2017年12月16日土曜日

落葉にも詩(うた)がある!1


シダレヤナギ 庭木図鑑
シダレヤナギ

芸能人や作家や、何かと世間から噂された人々が、個人的な事情などもいれた小話は、どの人の場合も興味がそそる。
何是、そんなことを思いついたのかと聞かれると、実は体の調子が蘇り、1か月前から復活した徒歩通勤で感じたことがあるからだ。
脳と腰が長いこと可笑しかった。
徒歩通勤において、体が無理なく動けるようになったこと、目にする草や樹の光景が麗しく見えることが嬉しいのだ。

今回は、不思議な落葉の発生だった。
今まで、落葉なんかに関心はなかったのに、久しぶりに公園や道路を歩く度に気を惹く落葉が、何故あのような落ち方をするのかと考えだした。
落葉君、君の言葉?を聞きたいのだ。
それとも涙なのか?涙ならばその訳・意味を知りたいと思った。

子供の頃、父から「タモツ、人間は兎に角頑張らなくてはならないんだ。
頑張らなくなったら、落葉のようにヒラリヒラリと落ちていくしかないんだ」と言われ、何となく聞いていた。
さらに、「タモツ、これからの将来に向かって夢が薄れ、脳も筋肉も弱まり、もう俺はおしまいだと諦めたら、その時こそ、あの落葉のようにヒラリヒラリと落ちていくんだ」
そんな父からの助言があったからでもないが、生きて今まで何とか頑張るだけは頑張ってきた。
母からは田舎を出ていく時に「タモツ、お前のお兄さんは長男として農業を頑張っているので、どんな学校でどんな勉強をしようが構わないが、学生を過ぎて社会人になってからも、警察だけにはお世話にならないでくれ。これが私の唯一のお願いだ」
たったそれだけの助言を守ろうとして生きてきた。
父母からの数知れないアドバイスだ。

公園の遊歩樹や道路脇の街路樹には、常緑樹もあれば落葉樹もある。
晩秋になると、その常緑樹の葉っぱのなかに、あっちこっちに黄色や赤色の葉っぱが表れ、その葉っぱが時間の経つのに合わせるように、ポチ~ン、パラパラと落ちる。
君に何か落ち度でもあったのか?
落ちる前に、変色した葉っぱを軽く引っ張ると、いとも簡単に枝から離れる。
そこで研究熱心ではないが、その葉っぱが何故、あっちこっちに発生し、一塊(ひとかたまり)に集まっているわけではなく、樹木全体に紛れなく広まっているのだろう。
樹木によって、その葉っぱは黄色だったり赤色だったり、その色は定型的だ。
何故、葉が変色して落ちるのか、今まで真剣に調べてみることはなかった。

このことを会社のみんなに話したが、正解らしい答えを返してくれなかった。
運動部上がりの私は、根性無いから落ちざるを得なかったのだよ、みんなから意地悪でもされているんではないか、と思おうとした。
が、これが正解だとはどうしても想えなくて、得意のネットで調べてみた。
そしたら、なんてことはない。
常緑樹にも新しい葉が生まれ、古くなった寿命の長い葉は落ちることによって、樹木全体の派生を促しているとのことだった。
その落葉はその落葉としての宿命を負っていた。
な~んだ、落葉は寿命のせいだったんだ、と考えてほっとした。

落葉なら、落葉の本当の涙を見たかった。そして、落葉の言葉も聞きたかった。

話しは変わるが、モミジの葉っぱの色のことはどうなんだろう。
これもネットで調べてみた。
元々、木の葉にはカロチノイド(黄色)とクロロフィル(緑色)という2種類の色素がある。
秋になると陽射しが弱まると、両方の色素の分解が始まる。
多くの場合、クロロフィルが早く分解され、カロチノイドが目立つようになり、「黄葉」となる。
葉の中に、元々含まれていないアントシアニン(赤色)という色素が生成されることで、「紅葉」する。
この紅葉するためには、昼温度が高く光が十分にあり、夜冷えることが必要です。
秋晴れの日が続き、温度差が激しいほど見事な紅葉が見られるのはそのためである。

今日もモミジと銀杏の葉以外にも、少しばかり落葉拾いをして会社に出た。
私の机の左前方には、黄味、赤味、朱味、緑の落葉が70枚ほどが初冬の色をなしている。