2016年9月16日金曜日

めぐみの秋。まずは柿ザ!

めぐみの秋! そりゃアー柿ザ

  
おいらの果樹園(横浜市保土ヶ谷区今井町と横須賀市衣笠栄町の2か所)では、色とりどりの果物類がもう少ししたら採ってよね、と大きな声を張り上げている。

幾種類も、植えてあるのだ。
なかでも柿は、真っ青で、赤くなるのはいつ頃のことだろう。

社用で不要になった宅地を、会社に対する貸付金の相殺として頂くことになった。
これやァ 嬉しいことなのか?悲しむべきことなのか? 私にも解らない。

幾万種類ある果樹のなかで、柿の木ほど、親しんできたものはない。
葉は茶の代わりに加工され、飲まれることがあったそうだ。
私が頭が痛いと訴えたときに、祖母が煎じ茶を作るときと同じように作ってくれた。
まるで、薬のようだった。

食うことにおいては、我が家の柿は兎も角、親戚の柿も、お隣の柿も、みんな俺のもんだ、と言って憚らなかった。
種類も、いっぱいあった。
大学に入ったころ、今 東光氏の著作物で、ある柿の種類を「チンポがき」と著いていたのを、何故か?思い出してしまった。

浪人中は、涙が出るほど面白くなくて悔しいシーズンだけれど、一夜に食う量は、小さいものならば20個、大きいものならば5~6個は、カル~イものだった。

甘柿だけではない。
渋柿の皮をナイフで切りとることも、母や私の大事な仕事だった。
皮を切りとった柿を、何台もの棚を作って干した。

干しきって、柿の表面に白い粉がついたものが、宇治田原町の干し柿として、商品化した。
わが町の名産品だ。
ここで、要らなくなった皮は、しばらく天日干しにして、ほどよく乾いたものを、漬物の糠に混ぜた。
皮から出た、ナントカナントカが、より良い味覚にしてくれたようだ。

もう一つ忘れていけないことは、渋柿の生渋をとって、それを専門業者に売ることだった。
未熟果を収穫し、空き臼や粉砕機で砕き、圧搾をかけて生渋をとる。

柿の生渋には、タンニンが多く含まれていて、その渋が、番傘とか漁網、釣り糸など、防腐剤として用いられる。
清酒の清澄剤としても使われている。

渋柿は果実が熟するまでは固くって、味は苦い。
その渋柿を、焼酎の入った鍋に2~3日入れて放置しておく。
それを、いただくのだが、甘柿とは違った、古風な味を楽しませてくれる。
ただ、甘いだけではない。
言葉の知らない私には、この微妙で古風な味覚を表現できない。

柿の葉寿司=余り上等なので、これを、食べるだけのことはある。
一口大の酢飯(すめし)に鯖や鮭などの切り身と合わせ、柿の葉で包んで押しをかけたすしだ。

ここまで書き進めてきて、重要なことを思い出した。
お酒をちょっと多い目に飲んだとき、翌日の頭の痛みから抜けられない。

18歳から25歳まで、どうにも避けられないことだった。
二日酔いのとき、そんな朝、柿を思い切りガブ食いすると、何故か、酔いが自然に冷める。
柿肉の科学反応?それともエネルギーが頗(すこぶ)る低いの?
友人から得た知識は、大事にしなくっては!!
イカンなあ




このように、柿は、甘いも渋いも、大いに人間に貢献しているようだ。



 Kaki.JPG