2008年3月29日土曜日

民事再生法はテロだ

先日深夜、当社の取引会社がインターネットで情報を公開した。その内容というのは、取引会社が、その日、取締役会にて民事再生手続開始申し立てを行うことを決議し、同日所轄裁判所に受理されたこと。その結果、弁済禁止の保全処分の発令を受けたので、カクカクシカジカのお知らせいたします、ということだった。それと、もう一つ民事再生手続開始の申し立てを行ったことから、取引会社に対する債権について取立不能又は取立遅延のおそれが生じましたのでお知らせいたします。そんな内容が、突然、インターネットで流され、翌日の新聞に電撃的に発表された。この手の情報公開は、昼間を避けて深夜にやることが多いらしい。夜陰に乗じる? おかしいぞ、こんな情報公開こそ、白昼堂々とやってくれ。

翌日早速、当社に事業資金の融資をして頂いている金融機関の担当者から、内容確認の電話があった。私には、寝耳に水の話だったので、これから正確な情報を入手して報告します、また当社と取引会社との債権債務についてもまとめて報告しますから、しばらくお待ちください、と言って受話器を置いた。早速、帳簿、契約書をチェックした。調査の結果、当社と取引会社との債権債務は、当社の主要事業にはさほど影響はないことが判明した。取引会社と当社の関係を知っている人には、心配をかけてしまった。友人が気になって電話をくれる。何人かの友人には、余分な気を遣わせてしまった。持つべきものは、友人だ。

民事再生はテロですよ。

懇意にしてくれている金融機関の担当者は、私が少し内容を話しただけで、テロですよ、なんて言葉を発して私を驚かした。それではこの際、テロについて学術的?な知識も、今後必要になるだろうから、ここで一つ学習してみることにしますか。

テロの語源をインターネットで調べた。テロリズムの語源は、フランス革命末期のロベスピエールの恐怖政治の「terrerur、テロール、恐怖」よりきている、とある。それでは、テロの定義はどうかというと、日本の国内においてもいくつかの法令でテロリズムに関する規定を設けている。自衛隊法81条の2第1項では、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で多数の人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊する行為」とある。不特定多数の個人間、あるいは社会に介在する「合意」に対して物理力やある種の表現をもって介入し、衝撃を与えることで混乱や狼狽を誘い、結果として明示的なり暗示的なりに拘束されてきた合意事項を破綻させることを目的とする。生命や財産の継続性は社会契約の前提であり、これを遮断することによって合意の継続を困難にする手法である。

インターネットによる学習はここまでにして、ここからは当社担当の金融機関の人の話に戻ろう。事業資金を融資している会社とは、コミュニケーションを密にしていると、その会社の内容が苦もなく分かるものなのです。事務所の中が、まず埃っぽくなる。清掃が行き届かなくなる。社長と連絡が取れにくくなる。社員の意気が上がらない、社員の口からは会社の批判や社長に対する悪口が漏れる。社長は、世間や役所や銀行に対して愚痴っぽくなる。そして怒りっぽくなる。そういう状態になると、金融機関は貸付金の回収に比重がかかってきて、事業は先細りの一途をたどり、結果的に息の根が絶えるのです。これが、企業の事業や財務状況が悪化していく一般的なプロセスです。金融機関に働いて居る者には、これが普通の貸し手と借り手の関係なのです。でも、民事再生はちょっと違うのです。

民事再生手続き開始の申し立ては、社員も知らないうちに行われることがよくあるのです。取締役会が開かれ、そこで決議され、限られた社員だけが秘密裏に書類の作成に入るのです。担当役員と限られた社員だけが、担当弁護士事務所に缶詰になって書類を作成する。会社は、いつもと変わらない状態で業務がこなされていく。危機的な状況にあるなんて雰囲気は、これっぽっちも匂わせない。あくまでも、平静に安穏な時間が過ぎていく。対外的には当然、社内的にも一切情報は一滴も漏らさない。そして、予定した日時に、ドカーンとくるのです。取引会社に何の相談もなく、藪から棒だ。平和な市民社会を、瞬時にパニック状態におとしめる、テロだ。取引会社の都合なんて、何の斟酌(しんしゃく)もなく。これこそ、テロですよと主張する金融機関の担当者の言辞は全く当を得ているように思うのは、私だけだろうか。

2008年3月22日土曜日

連帯保証人はキツかあ!!

先日、大学のクラブの後輩と横浜で会った。話は次の様な事だった。

後輩は大学を卒業して、父親が若い頃創業してその経営権のバトンタッチを受けた兄が社長をしている会社に入社した。生業は、魚産物の卸と小売だ。約30年前のことです。当時もその会社は経済的には大変だったのだが、父親はここで倒産するとたくさんの人に迷惑をかけることになるので、もう一(ひと)頑張りしようや、ということで、金融機関にも借金の先延ばしをしてもらい、兄弟がタッグを組んでここまでやってきた。この先延ばしの際に、会社の借入金に兄と弟である後輩が連帯保証をしたのです。当初は頑張ればなんとかなると考えていたのだろうが、その後世の中、流通とくに物販については根本的にそのシステムは激変した。昔ながらの魚屋さん、八百屋さん、雑貨屋さん、肉屋さんからは客離れがして、大駐車場を備えたスーパーやショッピングセンターに客は奪われた。私の住んでいる住宅地にある分譲当時からの商店街には、今、買い物客の人影はない。30年前、私がここに引っ越してきたときには、魚屋に寄って八百屋に寄って酒屋さんに寄って帰ったものです。魚屋さんに海産物を卸して廻っていた後輩の会社も、その取扱量がガタガタに減って、商売は、陽が翳(かげ)っていく一方だった。

そして、ここへきて、ギブアップ。2回目の不渡りを2週間前に出したのです。

私と後輩は実は1ヶ月前に後輩たちの同窓会で会っているのです。その1年に1度の同窓会というのは、後輩と前後して卒業した気の合う者たちが集まって、サッカーの試合を楽しんで、その後昔話に花を咲かせては、鱈腹酒を飲むのです。私にとって仕事関係以外では唯一楽しみにしている集いなのです。

後輩はその会の帰途、自宅に向かっている最中に、奥さんから電話を受けたのです。「お義兄(にい)さんがやってきて、会社が倒産することになった。会社は破産、俺も破産するのでT(後輩)に言っておいてくれ」と。突然の話でもあるし、事が重大すぎることに後輩の奥さんは驚いた。何が起ころうとしているのか、心配で心配で、とにかく夫である後輩に話さなくてはならないと思い、彼に携帯電話をかけた。そうだったのか。突然、そんな無茶な話ってないよな。自宅に着いて夫婦で話し合った後、私のことを思いついて、私に電話してきた。私は後輩たちの状況の詳細が知らされる前に、大好きな後輩だったから、つい気を許してしまい、開口一番怒鳴ってしまった。なぜ、そんな大事なことを、同窓会で会ったときに俺に言わなかったのだと詰めた。この類の処理では、時間との戦いが大事であることを日常の業務で私は知っているからだ。突然だったのだ。

このような事態になって、最初電話を受けてから2,3日後に横浜で、後輩夫婦に会うことになった。詳細に聞いて、私なりに今後の想定される手続きを話した。そして、永い付き合いの司法書士さんにも、アドバイスをもらった。この司法書士さんに会わせて、ガタガタしてもしょうがないから、落ち着いて事に当たりなさい、と安心するように言って貰うのが、私の作戦でもあったのです。奥さんにも、少しはリラックスしてもらえたようだと、私は満足した。懇意にしていただいている弁護士さんのなかで、黒田弁護士がこの案件には適していると考えて、弁護士事務所へ後輩夫婦を案内した。

弁護士事務所で言われたことは、私なりに想定していた内容と同じだったが、ここであらためて書き置くことにした。①連帯保証とは、保証人が主たる債務者と連帯する保証債務のことです。人的保証です。②催告の抗弁権をもたない。債権者は主たる債務者に対して催告をしないで、いきなり連帯保証人に請求することができる。よって、債権者の求めに応じて直ちに連帯保証人が主たる債務者に代わって弁済しなければならない。③検索の抗弁権をもたない。債権者は主たる債務者に対して執行しないでいきなり連帯保証人に請求することができる。④共同連帯保証人がいるからといって持分のみで良いと考えてはいけない。⑤但し、一括弁済したときには他の連帯保証人に対して求償できる権利は持っているが、権利を行使する前に自らが悲惨な状態に陥る危険性が高いということを認識する必要がある。⑥このような事態を想定するならば、決して連帯保証人になってはならない。ーーー①~⑥はインターネットにのっていた文章を引用させていただいたが、黒田弁護士から伺った内容もこの通りだった。

奥さんの真面目さが、私には新鮮でまぶしかった。永い間、このような生真面目な人を見たことがなかったような気がした。久しぶりだ。彼女は、筋肉がドンドン弱っていくという難病に罹った実父の長期にわたる介護を一手に引き受けてきた。数年前に父はなくなったが、その看護の献身ぶりには、後輩も感服したと言っていた。その間に夫婦仲は一時的に壊れましたと後輩は苦笑していた。その父が娘夫婦の住宅の庭に、生前大事にしていた庭木をプレゼントしてくれた。この家で、家族が悩んだり、励まし合ったりして暮らしてきました。子供もこの家で、私に叱られたり、褒められたり、子供等は私が言うのも変ですが、いい子に育ってくれました。この家は、そんなうちの家族の全ての証人でもあるのです。庭木はお父さんなのです。いつも、我が家を心配しながら、見守っていてくれているのです。そんなこんなで、私はこの家を絶対手放す訳にはいかないのです、と言い切った。彼女の強い意志に心が打たれた。

後輩は、どういう立場で経営に参加していたか分からないのだが、法人登記簿の欄に取締役と登記されていて、取引の相手先に専務取締役と肩書きされた名刺を差し出しているようでは、商法上も立派な経営者だ。例え、社長の補佐的な立場だったといえども。でも後輩は、社業が思わしくなくなってきたのを機に、社長と話し合った結果2年ほど前に会社を退社して、友人の会社に勤めを変えたのです。そして、後輩はかって取締役をやっていた会社のことはすっかり忘れて、自分に与えられた職場で頑張っていた。職場が変われば、今までよく似た業界にいたといえども、学ばなくてはならないものが多くあって、それなりに刺激があって生活は充実していた。今までの経験が活かせて、職場の若手社員には、先生役だ。

そんな矢先の出来事だった。そこで、後輩は連帯保証人たる意味を復習して、それなりに大体は理解できたけれども、この先予想される事態はいかに?頭のなかは不安だらけで、他のことは何も入らない。何も手につかない状態なのです、と赤信号を私に向けて点けてきた。

後輩の会社の借り入れ資金に関する連帯債務の内容を調べてみると、連帯債務を負う借入金は2行(アとイ)の銀行からのもので、アは多額だけれどもイは割りと少額だった。後輩の自宅にはイからの住宅購入資金のローンが借り入れた当時は1500万だったが、今では残高が600万円に減っていた。自宅の土地建物にはそのイのみの抵当権しかついていなかったのが、幸いだった。私はイの担当者に電話をして、後輩の家を買いたいので幾ら支払えば、抵当権をはずしてくれますか?と聞いてみた。その内容は個人情報なのであなたには答えられない、とのことだった。当然の話だ。私との電話を終えてすぐに、イの担当者は、後輩の自宅を訪れ、内容の全てを知るためにあれこれ情報を求めたらしい。後輩の兄の会社が不渡りを出したことは、金融機関なら当たり前に知っていて、自らの銀行もその会社からの回収の方法を考えていたのだろう。否、回収できないと諦めていたのかも知れない。でも、この後輩からは、少しでも回収できそうな可能性がある、とも考えていたと思われる。今後、当行からは、きつい表現で申し訳ないのですが、文書が次々に届きますからよろしく、とも言った。自宅の土地建物についている抵当権を抹消するには、残高600万円と、連帯債務されている金額を揃えていただかないと抹消できません、これが当行の結論です、と言い置いて帰った。連帯債務をしているイの借入金額は、前の方で少額だと書いたけれども、それは私の不動産屋としての一般的な考え方だけれども、リストラを受けての再就職、それも50半ばの給料では、それは大変な高額なものになる。その二つを加算した金額は、到底一度には返済できない金額だった。

う~ん、じゃ、どうするか?。後輩の奥さんはこの家を絶対離れたくない、放したくないと言い切る。私と後輩とは35年の付き合いだ。大好きな後輩だ。なんとかしてやりたい。

イは後輩がかって役員をしていた会社からは回収が困難になると予想しているだろう。が、後輩の身辺の状況から、後輩からはいくばくかの回収は可能だと目論む。時間が経過していくと、連帯保証人の資産、会社の資産が管財人の管理下になっていく。そうなると、後輩の自宅もガチャガチャになる。ガチャガチャになると言ったって、何も物理的に乱されるということではなく、権利関係において民事訴訟法の手続きに進んで行くということです。法的な手続きに入るということです。言い換えれば、利害関係者間の話し合いは、もうできないっということなのです。そうなったら、イの目論見は雲散霧消だ。イも焦っている筈だ。

私は、イにお伺いするためにアポイントをとった。どうか、早い時期に、私たちの提案に承諾していただきたい。時機を逃すと、御行の回収は目減りする一方ですよ。アが次の手を打ってこないうちに、やっちゃいましょうよ。私は熱く説得した。融資の担当者も支店長も、私の話を真剣に聞き耳を立ててくれた。抵当権を抹消して欲しい当方の提示額を、何とかあと少し伸ばしていただけないでしょうか?敵はなかなか諦めてくれない、どこまでも食い下がってくる。支店長は、後輩に詰め寄る。後輩は答えた。私の一存ではどうにもなりません、このたびのことは、私が原因を作った張本人なのですから。痺れをきらしたイ側は、解りました、あなたたちの提示額で本部に決裁を求めるべく稟議を上げてみましょう、ということになった。そうして稟議は予定通りで決裁され、本日、抹消登記を終えた。

ここで、やっと私が世間に問いたい本論に入れることになる。それは連帯保証のことです。私のような中小企業の代表取締役で、事業の前線部隊の隊長を任されている者にとって、会社の事業資金の借り入れに際して、その債務に連帯保証を求められるのが、原則になっているようで、私はそれなりに理解している。--のですが、この連帯保証ということについて考えてみたいと思う。

債務が続く限りいつまでも、いつまでも連帯保証は続くものなのですか?連帯保証人は、加齢、病気、怪我による身の回りの事情が変化することだってある。経済的事情も変化する。主たる債務者との人間関係も変化する。そんな事情の変化にもかかわらず連帯保証は厳然といき続けるものなのですか。連帯保証を降りたいと思いつたら、どうすればいいのですか?あなたでは連帯保証人には物足りなくなったので、代役を立ててください、と言ってくれるまで待つのですか。私には、もう連帯保証人が務まりませんと言って、聞き耳を持ってくれるのですか。

現在の金融システムでは、担保物件の評価が十分でも人的保証が求められ、連帯保証人にさせられることは、よく理解できます。物的保証以上の保証を人間(人的保証)に求めないで、その会社の内容に資金を貸す側の担保取りをすれば、済むことではないのか。何が何でも人的保証をなくせ、とは言ってはいないのですが。又、どうしても追加保証を求めたいときには、せめて保証人の有する資産の範囲内に限るようにすべきではないか。

2008年3月6日木曜日

どこまで、鈍感なんだ。

鈍感な会社ぶりを見事に発揮してくれたではないか。さすが、立派な会社だ。

今回は、日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会をめぐり、グランドプリンス新高輪が、いったん予約を受けた会場の使用を拒んだことだ。宿泊客の安全を重視し、会場の使用を認めた裁判所の判断に従わなかったことを、記者会見で説明した。あたかも、自分たちには,責められることは何もないのだといわんばかりに。会見したのは、プリンスホテルや西武鉄道を統括する西武ホールディングスの後藤高志社長とプリンスホテルの渡辺幸弘社長だ。

営業の窓口になった担当者は、当初予約を受ける際に、上司に報告して了解を求めたと言っているそうだ。担当者や上司は、週ごとの、月ごとの営業会議で報告して、その施設の最高責任者も承諾した上で、ことは進められだのだと思う。受付をした担当者は、会社に居ずらくなって退社した。正直な担当者をみんなでいじめたのだろう。この会社には、昔から「この野郎」と目星をつけらると、居られない雰囲気を醸し出すのです。ヒステリックに。日教組の教研集会では、毎年街宣車が多数駆けつけることは、誰もが知っていることだ。このことも、社内では当然議論された。その上で、内金を受領しているのです。それを、日教組側がどれほど混乱を招くか説明を事前に十分しなかったという民法上の説明義務違反があったなんて、よくも白々しいことを言うもんだ。裁判所が下した会場使用を認めた仮処分に対しても「正しいとは思っていない。日教組が11月まで何の説明もしてこないのは異常。裁判所にもそこを分かって欲しい」なんて述べた。社内ではそんなことにはなっていない。司法の判断をこれほど軽視していいものなんですかね。

私には、まずは日教組に対して謝罪をして、それからいろいろ検討した結果受けられなかったのだというならば、そういうこともあるよなあ、と理解に努めることはできたのだが。この会見は、むしろプリンスホテルが日教組に抗議しているように見えた。日教組が悪いことをして叱られているようだった。

何かが可笑しいぞ。

それからホテルは、日教組の組合員の宿泊も断っており、旅館業法の疑いももたれている。このことを知ったとき、ピ~ンと頭に思い浮かんだのは、元ハンセン病患者の宿泊を拒否して営業停止の処分を受けた熊本か宮崎の宿泊施設のことだ。この施設の責任者も当初は、何やら発言したのだが、ことの重大性を悟り、前言の誤りに謝罪し頭を深く下げた。この事件も、宿泊施設の運営に関っている者ならば、誰もが知っている。その後、この宿泊施設の運営会社は倒産したと聞いた。

この会社の恐ろしいことは、社会から批判を受けても平気の平左衛門でいられることなのです。謝罪することも過去に何回もあったけれども、そのどれもが、我が心其処にあらずの態(てい)で頭を下げた。他人事のように。

少し前のことを思い出してください。

この会社の創業2代目社長が、証券取引法違反で頭を下げた会見が印象深い。偉大な父親が創業して、一時的といえども世界一金持ちだったこともある会社を、俺は辞めるから、後はみなに任せると身を引いた、その無責任ぶりには、おったまげた。それからグループ内のプロ野球球団が野球協約違反で頭を下げたときのことです。これは太田秀和社長だった。私が宣伝部だったとき、となりのブーツがプリンスホテルの総務部で、彼は総務の仕事の一環として野球部の仕事をしていた。この太田社長も創業2代目社長も、アンタ本気なのか、と疑いたくなるほど平気な顔面(かおつら)で頭を下げた。本気で悪いと、反省しているのだろうか?

創業2代目がそうなら、関連会社の社長も推して知るべしだ。そして今回も、同じだ。

この会社は、私が学校を卒業して、夢を胸いっぱいに膨らませて入社した会社です。その会社の余りのくだらなさにイヤ気がさして、昭和59年初夏、9年7ヶ月お世話になって退社した。隙間風が吹いたのです。某電鉄会社の親会社でした。観光レジャーにおいて、その事業展開に凄まじいものがありました。私はその拡大されていく事業の宣伝を担当するセクションに5年程従事したのです。宣伝部に配属された当時は、目につくもの、やること、全てが興味や関心をそそるもので、仕事の内容については楽しくてしょうがなかった。上司からは訳のわからないほど怒鳴られ、取引会社の担当者からは気の毒がられ、後輩からは激励され、心ある先輩からは同情され、それでも元気に頑張っていました。私の出身は京都府でも琵琶湖寄りだったので、近江地区でオープンするホテルの宣伝物の担当を命じられたときには、深夜12時ごろまで働いた。面白かった、楽しかった。仕事をさせてもらって、給料もらって、申し分なかったのですが、---。その宣伝部時代に、プリンスホテルの社長さんの渡辺幸弘さんと同室で仕事をしたのです。その渡辺社長が、今回の日教組との経緯の説明をするための記者会見に現れたので、懐かしい思いが吹っ飛んで、ああ、やっぱりなあ、と口ずさんでしまった。渡辺社長だけでないのですが、この会社ではコンプライアンス(法令順守)、「世間の常識」についての意識が希薄なのです。入社して、中間管理職、上級管理職、役員に上り詰める過程で、学習をするということが抜け落ちたままで進んで行く、世にも珍しい会社なのです。そのパターンを創業2代目社長が、学生時代の仲間と偏狭な論理を基に作り上げた。外部からの賢者も、サポーターも求めなかった。最後は惨めな裸の王様になるのです。

今から振り返って、思い返せば上司と名のつく人間たちは、何かに追われていたような気がする。幹部は魔物に取り憑かれていた。単細胞人間が、みんなを単細胞化していった。その魔物の存在に脅えていた。その魔物は、その会社の創業2代目社長さんのことだ。

2代目は、偉大な創業者の良いところは習わないで、くだらないことばかり猿真似をしていました。例えば、女をあっちこっちに囲うことや、会社の施設を個人的に使って憚らない。調整区域内では社員研修所としてしか許可が得られなかった建物は、壁が大理石で本宅用として居住に使われている。お前たちは、何も考えなくてもいいのだ。考えるのは、私だ。こんな調子で箱物だけを、ドンドン作り続けた。ソフト面はお構いなし。私が2年間働いた事業所では、支配人は、皿も、テントの色も、テーブルさえも自ら決めるのではなく、創業2代目社長に判断をあおいだ。俺は、与えられたものをキチンと守るだけでいいのだと、定年まで堅く勤めあげた。そこの支配人は、戦歌を歌いだしたら社員の誰をも圧倒 した、めでたい御仁でした。こんな人しか生き残れない会社だったのです!!

上記の内容を公開した翌日に、以前プリンスホテルに勤めて辞めた友人に会った。これからは、彼が話してくれたことです。JRのとある駅の構内に建築したホテルの責任者が、開業に際して、近隣で同業者でもあるプリンスホテルに挨拶に行かれたそうだ。そしたら、JRの責任者は、応対したプリンスホテルの支配人の腕輪が余りにも目立ったので、私は驚きましたと言っておられたそうだ。「なんじゃ、あれは?」とは言っていないそうだが、私にはそんな言葉がなんとなく聞こえてきそうだ。私には興味がないのですが、お坊さんが使っているような大きな数珠のようなものです。ヒスイを材料にして幸運にあやかりたいとか、マグネットのようなもので血流をよくする効用があるとか、結構流行っている、あれです。私には偏見があって、あれは普通の人は身につけないもんだ、と思っていました。日本のビジネス社会では、初めて会うと、まずは名詞を交換するのが慣わしです。その時に、大きな数珠まがいのものを見せられたら、相手は戸惑うことぐらい、考慮しなくてはいけないのではないか。この支配人は、先にに書いた戦歌を歌いだしたら、誰をも脱帽させる支配人とは、大学のクラブの先輩と後輩の関係だ。こりゃ、しょうがないのかなあ。



2008 2 28朝日朝刊 社説

プリンスホテル 少し勇気をだしたなら

「日教組(日本教職員組合)に会場を貸すことはけしからんと知らしめることが一つの目的。我々が迷惑だという理由で貸すのを断念したとしても、それはそれで結果が出た」

これはある右翼幹部の言葉である。

東京のグランドプリンスホテル新高輪が日教組に教育研究集会の会場を貸すのを断ったことは、右翼団体の思うつぼだったのだ。街宣車で騒音をまきちらし、威圧的に走り回れば、集会をつぶせるという悪い前例を残してしまった。

そうしたことをプリンスホテルはいくらかでも反省しているのかと思っていたのだが、そうではなかった。ホテルの社長や親会社の社長が初めて会見し、「ホテル側としての安心安全を考えることも同義的責任」と述べ、会場使用を断ったことの正当性を改めて主張した。

会場に使わせよ、という裁判所の命令についても、プリンスホテルは「正しいとは思っていない」と述べ、命令を無視したことの非を認めなかった。

ホテルの周辺に街宣車が押しかければ、泊り客や結婚式の客だけでなく、周辺地域にも迷惑となる。当日は多くの学校で入学試験が予定されており、道路が封鎖されれば、会場に向かう受験生らが混乱する。それらが、いったん受付た予約を取り消した理由だった。

ホテル側の心配はわからないわけではない。しかし、社会の一員として考えてもらいたいことがある。

ホテルに影響があるにしても、悪いのは日教組の集会ではない。我がもの顔で走り廻る街宣車こそ、批判されるべきものだ。右翼の横暴に屈すれば、集会を開けるところがますます少なくなってしまう。それは健全な社会とはいえない。

ホテル側は「集会の自由」について「民間に会場提供を強制するものではない」と主張している。そうだとしても、言論や集会の自由とはまったく無関係という顔をしていいのだろうか。

ホテルが挙げる混乱についても、裁判所は「日教組や警察と十分打ち合わせをすれば、防げる」と判断した。

世の中の理不尽な行為に対しては、警察の協力を得て、立ち向かう。日本を代表するホテルの一つであればこそ、そうした姿勢を示して欲しいと思うのだ。

ふだんは、日教組に辛口な新聞も含め、多くのメディがプリンスホテルの姿勢を厳しく批判したのも、著名なホテルの社会的責任を重く見てのことだろう。

驚いたのは、集会参加の教師等の宿泊予約も取り消していたことだ。ホテル側は「会場使用と一体」というが、風紀を乱す恐れがある場合などを除いて宿泊は拒否できない。旅館業法違反の疑いが濃いと厚生労働省が述べたのも当然だ。もしプリンスホテルが右翼の横暴に対して少しの勇気を見せたなら、広く社会の共感を呼び、応援する市民や組織も出てくるだろう。それは健全な市民社会に勇気を与えることにもなるはずだ。

2008 2 29の朝日朝刊 天声人語にも取り上げられた。以下の通り

司法判断に従わず日教組の教研集会に会場を貸さなかったグランドプリンスホテル新高輪に、東工大の橋爪大三郎教授が喝。「いったん約束したら、体張っても客を守るのがホテルの責任ーー近所の迷惑とかと言い始める江戸時代の発想では困るのだ」