2006年10月29日日曜日

やっぱり、今回も、ペンキ屋さんをやっちゃった

昨年9月14日に、今の此処 天王町のパラジス・ハウスに引っ越してきた。中古だけれども、私達にとっては、誇らしくも、輝かしい建物だ。3階建の堂々としたビルだ(私だけかな、このように感じるのは。贔屓過ぎるか!)。余計な話かも知れないが、地下室だってあるんだぜ。現在、地下室は卓球場だ。

会社の発展を期して、スタッフの大幅な増員計画をたてている。そのための、将来を見据えてのレイアウトの変更、事務机等の増設。そして社外、社内のスタッフの動線変更による、通路確保。それに関する造作製作。     そこでだ。新規で造作すると、造作した物には必ず何かをもって、化粧することを求められる。 

 そこでだ。ペンキ屋さんとしての私の登場に、必ず、相成り候だ。

事務所内の基調色は、緑、薄黄色、白、グレーだ。とりわけ枠周りは濃い緑色で統一している。その枠周りを塗装することが、伝統的に私の担当だ。

事務所が、関内にあったときも、東戸塚にあったときも、塗装に関しては、私のの専権行為だ。

何故、そんなことになってしまったのか?は解らないが、私自ら、自然に出っ張って、気が付いたときには、片手にブラシ、もう片手にはペンキの缶、状態。そんな風にして、塗装はヤ○オ△だ、になってしまったようだ。嬉しい、自然の成り行きです。ペンキを塗ることで室内の様相が一変する。室内が新たな雰囲気になって、スタッフがいい気分を味わってくれることが、私の快感をそそる。そのショッキング?が、私のショッキングなのだろう。

今回のリフォームは大改造・大変身ではないが、小さい工事でさえも、こんなに楽しい思いをさせてもれえるのは、オジサン(私)の役得かな。スタッフは通常業務でテンヤワンヤの大忙しの最中。私は、昨日も今日も、やっぱり、ペンキ屋で終わってしまった。

2006年10月27日金曜日

営業報告書(平成17年9月1日~平成18年8月31日)
 

1.営業の状況
(1)営業の経過及び成果
前期(第27期)の業績を反映し、28期施策として事業拡大強化の舵取りを選択。その3大施策(以下、1.2.3)として
1.                          不動産情報の量的拡大は、仕入営業マンによる情報チャンネルの構築次第であると考え積極的な「営業要員の採用」を志向。
結果、期首6名が期末13名。27期期首在庫が66件予定売上19億、28期期首在庫が127件予定売上50億と現れているように、27期売上にも大きく寄与した。
2.                          第26期、27期に育成事業と捉えていた「開発事業」「静岡地区事業」を本事業の柱の一つと転換し、事業の多様化による信用度UP、経営資源のリスク分散等を志向。結果、「静岡地区事業」では、三島沼津富士・静岡・浜松三地域展開により、激化する川崎・横浜地区での競売事業の売上利益の減少を上回る成果を得た。又、「開発事業」においては、共同事業の形態で出発した「宅地開発」が、国道16号線内外で自力展開(継続中も含め、6現場)。更に、他社ディべロッパーに転売した「淵野辺マンション」の経験の下、伊勢原市桜台にて32戸のマンション建設に着手した。また、相模原市「北里大学病院前」に900㎡の土地を取得し、ビジネスホテル建設をなし、「ホテル1-2-3」が賃借し、投資用物件として販売するスキームができ、今後の事業展開の一つの軸のプロトタイプができた。
3.                          平成17年6月に関連会社「㈱湘南ベストホーム」合併にともない、「個人力」から「組織力」への転換を図るべく、組織・規約・権限等の社内整備に着手。
  数値等目に見えない形ながら、仕入営業・商品化企画・販売・契約管理の事業の流れの道程ができ、効率性・スピード化が図れる成果がでた。
4.                          情報の中に商売の鍵をみる・・・・・・即ち、マーケティング力を活かす成果として、「投資用物件用地」を主としたディべロッパーの物件不足からくる「高買い」傾向に着目し、利益貢献に大きく寄与した。
 

(2)28期施策と展望
1.                         事業軸の明確化・高度化
  中古住宅(戸建・マンション)をリフォームし転売する「リノベーション」事業を主力とし、以下「分譲マンション事業」「宅地開発事業」「住宅建築事業」「収益物件建設事業」「新築戸建住宅建設事業」の6分類し、各事業の精度を高める。
2.                         効率的・機能的組織の本格稼動
仕入・商品化をになう「営業部(3部制)」、専門家のネットワークを組織化し、「営業部」の技術的な補佐および開発事業を担う「開発部」、増加かつ多様化する販売商品の流通化と同時に物件監査を担う「販売部」、育成部門ではあるが個人住宅を請け負う「建築部」また事業部門を支える「管理部」を当社組織とし
★    「UB業務マネージメント システム」(CPオンラインを活用した当社独自のシステム)による業務運営
★    「権限・責任」を明確にした「内部規約」・「稟議・伺い」制度による運営
 

これらをもって、28期はスタートします。
  3.今期の目標
当社事業は「人的要素の反映」である「情報力」に決定することから、仕入営業部員を期末には20名体制を構築しつつ、予算設定として
28期売上 87億35百万 PJ利益8億43百万 
28期仕入 264物件
    と設定、「横浜で一番元気な会社」として鋭意努力しております。
    なお、29期においては「伊勢原マンション」「相模原ビジネスホテル」の売上が見込まれ、28期の目標達成することにより売上100億の大台になることが予測されます。

2006年10月26日木曜日

やったぜ27期 チャレンジ28期

営業報告書

(平成17年9月1日~平成18年8月31日)


 1.営業の状況

営業の状況
(1)営業の経過及び成果
前期(第27期)の業績を反映し、28期施策として事業拡大強化の舵取りを選択。その3大施策(以下、1.2.3)とし


1.不動産情報の量的拡大は、仕入営業マンによる情報チャンネルの構築次第であると考え積極的な「営業要員の採用」を志向。
結果、期首6名が期末13名。27期期首在庫が66件予定売上19億、28期期首在庫が127件予定売上50億と現れているように、27期売上にも大きく寄与した。
2.第26期、27期に育成事業と捉えていた「開発事業」「静岡地区事業」を本事業の柱の一つと転換し、事業の多様化による信用度UP、経営資源のリスク分散等を志向。結果、「静岡地区事業」では、三島沼津富士・静岡・浜松三地域展開により、激化する川崎・横浜地区での競売事業の売上利益の減少を上回る成果を得た。又、「開発事業」においては、共同事業の形態で出発した「宅地開発」が、国道16号線内外で自力展開(継続中も含め、6現場)。更に、他社ディべロッパーに転売した「淵野辺マンション」の経験の下、伊勢原市桜台にて32戸のマンション建設に着手した。また、相模原市「北里大学病院前」に900㎡の土地を取得し、ビジネスホテル建設をなし、「ホテル1-2-3」が賃借し、投資用物件として販売するスキームができ、今後の事業展開の一つの軸のプロトタイプができた。
3. 平成17年6月に関連会社「㈱湘南ベストホーム」合併にともない、「個人力」から「組織力」への転換を図るべく、組織・規約・権限等の社内整備に着手。
 数値等目に見えない形ながら、仕入営業・商品化企画・販売・契約管理の事業の流れの道程ができ、効率性・スピード化が図れる成果がでた。
4. 情報の中に商売の鍵をみる・・・・・・即ち、マーケティング力を活かす成果として、「投資用物件用地」を主としたディべロッパーの物件不足からくる「高買い」傾向に着目し、利益貢献に大きく寄与した。
 

(2)28期施策と展望


1.事業軸の明確化・高度化
中古住宅(戸建・マンション)をリフォームし転売する「リノベーション」事業を主力とし、以下「分譲マンション事業」「宅地開発事業」「住宅建築事業」「収益物件建設事業」「新築戸建住宅建設事業」の6分類し、各事業の精度を高める。
2.効率的・機能的組織の本格稼動
仕入・商品化をになう「営業部(3部制)」、専門家のネットワークを組織化し、「営業部」の技術的な補佐および開発事業を担う「開発部」、増加かつ多様化する販売商品の流通化と同時に物件監査を担う「販売部」、育成部門ではあるが個人住宅を請け負う「建築部」また事業部門を支える「管理部」を当社組織とし
★ 「UB業務マネージメント システム」(CPオンラインを活用した当社独自のシステム)による業務運営
★ 「権限・責任」を明確にした「内部規約」・「稟議・伺い」制度による運営
 これらをもって、28期はスタートします。
3.今期の目標
当社事業は「人的要素の反映」である「情報力」に決定することから、仕入営業部員を期末には20名体制を構築しつつ、予算設定として
28期売上 87億35百万 PJ利益8億43百万 
28期仕入 264物件
と設定、「横浜で一番元気な会社」として鋭意努力しております。

 

(3)来期の目標

なお、29期においては「伊勢原マンション」「相模原ビジネスホテル」の売上が見込まれ、28期の目標達成することにより売上100億の大台になることが予測されます。

2006年10月21日土曜日

安吾さん、お久しぶり

坂口安吾さんが、昨日、天声人語に




18歳から24歳まで、私は、精神的に放浪生活状態だった。二十歳まで、素浪人月影兵庫(当時のテレビドラマのタイトルです。私は、当時、自分のことを、このように言いふらしていました)だった。


1日24時間のうち土方「どかた=肉体労働,若しくは肉体労働者のこと」3分の1、勉強24分の1、享楽3分1、あとは惰眠の生活だった。


経済的には貧乏だったが自立はしていた。


精神はさ迷いながらも、充実感はあった。生きている実感は強かった。


坂口安吾さんの本を初めて手にしたときは、彼の強烈な個性に驚かされた。


瞬間、密着したくなりました。天国の彼は、嫌な顔をしただろうが。


堕落論、日本文化私観、短編小説、探偵物は特に面白かった。でも自伝風小説に、付き合うには苦労した。どだい、面白くなかった。


お馴染みの、ロイド眼鏡をかけて卓袱台の原稿にむかう安吾さんの写真は、すっかり、私の脳裏に焼き付けられた。


裏日本の冬の海岸、荒波を背に、寒風に吹かれて歩く、マンとのオジサンがとっても好きになってしまった。


「法隆寺なんか、糞喰らえだ」なんて、安吾さん風に言っちゃっては、お蔭様で、いい酒を飲まして頂いた。


反骨精神、山盛り。


肝っ玉の小さい私に、勇気をいっぱい与えてくれました。


大学での4年間、私の精神の心棒だった。文庫本は少なかった。単行本は古本屋で買い漁った。





安吾さんとほぼ同時期の作家が、何故か、当時の私を虜にしてくれました



太宰 治さんの人間としての優しさ、弱さに泣かされた。


織田作之助の市井の人情戯作物に笑わされた。


田中英光には漕艇選手の純愛シリーズに心ときめかされ、後、労働争議からの脱落・失望に、同情させられた。


太宰 治さんからは、井伏鱒二さん、亀井勝一郎、奥野健夫、三島由紀夫、を紹介して頂きました?。




その安吾さんが、天声人語に登場したものだから、書き写しておこうと思った。



天声人語 2006年10月20日 朝刊


「走高跳 坂口 一米五七 一等」。後に作家となる坂口安吾は、1924年、大正13年の秋に東京で開かれた全国中等学校陸上競技大会で優勝した。それを伝える本紙からの抜粋だ。この日は大雨で、助走路の状態が悪かったという。他の選手たちが左足で踏み切るところは、水たまりになっていた。「私はそうでないところでふみきるから、楽々と勝った」。安吾は右足からの踏み切りだった。「「世界新記録病」『坂口安吾全集』筑摩書房9.運動に熱中していた17歳のころの、青春の記録だ。安吾は、ちょうど100年前の1906年10月20日に新潟市で生まれた。













新潟市は今年、生誕100周年を記念して「安吾賞」を創設した。安吾のように、反骨精神で社会に挑戦し、感動や勇気を与えた個人や団体が対象で、劇作家の野田秀樹さんが初の受賞者となった。戦後、「堕落論」などで注目された安吾の反骨ぶりは、並大抵ではない。「表現されねばならないことは、ただ一つ、自由の確立というだけ」と述べている。自由の確立とは、権威や組織に頼ることなく、自らの意思で生きることだろう。結果については、すべて自らが背負う覚悟が要る。安吾は、凡人ならたじろぐこの厳しい世界に、ずいっと入ってゆく。それは、まずまねのできないことだ。しかし、誰の人生にも、ひょっとしたらそんな瞬間はあったのではないか。そう感じさせるところが、安吾の生と文学にはあるようだ。なにものかに管理される社会が続く限り、安吾は読み継がれてゆくだろう。

                       以上


                                          


       


2006年10月20日金曜日

滝川市教委の調査報告前に、また福岡で中2自殺

滝川市教委の実態調査の報告がなされるのを、待っていたのだ。

イジメがあったという、決定的な 事実が認められなかったとか、亡くなって半年も事実の公表をしなかったり、遺書を手紙と言い換えたり、市教委のとった行動は、不愉快だった。日毎、怒髪天をも貫く怒りを感じていた。どんな報告が発表されるのか、待っていた。

自殺をした子供の周辺環境はどうだったのだろう。家庭、兄弟姉妹、近所の人達、級友、担任の先生、校長、教育委員会の人達は、どんな行動をとったのだろうか。胸襟広げて、何もかも話せる友人も居た筈だ。その友人は、今、何と思っているのだろう。苦しみを理解してあげられなかったことに、悔しい思いをしていることだろう。直接イジメ行為をした級友は、今、何を思って暮らしているのだろうか。見て見ぬふりをして過ごした級友は、今、どんな気持ちでいるのだろうか。担任の先生は、本当にイジメがあったことを知らなかったのだろうか。担任から密かに報告を受けた学年主任、教頭、校長は、とっさにどんな行動をとったのですか。その後、どう対処しょうとしたのか。イジメがなかったことのように、どのようにすれば、隠し通せるか、頭つき合わせて、色々な策に精をだしたのではないのですか。解らなかった、と言ってしまえば、もうそれでおしまいだ、と。私の詮索は、図星でしょう。

相談した結果の結論は、私には、解っています。イジメがあったということだけは、公の場では言ってはいけないのだよ。どんな追求の質問に対しても、だよ。いいか、イジメがあった、なんて言ってしまったら、おしまい だ。負けだ。 じゃ ないのか。

悲惨な事態が起こった時、校長等は教育委員会にどのように報告して、どのような指示を受けたのか。意識の戻らない状態だった子供のことを、半年間も、本当にイジメの決定的な事実はなかったと信じて、ほっぽらかしておいて、平気だったのか。何か、ちょっと、可笑しいぞとは、思わなかったのか。やっぱり、握りつぶしちゃえ、と。できれば、このまま終わって欲しいと。どうしてそんな結論をだしてしまったの。自分たちが、まずいことになるから。誰かに、えらくお叱りをうけるから、それが恐ろしかったから。

事件の全貌を明らかにされない、日々が続いた。

もやもやした精神状態のまま、実体調査の結果を待って居た。

矢先に、心配していた悲劇が、又、起こった。

 

 

朝日新聞の社説より     2006 10 18   子供の叫びを聴け

また、いじめが引き金になって子供の命が失われてしまった。福岡県筑前町の三輪中学校に通う2年の男子生徒が、いじめを受けたとの遺書を残して自殺した。あろうことか、いじめの発端は1年の時の担任教師だった。学校などによると、生徒がたびたび早退し、自宅でインターネットのサイトを見ていたため、母親がこの教師に相談した。教師はその内容を同級生に暴露した。それが発端となって嫌なあだ名をつけられ、いじめが広がった。友人が落とした文具を拾ってあげた生徒に、教師が「偽善者にもなれなかった偽善者」と言ったこともあった。教師は生徒の両親に「からかいやすかった」と釈明した。強い立場にある教師にとっては悪ふざけや冗談であっても、受けた側には暴力そのものだ。頼りにする先生からの仕打ちにどんなに傷ついたか。子を持つ親ならずとも、強い憤りを覚えることだろう。20年前、東京都中野区の中学2年生が、「このままじゃ、『生き地獄』になっちゃう」との遺書を残して命を絶った。「葬式ごっこ」という陰湿ないじめが横行しし、しかも4人の教師が加担していたことに社会は大きな衝撃を受けた。今回は担任がいじめを主導したといっても過言ではない。より悪質と言えよう。こんな教師は例外的な存在と思いたいが、教育の現場はどうなのか。文部科学省が集計する小・中・高校のいじめは昨年度で約2万件だ。一方、自殺は105件あったが、いじめが原因とされたのは99年度以降では皆無だという。一見、落ち着いたかに見える。だが、昨年9月、北海道滝川市の小学校でいじめに苦しんで自殺した小学6年の女児は遺書で訴えていたのに、学校も市教委も黙殺していた。三輪中学校でも、ここ数年、7,8件のいじめが起きていた。それなのに、校長は町教委に「0件」と報告していた。ことを荒立たせず、内密に済ませようとする学校、都合のいい報告を鵜呑みにして現実から目をそらす行政。両社のもたれあいが、弱いものいじめを許している。そのうえ、教師が加担したり、見逃したりしていれば、子供が救いを求める先がなくなってしまう。こうした事態にどう対処すればいいのか。参考になる例がある。兵庫県川西市は99年、第三者機関として「子供の人権オンブズパーソン」制度をもうけた。全国でも初の試みで、弁護士や医師らが電話相談をもとに独自に調査し、問題があれば学校や親に勧告する。昨年の相談件数は588件。うち4割が子供からの相談だった。最悪の事態を防ぐセーフネットの役割を果たしている。悲劇を根絶するには、子供達の叫びに周りの大人が真剣に耳を傾け、いじめを決して許さない姿勢を貫くことしかない。   以上

中2男子イジメ自殺事件で、学校の説明が二転三転した。自殺当日、この生徒は学校のトイレで、同級生に肩を押さえられ、ズボンを少し下ろされていた。その事実は14日、告別式後の記者会見で校長が認めた。だが、前日に報道陣の取材に「トイレにいた男子生徒7人から事情を聴いたとしながら「本人が言ったことに(周囲が)反応しないことが度重なっていたようだ」としか説明しなかった。

イジメとの因果関係が注目されている1年生当時の担任教諭の「偽善者」などという言動も、遺族が元担任らとのやりとりを公開したことで明るみに出て、学校側が認めた。

事件の背景解明をめぐっても迷走が続いた。自殺後に生徒らにとったアンケートで「いじめがある」と回答した生徒の割合を記者会見で質問され、校長はいったん「非常に少ない」と説明した。が、さらに聞かれると「1割とかそれくらいではないか」。

校長が生徒に事件の説明に、イジメという言葉を使わずに、プレッシャーという言葉を用いていた。記者会見で、何故、イジメという言葉を使わなかったのですか? との質問に、私の人間としての弱さが、そういう物言いになった。と、このような言い方で応じていた。笑止千万や。 アホか。

 

ヤンキー先生こと義家弘介氏=これだけイジメが起きても、教師達は「知らない」という。教師は忙しいとも言うが、人の命以上に大切なものはあるのか。子供が死ぬほど悩んだことに気がつかない現場なら、いらない。  市町村の教育委員会は機能していない。教育委員が組合推薦がなければ選ばれないとか、あて職や名誉職もある。自殺した子供が遺書を残していた事実を1年以上も非公開にしていた教委に何の権限も渡せない。国が教委評価をやるべきだ。

私の田舎の教育委員会は、地元の名士だった。入学式、卒業式には演台で、上手にお話をされていた。教育に燃えている人のようには、窺がえなかった。

教育委員会の功罪検証を、今後の課題にしたい。

 

次から次と、新情報が新聞各紙にて報道されている。

先生のイジメをみて、生徒がまねをしたとか、別の先生もイジメを行っていた事実がアンケートで判明した。

2006年10月19日木曜日

近代トルコ成立期の「負の歴史」と日本・南京大虐殺

東京裁判「極東軍事裁判」で、明らかにされた「南京大虐殺」。

戦中の厳しい言論統制化、国内では知る人はほとんど居なかった。 この事件のことを以前学習したことがあった。朝日新聞のトルコ アルメニア人大量殺害事件の記事を読んで、かっての「南京大虐殺」問題を日本はどう総括したのかと、再び考える機会になってしまった。ちなみに、ナチス追及もヨーロッパの各地で地道に続いている。

新聞記事は、「南京大虐殺はなかった、いやあることはあったが、某氏が主張するほど、大量虐殺ではではなかった論争」に類似した話題であったので、新聞から記事を転載させていただいた。私自身、ほぼ40年前の学生時代に、双方相対で主張しあう論争に関心を持った。が、その結論が出て、政府が公式なコメントでも発するのかな、と思っていたのだが、それはいまだに、なし状態だ。

以前に集めた資料を一部紹介でもしようかとも考えたのですが、誤解を招くとまずいと考え、やめました。でも私には、事件を一部でも立証するための資料(それは、私の無二の友人の父親の証言です)を持ち合わせていました。その父親の証言で全貌を明らかにするには、無理かもしれません。でも、十二分に理解できる内容でした。

満州事変以来の日本と中国との戦争は、まぎれもない日本の「侵略」戦争であった。こんなあたりまえのことでも、政府見解として、どうして?渋って渋ってコメントしなければ、ならないのか。侵略ではないと広言する国会議員が、まだまだ大勢居る現状だ。心配していた安倍首相は、所信演説でちゃんと中韓を含めた国々に対して、侵略して苦痛を与えて申し訳なかった述べた。溜飲。

さて、皆さんは、どういう感想をおもちになるのでしょうか?過去の忌まわしい事件をどう?総括すべきなのか。日本の戦後処理の(いまだに、すっきりしない)あやふやな、いいかげんな処理について、不満なのは私だけでしょうか。

 

 

以下は朝日新聞の記事より

フランスでは近年、第2次世界大戦中の対独協力政権によるユダヤ人迫害の責任や奴隷貿易の過去を問い直す動きが広がる。

「トルコはオスマン帝国時代の人道犯罪にも責任を負う」と、法案を「歴史見直し」の延長に位置づける見方がある。

だが、歴史解釈に踏み込む法律が自由な研究や言論を封じるとの批判は仏国内にも強く、論争に火がつきそうだ。

 

 

今、ヨーロッパでトルコ、フランスが熱い   2006 10 14 朝日(朝)

20世紀初頭オスマントルコが崩壊し、近代トルコが成立する時期に起きたアルメニア人大量殺害が、にわかに世界の注目を浴びている。

フランス議会が12日、これを「民族虐殺(ジェノサイド)」だと認めない者を処罰する法案を可決した。

同じ日に、虐殺に触れた発言を理由にトルコ国内で訴追された作家オルハン・ハムク氏(54)がノーベル文学賞に選ばれた。

トルコでの民族主義の高まりも懸念され、欧州連合加盟をめざすトルコ政府は苦慮している。

 

仏で否定処罰法案

仏下院が12日に可決した法案は、アルメニア人の民族虐殺を否定した者には1年以内の禁固刑と4万6千ユーロ(約670万円)以下の罰金、または、そのいずれかを科す内容。賛成106 反対19で可決した。法成立には、さらに上院での可決、大統領の署名が必要だ.

在仏のアルメニア系住民は40万人以上と西欧最大。

01年にアルメニア人虐殺を「民族虐殺」と認定する法律が成立後、ナチスによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)と同様に、否定した者を罰する法律の制定を求めて運動していた。

 

 

トルコ国内で訴追されたパムク氏に、ノーベル文学賞

虐殺発言で訴追=「100万人のアルマニア人が殺されたが、私以外に誰も語ろうとしない」。パムク氏は昨年2月にスイス紙とのインタービューで、そう発言した。イスタンプール市の検察官は、同年8月、「国家侮辱罪」でパムク氏を告発。有罪なら6ヶ月から3年の懲役刑となる。EU加盟を望むトルコに言論のじ自由などの人権状況の改善を強く要求していた。同年12月の初公判は手続きの確認だけで、イスタンプール地裁は今年1月、理由を明らかにせず訴訟打ち切りを決定。裁判は実質審理のないまま幕を閉じた。EUに配慮した政治的判断と見られる。

トルコ猛反発

トルコ外務省は12日、仏下院の法案可決を受けて、「仏政治家の無責任で間違った主張が両国関係に深刻な打撃を与えた」との声明を出した。

 

 

 

 

アルメニア人虐殺問題

アルメニア人はキリスト教徒で、オスマン帝国内に多数住んでいた。第1次大戦中の1915年、同帝国はアルメニア人が「敵国ロシアに内通している」として強制移住などの措置をとり、大量の犠牲者が出たとされる。アルメニア人は150万人が組織的に虐殺されたと主張。トルコ側は30万~50万人の死者が出たことは認めつつ、戦時下の悲劇だとして虐殺を否定している。大戦に敗れた同帝国は列強に分割され、23年の革命でトルコ共和国が生まれた。

2006年10月15日日曜日

再び、原価ってなんですか?

再び、原価ってなんですか?
 

当社は、個人の住宅建築を原価公開主義にて受注しています。

そのように言っているものの、社内では、何が《原価》なんじゃ、《本当の原価》ってなんじゃ、と常に話し合っています。

 

*     四つ井不動産は、あの大女優Yさんを使って、全国的にテレビコマーシャルを放映。

豪華なパンフレットを大量に制作。日本全国に住宅展示場を展開。

このように、これらの費用を、経費というに名に代えて、また材料費・施工費を上乗せして、見積書に算入される。

お客さんにとっては、真っ平御免なことだ。

*     水道工事会社、電気工事会社、屋根工事会社、左官工事会社、ガス工事会社、材木屋、建材会社、設備機器会社など、それぞれの会社が、事務所を設けている。免許業者になっている業種には、事務所はどうしても必要らしい。各下請け会社の、事務所経費の総量は莫大な金額になる筈です。

(規制緩和が必要ですわ)

事務職員を雇い、または奥さんを専従員にかかえ、片手間な作業にも一人前の給料を支払い、自家用車の維持費とガソリン代は車両費に、家族で外食した飲食代は会議費に、どれもその会社の経費に積み上げられる。

そして、これらの費用は、一般管理費とかの項目で見積書に盛られて、お客様に提出される。

 

 

お客さんにその経費分を負担させているのです。(そんなことで、いいのですかね)

お客さんに尻拭いをさせているのが現状です。(お客さんをバカにするなあ)

 

では、当社では?

原価の原価を徹底的に見直すことだ。一円に至るまで、きちんと説明ができるかどうかだ。

担当者殿、気合を入れて、頑張ってくれ。

偉大なガリレオさんが、アーバンビルドに

かくして、アーバンビルドにガリレオ測量会社ができました 

 


アーバンビルドの測量部門として、独立した法人を設立したい思いに、急に駆られた。測ることは、我々のどんな企画の仕事にとっても出発点だ。〇(ゼロ)を測る、を広告コピーに使っている会社もある。


確かに、〇を測ることを、実現できる会社にしたい。


測量会社を作るたって、どうすりゃいいんだ? 優秀な測量士がいなければ、どうにもならんのです、~社員の言葉より。


思いつくことを先ず実行することだ、と決意を固めて、ハローワークの求人募集の手続きをとるように、スタッフに指示した。


登録するや、もうその翌日に反響があった。


S君だ。


インターネットの凄いこと。登録されたら、夜昼かかわらず情報が流され、希望する者はいつでも、情報を入手することができる。今時に相応しいのだけれども、私には性急過ぎる。もっと、スローであってもいいのでは、とも思う。



 


スタッフ:「社長、会社名をどう?しましょうか?」


私;「Kさん、俺に腹案があるんです。是非、この名前にして欲しいのです。


その名は、ガリレオ・ガリレイです」


Kさん;「ううん、濃いな。ガリレオ・ガリレイをそのまま社名にするのは、無理や。せやけど、ガリレオ システムでどうや?」


私;「わかった。ええよ。それでいこう」ということで、平和的に社名は一分で決まった。


その場で、M・K司法書士に連絡。登記手続きに着手の依頼をした。M・K氏は、我が社の依頼をすべての業務から最優先にしてくれる、最良のサポーターです。



 


そこで、ガリレオ・ガリレイさんって、どんな人?



 


6世紀、当時の世界に権力をもって支配していた教会は、宇宙の中心に地球があり、月、太陽、惑星、および星がその周囲を回っているという天動説の立場にいた。ところが、コペルニクスが地動説を数学的に公式化して、今までの天動説を翻した。


その後、ケプラーが正確な天体観測のデーターを分析し、太陽を中心とするシステムを使い、惑星が楕円上に回っていることで、さまざまな動きを、説明することに成功した。


そこで、我がガリレオ・ガリレイさんの登場です。


彼は、望遠鏡でケプラーの説を裏づける証拠を集め、地動説を確固たるものにした。


彼は、宗教裁判に召喚され、自説を曲げることを教会から強要された。


有名なセリフで、「それでも、地球は回る」と抵抗。


ヨーロッパでは、この天動説から地動説への転換を機に、中世的な世界観から近代的な世界観へと、単に一学問的分野のパラダイム・シフトをはるかに超える大きな転換を達成した。 (パラダイム・ブック C+Fコミュニケーション編・著)より引用させていただきました。



 


そんなこんなで、そろそろ終章に入る。


アーバンビルドは、新しい未来に通じる世界観を築き続けるためにも、新時代のコンセプトを貪欲に求める。その求める作業のなかでこそ、我が社の発展するための核は生まれないものと思っている。


この象徴としての核こそ、天動説を地動説に転換させたエネルギーのようなものではないか?と、私は思いついた。 思考、認識、価値の根源的変革とでも言い換えればいいのだろうか。この根源的変革のことを、我が社では、アーバンビルドのパラダイム シフトと言っている。会社運営のための理念として、利用させていただいている。



 


そんな経緯で


アーバンビルドの分譲するマンションの総称を


Urban Build Paradigm Shift House にしている。


略して、 U.Paradi.s House (パラジス ハウス)



 


我が社には、いつもガリレオ・ガリレイさんがいてくれる。



 


よって、親しみ深く、敬愛やまないガリレオさんが測量会社の社名にもなっていただいたということです わ。コペルニクスさんでもよかったのですが、この会社がただの測量会社で終わらせるわけにはいかないので、やっぱあ、ガリレオさんでなきゃ、イカンのです。



 


長々と、お付き合い有難う御座いました。

2006年10月14日土曜日

06ノーベル平和賞 ユヌス氏

マイクロクレジット年」とした。2006年10月14日 朝日(朝)



06 ノーベル平和賞・ユヌス氏  グラミン(農村)銀行 草の根融資世界へ  

 

無担保で自助促す



 

 

13日発表されたノーベル平和賞を受賞した経済学者ムハマド・ユヌス氏の出発点は、バングラデシュで起きた74年の大飢饉だった。経済理論と現実の隔たりに失望し、農村に足を運んだ。そこから生まれた「マイクロクレジット」と呼ばれる貧困層のための融資制度は世界に発信され、現在アジア、アフリカなど多くの途上国で草の根からの開発の手法として実践されている。


ノーベル財団は受賞理由の中で、ユヌス氏と同氏が設立した「グラミン」銀行の功績について、「文化や文明を超えて最も貧しい人でも自らの手で発展をもたらすことができることを示した」とたたえた。


米国で経済学博士号を取得したユヌス氏は72年、前年独立したばかりの母国バングラデシュに。大飢饉を機に向った農村で出会ったのは、1ドルにも満たない資金に困ったり、高利貸しから借りざるを得なかったりする人々の現実だった。


回収率9割


人口約1億4千万人のバングラデシュは1人当たりの国民総生産が04年現在でも445ドル(約5万3千円)と貧困に苦しむ。貧しい人は返済ができないと信じられ、担保がなければ銀行は融資しなかった。貧しければ、貧しいほど貧困から抜け出す方法がないー。自らの手で、担保なしに村人が連帯責任をとることで融資が受けられる「グラミン」銀行を設立した。


農村(グラミン)を意味する言葉を冠した銀行は、それまでの常識を翻した。人々からの回収率は9割を超えた。銀行として採算がとれることも分かった。


「融資」という手法をとったことについてユヌス氏は、「返済が伴わない援助は人間の尊厳を傷つけて、人々は自助努力や自己責任を忘れがちになる」と強調した。


1億人恩恵


グラミン銀行の成功により、マイクロクレジット制度は90年代以降、草の根からの開発手法として注目され、97年には、マイクロクレジットの信奉者として知られるクリントン米大統領も出席して首脳会議(サミット)がワシントンで開かれた。


グラミン銀行は現在、バングラデシュの約7万の農村で660万人以上に貸し付けている。少額融資の仕組みも世界各地の貧困対策に導入され、対象者は1億人以上と見積もられている。同銀行は携帯電話などのビジネスにも取り組み、市場経済を先導する役割まで担い、「第2の政府」と呼ばれるまでになった。このため本来経済開発に取り組むべきで政府の動きが遅れているとの指摘もある。


00年の国連サミットでは、貧困や飢餓の撲滅、初頭教育の普及、妊産婦や乳幼児死亡率の低下を目指す国連ミレニアム開発目標が採択された。草の根から貧困撲滅の取り組みを始めたユヌス氏とグラミン銀行に改めて国際的な脚光があたる意義は大きい。



 

 

授賞式は12月10日、オスロで、賞金は1千万スウェーデン クローナ(約1億6戦万円)。AP通信によると、ユヌス氏は賞金の一部を貧困層のための食品会社設立に使うと述べた。



 

 

マイクロクレジット(少額融資)



信用力がなく、既存の銀行から借金できない途上国の貧困層に、少額の事業資金を貸し付ける支援制度。物資などを送る援助方式と異なり、人々が自主的な経済活動によって貧困から脱するのを側面支援することに力点を置く。グラミン銀行は少額融資専門銀行の先駆けとされ、そのノウハウが90年代に世界中に広がった。97年には「マイクロクレジット・サミット」が開かれ、国連は05年を「国際マイクロクレジット年」とした。

06ノーベル平和賞 ユヌス氏

2006年10月14日 朝日(朝)


06 ノーベル平和賞・ユヌス氏  グラミン(農村)銀行

 草の根融資世界へ   無担保で自助促す 


13日発表されたノーベル平和賞を受賞した経済学者ムハマド・ユヌス氏の出発点は、バングラデシュで起きた74年の大飢饉だった。


経済理論と現実の隔たりに失望し、農村に足を運んだ。


そこから生まれた「マイクロクレジット」と呼ばれる貧困層のための融資制度は世界に発信され、現在アジア、アフリカなど多くの途上国で草の根からの開発の手法として実践されている。


ノーベル財団は受賞理由の中で、ユヌス氏と同氏が設立した「グラミン」銀行の功績について、「文化や文明を超えて最も貧しい人でも自らの手で発展をもたらすことができることを示した」とたたえた。


米国で経済学博士号を取得したユヌス氏は72年、前年独立したばかりの母国バングラデシュに。


大飢饉を機に向った農村で出会ったのは、1ドルにも満たない資金に困ったり、高利貸しから借りざるを得なかったりする人々の現実だった。


回収率9割


人口約1億4千万人のバングラデシュは1人当たりの国民総生産が04年現在でも445ドル(約5万3千円)と貧困に苦しむ。貧しい人は返済ができないと信じられ、担保がなければ銀行は融資しなかった。


貧しければ、貧しいほど貧困から抜け出す方法がないー。


自らの手で、担保なしに村人が連帯責任をとることで融資が受けられる「グラミン」銀行を設立した。


農村(グラミン)を意味する言葉を冠した銀行は、それまでの常識を翻した。


人々からの回収率は9割を超えた。銀行として採算がとれることも分かった。


「融資」という手法をとったことについてユヌス氏は、「返済が伴わない援助は人間の尊厳を傷つけて、人々は自助努力や自己責任を忘れがちになる」と強調した


恩恵は1億人。



グラミン銀行の成功により、マイクロクレジット制度は90年代以降、草の根からの開発手法として注目され、97年には、マイクロクレジットの信奉者として知られるクリントン米大統領も出席して首脳会議(サミット)がワシントンで開かれた。


グラミン銀行は現在、バングラデシュの約7万の農村で660万人以上に貸し付けている。


少額融資の仕組みも世界各地の貧困対策に導入され、対象者は1億人以上と見積もられている。


同銀行は携帯電話などのビジネスにも取り組み、市場経済を先導する役割まで担い、「第2の政府」と呼ばれるまでになった。このため本来経済開発に取り組むべきで政府の動きが遅れているとの指摘もある。


00年の国連サミットでは、貧困や飢餓の撲滅、初頭教育の普及、妊産婦や乳幼児死亡率の低下を目指す国連ミレニアム開発目標が採択された。草の根から貧困撲滅の取り組みを始めたユヌス氏とグラミン銀行に改めて国際的な脚光があたる意義は大きい。



 

 

授賞式は12月10日、オスロで、賞金は1千万スウェーデン クローナ(約1億6戦万円)。AP通信によると、ユヌス氏は賞金の一部を貧困層のための食品会社設立に使うと述べた。



 

 

マイクロクレジット(少額融資)


信用力がなく、既存の銀行から借金できない途上国の貧困層に、少額の事業資金を貸し付ける支援制度。

物資などを送る援助方式と異なり、人々が自主的な経済活動によって貧困から脱するのを側面支援することに力点を置く。

グラミン銀行は少額融資専門銀行の先駆けとされ、そのノウハウが90年代に世界中に広がった。97年には「マイクロクレジット・サミット」が開かれ、国連は05年を「国際マイクロクレジット年」とした。

リスクを冒す オシム

2006年8月19日  朝日 夕



窓  論説委員室より     リスクを冒す 



                      (西山良太郎)



「リスクを冒さなければ、未来は開けない。それは人生と同じだ」
サッカーの日本代表を率いるオシム監督は、初の公式戦に臨んだイエメン戦のハーフタイムで、選手にそう叫んだそうだ。敵地での試合とあって守り一辺倒で身構えるイエメンに、前半の日本は後方の守備ラインで球を回す場面ばかりが目立った。

ミスを気にするあまり、失敗の危険を自ら背負って攻めようとする選手が少ないことに、新監督は業を煮やしたのだろう。


オシム監督はサラエボで生まれた。民族対立による内戦で母国ユーゴスラビアは消え、今は分裂国家の一つボスニア・ヘルツェゴビナに姿を変えている。


監督自身、そこでは命の危険や家族が離散する苦境も味わった。サッカーを楽しめる平和の重みは身にしみている。


だから日本の選手が歯がゆい、と書くのは短略に過ぎるが、戦略や戦術だけでは強くできないと考えているのは間違いない。


監督の軌跡をたどった、「オシムの言葉」(集英社インターナショナル)にはこんな分析がでてくる。


「日本人は平均的な地位、中間に甘んじるきらいがある。受身過ぎる。(精神的に)周囲に左右されることが多い。フットボールの世界ではもっと批判に強くならなければ」


65歳の新監督が立ち向かっている相手は、戦後の日本社会の風土そのものだ。挑んでいるものの大きさには、ちょっとたじろぐものがある。



 

アーミッシュには、驚かされた 米国学内銃撃事件


2006年10月7日 朝日新聞 



アーミッシュ流にメディア驚嘆 少女「私から撃って」 

容疑者家族に「許し」 


2日に、米ペンシルベニア州のアーミッシュの学校で女児5人が殺され、5人が重傷を負った銃撃事件が起こった。


容疑者は事件発生後自殺した。容疑者の女児に対する性的暴力願望があったとみられている。


撃たれて死亡した5人の女児の埋葬が6日、終わった。


暴力を排して生きるアーミッシュの人たちは、理由なき暴力に巻き込まれた直後から、許しをもって容疑者の家族に接した。


その対応ぶりは、米メディアは驚きの目をもって報道を続けている。


「私から撃ってください」。


亡くなった中で最年長だったマリアン・フィッシャ―さん(13)は、教室に残された10人の女児を容疑者が撃つつもりだとわかったとき、そう進み出した。


マリアンさんの妹で、病院で意識を回復したバービーさん(11)の話を聞いた人の話しとして、複数のメディアが伝えている。バービーさんも、「その次は私を」と続けたという。2人は、より小さな子供達を助けたい一心だったという。


容疑者の家族は、アーミッシュの一員ではないものの、地域に住んでいる。


アーミッシュの人たちはこの家族を事件の夜から訪ねて許しを表明し、手をさしのべたと伝えられる。


容疑者の家族は現地の主教を通じて被害者の家族への面会を求め、遺族の一部は容疑者の家族を子供の葬儀に招いたという。


アーミッシュの世界は現代的暮らしや暴力を排し、死後の世界への強い信仰をもっているとされる。


一般に「力」が信奉される米国で、悲嘆にくれる中にも暴力を許して包み込む生き方に、米メディアは


「慈悲の深さは理解を超える」


「女の子の驚くべき勇気」などとして報道している。



アーミッシュ キリスト教メノー派に属するスイス人 ヤコブ・アマンが17世紀に始めた宗派で、18世紀に米国に伝わったとされる。

聖書を厳格に解釈し、現代的な暮らしや暴力を否定する。

男性は幅広の帽子をかぶって、長いひげを生やし、女性は頭髪を隠して黒い靴を履くのが基本。

馬車に乗り、電気製品を使わない。

ペンシルベニア・ダッチと呼ばれる独自の言語を持ち、子供への教育も主に自分達で行う。

ペンシルベニア州やオハイオ州などに十数万が住んでいるとされる。 

再び、原価ってなんですか?

当社は、個人の住宅建築を原価公開主義にて受注しています。そのように言っているものの、社内では、何が《原価》なんじゃ、《本当の原価》ってなんじゃ、と常に話し合っています。

*     四つ井不動産は、あの大女優Yさんを使って、全国的にテレビコマーシャルを放映。豪華なパンフレットを大量に制作。日本全国に住宅展示場を展開。 このように、これらの費用を、経費というに名に代えて、また材料費・施工費を上乗せして、見積書に算入される。

お客さんにとっては、真っ平御免なことだ。

*     水道工事会社、電気工事会社、屋根工事会社、左官工事会社、ガス工事会社、材木屋、建材会社、設備機器会社など、それぞれの会社が、事務所を設けている。免許業者は、事務所はどうしても必要らしい。各下請け会社の、事務所経費の総量は莫大な金額になる筈です。

(規制緩和が必要ですわ)

事務職員を雇い、または奥さんを専従員にかかえ、片手間な作業にも一人前の給料を支払い、自家用車の維持費とガソリン代は車両費に、家族で外食した飲食代は会議費に、どれもその会社の経費に積み上げられる。

そして、これらの費用は、一般管理費とかの項目で見積書に盛られて、お客様に提出される。

お客さんにその経費分を負担させているのです。

(そんなことで、いいのですかね)

お客さんに尻拭いをさせているのが現状です。

 (お客さんをバカにするなあ)

 では、当社では?

原価の原価を徹底的に見直すことだ。一円に至るまで、きちんと説明ができるかどうかだ。担当者殿、気合を入れて、頑張ってくれ。  

 

2006年10月7日土曜日

恥を知れ、滝川市教委

自殺女児 遺書は叫ぶ       

夜の眠りは、仕事上のストレスや夫婦のくだらない諍いも、優しく静めてくれる。早朝は、一日のなかで、とても心穏やかな時間帯だ。 そこで、06:00 新聞を読みながら、朝食をとる。そこに飛び込んでくる、グッドニュースと、バッドニュース。本日はバッドニュースだ。

こんな悲しい遺書を読んだのは、初めてだ。

幼い12才の少女の悲痛な叫びを、誰もが気がつかなかったなんて、どうかしてるよ。

世の中、どうかしてる? 子供の問題?じゃないぞ。大人が狂っている。

教育の現場が狂っていても、なにもそんなに変なことではないの?監督する教育委員会が狂っているのだから、しょうがないんじゃないの。

そんな馬鹿な!!

じゃ、どうすりゃいいのだ。

まず、事実を調査・解明して、全ての事実を公開することだ。~と思っているんだ

朝日新聞(朝)記事より         2006  10  3


北海道滝川市の市立小学校で昨年9月、自分の教室で首を吊り、意識不明のまま今年1月に死亡した6年生の女子児童(当時12)が遺書を残していたことがわかった。同市教委は2日、遺書の内容が一部で報道されたことを受けて記者会見をした。
 

     

遺書は次のような内容でした。


学校のみんなへ


この手紙を読んでいるということは私が死んだと言うことでしょう。私は、この学校や生とのことがとてもいやになりました。それは、3年生のころからです。なぜか私の周りにだけ人がいないんです。5年生になって人から「キモイ」と言われてとてもつらくなりました。


6年生になって私がチクリだったのか差べつされるようになりました。それがだんだんエスカレートしました。一時はおさまったのですが、周りの人が私をさけているような冷たいような気がしました。何度か自殺も考えました。


でもこわくてできませんでした。


でも今私はけっしんしました。  (以下略)





記者会見にて、


「児童の心のサインをつかめなかったことはお詫び申し上げるが、現時点ではいじめの事実を確認できていない」


「ささいな言葉や行為であっても無視することはできないが、一方でその受け取り方は人によってさまざま。いじめを裏づける決定的な事実は出てきていない」


と話した。



今後、市教委として改めて経緯などについて調査するという。 

そして5日の同紙夕刊にて



いじめが原因だった 小6自殺 




滝川市教委、認める
        

2日の記者会見では、いじめの事実を確認していないとして、遺書の公表もしなかった、ことについて、全国から電話約850件、電子メール約千通が寄せられた。


「いじめが認めないのはおかしい」「原因究明が遅い」などと批判する内容がほとんどだったという。


新聞記事  以上




 

 


教員、学校関係者、教員を監督指導する(しなくちゃ、ならない)教育委員会のなんちゅうだらしのないことよ。なんで、もっと、突っ込んで原因究明をしなかったのだ。いや原因究明したけれど、その実体も既に何もかもわかっていて、隠蔽しょうとでも思ったのか?


なし崩し的に、火の気がおさまるの待っていたのだろうか。


自殺をしたのが、約一年前のことだ。今まで何を調査していたんだ。


今まで、いじめと思われる決定的な事実が判明しなかった、と。


なんだと!! あほ!!!



もっと早い段階で、なにもかも解っていたことを、関係各所に報告をして、公表すべきだったのではなかったのか。




少女の悲痛な魂が、今ここでおさまりようのない怒りをこめて、叫び出したのだろう。





恥を知れ、教育者面した者ども。


 

 

 

 

 

 

朝日 天声人語より。


2006年10月5日(木) 朝日新聞(朝刊)・天声人語




安倍首相の考えている、美しい国とは? 

アインシュタインは、ノーベル物理学賞の受賞の報を日本に向う途上に聞いた。


1922年、大正11年の晩秋に来日し、「相対性博士」として各地で大歓迎を受けた▼この訪日の時に博士が残したという言葉を先日、安倍首相が国会の演説に引用していた。「日本人が本来もっていた、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしい」▼これとは別に、帰国の直前に述べた言葉がある。「地球上にもまだ日本国民のごとく・・・謙譲にしてかつ実篤の国民が存在していることを自覚した」。そして山水草木は美しく、日本家屋も自然にかない、独特の価値があるので、日本国民が「欧州感染」をしないようにと希望した▼しかしその後の日本は、欧州の列強に感染したかのように外国を侵略し、敗戦に至った。戦後は、開発で多くの美しい山水草木が失われ、昔風の日本家屋も姿を消していった▼アインシュタインの希望した「美しさ」とは逆の方に進んでしまった。こうした歴史への反省をしっかりと示さないせいか、首相の繰り返す「美しい国」は、なかなか焦点を結ばないようだ。




2006年10月4日水曜日

誰か教えて

私は、毎朝5時に起きて、犬3匹との散歩を楽しんでいる。

いや、楽しんでいる犬を見て、私も楽しんでいる、というのが正確な表現だろう。

ミニチュア・ピーシャの(翼)は路上の干からびたミミズの死体に首筋をコスリツケルのです。何度も、何度も。

でも、生身のミミズには何の関心も示しません。

まるで娘さんが首筋に香水でもつけるように。

何故? どうして? 私、気になってしょうがないのです。誰か、私に教えて、早く。

明日も同じ事をしたら、又、同じように気を揉みたくないのです。

2006年10月1日日曜日

我が社に亀さんがやってきた

我が社に亀さんがやってきた     

 

当社は、素地を取得して、土地分譲や建売住宅を分譲することも重要な業務の一つです。その現場には、古い住宅とお地蔵さんと池があって、その池には亀が2匹、永く住み着いていたようです。住宅は解体。お地蔵さんは敷地内に場所を変えて鎮座していただく。池には土を入れて平らな地盤面にする。


そこでだ、置いてきぼりにされそうになった亀さんの処遇は如何に。担当者のo君は、ほっとくわけにはいきません、会社で飼いましょう。ほっとくと罰があたりますよ、と私に鞭を打ってくる。そんな会話をしているうちに、もう亀さんはやってきた。バケツに容れられ、会社の涼しい場所には安置された。が、そのままでは、いかん。バケツの中は余りにも窮屈だ。かわいそう、と女性スタッフの声。



 

 

そのお地蔵さんとは


弘法大師瓜ほり子育地蔵尊  旧不入斗村共有


由来


明治23年月日不詳 陸軍要所内に御出世爾来、西来寺境内に安置


昭和18年4月4日当所不入斗3丁目1番地に御遷座、今日に至る



 

 

飼育を0君に、全面委任。補佐人が私。緊急役員会で認諾。


飼うたって、どうすりゃいいんだ。それはですね、やはり、今までと同じ様な環境を作ってやるべきだ、ということです、と0君。会社の前の植栽の横に池を作って、日陰を確保してやることになった。私は早速工務店と打ち合わせをし、山紫水明、緑豊かな山あり谷あり?の豪邸を作った。



 

 

飼ってみて解ったこと。


鶴は千年、亀は万年と古来よりよく言われてきた。鶴の千年のことについては、今しばらくは少し脇に置かせて貰って、亀さんに注目しよう。成る程、亀さんなら万年は生きるような気がする。いつも、じっとしているのです。土の中にもぐっていることも多い。兎に角疲れるようなことはしない。省エネ生活の極意を身につけているようです。


私だけ、人知れず、龍宮城へ連れて行ってくれないかな、と思っているのですが。



 

 

出勤すると、亀の前には人盛り。


亀の顔を窺ってからの仕事開始の日々が続いています。

気楽に「死ね)」なんて、ほざくな、

気楽に「死ね」なんて、ほざくな。  

帰途、運転している車の窓越しに、後ろの方から怒鳴り声が聞こえてきた。


信号のある交差点で方向の違う向きから進入したと思われる自動車とバイクが、どうも交差点への入り方でもめているようだ。


自動車の運転手はおじいちゃん・助手席にはおばあちゃん、バイクの方は30歳ぐらいのおにいさん。


おにいさんが、おじいさんに向って、窓越しに、興奮島倉千代子風に怒鳴りまくっている。


罵詈雑言、ライフル銃のごとし。


なにをそこまで、大きな声で狂うことないんじゃないの、と思いながら、バックミラーで様子をうかがっていた。


それからだ、おにいさんが去りがけに「じじい、死ね」と大声で怒鳴るではないか。


なんちゅう恥さらしめ。アホ。大馬鹿者め。


私は、首っ玉つかまえて、殴り飛ばしてやりたい衝動に駆られているうちに、アホはすっ飛んで行った。


胸糞悪い出来事だった。


お兄さんの年齢は、私の息子と同世代だ。



まだまだ親として、気を緩めるわけには、イカンなあ。