2016年7月17日日曜日

哀しい梅雨のこころ? 哉(かな)!

哀しい梅雨のこころ? 哉(かな)!


哀しい梅雨のこころ? 哉(かな)!

自ら克つ者は強し(老子)

梅雨の季節が続く、昨日に今日、明日もきっと、、、、
空は、真っ黒なジュウタンが拡(ひろ)がれたように、いつまでも変らない。
気温は、暑い、暑い、、、


すかっとしない頭の中は、この鬱陶しい季節そのものの関係だけではない。
そんなことは、絶対無い筈だ、と解りきっている。
でも、でもだ、十二分に解りきっているのだが、この鬱陶しさをなんとか、したい。
これ、私だけの信念ではない。

梅雨乗り越えの秘策を書面にでも、書き記しておきたいと想った。
気休めだ、と言えば、叱られそう。


ゴチャゴチャした不思議な頭の中に、老子の名言だけが、理由もなく浮かぶ。
恰も、全てを解決できそうに。

この名言は、自分の心の欲望に勝つ者ほど強いものはない、と言うことなんだが、それだけでは話が進まない。この名言は、著・野本米吉の「ことわざと名言辞典」からいただいた。
「法学書院」発行
私の机上の書だ。


これでは、曖昧過ぎる。
もっと、もっと、もっと丁寧に、豆粒を一つづつ箸で拾い上げるように、納得できるように話してくれませんか。

私の頭は、狂っているんです、ヨ。
この数日のように、降りしきる一つ一つの雨粒に、何か不思議なものが含まれているんではないか、とか。
天の神様までが、人間どもに苦羞や哀愁を与えようとしているのか。
雨粒のなかに、人間どもが嬉しくなるモノや楽しくなるモノが含まれているのか?
額に滲む汗までが、この俺を苦しめる。

今朝、会社までの徒歩中、思いついたことがある。
日常の生活や勤務において、そこで発生した、他人には言えない悲しいやり繰りが、会社や学校で、ゴミになりチリになり、狂わせているのではないか、と。
肉親たちの口吻、かって愛し合った男と女の愛の言葉に、二度と交わしたくない言葉。
はしたない言葉。
愛なんて忘れちゃった、老人や若者たちの極めて普段の生活から。

ヤクザな悪意極まりない悪態行為や、下品なナセル技(わざ)と交う怖い殺気。
このやるせなさが、人間の世界を行き交う。
それらの気風が、周りの人間まで狂わせる。
それも、梅雨の一現象なのかもしれない。

それらのモノが揉(も)まれ擦(こす)れ、果てに高度な化学?変化を起こして、人間たちが住みにくくさせられているのではないか。

ちょっとでも速く、この糞面白くない梅雨時期から逃げ切りたい。