2008年3月6日木曜日

どこまで、鈍感なんだ。

鈍感な会社ぶりを見事に発揮してくれたではないか。さすが、立派な会社だ。

今回は、日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会をめぐり、グランドプリンス新高輪が、いったん予約を受けた会場の使用を拒んだことだ。宿泊客の安全を重視し、会場の使用を認めた裁判所の判断に従わなかったことを、記者会見で説明した。あたかも、自分たちには,責められることは何もないのだといわんばかりに。会見したのは、プリンスホテルや西武鉄道を統括する西武ホールディングスの後藤高志社長とプリンスホテルの渡辺幸弘社長だ。

営業の窓口になった担当者は、当初予約を受ける際に、上司に報告して了解を求めたと言っているそうだ。担当者や上司は、週ごとの、月ごとの営業会議で報告して、その施設の最高責任者も承諾した上で、ことは進められだのだと思う。受付をした担当者は、会社に居ずらくなって退社した。正直な担当者をみんなでいじめたのだろう。この会社には、昔から「この野郎」と目星をつけらると、居られない雰囲気を醸し出すのです。ヒステリックに。日教組の教研集会では、毎年街宣車が多数駆けつけることは、誰もが知っていることだ。このことも、社内では当然議論された。その上で、内金を受領しているのです。それを、日教組側がどれほど混乱を招くか説明を事前に十分しなかったという民法上の説明義務違反があったなんて、よくも白々しいことを言うもんだ。裁判所が下した会場使用を認めた仮処分に対しても「正しいとは思っていない。日教組が11月まで何の説明もしてこないのは異常。裁判所にもそこを分かって欲しい」なんて述べた。社内ではそんなことにはなっていない。司法の判断をこれほど軽視していいものなんですかね。

私には、まずは日教組に対して謝罪をして、それからいろいろ検討した結果受けられなかったのだというならば、そういうこともあるよなあ、と理解に努めることはできたのだが。この会見は、むしろプリンスホテルが日教組に抗議しているように見えた。日教組が悪いことをして叱られているようだった。

何かが可笑しいぞ。

それからホテルは、日教組の組合員の宿泊も断っており、旅館業法の疑いももたれている。このことを知ったとき、ピ~ンと頭に思い浮かんだのは、元ハンセン病患者の宿泊を拒否して営業停止の処分を受けた熊本か宮崎の宿泊施設のことだ。この施設の責任者も当初は、何やら発言したのだが、ことの重大性を悟り、前言の誤りに謝罪し頭を深く下げた。この事件も、宿泊施設の運営に関っている者ならば、誰もが知っている。その後、この宿泊施設の運営会社は倒産したと聞いた。

この会社の恐ろしいことは、社会から批判を受けても平気の平左衛門でいられることなのです。謝罪することも過去に何回もあったけれども、そのどれもが、我が心其処にあらずの態(てい)で頭を下げた。他人事のように。

少し前のことを思い出してください。

この会社の創業2代目社長が、証券取引法違反で頭を下げた会見が印象深い。偉大な父親が創業して、一時的といえども世界一金持ちだったこともある会社を、俺は辞めるから、後はみなに任せると身を引いた、その無責任ぶりには、おったまげた。それからグループ内のプロ野球球団が野球協約違反で頭を下げたときのことです。これは太田秀和社長だった。私が宣伝部だったとき、となりのブーツがプリンスホテルの総務部で、彼は総務の仕事の一環として野球部の仕事をしていた。この太田社長も創業2代目社長も、アンタ本気なのか、と疑いたくなるほど平気な顔面(かおつら)で頭を下げた。本気で悪いと、反省しているのだろうか?

創業2代目がそうなら、関連会社の社長も推して知るべしだ。そして今回も、同じだ。

この会社は、私が学校を卒業して、夢を胸いっぱいに膨らませて入社した会社です。その会社の余りのくだらなさにイヤ気がさして、昭和59年初夏、9年7ヶ月お世話になって退社した。隙間風が吹いたのです。某電鉄会社の親会社でした。観光レジャーにおいて、その事業展開に凄まじいものがありました。私はその拡大されていく事業の宣伝を担当するセクションに5年程従事したのです。宣伝部に配属された当時は、目につくもの、やること、全てが興味や関心をそそるもので、仕事の内容については楽しくてしょうがなかった。上司からは訳のわからないほど怒鳴られ、取引会社の担当者からは気の毒がられ、後輩からは激励され、心ある先輩からは同情され、それでも元気に頑張っていました。私の出身は京都府でも琵琶湖寄りだったので、近江地区でオープンするホテルの宣伝物の担当を命じられたときには、深夜12時ごろまで働いた。面白かった、楽しかった。仕事をさせてもらって、給料もらって、申し分なかったのですが、---。その宣伝部時代に、プリンスホテルの社長さんの渡辺幸弘さんと同室で仕事をしたのです。その渡辺社長が、今回の日教組との経緯の説明をするための記者会見に現れたので、懐かしい思いが吹っ飛んで、ああ、やっぱりなあ、と口ずさんでしまった。渡辺社長だけでないのですが、この会社ではコンプライアンス(法令順守)、「世間の常識」についての意識が希薄なのです。入社して、中間管理職、上級管理職、役員に上り詰める過程で、学習をするということが抜け落ちたままで進んで行く、世にも珍しい会社なのです。そのパターンを創業2代目社長が、学生時代の仲間と偏狭な論理を基に作り上げた。外部からの賢者も、サポーターも求めなかった。最後は惨めな裸の王様になるのです。

今から振り返って、思い返せば上司と名のつく人間たちは、何かに追われていたような気がする。幹部は魔物に取り憑かれていた。単細胞人間が、みんなを単細胞化していった。その魔物の存在に脅えていた。その魔物は、その会社の創業2代目社長さんのことだ。

2代目は、偉大な創業者の良いところは習わないで、くだらないことばかり猿真似をしていました。例えば、女をあっちこっちに囲うことや、会社の施設を個人的に使って憚らない。調整区域内では社員研修所としてしか許可が得られなかった建物は、壁が大理石で本宅用として居住に使われている。お前たちは、何も考えなくてもいいのだ。考えるのは、私だ。こんな調子で箱物だけを、ドンドン作り続けた。ソフト面はお構いなし。私が2年間働いた事業所では、支配人は、皿も、テントの色も、テーブルさえも自ら決めるのではなく、創業2代目社長に判断をあおいだ。俺は、与えられたものをキチンと守るだけでいいのだと、定年まで堅く勤めあげた。そこの支配人は、戦歌を歌いだしたら社員の誰をも圧倒 した、めでたい御仁でした。こんな人しか生き残れない会社だったのです!!

上記の内容を公開した翌日に、以前プリンスホテルに勤めて辞めた友人に会った。これからは、彼が話してくれたことです。JRのとある駅の構内に建築したホテルの責任者が、開業に際して、近隣で同業者でもあるプリンスホテルに挨拶に行かれたそうだ。そしたら、JRの責任者は、応対したプリンスホテルの支配人の腕輪が余りにも目立ったので、私は驚きましたと言っておられたそうだ。「なんじゃ、あれは?」とは言っていないそうだが、私にはそんな言葉がなんとなく聞こえてきそうだ。私には興味がないのですが、お坊さんが使っているような大きな数珠のようなものです。ヒスイを材料にして幸運にあやかりたいとか、マグネットのようなもので血流をよくする効用があるとか、結構流行っている、あれです。私には偏見があって、あれは普通の人は身につけないもんだ、と思っていました。日本のビジネス社会では、初めて会うと、まずは名詞を交換するのが慣わしです。その時に、大きな数珠まがいのものを見せられたら、相手は戸惑うことぐらい、考慮しなくてはいけないのではないか。この支配人は、先にに書いた戦歌を歌いだしたら、誰をも脱帽させる支配人とは、大学のクラブの先輩と後輩の関係だ。こりゃ、しょうがないのかなあ。



2008 2 28朝日朝刊 社説

プリンスホテル 少し勇気をだしたなら

「日教組(日本教職員組合)に会場を貸すことはけしからんと知らしめることが一つの目的。我々が迷惑だという理由で貸すのを断念したとしても、それはそれで結果が出た」

これはある右翼幹部の言葉である。

東京のグランドプリンスホテル新高輪が日教組に教育研究集会の会場を貸すのを断ったことは、右翼団体の思うつぼだったのだ。街宣車で騒音をまきちらし、威圧的に走り回れば、集会をつぶせるという悪い前例を残してしまった。

そうしたことをプリンスホテルはいくらかでも反省しているのかと思っていたのだが、そうではなかった。ホテルの社長や親会社の社長が初めて会見し、「ホテル側としての安心安全を考えることも同義的責任」と述べ、会場使用を断ったことの正当性を改めて主張した。

会場に使わせよ、という裁判所の命令についても、プリンスホテルは「正しいとは思っていない」と述べ、命令を無視したことの非を認めなかった。

ホテルの周辺に街宣車が押しかければ、泊り客や結婚式の客だけでなく、周辺地域にも迷惑となる。当日は多くの学校で入学試験が予定されており、道路が封鎖されれば、会場に向かう受験生らが混乱する。それらが、いったん受付た予約を取り消した理由だった。

ホテル側の心配はわからないわけではない。しかし、社会の一員として考えてもらいたいことがある。

ホテルに影響があるにしても、悪いのは日教組の集会ではない。我がもの顔で走り廻る街宣車こそ、批判されるべきものだ。右翼の横暴に屈すれば、集会を開けるところがますます少なくなってしまう。それは健全な社会とはいえない。

ホテル側は「集会の自由」について「民間に会場提供を強制するものではない」と主張している。そうだとしても、言論や集会の自由とはまったく無関係という顔をしていいのだろうか。

ホテルが挙げる混乱についても、裁判所は「日教組や警察と十分打ち合わせをすれば、防げる」と判断した。

世の中の理不尽な行為に対しては、警察の協力を得て、立ち向かう。日本を代表するホテルの一つであればこそ、そうした姿勢を示して欲しいと思うのだ。

ふだんは、日教組に辛口な新聞も含め、多くのメディがプリンスホテルの姿勢を厳しく批判したのも、著名なホテルの社会的責任を重く見てのことだろう。

驚いたのは、集会参加の教師等の宿泊予約も取り消していたことだ。ホテル側は「会場使用と一体」というが、風紀を乱す恐れがある場合などを除いて宿泊は拒否できない。旅館業法違反の疑いが濃いと厚生労働省が述べたのも当然だ。もしプリンスホテルが右翼の横暴に対して少しの勇気を見せたなら、広く社会の共感を呼び、応援する市民や組織も出てくるだろう。それは健全な市民社会に勇気を与えることにもなるはずだ。

2008 2 29の朝日朝刊 天声人語にも取り上げられた。以下の通り

司法判断に従わず日教組の教研集会に会場を貸さなかったグランドプリンスホテル新高輪に、東工大の橋爪大三郎教授が喝。「いったん約束したら、体張っても客を守るのがホテルの責任ーー近所の迷惑とかと言い始める江戸時代の発想では困るのだ」