2020年10月12日月曜日

鎮魂 石川啄木の生と詩想

           著者・遊座昭吾(ゆうざ しょうご)
発行所・株式会社里文出版、
価額は110円

いつのことだったか忘れたのだが、この石川啄木と東京芸術大学の教授のことを、新聞か雑誌から仕入れて、そのことをブログに書かせてもらったことがある。
ところが今回の本は、啄木に非常に近い人が著者で、著者①と啄木②は言うまでもなくシューベルト③に東京芸術大学の音楽部オペラ科の大町陽一郎教授④のことを揚げていた。この四人の相関関係と言ってしまえば、ちょっと下種(げす)なヤマオカらしいか?

この本もいつもの通り古本の安売り店で買ったもの。
最初の2,3ページまで読んで余り興味が沸いてこないので、枕の奥に置いておいた。
必ず読みたくなる日がくるだろう、その節にはゆっくり読もうと決めていた。ところが、10ページ辺りで思わぬ内容にギョットきた。

繰り返すが、四人とは著者と啄木、大町陽一郎教授とシューベルトのことだ。


岩手県盛岡市渋民にある万年山宝徳寺に啄木の父・石川一禎が入山した。
その時には幼い啄木もこの寺で過ごした。
この本の著者である遊座昭吾の父が祖母と共にこの宝徳寺に迎えられ、啄木の父一禎が住職を罷免され、石川一族は寺を去ることになった。
著者が石川一族について知り始めたのは、祖母の怨念に満ちた断片的な語りからである。
そして、やや正確に啄木のことや、石川一族と遊座家との因縁を知ったのは、父のことばからであった。
父のことばは、しかし醒めていた。
啄木の愛好者が訪れると、かって啄木の愛した部屋に通し、時を惜しまず、楽しげに語り続けていた。
祖母の怨念は、何故か父に継がれてはいなかったようである。
著者の兄の心入れで、一偵和尚の墓も、著者の父、兄、祖父とともに万年山の墓所に眠り続けている。
境内に歌碑を建立し、啄木一族の鎮魂に努めた。


この四人のこととは、、、、この本「鎮魂 石川啄木の生と詩想」より。
国際啄木学会北海道大会(1993)で、私は大きな人との出会いをもった。
世界的に活躍されている指揮者で、現在東京芸術大学の大町陽一郎教授である。

だが、そうした世界的音楽家である大町氏と国際啄木会とは、私の気持ちの中でどうも結び付かなかった。
しかも、大町氏は大会の全日程に参加されたのである。

だから、私は敬意をこめて、参加への謝意を述べたが、「それにしても、先生がどうして啄木をーーーー」と付け加えねばならなかった。

そのとき、即座に返して下さった大町氏のことばに、私は衝撃を受けた。
「私はどうしても啄木の歌を読んでいると、シューベルトの音楽が聞こえてくるのです」と前置きし、啄木とシューベルトに対するご自身のの思いを熱く語って下さったからである。

世界の音楽を胸に、心にふくみ、その音の世界に常に臨んでいる音楽家が、人と生活と自然をうたう啄木の三十一文字を、音に翻訳し、それをシューベルトの音楽に同調させている。
私の受けた衝撃は、啄木の歌が音として西洋音楽に通じていることへの驚きであった。
「トーンディヒター」、「音の詩人」と称され、チフスで三十一歳で亡くなった西洋、西洋のシューベルト。
一方、国民詩人と呼ばれ、胸の病で二十六歳で亡くなった東洋、東洋・渋民の啄木。
ともに放浪し、漂泊した。
だがそのような短い生涯の中で、一人は抒情的音楽を創造し、音楽の歴史にエポックを画した芸術家、かたや抒情的文学・歌を創造し、万葉集以来一行で記すきまりを、三行書きにする異形のスタイルを編み出して、歌の文学史に登録された芸術家である。

この二人は、ともに世間の習慣にこだわらず、自由に生き、それだけに苦悩し、自己の芸術の峰を築いた音楽家、文学者である。
たしかにその生き方は似ている。
それにしても、世界的音楽を知り尽くし、その音楽を胸の中で奏でられる大町陽一郎氏の言葉には驚いた。

2020年10月2日金曜日

抗議のマスクと一編の詩

 20200927朝日新聞・朝刊/総合3

日曜に想う 編集委員・福島申二

抗議のマスクと一編の詩


決勝までの試合数に合わせて7枚の黒いマスクを用意し、すべてを使い切って頂点に立った。マスクには警察官などの暴力で落命した黒人被害者の名前が一人ずつ、計7人記されていた。

テニス全米オープンでの大坂なおみさんの思いの丈を表現した行動に、胸に浮かんできたのは、やはりこの一編の詩だった。川崎洋さんの「存在」という作品で、詩の末尾はこう結ばれる。


「二人死亡」と言うな

太郎と花子が死んだ と言え


人は誰もその名前でいとなまれた人生がある。かけがえのない「存在」を数字の中に置き去りにするな、という含意詩句であろう。それは3週間前に当欄に書いた、シベリア抑留犠牲者の名を読み上げる追悼にも通じるものがある。

忘れることにあらがう。思い出してもらう。知ってもらう。そして考えてもらう。大坂さんにも同じような意思があったことを報道で知った。

この人の言動には、人に何かを気づかせるものがある。「あなたの身に起こっていないからといって、それが起きていないということになりません」。5月にツイッターで発信された言葉に、黒人への差別という域をこえて、他者の苦難への無知や無関心にはっとさせられたのは、わたしだけではなかったと思う。

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大坂さんが優勝したあと、自宅の本棚から、米国の批評家で作家だったスーダン・ソンタグ(2004年没)の「他者の苦痛へのまなざし」(北条文緒訳、みすず書房)を抜き出してみた。

こんな個所に傍線が引いてある。

「彼らの苦しみが存在するその同じ地図の上にわれわれの特権が存在し、或る人々の富が他の人々の貧困を意味しているように、われわれの特権が彼らの苦しみに連関しているのかもしれない」

そう考えることが大切と著者はいう。

「特権とは富豪とか高貴とかいう意味ではない。たとえば、日本のようにまずは穏やかに統治された国に居住し、抑圧されたり、飢えたり、戦火におびえたりせず、遠くの人々の苦難をニュース映像などで視聴できる立場にいることをさす。つまり私たちのことである。

同情は無責任だとソンタグは言う。善意であっても同情は「われわれの無力と同時に、われわれの無罪を主張する」からだ。理不尽は私のせいではないし、私にはどうしようもないーーそうした意識のことだろう。言われてみれば同情にはどこか甘美な諦念が含まれている。

思い浮かべるもう一編の詩がある。石川逸子さんの「風」という作品だ。次のような一節がある。


遠くのできごとに

人はうつくしく怒る


自分からは遠い理不尽に対して人は美しい正義感を抱く。だがそうしたときの怒りや、他者の痛みへの共感は、感傷や情緒のレベルに終わりやすい。思えば人種差別について、わたし自身どれだけ主体的に考えられているだろうか。大坂さんのリアルな行為を映画のシーンのようにいっとき心地よく消費して終わらないよう、ここは自問しなければなるまい。

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チャップリンの名作「独裁者」が米国で公開されて80年になるという。世界にファシズムの暗雲が広がった時代、映画の結びのヒューマニズムあふれる名高い演説は多くの観衆の心を打った。

「わたしたちは、他人の不幸によってではなく、他人の幸福によって、生きたいのです」--。時をへた今も演説の一語一句が胸に響く。言葉の輝きが失せないのは、しかし、おびただしい「理不尽な不幸」が地上から消えていない証しでもあろう。どの国に生まれたか、どんな肌の色、どの性で生を受けたかーーそうしたことによって尊厳がひび割れてしまう世界は21世紀も続いている。

大坂さんの「抗議のマスク」には批判もあると聞く。しかし勇気とともに行動に移した胸中には、こんな言葉が鳴っていたのではと想像したくなる。「君が他人の始めるのを待つ限り、誰も始めはしないだろう」。反戦の哲学者、フランスのアランが残した忘れがたい真実である。


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追記

 人種差別撤廃を訴え、黒人被害者の名前入りマスクを着けて今年の全米OPに臨んだ女子テニスの大坂なおみが、12日の決勝戦後にその意図について、「人々が議論を始めるきっかけを作りたかった」と語った。ニューヨークで8月31日から9月12日までの間に撮影(2020年 ロイター/Robert Deutsch and Danielle Parhizkaran-USA TODAY Sports/via REUTERS)

[ニューヨーク 13日 ロイター] - 人種差別撤廃を訴え、黒人被害者の名前入りマスクを着けて今年の全米オープン(OP)に臨んだ女子テニスの大坂なおみが、12日の決勝戦後にその意図について、「人々が議論を始めるきっかけを作りたかった」と語った。

大坂は12日のシングルス決勝を制し、自身3回目となる四大大会優勝を飾った。日本人の母とカリブ海の島国ハイチ出身の父を持つ同選手は、1回戦から決勝までの試合数に合わせて用意していた7枚の黒人被害者の名前入りマスクを全て着用。最後のマスクには、2014年に米オハイオ州で警官の発砲を受け、12歳で亡くなった黒人少年タミル・ライス君の名前が入っていた。

決勝戦後のインタビューで、マスクを着用した意図を聞かれた大坂は「人々が(人種差別についての)議論を始めるきっかけを作りたかった」と回答。「より多くの名前を見せたいと思ったことで、もっと勝利したいという気持ちが湧いたように思う。それが私をさらに強くした」と続けた。