朝、目覚めるのはいつも03:30前後、布団の中でまどろんでいると、大体、4時前後に新聞の配達員がポストに新聞を押し込む音が、ゴソゴソ聞こえる。我が家では、日経新聞と朝日新聞を取っているので、狭い郵便ポストに両紙を押し込むには、手間がかかるのだろう。
先ず一番最初に読むのが天声人語だ。タメになる内容が豊富、文章が秀逸で勉強になる。このタメ?に、朝日さんには首ったけ。日経新聞もタメになることこれまた豊富、1面と最終面(文化)は通勤途中の電車の中で読み、残りは会社の業務の中で暇を見つけては読み、気になる記事はスクラップする。
今日20130728は、朝日新聞・天声人語氏の記事を読みながら、この記事を目に入れても痛くない我が孫ら、まだ小学3年生の晴と1年生の銀杏に、読み聞かせてやりたいなあと思いついた。このような役こそ、ジジイが任じなければと思う。が、そのためには書き溜めておかなければ、ナラン。
日替わりの絵が楽しい「しつもん!ドラえもん」はいま、かんきょう編が続いている。先日は、水道を1分流しっぱなしにすると約12リットルの水が無駄になると教えられた。蛇口をひねれば水がほとばしる便利さは、無駄と表裏一体だ。
先の小欄で「みずばち」について書いたら、幾つも便りをいただいた。「水を雑に使うと水罰があたって水に不自由する」という戒めである。ある女性は水だけでなく、「火罰」や「紙罰」があたるから粗末にするなと、親から教えられたそうだ。
農民作家の和田伝(つとう)が戦前に書いた随筆を送ってくださった方もいた。随筆には、女中さんの性格は井戸端で水を使わせれば分かる、とある。締まりなく使う者は一事が万事で、味噌でも醤油でも同じだという。現代人にも当てはまりそうな、鋭い観察である。
「湯水のように使う」という表現に、和田は異を唱えている。田舎の人は惜しげもなく水を使うことはなかった。時は流れて今、日本人は1人1日平均で約300リットルの生活用水を使うようになった。
水から目を転じれば、まだ食べられるのに捨てられる食品が、国内で年に500万~800万トンにのぼるという。食料の過半を海外に頼りながら、こうも粗末にする国は、いまに「食罰」があたりそうで怖い。何にしても、ものが有限であることへの謙虚な畏(おそ)れを失いたくないものだ。地球にはいま70億の人間がひしめく。「もったいない」に通じる「罰」の感覚は、古いがモダンだ。埃(ほこり)を払って磨きたい。