20130216、17、我らの大学のサッカー部の後輩たちと、その家族たちでサッカーの試合を楽しんできた。毎年1年に1度、今頃、必ず何処かに集まって楽しむ。と言っても私だけはスパイクを履くことも、ボールを蹴ることもしなかった。残念だができないのだ。見るだけ。腰にダイナマイトを秘めている。グラウンドと宴会場で、今までとこれからを相互に確認し合うのだ。この30年以上も続いている行事に参加してきた。
昭和47年度卒のマサチカと48年度卒の私が最年長で、メインは私よりも4年後輩の面々だ。この連中は凄く仲のいい仲間たちで、その楽しさに私とマサチカは感染、乗せられたというか、ハメられたようだ。
今回の試合会場は、山梨県巨摩郡昭和町にある昭和町押原公園グラウンドだった。立派な芝のグラウンドで、他のグラウンドでは高校生たちが終日、試合をしていた。下の写真は、試合の前か後の様子で、試合中の写真は、写真に収められる内容のものではなかったので、無し。試合が始まる前に、みんなに怪我をしないようにと注意したのだが、注意するほどもなく、激しい競り合いも、揉めごともなかった。当然、冷(ひ)やっとすることもなかった。
私にとって、今回は、格別の感慨を懐(いだ)いての参加だった。
その感慨についてはこの際触れないが、娘(二女)夫婦とその息子(目に入れても痛くないほど可愛い孫ーーーこの表現を孫が気に入っている)が参加したことが、嬉しかった。私の友人たちとの触れ合いを、私の家族にも共有して欲しかった。
6、7年前のことだろうが、長男の勤めている会社のサッカーチームとも試合をしたことがあった。御殿場の時之栖(ときのすみか)だった。長男がキャップテンだったので、強引に私がセットした。此の時は、我がチームは若い長男たちのチームにコテンパにやられた。
今回は孫も試合に出してもらった。11プラスワン対11。ワンは我が孫で、バルセロナのメッシのユニフォームを身にまとって、全ゲームに出場させてもらった。孫は、サッカー好きが高じて気違いの域にもう少しだ。よく走れて、よくボールが蹴れる。サッカーに関する国内外の最新情報を何でも知っていて、私が教えてもらっている。
もう1つ嬉しいことに、娘婿の竹ちゃんも試合に出してもらったことだ。総監督のシダ君が編成したチームに、竹ちゃんがメンバーに入っていたので俺は慌(あわ)てた、彼は素人なので、様子を観て早い目に交代させてくれと直訴した。ところが、老ートルの我がチームの中で、それなりに役に立っているのを観て、やるじゃないですか、もうちょっとやらせましょ、総監督と私は胸を撫でおろした。後で聞いたことだが、実は竹ちゃんはこの時、プレー中、お腹の調子が悪く、直腸と結腸がムズムズ、いつでも爆発しそうな状態だったそうだ。
今回の対戦相手は、甲府にあるサッカーチームでチーム名は忘れたが、今までに何度も試合をした相手だった。シダ君が入っているクラブだ。グラウンドの申込みから対戦相手との調整、宿泊旅館との交渉は、全て塩山に住むシダ君の手配による。肝心なところで役を担ってくれる好人物だ。
宿泊旅館は、石和温泉の常磐ホテルだった。食事から二次会、話題は各人の近況報告だった。私は私の近況報告を、湿っぽくならないように喋ったつもりだったが、聞いた者はどのように理解しただろうか。母校に恩返しをしたい企画を温めているが、今回は話さなかった。
学生時代の思い出に話は尽きなかった。思いっきり大声を出して笑って、大いに飲んだ。教員も何人かいたので、体罰問題にも花が咲いた。定年が迫ってきていること、定年後のこと、孫のことにも話は広がった。仕事のことについては、以前ほど盛り上がらない。
頭髪の薄くなった老舗百貨店の幹部は大学から今日までに点を取ったことがなかったが、この日、生涯を通じての初得点をゲットした。キーパーをやった医療機器販売で凄腕を発揮した営業マンは相手チームのシュートのコースをことごとく抑えた、衰えをみせなかった。高校の神奈川県代表チームを作り上げた熱血先生は宴会で、各人のプレーを評価採点した。ビールはキリンで日本代表チームのスポンサーもキリンだと、会社にホの字の飲料会社の幹部は上品に、大病院の事務長は人柄にふさわしく、スポーツクラブの経営者は黙々と頑張っていた。生命保険会社のマサチカは日頃の精進のかいあって素晴しいプレーの連続だったが、無念にもゴールを奪えなかった。静岡のサッカー伯楽高校教員はマイペース。船舶運輸の大会社の幹部も熱血先生の高校の後輩でもあって、厳しく採点されていた。元文学青年、現在は印刷会社のオジサンは仙台からやってきた。塩山の名物男は、少し前に怪我をして自重気味。サッカー部100年史を作るのだと張り切る元女子マネージャーは、今回は息子の同伴なしだった。これらのオヤジの妻や子ども、孫たちの参加だった。
下は二次会の様子だ。カメラマンの私は写ってない。