2016年9月30日金曜日

お嬢さん、どうしたの?

お嬢さん、どうしたの?


苦しそうなお嬢さんに、何をしてやればいいの?

先週の木曜日のことだ。
弊社の公開前の中古住宅の洗浄に出かけた。
現場は、横須賀。
洗浄といっても、そんなに難しいことではない。

改装を終えた物件を、リニューアル住宅として販売するための、第一仕事。
購入を考えるお客さんに、いかにアピールできるか、腕の見せ所だ。

弊社の品格、物件の親愛感性を高めたい。
先住者がつけた、駐車場や玄関周り、庭の嫌な汚れを何から何まで、高圧の水を利用して洗い流すことだ。
洗浄の仕事の後は、雑草を引き抜いた。

作業は難しくなく、時間の経過とともに、それなりに成果は得られた。
作業開始は9時、終了したのは13時。
一人っきりの休みのない仕事なので、4時間で、十分、1日分の仕事だ。
それにしても、我輩は疲れた。

小雨打つ中を徒歩で最寄駅まで向かった。
たかだか、20分だ。
京浜急行の追浜駅と横須賀中央駅の間。

国道に面したところで、小雨から本活的な雨に変った。
それでも歩こうか? もう少し横浜寄りの駅までのバスを待とうか? 
悩みは重い!!

それでも、今、私ができることは、歩くことだと決めた。
バス停にいたおばあちゃんの「駅までは、歩いたって10分ぐらいよ」、と言われた言葉に駆り立てられたのだ。

各駅停車の電車だから、気長に席についた。
それから、2、3駅過ぎたころに、、、、、、、驚天動地?の大事件が起こった。

隣席は、年ごろは大学を出たころの、22~24、5才の非の打ちどころのないお嬢さんだった。
細身の可愛らしい娘さんだ。

げっぽげっげっぽと喉を鳴らして、それから吐瀉物を次々とハンカチで拭きかけた。
彼女の表情はかたつぶりのように、固まっていた。
私もギョット固まり、吃驚したのに、頭は、それからそれから大いに狂いだした。

小さなハンカチ1枚で困っている彼女に、私は自分のカバンに入っているタオルを貸すことで、何とかならんもんか、と思った。
彼女は、ハンカチもタオルも一緒くたに、胸から腹を拭いた。

通路の向かい側に座っている人は、30歳ぐらいのスポーツマン。
お前こそ、何かをしてやってくれないか、と歯軋りした。
その隣のオバサンは、横目で苦しむお嬢さんを眺めるだけの、情けなしの能天気ババアだった。
そんな状況の中で、私の頭だけは、狂いに狂った。
オバサンも、あんたも何かをしてやってくれよ。

彼女の吐いた物が座席のシートを汚した。
見て観て、私は、ただ、心苦しく、可哀想に思えて、ここで、何かをしなければ、タモツは死んだも同然だと、笑われそうだ。

彼女は項(うな)垂(だ)れたまま、降車した。
これ以上、おかしくなったら、駅員さんに訴えるのよ、と強く言った。
その足で、車掌さんに、シートの汚れのことを話すと、車掌さんは座席をゴロンとひっくり返した。
そのサマは、何も知らない人には異様に見えただろうが、それで、よかったのだ。

元の自分の席に戻った。
周りの人々は、俺のことを、変なジジイと想ったことだろう、か?

彼女の無事を祈るばかりだ。

2016年9月22日木曜日

爽やかな秋が欲しい

爽やかな秋が欲しい


梅雨でもないのに、台風の影響を受けてのことだろう? 

なんだかこの1か月、空模様のはっきりしない日が、昨日も今日も。

これから、こんな日が何日続くのだろう。


かって、台風が去った翌日は、雨はやみ爽やかな風が吹く台風一過と呼ばれた。
幼いころ、この好い日のことを、台風一過だと憶えた。
日日是好日?

ところが、今年、そんな日は1日たりとて、見せてくれない。
嫌な想いの傷の後遺症なのか?
単純に空模様が悪いせいなのか?
頭のなかが、すっきりしない。

田畑だって野原だって、当然のこと、、、、。
我々も泣いて、喚いて、苦しんでいる。
糞っ垂れ、俺はどうして生き延びれば、いいんだ!!

秋の日は釣瓶(つるべ)落とし

【読み】あきのひはつるべおとし
【意味】秋の日は釣瓶落としとは、秋の日の急速に日が暮れるさまの形容。

今年も、何台かの台風が過ぎ去り、その度に海に囲まれた山稜の我が国は、山が崩れ、川の水が住宅地や商店街に溢れ、橋が壊れ、建築物は住宅だけではなく大型の公共的なものや老人ホームでさえ、木端微塵(こっぱみじん)にやられてしまった。

「釣瓶」とは、水を汲むために竿や縄の先につけて、井戸の中におろす桶(おけ)のこと。
その釣瓶が井戸に滑り落ちるように、秋の日は一気に日があっという間に暮れるということをいう。
以上、釣瓶おとしからの小文はネットよりいただいたものです。


ところが、まだまだ、次の台風の目が控えているようで、安心はしていられない。
人災被害は当然、それ以外の被害だって、目も当てられない状態だ。
心情の悔みをお金でなんて、どうしょうもなく換算できないことぐらい、よく解っている。



でも? だからか?
今日20160922の朝日新聞・朝刊の1面記事を読んで、これまた、驚いた。
その記事というのは、下記のことだ。
可能な限り、ダイジェストさせてもらった。
国の予算を1兆円も、こんなものに使っていたなんて、吾輩、「堪忍袋の緒がきれる」状態だ。
政府が21日、原子力関係閣僚会議を開き、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)について「廃炉を含め抜本的な見直し」を表明したことについて、地元からは不信や困惑の声が上がった。
同市の渕上隆信市長は21日夜、市役所で報道陣に対し「日本を豊かにする核燃料サイクルを担っているという誇りを持って応援してきた。それが簡単に変わるのか強い怒りを感じる。地元の意見は何も聞いてもらえなかった」と、もんじゅの存続を強く要望。
福井県議会も21日、「核燃料サイクルの推進には高速炉の研究開発は不可欠で、長期的視野に立ち、覚悟を持って取り組む必要がある」とする意見書を可決した。
一方で「ほとんど動いた実績がないのに、1兆円超がつぎ込まれてきたのは異常。廃炉にかじを切るのは当然だ。

2016年9月16日金曜日

めぐみの秋。まずは柿ザ!

めぐみの秋! そりゃアー柿ザ

  
おいらの果樹園(横浜市保土ヶ谷区今井町と横須賀市衣笠栄町の2か所)では、色とりどりの果物類がもう少ししたら採ってよね、と大きな声を張り上げている。

幾種類も、植えてあるのだ。
なかでも柿は、真っ青で、赤くなるのはいつ頃のことだろう。

社用で不要になった宅地を、会社に対する貸付金の相殺として頂くことになった。
これやァ 嬉しいことなのか?悲しむべきことなのか? 私にも解らない。

幾万種類ある果樹のなかで、柿の木ほど、親しんできたものはない。
葉は茶の代わりに加工され、飲まれることがあったそうだ。
私が頭が痛いと訴えたときに、祖母が煎じ茶を作るときと同じように作ってくれた。
まるで、薬のようだった。

食うことにおいては、我が家の柿は兎も角、親戚の柿も、お隣の柿も、みんな俺のもんだ、と言って憚らなかった。
種類も、いっぱいあった。
大学に入ったころ、今 東光氏の著作物で、ある柿の種類を「チンポがき」と著いていたのを、何故か?思い出してしまった。

浪人中は、涙が出るほど面白くなくて悔しいシーズンだけれど、一夜に食う量は、小さいものならば20個、大きいものならば5~6個は、カル~イものだった。

甘柿だけではない。
渋柿の皮をナイフで切りとることも、母や私の大事な仕事だった。
皮を切りとった柿を、何台もの棚を作って干した。

干しきって、柿の表面に白い粉がついたものが、宇治田原町の干し柿として、商品化した。
わが町の名産品だ。
ここで、要らなくなった皮は、しばらく天日干しにして、ほどよく乾いたものを、漬物の糠に混ぜた。
皮から出た、ナントカナントカが、より良い味覚にしてくれたようだ。

もう一つ忘れていけないことは、渋柿の生渋をとって、それを専門業者に売ることだった。
未熟果を収穫し、空き臼や粉砕機で砕き、圧搾をかけて生渋をとる。

柿の生渋には、タンニンが多く含まれていて、その渋が、番傘とか漁網、釣り糸など、防腐剤として用いられる。
清酒の清澄剤としても使われている。

渋柿は果実が熟するまでは固くって、味は苦い。
その渋柿を、焼酎の入った鍋に2~3日入れて放置しておく。
それを、いただくのだが、甘柿とは違った、古風な味を楽しませてくれる。
ただ、甘いだけではない。
言葉の知らない私には、この微妙で古風な味覚を表現できない。

柿の葉寿司=余り上等なので、これを、食べるだけのことはある。
一口大の酢飯(すめし)に鯖や鮭などの切り身と合わせ、柿の葉で包んで押しをかけたすしだ。

ここまで書き進めてきて、重要なことを思い出した。
お酒をちょっと多い目に飲んだとき、翌日の頭の痛みから抜けられない。

18歳から25歳まで、どうにも避けられないことだった。
二日酔いのとき、そんな朝、柿を思い切りガブ食いすると、何故か、酔いが自然に冷める。
柿肉の科学反応?それともエネルギーが頗(すこぶ)る低いの?
友人から得た知識は、大事にしなくっては!!
イカンなあ




このように、柿は、甘いも渋いも、大いに人間に貢献しているようだ。



 Kaki.JPG

2016年9月11日日曜日

タモツ 祝:生誕68年

タモツ、祝・生誕68年


今月の24日になると、この私、タモツがこの世に生まれて、やっとのことで68年経つ。
後、2年で70歳だ。

父は勝次で母はハナ、祖母はナミ。
3兄弟の一番年下の末っ子だ。
生まれたというのは、昭和23年(1948)のことだ。

昭和34年9月の伊勢湾台風で、稲田に、畳ほどの岩や私の体ほどの大きさの石が流れ込んで、我が家の田は甚大な被害を被った。

5歳上の長男は、父や母と共同で元通りに修復した。
祖母も手伝った。

長男は中学生次男は小学生だった。
私だって小さな石や樹木を拾って、傍の小川に流した。
それ以外は、父や母の周りで遊んでいた。
世間の人から、ヤマオカさんのお家は神聖家族だと、言われていた。

昭和20年(1945)8月15日を、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国戦没者追悼式を主催している。
この日を終戦記念日、終戦の日とされている。
私はこの日から3年後に生まれたようだ。

父の兄(叔父)が東南アジアでの戦闘の果てに、インドネシアで罹った悪病に苦しみ、帰還2年目に亡くなった。叔父の人の好さには、風聞で聞かされるごとに、悔しさがこみ上げた。
叔父さんの人並の立派さが私の誇りであった。
独身のまま亡くなったことが、何とも言えない。

父は、数少ない田畑を耕しながらも、銀行から借りた費用で、農地を2倍に広げた。
人力以外、鋤(すき)や鍬(くわ)、鎌(かま)だけの貧しい農民だったが、私が大学に行く頃には、人並み以上の農機具を揃えていた。


この昭和23年の1年間を、備忘のために大事件をネットで知ったことだけでも、ここに列記しておこう。

★昭和23年=1948年 子(ね)の年だ。

1月   帝銀事件(椎名町支店) 行員12人毒殺

2月   朝鮮民主主義人民共和国 設立宣言

3月   第1回NHKのど自慢始まる

4月   東宝争議始まる

     済州島 四・三事件

5月   10歳の美空ひばりデビュー

     「母子手帳」配布される

6月   昭電事件

     13日、作家・太宰 治 玉川上水で情死

7月   第14回オリンピック・ロンドン大会開催
     (日本の参加は不許可)

8月  大韓民国 樹立宣言

9月   アイオン台風 死者・2838人

     全日本学生自治会総連合 結成

     暮らしの手帖 創刊

     本田技研工業設立

     日本人身保護法施行


10月  110番設置

11月  極東国際軍事裁判判決
      7人に絞首刑

12月  GHQ 岸 信介らA級戦犯19人を釈放

2016年9月4日日曜日

寂しい夜の、読書欄です

寂しい夜の、読書欄です


寂しい夜の、私の「楽しみ読書欄」とは、こんなものだ。
この稿は、未だ未だ出来上がってはいないが、少しでいいから、公開してくれよとの声にこたえた。


前回に述べたかったが、書けなかったその読書とは、こんな本のことだ。
この本は、私のお抱(かか)えの本屋(ブック オフ)で、購入した。
購入総額は、お小遣いの一部でまかなえている。
本の内容について、著書のなかの文章をお借りしたので、宜しく了解していただきたい。

この稿は、今日の今日までの原稿に過ぎません。
よって、明日からも、ドンドン追加しますので、気長に御付き合いください。
-------------------------------------------



① 「推定脅威」  未須本有生(みすもと ゆうき)・文芸春秋
 
スクランブル飛行中の自衛隊航空機が墜落した。
はじめ事故原因はパイロットの単純な操縦ミスとされていたが、航空機メーカーの技術者たちは、どこか不可解なものを感じたようだ。
この影には、防衛省と航空機メーカーが相対する、脅威の正体が、暴露されていく。


「デビュー即日本一の航空小説」=石田衣良
「航空機についての知識に圧倒される。これは強い」=北村 薫



 ② 「化生の海(けしょうのうみ)」  内田康夫・新潮社
  
観光地紹介をメインにした出版局の記者が、知り合いの不幸にどうしても納得できず、死者が 行きがった道を、自ら車や船を利用して、忘れ去られていた犯人を捕まえる。
不幸を受けた側からのささやかな応援も、記者にはありがたかった。

講談社によると、「化生」とは、ーーー
①(仏教語)四生の一つ。母胎や卵からでなく、自らの業力(ごうりき)によって超自然的に発生すること。または、そのもの。諸天・地獄の有情など。
②形をかえて現れること、化身。③ばけもの。変化(へんげ)



 ③ 「廃墟に乞う」  佐々木 譲・文芸春秋

仙道孝司は北海道、捜査一課の敏腕刑事だったが、任務がもとで患った病のため、休職を命じられていた。
幾ら病気だからと言われても、心身は覚めやらずだった。
ようやく回復してきた頃、かって札幌で起きた殺人事件と、同じ手口で、千葉でも性風俗に勤める女性が殺された。

仙道は、札幌で起こったこの事件もあいつの犯行か?と思いついた。
それから、仙道の行動が始まった。
先ずは、犯人の足を追って、旧炭鉱町に向かう。
それから、リゾート村、札幌の倉庫、競走馬生産牧場へだ。

警察手帳も銃も持たない休職刑事が 事件を見出す。
光と闇を駆け出したのだ。



 ④ 「しまなみ幻想」  内田康夫・光文社

「母は殺された?----」

瀬戸内の海に浮んだ、少女の「哀しき疑惑」。
この少女に果てしない情を感じた浅見光彦は、希望の光となれるのか!!

来島海峡から飛び降りた母の死に、疑問を持った少女。
偶然、彼女と知り合った浅見は、その死の真相を調べるため、しまなみ海道へ向かう。

美しき海と島々がおりなす”海道”で、浅見がみたものは!?
浅見と少女の考え道理のことだった。




⑤ 「瑠璃の海」  小池真理子・集英社

副題に、究極の恋の道行く、とあった。


この男の中で壊れてしまいたい。
究極の愛のかたちが呼ぶ、圧倒的な感動。
拡がる共感の声。

バス事故で夫を失った三十代半ばの萌。
娘を失った作家・遊作。
突然の悲劇に結びつけられた二人は、
同じ孤独の淵で愛し合い、終末へと向かう。
運命に弄ばれ、静かな絶望に彩られた愛の行く方は如何に?




⑥ 「孤舟(こしゅう)」  渡辺淳一・集英社

定年退職して始まる本当の孤独!


バラ色の第2の人生のはずが、待っていたのは、夫婦関係と親子関係の危機。
人生最大の転機をいかに乗り切るか!?

主人公の威一郎は、広告会社の大手の会社を、ほぼ1年半前、満60歳になったところで定年退職した。
それから、娘は出て行き、妻だって娘の世話をやくと言って、出て行った。
主人公は一人きりになって、何か有意義な生活をおくれないか、と模索した。
そこで、この本の物語は始まる。

此処で今日これから逢う相手は、先日、デートクラブで約束した女性である。
名前は、小西佐智恵、27歳のオフイスレディだ。




⑦「落第坊主を愛した母」  遠藤周作・海竜社

没後10年記念出版

小学校も中学も不成績で、周囲の者や親戚の人たちから馬鹿にされるばかりか、学校の先生からも馬鹿あつかいを受けて、自分でも俺はほんとに馬鹿ではないかという劣等感に悩まされた。
そうした時に、母は、「お前は一つだけいいところがある。
それは文章を書いたり、話しをするのが上手だから、小説家になったらいい」と、言ってくれた。

遠藤順子(本文より)
遠藤の兄は灘中四年から(昔の中学は五年制)に入学し、一高の二年で(昔の高校は三年制)東大に合格するというような秀才でした。
ところが主人のほうは零点ばかり。
成績順でAからDまでに組み分けされていた灘中では、遠藤正介の弟だからということで一年はA組でしたが、二年B組、三年C組、四年五年はD組という有様でした。
親戚中から周作は仕様がない、仕様がないと非難される中で、母一人がいつも主人をかばってくれたということです。
ですから、主人のファン第一号は間違いなく遠藤の母だと思っています。
「周ちゃんは大きいことをする人間になる」といつもいつも言ってくれたそうです。
「おふくろがいなかったら俺はぐれていただろう」と自分でもよく述懐していました。