりか)

この市は、ロスアンゼルスの夜の繁華街として名高いところだそうだ。人口36000人のうち3分の1がゲイかレスビアン、3分の1が55歳以上、そして12%が新しく移民してきたロシア系ユダヤ人という異質な住民構成で、ゲイのカップルに一般夫婦同様の権利をを求める市条例を採択するなど、多用なライフスタイルに対し平等で寛大な市政を目指している、とネットで知った。

2011年11月20日日曜日

野の涯

20111119〈土〉 14:00からの一人芝居を観に行く予定だったが、突発的な出来事のために、行くことができなかった。

「野の涯」/東京演劇アンサンブル・ブレヒトの芝小屋/作・演出=広渡常敏/出演=伊藤 克

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11月に入ったばかりの或る日の夕刻、大学時代の後輩・マサ(昌)から電話がかかってきた。ソニーの下請け会社の優秀な三代目の社長さんだ。

私が大学2年の時、サッカー部の新入部員の彼に、お前の出身校はなんちゅう学校やと聞くと、私の出た高校はジュンシン(純真?)学園です、ときた。ジ・ュ・ン・シ・ン?、それって?、なんじゃ、と失礼なことを言ってしまった。私は純真な男ではなかったようだ。

彼は、私が恥ずかしくなるほどジュンシンな奴だった。銭湯の帰りに、肉屋さんで手羽の焼き鳥を、金欠の私にご馳走してくれた。私の懐事情まで分っている奴だった。それからの付き合いが、40余年にもなる。

東京演劇アンサンブルの毎年年末恒例の「銀河鉄道の夜」の案内を劇団から貰ったのですが、ヤマオカさん一緒に観に行きませんかとのことだった。

「銀河鉄道の夜」と聞けば、宮沢賢治の四次元の世界、現実世界は銀河の夜の彼方に広がる世界の世界の影らしいーーー。この辺がファンタジーなのだ。

決して引き返すことのない軽便鉄道とか

本当のさいわいを見つけだす旅とか

人間の愛の愛が、歴史の歴史が

生命の生命が燃えている

歴史などというものを、もうきまったものと信じるな、掘り返せ、え~んやら、ヤットット

こんな台詞を諳(そら)んじていて、すらすらと口に出てくる。

マサ、悪いんだけれど俺、「銀河鉄道の夜」はもう12、3回観ていて、ジョバンニ役さんも4代に亘って観て来たし、去年も一昨年もその前の年も観て来たので、今回は観に行かない心算なんだ。

でもその前に、「野の涯」をやるでしょ、これを観に行く予定はしているんだけれど、これ、お前はどうだ、と投げ返したら、マサは思案ロッポウの末だろう、行きましょと2、3日おいて返答があった。マサ、俺達の血が騒ぐ秩父事件の主要な人物、井上伝蔵の話だ。

この劇団の舞台装置の制作や構成、道具担当の龍太(リュウタ)がお前に凄く会いたがっているんだよ、お前が顔を出せば、きっと彼は大いに喜ぶこと間違いなしだ。本当に会いたがっている。龍太も巨匠岡本太郎の工房から巣立ち、この劇団で代表者の入江洋祐さんのお助け役も担っているのだろう、日頃の仕事のことや四方山(よもやま)の苦労話でも、気心の知れたマサに聞いて欲しいのかもしれないよ、と。

そして、本番の昨日20日は、朝から外気は生暖かく、雨が降った。そして午後、大雨になり強風が吹き出して、雨は横殴りになった。

早朝から、経営責任者の中さんと、相模原、湘南、西湘地域の物件を6件ほど下見を終え、何とか仕事を昼までに切り上げ、練馬のブレヒトの芝居小屋に向かう心算だった。

お芝居の後、1杯のスープを飲んで、芝居のことを話し合おうという企画になっていた。私は、スープではなくて焼酎を頂くことに必ずなると思ったので、今回は電車で行くことにしていた。

マサを交えて、劇団の龍太、入江洋佑さんや志賀さんとも、少しは話をしたかったのだ。

ところが、大雨の中、仕事のことでちょっとしたハプニングが発生して、観劇は断念せざるを得なくなって仕舞った。直ぐに、劇団に連絡をして、入江親子にスマンと伝言をお願いした。

 

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井上伝蔵の臨終

劇団から頂いたパンフレットの文章です。

1884年の秩父事件の戦いは、蜂起後10日間で軍隊によって弾圧、崩壊してしまったが、中心人物のひとり井上伝蔵は官憲の追い手を逃れ、その後の消息を絶つ。

欠席裁判で死刑の判決を受けたが、実は彼は北海道・野付牛(現在の北見市)に身を沈め、1918年に65歳の生涯を閉じていた。

「恐れながら、天朝様に敵対するから、加勢しろ」とむしろ旗に大書し、秩父市下吉田の椋神社に3000人が集結し、大宮郷をめざして進軍した。年号も自由自治元年と謳い、時の明治国家に対峙した。「秩父事件」は、フランスのパリ・コミューンに比せられる革命運動だった。

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Wikipediaより「井上伝蔵」

幼名は治作。後の埼玉県秩父郡吉田町(現秩父市)に生まれ、長男が早く亡くなったので、商家「井上」、代々の「伝蔵」を名乗った。明治16年、自由民権運動に参加、秩父自由党の幹事になる。後に困民党に組織替え。1884年(明治17年)11月に起きた秩父事件では会計長を務めた。総理は田代栄助。

2011年11月16日水曜日

巨人は永遠に破滅しました

巨人内紛 代表が反旗

面白い事件が起こった。わが意を得たりだ。

以下の新聞記事を読めば私の心模様の如何を、私が何を言いたいのか、いとも容易(たやす)く想像してもらえるだろう。さすが、新聞記事は巧く書かれて敬意を表したい。朝日新聞の商売相手は読売新聞だ。話題を取り上げるのに多少の遠慮もあっただろう。礼を失してはいけない。間違った報道はしてはいけない。

記事の中で、大所高所、識者たちはいろいろ意見を述べているが、今回の事件は、誰が考えても渡辺恒雄氏が可笑しい。これが可笑しくなくて、この世で、何が可笑しいことがあろう。

さりとて、清武さんを擁護する心算もサラサラない。この人も可笑しい。

読売は血迷っている。この最高権力者を糺(ただ)せる人物が社内にいないようなら、もう読売は終わりだ。可笑しいのは二人だけじゃない、桃井氏も原氏もだ。巨人球団は破滅している。

スポーツをこよなく愛する私にとって、スポーツをただの興行としてしか考えないナベツネ氏が、これ以上、この界隈にはべることは、実に不愉快だ。スポーツの本質を理解できない好々爺が、権力を振りかざし、バカなことを言ったり、仕掛けたり、もう老害しかない、とんでもない文化の破壊者だ。

スポーツは、厳しい練習に不断の努力で鍛え抜いたアスリート、熱い視線で見守るファン、裏方でを支える関係者が、長年に亘って培ってきた公の文化財なのだ。

繰り返す。スポーツは文化なのだということを、露の一滴も理解できない人は、この聖なる域から去るべきだ。

 

備忘のためにあえて追記しておく。下のどの件においても、ナベツネの鶴の一声が発せられ、混乱を招き、結果多くの野球ファンを失望させた。

★江川の空白の一日問題  ★ドラフト制度に逆指名システム導入と裏金騒動  ★FA制度、巨額複数年数契約によるトレード横行  ★ドラフトの希望枠採用  ★2004年の球界再編成騒動  ★東日本大震災を受けての開幕延期問題  ★横浜の身売り

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(会見を終え、席を立つ巨人の清武英利代表=森井英二撮影)

 

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朝日新聞・朝刊

巨人内紛 代表が反旗

プロ野球・読売巨人軍の清武英利球団代表兼ゼネラルマネジャー(GM、61)が11日、都内の文部科学省記者クラブで記者会見し、渡辺恒雄球団会長(85)がコーチ人事を独断で翻すなど会社の内部統制とコンプライアンスを破った、とする声明を発表した。球団幹部が内紛を記者会見で公表するのは極めて異例。

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(会見で涙を拭う巨人清武英利代表 11日午後、東京都千代田区、西畑志朗撮影)

異例の声明

清武代表によると、渡辺氏は来季のヘッドコーチについて、留任が内定していた岡崎郁コーチ(50)を降格させて江川卓氏(56)を招く交渉を独断で進めた。さらに、渡辺氏はコーチ人事を了承済みだったにもかかわらず、報道陣に「俺は何も報告を受けていない」と事実と違うことを話した、などとしている。

清武氏は「プロ野球界のオーナーやGM制度をないがしろにするだけではなく、コーチや選手を裏切り、ファンも裏切る暴挙」と、渡辺氏を強く批判。

「不当な鶴の一声で、巨人とフプロ野球を私物化するような行為は許せない」と語った。辞任する意思はなく、解任された場合は法的措置をとることも示唆した。

清武氏は記者会見の直前にも、渡辺氏と携帯電話で30~40分間にわたって話し、「チームの信頼を根底から覆すのはやめてほしい」と訴えたが、岡崎コーチの降格は止められず、会見に踏み切ったという。

 

社長が反論 渡辺氏は沈黙

これを受け、巨人の桃井恒和オーナー兼球団社長も記者会見し「(清武氏の)会見を球団の誰も知らなかった。代表取締役たる私の知らないところでああいう形でやったのは、逆にコンプライアンスという意味でとんでもない」と話した。コーチ人事については「クライマックスシリーズ第1ステージで負け、会長としては状況は変わった、見直しが必要と言う判断だったと思う」と語り、「(渡辺氏は親会社のトップで、不当な一声ではない」とした。清武氏については「当面、今やっている仕事をやってもらう」と話した。

渡辺会長は11日、記者会見を開いたり、コメントを発表しなかった。

また、江川氏は「話は来ていません。ヘッドコーチになることは絶対ありません」と話した。

 

声明の要旨

11月9日に渡辺氏から「1軍ヘッドコーチは江川氏とし、岡崎ヘッドコーチは降格。江川氏との交渉も始めている」と言われた。岡崎氏を含むコーチ人事などは、10月20日に桃井オーナーとともに渡辺氏に報告して了承も得ていた。にもかかわらず渡辺氏は11月4日、記者団に「俺は何も聞いていない」と全く事実に反する発言をした。

もし、自分が了承したことを忘れているなら、渡辺氏は任に堪えないということにもなりかねない。忘れていないというのなら、自分も報告を受けて了承し、契約締結にも着手されていた人事を、オーナー兼代表取締役社長を飛び越えて、鶴の一声で覆したことになる。

これはプロ球界のオーナーやGM制度をないがしろにするだけではなく、コーチや選手、ファンも裏切る暴挙。コーチや選手との信頼関係を基盤とする球団経営の原則、プロ野球界のルールに関わることだ。

読売巨人軍にも内部統制と健全な企業体質、コンプライアンスが要求される。それを破るのが、渡辺氏のような最高権力者であっては断じてならない。不当な鶴の一声で巨人軍、プロ野球界を私物化するような行為を許すことはできない。

 

繰り返された「鶴の一声」  西村欣也(編集委員)

ある意味では「コップの中の嵐」だ。言葉は適切ではないかもしれないが「自爆テロ」という見方もできる。巨人・清武英利代表の突然の渡辺恒雄球団会長を批判する会見だ。

会社において、人事の内示は内示であり、変更されることは多々ある。それを記者会見を開いて、この時期に発表する意図は理解できない。

しかし、この声明の中に真実が隠れているのも事実である。

巨人という球団は清武代表が暴露したように、渡辺球団会長の「鶴の一声」で動いてきた。2004年もそうだった。オリックスや西武と組ながら、無謀な球界再編に突き進んだ。労組選手会と世論がタッグを組んでこれを阻止した。だからこそ、楽天という新球団が生まれ、今のパ・リーグ人気がある。

今年もそうだった。まず開幕問題だ。大震災に配慮し、電力問題もあったため、選手会が「開幕延期」を主張したのに、全く耳をかさずに、強行しようとして、世論の猛反発にあった。これは、清武代表、あなたも同罪だ。

横浜のベイスターズの身売り問題でも渡辺会長は暴走した。TBSホールディングスがDeNAと交渉しているのを記者団に明かし、いかにも自分が球界を動かしているという印象を世間に与えた。

今回、江川本人は「話はきていません。僕は巨人入団時に小林繁さんに迷惑をかけました。だから、今回名前があがったことはありがたいですが、岡崎氏に迷惑をかけてヘッドコーチになることは絶対ありません」と言う。

身内から「王様は裸だ」という声が出たことで、球界が変わっていけば、と思う。

 

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(読売新聞本社を出る巨人の渡辺恒雄会長=11日午後8時56分、東京都中央区、関口聡撮影)

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朝日・朝刊

渡辺会長談話(要旨)

清武巨人軍専務の声明および記者会見は事実誤認、表現の不当、許されざる越権行為および私に対する名誉毀損が多々あるので、私の立場から正確に事実を説明する。

私が大王製紙やオリンパスの経営者と並ぶコンプライアンス違反をしているとあるが、両社のケースは巨額の金銭の私物化や経理の不正操作に関する刑事犯罪的事案で、巨人軍の人事問題とは次元が異なる。同列に扱うのは読売新聞社、巨人軍、私個人に対する著しい名誉毀損で謝罪を求める。

私の一存で桃井社長からオーナーを剥奪したというのも著しい誤伝だ。今年6月に滝鼻オーナーの最高顧問就任にあわせ緊急措置として桃井君をオーナーに任命した。シーズ後に読売新聞グループの白石代表取締役社長や新聞社幹部、桃井君と相談し、白石君のオーナー就任を内定した。ただ桃井君のこれまでの功績と権威を損なわないよう代表取締役とし、白石君は私と同じ平取締役だ。この人事は将来的に私が巨人の経営から身を引き白石君に新聞本社と球団のパイプ役をゆだねる意図で、桃井君も事前に了解している。”清武声明”はまことに非常識で悪質なデマゴギーだ。

清武君については新聞社、球団内から批判がある。尊大になった、決断力がないなどの報告を聞き、GMは適任ではなかったと思った。今年の「清武補強」もほとんど失敗した。原監督も事前連絡なしに勝手な補強に不満だったようだ。GM制は監督からの提案で、何人かあがった候補は「オビ・タスキ」で、最後に原君が「清武さんでもいい」と言ったのでGMにしたのが実情だ。

江川君の起用構想は監督からの提案。岡崎ヘッドコーチとの関係もあるので「助監督」と考えたが、私の思いつきであり社内的な手続きはとっておらず、江川君と何の接触もしていない。この企業機密を清武君が公表したので、”江川助監督”を直ちに実現することは困難になった。

今回の清武君の行動は、会社法355条の「取締役の忠実義務」違反に該当すると思う。しかし、記者会見の直前に彼から電話でGMの仕事はさしあたり続けたいとの要望があったので、これは了承した。今後の対応は本人の反省次第であり、現時点ではただちに処分を求めるつもりはない。

会社法355条(忠実義務)=取締役は、法令及び定款並びに株主総会の決議を遵守し、株式会社のため忠実にその職務を行わなければならない。

2011年11月15日火曜日

月曜日はカレーの日

我が社では、月曜日の昼飯は全員そろって、カレーを食うことになっている。

同じ釜の飯を腹いっぱい食って、連帯を深め、一丸となって会社の業務に精励しようということだ。腹が減っては戦(いくさ)はできない。日本が、ギリシャやイタリアが、いくら不景気でも、我が社は王道を突っ走るだけだ。我々は、横浜一元気な会社なんだ。

月曜日は朝一番から、営業に携わるスタッフ全員が集まって、業務の全般をすみからすみまで、全てを確認する会議を行なっている。その会議は、08:30から10:00までかかる。

メシ大好きな長さんが、名誉のメシ担当として会議前に約1升の米を炊飯器にセットする。そうすると、ちょうど会議が終わる10時過ぎには炊き上がる。社員が11人で、そのうちご婦人が1人、1升を難なく平らげるというのは、やはり皆、健康なのだろう。私は、此の頃は炭水化物、澱粉系の摂食を控えているのですが、1週間のうち月曜日の昼飯1食ならば、皆につられてのバカ食いも、良かろうと思っている。

このカレー料理人が、先週までは経営責任者の中さんだった。よくぞ、忙しいのに毎週作ってくれたもんだ、と感謝している。日曜日の午後に作って、一晩寝かせて、翌日の月曜日の朝に、ジャガイモを入れて弱火で温める。これが、メッチャ美味いんだ。

ところが、先週からこの料理人の立場が、私、ヤマオカと管理の藤さんの二人に代わった。中さんが繁忙を極めている最中に、奥さんが体調を壊した。公私ともども大変。20111113、中さんは、奥さんの体調を窺いに帰宅した。私はこの時とばかりに、彼が独占していた料理権を剥奪した。今、話題のバカ恒(つね)と同様、鶴の一声と同時に相談なく、勝手にカレー作りに走った。

実は、前の日の12日、朝日新聞の日曜版に【我が家のカレーの隠し味 一足しで手軽にオリジナル】のタイトルで、カレー作りの特集記事を見つけて、私が保存しておいたのだ。この記事は下の方に貼り付けさせてもらった。この記事を読んだことで、多少なりとも、私の料理心に火が点いたのかもしれない。

藤さん私は、近所の松原商店街に買い物に出かけた。ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、豚のバラ肉、カレーのルーの代金総計は、1618円。20人分の材料だ。1人当たり147円は従来通りで、大きい狂いはない。この基本価額を崩すことはできないので、値札をチェックしながら慎重に買い物した。ここまでは、皆には心配をかけない安全運転だった。

物件の下見で走り回っている兵糧米穀班の長さんに電話をして、米の在庫が足りないので、明日の朝までには補充しておくように依頼した。米の代金は、会社負担だ。

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会社に戻って、早速料理に着手した。と、言っても私はバラ肉を炒めることと、その他の材料を洗って皮をむいて、細かく切っただけだ。

ニンジン10センチほどのものを4本を包丁の背で擦(こす)って薄く皮をはいだ。産地はどこだろうかと袋を見ても、その表示はなかった。土の柔らかい所で育てられたのだろうか、根の表皮は実に薄くて、赤ちゃんの柔肌を思い出した。

ジャガイモはこぶし大の大きさ、男爵。6個を洗って包丁でむいた。皮をむいて表われた白い身が異状に艶っぽい。どきっとした。田舎で子供の頃、干し柿用に母が夜なべで、柿の皮をむいていたのを手伝ったから、この皮むきはお手のもんだ。人前でリンゴなどをむくのだって、恥ずかしくない。

タマネギは硬くてしっかりしていた。5個。自炊をしていて最近のタマネギは涙が出ないのは何故か、なんて感じていたのだが、今回はよくも涙を誘ってくれた。タマネギはこうでなくっちゃ。久しぶりの涙が、私には懐かしかった。これは、小豆島ものだ。

豚のバラ肉、750グラム。炒めて、油が出たらそれを捨てないで取っておいてください、とはもう一人の料理責任者・藤さんの指示だ。難なく炒められた。この豚は、どこで育てられて、どこで殺されて、この店に並ぶようになったのだろう。海を越えてきたのだろうか。管理された工場で、悲鳴をあげる間もなく屠殺されたのだろう。私には、悲鳴が聞こえるのだ。こんなことは、皆には黙っていよう。

ここまでの私がやった仕事は、下ごしらえ。これからが本格的な調理へのステージになる。私は退場して、藤さんのお手並み拝見。全ての権限を委ねた。彼の実家は、秋田で料亭旅館を営んでいると聞いている。

藤さんはルーを入れた。隠し味は、私の家ではインスタントコーヒーです、今回はこのコースでいきます、それからのことは、企業秘密で内緒です、と言われた。

「お味」については次の機会に報告する。

実際の「お味」を確認したいなら、弊社に毎週月曜日の11時頃、150円をもって馳せ参じてくださいな。社員は全員、お待ちしていますサカイに。業種やお客さまに、えこ贔屓(ひいき)はありませんのでご安心。

 

下の記事は、20111112の朝日新聞の記事を貼り付けさせていただきました。

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2011年11月13日日曜日

カラスの奴、俺より先に食うとは

私が7年前に会社の前の空地に植えた柿が、赤くなってきたのを、カラスが狙っていた。このカラス、柿がようやく食い頃になるのを待っていたのだ。カラスは、鳥のなかでも最も頭のいい鳥といわれている。

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そして10月21日、このカラスに1個食われた。

空は青く、柿の葉は紅葉して、赤い実を突っつく鳥はムクドリがお似合いだ。実に秋の風情だ。 カラス君はどっこでもご活躍、我輩は、ちょっと見飽きてしまったよ。

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  ムクドリ

 

熟した柿を、下に落とさないようにして、郵便ポストの平らな部分に運んで、ゆっくり平らげたようだ。一部食い残しがあった。枝にぶら下がっている状態では、きちんと全てを食い尽くすことはできなかったようだ。

そして翌21日、2個目を側の飲み物の自動販売機の上に運んで、食っているのを、目撃した。 

俺様より、先に食いやがった。悔しがっていてもしょうがない、無策はイカン。何か対策を講じなくてはと思ったが、何てことはない、カラスに食われる前に食っちゃえば済むことだ、と結論した。

柿の実が色づきだしたので、会社の皆が皆、この小さな柿の木に群がったら困るなあと心配していた。そんな事態が起こる前に分配の鉄のルールを作らなくてはと考えていた。

私がここで注意しなければいけないのは、個人的な欲望をぐうっと抑えることだ。われ先の行動は慎もう。会社のスタッフを優先的に、その次にはスタッフの家族に分けてあげなくっちゃと考えた。私の個人的に所有するイーハトーブの果樹園の柿の木 にも、幾つかは生っているんだから、と 余裕綽々だ。

去年までは生ってもせいぜい20個ぐらいだったので、私が頂いた後は、カラスが喜ぶなら、1つや2つ、食われたって好いやと思っていた。実際には、奴等に5個くらいは食われたのだろう。スタッフに分配するなんて考えられなかった。

ところが、今年は100個ほど生った。豊穣だ。

早速皮を剥いて、皿に奇麗に盛ってみんなのテーブルを回ってみたら、意外や、割とみんなが喜ばないのに、驚いた。誰もが喜んでくれるものとばかりと思っていたが、柿の好きな人が案外少なかったのだ。

柿がみんなに好かれていないことを知って、しょんぼりする私に、ちょっと嬉しかったのは管理の和さんの一言だった。父が好きなんですよ、皮ごと丸かぶりしたいところだよ、と云ってました、と。

もう一人、我が社のコンピューター管理をしてくれているコウ君に柿をあげたら、喜んでくれた。彼は、祖父によく柿を剥いてもらって食っていました。祖父のことでも思い出していたのでしょう、と母親は云っていた。

11月3日、生っている柿を1個だけ残して、全部採った。今度は、カラスと私のお遊びだ。

カラスに意地悪を思いついたのだ。木の先っぽにある実は彼らには好都合のようだが、それなら、柿の木の枝と枝に挟まれた中ほどよりも低いところに、柿の実を残しておけば、それは、どのようにして食うだろうか。収穫には間がある柿を、選んだ。

羽を広げて枝から枝に移動するのはよく見かける。羽をすぼめて移動する時は、羽をすぼめたまま枝と枝の間を、上下左右、大きい体をどのようにして、どの程度の移動ができるのだろうか、それを見てやろうではないか、と思いついた。

本日11月14日、柿は赤く染まってきたが、カラスは寄り付かない。カラスの意地を見たいもんだ。

2011年11月7日月曜日

ひぇ、東海第二原発も!

茨城県東海村長の村上達也さんが、朝日新聞記者に語ったことが記事(20111026 朝日・朝刊)になっていた。

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48年前、日本で初めて原子力発電を成功させた、その自治体の首長は、記者に向かって、原発がもたらすカネとリスクについて熱く語られていたのだ。

その記事の冒頭で、私は思わず、ひぇ~と叫びたくなった。

内容は、今年の3月11日、村上達也さんが村長を務める東海村の日本原子力発電東海第二原発も、東日本大震災で起きた東電福島第一原発と同じようなことが起こる寸前だったということだ。

こりゃ、本格的に日本から原発をなくすしかない、と確信した。

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20111113 朝日新聞・朝刊1面

福島第一原発の原子炉建屋。右から4号機、3号機、2号機、1号機=12日午前11時3分、福島県大熊町 相場郁郎撮影

耕論

繁栄は一炊の夢だった

「東海第二」廃炉を

村上達也さん・茨城県東海村長/聞き手・山口栄二

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実は東海村の日本原子力発電東海第二原発も、東京電力福島第一原発で起きた「全電源喪失」の寸前でした。地震の影響で外部電源がすべてダウン。非常用発電機でポンプを動かして原子炉を冷却しましたが、1時間後に押し寄せた津波があと70センチ高ければ、海水は防波堤を乗り越えて、すべての冷却機能が失われていたかもしれない。

2週間後にその事実を知り、背筋が凍る思いをしました。東海第二の場合、20キロ圏内に75万人、30キロ圏内には100万人の人が住んでおり、県庁所在地の水戸市も含まれます。

此処からの村上村長さんの話が教訓的だ。

「原発がなくなったら村民の雇用をどうするか」「村の財政をどう維持するするのか」という議論も村内にはあります。

しかし、原発マネーは麻薬と同じです。原子炉を1基誘致すると固定資産税や交付金など10年間で数百億円がカネが入る。そのカネがなくなると、また「原子炉を誘致せよ」という話になる。尋常な姿ではありません。

福島のような事故が起これば何もかも失ってしまう。原発による繁栄は一炊の夢に過ぎません。目を覚まして、持続可能な地域経済を作るべきです。

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補講です。

この新聞記事の頭出しのタイトルで「一炊の夢だった」とある。この故事成語の「一炊の夢」をもう少し知っておきたくて、ネットで調べてみたら、意味の説明や用例、中国での故事の由来も紹介されていたけれど、私はその中で上杉謙信のことを材にした、この「一炊の夢」の説明を、この欄に引用させてもらう。

「四十九年、一睡(一炊)の夢、一期(いちご)の栄華(えいが)、一盃の酒」(上杉謙信)

越後の武将・上杉謙信は、生涯、戦いに明け暮れた。武田信玄との川中島の決戦は有名である。天下取りを目指す織田軍を、加賀で撃破し、信長を恐れさせた。関東平定へ進発しようとした矢先、病に倒れ、49歳でこの世を去った。

「戦功を競った一生も、一眠りする間の夢のようだ。天下に名を馳せた一代の栄華も、一杯の酒ほどの楽しみでしかなかった」

人生の目的を知りえなかったむなしさが漂っている。

2011年11月5日土曜日

書評、評者の文章にもほろり!

20111030の書評欄のことです。

毎週、日曜日の朝日新聞・朝刊の書評欄は、私の大好きなコーナーだ。日曜版にはふさわしい企画だと思う。色んなジャンルの読み本が、多士済々な書き手の労作、秀作が、全15段2ページに品揃えをして読者の来店を待っている。

私の好きでない著者の本や、嫌で苦手なジャンルの本の紹介は、無頓着にパスだが、掲載される本の3分の1は私が興味を惹くものだ。この欄に採用する本を探す作業も大変だと感心する。新刊を買う余裕がなく、目先の仕事に追われている私には、有り難い企画だ。

自由に遣える資金が少ないのは、私の個人的な至らなさで、何もここで恥を晒すこともないのだが、この稿は私の生活の一部の紹介でもあるので、不愉快な話題と思いながら書き足した。襤褸(ぼろ)は着てても心は錦。せめて書評でも読んで、少しは文化的に過ごしたいもんだ。

著者や出版社、本屋さんには申し訳ないのですが、買って、手にしなくてもこの書評だけで楽しいのだ。作家さん並びに出版関係者の各氏、各社殿、スマン。

その評者の筆力の天晴れさに、毎度感心させられている。

そこで、今週、とりわけ気に入った2冊の書評をそのまま新聞記事のまま転載させてもらうことにした。何故、この2冊を選んだかって、その1「句集 残像」は、評者の文章が巧いことに感心させられた。その2「絶望の国の幸福な若者たち」は、私にとっても若者のことは大いなる関心事だからだ。

私たちが若者だった頃、その時の大人たちもきっと、今と同じように若者のことを観察していたのだろう。私は、私たちはどのように思われていたのだろうか。

私の中学、高校、浪人時代は、東京にあこがれて夢と希望に溢れていた。大学時代、70年安保と授業料値上げ反対、学生自治会館の自主管理奪還の闘争で、私の大学の構内は一段と殺気立っていた。私はと言えば、そんな闘争を尻目に、サッカーに没頭していた。誰よりも下手で体力がなかったので、練習時間を増やすしかなかったのだ。

高校時代は、東京オリンピック、企業の公害問題、大学在学中には、大阪万博、卒業時には一次オイルショック、ニクソンショック、それから二次オイルショック、産業界はそれらを乗り越えようと必死で頑張っていたので、私もその気運の中で真面目に仕事に精励、経済のつまずきは幾つもあったけれど、でも総じて経済が成長しているのを実感していた。これらが、私が若者だった時代の背景だ。私は、何を考えて生きていたのだろう。

私にとって、日曜日は休日ではないけれど、何故か心にゆとりがある。

朝刊は、目が覚める4時には玄関扉のポストに配達されている。英国王室御用達の紅茶ではなく、廉くて、苦いインスタントコーヒーをすすりながら、読んでいる。

いつか、この欄に採用された本を読むことはあろうが、今はこの書評を楽しむばかりだ。

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その1は、「句集 残像」 山口優夢〈著〉

       評者・種村 弘 〈歌人〉 

山口優夢の第一句集である。

〈あぢさゐはすべて残像ではないか〉

紫陽花に特有の色や形が「残像」と表現されていて、なるほどと思わされる。「あぢさゐ」という旧仮名表記もどこか「残像」っぽい。でも、もしも本当に「すべて残像」なのだとしたら、我々は紫陽花の本体を一度も見ていない事になる。本体はどこにいるのだ。と、そこで奇妙な事を思いつく。じゃあ、「愛」とか「国」とか「私」とかはどうなるんだろう。もしかしたら、私はそれらの本体も見た事がないんじゃないか。

〈電話みな番号を持ち星祭り〉

「電話みな番号を持ち」に驚く。一見当たり前のようだが、ここから例えば「人はみな遺伝子を持ち」や「愛はみな宿命を持ち」が、心の奥に湧き上がる。「あぢさゐ」の句と同様に、僅(わず)かな数文字言葉が、読者の心から、より大きな何かを引き出してしまうのだ。

〈未来おそろしおでんの玉子つかみがたし〉

「未来」と「玉子」だけが漢字だ。「玉子」の中には「未来」の時間が詰まっている。いわば「未来」の塊のようなもの。それが「つかみがた」くて「おそろしい」のだろう。音読すると、字余りのせいで全体が早口になる。それが「おそろし」さと同時に奇妙なユーモアを感じさせる。

〈蜘蛛の巣にはげしく揺るるところあり〉

そこで怖ろしいことが起きている。にも拘わらず「はげしく揺るる」とのみ書かれる事で、怖さが増幅された。

〈投函のたびにポストへ光入る〉

云われればその通りだが、普通は気づかない。その理由は我々が「ポスト」の外側の世界に生きているから。だが、作者は「ポスト」の内側の闇に心を飛ばすことができる。その力が遺憾なく発揮された秀句を最後に引いておく。

〈心臓はひかりを知らず雪解け川〉

 

その2は、「絶望の国の幸福な若者たち」 古市憲寿〈著〉

       評者・中島岳志 〈北海道大学准教授〉

現在日本の若者は不幸だといわれる。格差は拡大し、経済成長も難しい。しかし、社会調査では意外な結果が出る。20代の実に7割が、現在の生活に満足していると答える。今の若者たちは、自分たちの生活を「幸せ」と感じているようなのだ。著者は、この奇妙な幸福感の源泉を探り、現在社会のあり方を模索する。

若者は本当に「幸せ」なのか。別の調査では、「不安がある」と答える若者の割合も増加している。若者の傾向は、「幸せ」と同時に「不安」を抱えているというアンビバブルなものなのだ。

では、なぜそのような事態が生じるのか。それは「将来の希望」が失われているからである。もうこれ以上幸せになるとは思えないため、若者たちは、「今、幸せだ」と答えるしかない。今よりも幸せな未来を想像できないからこそ、現在の幸福感と不安が両立するのだ。

若者は「自己充足的」で、「今、ここ」の身近な幸せを重視しているという。親しい仲間たちと「小さな世界」で日常を送る日々に幸福を感じているようだ。また、一方で社会貢献をしたい若者も増加している。最新の調査では20代の若者の約60%が社会のために役立ちたいと考えている。

ここでキーワードとなるのが「ムラムラする若者」だ。仲間といっしょに「村々する日常」とそれを突破する「ムラムラする非日常」を同時に求める心性が、多くの若者に共有されているという。しかし、非日常はすぐに日常化する。そこが居場所になれば、急速に社会性を氷解する。

著者は、それでいいじゃないかという。複数の所属をもち、参入・離脱の自由度が高い承認のコミュニティーがあれば、十分生きていけるじゃないかという。

しかし、現実には仲間がいるのに孤独や不全感を抱える若者も多い。賛否が分かれるであろう論争的な一冊だ。

2011年11月2日水曜日

またもや、バカ恒(つね)!

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またもや、株式会社読売巨人軍会長の渡辺恒雄(ナベツネ)氏に苦言を呈したい。

親会社のTBSホールデイングスが、株式会社横浜ベイスターズを持ち堪(こた)えられなくなって、昨年から身売り先探しに奔走していた。昨年は、住生活グループとの売却交渉が最終の条件のすり合わせができずに決裂した。

今年は、本気で売却を成立すべく、相手探しをしていたところに、ゲームサイト「モバゲー」を運営しているディー・エヌ・エー(DeNA)が名乗り出た。TBSの関係者はさぞかし溜飲と肩の荷を下げていることだろう。TBSの経営者には、スポーツに関する見識も覇気もない。売却話は大詰めを迎えているようだ。そろそろ、正式発表かと、噂されている。

買収に乗り出したディー・エヌ・イーは球団名にモバゲーを使いたがっているが、ナベツネは球団経営の努力をしないまま売名行為のために球団を購入する行為は認められないと発言した。このことに関してはオーナー会議なのか、何会議か知らないが、どうぞじっくり論議することをお勧めする。

このようなことを、新聞報道で知ったが、交渉の途中の何かと微妙な問題が発生しかねない状況下、まして他球団のことなのに、読売巨人軍のナベツネが、交渉の経過を記者らにべらべら話していることに、違和感を感じた。君はいくつもある球団の一役員に過ぎない身の上だよ。身の程をわきまえろ。自らの球界への影響力が低下していないことを誇示するかの如く、と朝日新聞の西村欣也記者は記事にしている。私も、全く同感だ。

買収の条件が双方折り合っても、オーナー会議の4分の3以上の同意を得なければ、新しく加入が認められないというルールがあるらしい。それほどの重要で微妙な問題なのに、正式に決まる前から、あれはイイ、これはダメだと言い切る、この男は、頭が狂っているとしか思えない。自分を何様だと思っているのだろう。

横浜球団の売却先にからむ、ナベツネの新球団名称問題についての発言はこれまでにして、今回のことがきっかけで、かってのナベツネに対する不快感が甦ってきた。

私は、サッカーを愛する世界中の幾億人と同じように、誇り高いサッカー人間の一人だと自負している。ほぼ半世紀に亘って、サッカーと付き合ってきた。私の高校時代は、日本代表がムルデカ大会(アジア地区の大会)に出場しても、いい成績がおさめられなかった。ドイツサッカー協会から派遣されたクラーマー氏の指導で日本チームは基本から学んだ。その甲斐あって、東京オリンピックでの健闘、メキシコオリンピックの銅メダルにつながった。その後しばらくは、日本サッカーの成長止まり感のする期間だった。

そんな息詰まり状態に風穴を開けてくれたのが、(社)日本サッカープロリーグの発足だった。

このプロサッカーリーグ、現在のJリーグに参加するチームは、企業の自社宣伝役を担うのではなく、地元に密着したチームであることを発足理念にした。日本で初めての試みだ。地元にサッカーを文化として根付かせたいとの願いがあったように思う。地元のホームグラウンドが、ファンの心の故郷の一部にでもなればということだったのだろう、と私は推察する。

日本サッカー協会は、球団のオーナーや役員には自分の企業のアピールよりもサッカーを地元に根付かせることで、企業としても存続できるように運営して欲しい、と申し渡した。

協会リーグ事務局は、球団の呼称を「地域名+愛称」を望み、スポンサー企業名を使わない。その指針に従って、各球団は横浜マリノス、大阪ガンバのように名付けて、各媒体もそれに従った。

ところが、正式名称は「ヴェルディ川崎」なのに、読売系の媒体では、表記、アナウンスを「読売ヴェルディ」として開幕から1994年まで事務局の意に反して使用した。当然、Jリーグチェアマンの川渕三郎氏と読売のナベツネはもめた。川渕先輩の頑(がぁ~ん)とした態度が雄雄しく天晴れだった。

ナベツネは、どうしてもJリーグ発足の理念を理解できなかった。彼は、企業名でもある読売をアピールしたかった。ところが、今は「モバゲー」を球団名の冠に使いたがっているディー・エヌ・イーをを売名行為だとののしっている。

球団を抱えたいと思うディー・エヌ・イーの創業者である代表者の意思の確認が重要だ。球団経営の方針を、横浜の地を、スポーツとしての野球を、ファンのことをどのように考えているのだろう。かって、横浜だったか他の球団だったかを買収すると名乗りを上げた消費者金融の武富士は、世間からも各球団の関係者からも冷たく扱われたことは、記憶にある。

ナベツネは今でも、野球界ではドンの心算で居るのだろうが、Jリーグにおいては自分の立場がない、何の相談も受けなかった、名誉欲強く、目立ちたがり屋、権威主義のナベツネにとって、自分抜きでリーグが発足されたのが、屈辱的だったのだろう。

ネベツネは、スポーツが文化なのだということを、理解できていない。ただ、読売新聞の購読者を増やすことしか考えていない、旧来の経営者だ。

だから、読売ではサッカーは丸でダメだった、野球もきっとダメにしてしまうだろう。