2011年12月13日火曜日

友が田舎より来る

20111208 私の生家がある京都府綴喜郡宇治田原町から、私が大学の受験勉強に精を出していた頃から、親しくなった4歳年下の男、桝村秀一がやってきた。私が勉強をしている横で、高校受験の勉強をしていた。彼がぶら下げてきた手土産は、宇治の茶団子と茶羊羹だ。甘さを抑えた懐かしい味だ。

kakiya     

干し柿                     

 

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田原川

 

新横浜駅まで迎えに行った。会って早々に、お前、その顔、なんじゃ。オヤジそっくりになってきたなあと言うと、彼も負けずに、保っちゃんかて、お父さんそっくりになってきたで、よう言うわ、ときたもんだ。

現在、彼は病の母を看病しながら、百姓仕事と着物の販売を半々でやり繰りしている。絵が上手な子どもだった。京都の美術専門の高校から、大学へ、それから漆器のデザインから着物の帯びのデザインへとジャンルを変えていった。何故、絵描きを徹底しなかったんだ、との質問に、凄い奴を目の前にして怯(ひる)んだと言っていた。

彼の父は、農業を営みながら山から木を伐採して、材木屋さんに卸す仕事もしていた。外国産の材木が安価に輸入される前までは、国内産の材木が建設用資材として使われていた。私有林や区有林の区域を決めて、樹木の内容次第で入札する。この仕事で、財を築いたようだ。

桝村は、私の日頃の生活が心配になって様子伺いを思いついたのだろう。或る日電話があって、そちらに行きますので都合はどうですか?との質問に、良いも悪いもないよ、早く来いと答えた。本音は早く来て欲しい、と思ったのだ。それほど、私は疲れていた。田舎のとりとめもない話で、郷愁、疲れを癒したかった。

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茶摘み(今では、ハサミ刈りが多く、このような光景は余り見られない)

先々週に、本の整理をしていて、本棚の”懲役人の告発”の背表紙が気になっていた。本の題名に心を奪われていた。一度は読んだのだろうが、内容の記憶は全然なかった。

40年代前半から50年代は、猛烈に多読していた。読書に夢中だった時期だ。

少し前から、新本、古本にかかわらず、新しく2冊本を買ったら、以前に読み終えた本を1冊読み返すようにしようと決めている。ずうっと前に読んだ本でも、すごく記憶にあるのと、全然憶えてない本があるのだ。気分を昂揚して読んだ感覚は残っていても、何がそんなに感動したのだろうか、と覚束ない本もある。

そして、今回、気になっていた著者・椎名麟三の”懲役人の告発”を読み出して、ふと裏表紙を見たら、桝村秀一のサインがあったのだ。4日後に来浜する桝村が、私の貧乏学生だった頃に、見るに見かねて、私の指定した本を買ってくれたのだろう。40余年前のことだ。不思議な気がした。

何故、この時期にこの本を読み返そうと思ったのだろうか。彼とこの本、と私、それにこのタイミングが実に奇妙だ。

兎に角、じっくり読み返してみた。昭和44年の発刊は、新潮社。私が大学に入学した年だ。内容は、後日まとめてみるが、題材や物語の展開が、実に昭和の40年代そのものなのが、懐かしく、嬉しかった。作品の出来不出来を論じる程の知恵は、私にはないが、面白かったのは事実だ。

今回は、昔なじみの友人が10年以上も久しぶりに、私に会いにやって来たのだが、その彼が40年以上も前に呉れた本を、4日前から偶然読み返すという、ちょっとは不思議な出来事でした、という話です。