2013年8月28日水曜日

桜の森の満開の下

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20130827

19:30~

「桜の森の満開の下」

東京演劇アンサンブル ブレヒトの芝居小屋

 

坂口安吾/作

広渡常敏/脚本・演出

池辺晋一郎/音楽

  桜の森の満開の下 003     桜の森の満開の下 009

(左)は山賊の公家義徳さん、(右)は共同代表・志賀澤子さん/帰国公演の挨拶でした

 

この芝居は三回目の観劇になる。

この芝居の舞台装置や道具を担当している入江龍太氏が、前回観に来た時に裏方の苦労話を面白可笑しく話してくれた。最初に屏風を突き破って、主人公が現れる。この屏風を予備のものを含めて、毎日新しく張り合わせることや、凄まじい量の白い紙の花吹雪を、毎日毎日準備するだけでも大変な労力と時間がかかる、、、などなど。大量の花吹雪に模した紙吹雪は、公演前に団員らが自宅で毎夜、鋏で切り刻んでくれたものだ、いい話だ、それでも、桜の花のように見せるために、一部には薄い紙のものが含まれている。その紙は高価なのよ、と言っていた。静かにひらひら散る花と、吹き荒れる花吹雪とは、ちゃんと、物を変えていた。

前回観に来たとき、私は龍太の友人でもあるマサカツを次回必ず連れてくると約束したのだった。龍太はマサカツにも観てもらいたいような素振りを見せたのを私は見逃さなかった。そんな訳で、今回は、付き合いが45年になるマサカツと一緒に観た。

タイミングよく、マサカツ夫婦が0811に、我が家の新築祝いに来てくれた。その機会にこの観劇に彼を引き連れて行くことを思いついたのだった。

桜の森の満開の下で、妖しげに美しい女と山賊の怪奇な物語が繰り広げられる。作者・坂口安吾は説話をモチーフにした。大学時代、ちょっとした坂口安吾ブームがおこった。文庫本で「堕落論」「日本文化私観」を読んだ。学生時代、多少イカレテイタ私には、読後はスカッとした。私はその時代、太宰から織田作、安吾、田中英光、檀一雄を夢中に読んでいた。

 桜の森の満開の下 010   桜の森の満開の下 013

龍太とマサカツ〈左〉、共同代表・入江洋佑氏とマサカツ〈右〉

 

(あらすじ)

昔、鈴鹿峠に山賊が住んでいた。或る日、都から来た旅人の身ぐるみをはがして殺し、連れの女を自分の女房にした。その女は、山賊が家に住まわせていた七人の女房を、殺させた。一人だけを女中係に残した。

そのうちに、女房が都を恋しがり、山賊と都を目指した。都では、女房は山賊が狩ってきた首を弄(もてあそ)び、もっとたくさんの生首を狩ってくるようにとしむける。だが、そんな生活にも飽きたニ人は都を後に、山に戻ることにした。

山賊が女を背負って山に戻り、満開の桜の森にさしかかったが、山賊は避けることもなく、桜の吹雪に吹かれながらその下を通った。

その時、山賊が後方に見たものは、背負っていた女房が醜く鬼と化した姿だった。そして鬼と化した女房は、山賊の首を締めあげた。絡み合いながら、鬼と化した女を殺す。

しばらくすると、鬼は元の女房に戻って、花びらにまみれて死んでいた。いつの間にか、女房は花びらに、女房を探す山賊も花びらの中に消えてしまって、ただそこには、冷たい風が吹いているだけ。

プレーするのは監督ではない

20130826の私のブログ、「吉か凶か? J1大宮監督解任」と、同じ内容を朝日新聞きってのサッカー識者、潮氏が記事にしていたので、ここに転載させてもらった。内容は、首位からの転落、そして5連敗、その責任をとらされて、J1大宮のベルデニック監督が解任されたことだ。

先の私のブログで、この解任劇の腑に落ちない気持ちを下手な文章でゴタゴタ綴った。

そこにきて、この新聞記事だ。いままでも、私のサッカー観と潮氏のサッカー観とは、割りと違和感がない。信頼している記者だ。

 

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朝日新聞・スポーツ

編集委員・潮 智史

 

最初の驚きはいま、数多くの「?」で埋め尽くされて「いる。

J1の大宮が監督交代に踏み切った。ベルデニック監督の解任発表は10日のセ大阪戦で5連敗した後だが、その約1ヶ月前の連敗が始まる前に当時ヘッドコーチだった小倉新監督と就任を前提に話を進めていたことがわかっている。

しかし、この時点でチームは首位を走っていた。まるで、解任理由として連敗を待っていたかのようにも見えてしまうのだ。

前監督は、昨今の残留争いをくぐり抜け、開幕ダッシュで21戦無敗記録につなげた。本人でなくても、「勝たせる監督が一番ではないのか」と理解に苦しむ。クラブは「チームの一体感が保てていない」と効果的に監督を切り、選手と日本人スタッフを選択した。

解任後も負けは止まらず、24日の柏戦でクラブワースト記録に並ぶ七連敗。前監督の息が詰まるような指導からの解放感は選手にはない。首位からの急降下ぶりにも「?」が浮かぶ。「ベンチに誰がいようとプレーするのは自分たちだ」と腹をくくれる選手が何人いるだろうか。

小倉監督への待望論は選手にも強かった。しかし、オシム、岡田と日本代表監督の下でコーチを務めた47歳は選手が自ら動き出すチームづくりを目の当たりにしてきた。

「自分たちで取り組むのは厳しいことなんです」。初采配の柏戦も1点差を追う終盤に細かい指示は出さなかった。口を開けて待つ選手に何かを授ける関係では、チームは成長しないことを知っている。

13位に終わった昨年の人件費約17億8700万円はJ1で5番目に高い。毎年繰り返す残留争いにも今回の監督交代にも、ハングリーさに欠けるクラブの体質が透けて見える。

野党再編を目指すって、何を?

柿沢未途議員

 

みんなの党の柿沢未途(みと)衆院議員が、23日、渡辺善美代表に離党届を提出した。

野党再編に向けて、解党.新党結成を模索するのは党の方針に反すると、代表から離党を迫られた、その結果によるようだ。民主党や日本維新の会の一部勢力との新党結成を目指していたそうだ。、

柿沢氏の父で元外相の弘治氏が、渡辺代表の父・美智雄自民党元副総理の側近だった縁があり、みんなの党に参加していた。今回の柿沢と同じ理由で、20130807には、両院議員総会で江田憲司氏が幹事長を更迭されていた。

先の参議院選挙では、各党が自党の政治理念や政策、マニフェストを国民に掲げて、戦いを終えたばかりだ。勝った党もあれば、負けた党もある、国民が審判した結果だ。選挙結果は自民党と公明党が大幅に議席を確保、自公の連立政権は安定、圧倒的多数を占めることになった。

この巨大与党に組していくには野党の結束がなければならん、野党の再編が必要だ考えている人は多いようだが、ちょっと待ってくれよ、と私は考える。

再編を目指そうとする各党は、ちょっと前の7月の参院選挙で、掲げて戦った自党の政治理念や主たる政策、マニフェストはどうするんだ。どうせ党内論議を徹底的に尽くさなかったものだから、簡単に宗旨替えしても平気の平左衛門ということか? 未成熟の党のまま野合してどうするの? 節操がなさ過ぎる。ごっちゃ混ぜ集団を作って、そこでも、また新しい政策を練るのだろう。

日本維新の会の共同代表の橋下徹氏も、再編後の新党結成を望んでいる。自分の党、日本維新の会はどうなってもいい、とコメントしている。

そんなことよりも、渡辺代表が主張するように、政策ごとに野党が連合を組む方が自然なのではないかと思う。

2013年8月25日日曜日

吉か凶か? J1大宮監督解任

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20130824 朝日新聞・スポーツ

監督を解任された後にサポーターと別れを惜しむベルデニック氏

 

20130824の朝日新聞・スポーツ欄の「順位より解任 大宮選択  J1では異例 前監督と選手の溝深く」の記事を読んで考えさせられた。よって、私も意見を言いたくなった。

記事の内容は、万年残留争いのクラブを上位に引き上げた監督のズデンコ・ベルデニック氏(65)を解任したJ1大宮が、小倉勉新監督を迎え、再出発する。この解任劇の裏には、強いリーダーシップで選手を縛った前監督と現場の意見を取り入れながらチーム作りを進めたいクラブ側との価値観の違いがあったということだ。

◇指揮官の功績=昨年6月に就任したベルデニック監督は降格危機にあったチームを救った。守備を立て直して残留させると、今季は昨年5月から今年5月まで続いたJ1記録の21戦負けなしを樹立。さらに、7連勝をマークして、チームを初の首位に導いた。
注目度も急上昇し、各メディアで大きく取り上げられた。知名度も高まり、観客動員も増え、取り巻く環境は激変。指揮官の母国スロベニアのメディアでも、チームの結果が取り上げられるほどだった。

◇ところが、ここにきて連敗、不満が噴出=裏で、チームは問題を内包していた。指導法などを巡り、指揮官とスタッフ、指揮官と選手に溝が生まれ始めていた。


ベルデニック監督は自分以外のスタッフが選手たちに直接アドバイスすることを嫌ったらしい。ここで注意すべきは、大宮の快進撃には、当時ヘッドコーチだった小倉テクニカルディレクター(TD)らの助言などが、大きな効果をもたらしたとしても、その内容をフロント陣が監督に配慮のないやり方の表現を使って、外部にコメントをしていたこと、この騒動の実態が想像できる。良質な助言は、監督の指導の下で活きた。監督とコーチの間の溝問題は、明らかにフロント陣による仕事だ。それが怠慢だった。選手とのことは監督任せが原則。選手と監督が一体感がとれなくなったとフロント陣は言っているが、選手たちは口を揃えて、一体感はあった、監督をリスペクトしていると述べている。

 この騒動の全てはフロント、岡本武行ゼネラルマネージャー(GM)、鈴木茂社長らが、球団の管理監督を十分果たさなかったことが最大の原因と思われる。社長やGMの責任を監督に転嫁しては卑怯、悲し過ぎるぞ。必死に戦っている監督を、フロントはどのように、関与、後押しをしたのだろうか。連敗が始まる前から、社長やGMは監督の交代を模索していたと聞くが、これが本当ならば由々(ゆゆ)しい問題だ。前監督は、燦然と輝く成果をあげていたではないか。この解任は、チームの和を優先した結果だというが、問題を誤魔化しているのが、見え見え。

話を日本代表に換える。

今の日本代表が頑張っていることは認める、が、物足りなさを感じている人も、私だけではないだろう。この私のブログでも日本代表チームに辛口の意見を述べてきた。もう一(ひと)レベルアップするためには、脱皮するためには、何らかの方策が必要だと思う、と。

方策? 方策と言ったって、やることは変えることだ。チームの流れを変えるには、守備側に「異文化」の注入、「異能プレーヤー」の出現だと思っている。その者が変質者であって欲しいと書けば可笑しく理解されるかもしれないが、そのようなプレーヤーの出現を私は待っている。バランス感覚の良い監督ならば、受け入れ可能だ。今は、それをザック監督に望んでいる。

極論を言っているわけではない。従来と違った戦法や戦術で戦ったから、、、、監督がチームの一つひとつを変質させたから、、、、だから、J1大宮は飛躍できた。チームを変質させた前監督ベルデニック氏に、感謝を忘れてはならない。

日本代表の監督では、ハンス・オフト、フィリップ・トルシエ、イビチャ・オシムらが、それぞれに手法は違えども、日本人監督ではできなかった多くの要素を変質させてくれた。日本人監督らの、往々にして和をもって尊し精神では得られなかったことが、外国人監督らによって、高度な飛躍はまだまだ、だ、としても、強くなるための、勝つための理想的なイメージは描かせてくれた。ベルデック監督もその一人だった。

そんなことが、J1大宮のフロント陣は、どれだけ理解しているのだろうか。惜しい人材を失(な)くしてしまった。

2013年8月20日火曜日

はだしのゲン

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20130813 今日は昼間ずうっと、孫の晴と二人っきりで時間を過ごした。たまにはノンビリしようと、スーパー銭湯に誘ったら、僕温泉大好きと返答あり。その前に、晴が「キャップテン翼」を13巻ほど何とかオフの古本屋で売りたいと言うので、本を袋に詰めて持って行った。小学3年生の彼には、買うことには慣れていても、物を売ることの経験はない。保証人はジジイだ。勇気が求められる初めての行為、ちょっと緊張気味で、いつもの緩みっ放しの顔が、嘘のようにコワい。我らにとっては売却、彼らにとっては購入の価額の査定に時間がかかると言われ、それならばと、店内の本棚を見回っていて、この「はだしのゲン」を見つけた。話にはよく聞かされたが、私は読んだことがなかったのだ。今は8月、いい機会だ。

今、この漫画を晴と競うように読んでいる。子どもの頃、親から漫画を買ってもらった記憶はないので、今でも漫画を読むことに慣れていない。だからか、私にとって、漫画を読むのも気に入った文学書を読むのも心構えは同じ。一こま一こまを隅々まで確認して読むものだから、遅読になる。中岡一家の構成は、主人公の国民学校2年生の中岡元(ゲン)、原爆で亡くなった父・大吉(だいきち)、姉・英子(えいこ)、弟・進次、生き残った母・君江(きみえ)、海軍予科練に志願した長兄・浩二(こうじ)、次兄の昭(あきら)、原爆降下後生まれた妹・友子。進次と瓜二つの原爆孤児・近藤隆太も一時期一緒に暮らした。

まだ、物語の半ばまでしか読めてはいない。物語は激しく進んでいる。どのページにも、作家・中沢啓治の気概が溢れている。圧倒されっ放しだ。

漫画が、これほどまで人に、感動を与えるものとは知らなかった。広く読まれるべきだ。「はだしのゲン」は、いい漫画だと感心していたところだった。

その最中に、ネットで下のような記事を読んで、なんじゃ、この松江市教委の措置は? 何を考えているのだろうか? 市教委の狙いは何か?

 

以下、毎日新聞より。

漫画家の故中沢啓治さんが自らの被爆体験を基に描いた漫画「はだしのゲン」について、「描写が過激だ」として松江市教委が昨年12月、市内の全小中学校に教師の許可なく自由に閲覧できない閉架措置を求め、全校が応じていたことが分かった。児童生徒への貸し出し禁止も要請していた。
松江市では昨年8月、市民の一部から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出された。同12月、不採択とされたが市教委が内容を改めて確認。「首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」と判断し、その月の校長会でゲンを閉架措置とし、できるだけ貸し出さないよう口頭で求めた。

現在、市内の小中学校49校のうち39校がゲン全10巻を保有しているが全て閉架措置が取られている。古川康徳・副教育長は「平和教育として非常に重要な教材。教員の指導で読んだり授業で使うのは問題ないが、過激なシーンを判断の付かない小中学生が自由に持ち出して見るのは不適切と判断した」と話す。

 

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私が大学を卒業した翌年1973年から「週刊少年ジャンプ」で連載が始まった。原爆被害を伝える作品として、多くの学校の図書室には備えられ、教育現場の授業にも広く活用されている。会社のスタッフに聞いても、ほとんどの者が既に読んでいた。また、この漫画は約20カ国語に翻訳されている。ただの名作ではない、偉大な作品だ。必読書だ。

晴に、この漫画の表現が過激過ぎるという人がいるらしいけれど、お前はどう思うかと聞き質しても、怖いとか乱暴過ぎるとか、気分が悪くなったとは答えなかった。むしろ、質問の意図が解らなかったぐらいだった。それよりも、ゲンの妹・友子が誘拐されたことの方が彼にはショックだったようだ。今年の暮に、彼にも妹ができる予定なのだ。

女性の性器に瓶をつめる暴行シーンなど過激で残虐過ぎる描写が子どもたちに悪い影響を及ぼすのではないかとの意見に応えて、とった措置のようだが、子どもたちはそんな馬鹿ではない。旧世代、前時代的な、わからんチンによる判断だ。一教育委員会がこんなだいそれたことを、この程度の理由でこんな措置をとっていたとは、ナンタル(コッ)チア、サンタルチアだ。

お前らボケているのかと、ゲン(元)が、漫画の中から飛び出して殴りこみをかけてくる、覚悟をしておいた方がええですぞ、教育委員会の皆様、とりわけ教育委員長殿。市長さんのところにも、ゲンは棍棒を持って現れるかもしれませんぞ。

そろそろ、今日の二人のデイトも終わりだ。スーパー銭湯からの帰り路(みち)、歩いて2時間、二人は手をつないだり、コンビニに寄ってガリガリ君を食ったり、またしばらく歩いてはガリガリ君を食って、ぶらぶら、ぶらぶら、色んなことを話しながら歩いた。遠くに我が家が見えてから、ジジイは裸になる。そうだった! 中学校を卒業するまでは、夏の間、私は朝から晩まで「はだかの保っちゃん」だった。

2013年8月17日土曜日

本田、本気でチーム力を分析せよ

本田圭佑の画像

yahoo!より

 

日本代表のFW本田圭祐(27)=CSKAモスクワは、ウルグアイとの親善試合を終え、20130815所属するチームに合流するために成田空港を後にした。

その成田空港での本田の発言を聞き捨てるわけにはいかない。

ウルグアイ戦後、DF内田が守備的な意識を全員が持つべきだと発言したことに対して、それは違うと持論を展開。守備重視は(攻撃重視からの)後退かと問われると、「後退か、後退じゃないか分からないけれど、楽しくない」と言い切った、との発言をネットで知った。そこまで言うならば、日本代表の今の戦力での勝つイメージを語ってみてくれ。

本田君、君は少しいい気になってはいないか? そんなことをコメントできるのは、監督もしくは総合的に試合の流れを分析した者だけが言えることなんだよ。

今回の試合において君は、1アシスト1ゴールを記録したことをどの程度に理解しているの。3点も先取すれば、相手の攻撃や守備は緩んで甘くなるのは、君も解るだろう。そういう状況で、香川の得点のお膳立てをしても、君が頑張ってFKをゲットしても、それは後の祭りだ。香川は自分のゴールをどのように理解しているか知る由もないが、君は、何だか自分のプレーに満足ありげのようだ、が、結果的には、勝つための貢献ではなかった、ということだ。

でも、どこまでも、私は本田の可能性に期待する。君しか、この攻守の拙さを改善するために、選手を叱咤激励できて、日本代表チームを大きく舵(かじ)をとれるのは君しかいない。チーム全体のことを、キャップテンの長谷部やザッケローニ監督と分析を行って、一丸となって強く進むための大黒柱になって欲しいのだ。中田英寿にも、中村俊輔にもできなかったことを、君にはできる(可能)と期待する。 

他人事のように勝手なことを言っている場合ではないぞ、本田君。

結果的に勝つためには君が何して、アイツが何して、みんながどうすればいいのか。君ならそんなことを十分理解できているだろうよ。

リーダーシップを執れ。今や、かってとは違って理解度の高い選手ばかりだ。

2013年8月16日金曜日

敗戦? 文化力の敗退だったよ

昨日20130815は、68回目の終戦記念日だった。日本武道館では政府主催の全国戦没者追悼式が行われた。安倍晋三首相は式辞で、何故か、細川護熙首相以来、歴代首相が繰り返し表明してきた加害責任、アジア諸国への深い反省と哀悼については触れなかった。不戦の誓いにも触れなかった、何故だ?

盆休み中の弊社の留守番は、経理担当の新館さんと私の二人だ。会社を完全に留守にしないのが弊社の方針。彼は、何かと忙しそうに机に向かって仕事をしていたが、私は腰痛の腰を、今日こそ十分休ませてあげようと、床にゴロゴロして漫画「はだしのゲン」を読んだ。作者・中沢啓二さんの被爆体験を漫画化したものだ。昨日、孫・晴とスーパー銭湯に行く前に買って、二人競うように読んでいる。

毎年、思うところがあって、この日、靖国神社に行ってみたいと思うのだが、やっぱり今年も行くことができなかった。大学時代に行ったときには、赤尾敏・大日本愛国党総裁が堂々とアジっていた。私は猛烈に不快だった。

この終戦記念日に何か書き込みたいと思いついたが、無能な私には気の利いた内容が思い浮かばない。そういうときは、いつものように、天声人語を転載させてもらうことにする。記念日に誰もが思うことは、絶対戦争をしてはいけないと言うことだ。

 

20130815

朝日・天声人語

角川書店の創業者で国文学者の角川源義(げんよし)に〈命綱たのむをかしさ敗戦忌〉の一句がある。1975年の8月15日にがんで入院し、最期の闘病中に詠んだと、長女で作家の故・辺見じゅんさんからお聞きしたことがある。

同世代が大勢落命したのに、自分は生き延びた。いま病を得て、治療を命綱と頼んでいる。そんな我が身を突き放して眺めた句であろう。源義氏は「終戦」という言葉を嫌った。辺見さんが不用意に使うと、「あれは敗戦だ。終戦なんて簡単に言うな」と怒ったそうだ。譲れない一点だったようである。

同じ思いの人は少ないと見え、この欄でも毎年「終戦」と書くと、ご意見が届く。やや意味合いが異なるが、「終わるものなら、なぜ」と恨む手紙もあって考えさせられる。

先の戦争での日本人戦没者は軍民で約300万人。その数は戦争の末期に激増し、最後の1年で200万人近くが落命した。特攻、沖縄、空襲、原爆ーー悲劇の多くがこの間に起きている。

特攻隊で8月15日に出撃予定だった人の話を、朝日小学生新聞で読んだ。命拾いしたのだが、数日早く出撃した人もいよう。最後の1年を逆回しして玉音放送を早めてみれば、死なずにすむ人は日々増える。きょうは遅すぎた敗戦の日でもある。

「敗戦」への執着は、無謀な戦いに突き進んだ愚かを忘れまいとする戦中派の心であろう。「軍事力の敗北であった以上に若い文化力の敗退であった」と源義氏は述べている。色あせぬ言葉だと思う。

2013年8月15日木曜日

懲りないバックス、守備崩壊

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20130815 日経新聞・スポーツ

前半、先制ゴールを決めて喜ぶウルグアイ・フォルランと呆然とするGK川島

 

サッカーの国際親善試合、キリンチャレンジカップの日本ーウルグアイ戦は、20130814、宮城県利府町の宮城スタジアムで行われ、日本は2-4で敗れた。

20130730のこのブログで、先の東アジア杯では、欧州組をメンバーに呼ばないで国内組だけで優勝したが、攻撃陣には目新しいメンバーの活躍が見られたが、守備陣においてパッとする成果が得られなかったことに業を煮やした我が孫・晴が、「ジジイ、中澤佑二だよ」と主張したことを書いた。

そして、昨夜の試合だ。

先のコンフエデレーション杯から東アジア杯、守備に関しては、その後の進化どころか反省の跡さえ見られなかった。むしろ、守備力が衰退しているように思われる。それほど深刻だ。

新聞記事によると、本田はトップ下でフル出場して1ゴール1アシストで存在感を示した。4失点と守備が崩壊した一戦ではあったが、「3、4点取れなかったことを反省した方が、チームはいい方向に行くんじゃないかと思う」と攻撃面の物足りなさを指摘したとあった。それ加えて、代表チームは攻撃のかさ上げをとことん突き詰める段階にある、とも言う。だが、本田君、守備がザルではイカンよ。後半、0-3までやられてからの反撃では、遅いんだよ。

怒れよ、本田。君ならドウンガのように怒れる。長谷部では荷が重い。

私がここで言いたいのは、「ジジイ、中澤佑二だよ」の続きになるが、守備についての検証が必要なことだ。何も、中澤佑二や田中マルクス闘莉王だけではなく、このポジションを担える選手の選出・養成、強化が急がれる。まだブラジルW杯までには時間がある。この際、万能型は無理だろうから、強い意志を持った守備の堅固なスペシャリストの補強だ。

かって、朝日新聞の連載で、三浦知良が高校を中退してブラジルで過ごした日々に感じた、日本とブラジルのサッカー文化の違いについてを語っていた記事を思いだした。気を引いたのは、大人と子どもが入り交じって行う試合において、大人は子どもに対して一切手加減をしないことだった。選手は、自分たちのチームが勝つことに夢中だった、と。その辺りから、即ち、勝つためには、負けないためには、何が必要とされるのか? 答えは明解だ。勝因は、上手い奴が、早い奴が、正確な奴が、、、色々いるが、結果的には、精神と肉体の賢くて、強い奴らの集団が勝つのだ。

ウルグアイは、相手が攻め上がってきて、自陣が危険だと察知したら、警告を受けてでもつぶすことに躊躇(ためら)わなかった。これも文化なのだ。許される範囲内での、緊急事態脱却策を当たり前のように普通にやり遂げる。

守備において、決定的な状況で単純なミスをしないこと、仲間と連係してフォロー、カバーするのは当然。単純にクリアーすることも必要だろう。それよりも、ここ一番というところでは、対人プレーのいかなるプレーにおいて、体を張って、少しでも早く、少しでも強く競り勝つこと、相手のスキルを殺すことだ。

2013年8月9日金曜日

死にゆく人は青空を見ている

青木新門

作家・青木新門(しんもん)さんの話だ。

死にゆく人は青空を見ている、こんなタイトルの20130807の朝日新聞の記事をこの俺様が見逃すことはない。宮沢賢治が出てくるとあらば、尚更だ。この記事をダイジェストさせてもらった。

青木さんは、経営していた飲食店が倒産して、葬祭業者の社員として遺体を納棺するする仕事に就いた。この体験に元づいた著書・「納棺夫日記」は映画「おくりびと」となって話題になった。

青木さんは、仕事をしながら亡くなった人はどこへ行くのだろうか、と考えるようになり、仏教書の浄土へ行くでは実感がわかない。そんな折、宮沢賢治の「眼にて云う」の詩に出会って、この詩には「臨死体験」のような状況が描かれていて、その詩に魅(ひ)かれたという。

私の蔵書の賢治コーナーには、この詩がなかったが、ネットではいとも簡単に見つけることができた。そして、この詩を何度も詠み返した。

青木さんはこの詩を詠んで、死をいやなもの、きたないものと見なしているのは周りの人であって、死にゆく人が見ている景色は違うんだ、と。死は忌み嫌うものではない。納棺夫は、透き通った風のように死の世界へ行く人のお手伝い。そう確信したら、死者に優しくなれました。堂々と仕事ができるようになったんです。

青木さんは納棺の仕事を終え、亡くなった人を見とったおばあちゃんに、「亡くなるときは、きっと青空を見ておられたのですよ、そして今までのことを、ありがとうと言いながら逝かれた。そう信じてますよ」と話すと、おばあちゃんは、やっとこころが救われましたと話しかけれた、と仰っている。

賢治の視点は生と死の間を自在に行き来する。「永訣(えいけつ)の朝」も、死の現場から生まれた美しい詩です。死を直視しようとしない時代だからこそ、賢治のまなざしが輝いてみえるのだと思います。

(聞き手・磯村健太郎)

「永訣の朝」は、賢治の愛した妹の死に対峙したときの詩だ。

 

 宮沢賢治の画像

眼にて云ふ   宮沢賢治


だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽(わかめ)と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草(いぐさ)のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄(こんぱく)なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。

 

清明=二十四節気の一つ。春分から数えて五日目。太陽暦で四月五日ごろ。

魂魄=(死んだ人の)たましい。霊魂

2013年8月8日木曜日

三浦氏の胡散臭い!快挙?

三浦雄一郎 エベレスト登頂記念 プレゼントキャンペーン

何のキャンペーンの写真か私にはよく解らないが、ここに無断で引用させてもらった。

 

5月には、世界最高峰のエベレストを最高齢(80歳)で登頂に成功したと、マスコミが大騒ぎしていた。余りの大騒ぎに、私は逆に反感を持つようになってしまった。面白くない。この快挙とかに、胡散臭さを感じるのはどうしてなのだろう?

その三浦雄一郎さんが、今度は出身地の青森市から20130727に、青森名誉市民特別功労賞を授与されたとの新聞記事に、しばらく鎮静していた反感が、又、沸き起こってきた。表彰式では「夢を持ち、諦めず、毎日一歩づつチャレンジしてほしい」と呼び掛けた、と記事にあった。実に三浦さんらしい好(い)いコメントだと思う。

だが、冷静に考えてみよう。確かに80歳7ヶ月で、エベレストに登頂したのは、それはそれで立派なことで、それに対して、批判するつもりはサラサラないが、これ程までに、みんなが騒ぐほどのことなの? そんなに凄いことなんですかね。目が飛び出す程の大金を費やしたことや、下山にヘリを利用したこと、何故登りにもヘリを使わなかったのか?と聞き質すほど意地悪ではないが、それにしてもスッキリしない。

冒険家と言われているが、果たして、今回の3度目のエベレスト登頂が、冒険という範疇なのだろうか? 今回の登頂の趣旨、目的は何だったんだろう。

高齢でありながらチャレンジしたことが、世間の称賛の的になっているが、これが趣旨?目的だったの? それならば、それだけにしてくれよ、という気になる。まさか、商売のために、営業のため? に登頂を目指したのだろか? と考えさせられる顛末でもあった。

快挙快挙と叫ばれているが、私にはその快挙と云われる意味が理解できない。この高齢で誰もが達成できなかったことを成し遂げたならば、それは、それこそ見事な快挙と言うことになるが、この快挙は胡散臭さだけが残る後味の悪い快挙?だ。

2013年8月7日水曜日

おかしな、全柔連?

激しいスポーツは、初老の身に加えて持病の腰痛が酷(ひど)く、この若さで? 自分ではできなくなった。スポーツをすることで人生を楽しんできた私なのに。今は、テレビで観たり聞いたり、たまにはスタジアムへ足を運ぶこともあるが、その回数は少なくなった。新聞のスポーツ面記事や雑誌で読んだりするだけでも、まだまだ、私の血は滾(たぎ)る。

そこで、私らはアスリートの直向(ひたむ)きな姿に触れて、「人間」同士の崇高な連帯を感じ、「人間」としての生の尊さや喜びを共感するのだろう。だから、私にとって、生きていくのにこのスポーツって奴が、絶対不可欠な要素なのだ。

それほど私が愛するスポーツなのに、その団体を管理指導する協会や連盟、その最高責任者の余りにも情けない運営が明らかにされる度に嫌な気分にさせられてきた。最近では日本相撲協会だったり、日本プロフェッショナル野球組織(NPB)の加藤良三コミッショナーだ。

今度は全柔連(全日本柔道連盟)のことだ。

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20130731の朝日新聞

記者会見で質問に答える全柔連の上村春樹会長=30日午後、東京都文京区の講道館、金川雄策撮影

以下の文章は、20130731の朝日新聞の記事を材料にさせてもらった。全日本柔道連盟の上村春樹会長は、20130730に開かれた臨時理事会と臨時評議員会で藤田弘明、佐藤宣践両副会長、小野沢弘史専務理事、村上清事務局長とともに、執行部として総辞職することを表明した。理事職も退くと言うが、、、、、、、、余りにも遅過ぎだ。

当初10月を目処に辞職すると表明していたが、世間からはそれでは遅過ぎると批判を受けていた。2008年からの新しい公益法人制度において初の処分となる。全柔連の解体出直しを迫る勧告を受けて、不承不承、泣く泣くしょうが無く、止むを得ず、辞職する時期を10月から8月に早めたのだろう。

この評議委員会開会の冒頭で、会長の辞職が表明され、その後審議された執行部解任動議において、評議員たちは辞めると言っているのに、解任する必要がないと大勢は判断したようで否決された。ここでもハッキリしたのは、ほとんどの評議委員や理事は狂っている、潔(いさぎよ)さが微塵も感じられないことだ。最大に、善意に考慮して、このオジサンたちはどうしようもなく鈍い。自分の置かれている状況、自分たちの置かれている状況を、何と無神経、無能、無智に、運営に携わってきたことか!! やってはいけないこと、奸計、粉飾まで罪を重ねてしまった。

解任という事態を免れた会長は能天気に、残る期間で改革の道筋をしっかりつけたい、などと述べているそうだ。あなたには、改革するまでの時間が今まで、十分あったにも拘わらず一向に何も進めることができなかった。内閣府が公益法人の見直しカードをチラツカセたにも、だ。

この会長は、どうしょうもない。不祥事が次から次に発覚して、第三者委員会に調査を依頼するまでは、「第三者委員会に調査をお願いすることになりました」と繰り返し、依頼してからは、「第三者委員会に調査をお願いして」ありますの一本槍だった。そしてその調査委員会の調査中に、言い訳まがいの小言を文書で数回も送りつけた。お願いして、調査をしてもらっている身でありながら、ナンチュウ、失礼な会長なんだろう。この辺で、もうこの連盟は会長もろとも腐ってしまっていたのだろう。

これからが不思議な話しなんだが、会長を辞めても、講道館長にとどまり、柔道の総本山として影響を持ち続けるようなのだ。これでは、もうこの男は救いようがない。柔道界に、明日はないゾ。

全柔連が起こした不祥事が頻発した。そのどれもが悪質だった。これらの事件の一連の動きを、ここらで総決算ということにして列挙しておこう。

1月、女子選手への暴力・暴言問題が発覚。2月、園田隆二・女子日本代表監督や古村和郎・強化担当理事が辞任。3月、助成金の不正受給問題が発覚。理事1人が辞任。4月、助成金問題で第三者委が組織ぐるみと認定。上村春樹会長が進退に言及。5月、理事によるわいせつ行為疑惑が発覚。理事は辞任。6月、上村会長が「改革をやりきる」と続投表明。上村会長が10月をめどに辞任と表明。7月、内閣府が上村会長に事実上の早期辞任を勧告。

全柔連に対する勧告とは=①暴力などに依存することなく育成し、費用を適切に管理する ②不適切な助成金6056万円を返還し、全柔連幹部の賠償責任を検討する ③不祥事における執行部、理事会などの責任を明らかにし体制を再構築する  これらの措置を8月末までに取ることを求めた。

2013年8月6日火曜日

優しいお母さんになって欲しい

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20130803、私の次女・花の婿・竹ちゃんの、35歳の誕生日だった。竹ちゃんは次女一家の大黒柱、電気工事技師だ。

その誕生を祝う食事会を、たまプラーザのレストラン・ROLLINSで行った。私と家人は招待された。向かう車の中で、孫・晴は少し前に観劇した「はらっぱのおはなし」の劇中歌を歌って、皆を楽しませてくれた。子ども音楽劇で初めて聞く歌を、よくもそんなに憶えられるものだ、と吃驚した。当然、台本なし、メモなし。孫のこの手の能力は、ジジイよりもはるかに優秀だ。

それに今日は、妊娠中の次女のお腹の赤ちゃんが、女の子だとわかった日でもある。夫婦にとっては2番目、息子・晴にとっては待ちに待った妹の誕生になる。私にとっては6番目の孫になる。ギャーオー、お待たせしました、ワァーオーで「今日は赤ちゃん」は、今年の年末、クリスマス前後だ。

ビールのグラスを手にグッグウーと大きく一口飲み下して、オーダーした料理がテーブルに運ばれるまでに、私は二人目の母になる次女にお願いごとをすることにした。君は、今まで、母として仕事人としてよく頑張ってきた。そこで、私にお願いがあって、そのことを、この目出度い席を借りて言わしてもらいたい。それは、これからは優(やさ)しいお母さんになってもらいたい、ということだ。今まで、優しくなかったとは言っていない。強いお母さん、頑張るお母さんは立証済み、今度はもっともっと優しいお母さんになって欲しいのだ。微笑みの絶えない優しいお母さん。

二人の子どもを育てながら、仕事を続けようとしている君の奮闘ぶりには感心しながら喜んでいる。今度はもっともっと優しいお母さん、賢いお母さんだ。

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後は、私の知らないシンガーソングライターさんによる歌いまくりで、楽しんだ。この店のオーナーは次女の若かりし頃、雑誌カワイイなどの仕事?仲間だったらしい。苦労の果てに、築いた立派な料理店だ。ライブで、歌手をこのように近いところで見たのは初めてだったので、エネルギッシュな歌手の表情に圧倒された。音楽家の父と母を持つ関西の人のようだ。ギターで伴奏した人の斜め後ろで観ていたが、このギターリストの指の動きにも驚かされた。

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2013年8月1日木曜日

この天声人語を孫に読ませたい

朝、目覚めるのはいつも03:30前後、布団の中でまどろんでいると、大体、4時前後に新聞の配達員がポストに新聞を押し込む音が、ゴソゴソ聞こえる。我が家では、日経新聞と朝日新聞を取っているので、狭い郵便ポストに両紙を押し込むには、手間がかかるのだろう。

先ず一番最初に読むのが天声人語だ。タメになる内容が豊富、文章が秀逸で勉強になる。このタメ?に、朝日さんには首ったけ。日経新聞もタメになることこれまた豊富、1面と最終面(文化)は通勤途中の電車の中で読み、残りは会社の業務の中で暇を見つけては読み、気になる記事はスクラップする。

今日20130728は、朝日新聞・天声人語氏の記事を読みながら、この記事を目に入れても痛くない我が孫ら、まだ小学3年生の晴と1年生の銀杏に、読み聞かせてやりたいなあと思いついた。このような役こそ、ジジイが任じなければと思う。が、そのためには書き溜めておかなければ、ナラン。

 

日替わりの絵が楽しい「しつもん!ドラえもん」はいま、かんきょう編が続いている。先日は、水道を1分流しっぱなしにすると約12リットルの水が無駄になると教えられた。蛇口をひねれば水がほとばしる便利さは、無駄と表裏一体だ。

先の小欄で「みずばち」について書いたら、幾つも便りをいただいた。「水を雑に使うと水罰があたって水に不自由する」という戒めである。ある女性は水だけでなく、「火罰」や「紙罰」があたるから粗末にするなと、親から教えられたそうだ。

農民作家の和田伝(つとう)が戦前に書いた随筆を送ってくださった方もいた。随筆には、女中さんの性格は井戸端で水を使わせれば分かる、とある。締まりなく使う者は一事が万事で、味噌でも醤油でも同じだという。現代人にも当てはまりそうな、鋭い観察である。

「湯水のように使う」という表現に、和田は異を唱えている。田舎の人は惜しげもなく水を使うことはなかった。時は流れて今、日本人は1人1日平均で約300リットルの生活用水を使うようになった。

水から目を転じれば、まだ食べられるのに捨てられる食品が、国内で年に500万~800万トンにのぼるという。食料の過半を海外に頼りながら、こうも粗末にする国は、いまに「食罰」があたりそうで怖い。何にしても、ものが有限であることへの謙虚な畏(おそ)れを失いたくないものだ。地球にはいま70億の人間がひしめく。「もったいない」に通じる「罰」の感覚は、古いがモダンだ。埃(ほこり)を払って磨きたい。