2012年12月31日月曜日

餅つき大会だぞ

20121229 私の年末年始の休日の3日目だ。

朝から晩までの一日の生活を記録した。朝、9時に次女の長男、私が目に入れても痛くない孫・晴を保土ヶ谷・権太坂に迎えに行って、時には真面目に時にはいい加減に世話するイーハトーブ果樹園で芋掘りをした。

残念、2ヶ月前に試し掘りしたときは新鮮で凄くいい物を収穫できたが、孫の冬休みを待っている間に、悪くなってしまった。私なりに手入れを怠りなかった心算だった。薩摩芋は元々、南の国の植物だ。凍てついたようだ。

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なかなか地面にスコップがささらない。いつかは、手伝ってくれることだろう。

 

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  収穫した薩摩芋。

11:00頃から近所の公園でサッカーをした。 近所の保育園児が遊びにきていて、何故か晴はその子どもたちが遊ぶドッヂボールを釘付けで見ていたので、どうしたんだと聞くと、自分たちも近いうちにドッヂボールの大会があるんだ、と言っていた。何か、勝つためのヒントでも得ようとしていたのだろうか。

ボールを蹴る能力は相当なものだ。左右のどちらの足でも、強く遠くへ蹴れる。まだ2年生だが、3年生の試合に出してもらうときはキーパーをさせられるので、キーパーの練習もしておかなくてはとコーチに教わったことを繰り返す。どこまでもサッカー好きの孫だ。キャッチングの基本を教えたが、それらは既に教えてもらっていた。

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保土ヶ谷・権太坂の次女の家で餅つきをした。 この杵と臼は、晴の友人のショーマの父が茅ヶ崎の実家から借りてきてくれた。参加者は、晴の保育園に通っていたときの同窓の仲間とその母親たちだ。参加者は30人はいただろうが、数えることはしなかった。

1人、2人、3人と少しケダネの違う人種もいたが、仲間の仲間が集まって、みんな仲間になるのだろう。植木屋のオジサンに本牧から来たという巨漢の若者。

 

ジジイ、暇なら大根でも擂(す)ってくれと頼まれた。手をきれいに洗ってよ。ゴマは擂り慣れているんだがと独り言、まあいいか!と引き受けた。何故、擂るが手偏に雷なんだろう? 変換機能はまめに教えてくれる。

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私が子どものころは、よく実家の餅つきを手伝った。田舎ではどこのうちでも、結婚したとか、家を増改築したとか、子どもが生まれたとか、一年じゅう餅をついていた。特に年末につく餅の量は多く、年末年始用だけではなく、その後の食べるものも含めてついた。

夕方、遊びまわって自宅に帰っても、野良仕事から帰った母が晩飯を仕上げるまでには時間がかかった。それに、外が暗くなっても父はなかなか帰ってこない。晩飯までの子どもらの空腹をまぎらわすために、祖母が火鉢で餅を焼いてくれた。餅のない時はお握りだった。

13歳の1月1日、お雑煮に入れた餅を13個食ったことがあった。丸餅で、今お店で売っている3倍ほどの大きさだったから、相当の量を食ったことになる。そして中学校のバスケットの初練習に出かけた。食えば食うほど家族は喜んでくれた。

 

この杵の使い方、腰の使い方、手馴れたものでしょう。ただ、持続力がないので、適度にお助けをお願いをした。久しぶりの餅つきに昔を思い出していた。

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餅を搗(つ)きだしたのは午後の2時頃から、搗き終わったのは6時ごろだった。もち米20キロを搗いた。周囲は真っ黒になっていた。「餅をつく」というときの「つく」はこの「搗く」を使うことを、またもや変換操作で知った。これも、何故、搗くが手偏に島なんだ。

搗き人とコネ役は交代交代でやった。みんながそれなりの癖を発揮して搗いてくれた。でも、安定度に関しては私が一日の長がある、自画自賛。

コネ役にも慣れたベテランがいて、他の人がやっているときには細々したチェックが飛ぶ。このコネ役指南の趣味は惜しみなく肌をさらして踊るベリーダンスだ。今回の稿に貼り付けた写真の中からその人を特定できますか。

参加者はめいめいに、家の中では台所や居間で外では臼を囲んで、子どもたちの面倒を見ながら、ビールやワイン、焼酎を飲み続けた。

「コネる」もこの際、変換機能で調べてみたら、「捏ねる」だった。捏造(ねつぞう)の捏だ。矢張り、手偏に日に土だ。

作業は自然の流れのように、母親たちがそれぞれに役をこなして進む。アウンの呼吸、一連の作業はスムーズだ。日常のコミュニケーションの成果なのだろう。男は、全て指示待ち。

今回の手偏の漢字の「擂、搗、捏」の成り立ちを知りたい。

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