アケビを思い出した。
アケビの実のこと花のことは、よく知っていたが、この植物を文字で表現するのに木通、通草とからしい?
何故に、この文字をこの様に使うのかは、後で、調べたうえで書き足す。
今、私のブログの話題が、何でこのアケビなのか、と思われたお人に一言。
このアケビの実と花を材にした写真を、会社の近くの喫茶店のトイレで観たのが、始まりだ。
この際、もう少し詳しく知ってもら甚(いた)くなった。
それほど、私にはアケビのことが、すっかり、忘れてしまっていたのです。郷里を去って東京で過ごすことになって、45、6年。一昔前とは言えないが、半昔?前。
そろそろ、アケビの花が咲く頃だったのだ。私のアケビ魂は、郷里の山野を追った。
私が、庭のように親しんだ郷里の山々。
今、どのような姿を為しているのだろうか。
そんなことを夢見、麗しく感じ入ったのは、私だけだろうか。
私がアケビを好んだ頃は、10歳前後。姿、形よりも味が不思議だった。
甘さがあって、少し苦味もあって、母が作ってくれる料理とは違った。
こんなものを黙って食っていいものか?それでも、食欲は幾らでも、盛り上がった。
樹木を矢のように登った。その姿は丸で猿だ。
沢山手に入れて、次から次に、仲間に分けてやるのが気持ちよかった。
それとも、アケビなんて誰も想像もできないのかな?
心底、この写真を観て、私はニンマリしてしまった。
この植物が、あの有名なアケビだとは、私のような田舎育ちで、山や野原を育ちの場にしなかった者でないかぎり、到底解らないだろう? ちょっと、この実で遊んでみようか。
2、3日前に、友人から言われていたことが、残滓のように脳に残っている。
ヤマオカさん、高い所から堕ちてから、間抜けたヤマオカさんのブログが、頓珍漢な極貧状態なので、心配していたんですよ。
友人の、なんと情け深い志やこと。
そして、私は冴えない頭を棒(ぼう)に振って、この稿を書きだしたわけです。
ネットを観て、このアケビの弦を使った籠などの商品を知った。私には、食うこと以外なにも考えなかった。
以下は、ネットで得たものだ。私にとっても、未知なことばかりだった。
種子を包む胎座が甘みを持つので、昔から山遊びする子供の絶好のおやつとして親しまれてきた。
果皮はほろ苦く、内部にひき肉を詰めて油で揚げたり刻んで味噌炒めにするなど、こちらは山菜料理として親しまれている。
主に山形県では、農家で栽培され、スーパーで購入することができる。
また、東北地方などでは、新芽(山形県や新潟県などでは「木の芽」と呼ぶ)をやはり山菜として利用している。
日本国内で栽培されるものは、ほとんどが山形県産である。