茨城県東海村長の村上達也さんが、朝日新聞記者に語ったことが記事(20111026 朝日・朝刊)になっていた。
48年前、日本で初めて原子力発電を成功させた、その自治体の首長は、記者に向かって、原発がもたらすカネとリスクについて熱く語られていたのだ。
その記事の冒頭で、私は思わず、ひぇ~と叫びたくなった。
内容は、今年の3月11日、村上達也さんが村長を務める東海村の日本原子力発電東海第二原発も、東日本大震災で起きた東電福島第一原発と同じようなことが起こる寸前だったということだ。
こりゃ、本格的に日本から原発をなくすしかない、と確信した。
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20111113 朝日新聞・朝刊1面
福島第一原発の原子炉建屋。右から4号機、3号機、2号機、1号機=12日午前11時3分、福島県大熊町 相場郁郎撮影
耕論
繁栄は一炊の夢だった
「東海第二」廃炉を
村上達也さん・茨城県東海村長/聞き手・山口栄二
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実は東海村の日本原子力発電東海第二原発も、東京電力福島第一原発で起きた「全電源喪失」の寸前でした。地震の影響で外部電源がすべてダウン。非常用発電機でポンプを動かして原子炉を冷却しましたが、1時間後に押し寄せた津波があと70センチ高ければ、海水は防波堤を乗り越えて、すべての冷却機能が失われていたかもしれない。
2週間後にその事実を知り、背筋が凍る思いをしました。東海第二の場合、20キロ圏内に75万人、30キロ圏内には100万人の人が住んでおり、県庁所在地の水戸市も含まれます。
此処からの村上村長さんの話が教訓的だ。
「原発がなくなったら村民の雇用をどうするか」「村の財政をどう維持するするのか」という議論も村内にはあります。
しかし、原発マネーは麻薬と同じです。原子炉を1基誘致すると固定資産税や交付金など10年間で数百億円がカネが入る。そのカネがなくなると、また「原子炉を誘致せよ」という話になる。尋常な姿ではありません。
福島のような事故が起これば何もかも失ってしまう。原発による繁栄は一炊の夢に過ぎません。目を覚まして、持続可能な地域経済を作るべきです。
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補講です。
この新聞記事の頭出しのタイトルで「一炊の夢だった」とある。この故事成語の「一炊の夢」をもう少し知っておきたくて、ネットで調べてみたら、意味の説明や用例、中国での故事の由来も紹介されていたけれど、私はその中で上杉謙信のことを材にした、この「一炊の夢」の説明を、この欄に引用させてもらう。
「四十九年、一睡(一炊)の夢、一期(いちご)の栄華(えいが)、一盃の酒」(上杉謙信)
越後の武将・上杉謙信は、生涯、戦いに明け暮れた。武田信玄との川中島の決戦は有名である。天下取りを目指す織田軍を、加賀で撃破し、信長を恐れさせた。関東平定へ進発しようとした矢先、病に倒れ、49歳でこの世を去った。
「戦功を競った一生も、一眠りする間の夢のようだ。天下に名を馳せた一代の栄華も、一杯の酒ほどの楽しみでしかなかった」
人生の目的を知りえなかったむなしさが漂っている。