(キャップテンのジーターと抱き合って喜ぶ)
20091106の朝日新聞朝刊の1,22,38面、と天声人語、本日の新聞の中の松井秀喜選手の記事全てを、ここに転載させてもらった。こんな偉業こそ、ストックしておきたい。
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1面
耐えて7年 マツイの日
骨折・手術ーーー素振り信じMVP
(2回、先制の2ランを放った)
大リーグ、ヤンキースの松井秀喜外野手(35)が日本選手初のワールドシリーズ最優秀選手(MVP)に選ばれて幕を閉じた第105回ワールドシリーズ。チームを9年ぶりの世界一に導いた男に対し、観客は試合途中から「MVP、MVP」と連呼して、その活躍をたたえた。
9年ぶりの優勝が決まって、松井秀喜はベンチから一直線に同い年でキャプテンのジーターのもとへ走り寄った。大リーグ7年目でついに頂へ到達した。
あの夏とは、逆だった。92年の甲子園大会。星陵高・松井の名は5打席連続敬遠で全国に広まった。今ポストシ-ズンは4番ロドリゲス敬遠、松井勝負の場面が度々あった。「おれは、(勝負されて)打ってるもん。プレッシャーなんて感じない」。世界一へ向けた強い思い。眉を上げて少しムッとした。第6戦も、2,5回にロドリゲスが際どいコースを攻められ四球で出塁。2度とも生還させた。
当時を振り返り「おれもおじさんになったな。選手としては、夕方4時くらいかな?」。シリーズ直前、冗談めかして松井は言った。順風満帆だった巨人時代とは違い、ここ数年は苦難の日々が続いた。06年5月には左手首を骨折した。07年オフに右ひざ、昨オフには左ひざを手術した。
ここ数年、取材中に一瞬、会話が途切れることがあった。「ひざは大丈夫?」。そう聞くと、「まあ、心配するな。何とかなるから」。オフに何度も聞いた言葉だ。楽観でも悲観でもない。周囲の不安な雰囲気を、いつもの甲高い声で和らげる。自分にも言い聞かせているようだった。
尊敬する長嶋茂雄・巨人元監督の教えだけは忠実に守り続けた。一心不乱にバットを振ることが、復調への糸口と信じて疑わなかった。「素振りにこそ打撃の全てが凝縮されている」。バットが空を切る音に耳を澄ました。
おかげで復調の兆しが見えた。今季は移籍後、2番目に多い28本塁打を記録。ワールドシリーズの第3戦では、流し打って左翼席へ本塁打を放り込んだ。パワーと技術がないと出来ない離れ業。「おれもまだまだ、いけるね」。うれしそうに話した。そして、日本選手で初めてMVPに輝いた。
戦いは終わった。しかし、松井にはもう一つの仕事が残っている。ヤンキースとの契約が今年で切れる。残留できるのか、移籍か。松井の考え方はいたってシンプルだ。
「守備機会にこだわる。ひざをさらに回復させ、もう一度、打撃と守備でプレーしたい」。高校時代からバットを振って、走って体を仕上げてきた。来季はそのプレースタイルにこだわる気持ちがある。それを受け入れてくれる球団はどこか、だ。
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天声人語
7年前、大リーグ挑戦を決めた松井秀喜選手は、記者会見で一度も笑わなかった。「何を言っても裏切り者と思われるかもしれないが、いつか『松井、行ってよかったな』と言われるよう頑張りたい」。そう、本当によかった。
背番号55の大活躍で、ヤンキースがワールドシリーズを制した。粘っての先制ホームラン、2本のタイムリーとも胸のすくう当たりだった。栄冠には、日本人初の最優秀選手(MVP) という宝石がついた。オノをぶん回すような巨体がそろう米国では、勝負強い中距離打者の印象が強い。イチロー選手がカミソリなら、ゴジラはナタの切れ味だろうか。どっしりと構え、狙いすまし、しなやかに一撃を見舞う。
耐える男にみえる。右足で細かく間合いをはかり、総身に火薬を満たしてなお、際どい球を見送る。会心の一発が出れば、喜びを押し殺してベースを回る。けがやスランプを理由に取材を拒むこともなかった。
「巨人の4番」を捨てた最初の選手である。日本にとどまれば何度もタイトルを取っただろう。ワールドチャンピオンにしても、何人かの日本人が先に経験した。4年契約の最終年、新装のヤンキースタジアム。野球の神様は、最後の最後に「マツイの日」を用意していた。
辛口で鳴らすニューヨークのファンが総立ちでMVPコールを送る。くしゃくしゃの相好で大男たちと抱き合う姿に、そうか、7年分の笑顔なんだと納得した。自分を裏切るな、迷った時は挑戦せよ、倒れるなら前に。いくつものエールを発する、いい顔だった。
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22面より
(3回、中前に2点適時打)
ヤンキースの松井秀が、念願の「世界一」を最高の形で手に入れた。4日、王手をかけて臨んだワールドシリーズ第6戦は5番指名打者で4試合ぶりに先発出場。2回に先制2ランを右翼越えにに放つと、3回は中前に2点適時打。5回は右中間へ2点二塁打。4打数3安打6打点で、優勝とともに、日本人初のシリーズMVPにも輝いた。
日本選手がワールドシリーズに出場して優勝したのは、05年の井口(ホワイトソックス)、06年の田口(カージナルス)07年の松坂、岡島(ともにレッドソックス)に続いて5人目。全6試合に出場し、計13打数8安打8打点3本塁打、打率6割1分5厘の松井は、MVPにふさわしい活躍だった。
MVPコール 満場が熱狂
試合途中にもかかわらず、地元のヤンキースファンの一部から自然発生的に「MVP」のコールがわき起こった。5回。1死一、二塁で迎えた松井秀の第3打席だった。5球目の甘い変化球をとらえると、鋭いライナーが右中間を破り、試合の流れを決める2点を挙げた。総立ちのファンの拍手を浴びながら、二塁に到達した松井はニコリともしなかった。夢にまで思い描いたワールドシリーズ優勝をかけた大一番。不動の心を貫く35歳のプレースタイルは、いつもと変わらなかった。チームが勝つために何ができるかーー。2回の先制2点本塁打も、3回の中前2点適時打も、厳しいコースを攻められながら、相手の失投を見逃さずにとらえた。冷静に好球を待ち続ける意識が、勝負どころで見事に生きた。
第2戦では決勝のソロアーチを放ち、シリーズの流れを変えた。第3戦では代打でだめ押しの一発。打率6割1分5厘は、10打席以上立った打者に限ると、100年を超すワールドシリーズ史上歴代3位の高打率だ。松井秀は言う。「みんなの気持ちが勝ちに飢えていた。それが僕にもいい形で出たと思う」
ワールドシリーズで大活躍した選手は、名門ヤンキースでも「レジェンド(伝説)」と呼ばれる特別な存在だ、日本選手初のMVPに、松井秀は「大きな思い出になった」。伝統のピンストライブの球団の27度目の優勝が語られる時、フアンもまた「マツイ」の名前を永遠に語り継いでいくだろう。(村上尚史)
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38面
努力の天才 魅せた
松井MVPに歓喜
(5回、2点適時打)
大リーグのワールドシリーズで最優秀選手(MVP)を獲得したヤンキースの松井秀喜選手(35)の活躍を、関係者は祝福した。
ヤンキーススタジアムでは、父の昌男さんら家族がスタンドから見守った。試合開始前に携帯電話に本人からのメールを受けた昌男さんは「頑張る、という内容で、今日はやりそんな気がした」と感激していた。
出身地の石川県も祝福ムードに包まれた。
甲子園で活躍した星陵高校時代、松井選手を指導した同高校野球部総監督の山下智茂さん(64)は、金沢市内の学校法人のテレビで試合を見守った。「ベンチの中での表情から気迫が伝わり、やってくれると思っていました。感動しています」
山下さんは今年6月、不調に苦しんでいた松井選手をヤンキーススタジアムに訪ねた。古傷のひざをさすって復調の願掛けをし、「今年こそ世界一になってくれ」と激励したという。「彼は努力の天才。今回の結果も、彼の頑張りがあったからだと思う。今はただ『おめでとう』と言いたい」と表情をほころばせた。
古巣の巨人からも祝福の声が相次いだ。
長嶋茂雄・元巨人監督は「MVPに選ばれた松井の笑顔を見て、涙が出るほどうれしさがこみ上げてきた。ワールドシリーズに勝つためにヤンキースに入団して7年、心身ともに苦労が多かったと思います」とコメント。
原辰徳監督は日本シリーズの試合前に「彼は世界一になる目的で巨人から海を渡ったのだから、本人も心の底から達成感を感じて喜んでいるんじゃないかな」と語った。
また、王貞治・ソフトバンク球団会長も「ここ一番の大勝負でヤンキースの主力選手として、チャンピオンを自分の手でたぐり寄せたことはすごい」と松井選手の活躍を喜んだ。