2012年12月31日月曜日

餅つき大会だぞ

20121229 私の年末年始の休日の3日目だ。

朝から晩までの一日の生活を記録した。朝、9時に次女の長男、私が目に入れても痛くない孫・晴を保土ヶ谷・権太坂に迎えに行って、時には真面目に時にはいい加減に世話するイーハトーブ果樹園で芋掘りをした。

残念、2ヶ月前に試し掘りしたときは新鮮で凄くいい物を収穫できたが、孫の冬休みを待っている間に、悪くなってしまった。私なりに手入れを怠りなかった心算だった。薩摩芋は元々、南の国の植物だ。凍てついたようだ。

20121229 003

なかなか地面にスコップがささらない。いつかは、手伝ってくれることだろう。

 

20121229 004

  収穫した薩摩芋。

11:00頃から近所の公園でサッカーをした。 近所の保育園児が遊びにきていて、何故か晴はその子どもたちが遊ぶドッヂボールを釘付けで見ていたので、どうしたんだと聞くと、自分たちも近いうちにドッヂボールの大会があるんだ、と言っていた。何か、勝つためのヒントでも得ようとしていたのだろうか。

ボールを蹴る能力は相当なものだ。左右のどちらの足でも、強く遠くへ蹴れる。まだ2年生だが、3年生の試合に出してもらうときはキーパーをさせられるので、キーパーの練習もしておかなくてはとコーチに教わったことを繰り返す。どこまでもサッカー好きの孫だ。キャッチングの基本を教えたが、それらは既に教えてもらっていた。

20121229 007

 

保土ヶ谷・権太坂の次女の家で餅つきをした。 この杵と臼は、晴の友人のショーマの父が茅ヶ崎の実家から借りてきてくれた。参加者は、晴の保育園に通っていたときの同窓の仲間とその母親たちだ。参加者は30人はいただろうが、数えることはしなかった。

1人、2人、3人と少しケダネの違う人種もいたが、仲間の仲間が集まって、みんな仲間になるのだろう。植木屋のオジサンに本牧から来たという巨漢の若者。

 

ジジイ、暇なら大根でも擂(す)ってくれと頼まれた。手をきれいに洗ってよ。ゴマは擂り慣れているんだがと独り言、まあいいか!と引き受けた。何故、擂るが手偏に雷なんだろう? 変換機能はまめに教えてくれる。

20121229 009

私が子どものころは、よく実家の餅つきを手伝った。田舎ではどこのうちでも、結婚したとか、家を増改築したとか、子どもが生まれたとか、一年じゅう餅をついていた。特に年末につく餅の量は多く、年末年始用だけではなく、その後の食べるものも含めてついた。

夕方、遊びまわって自宅に帰っても、野良仕事から帰った母が晩飯を仕上げるまでには時間がかかった。それに、外が暗くなっても父はなかなか帰ってこない。晩飯までの子どもらの空腹をまぎらわすために、祖母が火鉢で餅を焼いてくれた。餅のない時はお握りだった。

13歳の1月1日、お雑煮に入れた餅を13個食ったことがあった。丸餅で、今お店で売っている3倍ほどの大きさだったから、相当の量を食ったことになる。そして中学校のバスケットの初練習に出かけた。食えば食うほど家族は喜んでくれた。

 

この杵の使い方、腰の使い方、手馴れたものでしょう。ただ、持続力がないので、適度にお助けをお願いをした。久しぶりの餅つきに昔を思い出していた。

20121229 001 

餅を搗(つ)きだしたのは午後の2時頃から、搗き終わったのは6時ごろだった。もち米20キロを搗いた。周囲は真っ黒になっていた。「餅をつく」というときの「つく」はこの「搗く」を使うことを、またもや変換操作で知った。これも、何故、搗くが手偏に島なんだ。

搗き人とコネ役は交代交代でやった。みんながそれなりの癖を発揮して搗いてくれた。でも、安定度に関しては私が一日の長がある、自画自賛。

コネ役にも慣れたベテランがいて、他の人がやっているときには細々したチェックが飛ぶ。このコネ役指南の趣味は惜しみなく肌をさらして踊るベリーダンスだ。今回の稿に貼り付けた写真の中からその人を特定できますか。

参加者はめいめいに、家の中では台所や居間で外では臼を囲んで、子どもたちの面倒を見ながら、ビールやワイン、焼酎を飲み続けた。

「コネる」もこの際、変換機能で調べてみたら、「捏ねる」だった。捏造(ねつぞう)の捏だ。矢張り、手偏に日に土だ。

作業は自然の流れのように、母親たちがそれぞれに役をこなして進む。アウンの呼吸、一連の作業はスムーズだ。日常のコミュニケーションの成果なのだろう。男は、全て指示待ち。

今回の手偏の漢字の「擂、搗、捏」の成り立ちを知りたい。

20121229 020 

20121229 034 

20121229 041

20121229 057

2012年12月30日日曜日

2012年(平成24年)の重大ニュース

2012年もあとわずか、古紙回収に出すために新聞を片付けていて、今年の重大ニュースを記事にしたものを見つけた。朝日新聞の20121222のものだ。私にとっては、静かに無難に過ごせた珍しい1年だった。このように過ごせたことに感謝している。

この新聞記事を勝手にダイジェストして、私が加筆した。

 

1位 山中伸弥教授にノーベル医学生理学賞。

iPS細胞の作製に成功、再生医療実現へ道を開いた。知らせを受けたとき「洗濯機を直していた」と話すなど、人柄やユーモアにも注目が集まった。手術が下手で「ジャマナカ」と呼ばれたり、研究費用を集めるため、マラソンに挑戦したり、親しみを覚えた。iPS細胞は人工多能性幹細胞のこと。名前は出てこないが、実験を支えてきた助手さんの教授に慕う言葉が忘れられない。これからこそ多くの患者さんを救えるように頑張りたいなんて、嬉しいことを言ってくれる受賞者だ。

 

2位 東京スカイツリー開業。

世界一高い634メートルの自立式電波塔。私はこの高さを6(む)3(さ)4(し)と憶えている。義母が来浜の際、孫とアスファルトに仰向けに寝っ転がって、真っ下から見上げた。迫力に吃驚した。施工は大阪の通天閣にも携わった大林組、施主は東武鉄道。ドレスの裾を広げたような華麗で優美な女性的東京タワーに、空を突き刺すような、大地から飛び出しそうな(男)性的東京スカイツリーーだ。近未来のイメージですね、とは弊社の経営責任者の中さんの弁。

 

3位 金環日食、国内で25年ぶりに観測。

5月21日、天体ショーに日本じゅうが沸いた。横浜は未明に雨が上がって、何とか見えたようだ。私は早朝、鶴見へ仕事に行って会社に戻る途中で時々、車を停めて空を見上げたが、残念なことに見ることができなかった。日食グラスや遮光フィルターを使って観測しないと日食網膜症になることを知った。ダイヤモンドリングも確かめられたらしい。

 

4位 尖閣諸島を国有化。 5位 中国で反日デモ激化。

9月11日の国会で3島を20億5千万円で国が地主から購入することを決定した。島の歴史を知るきっかけになった。中国と台湾が領有を主張している。日本は1895年に閣議で沖縄県に編入することを決めた。その後日本人が入植し、鰹節の製造が現地で行われ、最盛期には99戸248人が暮らしたが、1946年に無人島になった。

日本国が購入したことで中国が反発、中国国内で反日デモが激化、日本製の商品を扱っている店や、日本のデパート、スーパーマーケット、コンビニが襲われた。日中国交正常化40周年の年に対立を生み、双方に政治的、経済的にダメージを受けたことは皮肉なことだった。中国国内の貧富の格差が進んでいることが、デモを増長させたのではないかともいわれている。

 

6位 群馬・関越道でバス事故、7人死亡。

4月29日、居眠り運転の高速バスが防音壁に激突、バスが縦から二つにぶった切られた。事故に遭ったバスツアーは金沢・富山ー関東間の片道旅行代金は3000円台だった。

私も、この1、2年廉いからといって、京都へ行くのに再三利用した。缶ビールを飲んでウトウトしているうちに到着、時間も有効につかえて、廉い、便利だが、危険が潜んでいた。クワバラくわばら。

この運転手は自己の所有するバス4台の営業用ナンバープレートを今回の長距離バスの催行会社の陸援隊名義で取得し、独自の屋号で営業し、中国観光客向けのバスツアーを主催していた。これは、当然違反行為だ。

 

7位 ロンドン五輪・パラリンピックでメダル多数獲得。

メダルは過去最多だったが、金メダルが少なかったようだ。女性、特に女性の団体競技が記憶に残った。女子アーチェリー、女子バドミントン、女子バレーボール、サッカー女子なでしこジャパン、男女の水泳陣、女子卓球、女子レスリングだ。

内村航平らの男子体操陣。

「(北島)康介さんを、手ぶらで帰すわけにはいかない」。

個人では、レスリング男子フリースタイル66キロ級で米満達弘金メダル。男子レスリングの金メダルは24年ぶり。ボクシング男子ミドル級で村田諒太金メダル。男子ボクシングの金メダルは、東京五輪で桜井孝雄が獲得してから48年ぶり。女子重量挙げ48キロ挙げ48キロ級三宅宏実が銀メダル、重量挙げでは女子で初めてのメダリスト。

 

8位 京都・祇園で車暴走、7人死亡。

京都東山区の祇園には、義妹夫婦が京都料理をを出すお店を経営している。この事件?この事故現場のすぐ傍だ。京都市東山区の四条通大和大路の交差点を入ったところ。4月12日、京都の呉服店に勤める容疑者が起こしたひき逃げ事故だ。さぞかし、当時は大変だっただろうと思う。7人死亡と聞くが当の車の運転手も死亡したと聞いたが、全員の死亡者数はどうなんだろう。

加害者は10年前に起こしたバイク事故が起因するてんかんの持病があったとあるが、そのような症状を持つ人を採用する側が前もって聞いていればこの会社の社長は入社を認めたのだろうか。隠した、言えなかったからこそ、こんな事故に連なったのではないか。事故を起こしても自らの責任と負担において解決するなら入社を認めるなんてことも考えられるが、、、、、私はどう判断しただろうか?自らかかえる障害や持病を、気楽に話せて、それを理解し合える社会になって欲しいと思う。

 

9位 大津いじめ事件で中学を捜索。

20111011(昨年)、大津市内の中学2年の男子生徒が、いじめを苦にマンションから飛び降り自殺をした。滋賀県警は、当初、遺族側が出そうとした被害届を受理しなかった。校長や教育委員会はいじめが直接の原因とは思えないなどと記者会見していたが、連日報道されるうちに社会問題としてクローズアップされた。学校が生徒に行ったアンケートでは、記名をしてもしなくてもいいと言われていたのに、記名をしていじめがあったと答えたのが100件もあった。それにもかかわらず、校長、教育委員会はいじめが直接の原因だったとは考えられないと言い張っていた。教育委員会を見直すべきだ。

そして、今月27日、県警は遺族が刑事告訴した同級生3人のうち、当時14歳の2人を暴行と器物損壊、窃盗の3容疑で書類送検した。刑事罰に問われない当時13歳の1人を児童相談所に送検した。

この種の事件を聞かせられる度に得る感慨は、教師や校長、教育委員会や地方の公共団体の教育に携わる担当課の、何とも言えない考慮に欠けた言動の空しさだ。実に腹立たしい。

 

10位 オウム真理教元信徒3人を逮捕、起訴。

特別手配されていた平田信、菊地直子、高橋克也の3被告がそれぞれ逮捕、起訴され17年に及ぶオウム捜査は終了した。オウム真理教とは1980年代後期から1990年代中期に、麻原彰晃が救済の名の下に日本を支配をすることを目論み、外国での軍事訓練、軍事ヘリーの購入、自動小銃の密造、化学兵器の生産して教団と敵対する人物の殺害や地下鉄サリン事件など無差別テロを実行した。一連の事件で29人が死亡している。

かって、1970年か71年、河出書房発刊の高橋和己作品集の「邪宗門」を読んだ。その時、まさかこんなアホなと思っていたことが、よく似た状況で具現したのが不思議だった。高橋和己氏はこんな事件が起こることを予見していたのだ。三島由紀夫氏だって、角度は違えども同じようなことを考えていたのではないのか。

 

11位 消費増税法が成立。

今年8月10日、消費増税を柱とする社会保障と税の一体改革関連法が参院本会議で、民主、自民、公明の3党などの賛成多数で可決。現行5%の消費税を2014年4月に8%、2015年10月に10%に引き上げる。

施行の付帯条件に経済の動向はついているが、弊社のような業種には影響が大きいと心配している。前倒しの需要に対応するための準備を整えたい。今月の30日の日経新聞には、住宅購入者には負担を減らすために給付措置を来年度の税制改正に盛り込むとあったが、どんなことを検討してくれているのやら。前倒しの需要が終った後の冷え込みが怖い。しっかりとした経営を心がけたい。

 

12位 国内の原発、42年ぶり稼働ゼロ。

日本国内にある55基の原発は全て稼働がストップした。東日本大震災で被害を受けた東京電力福島第一原発は廃止工事中だが、使用済み核燃料の除去はまだ見通しが立っていない。だが、関西地区の夏の電力需要に応えるために、安全と判断された関西電力大飯原発は7月再稼働した。ところが唯一稼働を始めたこの原発の施設の地下に断層があることが判明して、それを活断層かそうでないか、学者、専門家が現地調査を繰り返しても、いつまで経っても原子力規制委員会の結論が出ない。来春になるという。

政府の下した再稼働の必要性とは、暮らしの安心・安全を守る必要という観点と経済的な必要という観点、この両面から判断したとのことだ。世論は、先の衆院選挙でも国民の大半は原発ゼロを望んでいるが、29日安倍晋首相は就任後は初の視察先に福島第一原発を選び、民主党が掲げた1930年代の原発ゼロの目標について、「希望の段階では直ちに政策になっていかない。責任ある原子力政策を進める」と見直す考えを明らかにした。脱原発は遠のいたようだ。

12月30日には、安倍晋三首相はテレビのインタービューで原発の新増設を認める可能性を示唆する発言を繰り出した。

 

13位 オバマ大統領再選。

11月6日投票の大統領選は即日開票され、民主党のオバマ大統領が(51)が、共和党のロムニー候補(65)を破り、再選を果たした。選挙戦でオバマ大統領は経済成長に中間所得層の底上げが不可欠と主張。自動車産業の救済や医療保険改革など1期目の成果を訴えた。さらに、富裕層には増税などによる「相応の負担」を求め、中間所得層には手厚い減税を実施すると訴えた。そして、中間所得層に支持を広げた。

そして再選後。年明けにかけて減税失効と歳出削減が重なる「財政の崖」の回避に向かって民主・共和両党と会談し、法案の年内成立をめざしている。年内と言ったって、今日は大晦日だ。

 

14位 パソコン遠隔操作で4人誤認逮捕。

私のようなアナログ人間には理解できない事件だ。犯人がネットを介して他者(5人の男性)のパソコンを、本人が知らないうちに、遠隔操作型コンピューターウイルスに感染させて不正な指令を出す。この遠隔操作で襲撃や殺人などの犯罪予告を行ったサイバーー犯罪。そんな馬鹿なことが、現実にあり得る不思議さを噛みしめている。私の頭脳はまだ現実に追いついてない。知らないうちに私だって、逮捕されかねない。

 

15位 石原慎太郎前都知事が辞職、新党結成。

石原慎太郎はいい加減な奴だ。居丈高で、木で鼻をくくるものの言い方。東京都は財政的に稀に豊かだからこそ、何もしないでも、失政を犯しても居られたのだ。でも、そろそろ逃げ時と考えていたのだろう。横浜前市長の中田宏氏と同じケースだ。やばくなったから、辞める。東京都知事職をそうやすやすと投げられても困るんだ。失政に対する十分な説明がないことに都民は怒りをもっと露わにすべきだ。

昨年4月、一時は3期目で東京都知事の退任を表意しながら、結局は立候補して当選、4期目だ。選挙をするには莫大な公費が要ると聞く。翌年の今年10月知事を辞職して新党を結成すると表明、たちあがれ日本を改称するかたちで太陽の党を結成。国政参加を目指す。

この間、自分のことを気楽に暴走老人とか言っているが、貴方の給料を支払っていたのは真面目な納税者の都民なんだよ、と匕首(あいくち)を突きつけたい。平沼郁夫氏と共同代表に就任。失政に対する十分な説明もない。そして翌月の今月、日本維新の会に合流、代表に就任、代表代行は橋下徹(大阪市長)。衆院選にて国政復帰。主義主張の異なるボス同士が、狡猾な下心を秘め握手、その場しのぎ、賢明な市民は全て御見通しだった。かくして、衆院選においても、この会は伸びなかった。

 

16位 衆院が解散、12月に総選挙実施。

前回(25回)の衆院選では、現憲法下では保守本流直系以外の民主党が単独過半数を占めたが、12月16日に投開票が行われた26回衆院選では、野党第1党の自民党が294議席(改選前は119議席)を獲得し、絶対安定多数を確保した。与党の民主党は改選前の230議席から4分の1の59議席しか獲得できなかった。前回の当選時の議席の309議席からは実に5分の1になった。公明党31、日本維新の会54、みんなの党18が躍進、日本未来の党9、国民新党、新党大地、日本共産党、社会民主党は議席を落とした。

私はどの党、どの人に投票していいのか悩んだ。

 

17位 韓国の李明博大統領が竹島上陸。

大阪市平野区出身の、200802に就任した韓国の現17代の大統領だ。8月12日に上陸した。日韓間において進められていた軍事情報包括保護協定や経済連係協定の協議は滞りそうだ。歴史問題で日本に対する不信感、大統領の求心力の喪失、大統領の周辺の金銭的疑惑、韓国にとって8月15日は植民地解放日、このような状況を背景に上陸を決意したようだ。

竹島の住所は、島根県隠岐郡隠岐の島町竹島官有無番地。韓国では独島(トクト)と呼ばれる。

話は少しずれるが、退任後に逮捕されるのではないかと注目されている。土地取得にからむ不正な疑惑がとり立たされている。歴代の大統領のように。

 

18位 スーチー氏、ミャンマー国会議員に。

5月2日、ミャンマーのアウン・サン・スー・チー氏が議会で宣誓を行い、下院議員に正式就任した。ビルマの独立を主導し、その達成目前で暗殺された「ビルマ建国の父」アウン・サン将軍の娘だ。民主化が進んで、日本はじめ各国が経済進出を狙っている。経済は、人件費が高騰した中国から今度はミャンマーに移るらしい。

テイン・セイン大統領が民主化を徐々に進めているが、果たしてどこまでが本気なのか推移を見極めたい。鍵を握るビルマ国軍がどのように考えて行動に出るのか、それが解らないとスーチー氏も述べている。旧ビルマ時代から続く国軍の存在は、我々の考える軍隊とは根本的に意味が違うようだ。

 

19位 光市母子殺害で元少年の死刑確定。

1999年(平成11年)4月に山口県光市で起こった凶悪犯罪。当時18歳1ヶ月の少年が母親を殺害後凌辱、生後11ヶ月の長女も殺害した事件。残虐な事件内容と元少年を死刑にするべきでなとする弁護内容がマスコミを賑わした。全国犯罪被害者の会が設立、被害者の夫が幹事になり、犯罪被害者等基本法が成立した。

私は、この事件の裁判の進行に興味を持っていた。死刑囚永山則夫が残していった、我らに突きつけた問題が私の頭から抜けない。

 

20位 女優の森光子さん死去。

2017回の「放浪記」の公演は有名だけれども、劇場に足を運んだことのない私には、テレビドラマの「時間ですよ」の方が記憶に残っている。20年前か30年前か、東京駅でスタッフに囲まれていた森光子さんを見かけたが、そのときの彼女は着物姿で、顔や首筋や手が余りにも白かったことが、異常に感じたのを憶えている。彼女にスポットライトが当てられていたようだった。スターはこうでなくっちゃ。

 

最後の20位の森光子さんのとこまできて、森さんのことは以前にこのブログでも書いたことがあるから、まあいいかあ!! なんて考えていたら、28日早朝、松井秀喜現役引退のニュースがラジオで伝わり、これには参った。

これこそ、私にとっての今年の10大ニュースの1つだ。が、20大ニュースの稿はほぼ終了にきてしまった。

 

「欄外1位 松井秀喜現役引退」、ということにしますか。この件については、私の文章などは恥ずかしいばかりで、20121229の朝日新聞・天声人語を活用させてもらう。

 

松井秀喜選手は日本で332本の本塁打を打った。渡米して初のアーチは本拠地ヤンキーススタジアムでの顔見世の初戦。しかも満塁弾だった。試合後の言葉がよかった。「333本目ではなく、1本目です」。ニューヨークに住む日本人が大いに沸いたのが記憶に新しい。

その年、大リーグの開幕を前にイラク戦争が始まった。兵士の無事帰還を願う黄色いリボンが全米にあふれ、日本人社会も空気は重かった。「マツイ、すごいね」。ニューヨーカーの賛辞を、我がことのように聞いたものだ。

あれから10シーズン、松井選手の引退会見をテレビで見た。口を一文字に結ぶ表情で、言葉をさぐるように話す。「結果が出なくなった。命がけのプレーも終わりを迎えた」。38歳、万感を押し殺すような、男の顔だった。

大リーグではホームランを175本放った。その記録以上に、存在感は記憶に残る。3年前のワールドシリーズ制覇のときは、日本人初の最優秀選手(MVP)に輝いた。

日本球界に戻る選択肢もあっただろう。だが「10年前の姿に戻る自信が強く持てなかった」と語った。「巨人の4番」の伝統に、自らの誇りを重ねた胸のうちにうずく。たとえばの話、6番を打つ松井秀喜は、もうゴジラではない。

大リーグのある監督が言ったそうだ。「野球には五つしかない。走る、投げる、捕る、打つ、そして力いっぱい打つことだ」。ただ打つのではない。巨漢に伍(ご)して力いっぱい打ち続けた「挑戦の人」に、拍手を送りたい。

2012年12月26日水曜日

大掃除だ!!

20121226 009 

20121225 会社にある不用品を全部、会社の前の駐車場に出して、協力会社のアースさんに廃棄をお願いした。出たゴミの量は2t車に5台分だ。年の暮れの大掃除。片付けのゴミ出しにしては最重量級だろう。

弊社のゆく年くる年。来年はいい年にしてみせるぞ。

弊社が今本社として使っているビルを、金融機関と打ち合わせをして、このまま使い続けることになった。それならば、ここらで腹をくくって完璧に不用品を撤去して、気分一新を図ろうということにしたのだ。

嫌な思いがからむ品、疫病神的品、何故?こんな物までとってあったのかと思う品も数々あった。捨てるものは容赦なく捨てたので、後の整理は気分よく進められた。節分の豆まきのときの掛け声と同じように、福は内鬼は外だあ、この力で邪気を払えと精を出した。

私は作業をしながら、この1年、2年を振り返っていた。苦しい、苦しいと言いながらもスタッフ全員よく頑張ってくれた。経済ショックを受けた私を気遣ってくれることに感謝しなくちゃイカン。社員と弊社を取り巻く関係会社の人たちと、共に仕事をできる喜びを噛みしめたこの1年、2年だった。

有難いことに、会社は徐々にいい方向に進んでいる。来年こそ復活、横浜一元気な会社の再スタートだ。

気合の入った大掃除で今年の仕事納めにした。

2012年12月21日金曜日

創作四字熟語

この一年2012に賑(にぎ)わした出来事などの世情を振り返って表す創作「四字述語」を、年末恒例で住友生命が公募した。その作品を恒例で天声人語が取り上げる。私はそれを恒例でマイファイルする。年末の楽しい行事だ。

20121218

朝日・天声人語

投票用紙を前にしても迷った「紙前党多」(しぜんとうた)の衆院選。結果が「自公治得」(じこうじとく) 「維新前進」(いしんぜんしん)だけに「翁政復古」(おうせいふっこ)が気にかかる。年末恒例、創作四字熟語の締め切りが11月と知り、続きを小欄で補ってみた。以下、住友生命が募った本物で一年を振り返る。

辺境の孤島をめぐり隣国と続く「島々発止」(とうとうはっし)。尖閣には中国の公船がわが物顔で出没し、防人たちは「船船境航」(せんせんきょうこう)の中で体を張る。内憂は消費増税に頼る財政。復興予算の流用がバレて「税途多難」(ぜいとたなん)だ。

レバ刺し好きを励ます言葉もない「肝臓断念」(レバーギブアップ)。ウナギは稚魚がとれずに高騰し、かば焼きを飽食する夢も「無理鰻代」(むりまんだい)に。上がる味あれば下がる足あり、「安価航路」(あんかこうろ)の格安航空が相次ぎ離陸した。

メダルに沸いたロンドン五輪。「(北島)康介さんを手ぶらで帰せない」とチームが結束した「共存競泳」(きょうぞんきょうえい)、アーチェリー女子団体はほんわかと「三矢一体」(さんしいったい)の銅。レスリングの吉田沙保子選手は「史嬢最強」(しじょうさいきょう)を証明し、国民栄誉賞に輝く。

ノーベル賞の山中教授を世界が称えて「伸弥万称」(しんやばんしょう)。上方落語では「三枝襲名」(さんししゅうめい)で六代桂文枝が誕生し、芸人スギちゃんはワイルドな「野生自慢」(やせいじまん)で流行語大賞だぜ。

観測グッズが売り切れた「衆金環視」(しゅうきんかんし)の金環日食、「威風堂塔」(いふうどうとう)の東京スカイツリーは空二題。読書ならぬ「独唱三昧」(どくしょうざんまい)の一人カラオケが若者に人気を呼び、NHKの連続テレビ小説{梅ちゃん先生」も「観梅御礼」(かんばいおんれい)の好評だった。続く桜の季節に、一陽来復の望みを託したい。

2012年12月19日水曜日

投票率最低、無効票最高

衆院選が公示されてから16日の投票日まで、私は悩みに悩んだ。意中の候補者や信頼する党を持たない私にとって、今回、投票したい人物や政党がいつまで経っても具体化せず、投票日の早朝になっても決められなかった。

議員になって欲しい人物を選ぶよりも、辞めて欲しい議員なら幾らでも挙げられるのに、と皮肉なことを考えていた。

投票所の小学校までの数百メートルがはるかに遠く感じた。腰が重たくて重たくて、気分が乗らない。配られてきた新聞を読んで、テレビを観てから出かけたが、最終的に投票する人物と党を決めたのは、投票所に向かう道すがらだった。

それでも投票所に向かったのは、私にはこの3年3ヶ月の民主党政権の失政に鉄槌を下さなければと感じていたからだ。鳩山、菅の民主党代表、総理に小沢氏、彼らに与(くみ)した連中たちに辛酸をなめてもらわないと気がすまなかった。国民を欺いたのだ。情勢から、民主党が惨敗するのはとっくに判っていたけれど、自らの1票でも白黒をつけておきたかった。

開票の結果は自民が単独過半数超えの294、公明31で健闘、民主57、未来9でともに惨敗、みんなは倍増の18、維新は54、私が想像していたように終った。

そして20121217、今回の投票率が小選挙区で59、32%、比例代表で59、31%でいずれも現憲法下で最低だった。理由は、冬の寒い時期で、年末で多忙、政党が多くて争点が増え過ぎたために有権者は、誰に、どの党に投票していいのかよく判らなかったようだ、と朝日新聞記事にあった。その通りだった。

そしてまた翌日20121218の朝日新聞に、小選挙区で、白票や候補者以外の名前が書かれた無効票が204万票で過去最高だったとある。この204万票は投票者数の3、31%で、これまでの最高だった2000年の2、99%を上回った。

私の心境が、全国の投票者の縮図でもあったようだ。

2012年12月17日月曜日

やっぱり、選挙に行こう

今日20121216は、第46回衆院選の日だ。

昨日から降っていた雨は、未明の3時半には止んだ。政権交代なのか維持なのか、政党の乱立、にわか作りの第三極が政権に加わる程票を伸ばせるのか。それにしても、第三極?ってよく判らん。自民、民主、みんな、公明、社民、共産、他の政党も、それぞれ公約を掲げて選挙戦を繰り広げてきた。そして、明日17日の未明には、大勢が判明する。

私はしらけていた。4日前、自宅近くの駅頭で候補者から握手を求められ、その相手の顔を見てギョットした。大臣になって間もない記者会見で、たった10分間に「はっきり申しまして、はっきり申しまして」と10回以上も繰り返し、肝腎のことについて、いつまでも自らの意見が言えない、私見を持っていなかったのだろう、そして過去の暴力団との交際が発覚して、急遽病気入院、退院後は党の幹部によって口封じされたのか、何のコメントもなしに解任か?辞任した当の元大臣だった。在任期間はたったの3週間。私は手を引っ込めた。鉄面皮、恥知らずのこの元大臣は、よくも立候補したもんだ。神経を疑ってしまった。

それにしても、私の腰は重い。早朝、目が覚めても投票に行こうとする意欲、気力がどうしても沸いてこない。投票日当日20121216の03:00に至っても、このような心境だ。

そんな私の背中を押して、投票に向かうように奮い起こさせたのは、今朝配られてきた新聞記事のおかげだ。記事を読んでキーボードを叩いて、転載させてもらう。

その気にさせた記事は、お馴染みの朝日新聞の天声人語と同紙15面の読書の欄からだ。読書の欄は、フリーライターの速水健朗氏が池上彰さんの著作本に書評を寄せたもので、その一文の後半部分だ。

ーーーーー

20121216

朝日・天声人語

大波のような毀誉褒貶(きよほうへん)の落差が、田中角栄元首相ほど激しい政治家もまれだ。金権政治の元凶(がんきょう)のように見られながら、本紙別刷り「be」による戦後首相の人気投票では吉田茂を抑えて1位になった。その人の、きょうは命日だという。

先輩記者の著書によれば、あのだみ声で、よくこういう演説をしたそうだ。「政治はね、生活なんです。昨日よりも今日、今日よりも明日の生活が良くならなくちゃね。月給が倍増、3倍増、10倍増になったでしょ」。いい時代だった。

それから幾年月、この国はどんより雲に覆われ、政治の仕事は「富の分配」から「我慢の分配」に変わった。内外の難しい舵取りを、どの政党、どの人物にゆだねるか。決めあぐねたまま投票日、という人も多いようだ。

思えば、東西冷戦や高度経済成長の時代は分かりやすかった。無関心でも政治はそこそこやってくれた。そうした「お任せ民主主義」からの覚醒を迫られる中で、迷いは募る。一票の意味はかってなく複雑、かつ多様。

一昨日の紙面に、大学生が選んだ今年の漢字は「乱」という記事があった。政治は混乱し、政党は乱立。そして、次の政権に期待する漢字の1位には「信」がきた。乱から信へ。たとえ消去法でも腐らずに権利を行使したい。

あきらめと冷笑は何も生まない。「悪い政治家をワシントンへ送るのは、投票しない善良な市民たちだ」とある米国人言った。永田町もおなじこと。明日をもっと悪くしないためにも、鉛筆に力をこめて。

 

20121216

朝日・15面読書

売れている本/池上彰(著)の「池上彰の政治の学校」の書評

フリーライターの速水健朗

(記事の一部)

日本人のこれまでの政治選択は「新しいものに期待して」「飛びつく」ということの繰り返しだったという。

「とにかく変えたい」が選挙のテーマになっているうちは、同じことを繰り返してしまう。なぜなら、政策の違いに基づかない選択では、政権は変わっても中身は変わらないからだ。

耳に心地よい提案ばかりを主張して選挙に通ることと、それを現実の政治の場で実行していくことは別のこと。背景となる政治信念や政治の場での鍛錬を重視しなくては成熟はない。

今日は総選挙。「とにかく変えたい」だけに捕らわれてないか。最後に自分に問いかけた上で投票に出かけたい。

2012年12月14日金曜日

豊穣、先ずは土づくりから

我がイーハトーブの果樹園は、開墾を始めて10年経つので、立派に育っているものもあれば、何らかの理由(わけ)があってスクスクとはいかず、苦労している果樹もある。苦労して悩んでいるような果樹を見ると、頭が重い。

果樹と果樹の隙間を耕した場所に、この1年間野菜を育ててきた。にわかに野菜作りを始めた。毎週水曜日に野良仕事のお手伝いをしている山田農園の農園主におだてられ、余った苗をどんどんくれるものだから、当初は植えれば何とかなるだろうと、そんな安易な気構えだった。安易過ぎた。でも作柄によって、無世話、無農薬、無肥料でも成長する親孝行モンもいるが、大概、細々過ぎる収穫量に失望した。私だって百姓の小倅(こせがれ)、多少の知恵はある、唯の粋狂として済まされない。

3週間前、タマネギの苗を植えたが育ちが悪過ぎる、その理由を当然のように土にあると判断した。将来のことを考えて、ここは一念発起、土壌改良をやるしかない。

この土地は元々は住宅の敷地だった。庭先だったところは狭いがそれなりの土壌なので作物には耐えられる。それ以外の表層には草は生えているが、20センチも掘れば粘土で、その粘土は岩のように固い。

この粘板岩に近い土は、耕しても耕しても細かくサラサラにならない。ネバネバして水はけが悪い。そこで思いついたのが、落ち葉を集めてきて、米ぬかと牛糞を混ぜて、ビニールシートで覆(おお)って発酵させる、その発酵が終わったものを、深く掘り起こした粘土質の土をなるだけ細かく砕いて混ぜることで改良できるのではないかと。その知恵の出どころは山田農園主だ。歴史的な大事業だ。

会社の近くの公園の落ち葉を掃き集めたものが、ゴミの収集場所に置いてあるのを見つけてこっそり頂いてきた。又、近所の街路に落ちたイチョウの葉も集めてきた。精々と作業をこなしている。

無人の精米所を見つけては、米ぬかを収集しよう、来週は牛の糞を牧場に貰いに行こう。

2012年12月12日水曜日

五島うどんを土産にもらった

20121118

長男の嫁が子ども二人を連れて里帰りした。土産に海藻ふりかけと五島うどんをくれた。

嫁は、長崎県の五島列島の宇久島出身で、長男の海外出張中に宇久ジジと宇久ババの許でしばしの骨休めだ。ジジやババにさどかし歓待されたことだろう、想像に難(かた)くない。実家は長崎県佐世保市宇久町だ。

もらった五島うどんは、実は1週間前から私の机の上に置いたままだ。昨日20121211の帰途、天王町駅で貰った「相鉄瓦版第208号」(毎月、相鉄ホールディングス株発行)が「そばとうどん、からまる思い」を特集していた。その特集の中で私がよく行く讃岐うどん屋のH店の店主が、会社を辞めて讃岐うどん店を開くまでの苦労話、讃岐うどんに対する熱情やテレビ番組のコメンテーターとして活躍している勝谷誠彦(かつや・まさひこ)氏の讃岐うどんへの思いを文章にしていたのを、読んだ。

帰宅して机の上の五島うどんをまじまじと見つめ、讃岐うどんのことはよく判ったが、五島うどんはどうなんだ?そして、キーボードを叩きだしたのだ。

五島うどんを包装したビニール袋に印刷されている文章を読んで、俄然、このうどんに拘(こだわ)った。美味しくいただく前のインナートリップだ。

まず「手延べうどん」の手延べという奴だ。そうめんの手延べは、子どもの頃から見聞きしていたので良く知っているが、うどんでの手延べは知らなかった。二本の棒を使って延ばしていくのも、細いそうめんだからできるのであって、太いうどんでは想像できなかった。五島うどんでは、小麦粉と塩水を合わせた生地に椿油を塗りながら二本の棒に綾がけして延ばす手法だそうだ。そして天日干し。

実際に、私は以前に配合したうどん粉を買ってきて、うどんを作ったことがあるが、団子のように丸めてしばらく寝かせ、踏みつけて目覚めさせ、板状に延ばして細く切った。

それに五島うどんが誇りにしているのは、その昔五島列島は遣唐使の寄港地であり、また元寇で捕虜になった中国人が住みついたことによって、中国人から最初に教わった、麺ロードの拠点であったということだ。

それから驚いたことに、うどんの世界にも毎度お馴染みの日本三大?ウンヌンカンヌンの「日本三大うどん」というのがあるらしい。何が三大なのかよく判らないが、そのことは横に置いて、ネットで調べてみたら、秋田の稲庭、香川の讃岐が当確で、三番目には長崎の五島か群馬の水沢か、富山の氷見か名古屋のきしめん、、、、、どうも三番目は早く名乗った方が勝ちのようで、この場は五島うどんがその地位を確保したことになるようだ。

そろそろ明日20121213、土産の五島うどんをキッチリ食うぞ。それにしても、どうして食おうか? 味はどうなんだろう?

近くのスーパーで売っている生めんの歯ごたえのない奴、味も素っ気もない奴、小麦粉の塊のような、そんな奴らでも美味く感じる私が、どうして味についてのコメントをできよう。至難だ。

今まで長崎の麺といえば、なんとかハットという名前の全国展開しているお店で食う、皿うどんに長崎ちゃんぽんばかりと思っていた。

日本にも、予算管理法

「財政の崖」とは聞き慣れぬ言葉だが、使われている崖という文字が衝撃的で否応なしに関心を持った。この言葉は、アメリカの大統領選とともに露出度が増えた。ここらで、私も少しは知っておかねばと、新聞記事などを注意して読むようにして、やっと少しは理解できるようになった。

生半可な理解でも、勉強することに越したことはない。

調べていて、アメリカには予算管理法という法律があって、連邦政府の債務残高上限額を法律で規定していることを知った。肝腎な内容は、債務残高が法定上限を超えると、国債の新規発行を行うことができなくて、歳出や国債の元利払い等に支障が生じることとなる。

EUにおける各国の政府債務の超過問題が騒がられていたときに、ドイツには国債発行できる限度を、GDPの何%かに抑えなければならないと、憲法?か何とか法で決められていると聞いたことがある。

ファイル:National Debt of Japan.svg

そこで、日本のことを考えた。上のグラフは日本の国債残高の推移を表したものだ。国の借金は、国民一人当たりに換算すると約730万円以上。

毎年毎年、国家予算を編成される際に、当たり前のように国債が上積みされていく。国債の債権者が国内資産(95%が国内、5%が海外の債権者)であるためか、話題になるのを政策的に避けているのか、余り問題にされない。でも、やっぱり政府債務が増加するのを止めなければならないのは当然で、先にも述べたEUのドイツを除いた各国がいい見本だ。

ブッシュ前大統領の時代に、あの大国がデフォルトを起こしかねない状態に陥った。各国には各国のお家の事情があろう、その国の事情を日本にそのまま当てはめられないのは当然至極だが、それにしても、いち早く健全な財政を確立する必要があるだろう。

そこで、素人の私が思ったのは、日本も米国らに真似て、予算管理法なるものを制定したらどうなんだろう? そんなことを思いついて、この稿を綴った。

会社を経営していくには、先を見通す力と、商品の開発、それに財務を盤石にすることが肝要だ。

 

★財政の崖とは=ブッシュ前大統領が始めた所得税などの大型減税の失効と、予算管理法による強制的な歳出削減の開始が今年末から年明けに重なり、あたかも崖のような急角度で米連邦政府の歳出が減り、歳入が増えること。最大で5600億ドル(約46兆円)の財政引き締めになるとされ、米議会予算局(CB0)は最悪の場合、来年前半の米経済は3%近いマイナス成長に陥ると警告している。(日経新聞の記事より)

2012年12月7日金曜日

衆院選 最多1504人立候補

第46回衆院選が4日に公示され、各党首は16日の投開票に向けて一斉に舌戦の口火を切った。

野田佳彦首相(民主党代表)は政権継続のために比較第1党の確保を訴え、自民党の安倍晋三総裁は政権復帰に向けて公明党と合わせた過半数獲得に意欲を示した。勢力拡大をうかがう第三極は、日本未来の党の嘉田由紀子代表や日本維新の会の石原慎太郎代表らが独自政策をアピールし、政権を懸けた戦いが始まった。

争点は、経済再生や原発・エネルギー政策、消費増税や環太平洋経済連携協定(TPP)などだ。

ーーーということなんだが、大言壮語、威勢のいい演説は大いに結構だけれども、威勢がよければよいほど、私の周りにシラケ鳥が飛び交う。手をつけて欲しい政策に、1番2番と順番はつけずらいが、税と社会保障の一体改革はどうするんだ?財源が縮小している状況の中で給付の抑制策はどのように立案するのか。派手な争点になってはいないが重要な問題だ。

離合集散、合従連衡、にわか作りの党、党の代表と代表代行がチグハウな発言を繰り返す。

党首は、立候補者は張り切り勇み足、有権者は投票日を前に浮かぬ顔。誰かが当選して、どこかの党がどこかの党と政治の枠組みを構成、どのように政治が動き出すのだろうか、不安だ。今度こそ、信頼される政治を期待したい。

みんなみんな冷静になってよく考えてみてくれよ、という内容の記事を、20121205の日経新聞に見つけた。

ーーーーーーーーーーーーーー

20121205 日経新聞・朝刊

「明日の日本」判断を

論説委員・芹川洋一

ーーー

なにかがすっぽり抜け落ちているような気がしてならない。政党がしのぎをけずる選挙だから、原発をはじめ、おたがいに異なる点を、ことさら強調して、ぶつかり合うのはしかたがない。だが、今、本当に問われているのは、ちょっと違うのではないか。

「豊かさを保つには」

経済力がどんどん落ちて、もはや二流国家になりさがろうとしている日本。ぎりぎりのところで立ち直すにはどうしたらいいのか。政党に求められているのは、国の力をみなぎらせるための政策のきそいあいだろう。

「反」 「脱」 「卒」ーーいろいろなものを否定ばかりしていて、その先をどうするつもりなのか。たしかに脱近代で、つつましやかに生きていくのもひとつの考え方かもしれない。しかし、子や孫の代まで豊かで自由な生活を営むためには、一流国家で踏みとどまろうとする頑張りがいるにちがいない。

将来の経済社会のすがたを全体として示す必要があるはずだ。政党には、明日の日本をたしかなものにするための大きな物語を語ってもらわないと困る。

そうしないと有権者は判断をまちがえる。ひとつの争点だけで選挙をやった結果、何がもたらされたかは過去2回が教える通りだ。

有権者の側にも、チェックポイントが少なくとも3つはいる。

第1は、過去の業績評価である。3年3ヶ月にわたって政権をになった民主党は、マニフェスト(政権公約)をどこまで達成できたか当然問われる。

辛い点がついて進級がむずかしいとなっても、それがマニフェスト選挙というものだ。

第2は、将来への期待である。各党の選挙公約に盛り込まれた各論の点検だが、その時大事なのは、政策を個別にみて比較するだけでなく全体としてとらえることだ。

それは前回の民主党マニフェストの教訓でもある。子ども手当てなどそれぞれは評価できても、それらをトータルに実施しようとして、しくじった。部分最適ではあっても、財源が限られている以上、全体最適ではなあかったからだ。

第3は、政党のあり方である。にわか仕立てをふくめて政党が乱立した今回、ここでも、民主党の教訓が生きる。理念や価値観がちがったメンバーが、選挙を目的にあつまったら、必ずどこかでつまずく。

利益の分配がもっぱらだった時代は理念を横においても、まとまっていけたかもしれない。不利益をどう分配するかの説得が政治の仕事となっている今日、もはや無理だ。

そのうえで、「決められる政治」に向けた政権の枠組みができるかどうかが焦点となる。

「政治の立て直し」

ところが、民主党政権が続いても、自公政権か、自公+第三極の政権になっても、参院の構成は同じだから、いずれも過半数には届かない。衆参のねじれ状況が続く。衆院選をやっても政治の局面は転換しない。

それが変わるのは民主党と自民党が組んだときだけだ。日本が二流国家なろうかという瀬戸際で、政治リスクを解消するには来年夏の参院選までは民・自公の協力政権のかたちを探るほかない。

おかしな話だが、今回の衆院選は準決勝でしかない。決勝は参院選だ。新しい連立や政党再編で、政治のかたちをととのえるのは、おそらくそのあとになる。

そうしたとしても、機能不全におちいった日本の政党政治を立て直すための選択は、この選挙からはじまる。

2012年12月5日水曜日

ゴン、感動をありがとう

MX-3500FN_20121206_141500_001

笑顔で記者の質問に答える中山雅史=松本康弘撮影

20121205 朝日新聞・スポーツ

元サッカー日本代表の中山雅史(札幌)が、現役を引退すると表明した。

「中山ゴン、箪笥にゴン、権太坂のゴン」、中山ゴンは中山雅史のことだ。これって?、私のオリジナルのフレーズ。

権太坂のゴンとは我が家の亡き賢犬ゴンのことだ。このフレーズを、テレビ画面の前で、ビールの勢いに駆(か)られて何度も繰り返し、日本代表の中山雅史を応援した。家族は呆れていたが、ゴンだけは私と目を見合い唱和に応じた。

サッカーボールを高校のサッカー部員として蹴り始めてから夢中に過ごした10年、それから40年も経っているのに、この熱だけは冷め切らない。Jリーグの発足が日本のサッカー界に大きな活力を生み、アジア、世界にもその影響を及ぼしつつある。目を瞠(みは)るばかりだ。サッカーファンにとって、この上なく嬉しい。現役の賞味真っ最中の選手や将来有望な選手たちの素晴らしいプレーに固唾を飲んで楽しんでいる。だが、私の飛躍を求める欲望はこんなもので留まらない。

名選手が引退宣言する度に、懐古、サッカーの歴史に名を残した素晴らしい選手を回顧するようになった。何故?年のせい?か。ベルリンオリンピックの日本代表が、優勝候補のスウェーデンに勝ったときの日本の代表選手の一人が、恩師、私の大学時代の監督、故・堀江忠男教授だ。私のサッカーの歴史はここから始まる

以後の名選手は大体理解している。今回現役引退を表明した中山雅史も燦然と、数々の記録もさることながら、プレーヤー・ゴンの人となりの強い印象をサッカーファンの心に刻んだ。Jリーグを発足初期の頃から大いに盛り上げ、ステップアップさせた功績は偉大だ。日本サッカー史における名選手として記憶されるだろう。指導者を目指すと聞いて、嬉しい。

「中山引退」の知らせを受けた日本代表FWとしてともにプレーした45歳で同じ年のカズこと三浦知良(横浜FC)は、「本当は、暗いヤツなんですよ」と記者を笑わせ、目に涙を浮かべたとネットで知った。この涙の意味は、はて、さて、、、私にも解るような気がした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

以下は20121205朝日新聞・スポーツからダイジェストさせてもらった。ゴンの筑波大学・サッカー部の先輩、朝日新聞の潮編集委員が後輩のことに熱筆を揮(ふる)っている。

 

45歳中山 笑顔で幕

現役引退表明  指導者へ意欲

サッカーの元日本代表FWで、Jリーグで157得点の歴代最多記録を持つ札幌の中山雅史(45)が4日、現役引退を表明した。札幌市で記者会見し、「勝負するステージに立てないと感じた」と語った。今後は未定だが、「コーチライセンスはとりたい」と、指導者への意欲を見せた。

「ドーハの悲劇」で知られる1993年のワールドカップ(W杯)米国大会アジア最終予選で活躍し、「ゴン」の愛称でファンに親しまれた。日本代表として国際Aマッチ53試合で21得点。94年にJリーグに昇格した磐田の主力として、J1のリーグ戦354試合に出場。157得点に「色んなゴールを決めさせてもらった。その一つ一つが、僕の財産」と胸を張った。

ーーー

大胆にして繊細な点取り屋

編集委員・潮智史

「うまい選手、才能のある選手はたくさんいたと思う。彼らに打ち勝ってきた武器、支えは何だったのですか?」。記者会見で質問して、名指しで答えが返ってきたのは初めてのことだ。

「負けず嫌いという気持ちだけ。うまい人、強い人を目標にいて、ライバル関係であっても尊敬の念を持ってしっかり見る。対抗するにはどう自分を構築したらいいかを考えてやってきた。一番最初に壁にぶち当たったのは大学1年生の時。4年生のDFに大きな存在がいた。それが潮さん!」

最後の会見でもサービス精神は全開だった。大胆にして繊細。そして、有言実行。筑波大で3年後輩だったゴンのそんな生き様はずっと変わらなかった。

天性の明るさよりも、悩み、静かに思いを巡らす姿が残っている。

1993年のW杯米国大会最終予選に負けて帰国すると「感動をありがとう」という大合唱が待っていた。傷心をいやす間もなく、正当な評価をされる機会もなく、「この大騒ぎは何ですかーー」と戸惑いを口にした。

「勝ったわけでも、勝ち点を取ったわけでもない。W杯まで来たら欲張りになりました」。そう話したのは98年のW杯フランス大会で初得点を決めたジャマイカ戦のあとだった。骨折した右足にギブスを巻いた車いすで悔しさを押し殺して未来を語った。

最も痛々しかったのは磐田を離れる時だった。11位に終った09年のリーグ最終戦を終えて、「僕の力でチームは立て直せない」とぽつりと言った。世代交代が待たれる中、挑発しても向かってこない若手を見て、さみしげに話した。

いつも共通していたのはチームや仲間への温かいまなざしだ。器用な技術はなかったが、最後まであきらめずにボールを追い、体でゴールに押し込み続けた。「ボールを渡せば、必ず決めてくれる」と誰からも信頼された。技術や戦術とはまったく違った次元で、ストライカーとして何が大切なのかを語りかける選手だった。

 

山岡

記者会見においても、偶然居合わせた先輩の質問にサービス精神大盛りの言辞を駆使できるゴンはさすがだと感心した。

2012年12月2日日曜日

久しぶりに蜂に刺された

セイヨウミツバチの大量死が世界的に話題になっているなか、日本在来の野生種であるニホンミツバチが注目を集めている。病気やダニに強く、湿度が高くても低温でも活動する。スズメバチに襲われても集団で立ち向かい、逆に殺してしまう技ももつ。日本で養蜂といえばこれまではセイヨウミツバチだったが、ニホンミツバチで産業化を目指す動きがある、という半年か1年前の朝日新聞の記事(編集委員・大久保真紀)を読んでいて、この夏、痛い目に合わされたスズメバチのことを思いだした。

image  imag

スズメバチ

今年の夏は例年以上に蜂が多かった。

弊社の生業は、中古住宅を仕入れて、間取りの変更や耐震の強化、設備の変更、内外装を新しく仕上げて、希望する購入者に買っていただくことだ。仕入れた物件のなかには、暫くの間空家だったものや、老人だけの住まいだったために、蜂が軒裏や庭の樹木の中に巣を作っていることが多い。今年は特に多かった。

弊社のスタッフで、私以外にも刺された者がいる。彼が刺されたのは頭部だった。工事担当の協力会社のスタッフも刺された。これらの蜂はどれもスズメバチだ。工事会社の人が言うには、今年は何処の現場でも蜂の巣を見かけるんです、とのことだ。

私が刺されたのは201209の中頃、横浜市泉区の中古住宅で、隣家の庭に飛び出している樹木を根元から、チェーンソーで切っている時だった。刺された場所は、耳の後ろの首の部分、頭髪の生え際だった。蜂は黒色の部分を襲う傾向があるらしい。その時、私は白い作業衣を着ていたが、黒い服を着ていると襲われる可能性が高いと聞く。化粧の匂いがするとか香水などをつけていると、襲われやすい原因になる。留意しておこう。

幸い針が深く刺さらないうちに身を引いたため、ダメージは軽かった。瞬間的に5、6メートルは後(あと)ずさった。大きく手を振って自分を防御したり、蜂を脅かすようなことはしなかった。地面に跪(ひざまず)いて上体を折り曲げた。威嚇しないことが、自分の身を守ることだと知っていたからだ。

子供の頃から蜂に刺されたらオシッコを塗りつけるように教えられていた。アンモニアが効くんだと。でも、この初老の私が、立派な家並みが続く高級住宅街の庭先で、そんな破廉恥なことは、さすがにできなかった。後で知ったことだが、この処方は全く効果がないらしい。

刺された部分に口を当て、毒を吸い出せなかったので、手の指で搾り出せるだけ搾ってみたが、結果、どれだけ搾り出せたかは不明だ。10分も経つと、指で触っても分かるぐらい膨らんできた。

image

蜂の巣

今此処で、蜂に刺されて困ったような文章を綴ってはいるが、子供の頃の私は逞しかった。真夏でも衣服を全身にくるんで素肌を隠した。月光仮面のように覆面をして手袋をして、蜂を巣から追い払い、巣を棒で地面に叩き落とした。そして巣の中に居る幼虫(ハチノコ)を引っ張りだして食った。このときの蜂の巣はアシナガバチのものだった。大きい幼虫は、噛むと牛乳のような白い液体が、口の中にこぼれ出た。嫌な味や匂いはしなかった。長野の友人は、子供の頃炒めて甘辛くしたものを食っていたと言う。

大人から滋養になると聞かされていた。小さな幼虫は、魚を釣るときの餌にした。