2012年12月17日月曜日

やっぱり、選挙に行こう

今日20121216は、第46回衆院選の日だ。

昨日から降っていた雨は、未明の3時半には止んだ。政権交代なのか維持なのか、政党の乱立、にわか作りの第三極が政権に加わる程票を伸ばせるのか。それにしても、第三極?ってよく判らん。自民、民主、みんな、公明、社民、共産、他の政党も、それぞれ公約を掲げて選挙戦を繰り広げてきた。そして、明日17日の未明には、大勢が判明する。

私はしらけていた。4日前、自宅近くの駅頭で候補者から握手を求められ、その相手の顔を見てギョットした。大臣になって間もない記者会見で、たった10分間に「はっきり申しまして、はっきり申しまして」と10回以上も繰り返し、肝腎のことについて、いつまでも自らの意見が言えない、私見を持っていなかったのだろう、そして過去の暴力団との交際が発覚して、急遽病気入院、退院後は党の幹部によって口封じされたのか、何のコメントもなしに解任か?辞任した当の元大臣だった。在任期間はたったの3週間。私は手を引っ込めた。鉄面皮、恥知らずのこの元大臣は、よくも立候補したもんだ。神経を疑ってしまった。

それにしても、私の腰は重い。早朝、目が覚めても投票に行こうとする意欲、気力がどうしても沸いてこない。投票日当日20121216の03:00に至っても、このような心境だ。

そんな私の背中を押して、投票に向かうように奮い起こさせたのは、今朝配られてきた新聞記事のおかげだ。記事を読んでキーボードを叩いて、転載させてもらう。

その気にさせた記事は、お馴染みの朝日新聞の天声人語と同紙15面の読書の欄からだ。読書の欄は、フリーライターの速水健朗氏が池上彰さんの著作本に書評を寄せたもので、その一文の後半部分だ。

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20121216

朝日・天声人語

大波のような毀誉褒貶(きよほうへん)の落差が、田中角栄元首相ほど激しい政治家もまれだ。金権政治の元凶(がんきょう)のように見られながら、本紙別刷り「be」による戦後首相の人気投票では吉田茂を抑えて1位になった。その人の、きょうは命日だという。

先輩記者の著書によれば、あのだみ声で、よくこういう演説をしたそうだ。「政治はね、生活なんです。昨日よりも今日、今日よりも明日の生活が良くならなくちゃね。月給が倍増、3倍増、10倍増になったでしょ」。いい時代だった。

それから幾年月、この国はどんより雲に覆われ、政治の仕事は「富の分配」から「我慢の分配」に変わった。内外の難しい舵取りを、どの政党、どの人物にゆだねるか。決めあぐねたまま投票日、という人も多いようだ。

思えば、東西冷戦や高度経済成長の時代は分かりやすかった。無関心でも政治はそこそこやってくれた。そうした「お任せ民主主義」からの覚醒を迫られる中で、迷いは募る。一票の意味はかってなく複雑、かつ多様。

一昨日の紙面に、大学生が選んだ今年の漢字は「乱」という記事があった。政治は混乱し、政党は乱立。そして、次の政権に期待する漢字の1位には「信」がきた。乱から信へ。たとえ消去法でも腐らずに権利を行使したい。

あきらめと冷笑は何も生まない。「悪い政治家をワシントンへ送るのは、投票しない善良な市民たちだ」とある米国人言った。永田町もおなじこと。明日をもっと悪くしないためにも、鉛筆に力をこめて。

 

20121216

朝日・15面読書

売れている本/池上彰(著)の「池上彰の政治の学校」の書評

フリーライターの速水健朗

(記事の一部)

日本人のこれまでの政治選択は「新しいものに期待して」「飛びつく」ということの繰り返しだったという。

「とにかく変えたい」が選挙のテーマになっているうちは、同じことを繰り返してしまう。なぜなら、政策の違いに基づかない選択では、政権は変わっても中身は変わらないからだ。

耳に心地よい提案ばかりを主張して選挙に通ることと、それを現実の政治の場で実行していくことは別のこと。背景となる政治信念や政治の場での鍛錬を重視しなくては成熟はない。

今日は総選挙。「とにかく変えたい」だけに捕らわれてないか。最後に自分に問いかけた上で投票に出かけたい。