「放浪記」の上演を2017回記録した女優・森光子さんが、20121110に亡くなったことを新聞で知った。享年92歳。
このお芝居を観てない私には、下町の銭湯屋さんを舞台にした「時間ですよ」の利発なお母さん役の森光子さんに親しみを覚えた。
20年程前に東京駅で、仕事の関係者と思われる数人に囲まれている森光子さんを横目に通りすがったことがある。彼女の周辺だけ、まるでステージに立ってスポットライトを浴びているときと同じように、華やかな雰囲気をムンムンさせていた。着物から出ている手や顔の部分は、白蝋(はくろう)のように真っ白で、人間様のものとは思えないほどだった。
20121116の日経新聞・文化で評論家の矢野誠一さんが、「波瀾の昭和婦人像を体現」のタイトルで、森光子さんの女優としての一生を短い文でまとめられている記事を見つけた。矢野誠一さんの文章を読んで彼女の概略がつかめた。感得することは多く、早速、ここにマイフアイルさせてもらった。
「放浪記」最終幕で寝入る林芙美子を演じた(2005年、東京・芸術座)
波瀾の昭和婦人像を体現
森光子は、林芙美子を演じた「放浪記」によって、この国を代表する舞台女優になった。前代未聞の2,000回という上演回数を記録したこの作品は、森光子を象徴するものであり、文化勲章受章を筆頭に、彼女のあらゆる栄誉、功績、そして評価の背景になっている。宣材などに印刷され「放浪記」というこの芝居のタイトルの脇に、小さく「林芙美子作品集より」とあり、これは文字通り同名の芙美子の出世作に描かれた、その生涯によっていることの、一応の舌代みたいなものだ。
ここに描かれた林芙美子の生涯、その大半が艱難辛苦につきているのだが、作・演出にあたった菊田一夫も芙美子に扮した森光子も、同じような自分の「放浪記」を持っていた。つまりこの作品は、菊田一夫の終生抱き続けた詩人たらんとする夢と志と魂が、林芙美子の一生涯を通して森光子に仮託され、森光子は見事にそれに応えてみせた。菊田一夫作「放浪記」は、林芙美子のそれを離れ独立した作品として、ひとり歩きしてみせたのである。
「放浪記」は1981年上演20周年を期し三木のり平が演出にあたったことで、あらたな変貌をとげたのだが、この芝居の凄い、いや凄かったのは、上演を重ねるごとに、舞台そのものが確実に成長していることを見せてくれたところにあった。自分も物書きとして成長してるかどうかが問われることでもあって、「放浪記」を観る度に、私は森光子から「あんた、少しは芝居の観方、上手くなった?」と、ささやかれている気持ちになったものである。
森光子を失ったいま、林芙美子、菊田一夫、そして三木のり平を加えて、この四人によって築かれた盤石な壁を、崩せる者の誰一人としていないのを痛感するばかりだ。これまで数えきれないくらいの舞台に、それも同じ作品にも何度となくふれてきた。けっして短くはない私の観劇歴のなかでも、こんな作品はあるものじゃない。「放浪記」に出会えたのは、劇評にたずさわる身であるなしにかかわらず、ひとりの人間としては仕合せだったと言うほかにない。
森光子は「放浪記」で林芙美子に扮したように、ほかにも実名実在の人物を舞台で演じている。上演順に記すなら、60年に菊田一夫の自伝小説の劇化である「がしんたれ 青春篇」で、18歳の菊田一夫に旅費を工面してやる林芙美子を演じ、61年初演の「放浪記」の伏線になっている。78年のお野田勇「おもろい女」で、一度は後継者として二代目襲名のはなしもあったようにきいている、稀代の女漫才師ミスワカサを、88年小幡欣治「夢の宴」で、家庭医薬品「わかもと」の創業女社長・長尾よね。91年小幡欣治「桜月記」で、いまや上方演芸を独占している感のある吉本興業の創設者吉本せいである。
この四人は作家、芸人、経営者として、それぞれ栄達をきわめもし、悲惨な目にもあっている。そんな世に知られた人物の、それも波瀾万丈の女の人生を、舞台に再体験してみせる女優冥利をもってなお、森光子はこの四人の婦人とほぼ同時代を共に過ごしてきたのだ。
つまりはこの四人が四人と同じように、森光子もまた昭和という時代をまるごと生きたというより生かされてきたのだ。物言わぬ、不確かきわまる時間の流れの持つ、厳しさ、残酷さ、恐ろしさと、しっかり向かい合い、したたかに生き抜いた婦人像を、自らの体験も下敷きにして演じてきた。森光子は昭和婦人像の貴重な語り部だったのだ。
森光子の描いた昭和婦人像には、見てきた四人の実在人物のように、なんらかのかたちで時代や社会に寄与したひとばかりではない。実在しない創作上の人物で、それも社会的な存在価値から言うなら、むしろマイナス要因を多分に有した女を演じて、これまた大いに魅力を発揮した。三本だけあげる。
76年藤本義一「千三家お菊」のタイトルロール。80年初演の小野田勇「雪まろげ」の温泉芸者・夢子。89年菊田一夫「花咲く港」による小野田勇「虹を渡るペテン師」の七化けお京。
千三家お菊は、あらゆる犯罪のなかで一番頭脳の求めらるのは詐欺だと嘯(うそぶ)き、詐欺師であることに誇りを持っている女だ。「雪まろげ」の夢子は気のいいお調子者で、その場を面白くさせようとのサービス精神から、ほんのはづみでついた軽い嘘が次の嘘を生み、また次の嘘と雪まろげのようにふくらんで騒動をまきおこす。七化けお京はその名のとおり七変化のペテン師。いずれにせよ世の中の役には立たないくせに、どこか愛嬌があって憎めない女ばかりだ。
昭和の終焉は、森光子の演じてきた女たちにとって居所を失わせたような気がする。そんな女たちを演じつづけて、森光子は女優の一期を終えた。