2017年7月16日日曜日

心が痛い、我がヘルニア

昨日のことだ。

日々、椎間板ヘルニアで艱難辛苦、朝から晩まで痛い!イタ~イ、苦しい生活続きだ。
会社を少し早い目に出て、整形医院に向かっている最中のことだ。
相模鉄道の天王町駅からJR東戸塚駅まで、2時間半の徒歩中。
少しでも、足腰にいいことがあればと思ってのことだ。これも治療の一部。
その苦しみがガンガン頭の中で戦っている、そんな折、こんなことが浮雲のように現れた。

物静かな俺の心に、静かな炎が急に騒ぎ出したよう。
前記の浮雲の正体、その炎という奴は、『俺、すっかり老いさらばえてしもうて、元気が出てこない。悔しいヨ』だった。

ところで、この「老いさらばえる」とは、どういう言葉がどのように作用して、それが、どういう意味をさすのだろうか?
駿馬と言われた名馬だって、体の一部に痛みがでて、引退せざるを得ないことだってあるだろう。

大学時代から、ひりひりした痛みに辛くやられている腰痛が、今年の春から異常に強い痛みに変わった。痛みが刻々と激変した。
過日、学校を卒業して45年。
何回も、足、肩、腰、尻で違う痛みを感じ、それなりの治療をしてきた。耐えられなくて病院に入院したこともある。
そんな私が、69歳の誕生日をこの9月に迎えるその矢先、4月の幾日だったか忘れたが、腰と太ももに激痛が起こり、どのように細工を駈しても立ち上がることができなくなった。
立つこと座ることは言うまでもなく、少し寝相を変えることだってできなかった。
何回も味わった、ギックリ腰の痛みとは違う、この痛さに珍しく恐怖を感じた。

這い蹲って近所のマッサージ屋さんに行っても、これは10~20回ぐらいのマッサージでは治りませんよ、できたら、整形外科医院にでも行って診てもらうのが良いのではないか、と諭された。

会社に電話をして、兎に角今日は休ませてくださいと連絡した。受信した人は、只、不思議に思ったようだった。

そして午後、東戸塚駅の近くの医院に行った。
院長は、迷うことなく、次のように言った。
これは、難易が重い。重度の椎間板(ついかんばん)ヘルニアによる腰痛ですよ。
腰痛やら坐骨神経痛やら、腰から尻、足先までの各所が痛んでいるんでしょ。
百回ぐらいうちに来てくれたら、何とか治りますよ。だから、1日で百分の1ぐらい治ると思って、気長に来てください。
腰部の椎骨と椎骨の間の椎間板(軟骨)が飛び出し、その椎間板の一部が付近にある神経を圧迫しているんですよ。
繰り返します、気長に通ってください。
医は仁術(じんじゅつ)なり、ですわ。
ーーーだった。

巻頭の「老いさらばえる」は、どういう意味なのだろうかとネットで調べてみた。
やっぱり、俺ってもう終わりだってことか!
★ネットから得た記事です。


ベストアンサーに選ばれた回答

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ka04zuさん
編集あり2006/10/1216:50:37
「老いさらばえる」は、「老いさらぼう」に同じ。「老いさらぼう」の語源は「老い」に「さらぼふ」が付いた形。「さらぼふ」で、
①風雨にさらされて骨だけになる。
②やせて骨が目立つ。やせ衰える。
の意味。「さら」は「さる(曝。「さらす」の原型)」と同じ。「ぼふ・ばふ」の起源は不明。
以上、「国語大辞典」(小学館)を参考にしました。「さらぼふ」は同書によれば源氏物語にも見られる古語ですが、現代語では使われていないようです。
「老いさらばえる」は専ら上の②の延長で、
「老いてやせ衰えたみすぼらしい姿のこと」
の意味で使われていますね。



安倍さん、もうお辞めになったら


安倍内閣支持29.9%に急落=2次以降最低、不支持48.6%―時事世論調査

7/14(金) 15:02配信
時事通信
 時事通信が7~10日に実施した7月の世論調査で、安倍内閣の支持率は前月比15.2ポイント減の29.9%となった。

 2012年12月の第2次安倍政権発足以降、最大の下げ幅で、初めて3割を切った。不支持率も同14.7ポイント増の48.6%で最高となった。学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐる問題が響いた。東京都議選で稲田朋美防衛相が、自衛隊を政治利用したと受け取られかねない失言をしたことなども影響したとみられる。

 加計学園に関する安倍晋三首相の発言を信用できるかどうか聞いたところ、「信用できない」が67.3%に上り、「信用できる」の11.5%を大きく上回った。首相が説明責任を果たしているかどうかについても、「果たしていない」79.9%に対し、「果たしている」7.1%となり、首相に対する国民の不信感の高まりが浮き彫りとなった。首相の政権運営は険しいものとなりそうだ。

 内閣を支持しない理由(複数回答)でも、「首相を信頼できない」が前月比8.7ポイント増の27.5%と急増。前月と今月だけで14.9ポイント増となった。次いで「期待が持てない」21.9%、「政策が駄目」15.8%の順。内閣を支持する理由(同)は、「他に適当な人がいない」14.1%、「リーダーシップがある」9.0%、「首相を信頼する」6.8%などとなった。

 支持と不支持が逆転したのは、安全保障関連法を審議していた15年9月以来。支持政党別に見ると、全体の6割を超える無党派層では支持が前月比13.3ポイント減の19.4%となった。自民党支持層でも支持は同13.4ポイント減の70.1%と急落した。

 政党支持率は、自民党が前月比3.9ポイント減の21.1%、民進党は同0.4ポイント減の3.8%。以下、公明党3.2%、共産党2.1%、日本維新の会1.1%と続いた。支持政党なしは同4.5ポイント増の65.3%となった。

 調査は全国の18歳以上の男女2000人を対象に個別面接方式で実施。有効回収率は65.1%。 

2017年7月6日木曜日

「あんた」とは?

「あんた」とは、どういうことだ。

ふとしたことから、「あんた」とは、どういう言葉で、どのような使われ方が一般的なのだろうか、と考えた。
使い方間違いで、変な奴だと思われたくない。
社内外の会話で、日常的に、私は間違ったような用法をしていないだろうか。そんな不安に駆られた。
でも、間違ったことは止めなければならない。気がつかない人には教えてやりたいものだ。
はたして、正解はどうなんだ。

私は関西の、京都府宇治市と滋賀県の大津・石山の間の、山と山に囲まれた山村で育った。
京都府綴喜郡宇治田原町だ。生家はお茶の製造とお米の生産だ。
実家は、琵琶湖の糊口からの瀬田川が、宇治川になるまでの間、宇治川にそそがれる田原川のほとりに面していた。
この田原川は小さな川で、子供の頃の絶好の遊び場だった。
水は天からの貰い水。
浅瀬では魚すくいや石拾い。深い所では、近所の悪餓鬼に負けないくらい、大いに泳いだ。河辺での虫採りも得意だった。
実家は、ちっぽけな貧しい貧農だった。

私の癖は、その閉塞した村落での変則的な風習に、嵌(は)められたのかもしれない。
使い慣れた言葉は、音勢も音階も訛(なま)りも町特有のモノ、宇治田原町の地方語(方便)と言っちゃえばいいかもしれない。
行儀作法だって同じことだ。

そんな私が田舎を出て東京の学校に入り、ある私鉄の親会社に入社した。
そこでの入社教育で、言葉の訛りを改め、用語用法も標準並みに変えることを強く勧められた。仕事をする上では、憚(はばか)れるよ、支障もきたすよと教えられた。
本音を言うと、なんぜ、そんなことを言われなくちゃイカンのだ、と面白くなかった。腹立たしかった。

そこでだ、話は。
何故、ここで、「あんた」に拘(こだわ)り始めたのか?だ。
考え出したのは、3か月前、日頃の会話のなかで、私より10歳ほど年少の人から、「あんたネエ、何を何して何とかしなければならないヨ」と言われ、私は少しボケットしたまま、腑に置ちないままだった。話し相手は取引会社の社員だ。
正直、すっきりしなかった。

私の長年住んでいた田舎では、年老いた先輩格のオジサンやオバサンが、年下の人に対して、優しく、懇(ねんご)ろの念を込めて話す時に、「あんた」をよく使った。
あくまでも、年上の人が年下の人に対して使う言葉、人称代名詞・人代名詞だ。
私の頭の中では、年下の人が年長者に、気楽に使う言葉ではなかった。
だから、対称を第二人称(話し相手)とした場合は、その言語としては、あなた、きみ、お前、「あんた」だ。
男性が砕けた言い方で、ごく親しい人や目下の人をさし示す。

京都府の端(はし)くれ村の出身の私には、「あんた」はあなたが変形したもので、京ことば?でもあった、としたネットでの文章に納得した。



下には、ネットで得た「あんた」を掲げてみた。
 ★ニコニコ大百科より
 日本の二人称の一つ。冒頭で女性が使うと書いたが、男性が使うことも多い。
砕けた言い方で、自分に親しい人に使うことが多いが、男性女性が使うならニュアンスが異なり、さらにそれがに向けるかによっての差異もある。
男性が使うならば上の人でも自分にあまり近しくないどちらかというとよそ者の人に使う表現、もしくは親交を深めた上の人に使う表現として使用される。特に後者ワイルド男性がよく使うことが多いそうだ。
女性が使うならば、自分に親しい同世代の人、もしくは反発してる相手に使う二人称として使われることが多い。特に後者は所謂ツンデレが使用することが多い。
と、ここまで書いたが一般的な視点から見ればあまり歓迎される二人称ではなく、周りからの顰蹙も買うこともあるので、使用する時は十分注意すること。



★大辞林第三より
( 代 )
〔「あなた」の転〕
二人称。ごく親しい人や目下の人をさし示す。 「 -もおいでよ」 「そりゃあ-、無理ですよ」 〔近世後期には敬意をもって使われた〕

貴方(あんた)

[代]《「あなた」の音変化》二人称の人代名詞。「あなた」よりもくだけた感じの語。「あたしも―がほんとに好き」〈木下順二・夕鶴〉
デジタル大辞泉


★日本語俗語辞書より
あんたとは「あなた」が変形した言葉。

『あんた』の解説・使用例

あんたとは「あなた」が変形したもので、江戸時代には使われていた言葉である。同類語の『あーた』が主に女性から男性への呼びかけで使われるのに対し、あんたは男女共によく使われる。
※関西圏であんたは親しい間柄に使われるのに対し、関東圏では目下に対して使う言葉といったようにエリアで意味合いが異なるので注意が必要である。
あんたの使用例
  • あんたなんかにブツブツ言われる覚えないわよ
  • 私、あんたのことが昔から好きだったのよねー(関西圏)


★ピクシブ百科事典
  1. 二人称の代名詞の1つ。親しい間柄等で使われる代名詞。

二人称の代名詞の1つ。親しい間柄等で使われる代名詞。
二人称の代名詞としてはあなたそなたおぬしなどが存在する。

2017年7月1日土曜日

そんなに、やばかったの?

今から3年半前、私は4,5メートルの樹木の上から落ちて、後頭部を強く撃った。
弊社で購入した中古の戸建、 庭の樹木が余りにも高く伸びていたので、それを切るためだった。

私は社長でなくても、それでも矢張り会社の今後のことが心配の種だった。有効的な仕事がなにもできずに、只、悩んでいてもしょうがないと思って、樹木の枝を切るような仕事を仕出した。

この事故を起こした日のことは、すっかり忘れてしまった。
事故後3日ぐらいは、生きていくのが精一杯のようだった。何をどうして、どのように過ごしたかなど、何も憶えていない。
高次脳機能障害って奴だ。
意識の働かない、ただ生きているだけの体、意識不明状態だった。

先日の夕食でのこと。
お父さん、憶えている?あの家を買おうと決めた時、私たち夫婦の月収が足りなくて、あれやこれや銀行を探してみたけれど、なかなか良い返答をくれる銀行が見つからなかった。
そこで、お父さんが探してくれた銀行のみが、色よい返事をくれたのですよね。
そして、然るべき資料を出して何とか理想の金額まで許可が下りて、最後の金消契約をしに私たち夫婦とお父さんで出かけたんですよ。

その時のお父さんの体の調子が余りにも悪いことに、初めて気付いたのです。
自宅から電車に乗るまでの体のバランスの悪さ、乗ってからの気難しい顔色、駅を降りてからの徒歩での銀行への足取り、三女は、こんな親父を見たのは初めてだ、と今さらながら、苦笑した。

銀行のあるビルの中での足取りは、乱歩乱調、最悪だった。
銀行の人から難しい話をされたが、お父さんは、俯いたままで、何も言わなかった。
一通り、やるべき作業が終わって、昼飯でも一緒にしようと考えていたのですが、お父さんは、俺、会社に早く出たいからと言って、すたすたと居なくなった。
それが前日。

そして翌日。
お父さんの樹木からの転落事故を聞いた。
昨日から、お父さんは何か可笑しいかったの! 私は、いつもの活発で元気な父でなかったことを、直感していたの。
事故のことを聞いたとき、やっぱり、やっぱりナァと素直に納得した。
私には、事故のことよりも父の変わりよう~が気になってしょうがなかった。

そんなことを愉しい食事の中で交わした。
大人しく聞いていた私だが、他人事のように思われた。まさか、俺サマのことではないだろう? 自分で自分の頭を振って、自らを疑ってしまった。
私は、おかしな人間に変質していたようだ。
そして、私の不注意が重なり合っての落下事故だった。

その夜、上手く寝付かれず、悶々としながら明日からのことを考えた。




舟を編む

2012年本屋大賞 第一位

「船を編む」(著者・三浦しをん)を読む。

先ず、初めに勝ち気に腹を決めないと、この本のオモシロ味を理解できない。
それほど、気性を強めてください、ということだ。
この勝ち気とは=[名・形動]人に負けまいとする気の強い気性であること。また、そのさま。
きかぬ気。負けん気。 
[勝ち気な人]

本の題名とは関係ないが、どうして作家の名前が「しをん」なのか?
そのことが気になって、この件に先ずは注力した。
しおんさんとは如何に?だ。
常時、事務机の右隅に置いてある、講談社の日本語大辞典を調べたら、「しをん」ではなくて、「しおん」で調べられた。
・しおん「紫苑」=キク科の多年草。西日本の山地の草原に生える。
高さ約2メートル。根出葉はへら形で大きい。夏から秋に、淡紫色の頭葉が咲く。
観賞用に栽培する。根は漢方薬用。オニノシコクサ。
しをんが生まれた時、自宅の庭に咲いていた花のしをんから、両親が名前に使ったたようだ。

本の書名「舟を編む」は? 特に編むってどういう意味?だ。
本を読む前に、こんなことを気になってしょうがない!! やはり、情けない落下事故で、頭は間違いなく可笑しくなっている。
ネットで「編む」を調べた。
①「糸・竹・籐・針金などを互い違いに組み合わせて一つの形にする」
②「様々な文章を集めて書物を作る、編集する」
③「計画を立てる、編成する。」とあります」
 
危険な海や湖や川に躍り出る船が、このような要因を備えなくてはならん、と言うことか。
辞書だけではないが、何かにつけて安心・安全・安楽そして進歩的でなければならない。

「辞書は言葉の海を渡る舟、編集者はその海を渡る舟を編んでいく」という意味で、この書名になっている。


こんなに面白い小説を読んだのは、久しぶりだ。
私が、作家の言葉や思想、見識に惚れて、興味をもって随分本を読んだものだが、今まで読んだ本とは少し性格は違うこと、それが面白かった。
涙ながらに読んだと言えば、笑われるかもしれない。
さすが本屋大賞 第一位を受賞しただけあって、作家は賢者であり小説そのものも猛者級(モサ・モノ)だった。



粗筋を書いておこう。
粗筋は原書の中から、文字や文章を拾い書きさせてもらった。

この小説は、玄武書房の辞書編集部員が、新しい辞書「大渡海(だいとかい)」を作る過程の悩みや葛藤、喜びを描いたものだ。
会社が、そんなにはもうかってはいない状態での新しい辞書の制作には、困難はつきものだ。

この「大渡海」という辞書名にも、頭を捻った。
原書の中から知ったことをここに掲げる。
辞書名の「大渡海」とは「言葉の海を渡る舟」という意味で、「もし、辞書がなかったら、我々は茫漠(ぼうばく)とした大海原にたたずむ他ない」と表現している。
この「大渡海」は見出し語が24万語、大それた辞書だ。

玄武書房で、辞書一筋の編集者の荒木公平の定年はまじか。
荒木公平の仕事ぶりに惚れる辞書監修者の松本教授は、引き留めようとするが、「病気の妻を介護するため」という荒木の意志は堅い。

辞書編集に仕事の醍醐味を味わう荒木は、自らの後任探しを始めた。それほど、この辞書の編集に、意気込んでいた。
この辞書編集部に相応しい人材を社内で探し求めるのは、何事にかけてもきつい作業だ。
それでも、人材はどうしても必要で、人件費の都合上、新たに社外から求められなかった。
一般の雑誌や書物を担当する部と辞書を編集する部署とは、仕事の内容が違い過ぎた。

そこで、荒木は、辞書編集部の西岡正志が現在恋愛中の三好麗美から、言語学部の大学院卒で変人と噂されている馬締光也という人間を知る。
名前の読み方は、マジメ・ミツヤ。

名字の通り性格は極めて真面目だが、コミュニケーション能力に欠け、社内でも浮いていると言われている。
だが、言葉に対しては、卓越したセンスをもっていた。趣味でもあったが、才能も人離れしていた。
馬締は、松本教授が熱意を燃やす「大渡海」の編集スタッフに異動となった。

編集に15年以上を要するのが当たり前という新辞書編集作業は、西岡にとっても初めてのこと、戸惑いもあった。
馬締は、逆に情熱を燃やし始めた。
辞書編集部の仕事は、地味な作業を続ける一方で、新たに産まれる日本語を集める。
そのため、様々な場所で用いられる言葉の用例をメモする用例採集というのを作った。
どんどん増えていく用例採集のための集積コーナーも作った。
松永教授は、用例採集カードを常々持ち歩き、機会があると、気がかりなことを記入していた。
作業はそれに加えて、用語編集、見出し語選定。
編集作業は、見出し語の内容から説明、用紙の手配、検閲はその後。
十年以上も下宿しているアパートの大家のタケばあさんは、馬締の数少ない理解者で、馬締を「みっちゃん」と呼んで可愛がった。
下宿も、馬締の趣味の書籍収集に協力して、空き部屋を書庫として利用させていた。
だから、1階は馬締専用になり、2階はタケばあさんの専用になっていた。
タケの飼い猫「トラ」は馬締になついていた。
持ち帰りの仕事をする馬締の足元で眠るのが日課となっていた。アパートに入り浸りだ。

ある満月の夜、トラが上の部屋で鳴くのを耳にした馬締はタケの部屋を訪ね、そこで絶世の美女・林香具矢と出会い一目惚れしてしまう。
香具矢はタケの孫で、板前修業のため京都から東京に出てきて同居を始めたのだった。

恋した馬締は、彼女のことで、仕事が手につかなくなった。
そんな馬締を見かねた辞書編集部の面々は、契約社員・佐々木薫の機転で揃って香具矢の働く料亭を訪れる。
香具矢を一目見た西岡は「あの容姿なら彼氏の一人や二人いてもおかしくない」と馬締をからかう。
そこで、松本は恋という言葉の語釈を馬締に担当させる。

馬締と香具矢は、二人して買い物に出かけた。
合羽橋(かっぱばし)で買い物を終えた香具矢は、「遊園地に行こう」と馬締を誘う。
観覧車の中で香具矢は何気に「板前を目指す女っておかしいかな?」とつぶやく。
不思議な会話だった。

やがて、荒木が退社。

香具矢への告白を促されていた馬締は、毛筆による行書体で恋文を書き上げた。
西岡にこの文章について意見を求めると、西岡は一目見るなり唖然とする。

ところが、社内で「大渡海」の出版中止が取り沙汰されていた。辞書編集部にとって、重大な問題だ。
その中止の中心となっていたのは、村越局長だった。

出版中止は自社のメンツに関わる問題で、ことの重大さに、村越局長の所に行く西岡に馬締も同行を申し出た。
村越は辞書編集部の赤字体質に苦言を呈し、辞書・辞典と名のつく仕事は辞書編集部に回すと無理難題をふっかけるが、馬締は強い決意を持って「やります」と即答する。

結局、村越局長は折れたものの、その後西岡だけが呼ばれ、夜半に編集部に戻った西岡は村越からの話をはぐらかす。
多分、村越から辞書編集部から別のセクションへの異動を言われたのだろう。

馬締からもらった書面が、香具矢は気になってしょうがなかった。
勤務先の大将の協力で恋文を読んで貰って、気恥ずかしくなった。
その自分に腹を立てていた。
大事なことだからちゃんと言葉にしてと、香具矢は馬締に言った。
馬締は勇気を振り絞り、好きですと伝えると、香具矢は、あたしもよと答えた。

西岡は人知れず、誰にも話すことなく煩悶、悩んでいた。
村岡から言われた、出版中止撤回の条件に出された自分の異動のことだった。
西岡は仕事帰りに、自分が宣伝部に異動すると馬締に打ち明けた。
「馬締、お前は辞書編集部で頑張って欲しい」と。

もともと西岡は辞書編集について気乗りのしない方だった。ところが、この頃になって「大渡海」に情熱を持ち、馬締に友情も感じるようになっていた。

そんな西岡にかかってきた三好からの電話を取り上げた馬締は、西岡と三好を下宿に招いた。
この辺りの物語も、私は気に入った。
じゃじゃ~じゃーん、これからが三浦しをんさんらしいのだ。
そしたら、その席で酒に酔った西岡は、三好との結婚を宣言した。

それから12年後。馬締と香具矢は入籍。おめでたいことだ。
二人を結びつけたタケとトラは他界していた。

馬締が主任となった編集部には、妻を喪った荒木が嘱託として戻ってきた。
部は十二分に体力をアップしてきた。でも、まだまだ足りなかった。

出版を翌年に控えて、増々忙しくなりかけた辞書編集部に、岸辺みどりが異動してきた。
社内のファッション誌の編集者だった岸辺は、5度目の校正に入ろうという「大渡海」編集の仕事に入った。
編集部の珍しい人々の性格に辟易していた。実は、びっくりするほど驚いていた。

馬締と松本は、ファーストフードで女子高生たちの会話から用例収集を続けていた。
肝心の辞書編集部は、多くの大学生をアルバイトに雇い入れ、連日詰めの校正作業に追われていた。
陣中見舞いにやってきた村越局長は、「大渡海」の出版が翌年3月に正式決定したと伝える。
西岡だって、働く部署は変われども、この辞書の出版については真剣だった。
当然、その宣伝に奔走していた。

その一方、編集部では学生からの指摘で単語の欠落が発覚する。
急遽、校正作業は一時中断となり、他にも単語抜けがないかのチェック作業をすることになる。
学生たちにも、泊まり込みの準備をさせた。
場所の整理だけではなくスタッフの顔つきまでも、辞書編集部内だけは、異様な雰囲気になった。

泊まり込み作業のため帰宅した馬締のもとに、松本教授が入院したという連絡が入る。

馬締の代理で見舞いに出向いた香具矢は、松本教授の妻千恵と交流を深める。
検査入院という名目だったが、馬締は荒木と共に退院した松本を訪ね、体調は芳しくないと悟る。

余命が尽きようとしている松本教授のためにも、「大渡海」の完成を急ぐ馬締は、正月もないほど仕事に没頭するが、雪の降る日、版の完成を待たず松本は他界する。

馬締と荒木の最終チェックが完了し、「大渡海」の原稿は完成。
疲労困憊だった学生たちも大事業を為し得た悦びにわきかえる。

3月、「大渡海」出版を祝う華々しい披露パーティが協力者たちを招いて催される。
だが、馬締の表情は晴れない。
最大の功労者である松本教授は遺影となって宴席の片隅に居た。

馬締と同じ思いの荒木は一通の封書を差し出す。
それは死の間際の松本が荒木に宛てた手紙だった。
そこには荒木と馬締への感謝の言葉、仕事を完結できなかった無念さ、辞書の編纂という仕事に携われたことに対する喜びが書かれていた。

翌日からは「大渡海」の改定作業が始まる。
馬締と荒木のポケットには用例集の束が詰め込まれていた。

後日、馬締と香具矢は松本教授の墓前に報告するため千恵を訪ねる。
東京に帰る二人は、タクシーを止めてしばし松本の愛した海に見入る。

「これからもよろしくお願いします」と感謝を表す馬締に香具矢は苦笑するのだった。