来る 5月3日は、憲法記念日だ。
安倍晋三首相は、日本国憲法の改憲に突き進みたがっている。それに呼応するかのように、日本維新の会も憲法見直しのために、平成25年3月30日、党の綱領のうち改憲の項目を発表した。姦(かしま)しくなってきたが、ここらで、少し立ち止まって、憲法という奴の本性を静かに考えてみようと、その勧めを説く新聞記事が多くなった。
先ずは、日本維新の会が目指す改憲の内容と、自民党の日本国憲法改正草案を確認して、後ろの方の朝日新聞の2回の天声人語と日経新聞の春秋を今後の憲法改正論議の参考にしたい。
綱領(改憲)の内容。維新の八策
1,日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。
2,自立する個人、自立する地域、自立する国家を実現する。
3,官の統治による行政の常識を覆し、「自治・分権」による国家運営に転換する。
4,勤労世代を元気にし、世代間の協力と信頼の関係を再構築する。
5,国民全員に開かれた社会を実現し、教育と就労の機会の平等を保障する。
6,政府の過剰な関与を見直し、自助、共助、公助の範囲と役割を明確にする。
7,公助がもたらす既得権を排除し、政府は真の弱者支援に徹する。
8,既得権益と闘う成長戦略により、産業構造の転換と労働市場の流動化を図る。
この綱領を読んで、どこの国のどんな党の綱領かと目が点になり動悸が乱れた。まさか日本国の政権を狙おうとしている党の綱領だとは到底思えない。凄い文字を並べていることにギョっとした。
かくして、日本維新の会の将来はなくなった、と思った。
先ずは1の文章だ。この文章を読んで日本中のどれだけの人が怖気づいたことだろうか。私は身震いした。まともな政党のイメージではなく古風な右翼団体のものだ。使用している文字が、機能的理知的でなく実に観念的だ。改憲に狂奔する自称・暴走老人が、代表者の一人だからこのようになっても仕方ないのだろう。
「日本を孤立と軽蔑の対象に貶(おとし)め」とは、何じゃ。貶める=①みさげる。さげすむ。②名をけがす(日本語大辞典/講談社)。戦後、日本は一体、何処の国に貶められたというのだ。
「絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた」とは、何じゃ。絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けられたか、どうかは兎も角、幻想を持つようになったことは事実。だが、着実に平和主義を貫き、発展途上国への経済協力を進めることで、その存在を他国は認めるようになった。
占領憲法というけれど、あの時のあの状態ならば、いたし方なかったのではないのか。
そして、もう1つ自民党の日本国憲法改正草案の概要だ。これにも驚かされた。此の一つひとつをここで突っついて話をするのを控える。余りにも、私の憲法観とは違う。
自民党の(日本国憲法改正草案)の概要
(前文)
- 国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つの原則を継承しつつ、日本国の歴史や文化、国や郷土を自ら守る気概などを表明。
(第1章 天皇)
- 天皇は元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴。
- 国旗は日章旗、国歌は君が代とし、元号の規定も新設。
(第2章 安全保障)
- 平和主義は継承するとともに、自衛権を明記し、国防軍の保持を規定。
- 領土の保全等の規定を新設。
(第3章 国民の権利及び義務)
- 選挙権(地方選挙を含む)について国籍要件を規定。
- 家族の尊重、家族は互いに助け合うことを規定。
- 環境保全の責務、在外国民の保護、犯罪被害者等への配慮を新たに規定。
(第4章 国会)
- 選挙区は人口を基本とし、行政区画等を総合的に勘案して定める。
(第5章 内閣)
- 内閣総理大臣が欠けた場合の権限代行を規定。
- 内閣総理大臣の権限として、衆議院の解散決定権、行政各部の指揮監督権、国防軍の指揮権を規定。
(第6章 司法)
- 裁判官の報酬を減額できる条項を規定。
(第7章 財政)
- 財政の健全性の確保を規定。
(第8章 地方自治)
- 国及び地方自治体の協力関係を規定。
(第9章 緊急事態)
- 外部からの武力攻撃、地震等による大規模な自然災害などの法律で定める緊急事態において、内閣総理大臣が緊急事態を宣言し、これに伴う措置を行えることを規定。
(第10章 改正)
- 憲法改正の発議要件を衆参それぞれの過半数に緩和。
(第11章 最高法規)
- 憲法は国の最高法規であることを規定。
20130411【天声人語】
常識的な見解である。日本維新の会の橋下共同代表が9日、みずからの憲法観を所属議員に語った。維新の会の説明によれば、おおむね次のような内容だった。
「憲法というのは権力の乱用を防ぐもの、国家権力を縛るもの、国民の権利を暴力から守るものだ。こういう国をつくりたいとか、特定の価値を宣言するとか、そういう思想書的なものでない」。
憲法とは何なのかというそもそもの問いへの通説的な答えである。橋下氏は説いた。「きちんとした憲法論を踏まえなければいけない。国会での議論を聞いていると大丈夫かなと思う」。基本的な教科書も読まずして憲法を論じるべからず、と。
その通りだと思いつつ新たな疑問が湧く。憲法改正を進める点では同じ自民党の憲法観と橋下氏のそれは、互いに相いれないのではないか。橋下氏のいう立憲主義的な発想は公明党も民主党なども共有するが、自民党はかなり異質である。
憲法は国民が国家を縛るもの、法律は国家が国民を縛るもの。向きが逆さになる。そのことは憲法99条が象徴的に示している。天皇、大臣、国会議員、公務員には憲法を尊重擁護する義務があるが、国民には課されていない。ところが自民党の改正草案は国民にも尊重義務を負わせる。
自民党は憲法で何かと国民を縛りたがる。家族は互いに助け合えなどと個人の領域に手を突っ込みたがる。こうしたそもそも論の違いを残したまま双方が改憲で手を組むというなら、質の悪い冗談というほかない。
20130403【春秋 】
風蕭々(しょうしょう)として易水(えきすい)寒し、壮士ひとたび去ってまた還(かえ)らず――。「史記」刺客列伝にあるこの言葉は悲壮感に満ちあふれている。ことに臨むにあたり並々ならぬ覚悟を示し、悲憤慷慨(こうがい)、乾坤(けんこん)一擲(いってき)、みずから退路を断つ。こういう壮士風が日本人は昔もいまも嫌いではない。
日本維新の会が初の党大会で承認した新しい綱領も「風蕭々……」の気分だろうか。いわく「日本を孤立と軽蔑の対象に貶(おとし)め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家・民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」。なんだか決起をうながす檄文(げきぶん)のように熱くて物々しい。
もとはずっと穏当な表現だったのを、共同代表の石原慎太郎さんが手を入れたという。壮士入魂の作かもしれないが、これはもう憲法破棄に近い。使い勝手のわるい条文をどう直すかという議論とは次元が異なろう。そもそも戦後日本が、世界からそんなに「孤立と軽蔑の対象に貶め」られてきたとは自虐的というものだ。
維新の綱領は、しかし他の部分には「開かれた社会」「勤労世代を元気に」などという今風の言い回しが出てくる。こちらは橋下徹大阪市長率いるグループのセンスだろう。木に竹を接いだ、「風蕭々としてエキスイ寒くてね」といった文章でも読まされている感がある。衆院に54議席も持つこの党のすがたがつかめない。
そして、20130428の朝日新聞・天声人語 だ。
原点に立ち返って憲法を議論し直そうという国会議員らの動きが広がっている。憲法とは何か、何のためにあるのか。そもそもから考える、と言う。確かに、それ抜きの議論が先走っている。歓迎したい。
民主党の議員らが25日に「立憲フォーラム」という超党派の議員連盟をつくった。同じ日に、やはり超党派の議連「13条を考える会」も発足した。いずれも、「憲法の根っこにある立憲主義という考え方を改めて確認しようとしている。
個人の権利や自由が、国家権力なり社会の多数派なりによって奪われることがあってはならない。そのために権力を憲法によって縛っておく、というのが立憲主義である。様々に異なる価値観を持つ人々が、公正に平穏に共存できる社会をつくる、そのための知恵である。
個人の尊重という思想は従来の改憲派には好かれていない。いまの憲法のせいで、「ほっといてくれ」と国家に背を向ける国民が増えた。憲法を通じ、国家が国民にもっと「ああしろ、こうしろ」と言うべきだ。そんな発想が根強い。立憲主義への無知なのか、あるいは懐疑か嫌疑か。
もとより憲法とは国民からの国家への命令であり、逆に国家からの国民への命令が法律である。ああしろ、こうしろが必要なら法律のレベルでやればいいことであり、憲法でどうこうする話では本来ない。
立憲主義を蔑(ないがし)ろにして改憲をする。そのとき憲法は憲法という名前の別物になる。それでいいのか。目下の議論の最前線は実はここにある。