2008年2月26日火曜日

ハンドボール。五輪予選やり直し

世にも珍しいことが起こった。北京五輪のハンドボールのアジア予選が、不自然な審判が原因でやり直しをすることになって、現実にやり直しが行われた。こんな前代未聞の出来事が起こったのです。そうしたことがあって、私が尊敬するセルジオ越後さんが新聞紙上にコメントを出した。さすがにセルジオさんらしいコメントだったけれども、競技をやってきた者には、理解できただろうが、なかなか難しい内容でもあった。そして数日後、朝日新聞の社説でもこの問題に触れた。二つの記事を読んで、全体の問題点、反省点、競技の理想の姿、競技の本質が明らかにされた。

本題に入る前に、私が知っているセルジオ越後さんの素顔の一部を紹介したい。

20年程以前、私が今住んでいる保土ヶ谷・権太坂の地元自治会の要請で、子供のサッカーチームの指導をしていた時期がありました。対象は自治会内に住んでいる小学生でした。当初、自治会役員が予定していたコーチが、朝寝坊したり、突然キャンセルしたりするものだから、代わりの人間を探していたところに、私に白羽の矢がたったのです。日本サッカー協会の催事としてセルジオ越後さんのサッカー教室が相模原で行われ、子供たちを率いて参加したことがあったのです。そのときに、セルジオ越後さんは、私でさえ見たことのない足技を披露して、受講生の誰をも目を点にさせた。そして楽しい、ウイットに富んだお話をしてくれた。

これからは、セルジオ越後さんのお話です。「私が小さかった頃には、塾は勿論、テレビゲームもゲームボーイもなかったので、私には有り余る時間がありました。暇人(ヒマジン)でした。その時間をサッカーというよりは、ボールを蹴ること、フェント、ボールの止め方に工夫をこらしたのです。誰もがやったことのないやり方を思いついて、それをいつでも、どんな状態のなかでも出来るように、なんかいも何回も繰り返し練習をしました。そして、私のヒマジンは、もう天才的ヒマジンになっていたのです。天才的ヒマジンを自負していました。学校の行き帰り、お買い物の行き帰り、家の中、道路で、野原で。ボールを頭で、肩で、胸で、背中で、足の甲、裏、内と外そのどちらでもない部分で、ボールを地面に落とさないようにリフティング。そうして、大人からも先生からも、私は天才的ヒマジンと公言されるようになったのです」。

私より1年先輩の脇 裕二さんは日本サッカーリーグで藤和不動産に所属していた。藤和不動産が天皇杯で優勝したときのキャップテンを務めた。その試合をテレビで観戦していたのですが、彼の奮闘振りは凄まじいものがあった。前線に最後尾に、重要な戦機に必ず出没していた。その彼が、セルジオ越後さんのボールのキープ力を、褒めていた。アイツからは絶対ボールを奪えない。ひとたびアイツがボールをもつと、二人がかりでないとボールをとれないんじゃ。そのサッカー教室では、10人ほどの子供からも狭いミニサッカーコート内を逃げ切ってみせた。

①朝日朝刊 セルジオ越後 サッカー解説者(元プロサッカー選手)

セルジオ越後

ハンドボール 勝つために何をしてきたのか

「中東の笛」で五輪アジア予選がやり直しになり、、日本で無名なスポーツだったハンドボールが思わぬ形で脚光を浴びた。クウェートの王族がアジアハンドボール連盟を牛耳っていると言われるが、もともとスポーツは、「権力」と切り離せない関係にある。バレーボールの五輪出場権をかけた大会が、日本という固定された国で開催されるのも、興行的な力がそうさせており、これも、一種の「権力」と言えるのかもしれない。

今回は、ジャッジ(審判)の問題なので大ごとになったが、ジャッジミスはスポーツの世界ではよくあることだ。サッカーの日韓ワールドカップで、ベシト4に進んだ韓国に有利な笛があったのは有名な話だ。

「中東の笛」は、たまたまではなく、長年の常識と言われているが、負けた側がジャッジを問題にしても、説得力がない。この間、韓国は何度も五輪に出場している。問題の本質は、「日本はなぜ勝てなかったのか」ということである。ジャッジミスがあっても負けないほどの実力をつけるべきで、そのために何をしてきたのか、ということが本来問われるべきである。

ハンドボールが無名スポーツに甘んじてきたのは、企業スポーツというアマチュアのままだったからではないだろうか。プロとアマの違いは「けじめ」にある。負ければ関係者が責任をとるのがプロの世界だ。プロ化すれば発言力もついてくる。

今回の騒ぎは、日本のハンドボールを変えていく大きなチャンスである。このエネルギーを利用し、協会が先頭に立って新たな運動を始めるべきなのに、ハンドボールをどう育てたいのか、という理念が伝わってこないのは残念だ。メディアにも責任がある。やり直しの日韓決戦をあれだけ盛り上げておこながら、その後の国内リーグの扱いはわずかだけ。ワイドショー的にハンドボールを利用した、と批判されても仕方ないだろう。

今回の事態は、日本のスポーツ文化の問題点も映しだした。私は06年夏から、アイスホッケー・アジアリーグの日光アイスバックスのシニアディレクターをしている。資金難で撤退した企業チームを受け継ぎ、プロチームとして存続させるために、スポンサー獲得などを無償で手伝っている。スポーツ記者からは「なんでアイスホッケー?」とびっくりされたが、そんなに不思議なことなのだろうか。

日本には「種目文化」の後遺症があると思う。学校での部活動は、「自由にスポーツを楽しむ」ことが許されず、一種目しかできない「貧しさ」がある。学校以外でスポーツを楽しむ機会もまだ少ない。だから、やったことのあるスポーツしか興味を持てなくなり、違う種目は敵とさえ思ってしまう。ハンドボールもアイスホッケーも、スポーツはみんな面白い。そうした当たり前のことを気づかせてくれるようなスポーツ文化を育てないといけない。

「日本は縦割り社会」と言われているが、シポーツこそ横割りにつながるべきだと思う。大企業に頼る企業スポーツでは、横へのつながりは生まれない。その役割を果たす組織として、地域でクラブを育てていくべきだ。地域がスポーツでつながり、みんなで助け合って苦労していけば、すそ野は自然と広がるだろう。

「宿題」がいっぱいあることがわかったことが、今回の一番の収穫ではないか。中東の王族の力の大きさを嘆くよりも、自分たちの努力不足をまず問い直すべきである。

②朝日朝刊 社説 ハンドボール

対話のパスで対立ほぐせ

こんな泥沼の争いはスポーツに似つかわしくない。そろそろ打開の道へとかじを切るべき時だろう。

ハンドボール界の国際連盟とアジア連盟の対立のことである。

騒ぎの発端は、「中東の笛」と呼ばれる不自然な審判だった。国際連盟は北京五輪のアジア予選をやり直した。その結果、男女とも韓国が五輪の出場権を得て、敗れた日本は世界最終予選に回ることになった。中東の国々などはやり直し予選への参加を拒んだ。

アジア選手権が17日からイランで始まる。これに対し、国際連盟は来年の世界選手権のアジア代表選考会とは認めないことを決めた。アジア連盟が大会の運営権を手放さず、審判の選定も自分たちでおこなうと譲らなかったからだ。

一連の動きで、アジア連盟のかたくなな態度は異常という他ない。だが、ここにきて微妙な変化も出ている。

やり直し予選に出場した日本と韓国に対し、アジア連盟が決めた処分は罰金千ドル(約10万8千円)と警告だけだった。資格停止などの厳罰を科す構えを見せていただけに、予想外の軽さである。追加処分もにおわせてはいるが、本気かどうかはわからない。

アジア連盟は、クウェートの王族アーマド会長が率いている。アーマド氏はこの騒ぎで、「日本は信頼できない」といい、2016年の東京への五輪招致は支持できないと発言していた。だが、これも事実上、撤回した。

国際オリンピック委員会(IOC)は国際連盟を支持している。孤立するアジア連盟は、強気の態度とは裏腹に手詰まりというのが現実の姿だろう。

ここで日本はどうすべきなのか。

処分に従う必要がないのは言うまでもない。国際連盟も早くからアジア連盟の処分は無効だとの判断を示している。

大事なのは、日本ハンドボール協会がきちんと意見を主張し、仲間を増やしながら、アジア連盟の体質を変えていくことだ。今回、韓国と手を携えてアジア予選のやり直しを実現させた経験も役に立つだろう。アジア選手権が世界選手権の予選でなくなっても進んで参加し、多くの国々と対話を重ねたい。

不思議なのは、静観している日本オリンピック委員会(JOC)の態度だ。アーマド氏はアジア・オリンピック評議会の会長を兼ねているので、ことはハンドボール界だけの話では済まない。

東京への五輪招致に真剣に取り組むというのなら、言うべきことは言ったうえで、アーマド氏を取り込むぐらいの指導力を発揮したらどうか。

日本ではあまり注目を浴びることのなかったハンドボールが、今回の騒ぎで大きな関心を集めた。テレビ中継もされたやり直し予選で、選手の俊敏な動きに引き込まれた人も多かったろう。

今こそ対立をほぐして再出発することがハンドボール界に求められている。