2012年12月5日水曜日

ゴン、感動をありがとう

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笑顔で記者の質問に答える中山雅史=松本康弘撮影

20121205 朝日新聞・スポーツ

元サッカー日本代表の中山雅史(札幌)が、現役を引退すると表明した。

「中山ゴン、箪笥にゴン、権太坂のゴン」、中山ゴンは中山雅史のことだ。これって?、私のオリジナルのフレーズ。

権太坂のゴンとは我が家の亡き賢犬ゴンのことだ。このフレーズを、テレビ画面の前で、ビールの勢いに駆(か)られて何度も繰り返し、日本代表の中山雅史を応援した。家族は呆れていたが、ゴンだけは私と目を見合い唱和に応じた。

サッカーボールを高校のサッカー部員として蹴り始めてから夢中に過ごした10年、それから40年も経っているのに、この熱だけは冷め切らない。Jリーグの発足が日本のサッカー界に大きな活力を生み、アジア、世界にもその影響を及ぼしつつある。目を瞠(みは)るばかりだ。サッカーファンにとって、この上なく嬉しい。現役の賞味真っ最中の選手や将来有望な選手たちの素晴らしいプレーに固唾を飲んで楽しんでいる。だが、私の飛躍を求める欲望はこんなもので留まらない。

名選手が引退宣言する度に、懐古、サッカーの歴史に名を残した素晴らしい選手を回顧するようになった。何故?年のせい?か。ベルリンオリンピックの日本代表が、優勝候補のスウェーデンに勝ったときの日本の代表選手の一人が、恩師、私の大学時代の監督、故・堀江忠男教授だ。私のサッカーの歴史はここから始まる

以後の名選手は大体理解している。今回現役引退を表明した中山雅史も燦然と、数々の記録もさることながら、プレーヤー・ゴンの人となりの強い印象をサッカーファンの心に刻んだ。Jリーグを発足初期の頃から大いに盛り上げ、ステップアップさせた功績は偉大だ。日本サッカー史における名選手として記憶されるだろう。指導者を目指すと聞いて、嬉しい。

「中山引退」の知らせを受けた日本代表FWとしてともにプレーした45歳で同じ年のカズこと三浦知良(横浜FC)は、「本当は、暗いヤツなんですよ」と記者を笑わせ、目に涙を浮かべたとネットで知った。この涙の意味は、はて、さて、、、私にも解るような気がした。

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以下は20121205朝日新聞・スポーツからダイジェストさせてもらった。ゴンの筑波大学・サッカー部の先輩、朝日新聞の潮編集委員が後輩のことに熱筆を揮(ふる)っている。

 

45歳中山 笑顔で幕

現役引退表明  指導者へ意欲

サッカーの元日本代表FWで、Jリーグで157得点の歴代最多記録を持つ札幌の中山雅史(45)が4日、現役引退を表明した。札幌市で記者会見し、「勝負するステージに立てないと感じた」と語った。今後は未定だが、「コーチライセンスはとりたい」と、指導者への意欲を見せた。

「ドーハの悲劇」で知られる1993年のワールドカップ(W杯)米国大会アジア最終予選で活躍し、「ゴン」の愛称でファンに親しまれた。日本代表として国際Aマッチ53試合で21得点。94年にJリーグに昇格した磐田の主力として、J1のリーグ戦354試合に出場。157得点に「色んなゴールを決めさせてもらった。その一つ一つが、僕の財産」と胸を張った。

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大胆にして繊細な点取り屋

編集委員・潮智史

「うまい選手、才能のある選手はたくさんいたと思う。彼らに打ち勝ってきた武器、支えは何だったのですか?」。記者会見で質問して、名指しで答えが返ってきたのは初めてのことだ。

「負けず嫌いという気持ちだけ。うまい人、強い人を目標にいて、ライバル関係であっても尊敬の念を持ってしっかり見る。対抗するにはどう自分を構築したらいいかを考えてやってきた。一番最初に壁にぶち当たったのは大学1年生の時。4年生のDFに大きな存在がいた。それが潮さん!」

最後の会見でもサービス精神は全開だった。大胆にして繊細。そして、有言実行。筑波大で3年後輩だったゴンのそんな生き様はずっと変わらなかった。

天性の明るさよりも、悩み、静かに思いを巡らす姿が残っている。

1993年のW杯米国大会最終予選に負けて帰国すると「感動をありがとう」という大合唱が待っていた。傷心をいやす間もなく、正当な評価をされる機会もなく、「この大騒ぎは何ですかーー」と戸惑いを口にした。

「勝ったわけでも、勝ち点を取ったわけでもない。W杯まで来たら欲張りになりました」。そう話したのは98年のW杯フランス大会で初得点を決めたジャマイカ戦のあとだった。骨折した右足にギブスを巻いた車いすで悔しさを押し殺して未来を語った。

最も痛々しかったのは磐田を離れる時だった。11位に終った09年のリーグ最終戦を終えて、「僕の力でチームは立て直せない」とぽつりと言った。世代交代が待たれる中、挑発しても向かってこない若手を見て、さみしげに話した。

いつも共通していたのはチームや仲間への温かいまなざしだ。器用な技術はなかったが、最後まであきらめずにボールを追い、体でゴールに押し込み続けた。「ボールを渡せば、必ず決めてくれる」と誰からも信頼された。技術や戦術とはまったく違った次元で、ストライカーとして何が大切なのかを語りかける選手だった。

 

山岡

記者会見においても、偶然居合わせた先輩の質問にサービス精神大盛りの言辞を駆使できるゴンはさすがだと感心した。