2018年3月22日木曜日

少雪にくたばった


3月20日、昼ごろからずうっと雨が降っていた。
出勤時には降ってなくて、横浜公園を突っ走る通勤路、それなりに痛快な足取りだった。
昼、我が儘(まま)仕舞繰(しまく)りの手製スパゲッテイを食べて、昼過ぎに会社を出た。
美味いとか、不味いとかの問題ではない。食べないと、腹が持たないだけのことだ。
雨が降っているのでバスで帰った
自宅に帰っても、雪の降っている状態は変わらなかったが、この程度の雪ならば、いつものヤマオカ農園=イーハトーブ観察に傘を差さなくても平気だ。
自転車で、往き20分還り20分。ちょっとした作業が1時間。
大根を2株抜き取り、ジャガイモ(メークイン)の発芽の確認。大根の根は当然だが、葉っぱに拘った。葉だって、美味いのだ。
メークインは、19日には11株から芽が出ていたが、今日は14株から小さな芽が出ていた。たった1晩だけなのに、このメークインは次代を目指して成長している。
不思議なんだ、こんなちっぽけな現象が、私を嬉しくさせる。生きるっと言うことの意味に拘る。
芽の周りには、頑張って大きくなってくれと願いながら、鶏糞を撒いた。
たかだか、鶏糞を撒くだけのことなのに、何是、これほど私の頭が集中するのだろうか。
空いた時間は果樹の根っこの周りの草を切ったり引き抜いたり、これだって、楽しい仕事なのだ。
大根はまだ38株が残っている。小松菜は1センチほど芽が大きくなってきた。
畑の各所、小さな草も千切り取った。

春雨じゃ!濡れて行こう、、、。
昔の若武者(わかぶしゃ)気分ざ。 濡れたままで帰っても、そのまま風呂に入ればそれでエエではないか?
服装は洗濯機。
だって、明日は休みなんだから、今日は無理をしよう。靴は履かいで草履でいい、靴下も身につけない。草履は庇の下に陰干し。
自宅には大根2株を持って帰った。ただ、それだけだった。


そして、明日、21日は春分の日。
「春分の日」のイラスト文字
帰宅してテレビを観ながら、明日はプールに行くぞと決意した。
なんぼなんでも、明日になれば今日以上に雪が強くはならないだろう、と楽観した。

孫と三女夫婦は品川にある水族館に出掛けた。長女の娘も参加。
一行4人の勢いは大型爆弾のように迫力満点。
通例、3月20日から3月21日ごろのいずれか1日がこの春分の日になる。
菜の花が咲く3月中旬から4月にかけての長雨を「菜種(なたね)梅雨」と言い、春霖(しゅんりん)とも呼ぶ。
私は長年、「昼と夜の長さが等しくなる日」と思っていたが、実際には昼の方が少し長いらしい。
同じことが9月22,23日頃の「秋分の日」についても言える。
朝早くの雪は少なかった。
プールの開場が10時なので、そのうち雪の量は減るだろうと気楽にしていた。水着とタオルを入れたバッグを手元に置いた。
が、が、なかなか雪の降りがおさまるどころか、ちょっとずつ強くなってきた。

負け惜しみに弱い私でも、いつまでもいつまでも行こうと決心できなかった。
それでも、もう少し、もう少し待とうと思い続けた。
そして4時になって、5時になって降り止まなかったので、本日のプールは諦めた。

大学時代のサッカー部時代は、どんなことでも、こんなに容易(たやす)く諦めることはなかった。
クラブの正規の練習が終わったら、大半の部員がグラウンドを去ったが、私は自分の練習をするために、真っ暗になっても、前が見えなくなってもグラウンドにいた。
定例の休みの月曜日は、僕にとって特別の日。
誰もいないグラウンドで、多彩な練習を勝手にした。
一人で、井の頭公園や善福寺公園まで、走ったり、歩いたり、ジャンプをしたり、気ままに時間を過ごすことが嬉しかった。
お前みたいな奴は、幾ら練習したって試合には出れないよ、と言われたけれど、そんなこと馬耳東風、先輩たちの言辞に見向きもしなかった。
俺は俺の道を行く、これしかなかった。

大学時代から今まで、腰痛、ぎっくり腰、ヘルニア痛に何年苛(いじ)められてきただろうか。
何年かの節目を作ってやってくる腰痛にだって、悩みはしたけれど、全ての機会に、私は最善・最郊・最好の療養に努めてきた。
そんなことをここで、どうのこうのと言ってもしょうがないことは分かっている。
これほど頑張ってきた私が、こんなちっちゃな降雪で、頑張れないのが歯痒(はがゆ)いだ。

そんな私なのに、今日のプール行きをこのように簡単に諦めていいものか?
たった少し降った雪なのに、こんなヘッチャラじゃ、如何なあと実感した。








2018年3月20日火曜日

忖度(そんたく)とは

この1年間以上も、国会でよく使われる言葉に「忖度(そんたく)」がある。
今回は、この忖度ざ。

日常的には、何となく分るのだが、この忖度をちょっと真面目に調べなくては、如何(イカン)と思った。
財務省が森友学園との国有地取引に関する決裁文書を改ざんした問題だ。

振り返れば、国会は改ざんされた文書をもとに質疑応答に明け暮れ、長時間何をやっていたんだと思われる。
国会で一番大事なものを棒に振って、ニセモノ文書を盾に自民党・公明党は、権力を守り通し、昨年秋の解散総選挙で与党は大勝した。
「国難突破」だとか、「森友・加計疑惑逃れ」の本音が見え隠れした選挙だった。

今の国会で、本物とニセモノのこと、誰=どこの省が、誰に指示を受けて、何の目的でそのようなニセモノを作ったのか、喧々諤々(けんけんがくがく)やりあっている。
国会では、特に野党のなかでは、改ざん時に財務省理財局長だった佐川宣寿・前国税庁長官がことの真実を一番知っているわけだから、国会への証人喚問を求めている。

財務相さん首相さん、一人の官僚だけに責任をなすり付けて、それで、終わりチャンチャンというわけにはいかないヨ。

此処からが肝腎(かんじん)要(かなめ)の問題だ。麻生太郎財務相、安倍晋三首相、あなたたちは無責任を貫くの。
責任はどうなるの? 「行政全体に対する最終的な責任は私にある」と言いながら、知らんプリなんて、私には理解できない。

公明党幹部は、「国民は一連の森友問題を、安部首相と昭恵さんだとみている」と指摘し、納得できる説明が尽くされない限り、政権の窮状は続くとみる。

本人たちは、自らの責任をどのように感じているのだろうか。


そこでじゃ、この1年とちょっとの間、よくぞ「忖度」という言葉がよく使われてきた。
忖度とは何ぞやと考えた。邪念のない忖度のことだ。
ネットでは下記のようだった。
●「忖度」の漢字それぞれの意味と語源を説明します。
「忖」は「はかる」という意味の漢字。
字源は「心」と「寸=長さを測る」という漢字の組み合わせ。
「心を測る」とい意味になり、他人の気持ちを推測するような意味になります。

「度」は「ものさし、はかる、たび、わたる」という意味の漢字。
字源は「席(むしろ)」と「手で広げる」という漢字の組み合わせ。
席とは藁(わら)などを編んで作った敷物のことです。
その席を広げて長さを測ることを表します。

二つを合わせると、「基準となるもので他人の心をはかる」という意味になります。
心をものさしで測る(調べる)ようなイメージです。

●真宗高田派の正福寺のblogでは下記のように記されていた。
テレビ放映などでは、随分悪い意味として使われているが、本来は相手のことを思いやるやさしさのこもった言葉であり、行脚中の僧侶をもてなすために門前で湯茶を提供する無償の行為を意味します。




20180318の朝日新聞・総合3/日曜に想う、編集委員=福島申二に、忖度を使った記事があったので、下にそれを転載させてもらう。

忖度の親戚筋の言葉には「おもねり」や「へつらい」のほか「太鼓持ち」 「茶坊主」などとあって多彩だ。「事なかれ」や「物言えば唇寒し」も遠縁にあたる。古今東西、権力の周辺ではこうした空気が高じて王様を裸にしてきた。この手の追従が昨今あまりに臭うのは、長期の「一強政権」の弊害に思われる。


2018年3月16日金曜日

綸言(りんげん)汗のごとし

毎朝生家に配られる新聞は、私にとって、それも朝食後のしばらくは、どうにも抜け欠けできぬ大切なものだった。スポーツ面をあらかじめ読み通さないと元気な今日!がスタートしない。
この習性は、小学校の高等部あたりから。
新聞では、知らない漢字や普段着用の言葉以外もよく使われる。が、そんなことで読むのを嫌になることはなかった。
恥ずかしながら、興味が不知を薙ぎ倒した。
兎に角、昨日の野球の成績を、全て確認したかった。
全球団の勝敗を知り、順位の上げ下げと勝率(ゲーム差)が知りたかった。
我が家に配られるのは、朝日新聞と京都新聞。
どちらの新聞も、父の友人が配達屋さんなので、仕方なかった。読んだ新聞は、父が京都新聞、私は朝日新聞だった。

こんな私に、鍬(くわ)づけ?釘(くぎ)づけにした選手が現れた。南海ホエールズに入団して、ゴッツイン野球人になった野村克也のことだ。
我が生家と同じ京都府、竹野郡網野町の出身。
貧しい家に育ち、新聞配達をしながら家計を助けた。小学校卒業と同時に兄の後押しを受けて、峰山高校に進学。そして、南海へテスト生として入団した。
それから、南海での成果は目を瞠るべきもので、私は野村=惚れっぺになってしまった。私もその後、東京の大学を経て、都内で働くことになったが、この野村の頑張りが、私にとっても大きな影響を与えた。

何故、今日此処で新聞の話を仕出したかと言うのには理屈があった。大学受験の浪人時代、英語と生物、世界史と日本史については、よく勉強した。
英語にしても世界史、日本史にしてもやるべきことは、憶えなくてはならないボリウムが決まっていたので、勉強に苦は要らなかった。
理科は生物のみ。
但し、現代国語、古文、漢文については、教科書で学ぶこと以外はやらなくて、やることは新聞に出てくる漢字や何字熟語であろうと、それ以外の言語も全て読めること、書けること、それらの言語を間違いなく知ることだった。
国語については、それが勉強の全てであった。
だから、新聞を大学の入試当日まで真剣に読んだ。

そんな私を、2018,03,15の朝日新聞が、新たな「ことわざ」に巡り合わせた。
それが、この稿のタイトルにした『綸言汗のごとし』だ。
先ずはその意味を知るために、ネットに出ていたものを下に記した。





綸言汗の如し



出典:『礼記』

[意味] 

汗が一度出ると再び体内に戻らないように、
天子のことばは口から出ると訂正したり取り消したりすることはできない。
一度口に出したことばは取り消せないという意味でも用いる。

[解説]

 「綸言」は、天子のことばのことで、『礼記(らいき)』緇衣(いし)篇に
「王の言(こと)は糸の如くなれば、其(そ)の出(い)づるや綸(りん)(組み糸)の如し」
と見えている。すなわち、王のことばは初めにはひと筋の糸のような軽いものが、
しだいに組みひものような重みをもつようになると語っている。
これが「綸言」の由来であり、
そこから後世「綸言汗の如し」の句ができたのである。

(『成語大辞苑』・主婦と生活社)による






2018 3 15(木)・朝日新聞/総合4
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ともに政権批判

小泉氏「適材適所 あきれた」
山崎氏「麻生氏辞任は当然」

森友学園の国有地取引に関する決裁文章改ざんをめぐり、自民党の山崎拓元副総裁と小泉純一郎元首相が安倍政権批判を繰り広げた。2人は故加藤紘一元幹事長とともに「YKK」として、政界で一世を風靡した仲。国政を退いてなお、「共闘」が実現した格好だ。

口火を切ったのは小泉氏。13日のBSフジの番組で、改ざん問題の渦中にいる財務省の佐川宣寿・前国税庁長官起用について、安倍晋三首相が「適材適所」としていたことに対し、「あきれた」と批判。「私や妻が(国有地売却に)関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」との首相答弁が改ざんの始まりとの認識も示し、安倍首相への厳しい姿勢を見せた。

一方、14日に開かれた自民党石破派の勉強会で講師を務めた山崎氏。記者団に「事態の収拾のため、責任をとって辞めることは当然」と語り、麻生太郎財務相の辞任論を主張した。

さらに「綸言汗のごとし」とも述べ、安倍首相夫人の昭恵氏が関与していた場合は、首相も責任をとるべきだととの認識を示した。


2018年3月6日火曜日

カエルを見た!

「啓蟄」の画像検索結果

自宅から会社までの徒歩中、丁度神奈川県立広陵高等学校の正門前の道路上に、大型のカエルの死骸を見つけた。

会社に着くまでの約1時間、春夏秋冬、目につく物、悲しいことだけではなく楽しいこともいっぱいある。啼(な)けることだって、ある。
今は梅の花の時期だ。
ここにきて、私の心身共の健康が蘇ってきたのだろう。小さな花だけれど、その多さだけで、私の心は嬉しくなって足音が軽くなる。頭だってスッキリ爽やか。心なしか声音も澄明になってきた。

冬眠から覚めて、何処かに散歩にでも出かけたのだろう。

長い激寒での冬眠、頭の隅々までが、人間様の無情を忘れてしまったのだろうか。
死骸になったカエルに、悪意はなかった筈だ。
久しぶりの人の世、散歩の往きか還りの道すがら、容赦ない車にでも曳かれたのだろう。

私だって、このカエルほどじゃないけれど、永い冬眠生活だった。

高い木の枝から落下、後頭部を強く撃って、リハビリを含めてほぼ1年間の入院生活。
体の痛さよりも、脳作用の調整乱発・狂乱に気が狂わんばかりに悩んだ。
そんな私だからか、春めいてくることが、堪らなく嬉しい。
この嬉しさは、足の裏から頭のてっぺんまでまで感じた。血の1滴1滴まで、筋肉の裏表の隅々まで、輝くのだ。

今日のことは、カエルと言えども、哀しい物語だ。
腹が破れ、臓腑が乱れたように体にくっついていた。よく見かけた光景と言えども、命が果てた様子は、どうしても哀しくなってくる。
「大きい蛙」の画像検索結果
ウシガエル

そう言えば、啓蟄の頃、よくこのような光景を目にしたものだ。

今回、私が見かけたのは「ウシガエル」だった。アメリカ東部で産まれたカエル。大正時代に日本に輸入された。食用であったため、「食用ガエル」と呼ばれている。

啓蟄をネットで調べた。

啓蟄(けいちつ)は、二十四節気の第3。二月節(旧暦1月後半から2月前半)。「啓」は「 開く」、「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」意で、「啓蟄」で「冬籠りの虫が這い出る」(広辞苑)という意を示す。春の季語でもある。 現在広まっている定気法では太陽黄経が345度のときで3月6日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。平気法では冬至から約76日後で3月8日ごろ。 期間としての意味もあり、 この日から、次の節気の春分前日までである。

今日は3月6日だ。前記の3月8日ではない。カエルだって極めた個性動物で、そう簡単に、人間様が考えたようにはいかないものだ。カエルだって、カエルの考えがある。

「蛙の子は蛙」=(大辞林第三版)

子供はたいてい親に似るものだ。また凡人の子はやはり凡人になる、の意とも。

ところで、私が二日に一度は顔を出す今井町の畑「イーハトーブ」を思い出した。

今年だって、蕗(ふき)の薹(とう)を3度収穫した。
この蕗の薹の天ぷらが格別に旨い。

その蕗が密集して花を咲かせるコーナーに、毎年、蛇(へび)が出る。ニシキヘビだと思われる。

畑と道路との境は急な斜面になっていて、必ず、その斜面を乗り越えてどこかへ行く。
そのどこかを見届けてはいない。
帰ってくるのを見届けた訳ではないので、真実は分からないままだが、毎年、同じ蛇なのかそれも分かってはいないが、見かけることは、私のことだから間違いはない。
どんな動物にも愛着は感じるのだが、万に一つ、蛇だけは苦手なのです。
イモリもヤモリもへっちゃら、ゴキブリだってお友達だ。

啓蟄と聞いて、今年もきっと私の畑に、カエルや蛇の姿がきっと見せるのだろう、と思いをはせた。

今朝見かけたカエルと我が畑・イーハトーブの蛇にとっても大事な季節がやってきたのだろう。
この啓蟄をどれだけ多くの動物たちが、首を長くして待っていたことだろう。

そっと我が胸を見る。
私にもここらで、啓蟄の季節がやって来たのではないか、と。