2011年12月28日水曜日

柏レイソル

本日、28日から弊社は年末年始の休暇に入った。一人会社に出て、マイコンピューターを整理していたら、原稿のまま投稿していない、この原稿を見つけて、随分遅れての公開をした。この当時、きっと何かで忙しかったのだろう。

サッカーのJリーグ1部(J1)は3日、今季の最終節があり、柏レイソルが初優勝した。

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J1優勝を決め喜ぶ柏の選手たち=3日夕、さいたま市緑区の埼玉スタジアム 西畑志朗撮影

J2からJ1に昇格した1年目で優勝したチームは史上初めてのことだ。首位でこの日を迎えた柏は埼玉スタジアムで浦和レッズに3-1で快勝し、23勝8敗3分けで勝ち点72で逃げ切った。

この3日まで、3チームが優勝の可能性があった。2連覇を狙った2位名古屋は新潟に勝って2位。ガ大阪は清水に逆転勝ちして3位。柏は、来季のアジア・チャンピオンリーグ(ACL)で初めて出場権を獲得。名古屋とガ大阪も出場が確定した。

8日に愛知・豊田スタジアムで開幕するクラブワールドカップに開催国枠で出場する。

20111204の朝日新聞の記事から、今季の最終戦になった浦和との試合内容等を抜粋して転載させてもらった。後日のためにマイファイルしておきたい。写真も全て西畑志朗さんが撮影して紙上に掲載されたものを、盗撮しました。スマン、ご協力有難う御座いました。

柏レイソルの前身の日立(製作所)サッカー部には格別の想いがあるのです。

40余年前、私は大学のサッカー部に所属していて、月に1度か2度、日立サッカースクールで子どもたちにサッカーを教えるアルバイトをしていた。大学の先輩でコーチでもあった吉さんが、このスクールの現場の責任者だったのです。アルバイト料は約3時間で、交通費込みで5000円程もらった。この額は確かではないが、比較的短時間の割には高額だったように思う。この収入は私にとって、垂涎(すいえん)、値千金だった。胸に黒字でHITACHIと書かれた黄色いユニフーム、黄色いパンツ、黄色いストッキング。

又、当時日立サッカー部の常設のグラウンドは吉祥寺で、私たちのグラウンドは東伏見だった。まさに隣近所だ。監督の高橋幸辰さんとコーチの胡崇人さんが、私たちの大学の先輩だったので、その親近感は深かった。そんな関係で、東伏見のグラウンドでは、公式の試合がない限り、毎週練習試合をした。1本30分の試合を何本も、暗くなるまでやった。当時、日立サッカー部は「走る日立」の準備期間だったように思われた。

今回の柏レイソルの試合運びを観ていると、それからの日立サッカー部の全盛時代の動きを彷彿させるものがあった。そのように観たのは、私一人だったかもしれないのだが。そんなことを思い出しながら、焼酎を何杯も飲んでしまった。三菱重工や、古河電工、ヤンマー、東洋工業(マツダ)、藤和不動産よりも、日立に郷愁を覚えるのだ。

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堅守浸透  危機の芽摘む

指揮官「レギュラーは11人じゃない」

柏3ー1浦和

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(前半38分、柏・橋本22は2点目のゴールを決め喜ぶ 西畑志朗撮影)

ここ2試合、途中出場に回っていた茨田(ばらだ)が先発に名を連ねた。ネルシーニョ監督は「守備もいいが、攻撃力のある選手」と起用の理由を明かす。

その茨田が試合を決める3点目を挙げた。J1初ゴール。20歳のボランチは大事な試合で決定的な仕事をした。

久々の先発や、途中交代で起用された選手が活躍してチームを救う。今季、柏で何度も繰り返されてきた光景だ。

ネルシーニョ監督の口癖は「レギュラーは11人じゃない」。日々の練習から選手の動きをつぶさに観察する。調子のよしあし、精神状態など鋭く見極め、出場選手を決める。誰一人としてポジションを約束された選手などいない。全力で練習に取り組まなければ、昨日の先発は明日の控えだ。

きつい練習で鍛えられたスタミナは抜群。運動量が落ちがちな後半16分以降の得点は全65点中半数を超える34点に達した。

選手全員が戦術を理解しているのも特長だ。特に守りの意識は高く、この日、浦和に打たれたシュートはわずかに4本。ピンチを未然に防ぐ試合ができた。

殊勲の茨田はいった。「誰が出ても同じサッカーができる」。優勝を決める試合でも新しいヒーローが誕生し、浦和を圧倒した。柏らしい試合で初栄冠を手にした。

(有吉正徳)

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(後半31分、柏・茨田(中央)は3点目のゴールを決め、ベンチに向かって駆け出す)

 

昇格1年目の衝撃

J1昇格初年度に優勝。史上初の衝撃をどう受け止めればいいのか。

まず思い浮かぶのは、サッカー界では存外に難しい「継続は力なり」という言葉。2009年7月に就任したネルシ-ニョ監督はJ1残留の使命を果たせず、J2降格。

結果が出なければ監督のクビをすげ替えるのはサッカー界の日常だが、「目指すサッカーは間違っていない」とフロントは監督を続投させた。

監督、選手、フロントが同じ方向を向いたチームは強い。昨季、J2で36戦2敗と独走して自身を深めた。格下が相手だから1戦ごとに目先を変えず、主体的にチーム作りを遂行できた。昇格1年目としては一昨季も広島が4位、昨季もセ大阪が3位と躍進した。J2の舞台をうまく利用してチームの土台を築き上げてJ1に乗り込んだのだ。

「他のJ1勢は何をやっているのか」という声も聞こえてくる。ACLで日本勢が準決勝にもたどりつけなかった通り、強豪と呼ばれるクラブが安定した力を発揮したとは言い切れない。最近は主軸が相次いで欧州に渡り、日本のクラブはチーム作りがますます難しくなっている。

ACLとの両立がなかった点で有利な面はあったが、柏は最後まで戦い方がぶれず、王者にふさわしいチームに成長した。現時点で日本代表ゼロのチームが攻守でよくまとまり、見ていて面白いサッカーを表現した。来年20年目を迎えるJリーグ全体にも大きな刺激になる。

(内海 亮)

 

 

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柏レイソルをJ1優勝に導いた

ネルシーニョさん(61)

優れた戦術家だ。劣勢をわずか一手で優勢に変えてみせる。8月の川崎フロンターレ戦は、その典型だった。2点リードされたところで一度に2人の選手交代を行うと、チームは勢いを得て、一気に3点を入れて逆転勝ちした。

時間があれば対戦チームのビデオを見ている。抑えるべき特長はどこか、弱点はないか。抜群の分析力が的確な戦術を生む。

「選手だった頃、何人かの偉大な監督の下でプレーできた。選手としての能力に限界があったが、それを補う方法を教えられた。今の私の基礎になっている」

本名はネルソン・バチスタ・ジュニオール。ブラジル・サンパウロ州で生まれた。現役時代のポジションは右サイドバック。しっかりした守備をベースにする柏のチーム作りは現役時代に培わされた。

冷徹な分析家でありながら気配りも細かい。選手たちから絶大な信頼を得る理由だ。北朝鮮代表の安英学(アンヨンハ)選手は控えに回ることが多く、今季はわずか2試合しか出場していない。それでも「選手を平等に見てくれる。ちゃんと練習をしていれば必ずチャンスをくれる」と話す。

Jリーグを率いるのはヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)、名古屋グランパスに続き、3チーム目だが、年間優勝は初めてだ。「1回で終わらないよう、これからも勝ち続けた」

(文・有吉正徳 写真・小川智)

 

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日経新聞

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柏革命/J1初制覇

意識変え器を整える  フロント改革、経営を効率化

編集委員・吉田誠一

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(Jリーグアウェーズで壇上に登場した柏イレブン)

2008年夏、柏から監督就任の要請を受けたネルシーニョが気にしたのは「どんな選手がそろっているか」ではなかった。交渉に当たった強化本部統括ディレクター小見幸隆に、「自分を支えてくれるフロントはそろっているか」と尋ねたという。

ネルシーニョは「チームとフロントが一体とならなければ勝てない」と考える。この思想がクラブに及ぼしたものは大きいが、それ以前の06年から柏はフロントの改革に着手していた。

「チームが勝てないのは会社の責任であると、全職員が認識することから始めた」と常務の寺坂利之は話す。「どんなにいい選手がいても、クラブの器が整っていなかったら、力を発揮してもらえない」

06年から支持者の声を聞く場として、サポーターズカンファレンスとイエローハウスを開催。クラブが抱える課題を洗い出し始めた。「サイン会などイベントが減っている」「子ども連れが観戦しやすい席を設けて欲しい」「芝の状態が良くないのでは」「強化担当者は成績不振の責任を取らないのか」---。

2ヶ月に一度のイエローハウスの参加者は30人以上のこともあれば、1人だったこともある。議事録は公式サイトで公開し、ほかに「ご意見メール」も受け付けている。すべての要望には応えられないが、クラブが取り組んでいることの成果の確認の場にもなる。

器の整備の軸は当然、経営基盤の強化になる。今期予算の収入は27億3000万円で、J1の中では中規模。寺坂は「収入を急激に増やすのは簡単ではない」と踏む一方で、「今期予算で17億7000万円のチーム人件費をなるべく高くしたい」と考える。

「一般経費をできる限り削って、できれば30億円の売上げで、その70%をチームに投じられるようにしたい」。グッズ直営店の閉店で2000万円を削り、入場券の販路の限定で経費を半減。スカウト職をなくし、普及コーチを減らした。

一時的なサービスの低下の懸念はあるが、「まずはコンパクトで効率的な経営を目指す。その中でチーム人件費を高く保って、魅力あるチームをつくり、入場料収入を増やす。それから、おもてなしの質を上げていきたい」と寺坂は言う。

今春には親会社の日立製作所から日立柏サッカー場を譲渡してもらい、現物出資という形で1億円に増資し、債務超過を解消した。

日立専務の中村豊明の発案で、不動産鑑定士がスタジアムの評価額を10億円としたため、資本金を除く9億円は資本準備金とした。スタジアムは現在、3000席を増築中で、来春から1万5000人が入場できるようになる。

ネルシーニョは寺坂に「自分たちを卑下しないでほしい」と諭したという。かっての柏には「我々はこのくらいで十分」という中流意識があったかもしれない。その甘えを溶かしたことが出発点となり。「すべてはクラブのために」という使命感が生まれ、全スタッフの視線が一つに定まり、クラブの総合力が上がった。

 

最後まで優勝が可能だった名古屋は、新潟との最終戦において、一度も勝てなかったアウェーでスコアーは1点差の1-0だが、試合内容においては完勝した。名古屋らしい攻撃サッカーを貫徹した。ケネデイは19得点で2年連続の得点王になった。

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(最終節に勝利するも逆転優勝を逃し、悔しさをにじませる名古屋の選手たち)

 

もう1チーム、ガ大阪は清水に3-1で勝った。勝たなければ、ガ大阪に優勝の可能性は生まれなかった。そして勝った、が、優勝はできなかった。

10年間指揮を執った西野監督の表情は穏やかだった。78得点はリーグトップ。攻撃的な姿勢を貫いた西野サッカーの終演だった。