2009年11月30日月曜日

昨夜は、初めての「ナイト」だった。

パラディス イン 相模原 022

「ナイト」なんて、何だか不思議な語感? 意味深? 騎士のような格好良さとはほど遠い、なんだか陰気臭さが漂う単語だけれども、そんなに心配はご無用です。弊社で経営しているバジェットホテルの深夜業務のことを話したかったのです。

「パラディス イン 相模原」。北里大学の真正面にある。相模原屈指のバジェットホテルです。ビジネスによし、家族利用によし、経済的な料金で泊まれるということで、相模原では今一番注目されているのです。楽天ジャランの「神奈川で泊まってよかった!ホテル・旅館ランキング」では、常時6,7,8位をキープしています。この初秋のランキングでは当ホテルは8位だったのですが、6位はあの有名なホテルニューグランドで、7位はあの贅沢な湘南江ノ島の料理旅館恵比寿屋でした。室の快適性と、食事、料金、スタッフのもてなしに、連日、ホテルのホームページに感謝と身に余る賞賛のお言葉をいただいています。当ホテルの運営のコンセプトを社員がよく理解しているのだと思われる。

どこのビジネスホテルも、経営には苦労しています。全国的に展開しているルートなんとかホテル、坂京インとか今までは経営磐石と言われていたホテルでさえ、取引会社への支払い期間を延ばして欲しい旨の通知を送ったり、工事代金の延払いを通告したり、この類の話題はこの業界にも事欠かない。

弊社のホテルも経営は火の車だけれども、周辺ホテルと比べると客単価にしても、部屋の稼働率にしても頑張っている方だと思う。ホテルのような装置ビジネスでは、こんな不況時には先ずは経費の削減を徹底することだ。でも、この作業はもう一通り終えてしまった。チェック項目は、光熱費の節約、食材仕入れの工夫、エレベーター・電気設備・立体駐車場の保守管理費の価額交渉、清掃・植栽・ルームメーキングを自前作業する、駐車場・リース代の削減など。

次に手をつけなくてはならないのは、スタッフの勤務シフトかなと考えていた。そんな時にホテルを担当していた小さんが退社することになったので、この私が引き継ぎをしなければならない羽目になった。

果たして私にホテルの何が解っているのだろうかと詰めて考えた。経理からは数字上の運営内容の報告は受けている。考えあぐねた結果、やっと、たどり着いたのがホテルの仕事をスタッフと同じように働いてみることだ、と。手を打つのはそれからだ。仕事の全てを理解すること、自分も全ての仕事をこなしてみること、スタッフの名前を憶えることから始めようと決心したのです。

私には不動産会社の社長としての仕事もあるので、それならば夜、働けばいいのだと思いつき、支配人に働く日と時間を指定してもらった。家人には、白いカッターシャツ、ネクタイ、革靴を用意しておくように言った。ええ、そうなんですか、と家人は意外に冷静だった。日頃、ホテルや私の会社のことを逐一話しているから、彼女はそれなりの覚悟はしているようだ。

そして金曜日(20日)、8時にホテルに入った。支配人から予約マニュアル、予約電話対応、チェックイン対応、業務チェックリスト、パラディスクラブ入会案内、飲み物の販売価格表、駐車場のご案内、手製の周辺グルメマップ、宿泊プラン、ルームナンバー及び部屋タイプ、数量、宿泊料金表などの印刷物を手渡された。胸には実習生・山岡保の名札。顔を手で撫ぜて、髭を剃ってくるのを忘れて来たことに気付いた。あんなに、髭もきちんと剃ってくるから、と支配人に大見得を切ったのに、ホテルマン失格だ。

明日(21日)は、北里大学で何学部か解らないのですが、推薦入試があって、その受験生たちの親子連れでの宿泊で、ほぼ満室状態だった。70室のうち空きは4室のみ。宿泊人数は95人。

チェックインの作業を、熟練スタッフの後ろで仕事を盗み取らなくてはと思いながら、顔には笑みを絶やさず、殊勝な面持ちで頭を下げ続けていた。そうこうしているうちに、支配人が、お客さんが立ち去ったのを見計らって私をギョッと睨んで、社長、いらっしゃいませとか、有難うございましたとか、行ってらっしゃいませとか、皆が言っているんですから、一緒に挨拶してくださいよ、と叱られた。叱られたのは当たり前だ。何よりも、挨拶。挨拶が一番。挨拶がどれだけ大事かということぐらい、この年になるまで、嫌と言う程痛感してきた筈なのに。我ながら、恥ずかしかった。

チェックイン時に、昔の宿帳にあたるアライバルカードに住所と名前を記帳してもらう。そして宿泊代をいただき、ホテル側からは領収書を発行するのですが、受験生の親に発行する領収書に「合格!北里大学」とゴム印を押して差し上げるのです。このゴム印を見て受験生と親はニンマリ微笑むのです。このホテルにアルバイトで来ている女子美術大学の学生が、毎年模様を変えて、女子美と北里大用を作ってくれている。

朝食の案内がきめ細かい。明日は、北里大学の推薦入試なので朝食は混むと思われるので、皆さんは早い目にイートインに降りてきていただいた方がいいかと思われます。イートインは1階にあるのです。どの受験生も初々しくて可愛い。目が輝いている。私は、44年前の私は、どうだったのだろうか。当時、私の頭には血がガンガン昇っていた。

昼飯用の合格弁当の予約の確認。弁当を持って行くと、昼飯時にあたふたしなくてもいいようにと予約を受けたら人気だった。モーニングコールの要望の有り無しと、有りの場合の時間の確認。

慌(あわ)ててやって来た受験生の母が、フロントで貸してもらえる時計などはありませんか、ときたもんだ。試験に時計がないと心配なんでと、母は受験生以上に困惑顔だった。今はありません、としか答えられませんがーー、探しておきますよと係りの者は答えていた。そのことを頼まれた係りの者が、何をどうするのか、様子を見ていたら、忘れ物をストックしてある段ボール箱をロッカーから引き出してきて探し出した。忘れ物のなかに時計があればと思いついたようだ。忘れ物は一定期間、預かっておくことにしている。残念ながら、時計は忘れ物の中にはなかった。そして、翌朝朝食のために降りて来られたお客さんに、支配人が日常使っている自分の腕時計を外して貸していた。私には、まだまだ物足りない支配人だけど、この時は、よくやるなあと感心させられた。こうでなくては、イカンのだ。

蕎麦枕に代えて欲しい、と来た。抱き枕を貸して欲しい。毛布や加湿器、アイロンを借りに来た。なんぜ、アイロンなんだとスタッフに聞いたら、明日の試験には面接があるので、スカートやズボンの折り目をつけるのです。なあーるほど、と納得した。ある日、受験生の女の子がブラウスを忘れてきたことがあったのです、その時は皆で手分けして買いに走ったのですが、近くでは見つからず、社員の物を貸してあげたことがあったのです、と支配人。

このホテルをよく利用してくれているお客さんが、今夜は予約していないんだけれど泊まれますか、とやってきた。ルームチャージは幾ら?と聞かれた支配人は、生憎(あいにく)今夜は、受験生の泊まりでいっぱいでして、定価の室しかないのです。この常連さんは、いつもインターネットで割引のパックを申し込んでくれている。今夜の料金には不満顔だった。でも、しょうがないか、と宿泊の手続きをとってくれた。俺たちの子供の頃は、受験といったって、一人で何所までも行ったもんだ、でも女の子なら、親はやっぱり心配だよなあ、なんて独り言を言いながら、サインした。俺は、お客さんが室に行ったのを見届けながら、支配人さん、ああいうお客さんには、こういう日でも、ちょっとぐらいまけてやればいいんじゃないの。そこが難しいところなんですよ。

20:00、昼間からの社員が、館内チェックは異常はありませんでした、と支配人に報告があった。その者も帰宅して、ホテルに残されたのはナイトの二人と実習生の私の三人だけになった。今日一日の集計をして、明日の予約受付カードを整理していた。これを、整理しておくと、明日の昼間勤務の人が楽なんですよ、と言いながら。イートインのテーブルと棚を拭いた。そして朝食コーナーに、コーヒーカップと紅茶のカップ、スプーンとホーク、ジュースと飲み水用のグラス、ジャム3種類とマーガリン、サラダをとる小皿、それらを整然と並べて、綺麗な布で覆った。パンを挟んでとるピンセットの大型のようなものは、紙でできた布巾のようなもので覆った。

それから、私は仮眠に入った。01:30~04:00。他のスタッフも仮眠するのだろうと思っていたのですが、他のスタッフは私が4時に起きてくるまで、仮眠をとっていなかった。室に入ってテレビのビデオのスイッチをいれたら、エッチな画像が出て吃驚した。後でホテルのスタッフに問題があるのではないか、俺のようなオジサンなら別に驚きはしないけれど、若い人には悪影響があるのではないのか、と問い詰めたら、3分は只なので、これを楽しみにしているお客さんもいらっしゃるんですよ、ときたもんだ。このことについては、今後何とかしなくちゃイカン課題だ。

職場に戻った。支配人から、黒いエプロンを手渡された。パントリーでは、パンを焼く準備に入っていた。早速、私も半加工された生のパンをトレイに膨れてもぶつからないように隙間をとって、並べた。そこに、支配人からダメダメの声が掛かった。私は素手で、パンを握っていたのです。ビニールの手袋をして作業をしなければならなかったのでした。

昨日、昼間勤務の人がレタスを切ってボールに入れておいてくれたものをガラスの大きな器に移して、ニンジンの細く切ったものと、缶詰入りのコーンをスプーンですくってレタスの上に振りかけた。ドレッシングは、既製のもの三種類を2セット用意した。冷蔵庫に並べておく。

コーヒーの淹れ方を教えてもらった。最初の1回目は、コーヒー豆を使わないで水だけを通すのです。水が全部落ちると、ポットの中は熱い湯が充填されたことになって、蓋をして、そのまま本番まで待機。5器用意した。

オレンジジュースは、既製の壜に入ったものを、よく振ってジュース差しに小分けした。7本用意した。お客さんの前に出す時には、このオシャモのようなもので、もう一度撹拌してから出すのです。自然のジュースなので沈殿するのです。

水は用意なんかしなくても氷を入れるだけだから、6時のイートインの営業開始と同時で十分なのです。

04:00~05:30。私以外の2人は、交互に休憩に入った。

モーニングコールの一発目は、五時半。モーニングコールを忘れたなんて、しゃれにもなりませんよね、と電話していた。コーヒーを淹れた。コーヒー豆2カップ分を濾し紙を敷いたカセットに入れて、決められた水の量を入れる、それで後は待つばかり。社長、濾し紙は1枚にしてください。気付かずに2枚重ねてしまったらしい。支配人は私の作業を厳しくチェックしていたのだ。

06:30、小鳥の囀(さえず)りのバックグランドミュージックを流した。パン、コーヒー、ジュース、水、お湯の入ったポット、サラダをセットした。朝食の始まりだ。受験生の親子がガサガサと降りてきた。お早うございます、大きな声で挨拶した。受験生諸君の健闘を祈っています。朝食券の回収、コーナーに揃えておいたジュース、コーヒー、サラダ、パンの補給、食器の片付け、テーブルの掃除。忙しく動き回るのは実に気持ちがいい。これらの作業は、どれも私には十分こなせた。

そうして、8時までの私の勤務時間は無事に終わった。

ホテルを離れる時、私は自分のことを、俺も満更(まんざら)木偶(でく)の坊ではなさそうじゃないか、まだまだ頑張れるではないか、と我ながら嬉しかった。実務には、そんなに役に立ってないかもしれないが、スタッフの仕事を今は知ることだ。業務の全てを知悉することだ。

今日、これからは、不動産屋としても頑張らなくてはならない。16号線はこの時間、大変混んでいた。早く会社に着きたいと焦る。

仕事が、これでもかこれでもかとあるのは、とっても幸せなことなんだ!!!

2009年11月27日金曜日

弦楽合奏団ロンディーノ 第4回演奏会

20091125

開演・18:30  開場・18:00

会場・かなっくホール

入場無料

演奏曲目・A.コレルリ/合奏協奏曲 作品6-9

       F.メンデルスゾーン/シンフォニアNo-6

       J.S.バッハ/二つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043

       (女声合唱とピアノ)

       F.シューベルトほか/五つのアヴェマリアとアーメンコーラス

       B.ブリテン/感傷的サラバンド(シンプルシンフォニー)

       F.レハール/金と銀

       F.レハール/メリーウィドウメドレー

       (女声合唱と弦楽合唱)

       F,メンデルスゾーン・作詞津川圭一・アレンジ木村茂雄

 

      *友情出演:女性合唱団ロンド  指揮=木村茂雄

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半年程前から、この演奏会に誘われていた。弊社を金融面から支えていただいている某金融機関の弊社担当者の文さんから、趣味でやっている演奏会が秋に開かれるので、是非山岡さんにも来て貰いたい、自分はチェロを弾くのです、とのことだった。

チェロって楽器の名前を聞いたら、普通の人はその音色など楽器の持つ性格などを思い浮かべるのでしょうが、私には何も思いつかない。音楽的生活には、縁遠いのです。今は、文さんはその金融機関を辞めて、金融機関に勤務中に知り合った大型自動車の修理を請け負う会社に勤めている。一週間前に招待状を会社の方に持ってきてくれた。

こりゃ、敵前逃亡はできないぞと覚悟はしたのですが、折角会場に足を運ぶのだから、予備的知識を得たうえで行った方がいいのではないか、と色々試みようとしたのですが、元々音楽のオも理解できない私のことだ、手がかりは掴めなかった。

結局、演奏される曲や作曲者については、無防備、無素養、無勉強、無知のまま会場に出かけた。バッハ、シューベルト、メンデルスゾーンの名前だけは知っていた。バッハとシューベルトの肖像画は中学校の音楽室の壁に掛けられていた。髪の形が特徴的だった。両者の違いは判らないが、一度見たらあの髪形は忘れない。

指揮者で指導者の木村茂雄氏が 、作曲者や曲の説明をしてくれたのですが、よく理解できなかった。どの曲も、日本では江戸時代にあたる時期に作られた。日本では、歌舞伎が弾圧を受けたこともあったが、庶民に根強く普及した。歌舞伎を音楽では三味線が支えた。日本でも、音楽において西洋に引けをとらない文化があったのですよ、と指揮者は話した。

ロンデイーノの演奏で、ロンドが「翼をください」を歌い、それから我々観客も参加してもう一度「翼をください」を歌った。いい歌だと思った。指揮者が支援している知的障害者の作業所「NPO法人あいの木」の人々が、この歌を歌っている時に、施設でもよくやっているのでしょう、手話をしながら歌っていたのを見つけた指揮者は、施設の人たちを舞台のまん前に来てもらい、手話をしながらもう一度この歌を一堂全員で合唱した。私は、得意の音痴がバレないように声音を落として、控えめに歌った。

文さんの後輩、馬さんにも久しぶりに会えた。馬さんには恋人らしき男性が付きまとっていた。なあるほど!!!、彼女は見違えるように綺麗になった。一緒に行った音楽好きの友人に演奏はどうだった?と聞いたら、ニッコリしたままだった。その顔からは、友人も評価していたのだろうと思う。

一つの楽器ではなくて、今回は弦楽器だったのですが、協奏するということは、こういうことなんだ。皆で声を合わせて歌うと、こんなに感動するのかと吃驚した。今回は、予定になかった手話まで参加した、貴重な音楽会でした。

弦楽器は、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス、チェンバロでした。

「翼をください」=作詞・山上路夫 作曲・村井邦彦

文さんに感謝。

2009年11月22日日曜日

必殺仕分け人、大鉈(なた)を振るう

来年度予算要求の無駄を洗い出す行政刷新会議は、「事業仕分け」を国立印刷局市ヶ谷センター(東京都新宿区)で行った。全事業を廃止、地方に移管、整理や削減、に仕分け、見直した。平たく言えば、どの事業に国の予算をつけるか、削るか、減らすか、やめるか、地方にまわすかを選択する予備的事前打ち合わせだ。前半は終わった。

誰でもが傍聴できる会場での、仕分け人と官僚とのやり取りは、面白いと言っちゃ叱られるかも知れないが、この初めての試みに私は興をそそられた。ネットでも中継された。政権党が、自民党から民主党に変わって、本気で行政の無駄をなくし、脱官僚を目指すという、この何とも言えぬ語感のさわやかなことよ。選挙戦で掲げたマニフェストを実行するためにも、先ずはこの会議を成功させたいと民主党は考えているのだろう。この行政刷新会議の仕分け作業は、手法において私には本当に、こんなことでエエのか?と思うところも多々ある。いいか、悪いかはちょっと横に置いといて、印象は鮮烈だ。何種類もある事業の一つ一つを、バッサバッサ、廃止か地方に移管か、整理や削減、そのどれかに評決していくんですから。これは、革命ですよ。私には、個人的にどうしても納得できない判断が幾つもあった。それにしても、この企画は私には、目から鱗落ち、大事件だ。

この「事業仕分け」はこれからが後半。それからが、行政刷新会議の本会議。今後どのように進められていって、予算編成にどのように活かされるのか、注視を劣らないことが肝要だ。ここは、どうしても歴史的に画期的な事件だと私は捉えているので、この状況の一部を、後々のために記録しておく価値があるのではないかとキーボードを叩いているのです。

2,3日前、朝のテレビに必殺仕分け人役の民主党の蓮舫議員が出演していた。政府系の独立行政法人や公益法人が補助金や交付金を溜めに貯めた基金を政府に返還をするようにと評決したことについて、かって野党だった民主党の蓮舫さんの話が面白かったので、ここで紹介しておこう。国会議員を何年もやってきたのに、今までの立場は野党だったので、調査できる範囲に限りがあって、政府系の独立法人の実態が判らなかったのです、とのことでした。なんでや? 国会議員と言えども、易々とはこの手の調査はできないらしい、ということに驚いた。相手は、民間会社ではなく政府系の法人だぞ。国民は、国会議員によりよい国づくりのための政治を信託しているのです。役員が何人いてそれぞれが幾らの給料を貰っていて、基金として幾ら保有していて、何の目的でこれらの基金をどのように使おうかと考えているのか、さっぱり判らなかったのだ、ということだった。天下りする方法にも手が込んでいて、役員や理事に就任すると、すぐにそれは天下りだと指摘され(バレ)るので、嘱託社員としてなら、注目度も低く、バレにくい。隠れ蓑です。嘱託社員と言えども給料や扱いは全く理事や役員と同じ。無闇にガッポリ溜め込んだ独法の基金と、新種の天下り方法との、何とも甘い関係なこと。

最近の民主党に、物足りなさは幾らでもある。例えば鳩山首相と小沢幹事長の秘書に絡む政治資金規正法違反問題から所得の申告漏れなど、この幹部二人の金に絡む件はいつまでもすっきりしない。沖縄米軍基地の移設における首相と他閣僚とのちぐはぐな発言といつまでもハッキリしない首相。首相と官房長官の官房機密費についての公開、非公開と発言が変転した。失点や減点ばかりだ。でも、この事業仕分けのお陰で、鳩山内閣の支持率は、幾分下がったけれど、依然として高い支持率を確保している。

党を牛耳り、陰で、内閣を動かす小沢幹事長の不気味さ。この党の幹事長にモノ申せない、民主党の幹部と政府の要人たち。首相は、心とか、友愛とか、そんな言辞を弄(もてあそ)んでいて、ハッキリ言って国務には活かされていない。政務や行動で示して欲しいものだ。一体全体、沖縄の人の「心(こころ)」を、どうするんだ。

この事業仕分け結果が来年度予算に反映されるかどうかは、最終的には財務省の予算査定で決まる。廃止と評決された事業の所管省庁から、結果は参考程度にしかならない、との声もあるが、藤井裕久財務相は事業仕分けで出た結論は的確に査定するように主計局に指示した、と発言した。仕分けを尊重する考え方だ。どうかな、と私は疑問をもつ。

昨日で前半の事業の仕分け作業は終わった。この作業ではいろんなことが判明した。今後どのように政策にいかされるのか、じっくり見届けさせていただくことにしよう。

初日に行われた事業仕分けの結果は以下の通りでした。行政刷新会議のホームページの一部(初日分)を貼り付けさせていただいた。

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政府の行政刷新会議作業グループ(WG)による11日の事業仕分け結果の詳報は次の通り。
 ▽国土交通省
 【国土・景観形成事業推進調整費】年度途中で再開可能となった公共事業に充てるため、2010年度予算に200億円を概算要求。「ほかの予算分野の流用で対応できる」「厳格な運用が求められる」などを理由に13人中12人が廃止、1人が予算削減と評価し、廃止に。
 【下水道事業】概算要求は5188億円。仕分け人から「人口の少ない過疎地などでは、下水道よりも低コストな浄化槽などの汚水処理施設の整備を進める方が効率的だ」との指摘が相次ぎ13人中廃止1人、自治体の判断に任せるが7人、10%程度の予算削減が3人などとなり、判定は「地方自治体に財源を移した上で、実施は各自治体の判断に任せる」となった。

▽国交省、農林水産省
 【港湾、漁港、海岸、河川環境整備事業】バレーボール場や広場などレクリエーション施設の整備などに批判が集中し、予算の削減を求めた。

▽農水省
 【農道整備事業】都道府県の農道整備を国が補助する事業で、10年度の概算要求額は168億円。農水省は中山間地での農業生産性向上のため必要だと主張したが、「一般道と一体的に整備するべきだ。国が補助する根拠が不明だ」といった意見が相次いだ。11人中で廃止が6人、自治体の判断に任せるとの意見が1人、予算削減が4人だったが、最終的には廃止と判定された。
 【里山エリア再生交付金と田園整備事業】約90億円を要求。森林や用水施設、遊歩道など居住環境の整備を助成する里山エリア再生交付金と、都市と農村の交流目的で施設整備などを行う田園整備事業はいずれも廃止。重複する事業が多いことや効果が不明だとの指摘が多く出た。
 【農業農村整備事業】農村集落の下水処理施設の整備を進める農業集落排水事業は「自治体に財源を移譲し、判断を任せるべきだ」と、国が補助事業として行う必要はないとの意見が大勢を占めた。農業に使う水利施設の整備や維持を行うかんがい排水事業は「予算要求の削減」と判定。1774億円を要求しているが、20%程度の削減が適当との声が多かった。

▽国交省
 【道路整備事業】1兆2332億円を概算要求。仕分け人からは、費用対効果分析で効果が費用を上回って着手できる事業でも「コストをカットすべきだ」とコスト縮減を求める意見などが続出した。事業評価の厳格化やコスト縮減、道路構造令の柔軟化などにより予算の見直しを行うとした。
 【河川改修事業】1945億円を堤防の整備などに要求。「改修個所の個別の評価を行い、優先順位を明示すべきだ」などの意見が相次いだため、個所ごとの事業評価、コスト縮減のインセンティブの導入などにより、予算の見直しを行うと判定した。

▽厚生労働省
 【健康増進対策費(地域健康づくり推進対策費)】食生活改善の啓発活動で、厚労省は1億8600万円を要求。仕分け人から「国は情報提供だけで足りる」「農水省の事業と重複している」と、必要性を疑問視する意見が相次いだ。13人中8人が廃止、5人が自治体や民間への委託を選び、判定は廃止。
 【レセプトオンライン導入のための機器整備等の補助】厚労省は要求額215億円を151億円に減額する方針を表明したが、仕分け人から「所得が高い開業医に補助する必要はない」などと厳しい指摘が続出。13人中7人が10年度予算への計上見送り、5人が廃止、1人が民間委託との意見で「来年度予算の計上見送り」と判定された。
 【独立行政法人雇用・能力開発機構運営費交付金等】もともと「予算の無駄が多い」との指摘があり、麻生政権が08年12月に同機構の廃止と事業の大半を別法人に引き継ぐことを閣議決定済み。厚労省は「高度な職業訓練は国でしかできない」と主張したが、判定は「地方や民間への移管や業務のスリム化をさらに進めるべきだ」となった。
 【診療報酬の配分(勤務医対策等)】仕分け人は「小児科など医師が必要な診療科に報酬を重点配分すべきだ」「厚労省のこれまでの価格設定は失敗」と指摘。16人全員が配分の見直しが必要と判定し、開業医と病院勤務医の収入格差の平準化や、整形外科や眼科など収入の高い診療科の報酬引き下げなどを求めた。
 【後発品のある先発品などの薬価の見直し】主成分が同じで安価な後発薬(ジェネリック医薬品)がある先発医薬品について、後発薬並みの薬価水準まで引き下げるかどうかを議論。厚労省は「国内メーカーの開発意欲をそぐ恐れもある」と主張したが、15人全員一致で、一層の引き下げを必要とする「見直し」と判定した。
 【医療関係の適正化・効率化】医療機関や薬局に支払われる診療報酬の不正をチェックする厚労省の外郭団体「社会保険診療報酬支払基金」と「国民健康保険団体連合会」を統合すべきだとして「見直し」とした。入院時の食費・居住費も「見直し」と判定、「療養病床に比べ、一般病床の患者の自己負担は低い」と患者負担増につながる意見も。整骨院など柔道整復師の報酬請求の一部ケースで減額を求めた。
 【若者自立塾(若者職業的自立支援推進事業)】ニートなどの若者に合宿型の施設で就労体験をしてもらう事業で、10年度は3億7500万円を要求。作業グループでは対策の必要性自体は否定されなかったものの、08年度の利用者がわずか490人にとどまったことがやり玉に挙がった。12人中5人が廃止、4人が「自治体や民間に任せる」と割れたが、最終的には廃止が決まった。

▽文部科学省
 【施設関係独立行政法人】「青少年自然の家」などを運営する国立青少年教育振興機構と、教員研修センターは地方自治体にも類似施設があり「地方または民間非営利団体(NPO)に移管」。男女共同参画に関する研修を実施する国立女性教育会館は、役員報酬が高額なことなどから国からの運営費交付金(10年度概算要求額約6億円)を削減する。
 【子どもの読書活動推進事業と子どもゆめ基金】読書活動を進めるために教員や保護者向けの資料を作り、ネットサイトを運営する。「地方や市民レベルの活動があり、国が行う必要はないのではないか」との意見が出され廃止。「子どもゆめ基金」についても廃止の判定が出された。
 【スポーツ予算】地域のスポーツ施設整備やドーピング防止活動などの事業について、予算の大幅な削減が必要と判定。サッカーくじの収益をもとに独立行政法人日本スポーツ振興センターが実施する事業などとの類似が理由だ。
 【独立行政法人日本芸術文化振興会】芸術家への助成など振興会が関係する事業は、運営の方法に批判が目立ち予算の削減と判定された。
 【芸術家の国際交流等】若手芸術家の海外派遣など交流事業(要求額32億円)は、帰国後の活動状況を調査していないことなどから予算を削減。全国約5千カ所で小中学生に日本舞踊や茶道などの伝統文化を体験してもらう「伝統文化こども教室」など3事業(22億円)は「国として行う必要はない」となった。
 【放課後子どもプラン推進等】空き教室で子どもの居場所をつくり地域の交流も支援する放課後子ども教室推進事業は、厚労省の「放課後児童クラブ」と似ていると指摘されたが、「放課後の居場所は大事」と強調する声もあり、結論は「継続」「自治体に任せる」の両論併記。家庭教育支援基盤形成事業などほかの3事業はそれぞれ「廃止」や「自治体に任せる」などとなった。
 【学校ICT活用推進事業等】小中学校で配備が進む電子黒板やコンピューターなどICT(情報通信技術)機器を効果的に活用してもらうため、教員の研修などを実施する学校ICT活用推進事業(要求額7億円)は、機器そのものの必要性に疑義が示され廃止。新学習指導要領に基づく11年度からの小学校での外国語活動(英語)必修化に向けた「英語教育改革総合プラン」(モデル事業)も、教材の全児童らへの配布が無駄遣いなどと指摘され、廃止となった。
 【農山漁村におけるふるさと生活体験推進校事業等】小学生に自然の中で1週間程度の宿泊体験をさせるモデル事業。メンタルヘルスなどに対応するため、専門医を学校に派遣する事業と一緒に論議された。モデル事業として行われることに疑問の声が上がり、評価は「廃止」と「地方自治体へ移管」が拮抗(きっこう)。結論は「国の事業として行わない」となった。

2009年11月17日火曜日

「山西省残留」の真相究明に生きる

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新潟県生まれ、元陸軍兵長。

体内の砲弾の破片は、今も空港の金属探知機を通るたびに反応する。

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「山西省残留」の真相究明に生きる、奥村和一さん(85)。私には、この顔に見覚えがあった。

20091017 毎日新聞朝刊の経済・社会6面に、かって私のブログでも紹介したことのあるドキュメンタリー映画「蟻の兵隊」の奥村和一さんのことを「ひと」で紹介されていた。世間は、もっとこの件に注目しなくてはいけないのではないか、と思うのです。以前、映画を観た時に手に入れたパンフレットを出してきて、復習してみた

何故、今、こんな時期にこのような記事を毎日新聞が取り扱ったのか、その理由は判らないのですが、この事件の実態を、行動を共にした戦友たち、無念な思いで亡くなった戦友のためにも、その真相を世に訴え続ける奥村さんにエールを送りたい。一緒に裁判を起こしていた戦友は、次から次に亡くなっていくなかで、資料整理に勤(いそ)しむ。奥村さんの奮闘記だ。

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この事件を、ここでもう一度おさらいしておきたい。

日本は1945年8月にポツダム宣言を受諾し降伏したが、中国山西省に駐屯していた北支派遣軍第1軍の将兵5万9,000人のうち約2,600人は、その後も武装解除を受けることもなく残留し、中国国民党系軍閥に合流、共産党と戦った。国民党系軍閥の閻錫山〈えんしゃくざん〉将軍から残留を強く要請された第1軍は、軍司令官・澄田中将や参謀長・山岡道武少将の企図、命令で特務団を編成した。このような不穏な動きに、日本軍全体の復員を担当していた作戦参謀の宮崎舜市中佐が派遣されたが、澄田や山岡は耳を傾けなかった。誤魔化したのだ。宮崎中佐は悔しがった。そして、残留兵は、敗戦後3年半も、共産党の軍と戦い続けた。映画の中で宮崎さんは、奥村さんの問いかけに、病院のベッドに寝込んだまま、当時の悔しさが蘇り、悲鳴まじりの聞き取れぬ声音と息を発し100歳近い老体を震(ふる)わせた。目には涙が溢れてきて、顔をぐじゃぐじゃにして怒っていた。

こんな馬鹿なことが事実として、あったのだ。

澄田は軍閥・閻錫山の軍の最高顧問に就いて指揮をとった。国民党軍の雲行きが怪しくなった頃、澄田や山岡は多くの将兵を残して、飛行機で脱出し日本に帰国した。結局、戦犯になるのを免れた。

捕虜となり抑留されて、1953年から54年に帰国したが、待っていたものは終戦翌年3月に「現地除隊」の手続きがとられ、軍籍を抹消されていた。

そして奥村さんたちは、国と政府を訴えた。残留兵らは、軍の命令によって残留したのであり現地除隊させられたことも身に覚えのないのだから、日本に復員するまでの軍籍が認められるべきであり、軍人恩給や戦死者遺族への扶助金も支払うべきだと主張した。

だが、政府見解としては、軍首脳の言い分をそのまま支持している。軍命はなかった。残留は兵士本人の意志によるものだと結論した。

この訴えは、2005年9月、最高裁は上告を棄却。口頭弁論は行われなかった。

(映画「蟻の兵隊」のパンフレットより。一部山岡が書き加えました。)

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以下は新聞記事のまま、転載させていただいた。

20091017

毎日新聞・朝刊。「ひと」

「山西省残留」の真相究明に生きる元日本兵

奥村和一さん(85)

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左耳は聞こえない。時折、体内に残った砲弾の破片が暴れだす。そのたびに「ウソの歴史を正すまで、死ぬわけにはいかない」と思う。

終戦後、中国山西省で国民党系の軍閥に合流した日本軍2600人の一人として戦った。上官から「共産化を防ぐことが日本の国体を守ることになる」と命じられての残留だった。砲弾の直撃で重傷を負ったのは、戦争放棄をうたった日本国憲法が施行された翌年。故国の土を踏んだ時は終戦から9年がたっていた。

待ち構えていたのは、ねぎらいではなく、厳しい仕打ちだった。軍命で戦ったのに、国は残留・抑留期間の軍歴を認めず逃亡兵扱いした。

戦友とともに国を訴えた裁判は05年に敗訴が確定。けれども、その経緯をまとめたドキュメンタリー「蟻の兵隊」(池谷薫監督)をきっかけに、日本軍の山西省残留問題が世に知られるようになった。

支援の声に後押しされて改めて裁判を起こすはずだったーーー。だが、「仲間の多くは亡くなり、1人になってしまいました」。今は資料の整理と、軍命の存在を裏付ける公文書の発掘に力を注ぐ。

「軍隊時代、兵舎で物が盗まれると、泥棒ではなく盗まれた兵隊が悪いという論理がまかり通ってた。このままでは残留命令に従ったものが悪いということになってしまう」

1ヶ月前、がんと診断された。予期せぬもう一つの戦いが始まった。「どちらも逃げるわけにはいきません」

2009年11月11日水曜日

3日は、七五三詣りだった

20091103。

保土ヶ谷区神戸町にある神明社で、孫2人の七五三詣りをした。神明社は、旧伊勢神宮領榛谷(はんがや)御厨(みくり)総鎮守)だ。

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七五三詣りは、満年齢で男の子は三、五歳、女の子は三、七歳になると、これまでの子供たちの成長と健康を感謝するとともに、さらなる今後の成長と健康を祈願する儀式として行われることになったようだ。昔?は数え年だったようです。

前日は雨が降った。本番、雨が降れば困るなあ、と心配していたが、今日は、雨(あま)っけがすっかりなくなって、よく晴れた。

今日、11月3日は文化の日だ。新聞〈朝日)を読んでいたら、「今日はなぜ『文化の日』?」という記事を見つけたので、その記事から今日の日のことを抜書きさせてもらう。文化の日は、48年の「祝日法」制定当時から続く祝日。11月3日は明治天皇の誕生日で、戦前は明治節だった。どんな経緯で明治節が文化の日に生まれかわったのか。憲法記念日とする考え方もあったようだ。山本勇造・参院文化委員長(作家の山本有三、「路傍の石」の著者だ)は、当時、11月3日をこう理由づけた。戦争放棄を盛り込んだ新憲法公布の日で忘れがたく、『自由と平和を愛し、文化を進める』、そういう『文化の日』ということに我々は決めた」。やや強引。ややこじつけ。自由や平和の日でもよかったのに---。

今日の七五三の主役のうち、七はなしで、五は私たち夫婦の次女・花の長男「ハ」で、三は長女・実の長女「カ」。

お祈りされる当の二人は、朝早くから初めて着せられた着物がうれしく、うきうきした気分でいたのは、傍にいる我らにも伝わってきた。カは、さすがに女の子で、頭に飾りの櫛をさしてもらい、和物の手提げを持って、気持ち良さそうだった。袴姿のハは、テレビの時代劇に出てくる侍にでもなったつもりで、家人の母の貴重な杖を借りて、バカ殿のチャンバラのフリをして遊んでいた。ハは、用意していた草履は、どうしても慣れなくて、いつものトラックシューズだ。そのバカ殿も、神前に行く前には、もう飽きた、と言っていた。神社の境内で、記念写真をバカバカ撮った。

京都から義母(家人の母)が来てくれた。この七五三詣りと、長男・草のお嫁さんの出産、あかちゃんを見るためだ。家族がふえて皆、楽しく暮らしている光景を、嬉しいと言ってくれた。静かに、我らの撮影会を眺めていた。義母には、横浜に滞在中、これ以外にも忙しい今後の予定が入っているのです。水戸に住んでいる堀川女学校時代の友達と東京駅大丸で食事会、飯能と府中に住んでいる小学校時代の友達と池袋東武百貨店でフランス料理で食事会、川崎の亡くなった夫の妹と、横浜駅で食事だ。82歳。私には、父も母も亡くなってもういない。どうか、健康でもっともっと長生きして欲しいと思っています。

いつもいる巫女さんが、特別な日なのにいなかった。神主さん一人で、何もかもこなしていた。式次第の説明から、神事の細事まで。宮参りの人もいたのですが、この若夫婦は子供に着物をうまく着せられなくて苦労していた。気付いた神主さんはその世話もやいていた。この赤ちゃんのおじいさん、おばあちゃんもいたのだが、この老夫婦は何も出来なかった。

主役の二人は、神前では恭(うやうや)しく、頭(こうべ)を垂れていた。神主さんからお札入りの袋と千歳飴を、ありがとう、と大きな声で受取っていた。今日の二人は、行儀良くできました。

千歳飴は、鶴亀松竹梅の模様が描かれた袋に入っていた。きっとお多福顔が描かれた飴で、切っても切っても同じ絵柄があらわれる長い飴だ。長く長く、幸せに暮らせるようにと願いが込められているのでしょう。

神明社は、私の会社の傍にあって、日ごろ何かとお世話になっている氏神様です。横浜市内で、いくつもある同名の神社の中でも、最も由緒の古い神社の一つとされている。天照皇大神宮を祀り、伊勢神宮同様、天照皇太神宮、豊受大神宮(外宮)がある。

 

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★神明社のパンフレットに保土ヶ谷・神戸の地名の由来が書いてあったので、ここに転記させていただいた。

一説によりますと、保土ヶ谷の地は昔、幡屋郷(はたやごう)と言われていましたが、平安時代の末期に伊勢神宮に寄進され「榛谷(はんがや)御厨(みくり)」と呼ばれるようになりました。そして榛谷がなまって保土ヶ谷に、また神戸とは神宮のご料地であったことからきていると言われています。

2009年11月9日月曜日

私の中のあなた

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映画=「私の中のあなた」

監督=ニック・カサヴェテス

姉・ケイト=ソフィア・ヴァジリーヴァ

妹・アナ=アビゲイル・ブレスリン

母・サラ=キャメロン・ディアス

父・ブライアン=ジェイソン・バトリック

テイラー=トーマス・デッカー  アレクサンダー弁護士=アレック・ボールドウィン

デ・サルヴォ判事=ジョーン・キューザック  弟・ジェシー=エヴァン・エリンクソン

ケリーおばさん=ヘザー・ウォールクィスト

映画館=キネカ大森(東京テアトル) 西友大森店5階

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映画好きの三女と私と家人の三人で、映画「私の中のあなた」を、先日27日の18:20から観てきた。

東京テアトルの大株主である家人を巻き込んで、その優待のおこぼれを、私と三女はお裾分けをいただいた形だ。隣のブーツと言うのか室では、今大宣伝中の「沈まぬ太陽」も上映していたのですが、我がチームは迷いなく、こっちの映画を選択した。「沈まぬ太陽」は山崎豊子さんの原作を2,3年前に読んでいたので、もうエエわ、という感じ。我が家の面々は、余り宣伝されると、急に嫌になるタイプなのです。映画が終わって、館外に出たときに三女に、俺又久しぶりに泣いちゃったよ、と言ったら彼女も、ウン泣かされたね、としみじみ言うではないか。映画としての出来栄えは、私には論評できるほどの能力は身に付けてはいない、だけど恥ずかしくなるほど泣けたのだ。

以下は、映画館で頂いたパンフレットの中の文章を、乱雑に抜書きさせていただいた。

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私の命はオーダーメイド。姉を救うために生まれた。でも、今、私はその運命に逆らって、大好きな姉の命を奪おうとしているーー。

アナ11歳。白血病の姉・ケイトを救うために、ドナーとして”創られて”生まれてきた。

ケイトに生きて欲しいーー。その想いは、家族みんな同じだと疑わなかった母・サラは、ある日、信じられない知らせを受ける。

「もう、姉のために手術を受けるのは嫌。自分の体は、自分で守りたい」と、アナが両親を訴えたのだ。

病気と闘いながらも幸せだった家族に訪れた突然の出来事。

いったい何故、アナは突然大好きな姉を救うことをやめる決意をしたのか?

そのアナの決意の裏には、驚くべき真実が隠されていたーー。

 

母・サラ=「言っとくけど、あの子を死なせるつもりはないわ。絶対にね」

妹・アンナ=「小さな頃、ママが言っていた。私は青空のかけら。ママとパパの愛の結晶だって。でも、あとになって、それがウソだって分かったのーー」

姉・ケイト=「私が死ぬのはかまわない。でも、私の病気のせいで家族まで壊れてしまうのは、嫌。」

 

全米の涙を絞り、かってないほど泣けることを約束したベストセラーが、遂に映画化!この物語に優しい命を吹き込むのは、「きみに読む物語」で世界中を涙で包んだニック・カサヴェテス監督。

母親サラ、フィッツジェラルドを演じるのは、ハリウッドのトップを走り続ける女優、キャメロン・ディアス。15年のキャリアをもつ彼女が母親に挑戦するのは初めてのことだ。母親を提訴する次女アナ役を名演するのは、「リトル・ミス・サンシャイン」で、11歳にしてオスカーにノミネイトされた天才子役、アビゲイル・ブレスリン。名女優の共演にも、期待が寄せられている。

〈家族とは何か〉〈愛情とは何か〉〈生きるとは何か〉と、さまざまな問題を問いかけながらも、決してシリアスな描写になり過ぎないように、笑顔と明るさに溢れた演出で、物語は進んでいく。時にはユーモアをもって優しいタッチで語られる物語が、切なさを倍増させ、観る者の心を見事に奪うのだ。大事な人を失うとき、人は、それぞれに違った反応をする。でも、その困難な中で、家族はまた、お互いへの絆を強めもするものだ。そうして物語は最も衝撃的で、最も優しい結末へとつながっていくーー。

それぞれの思い、そのすべては大好きな家族のため。さわやかに泣いた後は、生きていることへの感謝や、身近にいる人を愛することの大切さを、あらためて実感する。

松井ワールドシリーズで、MVP

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(キャップテンのジーターと抱き合って喜ぶ)

20091106の朝日新聞朝刊の1,22,38面、と天声人語、本日の新聞の中の松井秀喜選手の記事全てを、ここに転載させてもらった。こんな偉業こそ、ストックしておきたい。

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1面

耐えて7年 マツイの日

骨折・手術ーーー素振り信じMVP

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(2回、先制の2ランを放った)

大リーグ、ヤンキースの松井秀喜外野手(35)が日本選手初のワールドシリーズ最優秀選手(MVP)に選ばれて幕を閉じた第105回ワールドシリーズ。チームを9年ぶりの世界一に導いた男に対し、観客は試合途中から「MVP、MVP」と連呼して、その活躍をたたえた。

9年ぶりの優勝が決まって、松井秀喜はベンチから一直線に同い年でキャプテンのジーターのもとへ走り寄った。大リーグ7年目でついに頂へ到達した。

あの夏とは、逆だった。92年の甲子園大会。星陵高・松井の名は5打席連続敬遠で全国に広まった。今ポストシ-ズンは4番ロドリゲス敬遠、松井勝負の場面が度々あった。「おれは、(勝負されて)打ってるもん。プレッシャーなんて感じない」。世界一へ向けた強い思い。眉を上げて少しムッとした。第6戦も、2,5回にロドリゲスが際どいコースを攻められ四球で出塁。2度とも生還させた。

当時を振り返り「おれもおじさんになったな。選手としては、夕方4時くらいかな?」。シリーズ直前、冗談めかして松井は言った。順風満帆だった巨人時代とは違い、ここ数年は苦難の日々が続いた。06年5月には左手首を骨折した。07年オフに右ひざ、昨オフには左ひざを手術した。

ここ数年、取材中に一瞬、会話が途切れることがあった。「ひざは大丈夫?」。そう聞くと、「まあ、心配するな。何とかなるから」。オフに何度も聞いた言葉だ。楽観でも悲観でもない。周囲の不安な雰囲気を、いつもの甲高い声で和らげる。自分にも言い聞かせているようだった。

尊敬する長嶋茂雄・巨人元監督の教えだけは忠実に守り続けた。一心不乱にバットを振ることが、復調への糸口と信じて疑わなかった。「素振りにこそ打撃の全てが凝縮されている」。バットが空を切る音に耳を澄ました。

おかげで復調の兆しが見えた。今季は移籍後、2番目に多い28本塁打を記録。ワールドシリーズの第3戦では、流し打って左翼席へ本塁打を放り込んだ。パワーと技術がないと出来ない離れ業。「おれもまだまだ、いけるね」。うれしそうに話した。そして、日本選手で初めてMVPに輝いた。

戦いは終わった。しかし、松井にはもう一つの仕事が残っている。ヤンキースとの契約が今年で切れる。残留できるのか、移籍か。松井の考え方はいたってシンプルだ。

「守備機会にこだわる。ひざをさらに回復させ、もう一度、打撃と守備でプレーしたい」。高校時代からバットを振って、走って体を仕上げてきた。来季はそのプレースタイルにこだわる気持ちがある。それを受け入れてくれる球団はどこか、だ。

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天声人語

7年前、大リーグ挑戦を決めた松井秀喜選手は、記者会見で一度も笑わなかった。「何を言っても裏切り者と思われるかもしれないが、いつか『松井、行ってよかったな』と言われるよう頑張りたい」。そう、本当によかった。

背番号55の大活躍で、ヤンキースがワールドシリーズを制した。粘っての先制ホームラン、2本のタイムリーとも胸のすくう当たりだった。栄冠には、日本人初の最優秀選手(MVP) という宝石がついた。オノをぶん回すような巨体がそろう米国では、勝負強い中距離打者の印象が強い。イチロー選手がカミソリなら、ゴジラはナタの切れ味だろうか。どっしりと構え、狙いすまし、しなやかに一撃を見舞う。

耐える男にみえる。右足で細かく間合いをはかり、総身に火薬を満たしてなお、際どい球を見送る。会心の一発が出れば、喜びを押し殺してベースを回る。けがやスランプを理由に取材を拒むこともなかった。

「巨人の4番」を捨てた最初の選手である。日本にとどまれば何度もタイトルを取っただろう。ワールドチャンピオンにしても、何人かの日本人が先に経験した。4年契約の最終年、新装のヤンキースタジアム。野球の神様は、最後の最後に「マツイの日」を用意していた。

辛口で鳴らすニューヨークのファンが総立ちでMVPコールを送る。くしゃくしゃの相好で大男たちと抱き合う姿に、そうか、7年分の笑顔なんだと納得した。自分を裏切るな、迷った時は挑戦せよ、倒れるなら前に。いくつものエールを発する、いい顔だった。

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22面より

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(3回、中前に2点適時打)

ヤンキースの松井秀が、念願の「世界一」を最高の形で手に入れた。4日、王手をかけて臨んだワールドシリーズ第6戦は5番指名打者で4試合ぶりに先発出場。2回に先制2ランを右翼越えにに放つと、3回は中前に2点適時打。5回は右中間へ2点二塁打。4打数3安打6打点で、優勝とともに、日本人初のシリーズMVPにも輝いた。

日本選手がワールドシリーズに出場して優勝したのは、05年の井口(ホワイトソックス)、06年の田口(カージナルス)07年の松坂、岡島(ともにレッドソックス)に続いて5人目。全6試合に出場し、計13打数8安打8打点3本塁打、打率6割1分5厘の松井は、MVPにふさわしい活躍だった。

MVPコール  満場が熱狂

試合途中にもかかわらず、地元のヤンキースファンの一部から自然発生的に「MVP」のコールがわき起こった。5回。1死一、二塁で迎えた松井秀の第3打席だった。5球目の甘い変化球をとらえると、鋭いライナーが右中間を破り、試合の流れを決める2点を挙げた。総立ちのファンの拍手を浴びながら、二塁に到達した松井はニコリともしなかった。夢にまで思い描いたワールドシリーズ優勝をかけた大一番。不動の心を貫く35歳のプレースタイルは、いつもと変わらなかった。チームが勝つために何ができるかーー。2回の先制2点本塁打も、3回の中前2点適時打も、厳しいコースを攻められながら、相手の失投を見逃さずにとらえた。冷静に好球を待ち続ける意識が、勝負どころで見事に生きた。

第2戦では決勝のソロアーチを放ち、シリーズの流れを変えた。第3戦では代打でだめ押しの一発。打率6割1分5厘は、10打席以上立った打者に限ると、100年を超すワールドシリーズ史上歴代3位の高打率だ。松井秀は言う。「みんなの気持ちが勝ちに飢えていた。それが僕にもいい形で出たと思う」

ワールドシリーズで大活躍した選手は、名門ヤンキースでも「レジェンド(伝説)」と呼ばれる特別な存在だ、日本選手初のMVPに、松井秀は「大きな思い出になった」。伝統のピンストライブの球団の27度目の優勝が語られる時、フアンもまた「マツイ」の名前を永遠に語り継いでいくだろう。(村上尚史)

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38面

努力の天才 魅せた

松井MVPに歓喜

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(5回、2点適時打)

大リーグのワールドシリーズで最優秀選手(MVP)を獲得したヤンキースの松井秀喜選手(35)の活躍を、関係者は祝福した。

ヤンキーススタジアムでは、父の昌男さんら家族がスタンドから見守った。試合開始前に携帯電話に本人からのメールを受けた昌男さんは「頑張る、という内容で、今日はやりそんな気がした」と感激していた。

出身地の石川県も祝福ムードに包まれた。

甲子園で活躍した星陵高校時代、松井選手を指導した同高校野球部総監督の山下智茂さん(64)は、金沢市内の学校法人のテレビで試合を見守った。「ベンチの中での表情から気迫が伝わり、やってくれると思っていました。感動しています」

山下さんは今年6月、不調に苦しんでいた松井選手をヤンキーススタジアムに訪ねた。古傷のひざをさすって復調の願掛けをし、「今年こそ世界一になってくれ」と激励したという。「彼は努力の天才。今回の結果も、彼の頑張りがあったからだと思う。今はただ『おめでとう』と言いたい」と表情をほころばせた。

古巣の巨人からも祝福の声が相次いだ。

長嶋茂雄・元巨人監督は「MVPに選ばれた松井の笑顔を見て、涙が出るほどうれしさがこみ上げてきた。ワールドシリーズに勝つためにヤンキースに入団して7年、心身ともに苦労が多かったと思います」とコメント。

原辰徳監督は日本シリーズの試合前に「彼は世界一になる目的で巨人から海を渡ったのだから、本人も心の底から達成感を感じて喜んでいるんじゃないかな」と語った。

また、王貞治・ソフトバンク球団会長も「ここ一番の大勝負でヤンキースの主力選手として、チャンピオンを自分の手でたぐり寄せたことはすごい」と松井選手の活躍を喜んだ。

私に3人目の孫が、誕生!!

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(ようこそ。こんにちは、あかちゃん)

私たち夫婦に3人目の孫が生まれた。091108(日)、07:10。私たち夫婦の第二子で長男・草夫婦に、女の子が生まれました。

私は今朝、面会はできないのは判っていたのですが、入院中の病院が通勤の途中にあるので、兎に角寄ってみた。妊婦に、徹夜で付き添った息子に会って、様子を窺おうと思ったのです。病棟横の夜間入り口から、息子に電話したら、お父さん今生まれたよ、との返事と赤ちゃんの元気に泣く声が受話器から聞こえてきた。その赤ちゃんが泣いている声がそうなのか。そうや。よかったなあ!!、と答えたが、声帯の機能が急に変調、声がウルウルしてしまってそれ以上のことが言えなくて、お母さんには知らせておくから、と電話を切った。安心した。

息子にも「子ども」ができたのだ。

この父親は、いままでは、30年来の私の息子で、新米の社会人で、夫としては駆け出しだ。これからは、それに父親役が重なって担うことになる。この事実は重要だ。子どもの成長を見守って暮らす生活は、大変だけれど、私にとっては実に楽しく、生きがいをもてた。色んなことがあったけれど、楽しい思い出ばかりだ。新しく父と母になった君たちに、期待する。欲を言えばキリがないが、子どもを元気に有為に育てて欲しいと願う。そして、ここが肝心なのですが、君たちには、いい父親いい母親になって欲しいのです。

家人に子どもが無事に生まれたことを報告してから、約一時間程して、ところで、お父さん、子どもはどっち、よ? 男の子だったの?女の子なの? 緊張がほぐれた後の、なんと間抜けた会話だったことか。私たち夫婦の、4人目の子どもの時もそうだった、家人の母から無事に生まれたよ、と聞いた途端ヒザががくがくと崩折れ、生まれてきた子どもが女の子だったのか、男の子だったのか、聞きそびれた。友人に子どもが生まれたんだ、と報告したら、どっち、よ?男の子?女の子?と言われて、慌てたことを思い出した。

2448グラム、少し小ぶりな女の子で、全体的には我が山岡系の顔ではなく、母親似でしたとは家人からの知らせだ。つい、良かったなあ、と言ってしまったのには、日頃の思いが口に出たまでのこと。

昨日08:00破水があって、その足で入院した。実に24時間の耐久レースだった。最後の5時間は分娩台で悲鳴を上げながらの大格闘だったようだ。産婦は、今(昼)、ベッドでぐっすり寝込んでいますので、ご安心ください、とは息子からのメールでした

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(俺が親父だ、よろしく!!)

 

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(俺は、君の親父のオヤジだ)

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                             (めっちゃ、かわいい)

仕事を早い目に終えて、病院に行った(18:20)。マスクをしないと入れませんと守衛室で指摘され、マスクを自動販売機で買った。1箱2個入り100円だった。新しくお父さんになった息子・草は、小さなベッドに寝かされた子供と、じっとにらめっこ状態だった。ちっちゃな体だったが、存在感はあった。美人になるなあ、と直感した。でも、鼻は間違いなく山岡家のモノだ。指の腹で顔を触った。つきたての餅の薄皮のようだ。私たち夫婦から生まれた4人は、どれも大きかったので、そのちっちゃさに驚いた。お父さん、抱いてみる、と言われたけれど万が一のことを考えて遠慮した。王姫はぐっすり眠っていた、が時々、顔の一部を動かすのを見て、息子と私はニンマリ微笑み合った。

お父さん、めっちゃ可愛いわ。そりゃ、そうだよ。この私の息子も、親父になったのかと私は感無量だった。このようにして、世代が継がれていくのだ。

20:00には、退館しなければならない。息子に晩飯を食いに来いよと言って、私は先に自宅に向かった。

2009年11月4日水曜日

晩秋の国道1号線を歩く

10月22日、金融機関の役員や担当者らと、湘南地区某所の大手建設会社の社宅を、リノベーションして再販する事業の可能性を探るため、現地で打ち合わせすることになっていた。

戸塚影取にもう一つの検討中のプロジェクト案があって、その企画も急がなくてはならなくて、弊社のスタッフだけは、22日の早朝に湘南地区に足を踏み入れる前に、この戸塚影取に集合することになった。

私は、はたと考えたのです。権太坂から車に乗って会社のある天王町まで出るぐらいなら、このまま自宅から歩き出して、戸塚影取に到着さえすれば、後は車に乗せてもらえる。確実に決められた時間内に着きさえすれば、全てオッケーだ。

今年の夏には、恒例の真夏の長距離散歩ができなかったことを思い出して、急遽晩秋長距離散歩を決行することにした。今回は全長約12キロメートルだ。人間の体には1年(強)に、半年(中)に、3ヶ月(中)に、1ヶ月(弱)にそれぞれ1度は、筋肉に強中弱とストレスをかける必要があるのだ、と考えているのです。

06:45に家を出た。環2境木、環2平戸、不動坂から横浜新道に入って、戸塚警察、原宿。会社に向かっている同僚に、私は歩いて戸塚影取に向かっているので、俺のことは気にしなくてもいいから、と携帯電話で知らせた。

横浜新道は、神奈川区常盤台から戸塚区上矢部に至る4,5キロメートル。

不動坂交差点から大坂上までの道路を、ワンマン宰相と言われた吉田茂首相が、大磯の自宅と東京の行き帰りに、国道1号線の戸塚駅隣の踏切で、長時間電車の通過に待たされることが度々あって、そのことに業を煮やして、踏み切りを通らなくてもすむように、バイパスとして作ったのです。その吉田茂首相のワンマンぶりから、世の人々は、この部分の道路のことを愛と皮肉を込めて「ワンマン道路」と言うようになったそうだ。

どんなことがあっても、08:30に戸塚影取に着いていなければ、その後のこともあって、スタッフに迷惑をかけることになる。この私が、皆に迷惑をかけるなんて絶対許されないことだ。いつものペースではなく、2段ぐらいギヤーを高速にいれた。風はひんやりしているのですが、汗がシャツに滲んできた。額の汗のつぶが下がってきて、目に入る。

車の排気ガスが、以前よりも少なくなっている。かっては、黒煙を噴射しながら走っていた車もあったが、私が歩いている間はそんな無節操な車は走っていなかった。廃ガス規制をしているからなのだろう。かって、道路脇にある建物や工作物などは排気ガスで煙ったように黒ずんでいたものでした。

洗濯物を干したままの家がある。昨夜は帰って来なかったのか、それとも今朝洗濯物を干して出かけたのだろうか。干してある洗濯物の中に女物もあるので、軽く目を向けただけで、じろじろ見ることは避けた。空き巣泥棒なら、こんなことでも狙いどころにするんだろう。干してある洗濯物で、その家族の構成や職業、年齢、生活の豊かさ度合いまで想像がつくのですが、余り品のよくない思いつきだと恥じた。

家の周りに、その家の家業に必要な物なのだろうが、工事道具や、建材やらが乱雑に積み上げられている家もある。もう少し片付ければ、いいのにと思う。そんなことにかまっていられない程に忙しいんだよと怒られそうだ。お金にも忙しいのかも知れない、と思いついてこれもいやらしい想念だと恥じた。

歩道の整備が行き届いていない所が、いくつもあった。普段余り歩く人が少ない所なんだろうが、やはり整備しておいて欲しいと思った。老人が歩く所を見つけだせないようでは困るではないか。旧国道一号線と横浜新道が交わる辺りです。

柿が、あちこちの畑や家の庭先に、たわわに実っていた。子どもの頃、高さ10メートルもある柿の木になった柿を、秋から冬にかけて全部食ってしまうほど好きだったのです。餓鬼でした。八百屋さんに並んでいるような大きくて立派なものではなかったのですが。私には、昔から真っ赤になった柿には理性を失ってしまう性癖があって、ほんの5,6年前まで、他人の柿を黙って採(盗)ることが悪いことに決まっているのに、気付いた時には、もう口の中で噛み砕いていたものなのです。他人の柿を失敬することは善くないんだ、ということが、どうしても解らなかったのです。制御が利かなくなるのです。私は柿泥棒だったのですが、この手の罪の意識の薄い犯罪者は他にもいるように思う。ところが、5年前からイーハトーブの果樹園を自前で保有することになってからは、こんな恥ずかしい行為をすることは、自然になくなった。豊かになったのです。犯罪を減らすためには、やはり豊かにならなくてはならないようですね。

原宿を過ぎたところの交番で、交番の前に立つお巡りさんに、お早うございますと声を掛けられた。突然だったのですが、上手く大きな声でお早うございますと、返礼できた。好(よ)かった。この数年間、神奈川県警は不祥事が続いて、肩身の狭い思いをしてきたのだろう、名誉挽回の一策として、いつごろからか、交番前に立っての警らを始めたのでした。学生時代、角棒でジュラルミンの盾に衝突してから、警察官を見るにつけ、小突いてやりたい衝動に駆られてきたのですが、こんな挨拶されちゃって、にっこり笑って応えてしまった私は、いつの間にか普通のオジサンになっちゃったみ・た・い。どうせ、交番前で立って警らをするんだったら、運転中の携帯電話は駄目よ、とか脇見運転は危険だよ、お父さん、飲酒運転しないで帰ってきてね、なんて標語の書いた幟(のぼり)でも掲げてみたら、どうでしょうか。

08:10に戸塚影取に着く。所要時間は1時間25分。鳩首、残念ながらこの物件の企画を没にした。

2009年11月1日日曜日

恋は永遠ですか?

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朝日・朝刊

オーサー・ビット2009より2話

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☆ 瀬戸内寂聴さん

瀬戸内さんの波乱万丈の人生を知ってか生徒からは「恋と愛の違いは?」「恋は永遠ですか」と質問が相次いだ。

「恋は仏教では『渇愛』と言う。愛するだけでは足りず愛されることを求めるのね。仏教で『慈悲』と呼ぶのが愛。見返りを求めません」「恋は残念だけれど永遠じゃないわね。アメリカでは長くて4年と言います。私は2年だと思う」

(岩手県立福岡高校浄法寺校と、二戸市立浄法寺中学校の生徒、保護者、公募の市民を前に)

 

☆亀山郁夫さん

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エリート意識にとらわれ、金貸しの老人を計画的に殺した若者。だが、「この主人公を嫌いだ、許せない、と思った人は?」と尋ねると、手を上げる者はいない。「どうしてかな」。首をかしげる生徒たち。亀山さんはやさしく説いていく。

それは『罪と罰』が善ではなく、悪と同化させる力を持つ物語だから。読者は悪の主人公と一体化することで、善悪とは何かと自問し始める。つまりこの物語は、考える魂を目覚めさせる「最初で最後の童話」だという。

「じゃあ、主人公に科された刑をどう感じた?」。2人の女性を殺したラスコーリニコフは、流刑地での強制労働8年という刑を言い渡される。「人を人とも思わず殺した」という点で、亀山さんは、昨年の秋葉原無差別殺傷事件を引き合いに出した。「秋葉原の犯人は、極刑を免れないかもしれないのに」

時代を超えた二つの凶悪事件の犯罪心理は、生徒の関心事でもあった。女子生徒の一人が意見を述べた。「ラスコーリニコフは自白したけれど、反省はしていない。苦しみから逃れたかっただけだ」。異論は出ない。いよいよ謎だ。彼はなぜ、たった8年の刑だったのか?

亀山さんが沈黙を破った。「刑を軽くしたのはドストエフスキーが主人公と読者に与えた、死ぬな、生きろ!というメッセージなんです」

(愛媛県立松山西中等教育学校の生徒を前に)

シラケ鳥が、鳴き止まない

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先の衆議院選挙で自民党が大敗して、逆に言えば民主党が大勝して、その後自民党の総裁選では谷垣禎一氏が選出されて、やっと、28日国会が開かれた。初日、鳩山由紀夫首相の所信表明演説に対して、各党の代表質問が始まった。トップバッターは自民党の谷垣禎一総裁だった。

質疑の内容については兎も角、ここで話題にしたいのが、自民党のシラケ具合が余りにも酷(ひど)過ぎることだ。私は、私なりに自民党が糞根性丸出しで、なりふり構わず矢(や?)るのでは、と期待していたのです。谷垣総裁の質問にも、お利口で上品で頭のいい人なのはよくわかるのですが、野党の党首としての迫力が余りにも無さ過ぎる。衆議院選挙大敗の総括をきちんとして、自党の目指す国づくりの方策を練り上げて、この国会に臨む戦略を構築したのだろうか。民主党に対抗できるだけの案を作成したのか。否、なあ~んにも、党内論議をやってないのではないのか、そのように思われた。やっと議論をぶつける正念場に差し掛かったというのに、何よりも、自党の総裁が代表質問の座についているのに、聞き入る同僚議員の真剣の無さ希薄さが、丸々テレビ画面に映し出されて、視聴する側をウンザリさせた。元首相の、森、安倍、福田に麻生らの間抜け面(づら)がひな壇状に並んでいた。

国会議事堂の上空にも、私の頭の上にもシラケ鳥が、シ~♭~ラ~♯~ケ~、群れ飛んでいる。

そして昨日、29日のこと。仕事で川崎区高津区の野川に行くために、田園都市線の宮前平駅からタクシーに乗ろうとして、構内乗り場で客待ちの車のウインドウーをコブシで叩いたが、運転手が私の存在になかなか気が付こうとしない。思い切り強く叩いて、やっと気付いた運転手は、恐縮して平謝りした弁解の内容は、自分の不注意と言うよりも、ラジオで聞いていた国会中継の内容にいささか頭にきていたようで、そのことが恰(あたか)も気が付かなかった原因のように、ベラベラ喋りだしたのでした。

まずは、タクシーの利用者が、この1,2年で俄然減ったことを嘆いた。土曜、日曜は全く客はいません。遊びにはタクシーを使ってくれません。ビジネスで急いでいる人以外は乗ってくれません。そんな不景気の折、何ですか、あの国会での討論はどういうことなんですか。白けちゃってますよね。自民党は、腐ってしまいましたね。民主党も、可笑しいですよね、政務三役はよく働いているようだけど、なんですか、あの小沢という奴の威張り腐った態度と、鳩山のいう友愛は、本当に本気なんですかね。不安ですな。

民主党は開催される各委員会での審議の過程を公開して、民意を汲みながら民主的な手法で進めようとしているんですよね、小沢さん、鳩山さん。これって、民意を諮(はか)るってことでもあるんだよね。でも、その気はあるようだが、そのようでもなさそうだ。

今やっている国会の与野党の攻防も、あれは国会の討論になってないですよ。そりゃそうですよ、政権党が変わったのですから、与野党が噛み合わないのは当たり前ですよ、と運転手に言っても運転手は腑に落ちないようだった。

自宅に帰って、夕刊の新聞を読んで、また驚いた。谷垣総裁は、初めての党首討論で、気負ったのか、動転したのか、元々変な奴なのか、この聖なる国会で、禁忌、避けなければならない言葉を発した。過半数を大いに超した民主党の議員の野次や拍手が整然と行われ、大いに気分を害したのだろう、頭にきた谷垣総裁は、突然、民主党議員の集団を、「ヒットラー・ユーゲント」になぞらえた。ヒットラー時代のナチス党内の青少年組織だそうだ。良識派の谷垣総裁が、質問の最中に頭に浮かんだ言葉を、口から漏れ出すままにストップがかけられなかったようだ。

こりゃ、なんちゅうこっちゃと、思った。が、直ぐに民主党の最大の実力者である小沢一郎幹事長の顔が脳裏にちらつき、言葉選びは賢明ではなかったが、谷垣総裁が言いたかった本意は、なんとなく理解できた気がした。小沢をヒットラーだとは決して言ってはいませんので、ご理解をお願いします。民主党の新人議員に対して、小沢幹事長は、高級官僚を30年もやってきた人たちにさえ、君ら1年生議員の仕事は、政務ではなくて、選挙と国会?だと叩き込まれているのです。だから指導者に従ったまでのことなのです。

この民主党も危険千万だ。今後、要注意ですぞ。